緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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イ・ウー激突編
第1話「夏も近付く」


 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い部屋。

 

 淀んだ空気が重苦しい。

 

 もう何日も、こんな場所に転がされていた気がする。

 

 目が痛い

 

 手が痛い

 

 体が痛い

 

 足が痛い

 

 声も出ない

 

 喉が渇いた

 

 衣服が乱れている。

 

 手足が動かないのは、縛られているせいで、声を出せないのは猿轡を噛まされているせいだ。

 

 けど、

 

 きっと、それだけじゃない。

 

 自分の目の前に立つ少年。

 

 血濡れた木刀を下げ、鋭いまでに目を細めたその姿。

 

 それが、あの少年と同一人物だとは思えないほどだった。

 

 そして、彼の足もとで襤褸屑のようになり果てて転がる男。

 

 彼は自分を誘拐した男。

 

 だが、彼はもう良い。

 

 問題は、木刀を手に立っている少年。

 

 誰よりも大好きな筈の少年。

 

 その少年に恐怖し、体を動かす事ができなかった。

 

 

 

 

 

 四乃森瑠香は息苦しさと共に、目を覚ました。

 

 上体を起こす。

 

 体中にひどい汗をかいていた。パジャマも下着もグッショリと濡れていて気持ち悪い。朝になったらシャワーを浴びなければならない。

 

「・・・・・・・・・・・・なんって、夢見てんだろ、あたし」

 

 それは「あの時」の夢。

 

 瑠香にとっては、思い出したくもない記憶。

 

 それを、今になって夢に見るとは。

 

「・・・・・・きっと、あんな事が、あったからだ」

 

 先日の黒笠との戦闘。あの戦いの時に、瑠香の戦兄である緋村友哉は、その隠された本質を表出させ、黒笠をボロボロに叩きのめした。

 

 あんな姿を見てしまったから、封印していた記憶を蘇らせる結果となってしまった。

 

「あんな事、なければ・・・・・・・・・・・・」

 

 汗に濡れて額に張り付いた前髪をかき上げる。

 

 ふと、自分の隣を見る。

 

 瑠香が眠る一緒の布団には、瀬田茉莉が静かな寝息を立てている。

 

 今の行動で起こしてしまわないか心配だったが、どうやら大丈夫らしい。

 

「クスッ」

 

 微笑を浮かべると、瑠香は手を伸ばして茉莉の頭をそっと撫でる。

 

 すると、茉莉はくすぐったそうに少し顔を動かした。

 

 本当に寝顔まで可愛い娘である。茉莉とは色々あったが、友達になれて本当に良かったと思っていた。

 

 そして、

 

 隣のベッドでは、瑠香であり戦兄であり幼馴染でもある緋村友哉が眠っていた。こちらも、起きて来る気配は無い。

 

「友哉君・・・・・・」

 

 子供の頃から一緒に過ごしてきた大好きな少年。

 

 彼のあんな姿は、二度と見たくないと思っていたのに。

 

「私がもっと・・・・・・強くならないと・・・・・・」

 

 瑠香はまだ明けぬ闇の中で、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月に入り、梅雨も明けた空はカラッと晴れ上がる。

 

 この時期、武偵校の制服は臙脂色の冬服から、青を基調とした夏服に切り替わる。と言っても男子は普通の学校と同じくジャケットを脱ぐだけの話だが。女子の方は生地の薄い青いラインの入った半袖セーラー服となる。

 

 清涼感と開放感を感じさせる光景ではあるが、同時に布面積の狭小化は防弾制服としての防御力が低下する事を意味している。その為、武偵校で夏服を着るのは、7月いっぱいと、夏休みを含む8月のみとされる。

 

 仕方ないとは言え、残暑の残る9月には冬服に戻らねばならない為、暑さが苦手な人間には、少々つらい物があった。

 

「いや~、もうすぐ夏休みだね~」

 

