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一通り建物の周囲を確認してから、
キンジが焚いた煙幕が晴れた後、すぐに追撃に移ったものの、結局キンジを見付ける事はできず、撒かれてしまったのだ。
考えてみれば、キンジは
とは言え、これはまずい事態になった。
ジャンヌは戻らず、キンジまでもが内通者扱いされて袂を別ってしまったのだ。
これでは事実上、コンステラシオンのメンバーは半減してしまった事になる。
なぜ、キンジはカイザーの追及に対し何の反論もしなかったのか?
あの場で一言、キンジが「違う。自分は内通者ではない」と言えば、全ては丸く収まったはずなのだ。何しろ、あの場にいた大半がキンジの味方だったのだから。
そうなれば、たとえカイザーが何を言ったとしても、ごり押しはできなかったはずなのだ。
にも拘らず、キンジは汚名を蒙る道を選んだ。
果たして、これが意味するところは何なのか?
逃げたキンジを追い、真相を確かめる為には、可能な限り、彼の根底にある思惑を知る必要がある。
「・・・・・・・・・・・・」
スッと目を閉じる友哉。
頭の中で、ゆっくりと思考を回転させる。
イメージを組み立て、頭の中で走らせる。
限りなく、あの時のキンジへと近づく為に。
キンジは自ら汚名を被った。
ここで「キンジが内通者である」と言う線は初めから除外する。
では、キンジが何故、あのような行動に出たのか?
考えてみれば、キンジが黙り込んだのは、内通者の話が出てからだ。もっと突き詰めて言えば、ジャンヌの事をカイザーが疑った直後からである。
そこから導き出される答えは、
「まさか、内通者は・・・・・・・・・・・・」
ジャンヌ?
「いや、そんな筈は無い・・・・・・」
自身の内に浮かんだ考えを、
確かに、出会った当初のジャンヌとは敵対関係にあったが、その後の戦いでは常に味方として、共に戦ってきたのだ。それは極東戦役においても例外ではない。
ジャンヌはこれまで、多くの戦いにおいて最前線で戦ってきた。
自軍の兵士を信用しない軍に勝機は無い。それは古来から伝わる不変の法則である。
だが、ジャンヌの失踪と、今回のキンジの離反劇はきっと無関係ではない。根っこの部分で連動した出来事と見るべきだろう。
結論を言うと、内通者がジャンヌである可能性に思い至ったキンジが、彼女を庇う形で行動を起こした、と考えるのが最も妥当である。
だが問題なのは、キンジがその事を誰にも告げずに行動を起こした事だった。
「まったく・・・・・・お人よしにも程があるよ、キンジ」
この場にいない友に、
恐らくキンジは、1人で自分とジャンヌの潔白を証明する心算なのだ。
となれば、
まずはキンジを探す。その上で真偽を確認し、彼に協力するのだ。
そんな事を考えている内に、
「その為にも、まずはこっちの問題を解決しないとね」
嘆息しつつ部屋の中へと入ると、案の定と言うべきか、カイザーとワトソンが言い争う声が聞こえてきた。
「だから何度も言っているだろう。彼が内通者であるわけがないよッ」
「しかし、現にキンジは逃げた。それも何の釈明もせずにだ。これは彼が内通者であると言う重要な証拠ではないかね?」
2人の会話を聞きながら、友哉は沈思する。
友哉達にとって忸怩たるものがあるが、客観的に見ればカイザーの主張にも正しさはあるだろう。逃げたキンジを疑うのは当然と言えば当然だ。なぜなら、それが答としては、最もシンプルだから。
だが今回は、その前提がまず間違っている。
キンジが内通者である筈がない。あのような行動に出た理由については、別の理由が必ずある筈なのだ。
だが、それを証明する手段もまた存在しない事が歯がゆかった。
と、そこでカイザーが、部屋に入ってきた
「ヒムラ、キンジは?」
カイザーの問いかけに、
今はともかく、キンジの潔白を信じて行動する以外に無いだろう。
対して、カイザーは難しい顔で頷きを返した。
「そうか。では仕方が無いが、彼がブリュッセルの外に出る事も考慮して、広域の索敵網をしかけよう。それで捉える事も可能なはずだ。なに、心配はいらない。リバティー・メイソンの諜報能力は優秀だからね。1日もあればキンジを発見できるだろう」
