つないだ手   作:Gasshow

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今回は原作の設定を読み込んでないとーー

(゜ロ゜)!?

となる可能性があります。


虫とりと駄菓子屋

“虫とり”

 

 

俺は昔、そう呼ばれるものよくをしたものだった。この年になっても心に刻まれたあの風景は、俺を童心へと返らせる。地表を焼け尽くすような日差しの中、虫かごと虫あみだけを持ち、森や林の中を駆け回った。頭に葉を乗せ、カブトムシやクワガタをかご一杯にして帰路を歩いた。そんなに捕まえても飼えない分は逃がすしかないのだが、ただかごを虫たちで一杯にして、それを眺めるのが好きだった。それはまるで自分が集めた特別な勲章のようで、俺はその勲章を誰かに自慢したいとよく思ったものだった。まさか俺がこの年でそんな何気ない少年時代の一ページを開き直すとは思いもしなかった。と言うのも、そうしたのは理子のとある一言が切っ掛けだったからだ。

 

 

 

 

 

 

「あきら、カブトムシ取りに行きたい」

 

「……ずいぶんと唐突だな。どうした?」

 

俺は仕事の書類を纏めるために動かしていた手を止めて、そう言った理子の顔を見た。

 

「近所の男子たちが自慢してくるの。カブトムシ見せてきていいだろうって……」

 

なるほど、そう言うことか。まぁそれは仕方がない。子供にとってのカブトムシとは、大人にとっての金銀財宝と同じようなものだ。その男の子が自慢したくなる気持ちは分からなくもない。

 

「それで、理子もカブトムシが欲しいと?」

 

「うん!だから一緒に取りにいこう!」

 

そう言うことなら否定する理由はない。かつて『虫野郎』と呼ばれた俺の技術を見せてやろう。

 

「よし、なら次の休みの日に行くか」

 

それに対し、理子は笑顔で力強く首を縦に振った。そうして俺の本能とも呼べる記憶が蘇ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺たちが住んでいるアパートの裏には小さな林がある。お世辞にもしっかりと整備させているとは言えないが、それでも一応人が通れるように、申し訳程度の小道は作ってあるのだ。そこを進むと細々とした山の入り口が見えてくる。そこは小さな山で、俺がゆっくりと登ってもわずか二十分足らずで山頂にたどり着いてしまうほどの小ささだ。しかしそれでも自然は豊かで、気分転換にとたまの休日に俺は理子と共にこの山を何度か登ったこともある。そんな俺たちにとっては身近な山は、真夏日だと言うのに澄んだ空気と木々が作る影の影響で暑さは全く感じない。むしろ少し寒いと思えるほどだ。

 

「あきら、ここにカブトムシがいるの?」

 

辺りは木ばかり。ぱっと見た中では、虫などいない。そう思ったのだろう。理子は不安げな声と共に俺を見上げた。

 

「あぁ、この森のどこかに奴らの好きな木があるんだ。そこに引っ付いている可能性が高い」

 

それを聞いた理子は首をかしげて俺を見上げた。

 

「カブトムシって木を食べるの?」

 

「いやいや、樹液を食べるんだよ」

 

「樹液?樹液って何?」

 

そう言われて、なんと説明したら良いのかと俺は無い頭を捻り出してしばらく考えた。

 

「う~ん、そうだな。簡単に言うと俺にも理子にも血が流れてるだろ?当然、木にも血が流れててだな、カブトムシはそれを吸って生きているんだ」

 

うん。生物学的には全く違うが、子供に対する説明としてはいい答えではないだろうか。

 

「そうなの!?じゃあカブトムシは蚊と一緒なんだね!」

 

しかし、理子は俺の説明を歪曲して捉えてしまったようだ。虫世界の中でも嫌われ者の蚊と人気者のカブトムシでは天と地ほどの差があるのだが、それはカブトムシを捕まえていけば分かってくれるだろうと、俺は理子の言葉に苦笑で答えた。そんなやり取りをした後、俺たちはひたすら山を登って、その中腹辺りで足を止めた。ここらは坂もあまり急ではなく、見晴らしも他の場所より少しだけ良かったからだ。これならば、多少理子が単独行動をしても問題はない。