 3人そろって学校へ向かう道を歩きながら、瑠香が早めの開放感に浸るような気分でそう言う。

 

「夏休みどうしよっかな~、実家に帰って久々にお父さん達の顔見るのも良いけど、ああ、でも友達とも遊びに行きたいし」

 

 前途にある楽しい未来を思い描きながら、クルクルと回っている瑠香の姿は見ていて楽しい。

 

 が、彼女の戦兄として、友哉は一応の釘も刺さなければならない。

 

「浮かれるのは良いけどね、瑠香。その前に休み前の試験もあるって事、忘れてないよね?」

「うっ・・・・・・」

 

 忘れてました、と言うよりは、努めて思い出さないようにしていました、と言う顔で瑠香は動きを止める。

 

 そんな戦妹の姿に、友哉は溜息をつく。

 

「夏休み前で浮かれる気持ちも判るけど、その前にクリアする物はクリアしとかないと」

「わ、判ってるってばッ」

 

 因みに、瑠香の成績はまことに武偵校生徒らしく、お世辞にも良いとは言い難い。いかに一般常識に関してあまり頓着されない武偵校とは言え、成績が下がり過ぎればそれなりにリスクも生じる物である。

 

「四乃森さん、一緒に頑張りましょう。少しくらいなら、私も勉強を見てあげられますから」

「む~~~」

 

 茉莉に優しく言われ、瑠香は頬を膨らましながらそっぽを向く。

 

 瑠香としては、なるべく勉強に割く時間は作りたくないのが本音である。いかに友達の言葉でも、そこだけは変わらなかった。

 

 っと、何かを思いついたのか、瑠香は顔を上げて茉莉をジト目で見た。

 

「つーか茉莉ちゃん、前から言いたかった事があるんだけど」

「は、はい、何ですか?」

 

 瑠香の気迫に押されるように、茉莉は少し引き気味に答える。

 

「茉莉ちゃん、あたし達と一緒に生活するようになって結構経つよね」

「そ、そうですね・・・・・・だいたい2ヶ月くらいでしょうか?」

 

 ズイッと、茉莉に顔を近付ける瑠香。

 

「何で未だに、あたし達の呼び方が『緋村君』と『四乃森さん』なのかな?」

「え、別に、他意は無いですけど・・・・・・」

「今後の親交とチームワークの向上の為に、ここはやっぱりお互いを名前で呼び合う事も重要なんじゃないかな?」

「・・・・・・え?」

 

 突然の事で、とっさにどう答えて良いのか判らない茉莉。

 

 助けを求めるように、友哉の顔を見る。

 

 が、

 

「あ、それ良いね。僕も賛成だよ」

 

 あっさり寝返る友哉。茉莉の味方はいなかった。

 

「じゃあ、友哉君からいってみようか?」

「おろ、僕から?」

 

 突然話を振られ、友哉はキョトンとする。まさか自分に矛先が向くとは思っていなかったようだ。

 

「そうだよ。だって、友哉君も茉莉ちゃんの事、いつまでも『瀬田さん』って言ってるじゃん」

 

 そう言えばそうか。考えてみれば、同級生で、そこそこ仲の良い女子の内、名字で呼んでいるのはせいぜい星伽白雪くらいだ。あとはみんな名前で呼んでいる。そう思い、友哉は茉莉に向き直った。

 

「じゃあ、僕はこれから、瀬田さんの事を『茉莉』って呼ぶ事にするよ」

「えッ!?」

 

 茉莉はビクッと肩を震わせた。友哉があっさりと同意してしまった事が衝撃だったらしい。

 

「おろ、もしかして『茉莉ちゃん』の方が良かった?」

「い、いえ、そこはどちらでも・・・・・・」

 

 しどろもどろになる茉莉に、更に追い打ちが掛る。

 

「はい、じゃあ、今度は茉莉ちゃんの番ね。友哉君の事を、『友哉』って呼んで」

「い、いきなり呼び捨てですかッ!?」

 

