1
パァン と言う弾ける音が、室内にこだまする。
疾走する一馬、その剣先から水蒸気が迸り、突撃の速度は音速を超えた。
狙うはシャーロック・ホームズの首。
世界最高の名探偵を食い千切るべく、狼の末裔はその牙をむき出しにし、更に加速する。
その目指す先には、立ち尽くすシャーロックの姿。
「シャーロック・ホームズ、その首貰ったぞ!!」
咆哮を上げる牙狼。
その切っ先は鋭い牙と化し、シャーロックへと迫る。
対してシャーロックは黙したまま、迫る一馬を見据えながら立ち尽くしている。
と、シャーロックはスラックスのポケットに手を入れ、そこに入れておいた何かを取りだすと、それを空中にばらまいた。
「あれはッ!?」
その光景に、思わず声を上げるキンジ。
ベルセによって強化された視力は、空中に浮かぶその物体が何であるか的確にとらえている。
それは空中に浮かび、鈍く光る無数の鉄釘。その細長い切っ先は、例外なく突進してくる一馬へと向けられている。
あの《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリが使っていた能力だ。
エリザベートはイ・ウーの構成員ではなかったが、そんな彼女の技までシャーロックは使えるらしい。恐らくはブラドから聞いていたと考えられるが、それだけで他人の技を再現するあたり尋常ではない。
一斉掃射される鉄釘。
その一撃一撃が、突進する一馬に突き刺さって行った。
「クッ!?」
体中に無数の釘を受け、動きを止める一馬。
その攻撃だけで、牙突の突進力は失われてしまう。
さしもの一馬であっても、散弾に等しい攻撃を前にしては動きを止めざるを得なかった。
その様子に、シャーロックは満足そうに微笑む。
「僕の推理通りだね」
あくまでも予定調和であると、シャーロックは語って見せる。
「斎藤君。君の家系は先祖代々、潜入や暗殺を請け負う事が多かった。新撰組、軍の特殊部隊、そして公安警察。その君が僕の首を取りに来るとしたら、必ずや奇襲を仕掛けて来ると読んでいたよ。結果は、この通りだね」
条理予知と言う稀代の推理力を前にしては、狼の牙ですら彼の者に届かない。
だが、
「フンッ・・・・・・」
一馬は血まみれの体を引きずって立ち上がり、再び刀を持ち上げて牙突の構えを取る。
その目に宿る殺気の輝きには、聊かの陰りも見られない。
まだ、戦う気なのだ。
「やれやれ、まだ来るのかい?」
「愚問だなッ」
言い放つと同時に、空中高く飛び上がる一馬。
友哉の龍槌閃よりも高く飛び上がった一馬。その切っ先が、シャーロックへと向けられる。
「牙突・弐式!!」
急降下の勢いに乗せられて放たれる突き。
だが、
「フム、鋭いね」
落ち着き払ったシャーロックの声。
同時に、一馬の動きを見切り、後方に跳躍して回避する。
対して、
「逃がすかッ!!」
一馬は着地と同時に、追撃の体勢に入る。
構えは再び牙突。しかし、視線は尚も跳躍中のシャーロックを見据える。
瞬間、一馬もまたシャーロックを追って跳躍する。今度は相手も跳躍中、回避する事はできない。
「牙突・参式!!」
切っ先を上に向け、跳躍中の敵を狙う、言わば対空用の牙突。射程こそ、壱式、弐式に比べるとどうしても短くなってしまうが、鋭さと威力においては何ら劣ってはいない。
その斎藤の攻撃を前に、シャーロックは僅かに驚いた様子を見せた。
その切っ先がシャーロックを捉えるかと思った瞬間、
シャーロックのスクラマ・サクスが、鋭く一閃された。
交錯する一瞬の一撃。
