空気を切り裂く轟音。肌を焼く爆熱。この場に自分達を除けば一体のNPCも残っていないのが唯一の幸いだが、それでもこの場の被害は甚大だ。
タマモを連れてたまの観光としゃれこんでいた、SE.RA.PHイチ美しいと称される港も今では酷い有様である。人的被害が出ていないとはいえ、これを放置すれば水産業を生業とするNPCにとっての打撃は並々ならぬものがあるだろう。
「ご主人様、こちらへ!!まだ連中の手のうちが分かりません。今はただ全力疾走のみでございます!!」
そんな考えに後ろ髪を引かれながらも、最愛の妻に促されるまま、港の中をひた走る。建築物を盾とし、火を避けながら、慎重にあちらの出方を窺う以外他にはない。今自分に許されているのは、眼前の脅威に背を向ける事だけ。
自分が逃走を続けることで、既にどれだけの被害が出ているのか分かったものではない。無論、それだけならばまだいい。壊れた建物は、また建てなおせばいいだけの話だ。問題なのは、ここを生活の拠点とするNPCらである。
聖杯戦争中とは異なり、月に住まう彼らには等しく高い次元の人格データを付与してある。彼らは最早、一個の生命体と言っても過言ではないだろう。
そんな彼らの拠り所を今、自分ははっきりと見捨てているのだ。何が聖杯戦争の勝者か?月の覇者を気取りながらも、その実自分がしているのはただの逃走。こんなに情けないことはない。つくづく、自分は無力な存在だと―――
「ちぇすとぉーっ!!」
痛い!
な、殴られた!?この火急の事態に、それも全幅の信頼を寄せているタマモに殴られた。これは一体どういう事か。
「ご主人様、さてはまたも他人の事をお考えだったのでしょう。えぇえぇ分かります。底抜けのお人好したるご主人様の事です。この惨状には強く心を痛めておいででしょう」
「ですがっ!ですが、それもこれも、全てはご主人様のお命あってのものという事をお忘れなく。既に私達の管理のみに依って立っているわけではないとは言え、あくまでこの月はご主人様とタマモが支配する領域。その手を離れれば、またもやあの惨劇を繰り返す可能性もあるという事、お心に留めて頂きたく存じます」
っ・・・・・・・・・・・・・
確かに、タマモの言う通りではある。タマモの尽力によってムーンセルは自分達の手中に収まってはいるが、それも盤石とは限らない。自分か、タマモか。どちらか一方にでも異常があれば、それは即座にムーンセルのバグに繋がる可能性もあるだろう。
ムーンセルが完全無欠でない事は、あの裏の聖杯戦争にて既に知れた事だ。ならばこの月そのものを守るためには、まず自分とタマモが生き残らねばならないのは道理。
だけど、だけど、それでも。
「勿論、私も承知済みでございます。臨戦態勢が整い次第、あのグロテスクなナマモノ・・・ナマモノ?あれって生物なんでしょうか。えぇいとにかくあの訳わからんちんには、即刻この月からご退場願うとしましょう!その為にも、今は!」
分かっている。そうだ、自分はこんな所では終われない。ヤツらを打ち負かし、再びSE.RA.PHに平穏をもたらす為に、まずはこの状況を振り返る事から始めようと思う。
時は遡り、舞台は半刻ほど前のムーンセルへと移り変わる――――――
ここはムーンセル中枢領域近くに置かれた巨大都市。自分達(と言うかほぼタマモ)の手によって文字通りのサイバー都市として作り替えられたSE.RA.PH、その中心街となるべく生み出された港町である。
「キターッ!来たキタきた来ましたよぅご主人様!久方ぶりのTO☆KA☆Iにて御座います!」
電脳世界を燦々と照らす、ムーンセルの生み出した疑似太陽。そんな贋の輝き何するものぞとばかりに、眩い笑顔を一杯に浮かべるこの少女。綺羅星またたく大きな両眼、その中央に自分を捉え、鈴を転がしたような甘い声で自分を導く様は、端から見ればまるで天女の生まれ変わりの様に見える事だろう。
だが、それらは全て彼女を構成する要素のほんの一部に過ぎない。
