午前八時。東京武偵高校の男子寮の一室で置時計が電子音を上げてけたたましく鳴った。
ゆっくりと意識が戻った部屋の主は瞬きを数回した後に時計を止めた。その後、時計を一瞥し、ベッドから起き上がる。
背丈はそう高くはない168cm。平均より少し低く、当人のどこか陰のある雰囲気も加わって実際の背丈より低く見える。身体は痩せ型ながらも基礎を十分に作っているらしく、見た目に反する程度に筋力は付いている。
彼は寝間着代わりのスウェットを脱ぎ捨て脱衣所の洗濯機へと放り込むと手早く武偵校の制服へ着替え、炊飯ジャーから炊き上がった白飯を茶碗へ盛り、一人黙々と朝食を摂り始めた。彼の朝食はいつもこういった具合で寂しい。
漬物などを齧ることもないが、時折テーブルに置かれた味付け海苔を齧る程度だ。後はただ黙々と箸で炊き上がった白米をすくい、口へと運び、租借する。ただ、それだけの繰り返しだ。
茶碗一杯の白飯のみというひどく簡素な朝食を終え、制服のジャケットを羽織る前に茶革のショルダー・ホルスターを身に着ける。武偵校では銃器並びに刃物の携帯が義務付けられているため、非暴力主義者であろうとも何らかの人殺しの道具を手にしなければならない。
左脇下へ提げられたホルスターには銃を覆い隠す鞘と同じく古めかしい物が収まっている。
マウザー・HSc。32口径八連発のストレート・ブローバックの自動拳銃はかつて、ナチスドイツによって使用されていたミドル・オートの一挺でワルサー社のPPKに対するマウザー社のカウンター・パートがこれだった。
身嗜みを軽く整え、部屋を出た。室内とは異なり、男子生徒は眼鏡を掛けている。度の入っていない所謂伊達眼鏡であるが、目立つことなく地味でいるため――何事もなく過ごしていきたいという彼の後ろ向きな性分の表れだった。
荒事に巻き込まれずにひっそりと生きていきたい。それが彼、市木邦明のぼんやりとした願望だった。
男子寮の目と鼻の先にバス亭がある。通学する生徒たちはみな、ぞろぞろとアイドリングを続け、ブルブルと震えているバスへ乗り込んでいく。彼もそれに続く。
と、突然右肩をポンポン、と軽く叩かれた。振り向くと茶色がかったショートカットを後ろで軽くまとめた女子生徒がにこやかな笑顔を振りまいて佇んでいた
「おはよう、邦明君」
「あぁ、おはよう」
女子生徒――新堂葉子は「どうしたの? 元気ないよ?」と不安げに顔を覗き込んでくる。邦明は、はにかむように微笑み「何でもないよ」と返すと同時に満員に近いバスが発車した。
数か月前に武偵殺しによるバスジャック事件が発生してからしばらくはバスを利用する生徒もまばらとなったが、今や元通りとなった。
「ねぇ」と葉子は少し熱っぽい視線を邦明へ送ってきた。「今晩、泊まりに行ってもいい?」
邦明は困ったように苦笑いしながら「来るなら日が暮れてからにしなよ。いつもみたいに、寮の裏口は開けておくから……」と返した。
瞬間、バスが揺れ、向かい合わせとなっていた葉子の身体が邦明へ密着した。ふくよかな胸の膨らみの感触を感じた時にはすでに葉子の両腕は彼の背中へと回されていた。
邦明は仕方ないとばかりに彼女の頭を優しく撫でた。満員の車内では身体を離すこともできないために、終点までそのままの姿勢を保って過ごした。
市木邦明は特別優等生というわけでもない。探偵科(インケスタ)へ在籍するBクラスの平均的な武装探偵である。
授業もノートへ板書する程度。話は聞き半分といったところで、時折机の引き出しに放り込んだ文庫本を開いて黙読する。
それでも、特技らしいものはある。が、それに関しては邦明には全く心当たりのないもので、特別腕を磨いた覚えもない。
その日は授業の一環で射撃教練を行うことになった。文字通り探偵術や推理を中心とする探偵科に所属していても所詮、扱いは武偵に違いはなく、犯罪現場に居合わせてしまうことがないとは言えない。現に先日、放課後コンビニにいた女子武偵二人が強盗に巻き込まれ、店内を滅茶苦茶にするほどの銃撃戦を展開し、地元警察から厳重注意を受けている。
ゆえに、実践はともかく銃の扱いには熟練しておかねばならない。武偵は安楽椅子探偵ではない。あくまでも、武装した探偵なのである。
コンクリートが剥き出しとなっているヒヤリとした射場内で各々が横一列に並べられたブースへと姿を消していき、準備を進める中、邦明は射台の上に横たわるホールド・オープンしたマウザー・HScと32ACP実包がフル装填された予備弾倉数本を前に無言で佇んでいた。
