緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

38 / 137
第2話「帰省」

 

 

 

 

 

 

 

 東京郊外に、活気溢れるような空間が存在している。

 

 江戸時代から連綿と続く町道場は、規模的には大手の流派には敵わないものの、それでも通う子供たちのはしゃぐ声が絶える事無く、いつも笑い声に満ち溢れていた。

 

 夕方にもなれば、竹刀を打ち合う音や、それに伴う元気のいい掛け声が聞こえて来る。

 

 昔ながらの剣道場から聞こえて来る、子供達の活気溢れる声は、下町風物詩の一つであると言える。

 

 だが、今日の活気はいつもと少し違った。

 

 この道場の1人息子が、友達を伴って帰って来た事にそれは起因している。

 

 元々、少年は小さい子供達に人気があったのだが、ここ数年は都心の学校に行き寮に入ってしまった為、なかなか道場の方に顔を出す事ができなかった。

 

「そうそう、右手はもっと力を抜いて、左手には力を入れて。でも、手首はもっと柔らかく、ブラブラするくらいがちょうど良いかな」

 

 緋村友哉は、防具を付けた少年に優しく竹刀の握り方を教えてやっている。

 

 ここは神谷活心流緋村道場。友哉の実家である。

 

 江戸時代から続く道場で、戦中は米軍による帝都空襲からも全損を免れ、若干の増改築を行いながらも、今日までその伝統と技を伝え続けて来ている町道場である。

 

 神谷活心流とは、その名称の通り活人剣を旨とし、相手を殺さずに制圧する事を目指している。

 

 殺人剣隆盛の江戸時代にあって、その思想と戦い方はある意味異色であったとも言える。だが、現代の武偵が殺人を否定し、非殺を謳っている事を考えれば、200年もの時代を先取りした剣術であったと考える事もできる。

 

 友哉は、学校の夏休みを利用して、昨日から帰省していた。

 

 そんな訳で友哉は、夕方から子供達の相手をして剣道に興じているのだ。

 

 飛天御剣流の変則的な剣術を使いこなす友哉にとって、型にハマった道場剣道は物足りなさを感じずにはいらなかったが、子供好きの友哉にとって、こうして小さい子達の相手をするのは楽しい時間であった。

 

「ねえねえ、兄ちゃん。稽古付けてよ」

 

 顔見知りの男の子が、元気に手を上げてそう言って来る。

 

「判った、良いよ、ちょっと待って」

 

 友哉がそう言って、防具を付けようとした時だった。

 

「あ~、ずるい、俺も俺もッ」

「わたしも~」

「僕も!!」

 

 あっという間に友哉は、たかって来た子供達にへばりつかれて姿が見えなくなってしまう。

 

 これも、友哉自身の人徳故であろう。彼が相手をする子供達は、皆、きらきらと瞳を輝かせている。友哉がきてくれて、本当に嬉しいのだ。

 

 だが、たかられ方からすれば堪った物ではない。

 

「お、おろ~」

 

 あっと言うかに押し倒され、子供達の中へと埋もれてしまう。

 

 その時、

 

「何してるの、みんなッ」

 

 女性が手を叩きながら、道場に入って来るのが見えた。

 

 年の頃は25、6。結ったポニーテールの髪と、整った顔立ちが特徴的の女性で、長年剣道に親しんで来たせいもあり、剣着と袴の着こなしに隙がなかった。

 

 子供1人産んでいるにもかかわらず、まったく崩れを知らない体は、その容貌と相まって、未だに街を歩けば掛かる声に辟易している事がある。

 

「ほ~らほら、遊んでないで。さっさと防具付けて、斬り反しから基本の打ちこみまではいつもの通り。掛かり稽古になったら私と友哉も入るから。先生がいないからってサボっちゃダメよ」

『は~い』

 

 子供たちが元気に散っていくのを見て、女性は肩を竦め、次いで床に襤褸雑巾のように転がっている友哉を見た。

 

「ほら友哉、あんたもいつまで寝てる気? さっさと起きなさい」

「おろ~」

 

 目を回している友哉に、女性は溜息をつくしかなかった。

 

 

 

 

 

 明神彩(みょうじん あや)は、友哉の従姉で、元武偵庁所属の特命武偵に当たる。

 

 神谷活心流を子供の頃から習い、既に師範である友哉の父から免許皆伝を貰っている彩は、その理念と技を活かし、敵は勿論のこと、味方や護衛対象にも一切死人を出した事は無かった。

 

