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オランダは比較的温暖な気候であるが、それでもやはり、若干の肌寒さを感じずにはいられない。
どうにかコートの前を合わせる事でしのげない事は無いのだが、やはり格好に問題があった。
「うう・・・・・・・・・・・・」
「どうした?」
足をもじもじと擦り合わせる
そのキンジは、黒い帽子にウィッグ、黒いロングコートをした「クロメーテル」すがたをしている。
逃亡中を考慮して、どうやら外に出る時はずっとこのままでいる心算らしかった。
やはり、《女装の大先輩》遠山金一の弟である。見るたびに、ため息が出るような美人に仕上がっていた。
とは言え、今の
「さ、寒い・・・・・・」
そう言って、むき出しの太ももを震わせる友哉。
武偵校の短いスカートが、完全に災いしている。一応、足にはニーソックスも穿いているが、もともとスカートに履き慣れている訳じゃない友哉には、何の気休めにもなっていなかった。
「スカート履いてるからだろ。少しくらい我慢しろって」
「同じ女装なのに、キンジは何でスカートじゃないのさッ ズルいよ」
「な、何でそうなるんだよ!!」
ブー垂れる
キンジの女装は武偵校の制服の上から、女物のコートと帽子を羽織り、ロングヘアのウィッグを被っているだけである。
とは言え、それでもキンジ的には恥ずかしいらしく、顔を紅くしてそっぽを向いていた。
2人は今、ブータンジェと言う、オランダにある、比較的長閑な田舎町に来ていた。
中世から続いていると思われる古風な街並みは、レンガ造りの家々が多くみられ、どこかグリム童話の世界にでも迷い込んだような印象が与えられる。
遠くに小さいながら存在している風車小屋の風景が、いかにもオランダ的な印象があった。
一旦、物資調達の為にアムステルダムに立ち寄った
オランダ出身だと言うリサの発案によれば、リバティー・メイソンは都市型の諜報機関である為、アムステルダムのような大都市では絶大な力を発揮するが、このブータンジェのような小さな街ではネットワークが構築されていないのだとか。
一応、ワトソンに対しては現状の報告をしておいたが、心情的にもキンジの味方と言って良い彼女が、この場所をカイザー達に話すとも思えない。当面は安全と見て間違いなかった。
このブータンジェは18世紀、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍の猛攻をしのいだ城塞都市であるらしい。その為、非常に入り組んだ街の地形をしている。
万が一、攻め込まれた際、少数であるほうが有利に動く事ができる。
オランダ出身のリサには土地勘もあり、地の利もある。
その事を考慮した上での、リサの潜伏先選択であった。
聞けば、ホテル襲撃を行ったのも彼女であったらしい。その際にワトソンから撃たれた傷も、既に塞がってしまったと言うから驚きである。多少質は落ちるものの、ブラド、ヒルダの吸血鬼親子にも迫る回復力である。
もっともそのせいで、眷属からは対戦車砲一つ持たされただけで、師団襲撃をやらされたらしい。
接してみて分かったが、リサは本来、気弱でおとなしい性格をしている。とても戦闘に加われるような少女には見えないが、それでも駆り出されたのは、やはり前述の特異体質のせいだろう。そのせいで、特攻隊、もしくは鉄砲玉のような役割を担わされたらしい。
だが、実際のところ、リサの最大の能力は戦闘面以外で大いに発揮された。
イ・ウーでは会計士を務めていたと言うリサの金銭感覚は、キンジや
また、交渉事にもたけており、幾度かあった危地に際しても機転を利かせ、巧みな話術で回避してくれた。正直、
逃亡先のオランダ選択や、キンジの女装についても彼女の発案であるらしい。こうした細かい所に気が付き実践できるのは正直、戦闘能力以上に貴重な才能であると言えるだろう。
そのリサは今、
因みにキンジの女装姿であるクロメーテルについて、
先の作戦では、リサが師団メンバーを足止めしている隙に、妖刕がキンジを倒す、と言う筋書きったらしい。
だが、肝心の妖刕が作戦に失敗した。どうやらヒステリアモードではないキンジの事を、偽物であると勝手に勘違いして撤退してしまったらしい。
確かに、通常時のキンジとヒステリアモードのキンジでは、能力も性格もまるで違うが、それを知らない人間が見れば、別人だと思われても不思議ではない。そのおかげで、キンジは命拾いできたわけである。
だが、問題はまだあった。ジャンヌの事である。