人懐っこいその笑顔は、ふとした瞬間に妖しさと艶色を兼ね備えた微笑へと姿を変える。幼子の様に純粋で遊女の様に危険なその貌は、タマモがただ可愛いだけの少女ではない事を明確に示すだろう。ぱっちりと開かれた眼も、隙あらば自分を取って食ってしまう為に見開かれていると言っても過言ではない。聖歌隊の如くに清く響き渡る声色も、ここぞという時には蕩ける様な甘ったるい毒に早変わり。そのあまりの心地よさに、何度溶かされそうになったか知れたものではない。
そして何より。頭頂部からぴんと張られた両耳と、先程から自分に絡みついていくるこの一尾。金と見紛う色艶といくら触っても飽きぬ毛触り。まるでお日さまの様な安心感を抱く、抱かされてしまうその魔力染みた魅力。これこそ、彼女が人ならぬ妖狐である事の最大の証左だ。
かつては自分の最も信頼するサーヴァント。そして今では互いに支え合う、愛すべき妻。聖杯戦争においてはキャスターと呼ばれた、神霊クラスの大妖怪。サーヴァントと化すに当たって相応に弱体化はしたものの、自分にとっては最大最強の相棒、それがこの少女。真名を玉藻の前といった。
そんなタマモに手を引かれて街中を歩いていたのも、一重に彼女にねだられたためである。
手前味噌にはなるが、自分達は月において凡そ英雄並の活躍をしたと言って過言ではない。殊この月のムーンセルは自分達が活躍した将にその場所であり、そんな自分達が月の街中に居を構えるというのはそれだけでただ事にはならないと予想された。
注目されるだけならばまだしも、自分たちに仕えよう、或は逆にその首を上げようなどとする者などが現れればたまったものではない。そういう面倒を避けて、自分たちはわざわざムーンセルの片田舎に住居を落ちつけたのである。
自分はそれで良かったのだが、問題はタマモの方であった。
『四畳半と旦那様、それにちょっぴりのゼイタク品があれば大満足』とはタマモの談であるが、はっきり言って彼女の要求する『ゼイタク品』とはちょっぴりなどという生易しいものではない。浪費癖とは言わないが、彼女はそもそも金目のものに目がないのだ。
聖杯戦争の折には相当に弁えていたようではあるが、それでもアリーナや迷宮でアイテムボックスを開ける度に小躍りしかねない勢いだったのは間違いようもない事実であるし、自分の貯蓄が増える度に褒めちぎっていたのもまた彼女である。
つまるところ、タマモの身からゴージャス感覚は切っても切り離せないものであったのだ。そんな訳で、いよいよ散財を我慢しきれずに尻尾をうずうずさせたタマモから
『最近の貴金属っていうのは凄いものでして、たとえ長い年月を経ようが酸に浸けようが劣化しないんだそうですよ。何でも本来の輝きを失わぬ一方で、特殊な被膜で表面をパーペキにコーティングしてしまうんだとか。月の医学薬学は宇宙一なんですねぇ。え?関係ない?』
と。完全に獲物を前にしたジャッカルの目で、しかも真っ正面から見据えられたものだからたまらない。この愛狐にもたまには飴を与えてやらねば、またぞろロクでもない目に遭わされるのは経験上明らかである。
そんなもので出向いたこの中央街は、而して自分達が目的を果たすまでもなく混乱の渦と化したのであった。
始まりは一瞬の出来事。タマモと港を歩きながら、少し波が高いと話し。高波があってはいけないから街中へ戻ろうかと考えたその瞬間。タマモが文字通り目の色を変え、自分に絡ませた腕と尻尾を強張らせたのと同時にあの怪物達は出現した。
出来の悪いクジラかサツマイモの様な形をした黒色の生物、いや、或は機械かどうかも分からない異形の怪物がそこにはあった。しかも続けざまに、三体が現れたのだから只事ではない。
自分の目には善か悪かも分からなかったが、隣り合うタマモの顔色はかつてアサシンの一撃によって魔力回路を乱された時の様に蒼白。これが吉兆である筈は無いだろう。自分が彼女と過ごした時は裏側での出来事を含めても決して長いとは言えないが、その密度に関しては誇って良いと自負している。