カイザーはあえて言葉にはしなかったが、その言葉の中には、2つの選択肢が隠されているのが判る。
つまり、キンジを生きたまま連れて来るか、あるいは死体として運んで来るかは判らない。と言う事だ。
「待つんだ、カイザー」
それに異を示したのはワトソンだった。
「今は眷属がいつ攻め込んできてもおかしくは無い状況だ。それなのにトオヤマの追跡に多人数を裂くのは得策とは言い難い」
ワトソンは時間を稼ぐつもりだ、と
時間さえあれば、キンジが何らかのアクションを起こすか、あるいは突破口を見つける事ができるはずである。だがリバティー・メイソンが本気で彼を追跡すれば、カイザーの言うとり、あっという間に捕まってしまう可能性もある。
だからこそ、時間を作る。
戦略的見地から異を唱え、カイザーに思いとどまらせるのだ。
カイザー自身も決して無能な男ではない。ワトソンが指摘した危険性にすぐに思い至り、考え込んだ。
忘れてはいけないのは、自分達は戦争中で、ここが既に最前線だと言う事だ。
敵は、今この瞬間、この場所に襲撃を仕掛けて来たとしても何ら不思議ではない。
まして劣勢の状況にあるのは自分達の方である。戦力を分散している余裕は無かった。
「だが、このままキンジを放置すれば、いずれ我々の足元を掬われかねない。内通者の排除は早めに済ませておく必要がある」
カイザーはあくまで、キンジが内通者であると言う可能性を捨てない方針のようだ。
「なら、そっちはボクとヒムラで対応する事にするよ」
そう言ったのはワトソンである。
現時点の材料だけで、カイザーを叛意させる事は難しい。ならば、苦肉の策を取る以外に無かった。
つまり、キンジに対して同情的な2人が主導する形で、追跡を続行するのだ。
これなら、万が一にも交戦になる事はあり得ない筈である。
「ボク達2人だけなら抜けても大丈夫だろう。それに、2人で掛れば、万が一本当にトオヤマが内通者だった場合でも取り押さえる事はできる」
「・・・・・・・・・・・・判った」
最終的には不承不承と言った感じに、カイザーはワトソンの申し出を受ける事になった。
彼としても、これ以上余計な事に戦力を裂きたくない想いは同じであろう。
無論、
「ところで・・・・・・」
話もひと段落したところで、カイザーはおもむろに話を切り出した。
「ワトソン君。私は君に、一つ確認しておかなくてはならない事がある」
「何だい、改まって?」
突然の上司の態度に、訝るワトソン。
これ以上、改めて、何を聞こうと言うのか?
そう思っていると、カイザーは真剣な眼差しで語り出した。
「その・・・・・・キンジが言っていた事は本当なのかい? 君が、その、本当は女だと言う・・・・・・」
「ブッ」
その言葉に、はしたなく噴き出すワトソン。
行き成りその話題を振られるとは思っていなかった為、完全に不意打ちだった。
「そ、そそそそんな筈がないだろうッ ぼ、ぼぼ、ボクはお、おとおと、おとこのこのこだ!!」
イキナリの事でどもりまくるワトソン。
ハッキリ言って、はた目にもかなり挙動不審だった。
「本当に?」
どうやら、カイザーもワトソンの挙動に疑いを持っているらしく、重ねて問いかけてくる。
「ほ、本当だとも」
苦し紛れにポーカーフェイスを保とうとするワトソンだが、視線が微妙に泳いでしまっている。
「あ、あれはトオヤマの作り話だッ たぶん、ボク達を混乱させて、逃げやすくしたんだよ」
「ふむ・・・・・・」
ドモリながらも、どうにか筋道を立てる事に成功したワトソンの言葉に、カイザーはやや納得しきれないながらも、矛先を鈍らせた。
だが、
「では、ヒムラが、男好きだと言うのは?」
「僕はノーマルですッ」
今度はこっちかいッ
何を変な所に食いついているのか、このイケメン英国紳士は。
「だが、キミはそのような可愛らしい格好を普段からしている。それなら、男好きという話にも説得力があるのだが・・・・・・」
「だからこれは、学校からの命令なんですッ それに僕、日本に彼女がいますし」
こんな「罰ゲーム」を思いついた蘭豹を、本気で呪い殺したくなる
「『彼女』と言うのは、『彼氏』を裏返した、現代日本特有の隠語では・・・・・・」
「れっきとした女の子ですッ」
いい加減にしろ。と言うニュアンスを込めて断言する。
まったくもって、ただでさえ混乱している状況なのだから、これ以上疲れる事はさせないでほしい。
