緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第6話「上空296メートルの戦場」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前の光景が信じられなかった。

 

 ロザリオを渡し、そして自分の本性を露わにした理子。

 

 その理子が、今、床の上に這いつくばっている。

 

 そして、その理子を倒した人物こそが、彼女の背後に立った男。

 

「小夜鳴、先生・・・・・・・・・・・・」

 

 武偵校救護科非常勤講師にして、最前まで5人がアルバイトと称して潜入していた紅鳴館の管理人、小夜鳴徹がルーマニア製自動拳銃クジール・モデル74を構えていた。30年以上前に正式採用された骨董品のような銃である。

 

「皆さん、ちょっとの間、動かないでくださいね」

 

 全くいつもと同じ調子で小夜鳴は告げる。

 

 その背後から、

 

 グルルルルル

 

 喉を唸らせるような声が聞こえて来た。

 

 目をそちらへ向けると、小夜鳴の背後から白い毛並みの狼が二頭、姿を現した。

 

 友哉は油断なく刀に手を掛けながら、それを見る。そう言えば最近、武偵校に一頭の狼が侵入すると言う事件があった筈。そしてその際に狼に噛みつかれて負傷したのが小夜鳴だった筈。

 

 それももしかして、同じ狼なのだろうか。

 

「皆さんが少しでも前に出たら、襲い掛かるように躾けてありますからね」

 

 狼たちは小夜鳴の背後に控えながらも、いつでも飛びかかれるようにしている。

 

「良く躾けてあるな。腕の怪我も狼と打った芝居だったって訳か」

「紅鳴館での皆さんの学芸会に比べたら、随分ましだったと思いますけどね」

 

 小夜鳴がそう言っている内に、狼の一頭が理子の銃とナイフを咥えてビルの縁から捨ててしまった。

 

「皆さん、動かないでくださいね。この銃は30年以上も前に作られた物ですから、トリガーの掛かりが少し甘いんですよ。間違ってリュパン4世を射殺してしまったら勿体ないですからねえ」

 

 小夜鳴は理子を「リュパン4世」と言った。つまり、正体を知っていると言う事になる。

 

 しかし、そんな筈は無い。理子がリュパン4世である事を知っている人間は、武偵校関連では友哉、キンジ、アリア、そして同じ組織にいた茉莉とジャンヌだけの筈だ。

 

 小夜鳴がその事実を知っているとすれば、すなわち《無限罪》のブラド本人から聞いた事になる。

 

 とは言え、状況は不利かと言えば、そうでもない。

 

 友哉は状況を冷静に見極める。

 

 向こうの戦力として、恐らく小夜鳴は頭数に入れなくて良い。銃の持ち方がどう見ても素人だった。となると、残るは狼2頭と言う事になる。

 

 対してこちらは学生とはいえ武偵が5名。人質である理子さえ奪い返せれば、状況の逆転は充分に可能だ。

 

 友哉はグッと腰を低く落とし、小夜鳴に斬りかかれるようにする。一瞬のタイミングを逃さなければ小夜鳴が引き金を引く前に斬り込める筈だ。

 

「ひとつ、補講をしましょうか」

 

 そんな中で、小夜鳴が言葉を紡ぐ。

 

「人の能力とは遺伝子で決まる物です。親から子へ、子から孫へと。今から10年ほど前、私はブラドに頼まれて、この娘のDNA鑑定を行いました」

「お・・・お前だったのか・・・・・・ブラドに下らない事を吹き込んだのは・・・・・・」

 

 理子はスタンガンで痺れた体に耐えて、必死に首だけで振り返る。

 

 そんな理子を愉快そうに眺めながら、小夜鳴は続けた。

 

「リュパン家の血を引きながら、この子には、」

「や、やめろ、オルメス達には言うな!!」

 

 震えた声で遮る理子。しかし小夜鳴は愉悦に浸るように言ってのけた。

 

「優秀な能力が、一切遺伝していなかったのです。つまり、この子は全くの無能な存在だったのです。遺伝学的にはたまにこう言う事があり得るのですよ!!」

 

 その言葉に、理子は額を床に押し付けて嗚咽を漏らす。無理もない。最も聞かれたくない人間に聞かれたくない事を聞かれてしまったのだ。

 

「自分の無能さは、自分が一番わかっているでしょう4世さん。私はそれを科学的に証明したに過ぎません。あなたは初代リュパンのように1人で何かを盗む事ができない。先代のように精鋭を率いたつもりでも、ほら、この通り。まったく、無能とは悲しいものですね、4世さん」

 

 そう言うと、小夜鳴はポケットから小さなロザリオを取り出すと、その場にしゃがみこんだ。

 

 それはキンジが、本物とすり替えて地下室に置いて来た模造品であった。

 

 小夜鳴は理子の首に掛かっている本物のロザリオを引きちぎると、取り出したロザリオを理子の口の中へと突っ込んだ。

 

「あなたには、こちらのガラクタの方がお似合いですよ。何しろ、あなた自身がガラクタなんですからね」

 

 理子は必死になってもがくが、まだ電撃のダメージが抜けきっておらず全く抵抗できない様子だ。

 

「ほら、しっかり口の中に入れておきなさい。ルーマニアでもこうしていたのでしょう。上手く行ったと思いましたか? わざと盗ませてあげたのですよ。より深い絶望を叩き込む為にね」

「いい加減にしなさいよ!!」

 

 アリアが食ってかかる。

 

「理子を苛めて、アンタに何の得があるって言うのよ!!」

「良い質問です」

 

 アリアの言葉を受けて、小夜鳴は顔を上げる。

 