それだけで、一馬の胸元が斬り裂かれた。
「グッ!?」
床へ降り立つ両者。
だが、片や自らの足で立ち、片や膝を突いている者。その勝敗は明確に分けられていた。
「大した物だね、君は」
肩を竦め、シャーロックは素直に感心したように言う。
「杉村君を相手に戦ったんだ。君も無傷ではないだろう。にもかかわらず、これだけの攻撃ができるんだからね。もし万全の状態の君が相手だったら、僕でも危なかったかもしれない」
既に満身創痍の様相となった一馬。
だが、それでも尚、立ち上がる。
新撰組隊規一条「士道に背くあるまじき事」。既に新撰組は崩壊し、過去の歴史の中にのみ存在している。しかし、そこで培われた精神は、子孫たちの血の中へと宿り、今も脈々と受け継がれている。
再び牙突の構えを取る一馬。
そんな一馬の前に、彰彦がシャーロックを守るように進み出た。
「教授、彼の相手は私が」
友哉をほぼ無傷で倒した彰彦は、自らの持つ全てを掛けてでも、この手負いの牙狼を押しとどめようとしているのだ。
教授の大願を成就させる。それが仕立屋としての彰彦の仕事であり、彼がイ・ウーに居続けた理由でもある。
「頼むよ」
信頼すべき部下であり、友でもある男にそう言い置くと、シャーロックは背を向けてキンジ達の方へと向き直る。彼自身に、既に時間が無くなりつつある。これ以上の遠回りは時間の無駄だった。
一馬と彰彦。
互いに剣の切っ先を向け合い、無言のまま対峙する。
キンジもまた、再びシャーロックと対峙する。
「これが、最後だね」
「ああ、そうだな」
互いに言葉を交わす、キンジとシャーロック。
その時、
「じゃあ、僕も、乗り遅れる訳にはいかないね」
キンジの背後から、絞り出すような声と共に人が立ちあがる気配がした。
一同がそちらへ向き直り、同時に彼の戦妹である少女が歓喜の声を上げる。
「友哉君ッ!!」
緋村友哉は、束縛を払うかのように、渾身の力で起き上がろうとしていた。
その様子に、彰彦は思わず、仮面の奥で目を剥いた。
「・・・・・・・・・・・・しまった」
本来なら、友哉を押さえるのが彼の役割だった筈。その為に、彰彦はこの場に残ったのだ。
だが、今の彼は、一馬と対峙している身。友哉を押さえる為には、一馬に背を向けなくてはならない。そして、それがどれほど危険な事かは、今更考えるまでも無かった。
《仕立屋》由比彰彦は、この最終局面において、痛恨の判断ミスをしたと言える。
「・・・・・・申し訳ありません、教授」
悔恨を言葉にする彰彦。
対してシャーロックの方は、どこか諦念を滲ませる言葉で返した。
「仕方がないさ。彼は、この場にあって紛う事無きイレギュラー。どうやら、僕の条理予知は完璧に過ぎたようだ」
八方手を尽くし、謀略に次ぐ謀略を仕掛け、罠に罠を重ねて尚、この未来を回避する事ができなかった。
友哉がこの場に介入する。その未来を変える事は、稀代の名探偵であっても不可能だったのだ。
イレギュラーは除き切れないからこそイレギュラーと言うべきか、ついに、キンジと友哉は、自分達の間合いの中にシャーロック・ホームズを捉えていた。
「キンジ、2人で掛かるよ」
彰彦は一馬と対峙している。こちらに介入する事はできない筈。
ならば、今こそ、キンジと友哉が同時にシャーロックに仕掛ける好機であった。
「お前と組むのは1年の時以来か。足引っ張るなよ」
「そっちこそ」
互いに笑みを交わす。
互いに感じる友情と、それ以上に感じる信頼でもって、2人の武偵は最後の戦いに臨む。
