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メイドと言う職種に、ある種の憧れを抱いている方々には申し訳ないが、
メイドと言う物は本来、「家政婦」に近い物である。似て非なる物ではあるらしいのだが。
欧州では場所によっては、一般人であってもメイドを派遣で雇う事が可能だが、大抵の場合、派遣されてくるのは熟練の中年女性である場合が多いらしい。
これはある意味当然の事で、メイドである以上、主(この場合、雇い主)に対して些細な粗相がある事も許されない。当然、未経験の若者よりも、経験を多く詰み、如何なる仕事であっても万全以上に万全にこなす人材でなければ、メイドを名乗る資格は無い、と言う事である。
しかし、リサ・アヴェ・デュ・アンクと言う少女に限って言えば、その常識的な範疇には収まらなかった。
元々はメイド学校に通っていたと言う事もあり、リサはあらゆる家事をそつなくこなして見せた。
炊事、洗濯、掃除、買い物など基本的な事は言うに及ばず、細かい所にまでよく気が付き、
しかも、全てが要求以上の水準を満たしているのだから侮れない。
まさに、メイドになる為に生れてきたような少女である。
しかも、キンジだけでなく
戦闘力の皆無など、問題にもならない。リサは容姿、能力共に完璧に備えた、まさしく「憧れのメイド」そのものであると言える。
おかげでキンジと
もっとも、キンジは妖刕にやられた傷が完治するまで派手な動きはできそうにない。特に蹴り飛ばされたと言う脇腹がひどく、今も内出血が収まっていない。どうにか日常生活には支障が無いレベルに回復はしているが、それでも戦闘はまだ無理そうだった。
その為、町周辺における警戒網の設置、及び監視体制の強化に関しては、キンジが完全に復帰するまでの間、
とは言え、
その為、このブータンジェの事が察知される可能性は低いと言える。
そんなわけで、
暇を持て余し気味にあくびをしながら、キンジは点けっぱなしのテレビを見入っていた。
オランダは小さい国なせいか、放送も海外メディアに頼っている面が強い。
とは言え、言語についてはさっぱりな為、見てもつまらない物ばかりである。ドラマなどを見ても、意味が全然分からなかった。
衛星のスポーツチャンネルをかけるとサッカー中継がやっていたので、今はそれを見ている。スポーツならば、たとえ解説の言葉が判らなくても楽しむ事ができるからだ。
暫く見ていると、オランダチームのベンチに本田圭祐が座っているのが映った。
日本人スター選手の姿を見て何となくホッとしてしまう。
戦場の種類に違いはあるが、彼等もまた、海外で孤独に戦う英雄である事に変わりは無い。
本田に比べれば、キンジには
周りが外国人ばかりの状況にあって、力強く戦い続ける本田の様子を見ているだけで、勇気付けられるようだった。
キンジは今、1人である。
リサは部屋で何やら裁縫をしているし、
そんな訳でキンジは、余計に暇を持て余している。せめて
と、思っていると、そのリサが入って来るのが見えた。
「ご主人様、少し、よろしいでしょうか?」
その声に振り替えるキンジ。
と、そこで思わず絶句した。
「ちょ、お前、その格好はッ・・・・・・」
リサの恰好は、白いヘッドドレスをして、エプロンを着ている。
だが、エプロンの下に着ているものを見て、キンジは思わず赤面するのを避けられなかった。
なぜならリサが着ている服は、白地の長袖ブラウスに、短めの臙脂色のスカート。
つまり、東京武偵校の女子セーラー服なのである。ご丁寧な事に、左袖の校章ワッペンまで模倣してある。
「通常のお仕え着に加えて、緋村様が着ていらっしゃる服を参考に作ってみました。でも、少し恥ずかしいですね。メイド服もセーラー服も、日本では伝統的なコスプレ衣装とされているようですし。武偵校のスカートは短いですし・・・・・・」
そう言って苦笑いしつつ、少しだけスカートを摘まんで見せるリサ。
と、やや持ち上げられたスカートの下から見えた、フリルの付いた輪状の白い布地に、キンジは興味が惹かれて尋ねる。
「そ、その、スカートの下の、足を縛っている輪っかみたいな物は何なんだ?」
武器をしまっておくには脆弱そうな作りを見たキンジは、よせば良いのについ、そんな質問をしてしまう。
対して、リサは嬉しそうに説明する。
「これはキャットガーターです。ストッキングを着用せず、いわゆる生足で過ごす際に、スカートの中身を華やかに装う飾り布です。ご覧になられますか?」
