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炎を噴き上げて、V2改が空へと飛翔していく。
その弾頭に搭載されているのはシアン化ケトロシンと呼ばれる化学物質で、軽く拡散しやすいと言う欠点はある物の、一酸化炭素中毒と似た症状を引き起こす性質を持っている、極めて秘匿性の高い薬品である。
眷属はこの薬品を用いて、アムステルダムの拠点に集結しているリバティ・メイソンを壊滅させるつもりなのだ。
「行ったわね・・・・・・」
全ての成り行きを見守っていたイヴィリタは、僅かに哀愁を込めて呟きを漏らした。
このV2発射と共に、遠山キンジと、リサ・アヴェ・デュ・アンクの死亡も確認された。
「リサ・・・・・・馬鹿な子・・・・・・」
悲しげに言い捨てるイヴィリタ。
眷属に帰属する事を許されながらも、最後の最後で裏切り、遠山キンジを助けようとしたリサ。
その行為自体は美しく感動的だと思うのだが、それでもリタは処分されなくてはならなかった。
「そう、気を落とすでない。残念ぢゃが、こうなってしまった以上は仕方あるまい」
「ええ。判っているわ」
慰めてくるパトラに対し、イヴィリタも素っ気なく返事をする。
実際にリサを射抜いたセーラは、相変わらず茫洋とした瞳で、尚も飛翔するV2を目で追っている。
鬼のような容姿をした閻も、同様に腕組みをして小さくなっていく炎の軌跡を追いかけている様子だ。
彼女達が何を考えているのかは判らないが、確かに、こうなってしまった以上はもはや言っても仕方のない事だろう。リサの事はしょうがなかったのだと思ってあきらめるしかない。
「後片付けをなさい。V2の着弾を確認してから、一気に攻勢に出るわよ」
言いながらイヴィリタは、パトラ達を連れて停泊中のUボートへと向かっていく。
これで、欧州戦線の決着は着いた。あとは師団側の本丸と言うべき東京へ攻め込むのみ。欧州を席巻した魔女連隊、イ・ウー残党主戦派、そして、少々油断はできないものの、今や味方となったバチカンの戦力を持ってすれば、東京を陥落させる事は容易いはずだった。
だが、
イヴィリタがUボートの甲板に上がろうと、タラップに足を掛けた時だった。
魔女の1人が、慌てた調子で駆け寄ってくるのが見えた。
「大変ですッ たった今レーダーで観測していたところ、先に発射したV2が、海上に墜落したとの事です!!」
「んな、何ですってェェェェェェ!?」
報告を聞いて驚愕するイヴィリタ。
まさに乾坤一擲で放ったV2が、目標を捉える事無く、空しく失われる事になるとは、誰が予想しただろうか?
これでは、リバティ・メイソンを滅ぼして欧州戦線を決着させ、余勢を駆って東京に攻め込むと言う戦略が根底から破綻してしまう。
いや、そんな事よりも、
「カツェは・・・・・・あの子はどうなったの!?」
遠山キンジとの異性恋愛罪の嫌疑を掛けられたカツェは今回、そうとは知らされないままキンジの処刑に加担させられ、V2を操縦して飛び立った。勿論、V2命中前に脱出する前提で。
だが、そのV2自体が墜落してしまった以上、彼女の安否も判らないままである。
「すぐに墜落地点へ救助隊を派遣なさい!! 早くゥ!!」
慌てた調子で、イヴィリタは命じる。
カツェは彼女の同期であるルシア・フリートと並んで、魔女連隊のアイドル的存在である。「格好良い系」のルシアに対し「可愛い系」のカツェは、二大巨頭と言っても過言ではない。かく言うイヴィリタ自身、2人の事をこよなく愛している。
そのカツェの命が失われるなど、あってはならない事だった。
慌てて動き出す魔女連隊の構成員たち。
だが次の瞬間、
強烈な爆発光が、龍の港の砂浜を揺るがした。
爆発は連続して起こり、その度に魔女たちは、酸を乱して逃げ惑う。
更に、大量の煙まで吹き荒れ、視界が一気に塞がれる。
「な、何事!?」
「敵襲ですッ イヴィリタ様!!」
焦るイヴィリタに対し、魔女の1人が叫ぶ。
敵襲? このタイミングで?
