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眷属の警戒を襲撃して一旦は街道方面に逃げると見せかけ、そこから大きくUターンしてブータンジェ近郊の線路脇で待機。そして走り始めた列車の貨物倉庫を開けて、内部に潜り込んだのである。
眷属も、ブータンジェでの交戦で消耗していた事に加えて、キンジやメーヤを捕縛した事で、戦力的な余裕も無かったらしい。幾人かの構成員が追撃してくる気配はあったが、カツェ、パトラ、セーラと言った大物が追ってくることは無く、
もし眷属が本格的に
アムステルダムに到着すると、駅にはワトソンが車で迎えに来ていた。
どうやら
ワトソンと合流した
ロッジはアムステルダム中央駅から15分ほど行った所にあるWTCビルの最上階で、エメラルド色の格子ガラスが美しいビルである。
そこで
ブータンジェで眷属の脱走兵であるリサを含めて潜伏していた事、そこへメーヤ率いるバチカンと、パトラに導かれた眷属が同時に現れ戦闘になった事、敵側に仕立て屋や魔剱がいて敗北、キンジやメーヤが捕縛された事。
話を聞いていたカイザーを始め、リバティ・メイソンのメンバー達は、事態の深刻さに言葉も出ない様子である。
特に、キンジとメーヤが捕縛された事の深刻さには、戦慄を禁じ得ない様子である。
キンジ、メーヤ、そして行方不明のジャンヌの存在は、(去就の是非はどうあれ)師団にとって貴重な戦闘用戦力である。それが、一気に失われた形である。
ここまでの劣勢となれば、もはや逆転するのは難しいと言わざるを得ない。
だが、戦慄するのはまだ早いだろう。何しろ、
「内通者は、バチカンです」
その言葉に、ざわめきは更に大きくなった。
この情報を
あの、捕縛される直前、最後にキンジが送ってきたマバタキ信号。
《内通者、バチカン、ワトソンに連絡しろ》
キンジがいかなる推理展開によってこの結論に至ったかは、
ただ、キンジが確信を持って言うからには、必ず根拠がある筈。故に、
そう判断したからこそ、あえて屈辱を呑む道を選んだのだ。
「・・・・・・・・・・・・話は分かった」
それまで
「たいへん興味深い意見であるし、一考するにも値する事は確かだ」
元々、プロテスタントとカトリックと言う対立もあったせいか、カイザーは
宗教的な対立構図が、意外なところで功を奏した形でる。
「じゃあ、すぐにでも救出に・・・・・・」
「しかし」
「我々としてはまだ、キンジが内通者である可能性も捨てきれていない」
バッサリと斬り捨てるような言葉に、
いったい、今さら何を言っていると言うのか。
「まだ、そんな事を言っているんですか!?」
「カイザー、ヒムラの言うとおりだ。これはもう、確定で良いんじゃないか?」
抗議する
しかし、2人の言葉を受けても、カイザーは頑なな態度を崩そうとしない。
「そもそも、バチカンが内通者だと言うなら、なぜ彼等はメーヤを倒して捕縛などしたのかね?」
「それは・・・・・・・・・・・・」
カイザーの指摘に、
確かに、バチカンが内通者であると言うなら、そのバチカンの関係者であるメーヤに危害を加えるのはおかしい。それにメーヤは眷属嫌いの急先鋒である。そのメーヤが好き好んで眷属側に加担するのは、どうしても違和感があった。
そこへ、カイザーは更に言い募る。
「私の考えはこうだ。まず、内通者はキンジ。彼はジャンヌを眷属に売って逃亡した後、眷属の一味と共にブータンジェに潜伏、そこへやって来たメーヤ達シスター兵を罠にかけ、全員を捕縛した、と行った所だ」
「そんな・・・・・・・・・・・・」
見れば、他のリバティ・メイソン構成員たちも、カイザーの意見に賛同するように頷いているのが見える。
確かに、筋としては通っている。カイザーはリサの人となりは知らないし、ブータンジェでキンジや
判らない人間の目から今回の出来事を客観的に分析すれば、そのような形になる事もやむを得ないのかもしれないが。
「そう言えば、ローレッタさんはどうしたんですか?」
ローレッタは、
「彼女は一度、バチカンに戻ったよ。何でも、緊急に報告しなくちゃいけない事態が起こったとか言って」
答えたのはワトソンである。
この中で、
「ともかく、この件はもう少し、慎重に協議する必要がありそうだ。誰が内通者であるかも含めてね」
カイザーはそう言って、締めくくる。
対して、
こんな事をしている場合じゃないというのに。こうしてる間にも、キンジやリサ、それにもしかしたらジャンヌも眷属に捕まり、ひどい拷問を受けている可能性がある。下手をすると、命にかかわるような事態だって考えられる。
それなにの・・・・・・・・・・・・
こんな所で既に答えが出ている議題について、悠長に討論している暇は無いのだ。
「・・・・・・・・・・・・話にならない」
吐き捨てるように言うと、
もうこれ以上、この場に一秒でもいる時間が惜しい。今すぐ取って返して、キンジ達を救出する為に動くのだ。
だが、
「待ちたまえ、ヒムラ」
そんな
「何ですか?」
振り返る
その小柄な女装姿目がけて、複数の銃口が向けられていた。
「君にも嫌疑がある。ここから出ていく事は許さない」
「・・・・・・・・・・・・」
その言葉に、
この上、何を言い出そうと言うのか?