 

「さて理子。さっきも言ったが、カブトムシは樹液を吸って生きている。(ゆえ)に適当に木の上を探せば見つかる……なんて甘い考えは捨てろ」

 

「捨てるの?」

 

「ああ。奴等(やつら)は近年姿を減らしている。俺がガキの頃は近所の公園にいた時もあったが、今はもうそんなことはまずあり得ない」

 

そう。それは彼らの住む自然が根こそぎ減っていると言う理由もあるが、山の周囲に住居が建てば、その光につられてカブトムシはそっちに移動してしまう。そしてそうなれば当然、些細なことでカブトムシは死んでしまうのだ。そんな理由もあって、カブトムシを見かけることは少なくなっていったと思われる。昔は公園にいたこともあったのかと言わんばかりに、ふ~んと間延びした返事をしている理子を尻目に俺は話を続けた。

 

「奴等はドングリの木が好きなんだ。知ってるだろ?」

 

「知ってる知ってる!それなら分かる!」

 

「だから取り合えず、地面にドングリが落ちてないか確認して、それでドングリが沢山落ちている場所を見つけたら、その周囲にある木を調べてカブトムシがいないか探すんだ。簡単だろ?」

 

理子はうんと一つの頷いた後ーー

 

「それでカブトムシ、見つかるの?」

 

と疑わしげに俺に問う。

 

「さあな、それはお前の運次第だ。と言っても、この山なら必ず見つかるさ」

 

カブトムシは数を減らしたと言っても、それは大多数から少し減ったと言うだけだ。たとえ日本にいるカブトムシが十万匹減ったとしても、それは百万匹から十万匹減ったに過ぎない。決して珍しいと言った存在ではないはずなのだ。それから粗方説明を終えた俺は、スズメバチや百足(むかで)について少しだけ注意をして、カブトムシ探しを開始した。カブトムシを探すと同時に、理子に意識を向けて何か危険が伴えばすぐに駆けつけられるようにする。

 

しかしこうして見るとここの森にある木々は立派だ。空を突き抜けようと懸命に背伸びをしており、どれも大きく太い幹で支えられている。まるで誰が一番最初に天に頭が届くか競っているようで、俺はなぜだか申し訳ない気持ちになった。そんな考えで上を見ていたからだろうか、ふと一つの影を見つけた。

 

「理子、カブトムシ見つけたぞ」

 

「えっ!?ほんとう?」

 

理子は俺の声に驚いたように反応し、急いでこちらに駆け寄ってきた。

 

「どこどこ?」

 

「ほら、そこだ」

 

俺は顔の高さを理子と同じにして、分かりやすいように、俺の指の先と彼女の目線が重なるようにした。

 

「……あっ見つけた!」

 

どうやら理子もカブトムシを見つけたようで、届きもしないその手を懸命に伸ばして掴まえようとした。

 

「…………理子、足を少し開いてみろ」

 

見かねた俺は、理子にそう言った。なんで?と言いたげに理子はしていたが、それでも黙って俺に従った。俺は理子の股の下に首をくぐらせ、そのままゆっくりと立ち上がった。

 

「わっ!」

 

俺の頭上から理子の驚いたような声が降りてくる。急降下して、勢い余った音の波が辺りの木の葉をざわざわと揺らした。

 

「おお~高ーい!」

 

興奮気味に揺らされる理子の足から伝わる振動が、俺の頭蓋に響いて脳を震わせる。

 

「ほら、これなら捕まえられるんじゃないか?」

 

「そうかも!」

 

俺は理子を担ぎ上げたまま、カブトムシが()まっている木に並ぶため近寄った。こうして並んでみると、改めてその木の大きさを実感する。いや、この木だけではない。辺りの木々が全てが、自然という偉大で力強い存在を実感させ、主張させている。それはたとえ俺と理子が二人して姿を大きく見せようとしても、鼻で笑われ一蹴されているに違いないと確信できる程にはそう思えた。

