緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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ブラド編
第1話「殺人鬼の刃」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝

 

 緋村友哉は目を覚ますと、硬くなった筋肉を思いっきり伸ばしながらベッドを下りる。

 

 時刻は朝の5時。一般的な学生にしては早すぎる起床時間だが、子供の頃から朝稽古が習慣化していた友哉にとっては、これが普通なのである。

 

 遠くの汽笛以外に聞こえる物が何もない静かな時間。

 

 いや、耳を澄ませば、他にも聞こえる音がある。

 

 友哉が寝ているベッドの、隣に置かれた二段ベッドの下段から、静かな寝息が二つ、重なり合うように聞こえて来る。

 

 そこには同居人の四乃森瑠香と瀬田茉莉が、同じベッドで向かい合うように寄り添って眠っていた。

 

 引っ越してきたその日の夜に瑠香が『茉莉ちゃん、一緒に寝よ』と言った事でこうなったのだが、それが今もまだ続いているのだった。

 

 先の魔剣事件の影響で住んでいた寮を失い、友哉の部屋に転がり込む事になった二人であるが、元々頻繁に出入りしていた事もあり、今やこの部屋にいる事が当たり前のようになっていた。

 

 ちなみにここは男子寮であり、普通ならば女子の出入りに関しては制限されるべきなのである。が隣の友人、遠山キンジの部屋には神崎・H・アリアや星伽白雪が入り浸っている。分けても生徒会長である白雪が出入りしているのだから、そんな寮則、あってないような物である。

 

 何よりこれが教務課からの命令である以上、異を唱えるつもりは友哉には無かった。

 

 特徴的な赤茶色の髪を後ろで縛り、部屋を出ると、キッチンへ向かう。

 

 冷蔵庫を開け、卵3つとレタスを取りだした。

 

 瑠香は最近、朝はパンにこだわっているとかで、そちらをよく食べている。だからついでにバターとイチゴジャムも用意した。

 

 一方で茉莉は、朝は和食じゃないと調子が出ないとかいう理由で、必ずご飯を食べたがる。その為昨夜の内から米を炊き、味噌汁の用意も済ませていた。

 

 因みに友哉は、その日の気分でメニューを変えたりするので特にこだわりのような物は無い。強いて言うなら、今日は洋食の気分だったので、パンを1人分余計に用意した。

 

 そうして準備を整え、3人分の目玉焼きを焼いていると、眠い目をこすりながら瑠香が起きて来た。

 

「ふぁ~、おあようごやいまふ、ゆうやくん」

「おはよう、着替えて顔洗っておいでよ。準備しとくから」

「うん・・・」

 

 おぼつかない足取りで自分の部屋へと向かう瑠香。

 

 因みにこの部屋は4人部屋であり、寝室以外にも廊下に面して4つの個室がある。元々は友哉1人しかいなかったので使っている部屋も1つだけだったが、今は瑠香と茉莉もそれぞれ一部屋ずつ使っている。

 

 やがてテーブルに朝食が並び、インスタントコーヒーを入れる頃、茉莉が起き、瑠香も着替えてやって来る。

 

「おはようございます」

 

 起き抜けであるにもかかわらず、茉莉の方はしっかりした口調で挨拶すると、自分の席へと着いた。

 

 瑠香も揃い、友哉がそれぞれの席の前にコーヒーを置くと、朝食の準備は整った。

 

「「「いただきます」」」

 

 3人で唱和して食べ始める。

 

「ん、友哉君、ちょっとこの目玉焼き、焼き過ぎじゃない?」

「ごめん、そうだった?」

「私はこれくらいでちょうど良いです」

「そうかな、もうちょっと柔らかい方がおいしいのに」

「緋村君、このおみそ汁は美味しいです」

「そっか、良かった」

 

 そんな事を話しながら、朝の食事は進んで行く。

 

 朝食が終わると、片づけは茉莉と瑠香が担当し、その間に友哉は自分の部屋に入って準備をする。

 

 教科書、筆記用具、ノート。そして、愛刀である逆刃刀。

 

 幕末の刀匠、新井赤空の手によって打たれたこの刀は、打たれてから1世紀半の時間が経過しているにもかかわらず、その斬れ味は一切の衰えを見せていない。

 

 新井赤空と言えば、無数とも言える数の刀を打ち、倒幕派、佐幕派を問わず多くの者達に愛好された事でも有名である。

 