こればかりは、当事者のキンジの口から聞かされても、いまだに信じられなかった。
あのジャンヌが、いかなる事情にせよ味方を裏切り、キンジを眷属に売るなど。
勿論、キンジもジャンヌが、自分を積極的に売ったとは思っていない。だからこそ、その真相を探り、ジャンヌの潔白を証明する為に行動を起こしたのだと言う。
あの場で沈黙を貫いた理由は2つ。1つは、ジャンヌに嫌疑がかかり、彼女が内通者に仕立て上げられるのを防ぎ、敢えて「内通者は遠山」と言う印象をカイザー達に植え付ける為。
そしてもう一つ、こちらはより深刻な問題だが、あの場に内通者がいた可能性も否定できない為、情報の流出を可能な限り防ごうと考えた為だった。
「だったら、僕にくらい教えてくれても良かったんじゃない?」
不満げに頬を膨らませながら、
しかし、
「それを言ったら、内通者にも警戒されちまうだろ」
そう言って肩を竦めるクロメーテルキンジに、
だがそうなると、いったい誰が内通者なのか、と言う事になる。
いるのは判っているが、姿は見えない。まるで透明人間のような不気味さだけが、際立って存在している。
その時、静かな足音が近付いて来るのが聞こえた。
振り返れば、物件を探しに行っていたリサが、ちょうど戻って来た所である。
表情がどこかはずんでいるようなところを見ると、何かしらいい成果を上げられたようにうかがえる。
「遠山様、緋村様、お待たせしました」
近付いてきて一礼するリサ。
つくづく、礼儀正しい少女である。こんな娘が無法者集団のイ・ウーにいたとは、とても考えられない事態だ。
とは言え、茉莉も普段は非常に大人しいが、あれで元イ・ウー構成員である。それを考えれば、彼の組織にいるのに、本人の性格は特に関係無いのかもしれなかった。
そんなリサの背後で、何かヒラヒラと、無数に飛び交う葉っぱのような物が見え、
夕焼けに照らされたそれらは、まるで夢の中の光景のようにも見える。
「おろ、あれは何?」
「まあ、あれは・・・・・・」
「あれはクロケットマダラ。渡り蝶ですよ。冬になると海を渡ってイギリスまで行くのです。大半は寒さで力尽きますが、ちゃんと一部が生き残って、春になると次の世代がオランダに帰ってきます」
リサの説明を聞きながら、友哉もまた、その美しい光景に見入っている。
不思議な光景だった。
ハクチョウなどの渡り鳥なら日本でも珍しくは無いのだが、海を渡る蝶と言うのは初めて見た。
リサも、久々に自分の国に帰ってきて早々、地元特有の風物詩を見れて、喜んでいるのが判る。
そして、改めて2人に向き直ると、嬉しそうに言った。
「家を借りる事が出来ました。リサの手持ちの資金で1カ月滞在できます。きっと、お二人もお気に召す、良い物件ですよ」
そう言って微笑むリサ。どうやら、持ち前の値引きスキルを十全に発揮して、良質の物件を探してきてくれたらしかった。
と、何か思うところがあったらしいキンジがおもむろに立ち上がると、自分の財布からほぼ全財産を抜き取ってリサへと差し出した。
「リサ、大した額じゃないが、これを使ってくれ。家賃とか、生活費の足しに」
「そ、そんな、多すぎます!!」
キンジが差し出した金額を見て、恐縮した体で断ろうとするリサだが、対してキンジも、少し強引気味に金を差し出す。
「良いから、受け取ってくれ。俺も考えたんだ。俺は(緋村もだが)変装している身空だし、お前みたいに買い物上手じゃない。ここは安全そうな町だが、俺達はまだ師団、眷属から逃げ隠れしている状況だ。それぞれの長所を使って助け合わないと、きっと生きていけない。だからこれは、戦闘力の無いお前は生活を、生活力の無い俺達は戦闘を、それぞれ分担する事にしないか。ある意味、お前の力を前借する事になるんだが、今の俺達には、用心棒みたいな役割しかできる事が無いんだ。すまない」
そう告げるキンジに対し、
普段、東京にいる時のキンジからは、あまり想像ができないような気配りのしかただ。
確かに、この場にあってはリサに頼らざるを得ないところが大きい。それを考えると、キンジの提案は、全く持って的を射た物であると言えた。
一方、言われたリサはと言えば、どこか感動したように瞳を潤ませてキンジを見ている。
何事か起こるのか見守っていると、おもむろにリサはキンジに向き直った。
「シャーロック卿は、これを条理予知なさっていたのですね」
リサの口から、かつて
シャーロック・ホームズ
アリアの曾祖父にして世界最高の名探偵であったシャーロックは、
そのシャーロックが、リサに何を告げたと言うのか?
