第1話「内通者 遠山キンジ」
1
久方ぶりのベッドの感触を存分に味わった事で、疲れ切った体は完全にリフレッシュしていた。
起き抜けにすっきりとした頭を振るい、
ここはベルギー首都ブリュッセルにある、リバティー・メイソンの息のかかったホテルである
エコール戦車戦に勝利した
予想通りと言うべきか、ベルギーに入った後、魔女連隊からの追撃は無く、撤退自体はスムーズに行う事が出来たのは幸いであった。
戦車戦が終了した時点で、
そこで待機していたワトソン運転のワーゲンバスに乗り換え、このブリュッセルへと撤退する事に成功していたのだった。
パリには、もう戻る事はできない。
ワトソンから聞いた説明によると、
パリ陥落。
戦力的に劣るパリの師団勢力は、これにより壊滅状態と化し、北への敗走を余儀なくされた。
ブリュッセルは現在までのところ、辛うじて師団の勢力圏にある。
しかし、眷属の進軍速度を考慮すると、そう時を置かずに攻め込んでくるであろう事は明白である。悠長に構えている余裕は無かった。
エコール戦車戦で大活躍を示してくれた島苺、中空知美咲の両名は、ここで離脱し、日本への帰国の途へと着く事となった。
これ以上、直接的に戦役に関係ない彼女達を巻き込む事はできない。
幸いな事に2人は、
ホテルから借りたパジャマをベッドに脱ぎ捨てると、壁に掛けておいた臙脂色の武偵校セーラー服に手を伸ばす。
ブラウスに袖を通し、短めスカートを穿いて、足には白のニーソックスを通す。
下ろした髪に櫛を入れ、顔には濃くならない程度に化粧を施す。
最後に、件の匂いホルモンスプレーを振り撒くと、「緋村友奈ちゃん」の完成である。
備え付けの姿見の前に立って、出来上がった自分の姿を映し出す。
軽くターンをして不備が無いか確認。
僅かに舞い上がるスカートを軽く手で押さえ、正面に向き直る。
最後に、可愛らしくニッコリ微笑んで、
「・・・・・・・・・・・・」
がっくりと、その場で崩れ落ちた。
「な、何をやってるんだ、僕は・・・・・・・・・・・・」
一連の行動を、
と言う事はつまり、「友奈」でいる事が、「友哉」にとって普通になりつつあると言う事である。
「何かもう・・・・・・色々と駄目っぽい気がしてきた・・・・・・・・・・・・」
果たして自分は、日本に帰ってから「緋村友哉」に戻る事ができるのか?
「もういっそ、キンジから金一さんのアドレス聞いて、メル友とかになっちゃおうかな?」
キンジの兄である遠山金一は、カナと言う絶世の美女に化ける事で、強力かつ長時間のヒステリアモード化が可能となっている。
ある意味「女装の大先輩」とも言うべき金一に、人生とは何か、という命題で是非ともご教授いただきたい今日この頃であった。
「いや、まだ大丈夫だ!!」
ガバッと、顔を上げて立ち上がる
「日本に帰りさえすれば、もうこんな事しなくて済むッ 帰りさえすれば!!」
言ってから、
何と言うか、こんな事を考えている時点で、既にダメダメな気がしてきていた。
と、
「ヒムラ、君、朝から何をしているんだ?」
「おろ!?」
いきなり声を掛けられて跳ね上がるように飛び起きる
振り返るとそこには、不審物(不審人物ではなく)を見るような眼差しでこちらを見ているエル・ワトソンの姿があった。
「わ、ワトソンッ い、いつからそこに!?」
焦って尋ねる
「君が姿見の前で、可愛らしくポーズを決めている辺りからだけど?」
「・・・・・・・・・・・・」
ほぼ最初からだった。
「そんな事より、」
落ち込む
「トオヤマとジャンヌを見なかったかい? 起きたら、2人の姿が見えなかったんだけど」
「おろ、キンジとジャンヌが?」
そう言えば、ワトソンとキンジは同じ部屋だった筈。
転装生のワトソンは周囲から男だと思われて居る為、キンジと同じ部屋で寝ると言う事になったのだ。
因みに
「早く起きたから、2人で食事にでも行ったんじゃないの?」
「まあ、確かに。その線が一番高いか」
そう言うとワトソンは、ソファーにチョコンと腰を下ろした。
何となく、自分も連れて行ってもらえなかった事に拗ねているようにも見える。
そんなワトソンの様子に嘆息する
折角だから、自分達も食事に出ようか?