混乱する状況の中、更なる爆発が龍の港を襲った。
とにかく、奇襲は最初が肝心である。
できるだけ派手な攻撃を初手で仕掛け、油断している相手を大混乱させる事がセオリーだ。
その原則に基づき、友哉は単独による龍の港奇襲作戦を敢行していた。
戦力は友哉1人だけ。一応、ワトソンの車に搭載されていたビーコンを起動して、この場所の位置情報を発信してはいる。もしワトソンがカイザー達の説得に成功していれば、その誘導電波を目当てに増援に来てくれるはず。
しかし友哉は、その点についてあまり期待はしていない。リバティ・メイソンがあの状況では救援に来てくれるかどうか微妙な所であるし、仮にワトソンの説得が功を奏するにしても、時間がかかるのは間違いない。
故に友哉は、たった1人での襲撃を決意したのだった。
ワトソンの車に搭載されていた武器の中から、彼女のメイン武装である予備のシグ・サウエル2丁と、武偵弾の爆炎弾と閃光弾を、それぞれマガジン1本分借りた。
他にもいくつか大型の銃火器があったが、どのみち射撃に関してはそれほど得意でもない友哉では使いこなせるかどうか微妙である。
そこで、命中させなくても効果の高い爆炎弾と閃光弾を使用して敵を混乱に陥れた上で、得意の接近戦に持ち込む作戦を立てたのだ。
作戦は功を奏し、視界の彼方で魔女連隊の構成員たちが右往左往しているのが見える。
「さて・・・・・・・・・・・・」
言いながら友哉は、両手に持った銃を投げ捨て、腰から逆刃刀を抜き放つ。
「行きますかッ!!」
言い放つと同時に、
友哉は一気に駆ける。
敵は未だ、武偵弾による奇襲から立ち直っていない。
混乱する魔女たちの間を駆け抜け、目指すは本丸。
その中央に立つ、ひときわ目立つ巨大な人影目がけて、友哉は全力で斬り込んだ。
鎌首をともたげる、九頭の魔龍。
「飛天御剣流、九頭龍閃!!」
刹那の間に放たれた九つの斬撃は、狙い違わず目標を捉える。
最後の刺突を柄尻で相手の眉間へと叩き込んだ瞬間、
その巨体の人物は、波打ち際まで大きく吹き飛ばされ、そのまま水面へと叩き込まれた。
巨大な水飛沫を上げる中、混乱はさらに拍車がかかる。
九頭龍閃を討ち終えた友哉は、素早く刃を返して追撃に入る。
旋回するように刀を振るい、手近にいた魔女2人を薙ぎ払う。
更に友哉は、近くに立っていた《颱風》のセーラを狙って斬り掛かった。
袈裟懸けに振るわれる白刃。
しかし、刃が命中するよりも一瞬早く、セーラは大きく跳躍する形で空中に舞い上がり、友哉の斬撃を回避する。
その動きに目を見張る友哉。
通常の人間の動きではない。恐らく、魔術で何らかの補正を掛けて身体能力を水増ししているのだ。
空中にあって、セーラは体勢を入れ替えながら矢を抜き、友哉に向かっていかける。
唸りを上げて飛んで来る矢。
それを友哉は、素早く振るった刃で斬り飛ばす。
停泊していた帆船の甲板へと降り立ち、友哉を睨み付けるセーラ。
その間に、イヴィリタは部下に守られながらUボートへと退避していく。どうやらイヴィリタ自身の戦闘力はそれほど高くは無いらしい。その点は自身が前線には出ないでいたバチカンのローレッタと同じである。
奇襲の混乱に乗じて大将首を取る。
そう考えて、イヴィリタ追撃に入ろうとする友哉。
だが、側面からの気配を察し、とっさに振り返る。
そこへ飛んできた無数の礫を刀で弾き、捌ききれない分に関しては回避を選択する。
「これはッ!?」
呻く友哉に対し、一瞬、足元の砂地が蠢いたと思った瞬間、危険を察してとっさに跳躍する。
その直後、砂浜のアートオブジェのような巨大な腕が出現し、友哉に掴み掛って来た。
「パトラかッ!?」
更に砂でできたコブラまで出現するに至り、友哉は更なる後退を余儀なくされた。