「友哉君・・・・・・」
「キンジ・・・・・・」
瑠香とアリア、2人の少女がそれぞれ、戦場に赴く2人の少年を見守る。
これが、最後の激突だ。
友哉は逆刃刀を正眼に構え、キンジはバタフライナイフを開いて構える。既に弾丸切れのキンジにとっては、これが最後の武器である。
見れば、一馬もまた牙突の構えを取り、
そしてシャーロックが、
史上最高最強の名探偵もまた、スクラマ・サクスを構えて迎え撃つ体勢を整える。
沈黙が舞い降りる。
ICBMの奏でる振動以外、何の音も聞こえない。
次の瞬間、
友哉が仕掛けた。
上空高く飛び上がり、刀を大上段に振り上げた。
2
ほぼ同時に、一馬もまた仕掛ける。
刀の切っ先を彰彦へ向け、一気に疾走する。
牙突。
愚直なまでに、ただ一つの事を追い続け、昇華した必殺剣。
それはある種の鉄壁と言う言葉にも似た、頑なさでもって、一本の牙を形成している。
「オォォォォォォォォォォォォォ!!」
放たれた牙は、しかし彰彦を捉える事は無い。
彰彦は刃が届く直前、空中に飛び上がって回避したのだ。
「なかなかなの突き技ですが、やはり教授の言うとおり、傷による減衰は避けられないようですね」
振り下ろすように向けるグロックの銃口。
しかし、その瞬間、彰彦は見た。
再び牙突の構えを取った一馬が、自分に向かってくるのを。
牙突・参式
対空用の牙突が、仮面の剣士に襲い掛かる。
「クッ!?」
照準を付けている暇は無い。
とっさに攻撃を諦めると、彰彦は一馬の剣を防ぎに掛る。
切っ先を逸らされ、横に流れる牙突。
しかし、
「それで防いだ心算か!!」
叫ぶ一馬。
次の瞬間、突き技は横薙ぎに変換され、彰彦に食らいつく。
牙突に死角は無い、とはこういう事だ。仮に一撃目を回避されても、すぐに横薙ぎに変換できる事こそ、この技の強みだった。
「クッ!?」
防弾スーツで、斬撃は防いだものの、それでも鉄棒で殴られたような衝撃が、彰彦に襲い掛かる。
姿勢を保てず、墜落するように床に降り立つ彰彦。
一馬もまた、床に足を付き、牙突の構えを取る。
「クッ・・・・・・」
その様子を見て、彰彦は舌打ちする。
手傷を負った事で、戦力低下を期待していたのだが、とんだ間違いだった。
目の前の男は、文字通り手負いの狼。傷を負った事で、その凶暴性を増している事は間違いない。
「これは・・・・・・厄介な事になりましたね」
仮面の奥で呟きながら、彰彦は僅かに視線を外へ向ける。
そこでは、シャーロックと、キンジ、友哉が死闘を繰り広げていた。
「飛天御剣流、龍槌閃!!」
振るわれる、上空からの一閃。
雷霆の如く、振り下ろされた一撃は全てを砕く、文字通りの鉄槌と化す。
しかし、
その一撃を、シャーロックは、頭上に長剣を掲げる事で、その場から動かずに防ぐ。
「クッ!?」
先制攻撃を片手で防がれ、友哉は舌を巻く。シャーロック・ホームズは西洋剣術においても達人の腕前を誇ったと言うが、その逸話は決して誇張ではなかった。
だが、今の友哉には、頼るべき仲間がいる。
「ウオォォォォォォォォォォォォ!!」
バタフライナイフを掲げて、キンジが突貫して来る。
速い。
神速を発揮した友哉に、勝るとも劣らない動きだ。
だが、友哉には見えていた。
短期未来予測を発動した友哉には、3秒後の世界が手に取るように分かる。
この後、キンジの攻撃を防ぐべく、シャーロックは友哉を振り払い、彼に剣を向ける筈だ。
ならば、と、友哉はシャーロックに先んじて動く。