そう言おうとした、
正にその瞬間、
「ッ!?」
息を呑む
鋭い聴覚は、その音を明確にとらえていた。
聞こえてくる、独特の風切り音。
ほぼ同時に、ワトソンも気付いた。
「ヒムラッ!!」
「伏せろ!!」
ほぼ同時にワトソンが身を躍らせるのを確認してから、
次の瞬間、
強烈な閃光と轟音が襲い掛かって来た。
次いで、吹き荒れる衝撃が、容赦なく2人の体を抉るように駆け抜ける。
「敵襲か!!」
床に伏せた状態で、ワトソンが舌打ちを漏らす。
わざわざリバティー・メイソンに属するホテルに奇襲をかけて来たのだ。相手は眷属の勢力である事は疑いない。
早すぎるッ
まだ、こちらがブリュッセルに到着してから半日しか経っていない。なのにもう、眷属側の追撃に追いつかれたのか?
「クッ!!」
とっさに、ワトソンは破壊された窓へと駆け寄ると、懐からシグ・サウエルを抜いて、窓の外へ躊躇わず発砲する。
目標は、探すまでも無かった。
ホテル正面に、明らかに
他に人影は見られない。勿論、支援要員がいる事は予想できるが、それでも確認できた襲撃者は1人だけだった。
ワトソンが撃った弾丸は、その人物に命中する。
よろける目標。
だが、相手は倒れる事無く、その場から逃走を開始した。
ワトソンは更に追撃を掛けようとシグの銃口を向けるが、トリガーが絞られる前に、相手は物陰へと身をひそめてしまった。
舌打ちするワトソン。
対して、
「後は任せて!!」
逆刃刀を手に持ち、防弾コートを羽織った
「ヒムラ、手傷を負わせる事には成功したけど、油断しちゃダメだよ!!」
「判ってる!!」
着地しながらワトソンに返事をして、
元より、相手はこちらの拠点に単独で奇襲を掛けてきた剛の者。よほど、実力に自信がある事が判る。油断はできなかった。
駆ける速度を緩める事無く、相手を追いかける
押し寄せる野次馬を回避し、人垣を一足で飛び越える。
目標の人物が駆け込んだと思われる路地へと足を踏み入れる。
だが、そこも既に、駆け付けて来た野次馬でごった返していた。
舌打ちする
その脳裏では、ホテル周辺の地形が再生される。
この路地が使えないとなると、いったん大通りに出て迂回する必要が出てくる。そうなると、かなりの遠回りを余儀なくされてしまうのだが。
「・・・・・・・・・・・・仕方が無い」
決断すると、
自分の足の速さに任せ、相手に先回りできる可能性に賭ける。
人々の合間を縫うようにしてどうにか大通りまで出ると、そこでも速度を緩める事無く疾走。
ようやくの事で、先程までいた路地の反対側に出る事が出来た。
だが、
「ダメか・・・・・・・・・・・・」
路地の入口に立ちつくし、
既にそこには、目標となる人物の姿は無かった。どうやら既に、この路地を抜けて逃げ去った後であったらしい。
とっさに周囲を見回すも、既に目的の人物は見当たらない。完全に見失ってしまっていた。
「仕方が無い・・・・・・・・・・・・」
思考を切り換える
とにかくここは、いったんみなと合流してからホテルを引き払った方が良い。下手に留まると、今度はベルギー警察まで集まってきて、あれこれ根掘り葉掘り聞かれる事にもなりかねない。
そう考えて、踵を返そうとした時だった。
「ひ、緋村・・・・・・・・・・・・」
聞き慣れた声に名前を呼ばれ、慌てて振り返る
そこには、ボロボロに傷ついたキンジがよろけるように歩いてくるところだった。
「キンジ!!」
慌てて駆け寄り、脇に頭を入れる形で支えてやる。
「キンジ、どうしたの? この傷は?」
「やられた・・・・・・妖刕だ・・・・・・」
キンジの言葉に、
妖刕
ペアを組む魔剱と共に眷属に加担し、師団に大打撃を与えた凄腕傭兵ペアの片割。
見たところ、キンジはヒステリアモードになっていない。その状態で妖刕に襲われ、よく生きて帰って来れたものである。