 愛好された、すなわち、その多くが実戦に用いられ、たくさんの人間がその刃の下に血しぶきを上げ散って行った事を意味している。

 

 新井赤空の作の中で、特に有名なのが、彼が技術の限りを尽くして作り上げた、数々の「奇剣」であろう。

 

 二本の刃を狭い間隔で並走連結させ、相手に斬りつける事によって縫合不能な傷を負わせ、最終的に死に至らしめる『連刃刀』。

 

 刃の強度を保ったままギリギリまで薄く鍛え、同時に2メートル以上の刀身を与える事で、鞭の如き扱いを可能とした『薄刃之太刀』。

 

 刃の強度を保ったままわざと鋸状に鍛え、刃毀れする事を防ぐ『無限刃』

 

 そして、友哉の先祖である緋村抜刀斎が使用したとされ、刃のみならず、峰、鍔にも刃を備えた『全刃刀』。

 

 それらの奇剣は、その殆どが幕末や明治の混乱期に破棄、あるいは破壊され現代に伝わっていない。

 

 新井赤空最後の作が、この逆刃刀だと言われている。

 

 人を殺す刀ばかりを作って来た赤空が、このように殺人を否定するような刀を作ったのか、また、なぜその刀を抜刀斎に託したのかは判らない。どのような心の変化があったのかは、後世に生きる友哉には推察する事しかできない。

 

 逆刃刀の刀身には「我を斬り 刃鍛えて 幾星霜 子に恨まれんとも 孫の世の為」と言う赤空の詩が彫られている。

 

 もしかしたら、赤空は己の刀を使う人間が、いずれ平和な世を作り、子供や孫が生きる時代を護ってくれると思いたかったのかもしれない。

 

 友哉は逆刃刀を腰のラックに装備すると、鞄を持って部屋を出る。

 

 古の人達の想いを継ぐのは、自分達の役目なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉は重い空気を引きずるように、廊下を歩いている。

 

 これから向かう場所は、できる事なら避けて通りたい場所である。

 

 教務課(マスターズ)

 

 未だに現役武偵を務める百戦錬磨の教員達がひしめき、殺気立った空気を常時撒き散らしている場所。

 

 武偵校三大危険地帯に指定されているその教務課に、友哉は今向かっていた。

 

 しかも、これから会うのは強襲科教師の蘭豹。「人間バンカーバスター」の異名を持ち、香港では無敵の武偵と恐れられた女だ。当然、東京武偵校でも掛け値なしの危険人物として恐れられている。

 

 だが、歩いていれば目的地に付いてしまうのは道理である。

 

 蘭豹の部屋の前に立つ友哉。

 

 一度大きく息を吸い、そして吐き出す。

 

 そして意を決すると、ドアをノックした。

 

「失礼します。強襲科(アサルト)2年、緋村友哉、入ります」

 

 そう言うとドアを開けて中に踏み込む。

 

「おう、緋村、よう来たな」

 

 笑いながら手を上げている大女が、強襲科の凶悪教師蘭豹である。美人である事は間違いないのだが、190センチ以上の長身と、全身筋肉の体からは女らしさのかけらも感じる事はできない。その名の如く肉食の獣その物だ。

 

 主な武装は「像殺し」の異名で知られる程の凶悪な威力を誇る回転式拳銃S&W M500だが、彼女はそれを片手で撃てると言うのだから、その力は押して知るべしと言う物だった。

 

 部屋には他にも人がいた。

 

「あなたは・・・・・・」

 

 そして驚くべき事に、その人物は友哉とも顔見知りだった。

 

「よう、緋村、久しぶりだな」

 

 40代前半ほどのその人物は、ガッシリとした体付きをした男性で、いかつい顔の割に人懐っこい表情を浮かべる男性だった。

 

「長谷川さん・・・・・・」

 

 長谷川昭蔵(はせがわ しょうぞう)。それが男の名前だった。

 

 東京地検特捜部に所属する武装検事であり、以前、友哉が従姉の女性に付いて武偵助手をしていた時期に知り合い、何度か仕事を共にした事もある。

 

 武装検事とは日本国内にあって、「殺しのライセンス」を持つ公務員である。凶悪犯に対する殺傷権限を持ち、その実力は国内最強と言って間違いない。

 

「長谷川さん、どうしたんですか、こんな所に?」

「ああ、実はな、お前さんにちょいと用があってな。近くに来たついでに寄らせてもらった」

「飯屋じゃないんやで。ついでで来るような場所かいな」

 