 

「……あきら、もうちょっと近づいて」

 

俺は理子の指示に従い、幹に身を寄せる。

 

「どうだ?」

 

「も、もうちょっと……」

 

姿は見えないが、(かす)れたように絞り出された声から、理子が震えながらも限界まで腕を伸ばし、目的の物を掴み取ろうとしているのが伝わる。それからしばらく静かなる格闘が続き、そしてついには訪れた決着の時。

 

「取れた!」

 

理子が元気よくそう言う。そんな彼女の声が森の中でこだまする。

 

「よし、なら降ろしていいか?」

 

「うん!」

 

俺は担ぎ上げた時以上に、ゆっくりと理子を地面へと降ろす。

 

「見てあきら!」

 

着地した理子はカブトムシの両脇を片手で挟み、腹を俺に向けて突き出した。当のカブトムシは六本の足で空を()いて、俺に助けてくれとそう言っていた。

 

「おお、捕まえられたな。つっても、かなり小さいがな」

 

遠近感でよく分からなかったが、理子が掴まえたカブトムシは、彼女の小さな手の平に乗せてもギリギリはみ出ないほどの大きさしかなかった。もしカブトムシに小学校があったなら、こいつは間違いなく一番前に並ばされていただろう。

 

「ん~確かにそうかも」

 

俺の言葉に理子は賛同し、一人首を上下に動かす。それでもがっかりした様子は見せず、むしろ満足そうにつまみ上げたその勲章を下から覗き込んでいた。光を跳ね返し、俺と理子を照らすそれを、理子はそっと心臓の奥深くへと張り付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからも俺たちはカブトムシやらクワガタムシやら、その他多くのムシを捕まえては理子のコレクションに加えていった。たちまち虫かごはムシたちで一杯になり、それぞれが窮屈しそうに体をぶつけ合っている。その拍子に起こるぱちぱちと言う無機質な音は、俺たちに苦情を訴えかけているようで、それでも俺たちは申し訳なさげにまた一匹一匹と、かごの中に新たな同室者を押し込むのだった。

 

「ねぇあきら、帰ったら勝負しようよ!」

 

それは俺と理子の虫かごの八割が埋まった時に、彼女が俺に向かって言った言葉だった。

 

「勝負って、何の勝負だ?」

 

俺は直ぐ様には理子の言っている勝負の内容を察することができなかったので、素直にそう訪ねる。

 

「えっとね、理子の捕ったムシとあきらの捕ったムシを勝負させるの」

 

「ああ、なるほど。で、ムシってのはカブトムシかクワガタのことか?」

 

「うん、皆がやってるんだよ」

 

今時そんな遊びが流行っていることに驚いたが、そこでふと俺はあることを思い付いた。

 

「いいけど理子。ただ単に勝負するんじゃ面白くない」

 

俺はニヤリと笑って頭を傾げている理子に一つの提案をした。

 

「負けた方が今日の夕飯の皿洗いをしよう」

 

これはただ単に、いつもは二人でやっている皿洗いを、今日負けた方がそれを一人でやろうと言っているのだ。

 

「ふ~ん、あきらってば私に勝つ自信があるんだ」

 

「ああ、あるさ。今のところ理子が捕ったカブトムシより、俺のクワガタの方が圧倒的にでかいからな。まぁこのまま行けば俺の勝ちは確定だ」

 

カッカッカと俺は高笑いをして、理子に向かい勝利宣言をする。それを見た理子は頬をぷく~っと膨らませて俺を見上げる。

 

「むぅ~あきら大人げない!」

 

「カッカッカ、何とでも言え!」

 

「あきらの外道!」

 

「カッカッカ、そうかいそうかい」

 

「あきらのロリコン!」

 

「カッカッカっておい待て!そんな言葉どこで覚えた!」

 

「幸子おばちゃんが、あきらと口喧嘩になった時にこう言えばいいって教えて貰った」

 