 茉莉にはハードルが高すぎるらしい。

 

「ん~、じゃあ、無難に『友哉君』で良いよ」

「う・・・・・・」

 

 熱くなり始めた気温の中、ダラダラと汗を流しながら目を逸らす茉莉。

 

「これもダメなの?」

「い、いえ、私にも、その、心の準備と言う物が・・・・・・」

「そんな物必要ないよ。はい、どうぞ」

「じゃ、じゃあ、また日を改めて・・・・・・」

「今ここでやっちゃおう。はい、どうぞ」

「せ、せめてもう少しレベルを下げて・・・・・・」

「これ以上下げようがないよ、はい、どうぞ」

 

 瑠香は容赦なく茉莉を追い詰めていく。

 

 その時、

 

「朝から何をやっているんだ、お前達は?」

 

 声を掛けられ振り返ると、武偵校の制服を着た銀髪の少女が呆れ気味に見ていた。

 

「あ、ジャンヌ、おはよう」

 

 かつて魔剣事件において剣を交えた《銀氷の魔女》ジャンヌ・ダルク30世は、今は情報科2年生として同じ学校に通っていた。

 

 噂によるとテニス部に所属し、転校したてであるにも拘らず、下級生から絶大な人気を誇っていると言う。彼女自身、凛とした女優の様な容貌を持ち、面倒見も良く、先祖の血ゆえかカリスマ性にも優れているのだろう。

 

 彼女はこの短期間で、ある種の勢力とも言える存在を武偵校に築きつつあった。

 

「おはようございます、ジャンヌさん」

「ああ、おはよう瀬田。今日も良い朝だな」

 

 茉莉とジャンヌも挨拶を交わす。

 

 イ・ウー時代からの友人である。2人とも気軽に挨拶を交わす。

 

 と、

 

「ま~つ~り~ちゃ~ん」

「キャッ!?」

 

 瑠香がゾンビのように、茉莉の背後から首に手を回して抱きついた。

 

「な~んで、ジャンヌ先輩は『ジャンヌさん』で、あたしは『四乃森さん』なの~?」

「そ、それは別に・・・・・・」

「もうちょっとフレンドリーに行こうよ~、フレンドリーに~」

 

 放っておくと、このまま学校までズルズルと行ってしまいそうな瑠香ゾンビ。

 

 仕方ないので、友哉は苦笑しつつフォローに入る事にした。

 

「まあまあ、こう言うのは、馴れない人がいきなりやれって言われても難しいんじゃないかな?」

「だぁって~、寂しいじゃん」

 

 茉莉の背に張り付いたままブー垂れる瑠香。

 

 そんな様子を見ながら、ジャンヌも面白そうに口を開く。

 

「そう言えば、瀬田はイ・ウーでも、周囲に溶け込むのにかなり時間が掛っていたな」

「ジャンヌさん、そう言う事は言わないで良いです・・・・・・」

 

 ガックリと項垂れる茉莉の姿に、何とも哀愁漂う物を感じる。

 

 その時だった。

 

 ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン

 

 どこからともなく、甲高く耳障りな音が聞こえて来た。

 

 振り返る友哉。その目に、羽を広げて飛ぶ甲虫類が映った。

 

「おろ 虫?」

 

 かなり大型だ。カナブンよりも確実に二周りは大きいだろう。メスのカブトムシにも見えるが、まだカブトムシが活発に活動する時期ではない。ましてや、このような海の上の人工島でカブトムシを見るなど、殆ど奇跡に期待するしかないのではないだろうか。

 

 何だろうと思ってみていると、虫はジャンヌのむき出しの膝の辺りにピトッと止まった。

 

 と、

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 突然の事で驚いたのか、ジャンヌは悲鳴を上げて思いっきりバランスを崩した。

 

「あ、じゃ、ジャンヌ、そっちはッ」

 

 友哉は制止しようとするが、既に遅い。

 