 その戦術構成は、鉄壁と称して過分は無く、いつしか人々は、彼女の事を「絶対防御(イージス)」と言う異名で呼ぶようになっていた。

 

 彼女の現役時代、友哉も武偵助手としてあちこちに連れ回され、事件解決の手伝いをやらされていた。

 

 しかし、今から3年前。とある事件で左肩に重傷を負い、前線で戦う事ができなくなった為、実戦部隊から事務方へと所属が変更された。更にその1年後、かねてから付き合っていた婚約者との結婚を機に引退、昨年には待望の第一子も誕生している。

 

 現在は緋村道場で師範代を務め、こうして子供達に剣道を教える毎日を送っていた。

 

 夕方になり子供達が帰った道場の中で、友哉は彩と2人、後片付けに勤しんでいる

 

 練習の後、片づけをするのは子供達の義務なのだが、彼等に任せっぱなしにすると、どうしても雑にやってしまうので、あとでこうして友哉達が細かい部分に手を入れているのだ。

 

「どう、学校の方は。勉強は進んでる?」

 

 竹刀を整理しながら、彩が尋ねて来る。彼女も東京武偵校のOGであり、学生時代から大きな事件をいくつか解決した事で有名である。

 

「まあね。取り敢えず、単位は足りているし。任務の方も順調だよ」

「任務ねえ・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、何かを思い出したように彩は溜息をついた。

 

「な、何?」

「この間、長谷川さんから電話が掛って来てさ。あんたがイ・ウーに関わる事件に首突っ込んでるって聞かされた時は、本当にびっくりしたわよ」

 

 長谷川と言うのは東京地検特捜部に所属する武装検事で、名を長谷川昭蔵(はせがわ しょうぞう)と言う。ブラド事件の際には共闘した事もある。彩とは武偵現役時代顔見知りである。もっとも、当時はあまり仲が良かったとは言えないが。

 

 その長谷川からどの程度の事を聞いているのかは知らないが、イ・ウーの名前は特命武偵であった彩も知っている筈。その得体の知れない不気味さも含めて。

 

「あんまり、無茶しないでよね。長谷川さんから聞いた時は、正直頭が痛くなったわよ」

「それは・・・・・・ごめん・・・・・・」

 

 イ・ウーから手を引けとは、昭蔵からも言われた事だが、友哉はそれを突っぱね、ついには連中の本拠地まで攻め込み、組織壊滅に一役買ってしまった。

 

 最早友哉達は、後戻りできない所まで踏み込んでしまっている。例えこちらが無関心を装うとも、表裏に関わらず世界中の組織が注目して来る事だろう。場合によっては交戦も避けられない筈。加えて、イ・ウーも組織は壊滅したとはいえ、残党はまだ健在である。事件後に姿を消した遠山金一とパトラの事も気になる。

 

 彼等はいずれ、友哉達の前に現われる事になるだろう。これからは今まで以上に舵取りの難しい選択が迫られ、その上でより一層激しい戦いに身を投じる事になるだろう。

 

「そうだ、友哉」

 

 彩が何かを思いついたように言うと、壁に掛けてある木刀のうち、一番上にある、友哉が普段使っている木刀を手に取って投げてよこした。

 

 それを空中で受け取った友哉の目に、自身も木刀を一振り構えた彩の姿がある。

 

「久しぶりだし、手合わせしてみない?」

「姉さん・・・・・・」

 

 神谷活心流は竹刀剣術である。稽古に木刀を使う事は無い。しかし、彩は武偵を目指し実戦的な剣術も学ぼうと思い立った時から、個人練習には木刀を用いるようにしている。

 

 その木刀を、彩は右手一本で持ち、切っ先を友哉に向けて来た。奇妙な構え方ではあるが、彼女は今、こう言う構えしかできない。

 

 彩は左肩が上がらないのだ。通常、肩関節の関節可動域は、屈曲(前回し)方向に180度、外転(横回し)方向に180度となっている。しかし彩は、過去の傷がもとで、どんなに力を入れても左肩は90度以上上がらなくなってしまったのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その様子を無言で眺めながら、友哉も木刀を正眼に構えた。

 

 彼女との対峙は、もう何度目になるか判らない。少なくとも彩が武偵現役時代、そしてそれ以前の対戦で勝てたためしは無かった。

 

 視線が合わさる。

 

 次の瞬間、友哉は動いた。

 

 強烈な踏み込みと共に一気に接近。横薙ぎに木刀を振るう。

 