くそ!あのオバハン何教えてやがる!口うるさい人だとは思っていたが、まさかそんな要らなさすぎる助言を理子に吹き込むとは。

 

「いいか理子、その言葉の使用は今後禁止だ。世間から俺の教育方針がヤバイと噂になる前に」

 

何で?とばかりに俺に疑問の視線を浴びせてくるが、今の年の理子にそれを説明するのはどうなのか?うん、駄目だ。

 

「とにかく禁止だ!帰りにお菓子買ってあげるから」

 

「ほんとに!?やった~!」

 

理子はお菓子で釣れば大抵の事は言うことを聞く。まぁあんまりやり過ぎるのは良くないのだが、こう言った大惨事になりかねない事態にはよくこうしている。俺ははしゃいでいる理子によって揺られる虫かごの中の虫を気の毒に思いながら、ふと空を見上げた。木の葉から差す光は相変わらず眩しく鋭い。

 

「…………さて、帰るか」

 

「うん!」

 

蝉の音は相変わらず(うるさ)く、ただ耳をつんざくような雑音が、今は俺の胸を暖かく揺らめかせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから俺たちは理子の口封じの為のお菓子を買うために、行きに通った道とは違う山道(さんどう)(くだ)っていた。と言うのも、俺たちの住むアパートから目的のスーパーに行くには、先ほどまで俺たちがいた山を迂回(うかい)する必要があるのだ。俺たちは山中にいるのに、そんな面倒なことをする必要はない。そう判断して己の勘だけを頼りに一度も通ったことのない山道を通り、山を降りた。降りたのだがーー。

 

「こんな所に駄菓子屋があったなんてな……。」

 

俺は思わずポツリと呟いた。

 

「理子も知らなかった」

 

理子は駄菓子屋に目を向けながら俺に同意した。恐らく位置的には俺たちが住んでいるアパートから山を挟んだ向こう側にあるはずだ。あまりそちら側には行かなかったので、知ることができなかったのだろう。

 

「かなり雰囲気のある駄菓子屋だな」

 

改めて見てそんな感想が浮かぶ。

ここら一帯も決してニュータウンとはほど遠い建物ばかりであるが、この駄菓子屋はその上をいく。ひびの入ったガラス扉越しに見える商品が見えなければ、ここが空き家だと言われても納得してしまうほどだ。

 

「…………入ってみるか?」

 

「うん」

 

横引きのガラス扉に手をかける。何かに引っ掛かるようにガタガタと揺れながら、それでも強引に扉を開け放つ。外見に比べて中は小綺麗に整っていて、そこは明るく感じた。それは今日が快晴で、空から降り注ぐ、熱くも心地良い光がそう思わせているせいもあるだろう。

 

「…………懐かしいな」

 

それは昔、ちょうど俺が理子くらいの歳の時に、(いく)ばくかの小銭を持って駄菓子屋の戸を叩いた事を思い出して思わず呟いた言葉だった。

 

俺は昔を思い出した奇妙な感覚と共に、理子と二人で駄菓子屋の中へ足を進める。ふと(ひね)るようにして首を回す。やはりと言うべきか、その店内は外観以上に古めかしさを漂わせていた。年月によって黒く変色した木々。天井から降りてくるかのように(きし)む木材の音。そのどれを見ても“ボロい”としか言い様のない要素ばかりが目に見えて際立っていた。だがしかし、それらが店に並んでいる駄菓子と混ざり合い、俺の脳内に保管されている“駄菓子屋”と言う存在とぴったり重ね合わさっていた。

 

店の中に入ってしばらく、俺たちは遠慮がちに棚と棚の隙間を慎重に歩いて、乱雑に並べられた駄菓子やら玩具やらを見て回った。どれも俺が知る物ばかりで、駄菓子屋と言う店が昔からあまり変わっていないことに僅かながら嬉しさを感じた。

 

「店員さんいないね」

 

