緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第5話「奪われし者達」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車のシートに身を預け、男は黙って煙草を吹かしていた。

 

 目線の先には、日本最大級のカジノの建物がある。

 

 先代の都知事が何をトチ狂ったのか、あのような趣味の悪い建物にしてしまったが、あれはあれで人気のあるデザインであるらしい。

 

 もっとも、カジノなどと言う物に、一切興味を持っていない男としては心の底からどうでも良い話ではある。

 

 短くなった煙草を車載灰皿に押しつけ、更に新しい1本を取り出して火を付けた。

 

 大きく肺まで吸い込み、そして吐き出す。

 

 苦みを伴った紫煙が、肺に至福を齎す。

 

 時計に目をやる。

 

 情報通りなら、間もなく動きがある筈だが。

 

 そう思った時、建物の中ら一斉に人が流れ出て来るのが見えた。

 

 スーツやドレスに着飾った客達の顔は、一様にこわばり、何かに恐れて逃げ惑っているのが車の中からでも見る事ができた。

 

「・・・・・・・・・・・・ようやくか」

 

 張り込みと言うのも楽ではない。が、情報に間違いは無かった。

 

 人の波は、途切れる事無く入口から吐き出され続ける。

 

 その様子からも、中で起こっている事が只事ではない事が窺える。

 

「・・・・・・さて、それじゃあ、行くとするか」

 

 半分くらい吸った煙草を灰皿に押し付ける男。

 

 その手で、助手席に置いておいた日本刀を取り、車のドアを開けた。

 

 

 

 

 

 並んだテーブルの上を跳ねるように走りながら、友哉は手にした逆刃刀を振るう。

 

 その行く手には、犬の顔をした異形の男が斧を振り翳して立つ。

 

 振り上げられた斧が、真っ直ぐに友哉へと振り下ろされる。

 

 しかし、当たらない。

 

 斧は虚しく友哉の足元にあったテーブルを破壊するに留まった。

 

「ハッ!!」

 

 友哉は天井近くまで跳躍する事で回避、そのまま急降下して刀を犬頭へと叩きつけた。

 

 友哉の剣をまともに受けた犬頭は、そのまま崩れ落ちるように床へ倒れ、砂にその体を変じる。

 

 先程から、この繰り返しだ。

 

 この犬頭が、どうやら、超能力的な何かによって動かされている人外である事は理解したが、それがどういう存在なのかまでは理解が追いつかない。

 

 だが、今はさし当たって相手の正体は問題ではない。

 

 今は、押し寄せて来る敵を如何に食い止めるかが重要であった。

 

 他の3人も、それぞれに応戦している。

 

 茉莉は高速で移動しながら、手にしたブローニング・ハイパワーDAを的確に照準し放って行く。

 

 今回、茉莉は持ち歩きに不便な刀ではなく、銃を装備して来ている。しかし、縮地と言う神速の移動術と、それの下地となる正確無比な照準力を持つ彼女にとって、武器の違いによるハンデなど無いに等しい。

 

 額や、心臓に当たる部分を正確に射抜かれ、倒れると同時に砂へと変わる。

 

 一方の、瑠香は愛用のマシンガン、イングラムM10を振り翳して応戦している。こちらは茉莉ほど正確な照準はできないが、弾数と連射速度で圧倒している。ばらまくように放たれた弾丸は、犬頭達を次々とハチの巣にしていく。

 

 無論、犬頭達は瑠香にも斬りかかるが、

 

「ハッ!!」

 

 短い掛け声とともに、瑠香は跳躍。犬頭達の上空へと躍り出る。

 

 一瞬、目標を見失った犬頭達が動きを止める中、忍びの末裔たる少女は、鋭く獲物を見定め引き金を引く。

 

 ばらまかれた弾丸は、立ち尽くす犬頭達を容赦なく撃ち抜いて行った。

 

 茉莉も瑠香も、その俊敏な動作と、バニーガールと言う可愛らしい恰好から、可憐なウサギが無邪気に飛び跳ねているような印象を受ける。

 

 だが、彼女達はただのウサギではない。その身に牙を持つ咬兎だ。その可憐さは、獰猛さを隠す為のベールでしか無い。彼女達の牙に掛かれば、猟犬もただの木偶と化すだろう。

 

 そして、

 

「おらぁぁぁ!!」

 

 中で、最も豪快な戦い方をしているのはこの男であろう。

 