 その一撃に対し、彩は右手だけで気用に木刀を操り、友哉の剣を弾いた。

 

 更に友哉は自身の間合いに踏みとどまり、高速の乱撃を行う。龍巣閃程の速度は出さないが、それでも普通であれば目視も難しい速度だ。

 

 だが、その攻撃に対し、彩もまた対応して見せる。

 

 全ての攻撃を、右手1本、木刀一振りで防いでいる。

 

 片腕となり、現役を退いたにもかかわらず、その技量の健在ぶりを如何なく示している。

 

 鋭い反撃が、友哉を掠めるように振るわれる。

 

「ッ!?」

 

 とっさに後退する事で回避する友哉。

 

 そこへ、追撃とばかりに彩が踏み込んで来る。

 

 袈裟掛けに奔る一閃。

 

 対して友哉は、大きく跳躍。彩の頭上を飛び越えて、その背後に立った。

 

 ほぼ同時に、彩も振り返る。

 

 互いに振るう木刀。

 

 その一撃がぶつかり合って、乾いた音を立てた。

 

 互いに後退。一足一刀の間合いにて構え直す。

 

「どうしたの、友哉」

 

 余裕を見せる表情で彩は言う。

 

「もっと本気で掛かって来なさい。イ・ウーを壊滅させたって言うアンタの剣は、そんな物ではないでしょう」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彩の言葉に、友哉は一瞬、躊躇うように目を閉じる。

 

 確かに、友哉は手を抜いて剣をふるっている。それは彩の体を気遣っての事だ。

 

 しかし、確かに手を抜いた状態で剣を振るう事は、相手に対して失礼以外の何ものでもない。それが彩ほどの実力者であるなら尚更だ。

 

「・・・・・・判った」

 

 友哉は頷くと、改めて剣を構え直す。

 

 次の瞬間、その姿は霞のように消え去る。

 

 一瞬にして、友哉は彩の頭上へと移動する。

 

 振るわれる一閃。

 

 飛天御剣流 龍槌閃。

 

 雷霆の如き一撃に対し、彩の反応が一瞬遅れる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに掲げた木刀で、友哉の攻撃を防ぐ。

 

 が、友哉は着地を待たずに次の攻撃に移っていた。

 

 体を大きくねじり、抜き打ちの構え。

 

 鋭い横一線に対し、彩はとっさに後退する事で回避した。

 

 彩は内心で舌を巻く。

 

 これが友哉の本気か。否、彼女の見た所、友哉はまだ余力を残している。

 

 元々、友哉は並みはずれた剣術の才能があった事に加えて、友哉自身相当な努力家である。更にここに来て、イ・ウー構成員との実戦経験も加わる事になる。実力が飛躍的に上がらない筈がないのだ。

 

『いつの間にか、こんなになっちゃって』

 

 友哉の剣を辛うじて弾きながら、感慨深げに彩は心の中で呟く。

 

 自分の後をついて回っていた頃に比べて、こんなにも成長しているとは。

 

 友哉は木刀を右手一本で持ち、更に左手は刃の峰に支えた状態で構える。

 

『あれはッ!?』

 

 彩が防御の体勢に入るが、既に加速した勢いを止める事はできない。

 

 鋭い切り上げに対し、防ごうとした彩の木刀が弾き飛ばされる。

 

 飛天御剣流 龍翔閃

 

 友哉が飛天御剣流の中で、最も得意としている技である。

 

 その一撃を受けて、彩は立ち尽くす。

 

 ややあって、手を離れた木刀が道場の壁に当たって床に転がった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彩は絶句する。想像以上の成長ぶりだ。

 

 弟同然に思っていた少年の、思わぬ成長に、感心以前に驚愕が勝っていた。

 

 その友哉は、長い飛翔を終えて彩の背後に降り立った。

 

「・・・・・・・・・・・・ごめん」

「・・・・・・何で、謝るのよ」

 

 突然の友哉の謝罪。

 

 彩には、友哉が何に対して謝っているのか、想像が着いていた。

 

 ついているだけに、逆に腹が立った。

 

「だって、姉さんは万全だったら、こんな物じゃなかった筈だ」

「今更、そんな事言ったって始まらないでしょ。これが『今』の私の実力よ」

「でもッ!!」

 

 友哉は感極まったように、勢いよく振り返る。

 

「姉さんがそんな風になったのは、『俺』の・・・・・・」

「友哉」

 

 言い募ろうとする友哉を、彩は強い口調で制した。

 