「い、いや、良いから!!」
更にスカートを持ち上げようとするリサを、慌てて制止するキンジ。
これ以上持ち上げたら、パンツまで見えてしまう。ヒス化をひどく警戒するキンジとしては、ノーサンキューな事態だった。
それにしても、
改めて(あくまで控えめに)リサの恰好を見ながら、キンジは内心における赤面を抑えられなかった。
可愛い。
元々リサは、普通にしていても息をのむほどの美少女である。そこに加えて、キンジが普段から見慣れている武偵校の女子制服に着替えたのだから、その可愛らしさも倍増と言ったところだろう。
しかも純白人であるせいか、メイド衣装に一切の違和感がなく、自然な光景として写り込んでいた。
「いかがですか、ご主人様、この衣装は?」
「あ、ああ。似合ってるよ。ただ、スカートは長くしてくれ」
質問されて、とっさにそう答える。
下手をすると、その格好だけでヒステリア化しかねない。もったいないとは思うが、そこは妥協しなくてはならなかった。
「
その答えに対し、リサは嬉しそうに答える。
対してキンジは、顔は赤面しつつも内心では冷や汗をかいていた。
正直、リサは、普段から一緒にいる女子、たとえばアリアや理子に比べると、対照的と言って良いほど大人しい性格をしてる。更に、こう言っては何だが、今までは、やや地味な格好をしていた為、キンジはヒス化方面について、さほど彼女を警戒していなかった。
しかし今、武偵校のセーラー服を着たリサを見た瞬間、思わず血流がヒス化の方向に流れそうになった。
大人しいリサなら、同居しても安心だろうと考えていたのだが、これは油断できない事態である。これからは彼女に対しても一定の警戒は必要となってしまった。
まあ、リサは素直だし、キンジに対しては柔順である事を考えれば、必要以上に警戒しすぎる必要はないだろうが。
そんな風に思っていると、リサが、今度は少し違う種類の笑みを浮かべてキンジを見つめて来た。
「どうした?」
「ご主人様。実は、もう1つ、見ていただきたいものがありまして」
そう言って、クスクスと微笑むリサ。
何やら、悪戯を仕掛けた子供のような、楽しげな笑い方だ。
訝るキンジに対し、リサは廊下の方へと歩いていくと、壁の陰に手を伸ばして優しく引っ張った。
その陰から出て来た人物を見て、
ガタタッ
キンジは今度こそ、その場でひっくり返った。
リサに引っ張り出される形で出て来たのは、先ほどから姿が見えなかった
それは良いのだが、問題は
黒地のブラウスとスカートに、対照的な白いエプロンとヘッドドレス。ブラウスは冬であるにもかかわらず半袖になっており、袖口と胸元、スカートの裾にも白いフリルがあしらわれている。
「お、お前ッ 何だよ、その格好!?」
「だ、だって、リサが作ってくれて・・・・・・」
追及してくるキンジに対し、俯き加減にしながら答える
よほど恥ずかしいのか、顔は真っ赤になって、もじもじと手でスカートを弄んでいる。
下ろすとセミロングほどの長さになる赤茶色の髪は、今は二つに分けられ、ツインテール状になり、頭の両端でリボンで留められている。
その姿を見てキンジは、先ほどリサを見た時同様に鼓動が高まるのを感じた。
今までも
何と言うか、今まで以上に可愛らしい印象がある。
顔立ち、立ち居振る舞い、仕草、化粧、髪型、果ては筋肉の使い方に至るまで、全ての要素が、
「何でも学校の課題で、緋村様はヨーロッパにいる間は、このように女性の恰好をしていなくてはならないとか。そこで、及ばずながら、リサもお手伝いさせていただきました」
出発前に、
その訓練を、リサが引き継いで完成させた形である。
今の
「うう・・・・・・リサ~」
嬉々として語るリサに対し、情けない声を上げる
リサ的には悪意はなく、たんに
上目遣いで見つめて来る
その姿にキンジは、相手が男だと分かっていても、思わず赤面してしまう事を避けられなかった。
いつもより幼い少女のような姿をしたメイド
恐らく初見の人間では、否、知り合いであっても、名乗るまで
「あ、あんまり、見ないでよ、キンジ・・・・・・・・・・・・」
恥らいながら、弱々しく発せられる
何と言うか、理子風に言うところの「苛めてオーラ」が出ている気さえする。
その言葉に、キンジは思わず我に返り、ついで愕然とした。
一瞬、キンジまで、目の前の「少女」の性別を忘れかけていたのだ。
それ程までに、
殆ど、カナに迫る勢いなのではなかろうか?