「ギャッ!?」

 

 ジャンヌの足は、たまたま蓋が外れていた側溝に嵌まり込んでしまった。

 

「ジャンヌ先輩、大丈夫ですか!?」

「あ、ああ、このくらいは・・・・・・」

 

 幸いにして、水の通っていない側溝だったらしく、靴や衣服が汚れる事も無い。

 

 だが、そこで終わらなかった。

 

 一同が胸をなでおろす中、

 

 ブロロロ~

 

 今度はそこへ、運悪く大型バスが通りかかった。

 

「ジャンヌ~~~~~~~~~~~~」

 

 悲鳴を上げる一同。

 

 その目の前で、

 

 ジャンヌは思いっきりバスに轢かれてはね飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ジャンヌ・ダルク30世。極東の地において、謂れ無き災禍によって散りぬ。享年16歳。その可憐なる容姿、その気高き精神、その誇り高き武勇は、偉大なる先祖、初代ジャンヌ・ダルクと比して勝るとも劣らぬ物であった』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何だかお空の彼方で、爽やかな笑顔を浮かべたジャンヌが、キラッと輝いた。

 

 

 

 

 

 ような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう、危ない所だった」

「おろっ!?」「あれ!?」「ええ~!?」

 

 何事も無く現われたジャンヌに、度肝を抜かれる一同。

 

「じゃ、ジャンヌ、生きてたんだ?」

「当然だ。あの程度で、私が死ぬはずないだろう」

 

 そう言うと、腰に手を当てて誇らしげに胸を張るジャンヌ。

 

 次の瞬間、

 

 カクンッ

 

「・・・・・・あ、あれ?」

 

 ジャンヌの視界の中で、世界が斜めに傾いだ。

 

 否、傾いているのは彼女自身である。

 

 ジャンヌの片足は、まるで力が抜けたように地面を膝に突いていた。

 

「・・・・・・・・・・・・えっと、救護科、行っとく?」

「・・・・・・・・・・・・た、頼む」

 

 

 

 

 

 救護科の先輩、高荷紗枝に連絡を着けると、彼女はたまたま武偵病院で夜勤当番だったらしく、眠い目をこすりながらも診察に応じてくれた。

 

 彼女の指定した保健室に入ると紗枝は既に来ており、ジャンヌを自分の前に座らせて何度か触診をしてみた後、カルテにメモしていく。

 

「捻挫ね」

 

 紗枝が下した結論がそれだった。

 

「全治2週間ってところかしら。まったく、どうすれば、こんなひどい捻挫ができるのよ。虫に驚いて側溝に嵌った後、通り掛かったバスにでも轢かれたの?」

 

 『いや、見てたんかいッ!!』と言う心の中の突っ込みを一同がする中、紗枝は的確に処置していく。ジャンヌの足を軽いギプスで固定し、その上から更に包帯を巻く。

 

「暫くは、あまり動かさないように。戦闘訓練も禁止よ」

「このくらいなら大丈夫だ。問題は無い」

 

 ジャンヌがそう言った時、

 

「医者の言う事は聞きなさい、ね」

 

 どこから取り出したのか、紗枝の手には医療用のメスが握られ、その刃をジャンヌの頬に当てていた。

 

 スッと、血の気が下がる。

 

 救護科と言う、比較的荒事と縁遠い学科に所属する紗枝だが、そこは武偵校の3年。いくつもの修羅場を潜り抜けて来ている点では、同級生達に引けを取らない。純粋な戦闘力では敵わずとも、凄みと言う点では友哉達の遥かに上を行っている。

 

「いい、OK?」

「わ、判った・・・・・・」

 

 メスで頬をピタピタと叩かれながら、ジャンヌは首を縦に振る。その顔は哀れなほど青ざめていた。

 

「そう、じゃあ、そこにある松葉杖から、体に合う奴を適当に持って行って良いわよ」

 