 蘭豹は呆れたように言う。

 

 どうやらこの2人は知り合いらしい。

 

 公務員の武装検事と、あくまでも民間委託業務である武偵では、相性が悪いとまでは言わなくても、良好な関係を結ぶのは難しいように思える。事実、友哉の従姉と長谷川はあまり仲が良いとは言えず、仕事の場でかち合っては険悪な雰囲気を作り、間に立つ友哉をハラハラさせていた。

 

 しかし蘭豹と昭蔵はまるで長年の友人であるかのように、気さくに話し合っていた。

 

「じゃあ、蘭豹、悪ぃが、こいつ連れてくぞ」

「おう、持ってけ持ってけ。何なら殺してくれても構わんで」

 

 物騒な事を言う蘭豹の部屋から逃げるように出て、先を行く昭蔵の隣に並ぶ。

 

「長谷川さん、蘭豹先生と知り合いだったんですね」

「おお、奴とは飲み友達だ」

 

 飲み友達、と言うが、蘭豹はあれでまだ19歳、未成年である。もっとも、授業中であろうと、酒をかッ食らっているような女である。日本の法律なんぞ関係ないのかもしれない。

 

「前に大阪で仕事した時に知り合って、その後打ち上げついでに飲みに行ったんだがな、あいつの話は聞いてて面白ェから、飲んでるうちにすっかり意気投合しちまったのさ」

「そうだったんですか」

 

 香港最強の武偵と日本最強の武装検事。互いに何か相通じる者があったのかもしれない。

 

「そう言えば緋村、お前、昼飯は食ったか?」

 

 まだである。3限目の終わりに蘭豹に捕まり、昼に教務課に来るように言われた為、昼食を取る暇がなかった。

 

「よし、じゃあ、先に食いに行くぞ。この間、品川に良い店見付けたんだ」

 

 そう言うと、大股で歩き出す昭蔵を友哉は慌てて追いかけた。

 

 

 

 

 

 長谷川昭蔵と言えば、ちょっとしたグルメ家としても知られていた。

 

 趣味は食べ歩きであり、美味しいと言う噂の店があれば、和洋中の別を問わず自ら足を運び、自らの舌で持って噂の真偽を確かめている。

 

 忙しい検事の仕事の傍ら、よくそんな暇がある物だが、これで仕事はきちっとこなす人物であり部下からも信頼が厚い。何度か一緒に仕事をした事がある友哉も、彼が部下達を見事に指揮して凶悪犯を制圧する場面を何度も見て来た。

 

 そんな昭蔵がお勧めする店だ。間違いは無いだろう。

 

 昭蔵が運転する車で連れて来られた店は、天麩羅をメインにした和食屋で、品川区の外れの方にある小さな店だった。

 

「ここの海老は、なかなか大したレベルなんだよ」

 

 そう言って暖簾をくぐる昭蔵。

 

 店の店主とは既に顔馴染なのか、「いつもありがとうございます」などと、親切に声を掛けられている。

 

 昭蔵は一番奥のテーブル席に腰掛けると、友哉はその反対側に向かい合って腰掛けた。

 

「そう言えば緋村、明神の奴は元気か?」

「あ、はい。今はうちの実家の道場の方で、子供達に剣道教えてます」

 

 友哉の従姉で元武偵の明神彩(みょうじん あや)は今年で26歳になる。

 

 元は武偵庁直属の武偵であり、数々の凶悪犯を捕縛した凄腕武偵であったが、結婚を機に引退。今は友哉の実家である神谷活心流緋村道場で師範代を務めている。昨年子供も産まれ、武偵をやめた後も私生活は充実していた。

 

 武偵時代は、攻撃よりも防御・カウンターに優れた戦術を得意とし、作戦中に敵味方、誰1人として死なせなかった事で有名である。友哉と模擬戦をやれば、仮に友哉が飛天御剣流の技を使っても、彼女の防御を抜くのは容易ではない。

 

 因みに、昭蔵との仲は先述したとおり険悪で、顔を合わせれば喧嘩をしていたという記憶があるが、実際には彩が昭蔵を毛嫌いし、昭蔵が面白がって彩をからかう、と言うのがいつもの構図であった。

 

「ありゃ、良い女だったからな。俺があと20若けりゃ、放っては置かなかったんだが」

「奥さんに言いつけますよ」

「おっと、こいつは藪蛇」

 