邦明の所持しているHScは戦後、再建されたマウザー社から再生産されたリバイバルモデルではない。格段に仕上げがよく、各部の擦り合わせが正確に成された戦前の民間モデルだ。
戦中と異なるのはそれだけではない。木製の銃把にも上等なものが選別され、手の当たる部分に鋭利なチェッカリングが施されている。
スーッと息を吸い込み吐き出すと邦明はマウザーを手に取り弾倉を差し込んだ。途端、遊底は前進し薬室へ初弾を送り込む。HScにはオートリリース機能が付いているため、素早い次弾装填が可能なのだが、これをよしとするかどうかは射手の好みである。少なくとも邦明はこの機構を痛く気に入っていた。相手より一発でも、一秒でも早く撃てるならそれに越したことはないからだ。
撃鉄は起き上がりシングル・アクションの位置となっている。左足のつま先を標的に合わせ、右足はそこから四十五度右へ開く。いわばウィーバー・スタンスの足回りだが、上半身の構えはそれとは全く異なり、定石通りではなかった。
邦明は両肩を脱力させ、そこから伸びる両腕を前へ伸ばす。が、ほんの少しだけ両肘を曲げて『く』の字より緩くなるようにする。また、二の腕は身体と密着させるようにして構えの安定を図る。こちらは所謂アイサリーズ・スタンスに近い。
各々が片手や滅茶苦茶なダブル・ハンドで構える中、邦明の構えは安定していて銃口は一切震えてはいない。
少し重めのトリガーを引き絞り、数発撃った。引き金と銃把の形状の関係上、弾着はやや下がるが、そのクセを知っているため少し上目――例えば心臓――を狙うと、おおよそ腹辺りに着弾する。
標的紙が機械音とともにこちらへ戻ってくる。確認すると弾着は五百円玉ほどのサイズに纏まっている。正確な照準器を省き、傾向性に重きを置いた中型自動拳銃での結果と見れば十分すぎる結果だった。
射撃の技量。さすがに狙撃手ほどの腕前はないが、拳銃であればある程度着弾をまとめることはできる。
一般中学からの編入者であれば、武偵校へ入学するまで銃を扱うことはまずない。が、邦明はどういうわけか、扱った記憶がないにも関わらず、基礎となるベースが完成されていた。云わば、筋の良い部類だった。
基本ができていれば上達も早い。銃の腕は他の一般中学編入者と比べて見る見るうちに差が出来ていった。が、それも途中までであり、尚且つ、武偵高校付属中学から進学してきた古株の生徒にはなかなか追いつけなかった。
その後も標的紙を新しい物に取り換えては射撃を続けた。事前に用意しておいた最後の弾倉を半分ほど撃ち切った頃、邦明は唐突に射撃をやめた。
こんなものだろう。そう呟くようにHScの弾倉留めラッチを外し、残弾三発の残った弾倉に手を掛ける。別に狙撃手やピストル射撃の国体選手を目指しているわけでもないのだ。
弾倉を抜き取り、遊底をゆっくりと引き切る。と、遊底が解放されると同時に、装填されていた実包が薬室から弾き出され、射台の上へと着地した。
そのまま平面上をコロコロと転がった実包は、しばらくするとピタリと動きを止めた。
射撃教練を終え、昼休憩を挟み、授業を二限分受講した後、放課となった。
邦明は三十分ほど射場でパーカッション・ピストルや一昔前の軍用小銃で射撃に励む女子生徒の一団をぼんやりと眺め、その後はどこかへ立ち寄ることもなくバスに乗り込み、学生寮へと戻った。
寮に戻るとまず、寮の裏口の鍵を開けておく。この裏口は普段は施錠されているが、度々アベックとなった女子生徒が男子寮へ忍び込むために度々用いられるため、施錠されていないことに気付いても暗黙の了解ということで住居者たちの大半の間で流されている。彼らもまた、エネルギーを持て余した若く、健全な男子なのだ。
階段を昇り、割り当てられた自室に入ると、傾いた夕陽がレースのカーテンをすり抜け、部屋に差し込んでいた。その眩むような光線で飾り気のない部屋が露わとなる。
就寝のためのベッドと、簡単なデスク、ハンガー・ラック。居間に当たる部屋の中央には小さな卓が置かれている。そして、申し訳程度の本棚が部屋の隅で萎縮していた。
邦明はビアンキ・X15ショルダー・ホルスターを肩から外し、ハンガーへと吊るす。ホルスターに収まるHScの弾倉には七発実包が装填されているものの、薬室に実包は送られていない。安全装置も解除されたままだった。
制服から部屋着に着替え、身軽になるとベッドへ倒れ込み、仰向けになった。軽く眠気を覚えていたこともあり、吸い込まれるようにして眠りに落ちていった。
※
邦明が再び目を覚ました時、陽は既に落ちていた。窓の外では街灯の光が煌々と夜の闇を飛び交い、街を照らしている。