「一つ、お願いがあります、遠山様」
「改まって、どうした?」
訝るキンジに、リサは正面から見据えてハッキリと告げた。
「リサの、ご主人様になってください」
「・・・・・・は?」
「・・・・・・おろ?」
聞いていた
ご主人様?
某ピンクツインテール少女は、逆にキンジを奴隷呼ばわりしているが、いきなり立場が180度反転した形である。
これはあとで聞いた話なのだが、リサの家は代々、女は1人の勇者様を見付け、その人物に仕え、一生を捧げる事を使命としてきたのだと言う。
これまでリサは運命の勇者に出会えずに来たのだが、まさか、その勇者がキンジだとでも言うのだろうか?
「イ・ウーで、運命の勇者様に出会えずに悩んでいた私は、シャーロック卿にご助言を頂いた事があるのです。そこで今日は言われました。私がお仕えするお方は、東から来る、ちょっと目つきが悪くて、喋り方はぶっきらぼうで、女たらし・・・・・・・」
「あ、それ、キンジに間違いないよ。良かったね、リサ」
「殴るぞ緋村」
対してリサは嬉しそうに続ける。
「シャーロック卿は、そのお方と運命の時を迎える際の光景も条理予知なさいました。『渡り蝶を見る時』と。それは今です。私は、運命の勇者様に巡り合えたのです」
「いや、ちょっと待て、それなら緋村だって当てはまるだろう」
キンジの言葉に対し、リサはキョトンとして首をかしげる。
「なぜ、緋村様が? 緋村様は女の子なのに・・・・・・」
ガクッ
思わずズッコケる
「あー・・・・・・言い忘れたがリサ、こいつ、男だぞ」
「え・・・・・・・・・・・・ええェェェェェェ!?」
仰天の声を上げるリサ。
そりゃあ、まあ、無理も無いだろう。見た目は完全に「女の子」なのだから。女だと思っていた人物が、実は男だったと言われれば、普通の人間なら驚くはずである。
「そ、そう言えば、風聞で聞いた事があります。世の中には、そのような趣味を持つ事に喜びを覚える方もいらっしゃると・・・・・・」
「いや、違うからね」
震えながらボケるリサに、
とは言え、
「緋村様が殿方である事は判りました。けど、やっぱりリサの勇者様は遠山様です」
きっぱりと、リサは言い放った。
勿論、条件に合致しているのがキンジだと言う事もあるだろう。だがそれ以前に、リサだけに感じられる何かが、彼女の中で告げているのかもしれなかった。
「お願いします遠山様。どうかリサの、ご主人様になってください。どうかリサを、メイドとしておそばに置いてやってください」
そう言って、深々と頭を下げるリサ。
「先ほどご主人様が仰った役割分担の話は、リサもしようと思っていたのです。お料理、お洗濯、お掃除、リサは何でもします。ご主人様が望む事なら、どんな事でもいたします。その代り・・・・・・戦いたくない。傷つきたくないリサに代わって、その御手に銃を、剣を取ってください。そうして、リサを苦しめる物から救ってください」
その様子に、
「据え膳食わねば~」とは多少異なるかもしれないが、女のリサがここまでの事をしているのだ。
ここは、キンジが「男」を見せる所だと思ったのである。
「・・・・・・・・・・・・わかった」
ややあって、キンジは低い声で頷きを返した。
「女を守って男が戦うのは、義務みたいなものだ。だからリサ、お前も、必ず俺が守ってやる」
そう告げるキンジに対し、
リサは感極まったように、ポロポロと涙を流すのだった。
「遠山キンジ様。リサのご主人様。リサはご主人様を元気づける妹になります。慈しむ姉になります。お母様にもなれるように努めます。ご主人様の身の回りのお世話は、みんなリサがして差し上げます。メイドの身分は忘れませんが、ご主人様の家族になれるように頑張ります。だからどうか、リサと一緒の時は、家族と一緒にいるようにくつろいでお過ごしくださいませ。今から好みは全て、頭からつま先まで、ご主人様の所有物です」
そう告げるリサの姿は、
ある種の神々しさすら感じられるほど、晴れやかな輝きを放っていた。
2
主従の誓いが交わされたと言う事で、リサが用意してくれた隠れ家へと移動する事となった。
オールドファッションながらも綺麗な印象のある外見は、流石、気配りが行き届いていると言える。
レンガ造りの長屋で、上から見れば「口」の字になるようになっており、真ん中部分は中庭になっていた。