「それ以上言ったら、本気で怒るよ」

「姉さん・・・・・・」

「確かに、あの事件で私は武偵として戦う力を全て失った。けど、」

 

 言ってから、彩は友哉に笑い掛けた。

 

「アンタが、私の後を継いで武偵になってくれるなら、腕の1本くらい安いものよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に友哉は答えない。

 

 ただ黙して、彩から視線を逸らした。

 

 その時、

 

「友哉君、彩さん。お夕飯できたよ」

 

 瑠香が道場に入って来た、そう告げる。ヒヨコのエプロンを付けている所を見ると、どうやら食事の支度をしていたらしい。

 

「あ、そう言えば、もうこんな時間か。さあ、行こう友哉」

「う、うん・・・・・・」

 

 木刀を拾い、先に立って歩き出す。

 

 友哉は自分の「姉」に対し躊躇うような気持を抱えながらも、その意思を継ごうと考えを新たにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敷地内に個人所有の剣道場を持つ緋村家の敷地は広く、東京都内にありながら一種の豪邸のような印象すら受けた。

 

 周囲は塀で囲まれ、日本家屋特有の静かで温かみのある造りである。

 

 居間のテーブルには、美味しそうな料理の数々が並び、さながら宴会のような様相を示している。

 

「お、こりゃ美味そうだ」

「あ、ダメですよ、相良先輩。つまみ食いしたりしちゃ」

「良いじゃねえかよ、ちょっとくらい」

 

 既に待ちきれないと言った様子の陣が、早速手を付けようとしているのを見咎めて、瑠香が声を上げている。

 

 そんな様子を、追加の料理を手に入ってきた女性がクスクスと笑いながら見ている。

 

「相良君。もう少しだけ待ってね。今、うちの人も帰ってきたところだから」

「いや~、こりゃすんませんね」

 

 やんわりと注意され、陣は照れたような笑いを浮かべる。

 

 まだ20代後半くらいに見えるその女性は、しかし実際には40代に差しかかっている。しかし、その事を感じさせない程若々しい外見をしていた。

 

 女性の名前は緋村雪絵(ひむら ゆきえ)。友哉の実の母親に当たる。剣術道場と言う荒事を生業とする家の女性とは思えないほどだ。

 

「ほんとに、友哉がお友達を家に連れて来るなんて珍しいわ。ゆっくりして行ってね」

「ありがとうございやす」

 

 陣がそう言った時、浴衣に身を包んだ壮年の男性が居間に入って来た。

 

「おや、今日は宴会かな?」

 

 微笑を含む低い声で囁かれる声は落ち着きに満ち溢れているが、醸し出される雰囲気はどこか深い物を感じる事ができる。どこか、歩んできた人生を感じさせる男性だ。

 

 男の名前は緋村誠治(ひむら せいじ)。神谷活心流現当主にして、友哉の父親である。

 

「あ、こりゃ、お邪魔しています」

 

 そう言って頭を下げる陣に、誠治も笑って手を振る。

 

「相良陣君だね。友哉から時々電話で話を聞いてるよ。頼りがいのある友達ができたって。ここを自分の家だと思ってゆっくりして行きなさい」

「どうもです」

 

 この手の礼儀に関して、陣は割と心得ている方である。多少、言葉づかいは微妙に荒いのは、御愛嬌と言うものだろう。

 

 やがて、着替えを終えた友哉と彩も合流し、宴会の幕開けとなった。

 

 料理は雪絵と瑠香が心を込めて作った御馳走ばかりである。雪絵は元々料理が美味いし、瑠香は言うに及ばずである。一同の箸が自然と進むのは当然の事であった。

 

「ん、この唐揚げ、美味しい。瑠香ちゃんが作ったの?」

「はい。衣の厚さに、少し工夫を入れてみました」

「そんな所まで、気を使うんだ。もう、これならいつでもお嫁さんに行けるね。友哉の所に」

 

 彩の言葉に、友哉は思わずの見かけのウーロン茶を噴き出した。

 

「ブッ、な、何言ってんの、姉さんッ!?」

「あら、いつでも受け付けてるわよ。瑠香ちゃんみたいな娘がお嫁さんに来てくれたら、母さんも楽できるし」

「母さんまで!!」

 

 この主婦どもは、

 

 自分の意思に依らず、話をどんどん進められ、友哉としては頭痛がする思いであった。

 

 見れば、いつの間にか隣に来ていた瑠香が、何を思ったのか三つ指を着いていた。

 