まだ重い瞼を擦り、飛び込んできた明かりに思わず顔をしかめながら、厚手のカーテンを閉める。枕元に置かれた電波時計を確認すると時刻は午後六時を指していた。
突如、充電器にセットされた旧態依然の携帯電話が振動する。二つ折りの携帯を取り上げ、もしもし、と受話器に出る。
『こんばんは、邦明君』
葉子だった。邦明は少し肌寒さを感じ、格子柄の青いシャツ・ジャケットを羽織りながら、通話を続ける。
「ごめん、うっかり眠ってて……もしかして、下で待ってる?」
電話の向こう側で葉子の小さく笑う声が聞こえる。悪戯っぽいような、どことなく、艶っぽいような、そんな誘うような笑い声。
『邦明君の隣で、肌に触れて、手を握って……感じるあったかさと一緒に、心の中が幸せでいっぱいになる……今日一日、ずうっとそんなこと考えてたら、もう日が暮れちゃった』
『このままじゃ、寂しいよ』切なげな、彼女の声。『早く、迎えに来てほしいな』
「すぐ行くよ」
邦明は電話を切ると待ち合わせ場所へ向かうべく、部屋を出た。それから十分後。部屋に戻った邦明の腕の中で葉子が心地よさそうに抱きすくめられていた。
「キス、してほしいな……」そう言って、目を閉じる。邦明は小さく頷いてそれに応じた。互いの唇が重なり、どちらともなく舌を絡ませ合う。
室内は不思議な静寂が支配し、二人が奏でる淫らな水音だけが反響する。時間の感覚もどこか狂い始めたように思う。
葉子が唇を離した。一瞬、二人の間に銀色の糸が伸び、すぐさま姿を消す。糸の残影は葉子の口元をツーッと伝っている。
邦明が息を荒げながら囁く。「ベッド、行こうか」
彼からの誘いに、葉子は無言のまま頷いた。頬は火照るように上気し、下腹部は十分すぎるほど熱を帯びていた。
互いが衣服を脱いで、裸体を曝け出して交わり始めた頃、向かいの雑居ビルの屋上に『彼女』はいた。首から提げた2.5世代の暗視スコープのレンズ越しに二人のまぐわう姿をジッと眺めている。が、空いた左手は回転式拳銃をクルクルと回すことに熱中していた。
サアッと風が辺りを吹き抜ける。撫でるような柔らかな風に、彼女のプラチナブロンドの髪が揺れる。
一度暗視スコープを目から離す。途端、意思の強い蒼い瞳が露わとなった。顔立ちも整っているが、やや小柄で未成熟な身体からは彼女が少女であることを強く意識させる。
左手のガンスピンを止め、銃把を右手で握り直し、シリンダー・ラッチを引いてシリンダーをせり出させる。装填されている実包のリムにはすべて『357MAGNUM』と打刻されていた
エジェクターを操作して装填された六発のうち、一発を抜き取る。弾頭は窪みのあるホロー・ポイントだが、表面が青みを帯びた黒い光沢を放っていることから、ナイロン樹脂でコーティングされたナイクラッド弾だとわかる。
それを手に満足げな表情を浮かべると、再度シリンダーへ装填し、フレームへ輪胴弾倉を押し込む。
彼女の手にする銃――コルト・パイソンはややアンバランスに思える8インチ銃身を備えたものだったが、スコープは取り付けられていない。刻印からも有名なパイソン・ハンターではないことが伺えた。
シリアルナンバー『T49604』。そのパイソンはかつて、警察庁長官を葬るべく三発の357マグナム・ナイクラッド弾を放っている。狙撃事件が時効を迎えるまでついに発見されることはなかった美しい鉄の凶器――それが、今はこの銀髪の少女の手に握られている。
再度彼女が暗視装置を覗くと、邦明の部屋のベランダへ鉤縄が引っかかっていることに気付いた。ちょうど、何者かがロープを伝い、這い上がっている途中らしく、増幅された光学映像の中でゆっくりと人影が上昇していく。中の二人は行為に没頭しているために、全く気付いていない。
侵入者はベランダへ音もなく忍び寄ると、懐からガラスカッターを取り出し、ガラス戸へ突き立て、ゆっくりと切断を始めた。切断を終え、戸の施錠を開けていると同時刻、葉子は邦明の上で果て、続くように彼女の中で体液が放たれた。
お久しぶりです。ハインケルです
鬱病と診断され、休業最中ちょっと書きだしてみることにしました。
自分としては禁忌な題材なんですけどね……大藪厨の皆様に殺されそう←
でも、大藪ファンの自分としてはやりたかったのですよ。最近、アリア原作では007が出てきたし……なら、やらざるを得ないでしょう
あと、警察庁長官狙撃事件に絡んだ情報というか、それに関しては自分ちょっとうるさいですよ。というよりも、一種カルトなまでにファンなので←
では、また