 昭蔵はおどけたように首を竦めて、苦笑しながら熱い茶を一息に飲んだ。

 

 やがて、頼んだメニューが運ばれて来る。

 

 流石はグルメ通、長谷川昭蔵お勧めの店だ。

 

 舞茸や山菜、穴子などを揚げたものが仄かに湯気を発し、何ともうまそうである。

 

 しかし何と言っても目を引くのは、皿の中央に鎮座した大きな海老だろう。身の部分だけ殻を向いて揚げられた海老は何とも美味そうな色を見せていた。

 

 天ツユと塩、両方用意されており、そのどちらも舌の上でとろけるような触感を齎した。

 

 やがて、食事も進み、付け合わせの漬物を口にしていると、昭蔵が話しかけて来た。

 

「なあ、緋村よ」

「はい?」

 

 何気ない感じで声を掛けて来た昭蔵。しかし、その瞳はまるで戦闘前のように真剣な表情を作っていた。

 

 何か真面目な話なのだろうと思い、友哉は居住まいを正して耳を傾ける。

 

「お前、最近、イ・ウーの連中とドンパチやりあってるそうじゃねえか」

「あ、はい」

 

 《仕立屋》由比彰彦、《武偵殺し》峰・理子・リュパン4世、《銀氷の魔女》ジャンヌ・ダルク30世、《天剣》瀬田茉莉。この2カ月で、これだけの者達と刃を交えている。

 

 流石は武装検事と言うべきか、友哉達がイ・ウー構成員と何度か交戦した事を昭蔵は既に掴んでいたらしい。

 

 だが、次に昭蔵が言った言葉は、友哉を驚愕させる物だった。

 

「やめときな、あいつ等の相手はお前にはまだ早い」

「え?」

 

 驚く友哉に、昭蔵は真剣な眼差しを向けて言う。

 

「連中は普通じゃねえ。それはお前だって判ってんだろ」

「それは、まあ・・・・・・」

 

 今まで戦って来た連中は、1人として一筋縄で勝てるような連中ではなかった。それは身を持って体験している。

 

「長谷川さん、イ・ウーって言うのは一体何なんですか?」

 

 この質問は、アリアにも茉莉にもした事がある。だが、2人ともその話題になるとはぐらかすが口を閉ざすかして、頑として教えてはくれなかった。

 

 まるで霧の中に見え隠れする不気味な怪物のように、イ・ウーは友哉の目の前にその片鱗のみを見せ、未だにその全容を現そうとはしなかった。

 

 だが、この質問をした瞬間、昭蔵はその顔を更に険しくした。

 

「悪いがそいつは言えねえ。言えば、俺はお前を消さなくてはいけないって事にもなりかねねえからな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に戦慄が走る。

 

 国内最強と言われる武装検事にそこまで言わせる事は、最早恐怖以外の何物でもない。

 

 武装検事に狙われたら最後、命は言うに及ばず、個人情報、カード類、痕跡、その全てが抹消され、「そのような人物はいなかった」事にされてしまう。

 

 一見すると、気さくな親父に見えるこの長谷川昭蔵にした所で、先祖は「鬼」と恐れられた火盗改めの長官であり、彼自身、その血を色濃く受け継いでいる。

 

 これは脅しではない。そして、今日昭蔵が友哉の前に現われたのも、たまたまではない。昭蔵は今日、友哉に警告を与える為に武偵校に来たのだ。

 

 もし、友哉が昭蔵と戦ったら・・・・・・

 

 間違いなく友哉は負けるだろう。それほどまでに、この男との実力差は隔絶していた。

 

 と、そこで、それまで緊張の極致にあった空気が緩和した。

 

「ま、何だ、お前はまだ若い。それに学生だ。名を上げる機会なら、これからいくらでもある。そう焦る事はねえだろ」

 

 そう言って、昭蔵は元の気さくな感じに戻る。

 

「今はまだ、もっと安全な仕事やって、地道に点数稼げよ。それが、この業界で生き残る確実な道だぜ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言って茶を飲む昭蔵の顔を、友哉はジッと眺める。

 

 昭蔵が言う事に、一理ある事は認める。

 

 認めるが、

 

 友哉とてプロの武偵を目指す身。理由も知らされず、ただ黙って手を引け、などと言われて納得が行く筈がなかった。

 