猛攻を続けるパトラ。
とにかく、相手が《砂礫の魔女》である以上、砂地の上にいるのは危ない。
友哉はとっさの判断で、近場の岩場の上まで後退し対峙する。
「ほほほほほ、よう来たのヒムラユウヤ。ぢゃが、愚かぢゃな。飛んで火にいる夏の虫と言う奴よ」
友哉の姿を見て、高笑いするパトラ。
見れば、体勢を立て直したセーラも、再び弓を構えて友哉を睨み付けている。
それだけではない。初期の混乱から立ち直った魔女たちもまた、友哉達の背後に回り込んで包囲しようとしてきている。
そして、
ザバッ
豪快に水をかき分け、先程、九頭龍閃を受けて吹き飛ばされた大柄な人物も砂浜へと上がってきた。
その姿を見て、友哉は意気を呑む。
まず、遠目では判らなかったが、その人物は女性だった。ただし体格は、友哉はおろかキンジと比較してもかなり大きい。背丈は2メートル近くあるだろう。アフリカの民族衣装のような服の上から、やや古ぼけた和服を着ている。
驚いた事に、頭には二本の角まで生えているのだ。正直、妖怪の知り合いはいるにはいる(玉藻とか玉藻とか玉藻とか)が、あれが飾りか何かである事を願いたい次第である。
だが、友哉を驚かせたのは、外見だけではない。
『九頭龍閃をまともに喰らって、無傷?』
水から上がってきた鬼女が、ダメージを負っているようには見えない。
《鉄腕の魔女》ルシア・フリートも、ダメージを無効化する魔術を使い友哉を苦しめたが、これはあれとは違い、どちらかと言えば《中華の戦神》
もっとも、伽藍は九頭龍閃を喰らった際、ある程度のダメージを負っていたのに対し、あの鬼女は全くの無傷である。つまり、こと防御力に関する限り、あの鬼女の方が伽藍よりも上と言う事だ。
「やってくれたな。うぬが、今代の
「え? 彦・・・・・・何?」
鬼女、閻はハスキーな声でそう言うが、言っている意味が分からず、友哉は首をかしげる。
いったい、何のことを言っているのだろう?
それに対し、閻も訝るように更に問いかけてくる。
「異な事を。飛天の剣を使っている以上、うぬは今代の比古清十郎に相違あるまい?」
「あいにく、そう言った名前に覚えは無いです」
飛天の剣、と言う事は、閻は何らかの形で友哉の知らない飛天御剣流の事に関わりがあるのかもしれない。
だが、今はそれを確かめている余裕は無かった。
セーラ、パトラ、閻、そして魔女たち。体勢は完全に立て直されている。
包囲網は完全に出来上がってしまっている。奇襲の効果は完全に失われてしまっていた。
妖刕に魔剱、仕立て屋の姿は見えないが、状況は完全に友哉にとって不利である。
その時だった。
《あー、あー、ただ今、マイクのテスト中!!》
Uボートの甲板上に退避したイヴィリタが、再びメガホンで呼びかけて来た。
《えー、緋村氏、初めまして。わたくしはイヴィリタ・イステル。魔女連隊の長官を務める者です・・・・・・・・・・・・あら?》
名乗りを上げたイヴィリタが、不意に何かに戸惑ったように声を止めた。
《えっと・・・・・・・あれが緋村氏? そう言えばエコールの時にもいましたけど・・・・・・ご本人? 妹さんとかじゃなくて? え? そう言う趣味? ははぁ成程》
何だか、ものすごい勢いで名誉が毀損されていた。
《えー、ゴホン・・・・・・大変失礼致しました、緋村氏》
「ほんとに、すんごい失礼だよね」
メガホンの声に、ジト目で皮肉を返す友哉。人の事を何だと思っているのか。
しかし、現実問題として危機は旦夕に迫っている。
《降伏なさい、緋村氏。この状況では、あなたに勝ち目はありませんよ》
イヴィリタから発せられる降伏勧告。
確かに、奇襲が失敗した時点で、友哉の勝機は限りなく低くなってしまっている。
そこへ、パトラが前に進み出た。
「ほほほ、ヒムラユウヤ。お前もその姿で、妾の