「前に玉藻に聞いた事のある特徴と一致している。妖刕は日本人の男。顔を隠すフードからロングコートまで黒ずくめで、体格は中肉中背だったが、戦闘前に筋肉を肥大させた。右目を紅く光らせて、黒い陽炎みたいな防性の力場で体を覆う怪人だ」
「判ったから、喋らないで。今はともかく、みんなと合流しよう。こっちも大変だったんだ」
言いながら
だが、早くもこのブリュッセルに敵が姿を現したのに対し、師団は未だに体制が整っているとは言い難い。
このままでは、ブリュッセルも陥ちる。
そうなると、いよいよ師団は、ドーバー海峡を渡ってイギリスに撤退する必要が出てくるだろう。
そうなると、戦局は末期的だ。
まず、絶賛孤立中のバチカンは持ちこたえられないだろう。
そして、後顧の憂いを断った敵は、意気揚々とイギリスへ総攻撃を仕掛けてくる。
欧州戦線は、それで眷属の勝利に終わるだろう。
残るは主戦場たる極東のみ。そこで最後の決戦に臨む、という形になる。
まさに、想定としては最悪だ。
2
その夜、
ワトソン、メーヤと合流した
こちらは奇襲を受けた身であるうえ、キンジは負傷中である為、敵の再襲を警戒して、清朝に動かざるを得なかった。
ジャンヌとは、結局合流できず別行動と言う事になってしまった。
やがて、ワトソンの先導で「ブリュッセル石工組合会館」と言う建物へと入って行く。
ここに、リバティー・メイソンの拠点があるらしい。
ワトソンがインターホンに合言葉を告げると、程なくロックが解除される音が響き、一同は中へと入る。
立派な大理石造りのホールを抜け、更に設えられた隠し扉の中へと入ると、1人の青年が一同を出迎えた。
「
「
心配そうに駆け寄ってくる、カイザーと呼ばれた青年に、ワトソンは頷きを返す。
どうやら彼が、ワトソンの上司であるらしかった。
「それとカイザー、今は日本語で頼むよ。彼等は英語を解さないんだ」
「判ったよワトソン君。君が無事で何よりだ」
言ってからカイザーは、改めてキンジと
「写真で見た事がある。君がトオヤマ・キンジだな。それに君が・・・・・・・・・・・・」
言ってから、カイザーは
「君が・・・・・・あー・・・・・・」
少し困ったような顔をすると、カイザーはワトソンへと向き直った。
「すまないワトソン君、こちらの可愛らしいお嬢さんはどちら様かな? それにヒムラ・ユウヤが一緒に来ると聞いたのだが、彼はどこに?」
「カイザー、その女の子がヒムラだよ。まあ、その、何というか、色々と込み入った事情があってね」
がっくりとうなだれるている
ワトソンの説明によると、カイザーはリバティー・メイソンの
其れで
そのカイザーは、なぜか先程からワトソンの顔をニコニコと見ている。
顔立ちがかなりの美形なので、決して不快な印象ではないのだが、それでも行動がやや不信である事は否めなかった。
とは言え、実際のところリバティー・メイソンの存在はありがたかった。彼等が警察や消防の対応を行ってくれたおかげで、
と、そこへ、コツ、コツと床を叩くような音と共に、1人の女性が部屋の中へと入ってきた。
ブロンドの長い髪に白いヴェールを掛けた20代ほどの女性。白い法衣を着ている事空も、バチカンの関係者であることが推察できた。同じバチカン出身のメーヤよりも、やや小柄な体つきをしている。
部屋の中に入ってきたにもかかわらず、女性の目は何も無い虚空を見詰めている。どうやら、視覚障碍者であるらしい。歩く際に発していた音は、杖を突く音のようだ。
「メーヤさん? メーヤさんもいらしているのですか?」
「ローレッタ様!!」
女性を見たメーヤが慌てて駆け寄る。
「偉大なる
「とんでもない。神罰をちょうだいすべきは私の方です。私に戦う力が無いせいで、長らく前線をメーヤさんにお任せしてしまい、心苦しかったのです」
そう言うと、ローレッタはメーヤを抱き寄せる。
こうして見ると、とても仲の良い姉妹のように見えて、何だか