 陣の戦い方はシンプルだ。

 

 かつてカナが人間戦車と評した通り、圧倒的な防御力とダッシュ力で突進。自身の間合いまで踏み込んで、拳で殴りつける。

 

 シンプルだが、それ故に強い。

 

 加えて、

 

「おぉ、らァァァァァァ!!」

 

 叩きつけられる、右の拳。

 

 次の瞬間、犬頭は胸部から弾けるようにして吹き飛んだ。

 

 二重の極み

 

 二度の打撃を瞬時に加える事で物質の抵抗をゼロにまで減らし、拳の打撃を対象に直接伝導する、陣の持つ必殺技。

 

 陣はこの技を、人相手には決して振るわないと決めているが、相手が人でないと判れば、もはや遠慮容赦は無用だ。

 

 後から迫った犬頭に対し、裏拳気味に二重の極みを叩きつける。

 

 その一撃で首から上を吹き飛ばされた犬頭は、よたよたと数歩後退した後、そのまま砂となって崩れ落ちた。

 

 封印の解かれた拳は、何物をも粉砕しうる強力な砲弾と化して、人以外のあらゆる物を粉砕してのける。

 

 武偵4人の猛攻を前にしては、いかに人外の存在とは言え、抗し切れる物ではない。

 

 友哉は素早く状況を確認する。

 

 交戦当初から比べて、敵の数は減ってきている。勝負を掛けるなら、今だった。

 

「茉莉、陣、瑠香、敵をなるべく中央に集めて!!」

 

 友哉の指示に、3人は頷くと、残った敵を弾くようにしてカジノホールの中央へと寄せて行く。

 

 その様子を見て、友哉は駆けた。

 

 飛天御剣流は、元々こう言う戦い方をする為に編み出されたような物。敵の数が減っている今なら尚更好都合だ。

 

 残った敵は、5体。皆、中央に集められ立ち尽くしている。

 

 そこへ、友哉は逆刃刀を振り翳して踏み込んだ。

 

 間合いに入ると同時に、軸足を強く踏みしめ、刀を持つ両手へ力を込める。

 

「飛天御剣流、龍巣閃!!」

 

 縦横に走る斬線が、視界を細切れに裁断する。

 

 その一撃一撃が、確実に犬頭を捉えて叩き伏せていく。

 

 犬頭達に成す術は無い。

 

 ただその場に立ち尽くし、その身を砂と散らして行くしか無かった。

 

 友哉が最後の一撃を振り切った瞬間、最後の犬頭が声にならない絶叫と共に、その場へと崩れ落ちた。

 

「・・・・・・終わったね」

 

 友哉は呟くように言うと、逆刃刀を鞘に収める。

 

 既に周りから犬頭達が湧き出て来る気配は無い。

 

 だが、ホール内は惨憺たる有様になっていた。

 

 調度品は全て破壊され、テーブルもひっくり返され、床にはカードやチップが散乱している。とても、ここが日本最大のカジノだとは思えないほどだった。

 

 周りに倒れている人の姿は見られない。どうやら皆、無事に脱出してくれたらしい。

 

 だが、まだホールの奥ではキンジ達が戦っている可能性がある。彼等の援護に行かねばならなかった。

 

「よし、じゃあ、ここはもう良いから・・・・・・」

 

 友哉が、そう言い掛けた時だった。

 

 背後で、何か巨大な影が躍ったような気がした。

 

 振り返る、視線の先。

 

 そこには、

 

 今までのと比べると、数倍の巨体を誇る犬頭が拳を振り上げて立っていた。

 

 その巨大な拳が、振り下ろされる。

 

「クッ!!」

 

 とっさに身を翻し、攻撃を回避する友哉。

 

 轟音と共に、床の破片が飛び散る。

 

 その一撃で、床が陥没する程の衝撃がホール内に走った。

 

「参ったね・・・・・・」

 

 距離を取って着地しながら、改めて相手に目をやる友哉。

 

 犬頭はかなりの巨体だ。さっきまでのは、せいぜい人間の大人くらいの体格しか無かったが、今目の前にいるのは、ゆうにその3倍はある。先月戦ったブラドと同じくらいだ。

 

 こんな巨大な敵が、一体どうやって、気配も無く現われたのか。

 

 そう思った時、友哉は傍と気付いた。

 

 さっきまで床に散らばっていた筈の大量の砂が、全て消え去っている。

 