ただ、大家をしていると言うおばあさんとあった時、思わず仰天してしまった。
大きい。
ゆうに190センチはあるのではなかろうか? クロメーテルキンジよりもさらに高い。男子としては小柄な部類に入る友哉からすれば、見上げるような大きさである。
だが、人柄は気さくで、美人3人を見て朗らかに笑うと、リサといくつか細かい取り決めを交わし、鍵を渡してくれた。
おばあさんとの契約が済むと、さっそく中へと入ってみる。
内部もかなり広い作りになっている。
ホール、リビング、ダイニング、キッチン、ベッドルーム、小さな居室が2つと、3人で過ごす分にも充分な広さである。家具や食器、寝具も全て揃っているのは、正に「至れり尽くせり」と言った感じである。
更に、定期的に掃除もしてくれているらしく、清潔な印象が大きかった。
ただ、日本人の
と思っていたら、どうやらキンジも同様であったらしい。
その後、籠った空気を入れ替える為に、リサが他の部屋へと向かったのを見計らい、
「それで、これからどうするの?」
キンジは現在、逃亡中の身である。その間にどうにか、身の潔白を証明しないといけない。
幸い、このブータンジュは守りやすい地形をしている。城壁に囲まれている為、出入りできる場所は限られるし、複雑な地形は逃亡の際に有利である。
万が一、眷属や師団の追跡部隊に追いつかれたとしても、これなら対処の方法が幾らでもあった。
だが、肝心の、潔白を証明する手段が見えてこなかった。
「まずは・・・・・・」
言いながら、キンジは難儀そうに椅子へと腰を下ろした。
「傷を癒さない事には、何もできそうにないな」
言いながら、シャツをまくり上げて見せる。
その様を見て、思わず
キンジが見せた脇腹は、赤黒く変色して腫れあがっている。これまでの様子から骨折には至っていないようだが、それでも相当な激痛に苛まれていた筈である。
それだけの激痛を押して、ここまでの逃亡劇をやってのけたのだから、キンジの精神力は驚嘆すべき物がある。
「それ、妖刕に?」
「ああ、随分と派手にやってくれたよ」
言いながら、キンジは少し苦しそうに息を吐く。
その様子を見ながら、
果たして、
キンジがヒステリアモードであったなら、妖刕に勝つ事ができただろうか?
あるいは、
と、そこで部屋の歓喜を終えたらしいリサが、2人のいるリビングへと戻ってきた。
「いかがでしょうか、このお部屋は?」
「ああ、上々だよ」
リサの問いかけに対し、キンジは僅かに居住まいを正して答える。
メイドに対し、情けない所はあまり見せたくないのかもしれない。負傷した体で、無理をしているのが判る。
そんなキンジの様子に笑みを向けながら、
「僕も、特に問題無いかな。これから宜しくね」
そう告げる
メイドの質と言うのは、そのまま仕える主人の質にもつながる。要するに、メイドの質が悪いと、その主人の教育がなっていないと評価され、主人自身も軽く見られる事になる。
その点、リサの所作は完璧であると言える。勿論、それはキンジが彼女を躾けた訳ではないのだが、リサ自身、そうした点をしっかりと心得ているらしく、あらゆる意味でキンジの為に尽くそうとしてる姿勢が伺えた。
つまり、「メイドとしてレベルの高いリサを従えている
と、そこまで笑顔だったリサが、突然、何かを思いつめたように壁に掛かった絵を見詰めると、おもむろに二人の方へと向き直って来た。
「あの、ご主人様、緋村様、一つよろしいでしょうか? この絵は、あまり良い絵ではないと思うのです。外してもよろしいでしょうか?」
言われて
夜の満月が、静かな草原を照らし出している絵だ。
特に、何か問題があるようにも見えないのだが、生憎と言うか、キンジも
「好きにしていいぞ。緋村も、それで良いよな?」
「ん、構わないけど」
断定するように言われたが、実際の話、
絵の片づけを終えると、リサははにかんだような笑顔をキンジへと向けて来た。
「何だ?」
「あ、失礼いたしました。その、やっとリサにもご主人様だ出来た事が嬉しくて・・・・・・」
キラキラした目で、キンジを見詰めるリサの姿は、
「ご主人様。私の勇者様。サムライとして戦ってきた今までの日々は大変だった事と思います。でも、このお家の中ではリサがうんと、優しく癒してあげますからね」
そう言って、微笑むリサ。
その優しげな姿を見ながら、
第3話「郷愁」 終わり