「ですがローレッタ様、このような危険地帯に御自らおいでになってはなりません。どうか北のアムステルダムまでお退きください。ブリュッセルでは、妖刕の姿も確認されています」
「うろたえてはなりません、メーヤ。この程度の事、86年前の戦役に比べれば危機と呼ぶべくもありません。何よりローマ、バチカンは無傷なのですから」
己が身を案じるメーヤに対し、ローレッタは毅然とした口調で諭す。
その様は、上に立つ人間らしい堂々とした物である。メーヤとの会話から、ローレッタが戦闘職でない事は判る。だが、それを差し引いても尚、これだけの貫録を見せているのだ。メーヤが彼女を慕う理由は充分に理解できた。
だが、そんなローレッタの発言に、カイザーが不快感を示した。
「バチカンが無傷ならフランスやベルネスクが奪われても良いと言う事か?」
そんなカイザーの横やりに対し、ローレッタはメーヤを離しながら応じる。
「そうは申していません。そう思ってもいません。私達がここにいて、プロテスタント、敢えて異端とは申しませんが、あなた方と共闘している事が証明です」
「私にはそう聞こえたのだ。カトリック原理主義者よ」
宗教的な観念から言うと、バチカンとイギリスは仲が悪い。
中世ヨーロッパではキリスト教総本山である
何しろ当時は、今以上に「神」の存在が堅く信じられていた世代である。その神を奉じるバチカンには、誰も逆らえなかったのだ。
しかし、その状況に反発を覚えたイギリスは、キリスト教を奉じる独自の宗教を立ち上げ、バチカンに対抗した。これが
そのような経緯を引きずっている為か、リバティー・メイソンとバチカンの歩調は、必ずしもあっているとは言い難い。
どうやら欧州戦線苦戦の理由は、単純な戦力差や不確定要素意外に、身内内部における不和もあるらしかった。
そのようなピリピリした空気の中ではあるが、ともかく現状の把握と今後の対策は急務である。
そこで、暖炉を取り囲みつつ、緊急の師団会議が開催される事になった。
とは言え、敵の傍受を最大限に警戒しなくてはいけない事から、今回は通信回線を使わず、この場にいる者のみによる会議となった。
そこでも示唆されたのが、内通者の存在である。
これは出発前にワトソンからも言われた事だが、眷属はあまりにも的確に師団の先手を打ってきている。この事を考えれば、内通者がいる事は、もはや疑いないだろう。
問題は、誰がそうなのかという事であるが。
「ジャンヌを最後に見たのはいつだ?」
カイザーの追求は、当然の如く、そこへと向けられた。
この場にいないジャンヌ。彼女が内通者で、師団の情報を眷属に渡して行方を晦ませた、と言う考えが、この場では最もシンプルであると言える。
勿論、
「ボクは、ホテルで部屋割りを決めた時に見たのが最後だよ」
「僕もその時ですね」
部屋の違うワトソンと
「私は同じ部屋に泊まっていたのですが、襲撃を受ける少し前に見たのが最後です。ジャンヌさんは『ちょっと外に行く』と言い残して外出されました」
メーヤの発言に、カイザーは頷きながら思案する。
だとすると、理由の如何に問わず、ジャンヌが姿を消したのはその後、襲撃を受けた前後と言う事になり、ますます嫌疑が濃くなる。
最後にカイザーは、キンジに向き直った。
「君はいつ、ジャンヌを見たんだ?」
その質問に対し、
今だ妖刕から受けた負傷の癒えないキンジは、沈黙を持って返した。
「・・・・・・なぜ黙っている?」
それに対し、カイザーもまた語気を強める形でキンジに質問を繰り返す。
「私も訊きたくはないが、こうなるとキンジ、君には訊かなくてはならない事が2つある。1つ、君はなぜ、火災の時にホテルにいなかったのだ? 2つ、私達は君が『不可能を可能にする男』だと言う事は知っているが、妖刕の強さも知っている。君はどうやって、あの妖刕の襲撃から生還したのだ?」
カイザーの中では「キンジが内通者である」と言う可能性も急浮上しつつあるようだった。
そんなキンジを、
なぜ、キンジは黙っているのか?