 つまり、目の前の巨大犬頭は、それらの砂を合せて造られた物なのだ。接近して来たのではなく、いきなりこの場で現われたのだから気配に気付けなかったとしても無理は無い。

 

「クッ!!」

 

 友哉は振り翳された拳を後退してかわしながら、回避、同時に逆刃刀の柄に手を掛けた。

 

 見たところ、相手はただ図体がでかいだけで、特別に何か能力を持っていると言う訳でもなさそうだ。ならば、通常攻撃の身で仕留める事が可能だろう。

 

 そう思った時だった。

 

「倒した敵の生死くらい確認しろ。だからお前は甘いと言うんだ」

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 突然、背後から声を掛けられ、友哉は振り返る。

 

 そこには、1人の男が立っていた。手には抜き身の日本刀を持ち、鋭い眼光から放たれる殺気は、まるで飢えた獣の如く、獲物を食い千切る時を待っているようだ。

 

「あなたはッ・・・・・・・・・・・・」

 

 その人物の姿を見て、友哉は驚愕した。

 

 男は左手に長く構えた刀の切っ先を真っ直ぐに犬頭に向けた状態から、弓を引くように構え。右手は長く突き出した刃を支えるように前へと伸ばした。

 

「・・・・・・どけっ」

 

 短い口調。

 

 しかし、その一言は、友哉を退かせるには充分な物だった。

 

 あれはまずい。

 

 友哉の第六感が強烈に告げている。

 

 よけろ、と。命が惜しかったら、今すぐそこをどけ、と。

 

 飛び退く友哉。

 

 次の瞬間、

 

 狼が、牙をむき出した。

 

 疾走。

 

 閃光が空間を切り裂き、大気その物が爆ぜる。

 

 かつて、幕末の京都において、維新志士達にとって最強最悪の宿敵と呼ばれた剣客集団が存在した。

 

 京都守護職会津公から京都の治安維持を託されたその集団の名は「新撰組」。

 

 その新撰組において、基本戦術の一つとされたのが、刀を片手に持ち、刃を寝かせて相手に突き込む型が存在する。

 

 戦術の鬼才、新撰組副長土方歳三が考案した「片手平刺突」は、その威力、派生において死角の存在しない良技と称されている。

 

 しかし、

 

 その片手平突きを、ある男が使うと、その技はあらゆる存在を凌駕しうる、恐るべき牙と化したと言う。

 

 

 

 

 

 ザンッ

 

 

 

 

 

 

 刃の切っ先は、一部の狂いも無く犬頭の体に吸い込まれ、

 

 そして破砕した。

 

 否、食いちぎったと言うべきか。

 

 刃を食らった犬頭の体は、衝撃に耐えきれずに上下で分断され、ちぎれた上半身は空中に舞っていた。

 

 新撰組三番隊組長 斎藤一が得意とし、敵対した存在全てを仕留めて来た凶悪な技。

 

 左片手一本突き

 

 またの名を、牙突。

 

 牙が突き穿つと書いて牙突は、受けた存在の命を確実に奪う恐るべき技であった。

 

「なっ・・・・・・」

 

 目を見張る友哉。

 

 何と言う威力だ。いや、そんな言葉では語り尽くせない。

 

 想像を絶するとは、この事だ。

 

 もしこれを人間が食らったなら、その人物は間違いなく肉片と化すだろう。

 

 犬頭を一撃の下に屠った男は、残心を解くとゆっくりと友哉に振り返った。

 

「・・・・・・そう言えば、お前達には本名を名乗って無かったな」

 

 その男、紅鳴館の執事長、山日志郎は、今まで友哉達に見せた事も無いような鋭い眼光を向けて言った。

 

「警視庁公安部、第0課特殊班所属、斎藤一馬(さいとう かずま)巡査部長だ」

「ッ、公安0課!?」

 

 つまり、山日志郎は現職の警察官と言う事だ。

 

 しかも、

 

 公安0課。それは「殺しのライセンス」を持ち、凶悪犯に対する無許可の殺傷権を持つ、武装検事と並んで日本国内最強を名実ともに噂される存在だ。

 

 そんな危険な存在が、紅鳴館では自分達のすぐ近くにいたとは。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は無言。

 

 しかし、刀の柄に掛けた手を離す気にはなれない。

 

 ハッキリ言って、友哉には今まで対峙していた犬頭達より、目の前の男の方が危険に見えているのだ。

 