「絶望が必要なのですよ。彼、ブラドを呼ぶ為にはね」

「ブラドッ」

「そうです。彼は絶望の詩を聞いてやって来るのです」

 

 イ・ウーナンバー2、《無限罪》のブラド。どうやら、その対決は不可避の物となりつつあるようだ。

 

 小夜鳴は更に、理子の顔を足蹴にする。

 

 その瞬間だった。

 

 それまで理子を虐待していた小夜鳴の雰囲気が、徐々に変化していくのが判った。

 

『何だ?』

 

 友哉は警戒を解かないまま、訝るように小夜鳴を見る。

 

 それまでの優男然とした外見は変わらないが、何と言うべきか、気配が一回り大きくなったような気がする。

 

 そう、ちょうど、先程見たキンジの変化に似ていた。

 

「そ、それは・・・・・・」

 

 どうやら、キンジの方でも気付いたようだ。呻くように声を上げる。

 

 それを聞いて、小夜鳴はニヤリと笑う。

 

「そうです、遠山君、これはヒステリア・サヴァン・シンドローム。君と同じでしょ」

 

 ヒステリア・サヴァン・シンドローム。初めて聞く名前だった。

 

 友哉はグッと、腰を落とし、前傾に近い形になる。

 

 小夜鳴が何かするつもりなら、それをする前に仕掛ける必要があった。

 

 そんな友哉の機先を制するように、小夜鳴は声を掛けて来た。

 

「ああ、そうだ、緋村君。今日は君に、どうしても会いたいと言っている友人を連れて来ているのですよ。お待たせするのも何なので、そろそろ出て来て貰いましょう」

 

 一体誰の事を言っているのか?

 

 訝る友哉。

 

 すると、小夜鳴の背後の物影から、人影がゆらりと立ち出でた。

 

 その瞬間、

 

「お、お前はッ!?」

 

 友哉は思わず声を上げた。

 

 漆黒の防弾コートに、腰に差した日本刀、風に靡く防弾マフラー、そして、漆黒の編笠。

 

 殺人鬼《黒笠》が、幽鬼のように立っていた。

 

 まさか、この場に現われるとは思っていなかった。

 

「みんな、気を付けて・・・・・・あいつが黒笠だ」

 

 友哉のその言葉に、全員が緊張を高めた。殺人鬼《黒笠》の存在はみんなに説明してある。その残忍さも会わせて伝えてあった。

 

 そんな友哉の反応を楽しむように、小夜鳴は説明する。

 

「せっかく、緋村君とは知り合いだと言うので、来て貰ったのですよ。『彼女』にもね」

「・・・・・・かの、じょ?」

 

 その言葉と共に、黒笠は自分の笠を取った。

 

 その下には、

 

「みんな、お久しぶり。って、まだ1時間ちょっとしか経ってない、か」

 

 韮菜島美奈がそこに立っていた。

 

「韮菜島さん・・・・・・」

「そんな、美奈さんが、《黒笠》なんですか?」

 

 その質問に、美奈はニッコリと微笑んで見せる。

 

「言っとくけど、みんなみたいにコスプレしてるわけじゃないよ」

 

 つまり、本物の黒笠、と言う事だと言いたいらしい。

 

「緋村君と、この格好で会うのは品川以来ね。あの時は痛かったわ。何しろ、まともに動くようになるのに1週間も掛かったからね」

 

 そう言うと、美奈は自分の左肩を指し示す。

 

 そこは、品川での戦いで友哉が一撃加えた場所だ。この事実を知っているのは、友哉以外では長谷川昭蔵と地検職員、そして黒笠本人以外には知りえない筈だ。

 

 つまり、間違いなく彼女が黒笠本人と言う事になる。

 

 その間にも小夜鳴の変化は続く。

 

「ひとつ、良い事を教えましょう。ブラドは600年前から、交配以外の方法で他者の遺伝子を取り込んで来たのです。その方法こそが『吸血』です」

「吸血・・・・・・ブラド・・・・・・ルーマニア・・・・・・」

 

 アリアが単語合わせの遊びをするように、言葉をなぞる。そして、ハッと顔を上げた。

 

「そうか、ブラド、奴の正体は、吸血鬼ドラキュラよ!!」

 

 アリアの言葉に、一同は驚いて彼女を見た。

 

 ドラキュラ。それは間違いなく世界的に最も有名なモンスターの一つであるが、それが実在すると思っている人間が、果たして世界中にどれだけいるだろう?

 

 だが、アリアは聊かの揺るぎも無く、小夜鳴を睨みつける。

 

「ドラキュラはワラキア、今のルーマニアに実在した人物よ。ブカレスト武偵校にいた頃、聞いた事があるのよ。『まだ生きている』って言う怪談付きでね」

 

 その言葉で、友哉もハッとした。

 

 何かの本で読んだ事がある。

 

 今から約600年前、当時のルーマニアを支配していたとある領主は、敵対国の捕虜全員を生きたまま串刺し刑に処し、それを国境線に並べて敵国に対する警告とするという残虐な行為に走ったと言う。

 

 そのルーマニアの領主こそがブラド・ツェペシュ。

 

 またの名を《串刺し公》ブラド。

 

 ドラキュラ伯爵の元となったと言われるそのブラドこそが、実は本物のドラキュラだったのだ。

 

「御名答、光栄に思ってください。皆さんは間もなく、ドラキュラ公に拝謁できるのですから」

 

 そう言いながら、小夜鳴の体に変化が起こる。

 

 体が膨張するように盛り上がる。ボディビルダーがパンプアップする時に似ているが、そんなレベルではない。

 

 既に小夜鳴の四肢の筋肉は、普通の人間の3倍近くにまで盛り上がっている。最早人間の到達できるレベルではない。同時にその瞳は深紅に光り、犬歯が牙のように鋭く伸びた。

 

