1
アドシアードが近付くにつれて、学園島は徐々に賑わいを見せ始めていた。
何しろ世界各国から人が集まる一大イベントである。国籍、人種に関わらず、総面積100万㎡の学園島は人に埋め尽くされる事になる。
まさにデュランダルが活動するなら、最適な環境と言う事になる。
友哉は自室のソファーに座り、山積みされた書類と格闘していた。
陣が不良時代の仲間から集めたお台場周辺、更に芝浦、品川の情報。瑠香と茉莉が集めてくれた学園島内部の情報が今、テーブルの上に積み上げられている。
しかし、予想していた事だが芳しい成果は上げていない。
この中に有益な情報は、ほんの一摘みだろう。
だが、これで良いのだ。
友哉の作戦、「デュランダル包囲網」の本質は、敵の選択肢を潰す事にある。
こうして、こちらが監視している事をデュランダルが感知すれば、それだけこちらを警戒して動かざるを得ない。つまり、その動きは鈍らざるを得ないと言う訳だ。
その為、陣にはなるべく派手に、人目に付くようにやるよう指示を出している。デュランダルに、こちらの動きをわざと察知させるためだ。
『これで、デュランダルが、どう動くか』
デュランダルは犯行を行う前段階として、必ず何らかの脅迫メールを被害者に送っているらしい。そちらの方はアリア達に頼んでそれとなく気に掛けて貰っているが、今のところ目立つ動きは無いらしい。
と、
「友哉君ッ」
「おろ!」
突然名前を呼ばれ、友哉は考え事を中断して顔を上げると、制服の上からエプロンを着込んだ瑠香が困ったような表情で立っていた。
「もう、いつまでこうしているつもり? 早くしないと遅刻するよ」
「ああ、ごめん」
時刻は間もなく7時半を回ろうとしている。最近は事件調査も行っている為、以前より登校時間が遅くなってきているが、通学にバスを使わない友哉としては、そろそろ出発したい所である。
「瀬田さんも悪いね、付き合わせちゃって」
「いえ、構いません」
茉莉は相変わらず起伏の少ない言葉で、友哉にそう返した。
今までは瑠香が食事の準備をしに来て、一緒に食べるのが当たり前だったが、最近ではそれに茉莉も加わるようになった。瑠香と茉莉は仲が良いし、寮の部屋も隣同士である事から、この流れは自然な物であった。
茉莉と言えば、結局この間の覆面男の事は、改めて考え直してみても、全く心当たりがないらしい。一体なんだったのか、真相は不明であるが、あの男の口ぶりからして、近いうちにまた現れる可能性はある。充分に注意する必要があった
「あっと、そうだ。今日は出発前に隣に寄って行くからね」
「隣・・・ああ」
一瞬考えてから、瑠香は察したように頷いた。
キンジが風邪をひいて、今朝から寝込んでいるらしい。
昨夜勃発した第二次お隣大戦(命名:瑠香)の結果、巻き添えを食らったキンジは、窓から東京湾に突き落とされたらしい。その結果、見事に風邪をひいたのだとか。
これは以前、キンジから聞いた事なのだが、彼は体質的に薬の類が効きにくいらしい。これは薬物に対する攻撃に耐性がある半面、回復薬も効きにくい事を意味していた。
そんな訳で、風邪をひいてしまったキンジは大人しく寝ている以外にない訳である。
勝手知ったる隣の部屋に入ると、3人は寝室へと進む。部屋の構造は友哉の部屋と同じである為、特に迷う事も無い。
向かって2台ある2段ベッドの内、向かって左側の下段がキンジのスペースである。
「おはよう、キンジ。具合はどう?」
「お、おう、緋村、それに四乃森と瀬田も来てくれたのか」
弱々しく目を開けるキンジ。どうやら、起きているのもつらいらしい。
「先生には、キンジが今日休むってのは伝えとくよ。あと、何か欲しい物とかあるんだったら、放課後買ってくるよ?」
「いや、飯は白雪が作って行ってくれたが、どうにも食欲がない。それに、薬が欲しいんだが、この辺じゃ売ってないからな」
「薬たっだら、あたし買ってきますよ?」
瑠香の言葉に、キンジは力なく首を横に振る。
「いや、俺が飲む薬は特濃葛根湯っていうんだが、この辺じゃアメ横まで行かないと売ってないんだよ」
それは、確かに面倒くさい話だ。アメ横は上野と御徒町の中間ぐらいに位置し、どちらの駅からも少し離れている。放課後に行くには少々手間が掛りそうだった。