「納得できねえか。まあ、そうだろうな」

 

 どうやら友哉の子の反応は予想済みだったらしく、湯呑を置くと昭蔵は立ち上がった。

 

「なら、着いてきな。お前にも教えられる範囲で教えてやる」

 

 そう言うと、勘定を済ませて店を出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緋村、お前さん、『黒笠』は知っているか?」

 

 愛車を運転しながら尋ねて来る昭蔵に、友哉は振り返って答える。

 

「武偵校のライブラリで見た事があります。確か、東南アジア一帯で指名手配されている殺人犯でしたよね」

 

 話には聞いていた。

 

 要人暗殺を主に行うテロリストで、犯行時には古風な漆黒の編笠を被って現われる事からそう呼ばれている。

 

 奇妙なのは、黒笠と対峙して、重傷を負いながらも生き残った人間全員が「急に体が動かなくなった」と証言している事だった。

 

 恐らく理子やジャンヌと同じ、超能力者、ステルスの類なのだろうと推察できるが、それ以上有力な情報が無い為真偽の程は判らなかった。

 

「その『黒笠』が、最近になって日本に入った言う情報を掴んだ」

「えっ!?」

 

 凶悪な殺人鬼が、この国にいると言うのか。

 

 そんな事を話している内に、昭蔵は車を止めて友哉にも降りるように促した。

 

 そこは品川区の一角なのだろう。ただ繁華街などに比べると、どうにも寂しい雰囲気の場所で、元は何かの向上だったのだろうが、今は寂れて廃墟と化している。

 

 なぜ昭蔵は、このような場所に友哉を連れて来たのか、真偽を計りかねていると、1人の男が物陰から駆けよって来た。

 

「検事、お待ちしていました」

「ん。状況は?」

「既に包囲は完了しましたが、連中に動きはありません」

 

 どうやら、ここは何かの事件の現場であるらしい。

 

 そして、友哉も気付いた。

 

 肉眼では確認できないが、そこら中の物影に潜んでいる人間がいる事を。

 

 巧妙な気配の隠し方からして、彼等は地検の部隊、それも武装検事直属の特殊部隊だと思われた。

 

「よし、じゃあ始めるか」

 

 気負いの感じられない、それでいて殺気を充分に満たした声で昭蔵は命じた。

 

 次の瞬間、

 

 ドンッ

 

 耳に響く音と共に、廃工場の正面鉄扉が爆破された。

 

 同時に潜んでいた者達も、一斉に内部へと突入していく。

 

「東京地検特捜部だ、大人しくしろ!!」

 

 警告に対する返事は、銃撃によって返される。

 

 敵も武装していたようだ。突入班の何人かが銃弾を食らって倒れるのが見えた。

 

 反撃はすぐに返された。

 

 数は圧倒的に味方の方が多い。

 

 敵も必死に応戦するが、火力が違いすぎた。

 

 抵抗の銃声はやがて散発的な物へと変わって行くのが判った。

 

 友哉や昭蔵が手を出すまでも無く、事態は終息へと向かっていた。

 

「ふん、どうやら見込み違いだったみてぇだな」

「見込み違い?」

 

 つまらなそうに鼻を鳴らす昭蔵に、友哉は訝りながら尋ねる。

 

「ここは数ヶ月前から内偵を進めていた東南アジア系マフィアのアジトなんだよ」

 

 その説明を聞いて、友哉は成程、と頷いた。

 

 最近では、こうした外国のマフィアグループが日本に入り込み、武器や麻薬の密売を行うケースが増えている。ここもそうした組織の一つなのだろう

 

「情報によると黒笠の潜伏先の可能性があるってんで警戒していたんだが、残念ながら奴はいねえみてぇだな」

 

 昭蔵は少し残念そうに言うと、手持無沙汰になった両腕を組む。この場は彼が直接動かなくても、他のメンバーだけで制圧は充分に可能だろう。

 

 元々いなかったのか、それとも危機を察していち早く逃亡したのか。いずれにしても、東京地検の今回の作戦が、画竜点睛を欠いた物になってしまったのは否めなかった。

 

 その時だった。

 

「け、検事ッ!!」

 

 突入班の1人が素っ頓狂な声を上げた。

 

 次の瞬間、

 

 その男は背中を袈裟掛けに斬られ、血しぶきを上げた。

 

 思わず友哉は眼を向く。

 