 紅鳴館で「山日志郎」に感じていた得体の知れない恐怖感は杞憂ではなかった。

 

 山日志郎、いや、斎藤一馬。この男は危険だ。

 

 ここで殺るか。

 

 自分の立場も、相手の立場も忘れて、一瞬友哉はそう思ってしまった。

 

 その時、

 

「キャァァァァァァ!!」

 

 引き裂くような悲鳴に、友哉は我に返った。

 

「何だテメェ等は!!」

「四乃森さん!!」

 

 陣と茉莉の叫ぶ声が、緊張感を否が応でも増幅させる。

 

 振り返ると、

 

 そこには2人組の人間が、陣達と対峙するようにして立っていた。

 

 1人は、ベリーショートに切りそろえた髪と、スラリとした四肢から、スーツを着た少年に一見すると見える。しかし胸が僅かに膨らんでいるのが見える事から、女性である事が判る。その整った顔立ちからモデルのような印象も受ける。

 

 その彼女の手には、気を失っているのか、グッタリとしている瑠香が抱えられていた。

 

 そしてもう1人。

 

 日本刀を手に、彼女の前に立つ男には、友哉も見覚えがあった。

 

「あなたはっ」

「よう、また会ったな、お嬢さん」

 

 そう言って人懐っこい笑みを浮かべて来る男は、あのポーカー台で相席になった男だった。

 

「そうかそうか、あんたが旦那の言っていた緋村友哉か。俺とした事が、まさか男をくどいちまうとはな」

 

 そう言って、苦笑しながら頭に手をやる。そこには一切の気負いは無く、まるで世間話でもするかのような気軽さで語る。

 

「でも、その格好の君が魅力的だっていうのは、今も変わらないぜ」

「・・・・・・あなた達は、誰ですか?」

 

 軽口には取り合わず、友哉は警戒心を持って対峙する。

 

 男の正体が何者であれ、その頭は瑠香をどうやって取り戻すかをシュミレートしていく。

 

 男に一撃斬りかかり、怯ませると同時に全速でその脇を抜け、そして背後の女へ斬りかかるか。それとも、打ち合わせはしていないが、陣や茉莉が連携してくれる事を見越して、彼等に陽動を頼むか・・・・・・

 

 そんな事を考えていると、男は口を開いた。

 

「悪いが、今この娘を返す事はできない。何しろ、うちの旦那からの御所望なんでな」

「杉村、そろそろ・・・・・・」

 

 背後の女に促され、男は振り返った。

 

「ああ、そうだな。川島。お前は先に行け。こいつ等の相手は俺がする」

「了解」

 

 短くそう言うと、川島と呼ばれた少女は、瑠香を抱えたまま踵を返す。そのまま戦線離脱するつもりなのだ。

 

「待ちやがれ!!」

「行かせません!!」

 

 陣が拳を掲げ、茉莉がブローニングを構えて追い掛けようとする。

 

 しかし、

 

 一瞬、

 

 その隙に、杉村と名乗った男は、2人の前へ躍り出た。

 

「お前等の相手は俺だと言った筈だぜ」

 

 口元に浮かべられた笑み。その手には、いつの間に抜いたのか一振りの日本刀がある。

 

 刀を下段に構える杉村。

 

 そこへ、茉莉と陣が間合いの中へと踏み込んだ。

 

「退けェェェェェェ!!」

 

 陣が拳を振り上げる。

 

 刀を構えた、杉村の目が一瞬細められた。

 

 その瞬間、

 

 友哉の背筋に、凄まじい寒気が走った。

 

「ダメだ、避けて!!」

 

 友哉が叫んだ瞬間、

 

 杉村は刀を勢い良く振り上げる。

 

 その空圧が、容赦無く陣と茉莉を襲った。

 

「グッ!?」

「キャァッ!?」

 

 陣はどうにか踏み止まったが、体重の軽い茉莉などは、そのまま背中から倒れてしまったくらいだ。

 

 動きを止める2人。

 

 その眼前で、刀を大上段に振り上げた杉村。

 

 次の瞬間、

 

 杉村が剣を振り下ろしたのと、

 

 友哉が斬り込んだのは、ほぼ同時だった。

 

 神速の接近からの抜刀術。

 

 振り抜かれた逆刃刀が、杉村の刀と触れあった。

 

 ギィィィンッ

 

 凄まじい火花と金属音。

 