「そう言う訳だから、あまり気にしないでくれ」
「判った、じゃあ、せめてプリントの配布とかあったら取っておくよ」
「おう、頼む」
これ以上はキンジの負担になりかねないので、3人は早々に部屋を辞し、登校の途に付いた。
とは言え、ここに来て友哉には不安材料が浮上しつつあった。それは、アリアと護衛対象である白雪の仲が悪すぎる事だった。
何しろ、二人ともあの性格である。反りが合わないのは初めから予想できたことだった。
今回の一件もその延長にある。何とかしないと、これが致命的な失策にも繋がりかねなかった。
2
「それじゃあね、友哉君、茉莉ちゃん!!」
手を振りながら走って行く瑠香を見送ると、友哉と茉莉も二年生の教室の方へと足を向けた。
「そう言えば、」
並んで歩きながら友哉は、横を歩く茉莉に話しかけた。
「何でしょう?」
茉莉は友哉より少し背が低い為、向かい合って話すと彼女が見上げるような形になる。
「あの後、買った服は着てみたりしたの?」
つい先日、お台場に瑠香と3人で買い物に出かけ、茉莉の私服をあれこれ買いこんで来たのだ。
生憎と言うべきか、友哉はその服を着た茉莉をまだ見ていないのだが、瑠香曰く「ファッションショーのモデルさんみたい」と言う事だったので、ぜひ見てみたいと思っているのだが。
対して茉莉は、少し視線を逸らして前を見た。
「その、四乃森さんが、よく私の部屋に来るので、それで・・・・・・」
「・・・・・・ああ」
恥ずかしそうに口ごもる茉莉の様子に、友哉は大体の事情を察した。
恐らく瑠香の手によって、ほぼ毎晩のように着せ替え人形にされているのだろう。買って来た服だけではすぐにレパートリーが無くなって飽きるかもしれないが、瑠香と茉莉は背も体型も似ているので、瑠香が自分の服を貸しているのかもしれない。
「はは、それは災難だね」
と、言いつつ、一言付け加える。
「今度、僕にも見せてくれないかな?」
「恥ずかしいから嫌です」
にべもなく断られ、苦笑するしかなかった。
その時、
「おい、緋村」
名前を呼ばれ振り返ると、友人の武藤剛気が片手を上げてこちらに歩いて来るのが見えた。
「武藤、どうしたの?」
「さっき、相良の奴がお前の事探してたぞ。何でも、屋上の方に来てくれってよ」
「判った、ありがとう。それじゃあ瀬田さん、悪いんだけど」
「はい、また後で」
そう言って茉莉と別れると、友哉は屋上へと足を向けた。
屋上へ上がると、すぐに見慣れたぼさぼさ頭が見えたので、手を振って合図をする。
陣がわざわざ呼び出したと言う事は、何か進展があったのかもしれない。
そう期待していたのだが、どうにも陣の顔は浮かない様子だった。
「どうかしたの?」
「いや、な」
少し言いにくそうに、陣は話し始めた。
何でも、友哉に頼まれた情報収集を始めてから、昔の仲間に異変が起こり始めたとの事だった。
「始めはちょっとした事だったんだがよ、どうも最近は立て続けなんだよ」
陣の昔の仲間達が、何者かによって闇討ちされていると言うのだ。徐々にその人数は増え続け、ついには病院送りになった者も複数いるとか。
「ちょっとやそっとの事でビビるような連中じゃねえのは俺が保証するがよ。だが、流石に今回はやべぇ感じだ。何しろ、誰も襲った奴の姿を見てねえって言うんだからな」
屋上のフェンスに身を預けながら、陣は少し沈んだ声で言う。彼としても、昔の友人が傷付けられるのは面白くない事だろう。
だが、友哉はある一点、今の陣の話に気になる事があった。
「陣、誰も、襲撃者の姿を見てないって言ったよね」
「ああ、何でも殆どが不意打ちだったらしいからな」
デュランダルは「姿無き」誘拐犯である。そして、今回の襲撃者の姿を「誰も見ていない」。この二つの共通点が、友哉の中で歯車を組み合わせる。
「良い感じだね」
「何がだよ?」
不機嫌そうに言う陣に、友哉はニッコリ笑って見せる。
「今まで僕達は、デュランダルと言う存在が、いるのかどうかさえ判らなかった。でも、こっちのアクションに対して、明確なリアクションが返された。これは、敵を覆っていたベールが着実に剥がされている事を意味している」
友哉は確信を持って断言した。
「デュランダルは確かにいる。そして、間違いなく僕達の近くまで来ている筈だよ」