「じゃあ、お願いしますよ、《黒笠》」

「了解、任せといて。まあ、あっちもすぐ来るだろうから、自分の獲物の選定は早めにしないといけないけどね」

 

 小夜鳴に頷きながら、美奈は再び編傘を被り直す。

 

 それに満足そうに頷き、小夜鳴は再び振り返った。

 

「さあ・・・・・・カレガ・・・キタゾ」

 

 まるで地獄から響いて来るような声と共に、変化は加速する。

 

 筋肉はさらに膨張を続け、小夜鳴が着ていたスーツも弾け飛ぶ。体中から体毛が伸び、歯は全て牙となった。

 

 瑠香が怯えるように震え、それを支えながら茉莉が彼女の肩をしっかりと抱きしめる。しかし、その茉莉もまた、折れそうになる自分を叱咤しているかのように見えた。

 

 彼女達が怯えるのも無理は無い。それほどまでに小夜鳴の変化はおぞましいものだったのだ。

 

 その姿に、友哉はジャンヌの描いた絵を思い出していた。

 

 ジャンヌは嘘は言っていなかった。確かにブラドは、化け物のような存在だったのだ。あの絵がヘタクソであった事は変わりないが。

 

 そして、ついに変化を終えたブラドが、一同の前に姿を現した。

 

 体長は3メートル長。その巨体は人間の5倍以上に達している。

 

 まさにジャンヌの言っていた通り、鬼と言うべきだった。

 

「初めまして、だな」

 

 大気その物を揺るがすように、ブラドがしゃべる度に空気が震える。

 

「俺達は頭の中で会話するんでな。小夜鳴から話は聞いている。判るか? 今の俺はブラドだよ」

 

 その言葉を聞いて、キンジは何かを悟ったように口を開いた。

 

「そうか・・・そう言う事だったのか」

「なに、キンジ、どういう事なの?」

 

 アリアの問いかけに、油断なくベレッタを構えながらキンジは答える。

 

「擬態だったんだよ。小夜鳴はブラドが人間社会に溶け込む為のな」

 

 キンジの推理では、恐らく今目の前にいるのがブラドの元々の姿であり、長い年月を掛けて人間の遺伝子を取り込み続けた結果、小夜鳴と言う人格が生まれるに至ったと言う訳だ。言わば小夜鳴とブラドは二重人格のような存在なのだ。

 

「概ねその通りだ」

 

 言いながら、ブラドは足元に倒れ伏していた理子の頭部を持ちを掴み上げた。

 

「うっ・・・・・・」

「おう4世、久しぶりだな。イ・ウー以来か」

 

 理子は朦朧とした意識の中で、それでもブラドを睨みつける。

 

 その瞬間、キンジが動く。

 

 ベレッタを3点バーストに切り変え発砲する。

 

 その横に佇む《黒傘》も、2頭の狼も全く動かなかった。

 

 全ての弾丸がブラドに命中する。

 

 しかし、次の瞬間、驚くべき事が起こった。

 

 弾丸が命中した箇所が、赤い煙を上げて治って行く。それどころか、体内に食い込んだ弾丸まで押し戻し排出された。

 

 その光景に、一同は唖然とせざるを得ない。やはりジャンヌの言った通り、ブラドを倒すには4か所の弱点を同時攻撃するしかないようだ。

 

 頭部を掴まれた理子は、苦しそうに呻きながら口を開く。

 

「ぶ・・・ブラド・・・・・・全部、嘘だったのか? ・・・・・・オルメスの子孫を倒したら、あたしを解放するって・・・・・・」

「お前は犬とした約束を守るのか?」

 

 さも可笑しそうに、ブラドは理子をあざ笑う。

 

「檻に戻れ、繁殖用雌犬。少し放し飼いにしてみるのも面白ぇかと思ったが、結局お前は自分の無能さを証明しただけだったな。ホームズには負ける、盗みの手際も悪ぃ。弱い上にバカで救いようがねえ。パリで戦ったアルセーヌの曾孫とは思えねえほどだ。だが、お前が優良種である事には変わりはねえ。交配次第じゃ、品種改良された良い5世が作れて、そいつから良い血が取れるだろうよ」

 

 そう言うとブラドは、理子を見せつけるように掲げて見せた。

 

「遠山、お前の遺伝子とでも掛け合わせてみるか? 何なら緋村、お前とでも良いぜ」

 

 下衆としか言いようがない言動だ。

 

 キンジも、アリアも、友哉も、瑠香も、茉莉も、その場にいる誰もが怒りの為に飛び出すタイミングをはかっている。

 

「良いか4世、お前は一生、俺から逃れられないんだ。イ・ウーだろうとどこだろうと関係ねえ。お前がいる場所は、一生あの檻の中だけだ」

 

 そう言うと、理子の頭を持って外へと向ける。

 

「おら、しっかりと眺めておけ。これが人生最後の、お外の風景だ」

 

 理子は最早、抵抗する気力も無くしたように、手足を下げている。

 

 その目は涙をこぼさないとするかのように、きつく閉じられている。

 

「アリア・・・・・・」

 

 理子の口から、嗚咽交じりの声がこぼれる。

 

「キンジ・・・・・・みんな・・・・・・」

 

 

 

 

 

「お願い・・・・・・助けて・・・・・・」

 

 

 

 

 

「言うのが遅い!!」

 

 その小さな声に、

 

 誰よりも早く、誰よりも気高い声が答える。

 

 アリアは手にした二丁のガバメントを掲げる。

 