 次の瞬間、友哉の体は背中に向かって大きく弾き飛ばされた。

 

 それのみに留まらない。

 

 振り下ろした勢いを殆ど殺されなった杉村の剣は、床に叩きつけられ、轟音と共に、そこへ半径数メートル単位のクレーターを作り上げた。

 

「ッ!?」

 

 弾き飛ばされた状態から体勢を入れ替え、辛うじて着地に成功した友哉は思わず息を飲む。

 

 大理石の床に、正円を描くクレーターが一瞬にして出来上がっている。

 

 この威力。先程の斎藤の突き技と比較しても、何ら遜色があるようには見えない。

 

「・・・・・・やるねえ」

 

 そう言って、杉村はニヤリと笑った。

 

「流石、旦那が目を掛けただけの事はある。俺の龍飛剣に合わせられた奴は、お前が初めてだよ」

 

 そう言うと、杉村は友哉に向けて、何かを放って寄こした。

 

 足元に転がった物を拾い上げると、それがGPS機能の付いたデジタルマップである事が判った。

 

 踵を返す杉村。

 

 そこで足を止め、振り返って言った。

 

「言って無かったな。俺は杉村、杉村義人(すぎむら よしと)。イ・ウー《仕立屋》の1人だよ」

 

 その一言が、友哉に対する最大級の挑戦状となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピラミディオン台場での警護任務は、終了を迎えた。

 

 施設、及び調度品の損害はそうとうな物になったものの、入場客、及びスタッフに死傷者は無く、任務としては最低限のレベルは達成できたと判断できた。

 

 だが、武偵校に戻った一同に、明るい空気は無かった。

 

 四乃森瑠香、そして神崎・H・アリア、両名が敵対組織に拉致、この場に戻ってくる事はできなかった。

 

 カジノ襲撃の主犯格と思われるのは、《砂礫の魔女》と言う異名で呼ばれる超能力者パトラ。かつてイ・ウーにおいてブラドをも凌ぐナンバー2の立ち位置にあり、その残虐性から、追放の憂き目にあった存在だ。

 

 自らを称してエジプトの女王、クレオ・パトラの転生者と称している女である。

 

「まさか、あのパトラが出てくるとはねえ。予想外だったよ」

 

 そう言ったのは理子である。

 

 現在、武偵校には招集できる限りのメンバーを集めて、事後の対策を練る事になっている。その中で、理子も集まってくれた1人だった。

 

 しかし、理子は今、右目にハート型の眼帯をしている。

 

「理子、その目は?」

「ああ、これね」

 

 尋ねた友哉に、理子はそう言って、自分の右目の眼帯を指差した。

 

「これはね、スカラベの呪いで眼疾を患っちゃったの。全治一週間だって」

「スカラベ?」

 

 聞いた事の無い単語に、友哉は首をかしげる。しかも呪いとは。

 

 因みに呪いとは、既に一部が科学的に立証されている。言うなれば心理的圧迫感を相手に与える事で、一種のうつ状態を誘発するのが目的の攻撃手段であるが、理子のは最早、そんなレベルの話ではなかった。

 

 目を見えなくしてしまう呪い。それもまた、超能力の一種なのだろうか?

 

「あれ、ユッチー、スカラベ知らない?」

「いや、知らないけど・・・・・・」

 

 そんな「あのお店知らないの? 遅れてるね」みたいなノリで言われても困るのだが。

 

「でも、ジャンヌが足怪我した時、一緒にいたんだよね。その時さ、何か大きいコガネムシみたいなの見なかった?」

 

 それで思い出す。

 

 確かに、ジャンヌが怪我をした時、そのような虫を見た気がする。それに、カジノを襲った犬頭の体内からも同じような虫が現れた。

 

 あれがスカラベだったのだ。

 

 スカラベとはフンコロガシの名称でも知られ、古代エジプトでは聖なる甲虫として崇拝された存在である。映画「ハムナプトラ」では食人虫として登場し、視聴者を恐れさせたのは有名である。

 

「古代エジプトって事は、それももしかして、パトラの呪いなの?」

「そ。多分パトラは、理子やジャンヌみたいな、自分に邪魔になりそうな人間を先に排除してから、今回の計画を仕掛けて来たんだと思う」

「計画・・・パトラの狙いって一体何なの?」

 

 カジノを襲い、アリアや瑠香を拉致して、その自称エジプトの王は何をしたいのだろうか?