 そう言うと、紗枝は壁の隅に立てかけている松葉杖の方を指差した。

 

「あ、そうだ、緋村君」

 

 ジャンヌ達が松葉杖の選別を始めると、紗枝は友哉を呼び止めた。

 

「おろ、何ですか?」

「折り入って、君に話しておこうと思っていた事があるの。ちょっと、時間作れる?」

 

 時計を見れば、まだ始業には間がある。ここで話を聞いてから教室に向かっても充分に間に合う筈だ。

 

「構いませんよ」

 

 そう言って、友哉は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い廊下を歩くと、目的の部屋が見えて来た。

 

 扉の前に立ち、ノックをする。

 

「どうぞ、開いているよ」

 

 中から聞こえる気さくな声。

 

「失礼します」

 

 由比彰彦(ゆい あきひこ)が扉を開けて中に入ると、中には1人の男性が執務机を挟んで椅子に座っていた。

 

 オールバックの髪に、高い鼻の端正な顔立ちの青年だ。

 

 その深い瞳は全てを見通せると思えるほど深く澄み渡り、知性を感じさせる顔立ちは侵しがたい神聖な雰囲気がある。

 

 大柄な体を古めかしいスーツで包んだその男性こそが、イ・ウーのリーダー「教授(プロフェシオン)」である。

 

「良く来てくれたね。体はもう良いのかい?」

「はい。おかげ様で。しかし、この年になると、風邪ひとつひくだけでも長引いてしまいますね」

 

 そう言って彰彦は仮面の奥で苦笑する。

 

 4月のハイジャック事件からこっち、体調を崩してしまい、治った後も各方面の作戦支援に駆けまわっていた為、イ・ウーに戻って来たのはつい先日の事だった。

 

 だが教授自らのお呼び出しとくれば、他の用事は全て瑣事と化す。

 

 彰彦はいくつか残っていた用事をすべてキャンセルし、急ぎ帰還したのだ。

 

「教授自ら、私をわざわざ任地から呼び出したと言う事は、いよいよ、ですかな?」

 

 探るような彰彦の言葉に、教授は我が意を得たりとばかりにニッコリ微笑んだ。

 

「流石だね。説明が不要で助かるよ」

「当然ですよ。私がイ・ウーにいる理由はそれなのですから」

 

 教授の悲願。

 

 その成就こそが《仕立屋》としての本懐だと思っていた。

 

「僕の推理が正しければ、間もなくパトラ君が行動を起こす筈だ。それを君が密かにフォローしてもらいたい」

「フォローですか。しかし、パトラさんはプライドの高い方。支援など受け付けないでしょう」

「だから、」

 

 教授はニッコリと微笑んだ。

 

「密かにやるんだよ。君の配下で、すぐに動けるのは川島君と、杉本君だったね。この2人は確か日本にいた筈だ」

 

 流石と言うべきか。まるで見て来たように、こちらのスケジュールを把握している。

 

「そうですね。他の方は、まだ任務で戻れないでしょう。日本にいるのはその2人くらいでしょうか」

「じゃあ、彼等に連絡を取ってくれたまえ」

「判りました」

 

 彰彦は恭しく頭を下げる。

 

「いよいよですね」

「ああ、本当に長かったよ」

 

 感慨に耽るような教授の様子に、彰彦は表情が引き締まるのを感じずにはいられない。

 

 この作戦が発動したなら、かつて無い死闘になるかもしれない。

 

 そして・・・・・・・・・・・・

 

『恐らく、彼もまた、出て来る事になるだろう』

 

 緋村友哉。

 

 あのハイジャック事件の時、《仕立屋》として長く戦場に身を置いて来た自分に土を付けた存在。

 

 彼の存在があるからこそ、教授は彰彦を呼び戻したのだ。

 

 仮面の奥で目を細める。

 

 彼との決着を付ける時が、来たのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 授業を終え、寮に戻った友哉は、ソファに身を投げ出して天井を仰いだ。