この場にあって
それだけに、キンジがなぜ黙っているのか、その意図が読めなかったのだ。自分が潔白なら、潔白だと一言言えば良いだけなのに。
キンジは何かを隠している。それも、内通者に繋がる何かを。そう判断するのが妥当だった。
だが、キンジの事をよく知らないカイザーは、追及の手をさらに強める。
「改めて問おう。なぜ、妖刕は君を見逃した? 状況を鑑みるに、君は自分の潔白を証明する立場にある事を理解すべきだぞ。我々ヨーロッパの師団は玉藻を通じてアジア側の情報を得ているが、君は常に実戦部隊に居たそうじゃないか。つまり、誰よりも最新の状況を発振しやすい位置にいたのだ」
カイザーはキンジを追い詰めるような口調に切り替えてくる。
これは武偵や警察棟が良く使う
これで黒なら自白するし、白は情報が無いから自白できない。と言う、強引な振るい掛けと言う分けである。
だが、そんなキンジを助ける声が、横合いから入った。
「カイザー、君は短絡的すぎるッ トオヤマは今までずっと、師団の一員として命がけで戦って来たんだぞ!!」
カイザーに食って掛かったのは、彼の同僚であるワトソンだった。
「内通者はいるだろう。けど、犯人探しで仲間割れしていたら、それこそ敵の思うつぼだ。ここはまず、内通者がいた場合のルール作りを優先すべきで・・・・・・」
「わ、ワトソン君、私はその、キンジを、確認の為に詰問していただけで・・・・・・」
ワトソンにキャンキャンと詰め寄られ、カイザーはしどろもどろになりつつ後ずさる。
つい先刻まで、あれほど高圧的な態度を取っていたのが嘘のように、タジタジになっているカイザー。
そんなカイザーの不審な挙動に、
一体全体、この男は何なのだろう? イマイチ、カイザーと言う人間のキャラクター性がつかめなかった。
そんなカイザーに対し、ワトソンは意趣返しのように更に詰め寄る。
「そう言えば、昔から君は仲間を内偵する悪癖があったよな?」
「な、内偵? 私はそんな事は・・・・・・」
まるで根も葉もない事を言われたようにうろたえるカイザーに、ワトソンは可愛らしい顔を怒らせて言い募る。
「昔、僕と初めて組んだ直後、ロンドン・ロッジに申請して、ボクの写真を手に入れたそうじゃないか。前に地下鉄に乗った時チラッと見たけど、キミはその写真をパスケースに入れて持ち歩いていた。調査される側は、良い気持ちはしない物なんだぞ!!」
「おろ・・・・・・それって・・・・・・・・・・・・」
ワトソンが怒るのに任せて言った言葉の一部に、
カイザーがワトソンの写真を入手して、それを持ち歩いていたと言うくだりだが、果たしてそれは本当に内偵の為だろうか? むしろ内偵調査の為なら、手に入れた写真は、どこか人目の付かない場所に保管するか、破棄するかどちらかのはずである。
そこから考えると、別の事実が見えてくる。
それは別段、珍しい事でも何でもない。最近では携帯電話やスマホの普及により、写真よりも隠匿が容易な待ち受け画面にする場合も多い。
つまり、誰か好きな人の写真を持ち歩く行為なのではないだろうか? と
かく言う
『おろ・・・・・・でも待てよ・・・・・・』
もし仮に、カイザーがワトソンに気があるのだとしたら、そこにどうしても無視できない矛盾がある事に気が付いたのだ。
それを、頭の中で整理してみる。
1、カイザーはエル・ワトソンが好きである。少なくとも「上司と部下」以上の関係になりたいと願っている(と仮定する)。
2、カイザーは男である。そしてエル・ワトソンは女である。よって、2人の関係は健全かつ公正であり、何ら恥じるところは存在しない。本来であるなら。
3、しかし、ここで問題が生じる。上記2の事実を、エル・ワトソンは家族と一部の知人以外には秘匿しており、名目上の婚約者であるアリアですら、その事実を知らない。