 

「恐らく、イ・ウーの頂点、ナンバー1になる事だ」

 

 友哉の質問には、別の方向から答えが返った。

 

 見れば、ジャンヌが松葉杖を突きながら部屋に入って来るところだった。その後にはキンジ、白雪、レキも続いている。

 

「イ・ウーのナンバー1?」

「そうだ。パトラには誇大妄想の気があってな。現在イ・ウーを率いている教授が死ねば、次は自分がリーダーになると思っている。そしてまずはエジプトを、そしてゆくゆくは世界征服をも目論んでいる」

「世界征服って、そんな大げさな」

「決して、大げさな話じゃないんです。そう思わせるには充分な力と規模を、イ・ウーは誇っているんです」

 

 そう言ったのは茉莉だった。彼女も病院で一応の検査を受けた後、こちらに合流していた。

 

「兄さ・・・カナが言っていた。アリアの命はあと24時間持つ。パトラはその間に、イ・ウーの教授って奴に、自分を後継者にするように交渉するそうだ」

 

 そう告げたキンジは、いつも以上に焦燥した雰囲気がある。

 

 聞けば、アリアは彼の目の前で浚われたと言う。大切なパートナーを助けられなかったのだから、そのショックは大きいだろう。

 

 気持ちは友哉にも判る。大切な人を守れなかったという意味では友哉も同じだ。大切な幼馴染であり戦妹でもある瑠香を浚われてしまった。しかも相手はあの仕立屋、由比彰彦の仲間である。悔しくない訳がない。

 

 そして、その悔しさは、この場にいる全員が共通している者だと思う。

 

 友哉、キンジ、白雪、レキ、陣、茉莉、ジャンヌ、理子、そして車輛科の武藤剛気が遅れて入って来るのが見えた。

 

 皆一様に、浚われた仲間の身を案じ、彼女達を助けようと集まった者達だ。

 

「では、作戦会議を始める」

 

 壇上に立ったジャンヌが、凛とした声で告げた。作戦立案能力に長けた彼女が、参謀として作戦立案を行ったのだ。

 

「現在までのところ、星伽の占い、理子がアリアの服に取り付けた発信機、そして緋村が提供してくれたGPS情報により敵、パトラの正確な位置が判明している」

 

 友哉が杉村から渡されたGPSは、帰ってくるとすぐに情報科のジャンヌに渡して解析を頼んでいた。その結果が既に出たのだろう。

 

 ジャンヌの後ろのパネルが点灯し、デジタル化された地図が浮かび上がる。そこは、北海道の北部、オホーツク海周辺から太平洋域を映した物だった。

 

 その一点を、ジャンヌは手にした棒で差した。

 

「北緯43度19分、東経155度03分。太平洋上、ウルップ島沖の公海上だ」

「その辺に島は無い筈だから、多分、船か何かを使ってるんだろうな」

 

 ジャンヌの言葉に、武藤はそう言った。乗り物に関するエキスパートである彼は、当然海図も頭に入っている。

 

 ジャンヌは武藤の言葉に頷く。

 

「恐らく武藤の言う通りだろう。そしてそこには、アリアや四乃森、パトラだけじゃなく、カジノを襲ったと言う、奴のゴレムも多数存在している筈だ」

 

 あの犬頭達がゴレムと呼ばれる存在であると友哉が知ったのは、武偵校に戻ってジャンヌの話を聞いてからである。確かに人間ではない事は判っていたが、どうやら超能力で動く人形であるらしい。そう言われれば、納得のいく物がある。

 

 ジャンヌは説明を続ける。

 

「今回は時間が無いので、複雑な作戦は組まずシンプルに行く。要するに強行突入作戦の応用だ。まず部隊を3つに分ける。実際の突入を担当するアルファ、囮を担当するベータ、輸送と火力支援を担当するデルタだ。アルファチームは、遠山と星伽が担当する。任務はアリア、四乃森の救出とパトラの捕縛となる。パトラ本人と戦う可能性が高い以上、この中で奴に対抗できるのは星伽だけだ。それに遠山はアリアのパートナーだし、星伽とは付き合いも長いから支援には最適だろう」

 

 確かに、白雪程の実力者であるなら、かなり高位のステルスが相手でも互角に戦える筈だった。

 

「次にベータ、こちらは緋村、相良、瀬田の3人だ。任務はアルファに先行して、敵兵の目を引き付ける事。敵船の甲板上でできるだけ派手に暴れ、敵の注意を引き付けるんだ」

 