 

 思い出されるのは、朝に紗枝に言われた事だった。

 

 あの後、呼びとめられて1人残った友哉に、紗枝は深刻そうな顔で切り出した。

 

『話って言うのはね、瀬田さんの事なの?』

『おろ、茉莉の事ですか?』

『あらあら、いつの間にか名前で呼んじゃって。仲良いわね』

『いや、別にそう言う訳じゃ・・・・・・』

 

 茉莉の方はまだ友哉を名前では呼んでいない為、呼び「合って」いる訳ではない。

 

 友哉をからかってから、紗枝は真顔に戻った。

 

『まあ、冗談はさておき、あの娘、少し気に掛けておいた方がいいわよ』

『どういう事です?』

『うん。この間、彼女の事、診察したじゃない』

 

 茉莉は紅鳴館での潜入作戦を実行する前に、貧血で倒れた事がある。その時診察に応じてくれたのが紗枝だった。

 

『あの後、気になって、あたしのほうでも少し調べてみたのよ。そしたら、教務課から取り寄せた資料なんだけど、これ・・・・・・』

 

 そう言って紗枝が差し出したのは、教務課の任務受諾記録だった。武偵校では専門科目に応じて様々な任務が設けられ、それを任意でこなす事ができる。更には重要な案件になると、教務課から直接命じられる場合もあった。

 

 その書類を見て、友哉は思わず目を剥く。

 

 茉莉は何と、1日に最低でも1つ。多い時は4つもの任務を請け負いこなしているのだ。

 

 調査依頼や、失せ物捜索等、簡単な仕事が大半であるが、中には強襲科向けのハードな制圧任務も含まれている。

 

 明らかなオーバーワークだった。

 

『こんなんじゃ、貧血にもなるわよ。緋村君は把握していたの?』

 

 溜息交じりに尋ねる紗枝に、友哉は驚きを隠せぬままに首を振る。

 

『いえ、知りませんでした』

『でしょうね。あなたの性格からすれば、知ってれば止めてるでしょうし』

 

 しかし、この依頼受諾量は異様だ。確かに武偵校では依頼の受諾は個々人に委ねられているが、茉莉のは常軌を逸しているレベルだ。しかも茉莉は、受けた依頼を全てパーフェクトにこなしている。

 

『あの娘、ひょっとしてお金に困っていたりするのかしら?』

『いや、そんな事は今までは・・・・・・』

 

 そう言ってから、友哉はハッとする。

 

 自分は茉莉の事を殆ど知らない事に、今更気付いたのだ。

 

『とにかく、もう少し彼女には、気を配るようにしておいて。何かあってからじゃ遅いんだから』

『・・・・・・判りました』

 

 結局、今日一日、その事で頭がいっぱいだった。

 

 瀬田茉莉。

 

 イ・ウーでの通り名は《天剣》の茉莉。

 

 初めて剣を交えたのは、5月に起きた魔剣事件の時。

 

 だが、それ以前の事は何も知らない。

 

 どこから来て、どのような道を歩んで来たのか。そして、どこへ行こうとしているのか。

 

 知りたい。

 

 純粋に、彼女の事をもっと知りたいと思った。

 

 そう考えた時だった。

 

 机の上に置いておいた携帯電話が、着信を告げる。

 

 手にとって耳に当てる。

 

「もしもし」

《緋村か、遠山だ。忙しい所をすまん》

 

 相手は友人でクラスメイトの遠山キンジだった。何やら慌てている様子のキンジに、友哉は訝るように首をかしげた。

 

「おろ、キンジ。別に今は忙しくないけど、どうしたの?」

 

 そんな友哉に、キンジは緊張しきった顔で告げた。

 

《すまん、緋村、俺を助けてくれッ》

 

 何やら、深刻な事態が起こっているであろう事は、その一言で充分に伝わって来た。

 

 

 

 

 

第1話「夏も近付く」      終わり

 


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