そんな時、ふと理子は店にあるカウンターを見てそう言う。俺はそうだなと言って理子と同じ方を向いた。しかしその瞬間、風に揺られて風鈴がチリンと鳴る。甲高く、空気を突き抜けるような音が俺の鼓膜に潜り込む。そしてそれが合図だったと言わんばかりに、店の奥から一人の老女が姿を現した。後ろ髪を白いお団子のように(まと)めた、そんな年老いた女性がのっそりとした足取りでカウンターの前まで移動した。それから女性はまるでC4爆弾を解除するかのような慎重さで、木製の小さな椅子にゆっくりと腰を降ろした。そして俺たちはその女性と見つめ合うようにして、視線を交差させる。

 

「…………いらっしゃいませ」

 

「「……は、はい」」

 

しばらく見つめ合った末のねっとりとした女性の挨拶に、俺たちはそう答えるしかなかった。マイペースとでも言うのか。それとも単に行動の全てが遅いのか。とにかくそんな亀のようにゆったりとした老女は、ただただ俺たちを無表情にじっと見つめるだけだった。そんな空気に耐え兼ねたのか、理子はその老女の元へと駆け寄って、カウンター越しに女性に声をかけた。

 

「おばあちゃん、名前はなんて言うの?」

 

理子の質問にしばらく間を置いて老女は言う。

 

「…………()()

 

“レキ”、珍しい名前だ。だがその名を持つ人物に会った事がないと言うわけではない。たしか一年程前、ウルスと呼ばれる集団によって依頼された仕事で中国に行った時、一緒に仕事をした幼い少女が“レキ”と言う名前だった。小さい、とにかく小さいその少女としばらく中国で過ごしたが、まるで感情が抜け落ちたようなその様子は人形ーーいや、ロボットのような、そんな少女だった。彼女は今、どうしているのだろうか?その当時を思い出し、ふとそんな考えが俺の中から顔を出す。

 

「レキ、綺麗な名前……。じゃあレキおばあちゃん、ここでおすすめのお菓子ってある?」

 

理子の言葉を受けたレキさんは、椅子に座ったときと同様に、慎重な様子で席を立ち、それから店内のある一角に向かって歩き出した。その足取りはやはり亀のように遅く、カウンターから棚までのその短い距離の移動すら見ていてじれったく感じてしまう。しかし彼女は着実にその距離を縮め、そしてやっとの事で棚の前までたどり着いた。それからレキさんは、目の前の棚からある一つの小さな駄菓子をつまみ上げ、そしてーー

 

 

 

 

 

 

その袋を破き口の中に放り込んだ。

 

「いや、食うんかい!」

 

俺は思わずそうツッコンだ。いや、だっておすすめのお菓子を尋ねられて、それを渡すのなら分かるが、まさか目の前で袋を破いて食べだすとは思わないだろう。だが当のレキさんは、俺の方を向いてコクリと首を横に傾けるだけ。何を言っているのか分からないと、そう訴えているかのようだった。まさか自分が食べて「ほら、美味しいよ」とでも言う気だったのだろうか?いや、流石にそれはないかと俺は自分の馬鹿らしい思考を打ち切った。しかし俺は次の瞬間、知ることとなる。なぜ彼女がその駄菓子を口に含んだのかを。それはピーと言う独特な軽快音によって証明された。音の発信源であるレキさんの少し尖った唇はすっと元に戻り、そのままそれは謎の駄菓子の正体を見破った。

 

「…………笛ラムネ」

 

笛ラムネ。名前のまんま、笛の音が鳴るラムネだ。俺も昔、それでよくそれで遊んだものだ。なるほど、それでレキさんは駄菓子を口に入れたのか。さて、恐らくーーと言うかほぼ間違いなく初めて笛ラムネと言う存在を知った理子がどんな反応を見せるのか……。俺は僅かな好奇心を乗せた目線を理子に送った。

 

「ス、スゴい!」

 

その結果は予想通り。理子は目をキラキラと輝かせて、レキさんを尊敬の眼差しで見つめていた。レキさんもレキさんで、少し誇らしげな面持ちをしているように見える。いや、それ笛のお陰だから、別にあんたが凄いわけじゃないから。俺は思わずそう言いそうになって、慌てて自身の口をつぐむ。そんな俺を尻目に、レキさんは棚から笛ラムネを一つ取り出して理子に手渡した。