 最後にジャンヌは、レキと武藤に目を向けた。

 

「最後にデルタは、武藤、レキ、お前達だ。任務はベータチーム輸送後、目標上空に留まって火力にて支援する事。既に音速ヘリの使用許可は取ってある」

「おう、任せとけ」

「・・・・・・」

 

 不敵に笑う武藤と、無言のまま頷くレキ。

 

「みんな、この作戦は時間との勝負だ。間もなく、アリア救出期限まで11時間を切ろうとしている。最早一刻の猶予も無い。各人、己の本分にて最善を尽くせ」

 

 ジャンヌのその言葉で、作戦会議は終了となった。

 

 

 

 

 

 廊下に出ると、友哉は足を止めた。

 

 視線の先では、斎藤一馬が会議の終了を待っていたかのように、壁に背を凭れさせた状態で煙草を口にくわえていたのだ。

 

「・・・・・・ここ、禁煙ですよ」

「それは悪かったな」

 

 そう言うと悪びれた様子も見せず、一馬は煙草を手にした携帯灰皿に押しつけた。

 

 そして、友哉に真っ直ぐに向き直る。

 

「今回の作戦、俺も同行させてもらうぞ。既にお前等の教師には許可を取った」

「あなたも?」

 

 友哉は胡散臭い気持ちになる。この男の事は、初めて紅鳴館で出会った時から警戒していたが、カジノでその正体を知ってから、その想いはなお一層強くなっていた。

 

 そんな友哉の態度に、一馬は苦笑する。

 

「何だ、その嫌そうな顔は?」

「・・・・・・別に」

 

 そう言ってそっぽを向く。

 

 胡散臭い事には変わりないが、一馬の実力が本物である事は、カジノでの戦いで確認している。ついて来てくれるなら心強いのは確かだった。

 

「元々、イ・ウーの事は公安の方でも内偵を進めていた案件でな。俺が紅鳴館に潜っていたのもその一環だ」

「そうだったんですか」

「お前等を餌に、奴等がつられたんだ。相乗りしない手は無いだろう」

 

 潜入作戦の時とは随分と態度も口調も違う物である。話し方だけ聞いていれば、目の前の斎藤一馬と、紅鳴館にいた山日志郎が同一人物だとはとても思えない。

 

 だが、その根底にある不気味な雰囲気は変わらない。否、今や隠していた牙をむき出した狼は、剣呑とも言って良い気配を惜しみ無く発揮していた。

 

 しかも、事実上囮にされたと知り、友哉としても不愉快さは拭えなかった。

 

 そんな友哉とすれ違うように歩きながら、一馬は口を開く。

 

「お前には伝えた筈だぞ。人を殺す覚悟の無い奴は、いずれ自分か、味方の命を失う事になる、と」

「ッ!?」

 

 それは紅鳴館で山日志郎が友哉に告げた事。

 

 そして、その言葉通り、友哉は瑠香と言う大切な存在を敵に奪われる事になった。

 

「その結果がこれだ。お前は結局、お前自身の大切な物を守る事ができなかった。それは、お前の甘さ故に起こってしまった事だ」

「まだ失って無いッ」

 

 友哉は一馬の言葉を真っ向から否定するように叫んだ。

 

「アリアも、瑠香も、まだ死んでない。まだ取り戻せる!!」

 

 その目は真っ直ぐに一馬を見据えて射抜いている。

 

 揺るぎない、あらゆる障害に立ち向かう事を覚悟した勇気の籠った瞳である。

 

 奪われた仲間は、必ず取り戻す。友哉の瞳はそう語っている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 互いに無言のまま、睨み合う。

 

 戦う為には、相手を殺す事もやむなしと考える一馬に対し、友哉はあくまで武偵として、敵を殺さずに戦い抜くと決めている。

 

 互いの信念がぶつかり合い、激しく火花を散らす。

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

 

 ややあって、一馬は言った。

 

「お前の言葉がただの大口じゃないと、俺に証明して見せろ」

 

 そう言って歩き去る一馬の背中を、友哉は真っ直ぐに睨み据える。

 

 言われなくても判っている。

 

 アリアも、そして瑠香も、必ず助け出して見せる。

 

 友哉は信念を宿した瞳で、そう誓うのだった。

 

 

 

 

 

第5話「奪われし者達」      終わり

 


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