言い放つと同時に、巨大な砂のコブラが友哉目がけて牙をむいて来る。
身構える友哉。
巨大な牙が、友哉を捕えようと迫った。
次の瞬間、
銀の閃光と共に、世界は斜めに両断された。
構造を保てなくなり、崩れ落ちる巨大コブラ。
パトラが、
セーラが、
閻が、
イヴィリタが、
眷属の魔女たちが揃って驚きの顔を見せる中、
友哉を守るように、背の高い影が、手にした日本刀を掲げて立っていた。
「緋村をやる事は許さん。是非にと言うなら、まずは俺が相手だ」
鋭い声が、全ての者達を威圧するように放たれた。
その姿を見て、友哉は歓喜の声を上げる。
「海斗、来てくれたんだね!!」
男の名は
かつてエムアインスの名で呼ばれ、ジーサードリーグの一員として友哉と死闘を演じた、今代におけるもう1人の「飛天の継承者」である。
戦いの後、妹、理沙の療養を兼ねてオランダに移っていた海斗。
リバティ・メイソンのロッジを出る際、友哉は事態が自分の手に余る事を見越し、海斗に連絡を入れ、救援を要請したのだ。
そして、海斗は友哉の声に答え、駆け付けてくれた。
かつて、別れ際に言った「困難に出会った時は俺を呼べ。俺はたとえどこに居ても、お前を助けに駆け付ける」と言う約束を、海斗は見事に果たしたのだ。
「待たせたな緋村・・・・・・と言うか、何だその、ふざけた格好は?」
「う、これには色々と、複雑な事情があるんだよ」
女装を冷静に突っ込まれ、しどろもどろな弁解をする友哉。
来てくれたのはうれしいが、今更そこら辺の事情を説明するのはかなり面倒くさかった。
《ひ、一人から二人になったからと言って、それがどうしたと言うのです!?》
イヴィリタは尚も、強気な態度を崩さないままメガホンで叫んでくる。
確かに、いくら海斗が増援に来てくれたからと言って、状況は劇的に有利になる訳ではない。
だから、
友哉はここで、切り札を切る事にした。
友哉は海斗の前に出ながら、スカートの下、太ももに巻く形で装備しておいた、ある物を起動する。
「海斗、耳塞いでッ」
言いながら自身も耳栓をすると、左手に鞘を、右手には逆刃刀を逆手に持って構える。
「飛天御剣流!!」
刀を持った腕が、霞む勢いで、刃は鞘へと戻される。
「龍鳴閃!!」
ギギギキィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン
強烈に耳障りな金属音が、周囲一帯の空間を容赦なく蹂躙する。
龍鳴閃の齎した高周波は、龍の港を一気に覆い尽くした。
それに伴い、魔女たちが、バタバタと倒れていくのが見える。
それは、つい先日、
「さすが平賀さん、良い仕事をしてくれる」
言いながら友哉は、自身の耳栓を外して笑みを浮かべると、スカートの下に隠し持っていた装備を取り出す。
CDケースサイズほどのそれは、欧州行きに先立って装備科の平賀文に作ってもらった新装備で、正体は小型の拡声器である。
小型でありながら、その性能は市販の物の10倍以上を誇り、殆ど「音波砲」に近い性能を誇る。
魔女達のステルスに対し、龍鳴閃の音響攻撃によって対抗すると決めた時点で、友哉は平賀に頼んで作ってもらったのだ。
効果はご覧のとおり、ただの一撃で魔女たちの大半は地に倒れ伏し、戦闘不能に陥っている。流石にパトラ、セーラ、閻は無事なようだが、それでも敵戦力の大半を削る事には成功した。
だが、
「おろ?」
友哉は手にした拡声器が、煙を上げているのを見て首をかしげる。
どうやら壊れてしまったらしい。スイッチをON/OFFしても、それ以上はうんともスンとも言わなかった。
平賀は腕が良いくせに割といい加減な仕事をする傾向があるため、作ってもらった装備品が変に壊れる事がある。今回もそのせいなのか、あるいは装置自体が龍鳴閃の威力に耐え切れなかったのか? いずれにしても、もう同じ手は使えそうにない。