「行くわよ、キンジ、友哉、茉莉、瑠香。まずは理子を救出、その後、ブラドと黒笠を逮捕するわ!!」

「ああッ」

「了解だよッ」

「行きます」

「判りましたッ!!」

 

 武偵憲章4条「武偵は自立せよ。要請無き手出しは無用の事」とある。しかし今、その「要請」が入った。理子は確かに「助けて」と言ったのだ。ならばあとは武偵憲章一条「仲間を信じ仲間を助けよ」に基づき、彼女を助けるために戦うだけだ。

 

 ブラドは理子の頭をしっかりと把持している。まずはそれを放させる必要がある。

 

 しかし、5人が動くと同時に、2頭の狼が反応して襲い掛かって来た。

 

 それを迎え撃つべく、キンジが前に出た。

 

 ベレッタが2度、火を吹く。

 

 それぞれの弾丸は、狼の首元を掠めて飛んだ。

 

 外したか、と思った瞬間、2頭の狼はバランスを崩して床の上に転がった。一体どうやったのかは判らないが、キンジの攻撃は狼を殺す事無く無力化したようだ。まったく、驚嘆すべき実力だった。

 

 その機を逃さず、友哉が動く。

 

 抜刀と同時に、地を蹴る。

 

 次の瞬間友哉の姿は、ブラドの正面、その眼前に跳躍した状態で躍り出た。

 

「ハァァァァァァッ!!」

 

 抜き打つように両手で構えた刀を横薙ぎに振るう。

 

 一閃は、ブラドの頭部を真横から殴りつけた。

 

「グオッ!?」

 

 ブラドからすれば、文字通り鉄の棒で顔面を殴打された形だ。

 

 思わず声を上げるブラド。いかに驚異の回復力を誇るとはいえ、一瞬ダメージが入る事は避けられない筈。友哉の狙いは、その一瞬のダメージだった。

 

 よろけるブラドへ、小柄な影が走る。

 

 アリアは小太刀2本を構えると、ブラドの下へと潜り込んだ。

 

 振るわれる小太刀は、ブラドの腕を下から切り裂く。

 

 人間の腕の内、小指から肘に掛けての部分には尺側手根屈筋、長掌筋等、物体の把持に必要な筋肉が走行している。ブラドも一応辛うじてではあるが人型をしている。その為、筋肉の付き方も人間と同じであると考えられた。

 

 案の定、アリアに腕を切られたブラドは、掴んでいた理子取り落とした。

 

 落下する理子。

 

 その理子を、スライディングの要領で滑り込んだキンジが受け止める。

 

 キンジはそのまま離脱するように、背中を向けて駆けだす。まずは理子を安全圏に退避させることが先決だ。

 

 友哉はそんな2人を守るように、ブラドの前へと立ちはだかる。

 

 その時、

 

「あなたの相手は私よ」

 

 闇から湧き出るような言葉と共に、黒笠が友哉に斬りかかって来た。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちしながら、その斬撃を防ぐ友哉。

 

 対峙するのはこれで2度目。一応、ある程度の備えはして来たが、それがどこまで通用するか判らない。

 

 だが、既に後戻りはできない。

 

 今この時に、全力で挑むしか無かった。

 

 キンジの一時戦線離脱、友哉と黒笠の激突により、ブラドと対峙するのはアリア、茉莉、瑠香の3人の少女となっていた。

 

 アリアと瑠香がそれぞれブラドに弾丸を浴びせ、茉莉が菊一文字を抜刀すると縮地を発動して斬り込む。

 

 ブラドの巨体には弾痕が刻まれ、茉莉の刃が切り裂く。

 

 しかし、先程と結果は同じ。弾丸は全て体外に排出され、斬撃の跡も綺麗にくっついてしまう。

 

「ダメですアリア先輩。銃も剣も効果ありません!!」

 

 イングラムのマガジンを差し替えながら。瑠香が悲鳴交じりに言う。

 

「どうしたものかしらね・・・・・・」

 

 無限の回復力が相手では流石のアリアも、攻め手に迷っている様子だった。

 

 彼女はキンジからブラドの弱点の事は聞いていた。確かにブラドの体には、目印らしき白い模様がある。しかし、やはり数えてみても模様は3箇所しかない。あと1か所、それを探さない事には、作戦案である4点同時攻撃を敢行する事も出来ない。

 

「とにかく、キンジと友哉が戻ってくれば、状況を好転させる事も出来るわ。茉莉、瑠香、アンタ達は友哉を援護して、こっちはあたしが押さえるわ!!」

 

 危険だが、合理的な判断でもある、現状ではブラドを倒す事はできない。ならば、倒せるほうから先に潰してしまおうと言うのがアリアの作戦だった。

 

「でも、アリア先輩、あんなのの相手を、1人でなんて・・・・・・」

「ここで膠着して、戦力を遊兵化するよりマシ。それにキンジが直に駆けつけるわ!!」

 

 言いながら、アリアはガバメントを仕舞って小太刀を抜き放つ。弾丸の節約を狙っているのだろう。

 

「判りました」

「茉莉ちゃん!!」

 

 抗議しようとする瑠香に、茉莉は静かに向き直る。

 

「四乃森さん。今は議論している場合じゃありません。一刻も早く、敵を制圧するには、アリアさんの作戦に従うべきです」

 

 茉莉は冷静に状況を見極めながら言う。ブラドを倒すには3人では難しい。今は倒せる敵から倒すべきだった。

 

「行きなさい!!」

 

 叫ぶと同時に、アリアが突撃を仕掛ける。

 

 一方のブラドは、アリアの素早い動きに着いて行けない様子だった。

 

 その間に2人は戦線を離脱、友哉の援護に向かおうとした。

 

 その時、

 