 武装検事直属の部隊であるのだから、当然、防弾装備はしっかりしている筈である。その防弾服の上から斬られたのだ。

 

 場に戦慄が走る。

 

 一体何があったのか。

 

 身を乗り出そうとする友哉を、昭蔵は片手で制した。

 

 緊張の坩堝が口を開く中。

 

 そいつは現われた。

 

 肩から膝下まですっぽりと覆う黒い防弾コート。口元にはマフラーを巻き、そして、頭には随分と古風な漆黒の編笠を被っている。

 

 笠とマフラーのせいで表情はまったく見る事ができず、男か女かすら判別できない。

 

 背は友哉より高く、恐らく160から170センチの間くらいだろう。

 

 その幽鬼のような出で立ちに、その場にいる誰もが気圧される思いだった。

 

「この野郎!!」

 

 突入班に所属すると思われる3人の男が、それぞれ銃を手に《黒笠》へと襲い掛かる。そのまま近接拳銃戦へと持ち込もうとするようだ。

 

 だが、その時、《黒笠》の奥で目が光ったような気がした。

 

『あれはッ』

 

 友哉が心の中で呻いた瞬間だった。

 

 突如、全身に重りを乗せられたような緊縛感に襲われた。

 

「ッ!?」

 

 体が、動かない。いったい、何があったのか。

 

 誰もが驚愕に満ちる中、《黒笠》は1人動く。

 

 手にした日本刀が閃いたと思った瞬間、地検職員3人はそれぞれ斬られて地に伏していた。

 

「・・・・・・クックックッ」

 

 笠の奥から、くぐもった笑い声が聞こえて来る。

 

 友哉は眼を細めた。

 

 こいつ、殺人を楽しんでいる。

 

 言いようのない怒りが、胸の内から湧き上がって来るのが判る。

 

 こんな奴が日本にいて、多くの人を殺し、そしてこれから多くの人を殺す。

 

 そんな事が許せるか?

 

 否

 

 断じて否だッ。

 

「ククク・・・次は・・・どいつだ?」

 

 掠れるような声で、獲物を探る《黒笠》。

 

 その時、

 

「ふざけるな・・・・・・・・・・・・」

 

 内から湧き上がる炎にも似た激情のままに叫ぶ。

 

「命を・・・・・・何だと思っているんだ!!」

 

 放たれる気合。

 

 同時に、それまで体を責め苛んでいた重りが、嘘のように消え去る。

 

 動けるッ。

 

 戦えるッ。

 

 次の瞬間、友哉は地を蹴って《黒笠》へと接近、逆刃刀を鞘走らせる。

 

「ククク・・・お前、か・・・・・・」

 

 向かって来る友哉を見て、良いカモが見つかったとばかりに、刀を振りかざす《黒笠》。

 

 対して友哉は、神速の勢いで斬り込んだ。

 

 ギンッ

 

 互いの刃と刃がぶつかり合い、火花を虚空に散らす。

 

 友哉は空中に浮いたまま、刀を返し袈裟掛けに斬り下ろそうとする。

 

 対して《黒笠》は、その動きに冷静に対処、友哉の剣を全く慌てた様子も無く弾いて見せる。

 

「クッ!?」

 

 その凄まじい膂力は、宙に浮いたままの友哉の体を押し返す程であった。

 

 着地する友哉。

 

 そこへ黒笠が斬り込んで来る。

 

 その時、

 

 ダァン

 

 銃声と共に、黒笠の胸に着弾があった。

 

「グッ・・・・・・」

 

 くぐもった声と共に、黒笠の体が揺らぐのが見える。

 

「今だ、緋村!!」

 

 昭蔵が叫ぶ。その手にはS&W M29がある。回転式のマグナム拳銃で、その大威力から来る破壊力ゆえに「世界最強のマグナム」と言う異名を頂いている。

 

 357マグナム弾を胸に受けた《黒笠》は、大きくよろめいている。

 

 その隙を、友哉は見逃さない。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 右手1本で柄を持ち、低空を飛翔するように駆ける友哉。

 

 だが、敵も只者ではない。その時点で、《黒笠》は既に体勢を整えていた。

 

 視線が交錯する一瞬。

 

 白銀の刃は閃光となって互いを貫く。

 

 すれ違う両者。

 

 友哉は地面に足を付き、制動を掛けて急停止した。

 