4、上記3の事情により、カイザーはエル・ワトソンを男だと思っている可能性が極めて高い。
5、上記4の事情により、カイザーは「男の子のエル・ワトソン」に気があると言う事になり、これにより上記2の前提は崩れる事となる。そして、それが不健康な関係である事は言うまでも無い事である。
6、ただし、元々はエル・ワトソンは女であるわけだから、性癖はともかくとして、カイザーの感覚自体は正常である事が伺える。
7、しかし、これまでの会話から察するに、エル・ワトソンはカイザーを同僚、あるいは上司以上の存在としては見ていない可能性が極めて高い。よって、2人の関係は「カイザーが『男の子エル・ワトソン』に一方的な片思いを寄せている」と言う風に結論付けられる。
以上、考察終了。
「うわっ ややこしッ」
周囲に聞こえないように、そっと呟いた。
「ワトソン君ッ その件は今は主要なテーマではないッ その、遠山キンジだッ 彼の証言がまだなのだ!!」
何やら慌てた調子で、カイザーが強引に軌道修正を行う。どうやらこれは、
とは言え、いったんは収まりかけたキンジへの追及が再び始まる。
「キンジ、マッチポンプと言う言葉もある。こういう状況では、最も活躍している人間が火付け役である可能性も否定できない。単刀直入に聞くぞ。君はジャンヌを売ったのか?」
その言葉により、室内の空気が一気に張り詰める。
カイザーはいよいよ確信を持って「キンジ=内通者説」を強めようとしている。彼が内通者で師団を陥れると同時に、貴重なステルス戦力であるジャンヌを眷属に引き渡した、と疑っているのだ。
対して、
「そう思うかよ?」
キンジも、挑発的な返し方をする。
それが、決定打となった。
「・・・・・・ワトソン君、合わせてくれ」
カイザーは静かな声と共に、だらりと下げた手の中に、何か小型の刃物を構える。
これは暗殺者の仕草だ。無警戒の体勢から、最速のスピードで相手の急所(この場合、恐らく頸動脈)を狙う気なのだ。
「よすんだカイザー!!」
「およしなさいカイザー。もうこれ以上、味方を疑ってはなりません!!」
ワトソンとローレッタが制止するも、もはやカイザーが止まる気配は無い。ここで「裏切者の遠山キンジ」を葬る心算なのだ。
暗殺者としてのカイザーの攻撃速度がどの程度なのかは判らないが、極東戦役の代表戦士である以上、侮る事はできないだろう。
果たして、先んじる事ができるか?
そう思った時だった。
それまで口を殆ど喋らなかったキンジが、はじめて自分から口を開いた。
「よしカイザー、それにメーヤも良く聞け。さっき2つ聞かれたから、2つ答えてやる。1つ、ワトソンは女だ、もう1つ、カナは男だ。そして出血大サービス、緋村はホモだ」
その爆弾発言を前に、
「What!?」
「は、はいィィィィィィ!?」
「ととととトオヤマ! ちちち違うぞ!! 違うぞカイザー!! ボクはおとおとこのこ!!」
「あらまあ」
「キンジ斬られたい? ねえ斬られたい? 斬られたいよね?」
カイザーの顎はカクンッと外れ、ワトソンは思いっきりキョドリまくる。
元々カナと面識のあったらしいメーヤは驚愕し、あまり動じた風の無いローレッタは口に手を当てている。
そして
次の瞬間、
キンジのポケット付近から強烈な煙が吹きだす。
キンジが武偵弾の一種である煙幕弾を手動で炸裂させたのだ。
「クッ キンジ!!」
煙幕の中、誰かが入口から出て行くのが判る。
状況から、それがキンジだと言う事は判ったが、どうする事もできそうにない。
末期的状況にある欧州戦線。
このままでは、本当に師団は敗北しかねない状況に、追い込まれつつあった。
第1話「内通者 遠山キンジ」 終わり