「君がキンジと共謀し、我々を眷属の拠点まで導こうとしている可能性もある。悪いが、身柄を拘束させてもらう」
言いながら、殺気の度合いを強めるカイザー。
ここで
対して
ギンッ
全身から、強烈な剣気を発散した。
まるで空気その物の質量が増したような錯覚に、銃を構えていたリバティ・メイソンの構成員たちは、次々とその場に倒れ伏す。
無事なのは、ワトソンとカイザーくらい。後の者は全員が戦意喪失し、中には座ったまま失神している者までいた。
「武偵憲章1条」
殊更に張りのある声で
「仲間を信じ、仲間を助けよ」
言いながら、扉に向かっていく。
「僕はキンジを信じて、彼を助けに行きます。それでも僕を捕まえようって言うなら、殺す気で来てください。ただし・・・・・・・・・・・・」
言いながら踵を返す
「その時は、リバティ・メイソンその物が壊滅するくらいの事は覚悟してもらいます」
《
そのまま、会議室を後にする
その後を、慌てた調子でワトソンが追いかけて来た。
「待つんだヒムラ、いったいどうする心算なんだ?」
「ブータンジェに戻る。そこから眷属の足取りを追って、拠点を突き止める」
もう、それしか方法が無い。
ここに戻ってきたのはリバティ・メイソンの諜報力を当てにしようと思った事もある。彼等の力をもってすれば、連れ去られたキンジ達の行方も掴めるだろうと期待していた。
だが、現実は、あの体たらくである。
リバティ・メイソンが当てにならない以上、もはや自分で探す以外には無い。
勿論、この広い欧州で、ろくなコネも無い
だが、やるしかない。それしかもう、キンジ達に辿りつく手段が無いのなら。
「止めても、聞かないんだろうね、君は」
「うん」
諦念を滲ませたワトソンの言葉に、
対して、ワトソンは息を吐くと、ポケットから何かを取り出して、
「ボクの車のキーだ、行くなら使ってくれ。それと、積んである武器は自由に使ってくれていい」
「ワトソン・・・・・・・・・・・・」
「それと、これだ」
そう言ってワトソンが差し出したのは、液晶付きのGPS端末だった。
「この端末には今、ある地点の情報が入力されている。君が戻ってくる少し前に行った調査で、眷属が何かの準備をしている事が判明してね。その情報は、問題の場所のデータだ」
「じゃあ、これが」
「もしトオヤマが連れて行かれたとしたら、そこの可能性が高い」
言ってからワトソンは、
「いいかいヒムラ。カイザー達は、必ずボクが説得する。君は止めても聞かないだろうから止めないけど、僕達が行くまで、決して無茶するんじゃないよ」
そう言うと、ワトソンは踵を返して足早に戻って行く。恐らく、会議室に戻ってカイザー達の説得を始める心算なのだろう。
しかし、
「ごめん、ワトソン」
男装少女の華奢な背中に、そっと詫びる。
無茶をしない、などと言う事は約束できる事ではない。今こうしている間にもキンジやリサが危険な目に会されているかと思うと、気が気ではないのだ。
多少、強引な手はやむを得ない。
と、
「そうだ・・・・・・・・・・・・」
自分で無茶な事をするのは良いとして、問題は無茶をするだけの対価を得られるかどうか、にある。
そう考えて
2
遠山キンジは、今まさに絶体絶命の時を迎えようとしていた。
無論、キンジの人生において、絶体絶命と称すべき瞬間は、過去、現在、未来において様々存在している。
だが、今回のは極め付けと言える。
今まさに、遠山キンジの処刑が敢行されようとしているのだ。
ともに捕まったリサやメーヤ、シスター達と共に、眷属の新たな拠点である龍の港へ連行されてきたキンジは、そこで先に捕らわれていたジャンヌとも再会する事が出来た。
やはりジャンヌは、ブリュッセルでキンジが妖刕に襲撃される前に、眷属の手に落ちていたのだ。
際どいデザインの花嫁衣装を着せられたジャンヌは、これから「ジェヴォーダンの獣」呼び出し、使役する為の生贄にされるらしい。
ジェヴォーダンの獣がいったい何を指すのかは判らないが、ジャンヌもキンジ共々、進退窮まった形である
その後に行われた眷属裁判において、キンジの処刑は確定してしまった。