そう思いながら女装少年と男装少女は、揃ってガックリと肩を落とすのだった。
2
屋根から屋根へ、
飛び越えるようにして
カイザーの説得に成功した
流れ行く1秒の時間は、この際、零れ落ちる砂金にも等しい。
こうしている間にもキンジの行方は掴みづらくなる。加えて、より大きな脅威として眷属への対応も喫緊の憂慮事項だ。
もし今、ブリュッセルに眷属の本格侵攻が始まったら、師団側は壊滅状態に陥る事は銘悪である。
何としてもそうなる前に、この馬鹿げた「スパイ狩り」を終わらせて、体勢を整える必要があった。
こうしていると、香港でキンジが行方不明になった時の事を思い出すが、シチュエーションまであの時と似ている事を考えると、苦笑いしか浮かんでこない。
当初、ワトソンが運転する車で一緒に探す事を提案されたが、
時間が惜しい以上、役割は分担すべきだった。
ワトソンはリバティー・メイソンの諜報能力を駆使してキンジの行方を探る「オペレーター」、
「車」が移動において人間に勝っているのは、積載量とスピード、馬力、航続力だけである。勿論、それだけでも立派な長所である事は間違いないが、逆を言えば制約も多い。小回りは効かないし、街中では車道以外は走れない。信号や標識にも従う必要がある、等である。
つまり、自動車を上回るスピードで走る事ができ、なおかつ宙を舞うようにあらゆる遮蔽物を飛び越えられる人間にとっては、必ずしも自動車に頼る必要性は無い訳だ。
今回、一刻も早くキンジを探す必要がある為、
そこへ耳に付けていたインカムに着信が入った。
相手はワトソンである。恐らく、キンジについて何か情報を掴んだのだろう。
《ヒムラかい?》
「ワトソン、キンジについて何か情報が入った?」
はやる気持ちをぶつけるように喋る。
どうにかして、他のリバティー・メイソン構成員に先んじる形でキンジを見付ける必要がある。そうでないと、彼の命にもかかわる。
《諜報員が聞き込みで得た情報だけど、スハールベーク駅の近くで、東洋人らしき人物が歩いているのを見たって話だ。ただ、アンラッキーな事に、その人物の顔までは確認できなかったらしい》
「いや、充分だよ」
ヨーロッパでは東洋人を見かける事の方が少ない。それを考えれば、スハールベーク駅付近で見かけられた人物がキンジである可能性は大いにある。
「僕はこれから、その駅に向かってみる」
《判った。君の携帯電話に位置情報をメールで送る。頼んだよ!!》
ワトソンとの通話を切ると、再び駆け出す
ほどなく、メールの着信が入り、添付ファイルにスハールベーク駅の位置情報が入っていた。
情報をGPSに記録すると、画面を見ながら振り返る。
「あっちか・・・・・・」
駅の近くで目撃されたと言う事は(仮にそれがキンジだとして)、ブリュッセルの外へ逃亡する事を考えている可能性がある。
いや、ベルギーは狭い。あるいは、国外へ出ると言う可能性もある。
とすると考えられるのは、最も可能性が高いのは隣国のオランダだろう。ドイツは何と言っても魔女連隊のホームグランドだし、フランスもまた眷属勢力に攻め込まれている為、可能性としては低い。イギリスに逃げるのは、可能性としては最も低い。イギリスはリバティー・メイソンの本拠だし、何より、距離が開きすぎれば、却って無実の嫌疑を晴らす可能性が薄れる。
逃亡者たるキンジの立場に立った時、最も安全な逃走ルートは、消去法でオランダ方面と言う事になる。勿論、確証は無いが。
「とにかく、急ぐッ」
駆ける足を速める
キンジがどこへ逃げるにしても、汽車が出る前に追いつく事ができれば問題は無いはずだった。
スハールベーク駅に降り立った
駅舎はあるものの周囲に人影は無く、気配も無い。
日本のローカル線等でよく見かける無人駅のようだ。
「・・・・・・一応ここって、国際線も走ってるんだよね?」
このスハールベーク駅は、日本で言えばJR駅にも匹敵する位置づけの筈である。流石、ヨーロッパは広いと言うべきなのだろうか? たとえ国際線駅でも小さい場所ではこんな物らしい。
しかし、
「ここに本当に、キンジが?」
訝るようにしながら、駅の構内へと足を踏み淹れる
予想通りと言うべきか、やはり内部も狭く、人の姿は見えない。
これは、空振りだったか?