 

「いいの?」

 

レキさんはコクリと頷く。

 

「ホントに!?レキおばあちゃん、ありがとう!」

 

理子は笛ラムネの袋を破き、その残骸をポケットに突っ込んでから、中身のラムネを口に含んだ。その瞬間にピーと言う高音が店の中に広まる。そして耳にこびり着くそれと同調するかのように、風鈴の凛とした響きと、蝉のざわめき声がそれぞれ合わさって、淡い“夏”と言う音楽を作り出していた。

 

「やった!理子にも出来る!あきら、理子でも出来るよ!」

 

ぴょんぴょんとウサギのように跳ねながら、その理子は嬉しさを表現していた。

 

「ああ、よかったじゃないか」

 

そのままピ~ヒャラピーと言った具合に笛を鳴らしながら、(なお)も跳び続ける理子を俺とレキさんはただ黙って見守り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから理子はレキさんと、けん玉やらだるま落としやらで遊んだり、俺を交えた三人で駄菓子を食べたりして過ごした。しかしその間、レキさんはほとんど喋ることなく、頷いたり首を振ったりするだけで、たとえ口を開いたとしても、ただ一言呟くことしかなかった。それでも理子は楽しそうにレキさんに話をして、俺はそんな理子とレキさんを見て軽く頬を緩ますのだった。

 

 

「ではレキさん、今日はありがとうございました」

 

「ました!」

 

日は暮れて夕方。俺たちは駄菓子屋の外でレキさんに向かい合っていた。俺たちの別れの挨拶に、レキさんはただいつものように頷いて答えた。

 

「また来るね、レキおばあちゃん!」

 

理子の言葉を最後に俺たちはレキさんに背を向けた。しかしそれは、予想外の出来事によって一事中断される。

 

「…………明さん」

 

「は、はい!」

 

まさかここで俺の名前が呼ばれるとは思わなかったので、僅かに上ずった声で返事をしてしまった。いや、だってレキさんは今まで俺に対して声を発することさえしなかったのだ。それがまさか別れ際に俺の名前が呼ばれるなんて誰が思うというのか。しかし俺を呼び止めたのにも関わらず、レキさんはただ黙って俺を見つめるのみ。俺は堪らず彼女の名前を呼ぶ。

 

「レ、レキさん?」

 

しかしそれでも彼女からは何も話す気配がない。それからしばらく何とも言えない雰囲気が続き、蝉と風鈴の音だけが反響して響いていたのだが、そこでやっとのことで彼女の重い口がゆっくりと動いた。待ちわびたとばかりに遅刻した彼女の声がそっと俺の耳に届く。

 

「…………気を付けてください」

 

しかし紡ぎ出されたのはその言葉だけ。ただそれだけだった。

 

「えっと、それはどう言う……」

 

俺はレキさんの言わんとしていることが理解できず、その意味を尋ねた。

 

「…………勘です」

 

しかし、レキさんの提示した答えは俺の望んだものではなく、ひどく曖昧で不確かなものだった。

 

「……勘です」

 

レキさんは念を押すように繰り返しそう言う。よく分からないが、彼女の持つ独特な雰囲気が、その言葉をしっかりと飲み込まなけれいけないと、そう警告させられているように感じた。

 

「……はい、忠告ありがとうございます」

 

俺がそう言うと、レキさんはまた無表情のまま一つ頷く。それから俺たちはいつもよりゆっくりとした歩調で家へと帰る。のろのろと急ぐことなく、ただただ歩く。

 

 

 

 

 

ゆっくりと、ゆっくりとーー。

 

 

 

 

 

 

 

 




~帰宅後~

「おい、理子!いつの間にヘラクレスオオカブトなんて捕まえたんだ!それ多分、ショップから逃げ出したやつだぞ!」

「さっき庭にいた!さあ勝負だあきら!」

「鬼か!」

「負けた方が皿洗い一週間!」

「鬼か!」
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