 同時に、友哉は肩口から血を噴き出す。今の一撃が僅かに掠めていたのだ。しかし、防弾制服を紙のように切り裂く敵の技量は驚愕に値する。

 

 だが、友哉もまた打撃を加える事に成功している。相手の左肩に一撃。仮に黒笠のコートが防弾性だったとしても、この一撃には耐えられない筈である。

 

「クククっ」

 

 相変わらずくぐもった笑いを洩らす黒笠。一見するとダメージを負っているようには見えない。

 

 だがよく見れば、刀を右手で持ち、左手はだらりと下げている。今の一撃が効いているのだ。

 

 友哉は更に追撃を掛けるべく、刀を正眼に構えた。

 

 と、次の瞬間、黒笠は踵を返して友哉に背を向けると、脱兎の如く駆けだした。

 

「待てッ!!」

 

 昭蔵の部下達が次々と銃を向けようとするが、既にその時には黒笠は駆け去った後であった。

 

 だが、

 

「追うな!!」

 

 昭蔵が野太い声で部下達を制する。

 

 黒笠が容易ならざる敵である事は判った。迂闊に追えば藪蛇にもなるだろう。

 

「負傷者の救護と、捕まえた連中の護送準備を急げ」

「了解」

 

 そう言うと、彼等は倒れている仲間達に駆け寄って行く者、建物の中に入りマフィアメンバーの捕縛する者に別れて行動する。

 

 昭蔵も銃をホルダーに仕舞うと、友哉に向き直った。

 

「腕は大丈夫か?」

「かすり傷です。血もすぐ止まると思います」

 

 暫くは疼くような痛みが続くかもしれないが、それも1日~2日の事だろう。軽く動かしてみても、何の問題も無かった。

 

 それにしても、

 

「あれが、黒笠、なんですね」

「ああ、噂じゃ、奴もイ・ウーの構成員の1人だって話だ。それに、あの技、ありゃ、超能力の類じゃねえな」

 

 意外な事を言う昭蔵。

 

 あの時、確かに重しでも乗せられたような感覚と共に、体が動かなくなってしまった。あれが超能力でなくて何だと言うのだろう?

 

「二階堂平法、心の一法だ」

「二階堂平法・・・・・・心の一法?」

 

 聞き慣れない名前だった。

 

「ああ、言ってみりゃ、催眠術と剣術を組み合わせた技だな。催眠術で相手の動きを縛り、その間に斬りつける。外道の技と言えばそうだが、効果は見ての通りだ」

 

 視線を向ければ、黒笠に斬られた者達が地面に転がっているのが見える。中には全く動かず、仲間達が必死に応急手当てをしている者もいた。

 

「じゃあ、僕や長谷川さんが動けたのは、何でですか?」

「催眠術ってのは、ようするに互いの意思同士の鍔迫り合いだ。相手よりも強い意思でもって臨めば、防ぐ事も、解除する事もそう難しくは無い」

 

 民間の催眠療法において、まず相手をリラックスさせてから術を掛けるのは、相手の意思を弱め術を掛かりやすくするという意味合いもある。

 

「て言うかお前、さっき判っててやったんじゃねえのか?」

 

 実は友哉は、昭蔵が縛を解く前に既に黒笠に斬り込んでいた。その為、昭蔵はてっきり、友哉が相手の技の正体と解除法を知っていたのだと思っていたのだ。

 

 対して友哉は、首を横に振る。

 

「いえ、何しろ、夢中だったんで」

「・・・・・・ふうん」

 

 昭蔵は面白い物を見たと言う風に笑みを浮かべた。どうやら目の前の少年は、昭蔵が思っていた以上に成長していたようだ。

 

「緋村」

 

 昭蔵は話を変えるように、真剣な眼差しで口を開いた。

 

「《武偵殺し》、《デュランダル》、《天剣》。こいつ等は手ごわかっただろう?」

「はい」

 

 理子も、ジャンヌも、茉莉も、決してたやすい相手ではなかった。一歩間違えば、敗北の憂き目を見ていたのは友哉の方だったかもしれない。それほど、彼女達との戦いはギリギリのレベルで行われたのだ。

 

「だがな、奴等はイ・ウーでは末端構成員に過ぎないって言われている。その末端が倒された以上、奴等はそろそろ本腰を上げてくる可能性もある」

 

 友哉は、僅かに喉を唸らせるようにして驚きの声を飲み込む。

 