《む、無駄な抵抗はやめなさーい!!》
状況の悪化に対し、イヴィリタが焦ったように叫ぶ。
《あなた達のやっている事には何の意味もありませんよ!! 何しろ、遠山氏は既に死にましたッ こんな事したって無駄です!!》
「そっちこそ、何か勘違いしてるんじゃないですか?」
イヴィリタの言葉に対し、友哉は冷静な口調で返す。
《な、何のことですッ?》
「あなた達は、自分達が誰を相手にしているのか、もう忘れたんですか?」
その言葉に、戦慄が走る。
遠山キンジ。
あらゆる困難を跳ね返し、不利を覆し、運命すら超越する男。
そのキンジが、
「あんな程度で死ぬはずがない!!」
友哉が言い放った次の瞬間、
港の岩壁を突き破る形で、巨大な影が躍り込んで来た。
それは、美しい獣だった。
3メートル以上ある巨体は、全身金色の毛に覆われ、顔は狼のような精悍さを誇っている。
凶悪な爪や牙も、その獣を彩る豪奢なアクセサリーに見える。
「ジェヴォーダンの、獣だと・・・・・・」
海斗が、呻くように呟いた。
オランダ出身の海斗は当然、ジェヴォーダンの獣の伝説は知っているし、ジーサードについて裏社会にも通じていた為、実在する事も前から知っていた。しかし、あくまで伝承に過ぎない為、実態がどういった物かまでは、見るまで判らなかったのだ。
「よく言ってくれた、緋村!!」
そのジェヴォーダンの獣の背から、凛とした声が響き渡る。
振り仰ぐ先、
そこには、古の騎士宜しく、騎乗した姿で聖剣デュランダルを翳すキンジの姿があった。
「アハ、流石キンジ。人間やめてる感はハンパ無いね」
「お前もな」
そう言って、互いに笑みを交わす友哉とキンジ。
あの時、
鉄檻が水没した時、キンジは確かに死んだ。
だが、同時に「死に際のヒステリア」である、アゴニザンテを土壇場で発動したキンジは、自身の持ち技である桜花を胸と背中から同時に打ち込んで緊急蘇生する新技「回天」を使用し、再び心臓を動かす事に成功したのだ。
それは「除細動」と呼ぶにもおこがましいほど強烈な「心臓マッサージ」であったが、それによって蘇生する事に成功したキンジは、そこで、自身を捉えていた檻が壊されている事に気付いた。
壊したのは、リサだった。
セーラの矢を受けて死んだ筈のリサだったが、そこで彼女に、思わぬ変化が起こった。
何を隠そう、彼女こそがジェヴォーダンの獣、その正体だったのだ。
眷属がリサの身柄に拘ったのは、この為だったのである。
だが眷属側も、情報を持っていたのはそこまで。ジェヴォーダンの獣を呼ぶ条件の情報に付いては、ほぼ皆無と言っても過言ではなかった。
ジェヴォーダンの獣を呼ぶキー、それは「満月」と「
つまりリサが瀕死の状態で、満月から降り注ぐ赤外線によって減衰したスペクトルの太陽光を網膜に受ける事によって秂狼は目覚めるのだ。
眷属は、「瀕死」というキーワードまでは知っていた為、リサを幾度となく死地へと放り込んでいたのだ。
だが、今日は満月。条件は全て揃った事になる。
そして、V2の発射直前に、
発射されてV2にしがみつく形で難を逃れたキンジだったが、完全に覚醒したリサは理性を失っており、空中で散々に暴れた。V2が予定軌道を外れて墜落したのは、その為である。
その後、リサはキンジの命がけの呼びかけによって理性を取り戻し、同時に耐圧カプセルのおかげで命拾いしていたカツェの協力もあって、何とか龍の港へと戻って来た訳である。
突如現れたジェヴォーダンの獣の威容を前に、魔女たちは散を乱して逃げ惑っている。
見れば帆船やUボートからも、次々と少女達が湧き出してきて、逃げ惑っているのが見える。