「お願いだから、帰ってもみんなには言わないでよ」
「わ。判ってるよ」
そう言いながら、慌てたように顔を逸らすキンジ。下手をすると本当に「愉快な感じの惨殺死体」にされかねなかった。
「いかがですか、ご主人様。緋村様は、こんなにも可愛くなられましたよ」
そのまま、キンジにアピールするように、前へと押す。
対して
「リサもここまで可愛らしい方を見た事がありません。本当に驚きました」
「う・・・・・・・・・・・・」
「きっと、緋村様には才能がおありなのでしょう。
「ううう・・・・・・・・・・・・」
「これなら、どのような殿方であっても、緋村様を放っておくはずがありません」
「・・・・・・・・・・・・」
とうとう、
再度、断っておくと、リサには一切の悪意は無い。ただ純粋に、女装した
だが、それでも心のダメージは、クリティカル級に大きかった。
「もう・・・・・・いっそ殺して・・・・・・」
「あれ? 緋村様?」
「それくらいで勘弁してやれリサ。緋村のライフはもうゼロだ」
流石に可哀そうに思い、助け舟を出すキンジ。
その様子に、リサはキョトンとして首をかしげるのだった。
2
潜伏中とはいえ、いつまでも引き籠ってばかりでは、体はなまってしまう。
実戦における勘と言う物は、とかく劣化が激しい。少しでも離れると、すぐに錆びついてしまう物なのだ。
だから、訓練は定期的に行う必要がある。
そう言う意味で、この家は最適な作りをしている。
上から俯瞰すると「口」の形をしており、中庭の様子を家の周囲から確認する事は不可能に近い。
しかも今日は日曜日。どうやらクリスチャンの多い欧米では、日曜の朝に教会に行って礼拝をする習慣があるらしく、家の周囲には全く人の気配が感じられない。
その為、武器を使った訓練を存分にすることができるのだった。
勿論、大ぴらに飛天御剣流の技を連発する事はできないが、刀を握ってそれを振るう事が出来るだけでも、大きな違いがあった。
因みに、今はリサもいない。食材の買い出しに出かけているのだ。
目の前で水平に構えた刀に意識を集中する
風がそよいだ。
次の瞬間、
鋭く振り抜く。
風を切るが如く、刃が銀の閃光となって迸る。
更に数度、刃が空間を斬り裂く。
思い描くイメージ。
軌跡は、その通りに駆け抜ける。
慣れ親しんだ愛刀の重みを手に感じ、無心に振るい続ける。
そんな事を感じていると、人が動く気配を感じ、
「もう、動いても大丈夫なの?」
振り返るとそこには、キンジが静かにたたずんでいた。
武偵校の制服を着ている所を見ると、どうやら
「別に歩けないくらい重傷って訳じゃないさ。それに、多少は動いておいた方が、傷の治りも良いって言うだろ」
そう言うと、キンジも庭へと降りてきた。
日照時間の少ないオランダでは、昼でも少し肌寒い。
そんな中で、キンジはベレッタを抜いて調子を見ている。
「どうだ、緋村」
自分の鍛錬に戻ろうとする
振り返る
「久しぶりに、やってみないか?」
「・・・・・・本気?」
キンジは手合わせをしようと誘っているのだ。
だがキンジはまだ療養中の身。本調子で動く事はできない筈だ。
しかも、ここは狭い中庭の中。
通常の場合、銃の方が剣よりも強いのが常識だが、狭い戦場では、それが逆転する。