そう思った時だった。
ホームの端に人が立っているのが見えた。
背は
彼女以外の人影も、ホームには無い。
「これは・・・・・・本格的に空振りだったか」
がっくりと肩を落とす
これでキンジ捜索も振出しに戻さなければならない。
だが、キンジ逃走から時間が経ちすぎている上に、手掛かりがプッツリと切れてしまっている。
果たして、今から探して、キンジに追いつく事ができるだろうか?
前路に暗澹たる物を感じながらも、
せめてヨーロッパ美人でも眺めて、帰った後、茉莉達のへ土産話にしよう。
そう思って、女性に近付いた時だった。
相手の方も近付いてくる
次の瞬間、
「ひ、緋村!?」
「おろ?」
いきなり女性から名前を呼ばれ、キョトンとする
相手は驚いたように、身構えて後ずさる。
対して
そして、
「あァァァァァァァァァァァァ!!」
仰天の声と共に、思わず相手を指差してしまった。
なぜなら、
何と何とそれは、
女物のコートとウィッグで変装した、遠山キンジ君その人だったのだ。
「えっと・・・・・・キンジ、ナニソレ? え? キンジ? 金一さんじゃなくて? カナさん? あれ?」
混乱しまくる
対してキンジはと言えば、バツが悪そうに視線を逸らしている。
その時だった。
「遠山様、お下がりください!!」
凛とした声と共に、1人の女性が
長い金髪を靡かせた、美しい少女である。どこか、ほんわりしたような雰囲気を感じさせるが、今はそのエメラルドグリーンの瞳で、鋭く
「リサ!!」
驚いて声を上げるキンジを守るように、
驚いているのは
いったい、如何なる経緯で知り合ったのか? 彼女がもしかしたら、キンジの逃亡を幇助しているのかもしれなかった。
「いいよ、リサ。そいつは大丈夫だ」
「遠山様?」
尚も
そんなリサの前に出ながら、キンジは
「よく、ここが判ったな」
「7割くらいは賭けだったんだけどね。それにしても・・・・・・・・・・・・」
次いで、
「プッ」
わざとらしく、口に手を当てて笑って見せる。
「お前な・・・・・・・・・・・・」
「だってキンジ、その格好・・・・・・」
メーテルスタイルのキンジを見て、
普段、自分が女装させられる側である為、他人がやらされているのを見ると楽しくて仕方が無かった。
一方のキンジは、恥ずかしさもあってか、顔を真っ赤にして食って掛かる。
「お前にッ!! だけはッ!! 言われたくッ!! ねえッ!!」
「と、遠山様、落ち着いてください!!」
激昂するキンジを、リサが必死になって押さえている。
ちょうどその時だった。
線路の先から列車が入ってくるのが見えた。
やや汚れた印象のある、先端の尖った古臭い列車だ。
「・・・・・・・・・・・・どうする、緋村?」
キンジが堅い表情で問いかけてくる。
「俺達は、あの列車でいったん、オランダに行く。お前はどうするんだ?」
やはり、キンジはオランダに身を隠すつもりだったようだ。眷属の勢い激しいヨーロッパでは、最早そこが、ギリギリ安全圏である。
キンジは
一緒に来るか? それとも、戻って報告するか、と言う。
その間にも、列車はホームへと入ってくる。
考えている時間は無かった。
「判った、僕も行くよ」
どのみち、ここに来たのはキンジに問い質す事が目的であり、捕縛は論外である。当然、味方に報告する義務は無かった。勿論、あとでワトソンにだけは合流に成功した事を、メールで伝えておくが。
「でわ、リサが切符を買ってきますので、お2人はここで待っていてください」
そう言うとリサは、パタパタと券売機の方へ駆けていく。
その背中を見やりながら、
「リサって言うの、彼女?」
「ああ。詳しい事はあとで説明するが、あいつのおかげで色々と助かってるよ」
キンジの言葉に、生返事のような頷きを返す。
と、そこで思い出したように、
そして、
「ていッ」
ゲシッ
「痛ッ 何しやがる、いきなり!!」
「フンっ」
突然むこうずねを蹴られて抗議してくるキンジを無視して、
キンジが逃亡する際にホモ呼ばわりされた事への意趣返しは、キッチリとしておくのだった。
第2話「ブリュッセルのチェイサー」 終わり