「あらら、どこに行こうと言うのかしら?」

 

 2人の行く手を遮るように、1人の女性が現れた。

 

 その人物に2人は思わず驚愕する。

 

「え、エリザさん?」

 

 つい先日、紅鳴館で知り合ったばかりのハンガリー女性がそこに佇んでいた。

 

 あまりにも場違いな人物の出現に、瑠香も茉莉も思わず足を止める。

 

 それに気付いたブラドが声を掛けて来た。

 

「おお、来たかエリザベート。ちょうどいいタイミングだ」

「メインディッシュには間に合ったようで何よりよ」

 

 そう言って笑うエリザ。

 

「・・・・・・エリザベート?」

 

 その聞き慣れない名前に、アリアが声を上げた。

 

「そう、私の本当の名前はね、エリザベート・バートリって言うの。エリザって言うのはまあ、偽名みたいなものね。良い名前でしょ」

 

 その言葉に、アリアは頭の中でパズルが組みあったようにハッとした。

 

「まさか、エリザベート・バートリ・・・・・・《鮮血の伯爵夫人》!!」

 

 それはハンガリー史に残る程の陰惨な大量殺人事件。

 

 今から約450年前、ハンガリーに1人の美しい女性がいた。彼女は自らの美しさを保つために、何人もの処女を殺害し、その鮮血を浴びる事で若さを保とうとしたと言う。

 

 その女性こそがエリザベート・バートリ。別名《鮮血の伯爵夫人》。彼女もまた、吸血鬼の一体である。

 

 ブラド、黒笠に続いて現われた新たな強敵に、誰もが緊張を隠せない。

 

 そんな中で、茉莉は菊一文字を手にして前に出る。

 

「四乃森さん、先に行ってください。彼女の相手は私が」

「そんな、茉莉ちゃん1人じゃ・・・・・・」

 

 渋る瑠香を庇うように、茉莉は前に出る。

 

「理由は、さっきのアリアさんと同じです。彼女も吸血鬼なら、ブラドと同じように弱点を突かないと勝てない。なら、攻略順位は自ずと決まります」

 

 当初の予定通り、まずは黒笠を潰す。そうでなくてはこの状況は動かせない。

 

「・・・・・・判った、茉莉ちゃんも気を付けて」

 

 頷くと同時に、瑠香は跳躍する。そのままエリザベートの頭上を飛び越える構えだ。

 

「行かせると思うのかしら?」

 

 その瑠香へとナイフを投げようとするエリザベート。

 

 しかし、

 

「やらせません」

 

 囁くような声。

 

 次の瞬間、縮地を発動した茉莉が一気にエリザベートへ接近、彼女の体を袈裟掛けに斬り下ろした。

 

 手応えはあり。確かに、茉莉の剣はエリザベートを切り裂いた。

 

 しかし

 

「あらマツリ、あなたが遊び相手になってくれるのかしら?」

 

 まるで何事もないかのように、エリザベートは振り返る。

 

 その傷もまた、すぐに塞がってしまった。

 

「良いわ。たっぷり、相手をしてあげる。せいぜい、死なないようにね」

 

 そう言うと、エリザベートは腰に下げていた鞘から剣を抜き放つ。

 

 その剣は一見するとレイピアに似ているが、刃を完全に廃し、ただ刺突のみに特化したエストックと呼ばれる剣であった。

 

「さあ、行くわよ!!」

 

 鋭くエストックを繰り出すエリザベート。

 

 だが、

 

「遅いです」

 

 縮地を発動した茉莉にとって、その動きは止まって見えるほど遅い。

 

 かつて友哉をも苦しめた《天剣》の茉莉の実力は、その鋭さにいささかの陰りもない。

 

 茉莉は背後へ回り込むと同時に、エリザベートの背中を斬りつけた。

 

 手応えは充分。刃は表皮と筋肉を斬り、骨の近くにまで達した筈だ。

 

 しかし、

 

「それだけ?」

 

 エリザベートは何事もないように振り返る。同時に、背中の傷も、まるで逆再生のように塞がってしまった。

 

「クッ・・・・・・」

 

 その様子を見て、茉莉は舌打ちする。これではいくら攻撃しても意味がない。

 

「どうしたの? 来ないなら・・・こっちから行くわよォォォォォォ!!」

 

 エストックを翳して茉莉へと襲い掛かるエリザベート。

 

 対抗するように、茉莉も刀を構えて迎え撃つ。

 

 とにかく時間を稼ぐ。今はそれしか方法が無かった。

 

 せめて、キンジと友哉が戻ってくるまで。

 

 

 

 

 

 互いの間合いに踏み込むと同時に、刃を繰り出す。

 

 黒笠は友哉よりも身長が高い為、その分リーチも長く取る事ができる。間合いの取り合いでは彼女の方が明らかに優位だった。

 

 だが、

 

 友哉は鋭い一閃で黒笠へ斬りかかる。

 

 踏み込みの速度なら友哉の方が速い。

 

 袈裟掛けに振るわれる逆刃刀。

 

 その一撃を、黒笠は刀でいなす。

 

 友哉の体勢が崩れた一瞬、今度は黒笠の方から動いた。

 

「はぁ!!」

 

 横薙ぎに斬撃を繰り出す黒笠の攻撃。

 

 その攻撃を、友哉はしゃがみこむ事で回避。同時に、手を刃に当て斬り上げる。

 

「龍翔閃!!」

 

 黒笠の顎めがけて振り上げられる刃。

 

 その一閃を黒笠は、辛うじて刀で防ぐ。

 

 しかし、勢いまでは殺しきれない。

 

「うぅ!?」

 

 よろけるように、黒笠は数歩後ろへと下がった。

 