龍槌閃を防がれた状態から、まだ体が空中にあった友哉は、シャーロックのスクラマ・サクスを支点代わりにして、そのまま前転するようにして空中で縦回転、シャーロックの背後へと躍り出た。
タイミングは完全。友哉とキンジは前後でシャーロックを挟撃する位置に立った。
同時に、体を大きく捻り、刀を繰り出す。
「飛天御剣流、龍巻閃!!」
キンジの突きと、友哉の一閃が同時にシャーロックへ迫る。
しかし、
次の瞬間には、友哉とキンジは同時に目を剥く。
シャーロックはキンジのナイフをスクラマ・サクスで防ぎ、友哉の刀を素手で止めているのだ。
神速に近い、2つの攻撃を同時に防いで見せたシャーロック。その技量は、最早驚嘆の言葉を通り越して神業と称していいだろう。
微笑を浮かべる名探偵。
まだまだ甘いね。そんな言葉が聞こえてきそうな笑顔だ。
「なめ、」
「るなぁッ!!」
2人の武偵は同時に叫び、次の攻撃に移る。
友哉は刀を右手一本でもち、左手は刃を支えるようにして斬り上げる。
「飛天御剣流、龍翔閃!!」
繰り出される高速の切り上げ。
至近距離に近い一撃だが、シャーロックは体をのけぞらせる事で難なく回避して見せた。
だが、
友哉は跳びあがりながら、状況を見極める。
龍翔閃を回避される事は、予想済み。
「ウオォォォォォォォォォォォォ!!」
友哉の攻撃を回避して、体勢が崩れたシャーロックへ、キンジが斬りかかる。
突き込まれるナイフ。
今度こそ貰ったか。そう思った時、
ガキンッ
殆ど体勢が崩れているにもかかわらず、シャーロックはキンジのナイフを長剣で防いでいた。
「甘いね。2人掛かりで、この程度かい?」
まるで格闘技の稽古を付けているかのような気軽さで、シャーロックは言って来る。
そこへ、
「動きが止まっているよ!!」
友哉が刀を八双に構えて斬り込む。
間合いに入ると同時に、鋭い斬線が無数の軌跡を描き、視界が縦横に裁断される。
「飛天御剣流、龍巣閃!!」
乱撃の嵐が、立ち尽くすシャーロックを包囲、一斉に殺到する。
捉えたか?
そう思った瞬間、
「君も、動きが止まっているよ」
静かに聞こえる声の方角は、
「後ろッ!?」
いつの間にか背後に回り込んだシャーロックが、スクラマ・サクスを振り上げている。恐らく、一瞬で縮地を発動し、友哉の攻撃圏内から逃れると同時に背後に回り込んだのだ。
回避は、できない。防御も無理。
短期未来予測が、冷酷な事実を突きつける。
だが、同時に別の未来を友哉に見せる。
「らァッ!!」
放たれた回し蹴りが、一瞬、シャーロックの残像を捉えた。
しかし、その時にはシャーロックは既に大きく後退しており、空振りに終わる。
シャーロックが剣を振り下ろすよりも早く、キンジが回し蹴りを食らわせたのだ。
「チッ、素早いな」
「茉莉の技を使えるんだもん。これくらいは当然だよ」
キンジの横に並びながら、友哉は答える。
あれだけの猛攻を受けているにもかかわらず、シャーロックは息一つ乱していない。
「ったく、奴は本当に150歳の爺さんなのかよ?」
「少なくとも、敬老会に入るような人じゃないのは確かだね」
「違いない」
この程度の軽口を叩くくらいには、2人もまだ余裕があった。
その時だった。
突然、鋭い痛みが友哉の脇腹を、そしてキンジの肩を襲った。
「これはッ!?」
「銃撃ッ!?」
傷口を押さえながら、呻く2人。
しかし、その攻撃は銃撃ではない。正体は、高圧縮した水の矢。シャーロックは超能力で水を操り、遠距離から攻撃を仕掛けて来たのだ。
「クッ!?」