 まさか彼女達ほどの実力者が、末端構成員に過ぎないとは。では、幹部クラスともなるとどれほどの怪物である事か。

 

「お前が明神の後をうろちょろしていた頃に比べて、予想以上に成長していた事は認めてやる。だがな、お前が消えて喜ぶ奴は、そんなに多い訳じゃねえだろ。なら、せいぜい長生きする道を選べよ」

 

 そう言い残すと昭蔵は、倒れている部下が心配なのか、そちらの方へ歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園島に戻った友哉は、寮へと続く道を1人歩いていた。

 

 あの後、昭蔵は事後処理があると言う事だったので、彼の部下に送ってもらったのだが、ちょっと歩きたい心境だったので、学園島に入ったところで下ろしてもらった。

 

 殺人鬼《黒笠》。

 

 まだ、対峙した時の感覚が抜けない。

 

 まるで毒蛇を目の前にした時のような、肌が泡立つ緊張感。人殺しを楽しむような態度は、正に殺人鬼その物である。

 

 それに、あの二階堂平法心の一法とかいう技。今回はたまたまうまく解除できたが、次も同じようにできるか判らない。《黒笠》と戦うなら、あの技の攻略法を身に付けるのは急務だった。

 

 そこで友哉は、ふと、自分が再び《黒笠》と戦う事を想定している事に気付いた。昭蔵からは手を引けと言われたのに。

 

 だが、友哉とて武偵を目指す者だ。普段は温厚な性格でいる為イマイチ周囲からは判り辛いが、10代故の根拠の薄い自尊心も相応に持ち合わせている。

 

 理由も言われず、背景も語られず、ただ手を引くよう言われて、はいそうですかと引き下がれる訳が無かった。

 

 それに、茉莉、理子、アリアと知り合いにイ・ウーと関係している者が多くいる。そこから抜け出した者、まだ在籍している者、そして戦っている者。理由は様々であるが、彼女達との付き合いの深い友哉は、既に深いところまで足を踏み入れていると言っても過言ではなかった。

 

 その時、友哉の行く手を塞ぐように小柄な影が立ちはだかった。

 

 顔を上げて、相手の顔を確認する。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 とっさに、刀の柄に手をやった。

 

 そこにいたのは友哉の知り合いである。だが同時に、この場にいない筈の人物であった。

 

「ヤッホー、ユッチー、お久しぶり。元気だった?」

 

 金色のゆったりとしたツーサイドアップに、小柄な体。フリフリの多い改造武偵校制服。

 

 4月のハイジャックの際に取り逃がした《武偵殺し》峰・理子・リュパン4世が、まるでその場にいるのが当たり前であるかのように立っていた。

 

「・・・・・・理子、なぜ君がここに?」

 

 友哉は警戒を解かず、刀に手を置いたまま尋ねる。

 

 互いの距離は3メートルも無い。完全に友哉の剣の間合いである。この距離なら仮に理子が銃やナイフを抜いたとしても友哉が斬り込む方が速い。

 

「やだなあ、そんな警戒しなくたって、ここでユッチーと戦う気は無いよ」

 

 それに、と理子は続ける。

 

「もう、そんな事する必要も無いしね」

 

 その言葉に、友哉はピクリと眉を動かす。

 

 武偵校の制服を着て堂々と現れた理子。そして、もう戦う理由は無いというセリフ。

 

 その事から、ある可能性に辿り着く。

 

「司法取引による、武偵校復帰・・・・・・」

 

 可能性がない訳じゃない。現に、陣、茉莉、ジャンヌはそうして武偵校に編入している。

 

「ピンポーン、大正解。そんな訳で、理子りんは帰って来ちゃったわけです」

 

 おどけたように言う理子。

 

 対して友哉は警戒を解かないまでも、刀を掴んだ手を放す。もし仮に理子の言う事が本当だとすれば、理由も無く彼女に危害を加えた場合、裁かれるのは友哉の方、と言う事になる。

 

 そんな友哉に、理子は下から覗き込むようにして近付く。

 

「ねえねえ、ユッチー」

「何?」

 

 警戒しているせいで、つい友哉の口調も素っ気ないものになってしまう。

 

 だが、そんな友哉の態度に構わず、理子は爆弾発言的な言葉を告げた。

 

「理子と一緒に、ドロボーしよう」

「・・・・・・・・・・・・おろ?」

 

 

 

 

 

第1話「殺人鬼の刃」

 


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