 それを見て、友哉は追撃を仕掛ける。

 

「飛天御剣流ッ」

 

 体を大きく捻り込みながら、黒笠の懐へ入った。

 

「龍巻閃!!」

 

 旋回によって威力を高められた一撃が繰り出される。

 

 しかし、

 

「ククッ」

 

 くぐもったような笑い。

 

 次の瞬間、両者は交錯する。

 

 背中を向け合ったまま着地する友哉と黒笠。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の左肩から鮮血が吹き出した。

 

「なっ!?」

 

 驚く友哉。

 

 あの一瞬で、反撃を返されるとは思っていなかった。

 

「まずは一撃」

 

 黒笠は可笑しそうに笑う。

 

「この間の借りは返したわよ」

 

 言われて、友哉はハッとする。

 

 傷口は、先日友哉が黒笠に叩きつけた場所と同じだった。

 

「さあ、次はどこを斬ろうかしら?」

 

 楽しそうに言いながら、鮮血の滴る肥前国忠吉を掲げる黒笠。

 

 その様子を睨みつけながら、友哉は傷口を押さえて立ち上がる。

 

 やはり、尋常でない強さだ。あの体勢の崩れた体勢から反撃してくるのだから。

 

「それにしても、おかしいなあ・・・・・・」

 

 友哉の様子を見て、黒笠は訝るように首をかしげた。

 

「予定じゃ肩から先を斬り飛ばすつもりだったんだけど・・・・・・」

 

 言いながら、黒笠は友哉の傷口を注視する。

 

 押さえた手の下。そこから溢れる鮮血を受け止めようとする衣服の布地が、良く見なれた物である事に気付くのに、そう時間はかからなかった。

 

「・・・・・・ふうん、そう言う事。やるじゃない」

 

 友哉は防弾服を3枚、重ね着していた。ジャケット、Yシャツ、Tシャツと言った具合に。そのおかげで、黒笠の斬撃を鈍らせる事ができたのだ。

 

 そんな黒笠を、友哉は睨みつける。

 

「・・・・・・なぜですか?」

「ええ?」

 

 友哉は真っ直ぐに黒笠を睨み付ける。

 

「なぜ、あなたは人殺しなんてするんですか? これほどの剣の腕を持っているなら、もっと他にできる事があるでしょうッ」

「はあ?」

 

 さもつまらない冗談を聞いたかのように、黒笠は笠の奥で顔をしかめて見せる。

 

「随分、詰まんない事聞くのね」

「詰まらない?」

「剣の腕が立って、それを活かすんなら、やっぱり人殺しにならなきゃ」

 

 さもそれが真理であるかのような言葉と共に、黒笠は歪め口元に笑みを刻む。

 

「だ~って、そっちの方が面白いじゃない。刃がさ、肉に食い込む瞬間の感触って、もう、最ッ高なのよね~ 男の×××を×××に入れた時みたいでさ。一度知ったら絶対病み付きだって!!」

「・・・・・・・・・・・・」

「あれに比べたら、世界中のどんな快楽も、路地裏のゴミ屑とおんなじね。ま、童貞チェリー君にはわっかり辛い例えだったかな~?」

 

 そう言って笑う黒笠。

 

 その姿を、友哉は黙って睨みつける。

 

 以前、茉莉に言われた事がある。

 

『・・・・・・何人もの人を斬り、呼吸をするように、人を殺す事が当たり前になった存在。そこには殺気も無く、ただ人を斬る為に生きている』

 

 確かにその通りだった。

 

 この女にとっては人殺しは多分、食事をするよりも簡単な事なのだ。

 

 止めなければならない。武偵として、飛天御剣流の使い手として、この女はここで止めなくてはならなかった。

 

 友哉は刀を構え直す。

 

「行くぞッ」

 

 叫ぶと同時に地を蹴る友哉。

 

 対して、刀を持ち上げながら立ち尽くす黒笠。

 

 その時、

 

 黒笠の目が強烈な眼光を発した。

 

 二階堂平法心の一法ッ!!

 

 強力な催眠術によって相手を縛る凶悪な技。

 

 食らったが最後、抜けるのは難しい。

 

 友哉の体が、重りを加えられたように重みを増す。

 

 次の瞬間、

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 大気を切り裂くような友哉の声。

 

 その声に呼応するように、友哉を縛る不可視の枷が弾け飛んだ。

 

「なっ!?」

 

 その様子に、黒笠は明らかな狼狽を見せた。まさか、これほどあっさりと自分の術が破られるとは思っていなかったのだ。

 

 友哉は加速を聊かも緩めることなく、黒笠へ斬りかかる。

 

「クッ!!」

 

 友哉の一撃を刀で弾く黒笠。

 

 だが、友哉の攻撃はそこで止まらない。

 

「シッ!!」

 

 着地とほぼ同時に、逆袈裟に斬り上げる。

 

 対して黒笠は後退して回避、同時に反撃しようと刀を構え直す。

 

 が、それよりも友哉の方が速い。

 

 黒笠が体勢を立て直す前に斬り込み、刀を横薙ぎに振るう。

 

「うっ!?」

 

 辛うじて友哉の攻撃をいなす黒笠。しかし、常に先の剣を取り続ける友哉の前に、防戦一方になりつつある。

 

『行けるッ』

 

 友哉は心の中で叫ぶ。

 

 このまま押し切れば、勝てる筈だ。

 

 更に斬り込むべく、刀を振りかざす友哉。

 

 その瞬間、

 

 ズンッ

 

 それまでにないくらい、強烈な圧迫感を感じ、友哉の体は見えない鎖で縛られたように指一本動かす事ができなくなった。

 