友哉はすぐさま、脳内で自身の情報を更新し、短期未来予測を発動させる。
飛んで来る水の矢の軌跡を見極め、上空へ跳躍。刀を振り上げる。
しかし、
「甘いよ」
静かに囁くシャーロックの声。
次の瞬間、何かが対空砲のように打ちだされ、上空に跳躍中の友哉を捉えた。
「クッ!?」
撃墜され、床に膝をつく友哉。
今度は水ではない。
友哉を攻撃した物の正体は、風。恐らくは鎌鼬と思われる。
氷、水、風。様々な属性の超能力まで使いこなせるシャーロック。この分で行けば、他の属性も押さえている事だろう。
一方の友哉とキンジは、多少人間離れしている面はあるが、基本的に一般人と変わりは無い。まともな激突では圧倒的に不利である。
だが、
友哉は尚も立ち上がる。
この程度の不利など、初めから織り込み済みだ。今更拘泥に値するものではない。
友哉が立ち直るまでの間、キンジがシャーロックと対峙しいている。
だが、やはり1対1では実力差は歴然であり、キンジが一方的に押し込まれている。
シャーロックに一撃を、キンジが紙一重で回避している光景が見えた。
友哉はホルダーから鞘を外すと、刀を収めて構えた。
「キンジ、避けて!!」
言いながら疾走。一気にシャーロックとの間合いを詰める。
キンジが破かれた防弾ベストを脱ぎ捨てながら、後退するのを確認し、友哉は仕掛ける。
「飛天御剣流抜刀術、双龍閃!!」
鞘走る一閃。
その一撃が、とっさに防御にかかったシャーロックの剣を捉える。
抜刀の速度を上乗せした一撃に、思わずシャーロックはスクラマ・サクスを弾き飛ばされ、体は跳ねあげられたように大きく開く。
その胴めがけて漆黒の一撃。鉄拵の鞘が迫る。
そして、
バキィッ
シャーロックは、その一撃を素手で押さえて見せた。
「なっ!?」
驚愕に友哉の顔面が染まる。
あれだけ完璧なタイミングで放った一撃を、いともあっさりと防がれるとは思わなかった。
素早く切り変える。
友哉は追撃が来る前に、大きく後方に跳躍してシャーロックから距離を取った。
「まだ、行けるか?」
「当然」
傍らに立って問い掛けるキンジに、友哉は答える。とは言え、強がってはみたものの、既に友哉の体は満身創痍に近い。
アンベリール号甲板でのゴレム戦に始まり、パトラ戦、彰彦戦、そしてシャーロック戦と連戦続きである。体力的にも限界が来ている。
これ以上の長期戦は、不利になる一方だった。
その時だった、
それまで室内に流れていたモーツァルトの「魔笛」が、華麗なソプラノパートの
それと同時に、2人と対峙していたシャーロックの表情も硬い物に変じる。
「このオペラに入る頃には、君達を沈黙させている筈だったんだけどね。流石だよ、キンジ君。友哉君。君達は、僕の条理予知を完璧に狂わせてしまった。流石にHSS、そしてイレギュラー、と言っておこうか。つまり、僕は生れて初めて、推理に失敗したと言う事だ。君達は称賛されるべき男達だよ」
そう言って、肩を竦めるシャーロック。だが、自分の推理を外されたにもかかわらず、その仕草はどこか嬉しそうだ。自分の予測が追いつかなかった、と言う初めての経験を楽しんでいるようにも見える。
「俺は、アンタに認められるような人間じゃないさ。ただの高校生さ。偏差値低めで、ちょっと荒っぽい学校のな」
そう言うと、キンジはバタフライナイフを閉じ、ポケットに収めた。
「キンジ?」
訝る友哉、そしてシャーロックに対し、キンジは肩をすくめてみせる。
「この戦い、アンタが2対1の勝負を受け入れた時点で既にフェアじゃなかった。だから、これで貸し借りは無しだ」