どうやら、彼女達は戦士では無く、小間使いか何かのようだった。
《こら、お前達ッ 敵前逃亡は銃殺刑に処すわよー!!》
流石のイヴィリタは踏みとどまっている。そこは、戦闘力が無いとは言え、一軍の将として立派である。
とか思っていたら、Uボートのセイルに身を乗り出し過ぎて、海に落下した。
「
どうやら泳げないらしいイヴィリタが、水面で手足をバタバタと振り回している。
「何あれ? ナチス版ドリフ?」
「志村けんさんがいないのが残念だな」
などと、割とどうでも良い感じで、友哉とキンジは言葉を交わす。
まあ、大丈夫そうだから、あれは放っておくとして、こっちはこの機に勝負を決するのだ。
「緋村、俺達はジャンヌの救出に行く。お前達は掩護を頼む!!」
「え、ジャンヌもここにいるの!?」
驚く友哉に、キンジは頷きを変えす。
一度、反撃ののろしが上がればこっちの物。後は流れを打つように、全ての運がこちら側に流れ込んでくるかのようだ。
「遠山、俺も及ばずながら力を貸すぞッ 存分に戦え」
「ありがとうエムアインス、いや、海斗、頼んだぞ!!」
大きく、力強く頷くとキンジは、ジェヴォーダンの獣、否、リサに指示を出して停泊している帆船の方へと跳躍する。
「行かせぬッ」
そこへ、パトラが砂の腕で掴みかかろうとする。
しかし、
「フッ!!」
素早く接近した友哉が、逆刃刀を刃に反して一閃、砂の腕を中途から斬り飛ばす。
「悪いけど、キンジの邪魔はさせない!!」
「ヒムラユウヤ、魔術も使えぬくせに生意気ぢゃぞ!!」
言いながら、パトラは砂地へ魔力を送り、次々とゴレムを生み出してくる。
夏前にパトラと戦った際、ピラミディオン台場でも対峙した、犬頭のゴレム達である。
それらが一斉に剣を構え、友哉へと襲い掛かってくる。
対して、友哉はスッと目を細めると、地面に両足を突いて、逆刃刀を脇に構える。
「飛天御剣流・・・・・・」
高速で、剣閃を振り抜く。
「龍巣閃!!」
四方八方から殺到する銀の閃光が、ゴレム達を容赦なくとらえる。
構造を保てなくなり、砂に戻って崩れ落ちるゴレム。
そこへすかさず、友哉は間合いを詰めて斬り掛かるが、パトラはそれを見越したように、大きく後退する事で、友哉の攻撃を回避した。
見れば、海斗はセーラに向かって斬り掛かっているが、あちらもセーラが巧みに回避しながら矢を射かけてくるため、勝負は互角に近い形になっている。
「おのれッ!!」
頼みのゴレム三体を瞬時に撃破された事で、パトラは焦ったように砂飛礫を連射してくる。
それらの攻撃を刀で弾きながら、徐々にパトラとの距離を詰めに掛かる友哉。
それに対し、
「舐めるでないわ!!」
パトラはありったけの魔力を注ぎ込む。
どうやら、友哉の意外な奮戦に、片手間の応戦では追いつかないと考えたのだろう。
かつてイ・ウーにおいて、事実上のナンバー2だった《砂礫の魔女》が、ついに本気になって友哉に牙をむいてきたのだ。
「クッ!?」
危機を感じ、とっさに後退する友哉。
次の瞬間、砂を巻き上げ、砂浜から巨大な神像が姿を現した。
全身に鎧を着込んだ、魔神のような姿をした砂像。
その巨大な砂像が、友哉目がけて、長大な剣を振り下ろしてくる。
「ッ!?」
とっさに、その攻撃を回避して上昇する友哉。
砂像の顔に当たる部分まで高度を上げた瞬間、友哉は鋭く横なぎに刀を振るう。
しかし、
ガキンッ
「ッ!?」
けんもほろろ、としか言いようが無いほどあっさりと、友哉の剣は砂像に弾き返された。
そこへ、砂像は腕を伸ばして空中の友哉へと掴みかかろうとしてくる。
その腕が、友哉に届く瞬間、
「危ないッ!!」
とっさに、横合いから抱きかかえる形で、友哉はその場から移動する。
見ると、セーラとの戦いを中断した海斗が、友哉を抱きかかえる形で砂浜へと降り立っていた。