「なっ・・・・・・はっ・・・・・・」

 

 手も、足も、指も動かせない。声も出せず、瞬きすらできない

 

 まるで体を動かす神経パルスが、脳から隔離されたように、体の動かし方が全く思い出せなかった。

 

 時その物が止まったような戦場にあって、

 

 ただ1人、

 

 黒笠だけは、その口元に笑みを浮かべて立っていた。

 

 

 

 

 

 茉莉は得意の三次元機動を発動し、エリザベートの視覚を撹乱しつつ、攻撃を仕掛けていく。

 

 ここは友哉と戦った地下倉庫のように、天井のある空間ではない為、縦方向の動きには制限が掛かるが、それでも《天剣》の茉莉にとって、その程度の事はハンデにもならない。

 

 周囲の壁を蹴りながら、空中を飛ぶように移動、死角から一気に斬り込む。

 

「ハッ!!」

 

 茉莉の剣は、確実にエリザベートを捉え、彼女の体を切り裂く。

 

 対するエリザベートも、手にしたエストックをカウンター気味に振るうが、茉莉を捉えるには至らない。

 

 刺突に特化した剣は、虚しく茉莉の残像を捉えるだけだ。

 

 しかし、結果は変わらない。

 

 いかに茉莉が超絶的な技巧で剣を振るおうと、エリザベートの傷は数秒と待たずに完全に塞がってしまう。刀だけでなく、何度か銃による攻撃も試みてもみたが、結果はやはり同じだった。

 

 やはり、ブラドと同じで弱点を潰さなければダメージは入らないのだ。

 

 それに、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は深呼吸して息を整える。

 

 茉莉の縮地は、その性質上どうしても体力の消耗が激しい。全力で駆ければ、数分と待たず体力を消耗し尽くす事になる。

 

 そんな茉莉を、エリザベートは余裕の態度で見詰めている。

 

 何度か剣を交えて確信したが、彼女の剣の腕はハッキリ言って大した事は無い。素人同然と言っても良い。

 

 だが、それでも茉莉が消耗し尽くせば、戦況はエリザベートの方に傾く事になる。

 

 もう一度、茉莉は深呼吸する。

 

 物影の向こうでは、凄まじい轟音が聞こえて来ている。恐らくアリアが単身でブラドを食い止めているのだ。

 

 とにかく、友哉達が戻って来るまでは、体力の消耗を押さえて戦うしかない。

 

 菊一文字を構え直す茉莉。

 

 そんな茉莉を見ながら、エリザベートは笑みを口元に浮かべる。

 

「ねえ、マツリ。あなた、『アイアンメイデン』って知ってるかしら?」

「・・・・・・アイアン、メイデン?」

「そう、日本語で言うと、『鋼鉄の処女』かしら」

 

 エリザベートの笑みが、残忍な色を持ち、声にも不気味さが帯びる。

 

「鋼鉄製の棺桶でね、蓋は観音開きになっているの。その蓋の内側には鋼鉄製の長い針が何本も仕掛けられていてね、蓋を閉じれば中にいる人間の全身を無数の針が貫くっていう仕掛けになっているの」

 

 ゾワッ

 

 その状況を想像し、茉莉は背筋に冷たいものが走るのを止められなかった。

 

 エリザベートは更に続ける。

 

「あれ、実は作ったの、あたしなのよね。あれは本当に良い物よ。流れ出た血をバスタブに入れて、お風呂に入るの。とっても気持ちいいわよ」

 

 そう言うとエリザベートは、エストックを床に突き刺し、両手をポケットに入れた。

 

「試してみましょうか」

 

 取り出した物を、空中へ放り投げる。

 

「こんな風にね」

 

 銀色に鈍く光る無数の物。

 

 それは、

 

「釘・・・・・・」

 

 無数の釘が空中に浮き、その先端を全て茉莉に向けている。

 

 その有り得ない光景は、驚愕するに余りある。

 

「私は、吸血鬼としてはブラドとは違う進化を遂げた存在。彼のように爆発的な力は得られなかった代わりに、こう言う力を身に付けたのよ」

 

 つまり、エリザベート・バートリは、

 

「超能力者(ステルス)ッ!?」

 

 次の瞬間、無数の針は一斉に茉莉に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 どんなに力を入れても、体は全く言う事を聞かない。

 

 そもそも、どのように体を動かすのかすら思い出せない状況だ。どう力を入れて良いのかすら判らなかった。

 

「これで勝てる、とでも思ったかしら?」

 

 そんな友哉をあざ笑うかのように、黒笠は口を開く。

 

「あたしの事を色々調べて対策を立ててたみたいだけど、そんな子供のお遊びでどうにかできる程、殺人鬼《黒笠》は甘い存在じゃないってことよ」

 

 言いながら、肥前国忠吉を掲げる。

 

「さっき掛けようとしてアンタに弾かれたのと、品川で使った心の一法は、遊び半分で使ったような物。まあ、それでも完璧に決まれば、並みの人間じゃ動けなくなる筈なんだけど。それに比べて、今回のはかなり強力に掛けたから、殆ど身動きが取れないでしょう?」

 

 そう言っている内にも、友哉は息苦しさを覚える。

 

 どうやらこの心の一法は、不随意筋にまで影響するらしく、呼吸筋の動作も止めてしまっているらしい。このままでは数分と待たずに意識が落ちてしまう。

 

『な、何とか・・・・・・しな、いと・・・・・・』

 

 だが、その友哉の焦燥は杞憂でしか無い。

 

 なぜなら、

 

 友哉の目の前に立った黒笠が、忠吉を真っ直ぐに振り上げたからだ。

 

「さようなら、緋村君。所詮君は、この程度だったって事よ」

 

 その声と共に、友哉は先程、山日志郎に言われた事を思い出した。

 

『憶えておいた方が良いですよ。人を殺す覚悟の無い人間は、戦場では決して生き残れない。仲間か、自分か、必ずどちらかの命を失う事になりますよ』

 

 そうなのか?