剣を失ったシャーロックに対し、武器を使うのはフェアじゃない。キンジはそう言いたいらしい。
そんなキンジを見て、友哉は溜息交じりに呟く。
「・・・・・・妙な所で律儀だよね、キンジって」
と、言いつつ、自分も逆刃刀を鞘に収める。キンジがそう言うのなら、自分も合せようと言う気になっていた。
そんな2人の様子を見て、シャーロックは少し照れたのか、顔を赤くしているのが見えた。
やはり血筋と言うべきか、そんな仕草はアリアそっくりである。
「否定されたが、繰り返し言おう。君達は大した快男児だよ。僕がこんな気分になったのはライヘンバッハ以来だ」
「バッハじゃ無くて、モーツァルトだろ、この曲は」
「・・・・・・・・・・・・キンジ」
友哉は呆れ気味に溜息をつく。どうしてここでボケるかな、この男は。
ライヘンバッハとは、シャーロック・ホームズが宿敵ジェームズ・モリアーティ教授と最後の対決に及んだ滝がある場所であり、一度は彼の最後の地と呼ばれた場所でもある。その後、奇跡的に生還を果たしたシャーロックは、見事に宿敵を下し、その後も探偵として数々の難事件に挑んで行く事になる。
その事が妙にツボだったらしく、シャーロックは噴き出していた。
「キンジ君、友哉君。戦いの中で言うのは不適切かもしれないが、僕は君達が本当に気に入った。できればここからは、君達と素手での戦いに興じたいところだが・・・・・・申し訳ない。この独唱曲は、最後の抗議「緋色の研究」についての講義を始める時報なのだよ。紳士たる者、時間にルーズであってはいけないからね」
「緋色の研究」と言えば、シャーロックが世に出るきっかけとなった事件に由来するが、それが今、何の関係があるのだろうか。
そんな事を思っている時だった。シャーロックの体が、淡く光り出したのだ。
何か仕掛けて来る気か。そう思った友哉は、刀の柄に手を当てる。
「僕がイ・ウーを統率できたのは、この力があったからだ」
オーラのような光を身に纏い、シャーロックは語り始める。
その光は、あのパトラ戦の終盤でアリアが使った謎の光に似ていた。
「だが、僕はこの力を不用意には使わなかった。『緋色の研究』。緋弾の研究が未完成だったからね」
そう言ってシャーロックが取り出したのは、大英帝国陸軍がかつて使用していた45口径ダブルアクション拳銃アダムス1872・マークⅢだ。
「あの『緋弾』を、お前も撃てるのか?」
「君が言っているのは、恐らく違う現象の事だろう。アリア君がかつて指先から撃ったのは、正確には緋弾ではなく、古の倭詩で『緋天・緋陽門』と言う、緋弾の力を用いた一つの現象に過ぎない」
そう言うと、シャーロックはマガジンから1発のみ入っていた弾丸を取り出した。その弾丸は、見事なまでの緋色をしており、まるで炎をそのまま削り出したような印象を受ける。
「これが『緋弾』だよ。いや、形は何でも構わない。日本では、緋々色金と呼ばれている、ようは金属なのだからね。理子君が持っていた十字架にも、これと同種の金属を微量に含む色金合金だ。つまりイロカネとは、あらゆる超能力がまるで児戯に思えるような、偉大なる超常の力を人間に与える物質、言わば『超常世界の核物質』なのだ」
確かに、理子はあの十字架を持っている時だけ、髪を操った攻撃ができた筈。
つまり緋弾とは、超強力な超能力を発揮できる未知の金属と言う事になる。
だが、まだ謎は残っている。なぜ、色金を持たない筈のアリアが、パトラ戦であの光を放つ事ができたと言うのだ?