一方、置き去りにされる形となったセーラは、今度はキンジと対峙しているのが見える。
戦いは混戦模様を呈し始めている。誰が誰と戦い、どのように動くべきか、それを瞬時に見分けられなければ、即、命に係わる事だろう。
その間にも、砂像は友哉達に狙いを定めて、ゆっくりと向かってくる。
「任せろッ」
海斗は言い置くと、刀を正眼に構えて砂像と対峙する。
同時に、砂浜を蹴って疾走した。
強烈な牙を剥く、九頭を持つ魔龍。
「飛天御剣流、九頭龍閃!!」
体格、腕力の関係から、その威力は同じ技を使う友哉をも上回る。
九頭の龍は、砂像に向かって一斉に喰らい付く。
そして、一気に噛み砕いた。
粉砕される砂像。
「やったッ」
その姿を見て、喝采を上げる友哉。
しかし、
「無駄ぢゃ無駄ぢゃ!!」
パトラの顔に、不敵な笑みが刻まれる。
すると次の瞬間、海斗の剣によって粉砕された砂像の傷が徐々に修復され、元の姿へと戻って行く。
「魔女の技か。厄介だな」
舌打ちする海斗。
海斗の九頭龍閃ですら、あの砂像にダメージを負わせる事ができない。
だが、これまでの経験から、パトラのゴレムは一定以上のダメージを与えれば破壊できる事が判っている。
だが、問題はあの規模の相手に、どの程度ダメージを与えればいいか、と言う事である。
瞬時に、海斗の九頭龍閃を上回る程の攻撃と言えば。
「・・・・・・・・・・・・下がって、海斗」
静かな声で告げた友哉は、ゆっくりと刀を鞘に収めながら、前へと出る。
「緋村、お前は・・・・・・・・・・・・」
「今からちょっと、『切り札』を使うから」
言った瞬間、
友哉の全身から、強烈な剣気が迸る。
空気が弾けるような音が鳴り響く中、砂像が再び剣を振り翳す。
その様を真っ向から見据え、
友哉は己の剣気を最大限に放出する。
その様に、本来なら意志が無いはずのゴレムですら、どこか気圧されたように後退する。
次の瞬間、
竜王は、その圧倒的な存在感でもって、解き放たれた。
「飛天御剣流・・・・・・奥義!!」
「
光が、駆け抜ける。
神速を超越した、超神速の一閃が、砂像へと叩き込まれる。
その一撃を見た者は、誰もいない。
次の瞬間、巨大な砂像は、音を立てて、その場に崩れ落ちた。
「ば、馬鹿なァ!?」
そのあまりの後継に、思わず絶叫を上げるパトラ。
まさか、魔力も持たない友哉に、自身の最大の魔力を込めた砂像を打ち破られるとは、思っても見なかったのだろう。
ここは撤退を。
そう思って踵を返そうとした瞬間だった。
パキパキパキパキパキパキ
何かが破裂するような音と供に、砂浜に氷が走り、それによってパトラの足が拘束されてしまった。
すかさず、友哉と海斗はパトラに駆け寄ると、それぞれ左右から刃を突きつける。
「そこまでだ、《砂礫の魔女》」
「ここは、大人しくした方が良いと思うよ、パトラ」
2人の言葉に、がっくりとうなだれるパトラ。
その姿を確認してから、次いで友哉は振り返って背後を見る。
するとそこには、先程氷魔法を使ってパトラを拘束した少女が、聖剣デュランダルを手に、ゆくりと歩いてくるところだった。
「すまない、遅参した」
「いや、いいタイミングだったよ、ジャンヌ」
そう言って、《銀氷の魔女》へと笑い掛ける。
白いウェディング衣装の裾を破き、太ももを大胆に露出したジャンヌは、素足で砂を踏みしめながら近付いて来る。
キンジとリサの活躍によって救出されたジャンヌは、この眷属との最終戦に際し、辛うじて間に合ったのだ。
「降伏しろ、パトラ。イ・ウー時代のよしみだ。我が名に掛けて、悪いようにはしない事を約束する」
凛とした調子で告げるジャンヌ。
それが事実上、この龍の港における戦いの終幕を告げる合図となった。
第8話「欧州決戦」 終わり