 

 自分には、覚悟が足りなかったのか?

 

 だから、こうなってしまったのか?

 

「じゃあね」

 

 笑顔と共に、黒笠は刀を振り下ろす。

 

 次の瞬間、

 

「友哉君から離れろ!!」

 

 凛とした声。

 

 見れば、瑠香がサバイバルナイフを逆手に構えて黒笠へ襲い掛かる所だった。

 

 イングラムを使わないのは、手元がぶれて友哉に当たる可能性を考慮したからだろう。

 

 だが、黒笠相手に瑠香が接近戦を選択するのは、あまりに無謀過ぎた。

 

『まずい・・・・・・ダメだ・・・・・・瑠香ッ!!』

 

 声なき声で叫ぶ友哉。

 

 しかし、その声は届かない。

 

 瑠香の接近に気付いた黒笠は、彼女に向き直って、指を鳴らした。

 

 すると、

 

「あ・・・あ・・・あれっ!?」

 

 突然、瑠香の体は、空間に縫い付けられたように動かなくなってしまった。

 

 初めて心の一法に掛かった瑠香は、その異常性に全く理解が追いついていない状態だ。

 

「ククク」

 

 それを見て、黒笠はくぐもった笑い声をあげた。

 

「心の一法の使い手は、優れた催眠術師でもある。四乃森さん、あなたは紅鳴館で私といる機会が一番長かったからね。だから、掛けさせてもらったのよ、条件反射型の催眠を」

「条件、反射?」

 

 動けない体におびえながらも、必死に言葉を紡ぐ瑠香。

 

「そう、私があなたの前で指を鳴らすと、あなたは心の一法が掛ったのと同じように、体を動かす事ができなくなる。本当は神崎さんや瀬田さんにも掛けようかと思ったんだけど、流石に時間が無くてね」

 

 そう言うと、黒笠は瑠香へと向き直る。

 

 その手にはだらりと下げた刀が握られている。

 

「さて、じゃあ、まずは、あなたから死んでもらいましょうか?」

「ヒッ!?」

 

 編笠の下で残忍その物の笑みを浮かべる黒笠に、瑠香の顔はひきつる。

 

 人を殺す事が普通になってしまった殺人鬼は、その静かな恐怖を殺す相手に刷り込む。

 

「や・・・・・・め、ろ・・・・・・」

 

 絞り出すような友哉の声に、黒笠は僅かに振り返り、少し感心したように言う。

 

「あら、まだ喋れるんだ。意外にやるわね」

 

 そう言いながら、忠吉を振りかぶった。

 

「でもだめ~。あなたはそこで、指をくわえて見ていなさい。あなたの大切な物が、血飛沫を上げて、床に転がる様をねェェェ!!」

 

 そう言い放つと同時に、

 

 黒笠は、

 

 刀を振り下ろした、

 

 立ち尽くす、瑠香に向けて。

 

「あ・・・あ・・・?」

 

 一瞬の間をおいて、鮮血が瑠香の体から噴き出した。

 

 目を見開く瑠香。

 

 血は止め処なく溢れ、彼女の命もまた、零れ落ちていく。

 

『る・・・瑠香・・・・・・』

 

 立ち尽くす事しかできない友哉の目の前で、

 

 瑠香はゆっくりと膝を折り、

 

 前のめりに、倒れた。

 

「アハ・・・・・・アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ これよこれ!! ああもう、最ッ高!! この興奮ッ!! この恍惚!! この快感!! この世のどんな快楽だって、これに優る物は無いわ!!」

 

 狂ったように笑い転げる黒笠。

 

 しかし、友哉の目のは、そんな黒笠の姿は見ていない。

 

 鮮血を流し、

 

 床に倒れ伏した瑠香、

 

 幼馴染で、今までずっと兄妹同然に過ごした瑠香。

 

 そんな、大切な妹を、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ア     イ     ツ     ガ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺     シ     タ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さってと、それじゃ、緋村君、君もサクッと死んどこうか」

 

 黒笠はそう言いながら、友哉へと向き直る。

 

「なに、寂しくなんてないよ。今から急いで追えば、きっと四乃森さんと一緒に行く事ができるよ」

 

 そう言った瞬間、

 

 ドスッ

 

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 目を見開く黒笠。

 

 その胴を薙ぎ払うように、

 

 友哉の逆刃刀が食い込んでいた。

 

 一瞬感じる浮遊感。

 

 次の瞬間、

 

 黒笠が痛みを感じるよりも早く、

 

 彼女の体は大きく吹き飛ばされ、背後の壁に叩きつけられた。

 

「グボハッ!?」

 

 遅れてやってきた痛みと同時に、胃その物が破裂したような焼けつく感覚が黒笠を襲う。

 

「な・・・・・・・・・・・・なに、が?」

 

 顔を上げる黒笠。

 

 その視線の先に、

 

 刀を手にした友哉が、

 

 幽鬼の如く立ち出でる。

 

 その瞳はうすら寒くなるほど、感情を秘めておらず、それでいてどのような獣よりも凄惨さを感じさせる殺気で満ち溢れていた。

 

「・・・・・・・・・・・・選べ」

 

 その声は、夜の空気をも押しのけ、締め付けるような冷気と共に発せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きて地獄に落ちるか、死んで地獄に落ちるか、どちらでも好きな方をな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6話「上空296メートルの戦場」     終わり

 


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