投票制で行われる裁判において、一度はキンジと戦って彼の事を気に入っていたカツェと、彼女に唆されたパトラは無罪票を入れてくれたものの、魔女連隊長官のイヴィリタと、眷属の同胞らしい、
これで2対2のイーブンとなり、このまま「可逆優先」の方針でキンジの無罪が確定するかと思われた。
しかし、そこで思わぬ伏兵が現れた。
バチカンの修道女ローレッタである。
キンジの予想通り、内通者はバチカンだった。
バチカンは、この極東戦役がどのような形で終わるにせよ、自分達が敗者にならないように保険を掛けていたのだ。師団、眷属、双方に協力する形で。そして、形勢がほぼ定まった時点で、優勢な方へと旗色を変える、と言う訳である。
日本風に言えば、洞ヶ峠の筒井順慶、あるいは関ヶ原の小早川秀秋と言った所か。
いずれにせよ、褒められた手段ではない。
とは言え、卑怯な手ではあるが、バチカンを責める事も出来ない。武偵の世界では「騙される方が悪い」「騙した者こそが優秀」と言う事である。
カラクリとしては、主犯、と言うよりも内通劇の責任者はローレッタ。彼女は前線メンバーであるメーヤを使い、得られた師団の情報を眷属へ流していたのだ。
メーヤも薄々、そのカラクリには気付いていた様子だが、彼女の能力である強化幸運は、味方を疑った瞬間、その加護を失い、それまでの幸運がフィードバックする形で不運に見舞われる事になるらしい。
その為メーヤは、ローレッタと自身の役割分担に気付いていながらも、疑う事無く情報をローレッタに流し続けたのである。
無論、これらの事はローレッタの一存で行われたわけではない。恐らく、バチカン全体が関わっている。そうでなければ、ここまで大掛かりなカラクリにはならなかったはずだ。
眷属裁判の最中に姿を現したローレッタは、口封じの意味合いもかねて、キンジの処刑票に投票。かくて、キンジの運命は定まった訳である。
これに先立ちキンジは、妖刕や《颱風》のセーラから「近々死ぬ」と宣告されていたのだが、それが見事に的中した形である。
そして今、キンジは最後の時を迎えようとしていた。
キンジは頑丈な檻に入れられ、満潮時の海面で水没する運命にある。
ただ、それだけではない。眷属側はキンジを殺すのに念を入れて更に、リバティ・メイソンのいるアムステルダム攻撃用に用意した弾道ミサイルV2改の発射炎で、キンジを焼き尽くす事にしたのだ。
いわば、二重の処刑。
眷属としては、欧州における残る敵勢力であるリバティ・メイソンを壊滅させると同時に、厄介な《
「クソッ」
悪態をつく間にも、満潮の海水は徐々に水かさを増してくる。
キンジの頭は、既に鉄格子の天井に届き、呼吸をしようとするたびに、塩辛い海水が口の中へと入ってくる。
「これは、本格的にやばいかッ」
逃れられない運命に、流石のキンジも覚悟を決めざるを得ない。
このまま行けば、キンジは海水で溺死された後、V2のロケット燃料で、骨も残らず焼き尽くされる事になる。
因みに余談だが、このV2は有人操縦であり、コックピットにはカツェが乗り込んでいる。
魔女連隊には異性と恋愛する事を固く禁じた条項があり、キンジとの仲を疑われているカツェが、落とし前をつける目的で、その役目を命じられていたのだ。勿論、命中直前に、カツェは脱出できる仕様になっているが。
《観測結果を伝えるわッ 機体の傾斜、許容範囲内。天候不順なれど、発射に支障なし。現在、打ち上げまで7分。以降、発射のキャンセルは不可能よッ
砂浜でメガホンを持ったイヴィリタの声が聞こえてくる。
イヴィリタの脇には、セーラ、パトラ、閻と言った眷属の面々もいる。妖刕、魔剱の姿は見えないが、ほぼ全員が揃っている形であった。
皆で、V2が発射され、リバティ・メイソンが壊滅する歴史的な瞬間を見ようとしているのだ。キンジの処刑は、そのおまけみたいなものである。
その中に、リサの姿もあった。
腕を取られて拘束されたリサは、うなだれた調子で状況を見守っている。
眷属裁判における彼女への判決結果は、「無罪・再教育」であった。眷属はリサを再び仲間に引き入れて、再びこき使う腹積もりなのだ。恐らく、今度行われるであろう、極東侵攻作戦において、先鋒をやらせる気なのだろう。