銃は構え、照準、修正、発砲と言う手順を踏まなくてはならない為、攻撃に移るまでに若干の時間がかかる。それに対して剣の場合は、構えてから即座に攻撃に移れるため、タイムラグが銃に比べて少ないのだ。その為、攻撃までの予備動作が短い剣の方が、銃よりも早く攻撃を開始できる分、狭い空間では有利となる。
中庭と言う狭い空間で戦う場合、どうしても
「良いだろ、別に。軽く合わせるだけだよ」
「まあ、それくらいなら」
そう言って、
確かに、同じ訓練でも、相手がいた方が都合が良い。対戦相手のイメージは強化されるし、実践的な動きの把握にもつながる。
対峙する
キンジは体の右を引くようにして半身に構え、ベレッタを背に隠す。
対して、
互いに、一撃必殺の構えである。
「お前とやり合うのは久しぶりだな。もうすぐ鐘が鳴る。それを合図に始めるぞ」
「判った」
近くの教会で、時報代わりに鐘を鳴らしている。
時刻は間も無く9時。普段、鐘が鳴る頃である。その鐘の音に紛れ込ませれば、銃の発砲音も誤魔化せるはずである。
向かい合ってにらみ合う、キンジと
互いに視線をそらさず、視線を交錯させる。
複数ある戦術パターンの中から、互いに最適な物を選び取る。
冷えた空気に殺気が混じり、触れただけで肌が切れそうな感覚が支配する。
次の瞬間、
両者同時に動いた。
先制したのはキンジ。
自分の背から腕を跳ね上げ、ベレッタを振り上げる。
その事を知っていたキンジは、腕と銃を背中側において
放たれるベレッタの弾丸。
その弾丸が
と思った次の瞬間、
抜刀術の構えは、キンジの攻撃を誘う為の見せかけ。
本命は、
「龍槌閃か!?」
瞬時に
だが、その時には既に、
急降下と同時に、刀を振り下ろす。
とっさに後退するキンジ。
縦に奔る銀閃。
間一髪、キンジが状態をのけぞらせるのが速く、刃は彼の鼻先を掠めていく。
膝を突く
そこへ、素早くベレッタの銃口を向けるキンジ。
次の瞬間、両者の影が重なり合う。
そして、
対して、キンジの銃は
タイミングは同じ。
両者、互角。
「やるね」
「お前もな」
そう言って、互いに笑みを交わす。
今回、キンジはヒステリアモードでは無かったし、
とは言え、戦闘とはいつでも全力で戦えるとは限らない。制限された状況で戦う事は往々にしてあり得る。
それを考えれば、今回の手合わせは決して無駄にはならないだろう。
と、
「
声を掛けられて振り返ると、買い物から帰ってきてたらしいリサが、感激した瞳で2人のやり取りを見ていた。
「ご主人様も緋村様も、常にこうして鍛錬を欠かさないのですね。流石です、格好いいです。
しきりに
純粋な子に素直な賞賛を受けるのは、決して悪い気はしなかった。
何となくだが、リサの存在意義はメイドや会計士としてだけではなく、こうした癒し系キャラとしても発揮されている気がした。
と、
「では、こちらの穴は、後ほど、リサが塞いでおきますね」
と、リサが指差した先には、壁に人差し指大の黒い穴が開いており、うっすらと荘園の煙を上げている。
それは、キンジが先程放った、ベレッタの弾痕だった。
「あ・・・・・・」
「ご、ごめんなさい」
恐縮した体で平謝りする野郎2人(1人女装)。
そんな2人に対し、リサは朗らかに笑って手を振るのだった。
第4話「メイドの鑑」 終わり