魔剣狩りに関する確かな手ごたえを、友哉は今、確かに感じていた。
教室に入ると、茉莉は自分の席へと足を向ける。
何人かのクラスメイトと挨拶を交わしてから、自分の席へと座る。
隣の席は未だ空席。それはそうだ、つい先ほど、友哉は相良陣に呼ばれて別行動をとっているのだから。
相良と言えば、彼がこの武偵校に入っている事も茉莉にとって予想外だった。
相良とは前の仕事の時に一緒になっている。今、顔を合わせる訳にはいかなかった。幸いにして、今のところばれた形跡はない。
まったく、いくら不調とは言え、これだけ重大な情報を見逃すとは。下手をすれば作戦が崩壊しかねない失態である。
自分の上役に心の中で文句を言いつつ、思考は別の方向へと切り替える。
『それにしても・・・・・・』
茉莉は未だ空いたままの、隣の席を見やる。
緋村友哉。
不思議な空気を持った少年だと思う。
出会ってから、まだそれほど時間が経っていないと言うのに、なぜか話していて落ち着く気がする。
その答えが何なのか茉莉には判らない。
『僕達は、もう、友達でしょ』
そう告げた時の優しげな眼差しが、いつまでも脳裏から張り付いて離れない。
友哉の事を考えるだけで、胸に針が刺さったような痛みを感じる。
『でも・・・・・・』
湧き上がりかけた感情を、茉莉は強引に打ち切る。
『私はいずれ、彼等を裏切らなきゃいけない』
それは既に、確定された未来であり、やがて来る予定調和でもある。
その時、友哉がどんな顔をするか、瑠香がどんな思いになるか、それを想像できない訳ではない。
だが、
『それでも私には、成さなければならない事がある』
例え、全てを斬り捨てたとしても、手にしたい物がある。
胸の奥に秘めた悲壮な決意の元、茉莉は自分の運命を受け入れる。
全ては、己が望みの為に。
3
それから数日は、特に動きも無いままに推移した。
友哉は不知火から借りたIpodに耳を傾けながら、階段を上っている。
曲名は「フー・ショット・ザ・フラッシュ」。アドシアードの閉会式で友哉達がバンドを組んで歌う曲である。因みに友哉のポジションはボーカルを任された。当日までにちゃんと覚えないと、武藤に轢かれそうなので頑張って憶えているところである。
あの後、幸いにしてキンジの風邪は一日で回復し、翌日には学校に出てきていた。
何でも、白雪がわざわざ件の特濃葛根湯を買って来てくれたらしい。全く持って、白雪のキンジに対する献身ぶりは大した物と言わざるを得ない。
だが、一難去ってまた一難と言うべきか、新たな問題に頭を悩まさなければならなかった。
キンジとアリアが仲違し、アリアが白雪の護衛任務から外れてしまったのだ。
性急と言わざるを得ない。せめてアドシアードが終わるまでは護衛を継続してほしかったのに。特にデュランダルの影が見え始めている現状にあっては尚更だった。
だが、取り合えずはキンジだけは護衛として残っている。加えてアリアが残して行った策もまだ生きていた。
その策を確認する為、友哉は狙撃科棟に足を運んでいた。
屋上の扉を開くと、四方を海にして東京湾を一望する事ができる。
因みに今夜、東京ウォルターランドで花火大会が催される事になっている。瑠香にはさんざん連れて行ってくれとせがまれたが、流石に任務中にそれはできない。その代わり、今夜、友哉の部屋で茉莉も誘って三人で遠くの花火を眺めながらちょっとした宴会をやる事になっていた。
目当ての人物は壁に背を預けて体育座りをしていた。
「レキ」
名前を呼ぶと、緑掛かったショートヘアの少女、レキは振り返った。
白雪を護衛するに当たって、二人では手に余ると考えたアリアが、予めレキにも声を掛け、手の空いている時に遠距離から監視するよう依頼していたのだ。その依頼は、アリアが外れた今でも有効である。
「様子はどう?」
「異常ありません。先程、護衛対象の白雪さんはキンジさんと一緒に生徒会室に入ったのを確認しています」
2キロ以上の狙撃能力を持つレキにとって、校内を監視する事くらいは造作も無い話である。武偵殺しが起こしたバスジャック事件の時も、その能力を活かして活躍している。
もし友哉の包囲網やキンジの護衛が突破された時、彼女が白雪を護る最後の砦となる。
「そっか。はい、差し入れ」