とにかく、信頼するパートナーが敵視するものを自分が無条件に認める道理はない。そう思い、彼女の促すままに走り出したまさにその瞬間。
自分達の前方に停泊していた船舶が、爆散するのが視界の端に捉えられた。
「ありえねーっ!あのバケモノ共、事もあろうに無差別無勧告攻撃ですかぁ!?ご主人様、こいつはいよいよやべぇ臭いが致します!ささ、お早くこちらへ!!」
タマモに導かれるまま港の中をひた走り。そして、現在へと至る。
周囲を見れば、奴らの攻撃によって港の施設は最早全壊レベル。まずい、あんなものが陸へ上がってきたら―――
「あ、それは心配ご無用でございますご主人様。連中、どうやらあそこから陸地へ砲撃するのが精一杯なようですから。あのような異形ではありますが、見たところ艦船の一種なのでしょうかねぇ」
何、そうなのか。自分などあれらの攻撃に夢中で、構造まで観察している暇など無かったというのに。つくづく彼女達サーヴァントという存在の格は流石の一言に尽きる。
「きゃんっ もう、おだてたって毛玉しか出ませんよっ それよりご主人様、これより後はどうなさいますか?」
どうする、というのはつまり。
「あまりにも無防備に砲弾をばら撒いております故、私にも奴らの攻撃に法則性が見えて参りました。恐れながら、それはご主人様に置かれましても同様かと。であるならば、ここで撤退する事も容易であろうと存じ上げます」
確かに。数こそ多いとは言え、知恵持つものとは見られないその容姿からも明らかなように、連中の動きは最低レベルの攻性プログラム並みに鈍重且つ単調なものだ。逃げようと思って逃げられないものでは決してないだろう。
だが、それでこの街はどうなる?奴らの攻撃を読むのは容易い。しかし、それは戦いに慣れた自分達なればこその話である。この戦火にNPCが巻き込まれればどうなる?戦う術を持たぬ彼らは、手も足も出ぬまま奴らの餌食となるだろう。いや、自分が見逃していただけで、既にこの港の中でも多少の犠牲者は出ているかもしれない。
これ以上ヤツらの横暴を善しとする事は出来ない。今こそ、こちらから打って出る時だ!
「そう仰ると思っておりました!不肖、この玉藻の前。既に聖杯戦争を乗り越え、サーヴァントにあってサーヴァントにあらざるものとして今日までご主人様を支えて参りましたが。今より再びキャスターと名乗りて、ご主人様の矢となり盾となる事をお誓い致しましょう!!」
高らかに詠う彼女の前に顕現するは、タマモという太陽を受けて光り輝く鏡の宝具。黄道を往く星々さながらに宙を舞う宝具と共に、彼のサーヴァントは再び戦場へ躍り出る。
国造りの神、太陽の化身の血を継ぐ大妖狐。今やその尾は九尾にあらねど、その気迫は今尚苛烈。呪の刻まれた符を構え。主の期待に応えるべくして、その身に溢れんばかりの魔力が滾る。
彼の者の名はキャスター。呪術を自在に操り、身動き一つ取らせぬままに斃す事を旨とする魔術師の英霊。その身は英霊にあっては虚弱なれども、それを補うはマスターたる自分。
「準備は万端にてございます。ご主人様、何なりとご指示を下さいませ。このキャスター、今一度身命を賭して貴方様にお使え致します!」
さぁ。反撃開始だ。
これって何ルート後の話なのよ?とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、基本的にはCCCのキャス狐END後を想定してます。ただ、そうするとキアラ関連の大事な所が全部すっぽ抜けたりかと言って桜ENDだと抑もキャス狐とお別れせねばならない。
しかもキャス狐ENDにしてもタマモナインとかその後のSE.RA.PHとか「キャス狐だしいいんじゃない?」とばかりの設定が結構あるので、ルート毎の差異とかの細かい部分については柔軟にやろうかなと思います。
ドラマCD等の派生作品はともかく、彼女が絡むと本編までコハエース的な空気に飲まれてしまうので、ある種致し方ないかと思ったり思わなかったり。