《6分50秒前!!》
イヴィリタのカウントダウンが、10秒刻みに行われる。
いよいよ、キンジの運命は旦夕に迫りつつあった。
《6分40秒前・・・・・・6分30秒前・・・・・・》
噴射ノズルから、白煙を上げ始めるV2。
その時だった。
《あ、こらリサ、何をするのッ おやめ!!》
イヴィリタの焦ったような声が、メガホンから聞こえてくる。
この時、リサは皆がV2の発射に注意を向けた隙を突き、拘束を払ってイヴィリタに駆け寄り、彼女が腰に差していたキンジのベレッタと、ジャンヌのデュランダルを奪ったのだ。
リサはそのまま、迷う事無くV2のある方向へと走って行く。
対して、眷属たちはリサの事を追うに追えないでいる。
既にV2の発射は止める事ができない段階に入っている。今からリサを追いかけて、抵抗を封じて連れ戻すまでには、時間が足りないのだ。
リサはただ、状況に流されて絶望していたのではない。キンジを助けられる最後の可能性に賭け、ジッと雌伏していたのだ。そして、最も邪魔が入らない、このタイミングを見計らい、行動を起こしたの。
全ては、愛する主であるキンジを助ける為に。
ベレッタとデュランダルを手に鉄格子へと駆け寄るリサ。そのまま海水をかき分けて、檻へと取り付く。
「馬鹿っ ・・・リサッ 来るなッ ・・・何で、来たんだ!?」
海水を被りながら、どうにか怒鳴るキンジ。
対して、リサは半分泣きながら答える。
「ご主人様を見捨てたら、夢見が悪くなりますッ 安眠は大事です!!」
そう言って、ベレッタとデュランダルを差し出す。
「武器をお取りくださいご主人様!! ご主人様は《
しかし、水中にあるキンジは、既にそれを掴む事も出来ない。
眷属たちは、この状況を持て余している様子である。
リサの事は惜しいが、今さら駆け寄って浚う時間も無い。
こうしている間にも、V2の発射時間は刻一刻と迫っている。
「逃げろリサッ お前も焼き殺されてしまうぞ!!」
「メイドが主人の為に命を投げ出すのは義務です!!」
怒鳴るキンジに、リサもまた断固とした調子で返す。
どうにか檻を壊せる場所が無いか探している様子だが、生憎、リサの細腕では鉄格子を壊す事など不可能である。
「違う!! 生きろリサ!! それが、義務だ!!」
海水に翻弄されながら、それでも必死に叫ぶキンジ。
キンジとリサ。
主従は互いを思いやりながら、それぞれ真逆の主張を行う。
ここでリサが戻ればリサは助かるが、キンジは助からず死が確定してしまう。だが、リサが戻らなければ、彼女は裏切者として処分されてしまうかもしれないが、同時にキンジは助かる可能性が出てくる。
まるで「カルネアデスの板」だ。
大海でたった1枚の板切れを持つ漂流者。そこに、もう1人の漂流者が現れる。だが板は小さく、2人が掴まる事はできない。先に掴まっていた漂流者は果たして板を相手に譲るのか?
これは「緊急避難」の哲学的解釈を表しており、先に板に掴まっていた人物は、板を放せば自分が死んでしまう関係上、後から来た人物を殺しても罪には問われない。その逆も然り、という意味だ。
だが、解釈と違う点はただ一つ。
それは、キンジもリサも、自らが確実に生き残るために必要な「板」を、決して取ろうとせず、互いに相手に譲り合っている事だった。
「リサは、遠山様にお仕えできて、幸せでした」
涙をこぼしながら、リサが言う。
まるで遺言のような言葉の後、
トンッ
軽い衝撃と音が、リサの背中に伝わってくる。
見れば、長い矢が、リサの背中に刺さっているのが見える。
《颱風》のセーラが放った矢である。その矢が、リサの背中の真ん中を、ほぼ真っ直ぐに貫いていた。。
「ご、しゅじ、ん・・・・・・さま・・・・・・」
手を伸ばすリサ。
その顔に、微笑が浮かべられ、
そして、フッと消える。
「リサ・・・・・・・・・・・・」
呼びかけるキンジ。
しかし、その声に帰る答えは無い。
「リサァァァァァァァァァァァァ!!」
絶叫が木霊する。
ほぼ同時に、鉄格子一杯に海水が満たされる。
そして、
遠山キンジの心臓は、
17年で、その鼓動を止めた。
第7話「悲しみのカルネアデス」 終わり