そう言うと、友哉はカロリーメイトのチーズ味を一箱差し出す。レキはいつも、これを常食しているのだ。味気ない食事と言えばそうだが、忍耐力が要求されるスナイパーと言う兵種に置いて、食事も短時間で済ませる必要がある。そう言う意味で、このカロリーメイトは最適なのだろう。
レキは少しの間、友哉の顔とカロリーメイトの箱を見比べたあと、黙って受け取った。
その様子に、友哉は苦笑する。
この娘も、茉莉とはまた違う意味で感情の起伏が乏しい。いや、感情が見られないと言う意味では茉莉以上かもしれない。これが先天的な物なのか、あるいは後天的な物なのかは判らないが、本人同士が一緒にいる所を一度見てみたいと思った。
いや、やっぱりだめだ。どう考えても間が持たない事は目に見えている。
「それじゃ、引き続き宜しく頼むよ」
そう告げる友哉にレキは、今度は返事を返さず、ただコクリと首を縦に振った。
夜になり、友哉は部屋の片づけを終えると、予め買って来て置いた食べ物や飲み物を机の上に並べた。
ここ数日、部屋を占領していたデュランダル関連の書類の山も今は無い。
全て片づけて、今は綺麗に掃除もしてある。
朴念仁を地で行く友哉でも、正式に客を招く時にはこれくらいの気遣いはする。
買っておいた菓子とジュース、紙コップを並べ終えた所で玄関のチャイムが鳴った。
ややあって、パタパタと二人分の足音が聞こえて来た。
「やっほー、友哉君こんばんは」
瑠香は手にした風呂敷包みを掲げながら入って来た。どうやら何か作って来たらしい。
「今日は作って来なくて良いって言ったのに」
「良いから良いから、あっても困らないでしょ」
確かに、瑠香の食事は美味しい。あればそれだけで嬉しいのは確かだ。
今日は瑠香も防弾制服ではなく、長袖のTシャツに短パン、膝上の二―ソックスと言う恰好をしている。
「おろ、瀬田さんは?」
「いや~、それがね」
瑠香は意味ありげな視線を、廊下の方に流す。
すると、廊下の影から顔を半分だけ出した茉莉の姿がある。
「瀬田さん?」
「ッ」
すると何を思ったのか、茉莉は首を引っ込めてしまった。
そんな茉莉の様子に焦れたように、瑠香が歩み寄って手を引っ張る。
「ほ~ら、何やってんの茉莉ちゃん」
「やっ、し、四乃森さんッ」
とっさに足を踏ん張ろうとするが、抵抗空しく茉莉はリビングに引きずり出された。
その瞬間、友哉は思わず息を呑んだ。
茉莉もまた、私服姿でそこにいた。
うすい青色の半袖Yシャツに、首には薄手のパーカーの袖を結んで引っ掛けている。下は黒字に緑のチェックが入ったミニスカートを幅の太いベルトで止めているが、丈が武偵校の制服並みに短く、今にも下着が見えてしまいそうだった。
「あ、あの、あんまり見ないでください」
「あ、ああ、ごめん」
恥ずかしそうに体を小さくする茉莉と、慌てて眼を逸らす友哉。
そんな二人を、瑠香は楽しそうに眺めると、茉莉の方を持って前へ押し出す。
「ほら、だから言ったでしょ、友哉君はこう言うのが好きだって」
「は、はい・・・・・・」
「い、いや、別に僕は・・・・・・」
言いながら、友哉はもう一度視線を上げて茉莉を見る。
「か、可愛いよ」
一言、そう告げるのがやっとだった。
「あ、ありがとうございます」
対して茉莉も、それだけ言うと黙りこんでしまった。
その時、
ヒュゥゥゥゥゥゥゥ ドォォォン
遠雷のような音が鳴り響き、遠くの夜空に大輪の花が咲き誇った。
「あ、始まりました」
「おっと、じゃあ、ベランダ行こうか」
「そうだね、あ、電気消すよ」
瑠香が電気を消すと、各々手に飲み物を持ちベランダへと出る。
灯が落ちた闇の中で、巨大な花火が打ちあがり、咲いては散って行く。
距離があり、間に遮蔽物もある為、角度的に見えない場合もあるが、それでも大きく打ちあがった物はベランダからでも見る事ができた。
三人は、暫くの間、お互いの顔を一瞬だけ照らし出してくれる遠くの彩炎に、浮かされたように見入っていた。
マナーモードにした携帯電話がメールの着信を知らせ、茉莉はスカートのポケットから取り出して液晶を見る。
『全ては整った。決行は近い。次の指示を待て J 』
茉莉は黙したまま、携帯電話を閉じた。
第4話「宵闇に咲く謀略の花」 終わり