「世界は今、新たな戦いの中にある」
シャーロックは、講釈を続ける。
「色金の存在と力が次第に明らかになり、極秘裏に研究を進められているのだ。僕の『緋色の研究』のようにね。イ・ウーだけじゃない。アジア大陸北方の『ウルス』、香港の『藍幇』、僕の祖国、イギリスでは世界一有名なあの結社も動いている。他にもイタリアのバチカンやアメリカのホワイトハウスのように、国家が研究を支援しているケースもたくさんある。日本でも宮内庁が、君達の高校に星伽の・・・・・・いや、これは少々口が滑ったかな・・・・・・そして、僕のように高純度で質量の大きい色金を持つ者達は、互いに色金を狙いつつも、そのあまりに甚大な力に、互いに手出しできない状態になっているのだ」
そう言うと、シャーロックは緋弾をマガジンに戻した。
「さて、この弾を使用する前に、もう一つ、お見せしようか」
そう言って掲げたシャーロックの指先が、緋色に輝き始めた。
「これだろう、君達が見た現象は」
その光が徐々に収束していく。
まずい・・・・・・
友哉は額に冷や汗が滲むのを感じた。
あの一撃は戦艦の艦砲射撃に匹敵する。まともに食らえば、まず骨すら残らず消滅してしまうだろう。
見れば、それまで剣を交えていた一馬と彰彦も、戦う手を止めて、その現象を眺めている。
「ゆ、友哉君、あれ、何?」
「キンジ・・・・・何が、起きてるの?」
瑠香とアリアも、怯えた様子でその現象を見守っている。
友哉とキンジは、少女達を庇うように前へ立ちふさがる。無駄な努力かもしれないが、それでも彼女達を守る為に、最後まで戦いたかった。
その時
「・・・・・・な・・・何、これ?」
戸惑うように、背後から聞こえるアリアの声。
そこには、シャーロックと同じように、体に光を纏ったアリアの姿があった。その光もまた、徐々に彼女の指先へと収束していく。
「アリア君、それは『
言いながらシャーロックは、光る指先を構える。
「アリア君。僕はこの光弾『緋天』を今から君達に撃つ。それを止めるには、同じ『緋天』を衝突させる事のみだ。日本の古文書には、それによって緋天同士が静止し、『暦鏡』なる物が発生するとある」
「曾・・・お爺様?」
戸惑いと緊張に満ちた声が、アリアから発せられる。
その間にも緋色の光は、どんどん収束していった。
「さあ、それで僕を撃ちたまえ。緋弾に心を奪われないように、静かに、落ち着いて、指先に力を集め、保つようなイメージをするんだよ。キンジ君、アリア君を支えてあげなさい」
「良く判らねえな」
シャーロックの言葉に対し、キンジは吐き捨てるように言う。ここで起こっている事全てが彼にとって、否、シャーロック以外の全員にとって理解の及ばない事ばかりだった。
「あれもこれも、判りたくない事ばっかりだけどね。ただ一つだけ判る。要するにお前はチェック・メイトを掛けて来た。そして俺達も、まだ一手打てる。そう言う事なんだろ、シャーロック」
「御名答だ。キンジ君。どうかそのHSSの優れた推理力と状況判断力で、これからもずっと、アリア君を助け続けてあげてくれたまえ」
シャーロックの言葉を受けて、キンジはアリアに歩み寄る。
「き、キンジ・・・・・・」
尚も戸惑いを隠せないアリアに、キンジは諭すように話しかける。
「俺なりに、この状況を説明してやるよ。シャーロックの指先は、今、戦艦の主砲並みの威力を持っている。そしてアリア、お前にも、どういう訳か同じ力が宿っている」
そう言うと、キンジはアリアを背後から抱き締めるようにして抱え、その右手をシャーロックに向けさせる。
「多分、こうだぜ」
狙いはシャーロックの指先へと向けられる。
「大丈夫だ、俺を信じろ。お前はパトラと戦った時、無意識のうちに一度この力を使ってるんだ」
「キンジ・・・・・・」
「お前には俺がついてる。何がどうなろうと、最後までな」
キンジがそう言うと、アリアの体の震えは少しだけ収まった。
その様子を見て、シャーロックは満足そうに微笑む。
「良いパートナーを見つけたね、アリア君。かつて僕にもワトソン君がいたように、ホームズ家の人間には相棒が必要だ。人生の最後に象徴的な姿を前にできて、僕は・・・・・・」
友哉が、瑠香が、一馬が、彰彦が見守る中。
「幸せだよ」
緋色の光が、爆ぜ飛んだ。
第10話「緋色の講釈」 終わり