「あ、あの、不束者ですが・・・・・・」

「いや、早い早い」

 

 お前は白雪か。

 

 心の中で突っ込みを入れつつ、友哉は男性陣の方へ視線を向けて見た。

 

「いや、相良君。君もなかなか行けるクチだね」

「何の、まだまだ、これからっすよ」

 

 何やらできあがった感のある2人が、さっさと酒盛りを始めていた。

 

「いや~、若い者と飲む酒はおいしいね~ 友哉は全く付き合ってくれないから詰まらんのだよ」

「いや、付き合うも何も、僕達はまだ未成年だからね、父さん」

「そいつはいけねえな。男だったら酒の一つも飲めねえと」

「一応言っとくけど陣、君も未成年だからね」

 

 友哉が冷静に突っ込みを入れるが、既に完璧に出来上がっている陣は聞く耳を持たない。

 

「馬鹿野郎。法律が怖くて、武偵ができるか!!」

「いや、武偵なら法律くらい守ろうよ」

 

 素面で酔っ払いの相手をする事ほど、面倒くさい事は無い。

 

 友哉は溜息をつくと、2人から離れて縁側に出た。

 

 涼しい夜風が、気持ちよく吹き抜けて行く。昼間、あれだけ暑かったのが嘘のようだ。

 

 見上げれば、煌々と輝く月が明るく夜空を照らしている。

 

「そう言えば、家から見る月は久しぶりか・・・・・・」

 

 満月ではないが、こうして闇夜に大きく浮かぶ月を見ていると、少しほっとする思いであった。

 

 寮の窓から見る月も、ここから見る月もあまり変わらないのだが、家で見る月の方に愛着があるのは、落ち着いて見る事ができるからかもしれない。

 

「茉莉も来ればよかったのに」

 

 ふと友哉は、この場に来れなかったもう1人の友人の事を思い浮かべた。

 

 茉莉の事も誘ったのだが、実家に用事があるとかで、同行しなかった。

 

 何やら、深刻めいた茉莉の顔が、今になって思い浮かばれる。

 

 ここ数日、茉莉は何かに悩んでいるようなそぶりをよく見せていた。しかし、友哉や瑠香が尋ねても、何でもないの一点張りで、それ以上何もしゃべろうとしなかった為、真相は判らないままである。

 

「どうだ、久しぶりの実家は?」

 

 背後から話しかけられたのは、そんな時だった。

 

 誠治はビールの入ったコップを手に、友哉の傍らに腰を下ろし、同じように月を眺める姿勢になった。

 

「陣の方は良いの?」

「ああ、彼な。なかなか面白いな。お前の友達としては、個性的な方じゃないか。まあ、あのまま彼とばかり話しているのも何だから、抜けだしてきた」

 

 そう言って、手にしたビールをグッと口に入れる。

 

「話の方は、彩ちゃんから多少の事は聞いている。色々と、派手に暴れているらしいね」

「いや、まあ、ね」

 

 誠治の言葉に少し不穏な物を感じ、友哉は首を竦める。

 

 確かに、ここ数カ月、命の危険を感じた事は何度もある。それを考えれば、親が良い顔をしない事は充分に予想できる。

 

 勿論、武偵にも守秘義務があるので彩が全てを話したとは思えないが、それでも一部だけ聞いただけでも、肝を冷やすには充分なレベルの筈だ。

 

 だが、意外な事に誠治は笑顔を浮かべ、息子を見た。

 

「お前が活躍してくれる事は、親として素直に嬉しく思うよ」

「父さん・・・・・・」

「だが、体は大事にな。どんな時でも健康である事が、長く戦い続ける秘訣だぞ」

「うん、判ってる」

 

 頷く息子に、誠治は優しく笑い掛けると、懐に手を突っ込んで、何かを取り出した。

 

「ほら、受け取れ」

「なに、これ?」

「お前、誕生日近いだろ。プレゼントの前渡しだ」

 

 確かに、友哉の誕生日は8月の22日。近いと言えば近いが、それにしても、プレゼントの前渡しとは。

 

 訝りながら包みを解くと、思わず友哉は目を見張った。

 

「父さん、これッ」

「どうだ、お前がずっと、欲しがっていたものだろう」

 

 中には3冊の古びた書物が収められていた。書物と言っても、きちんと背を糊づけされた本タイプではなく、何枚もの紙を紐でくくって本の形にした物である。

 

 表紙には『備忘録 其之弐拾四 緋村剣路』とあった。

 

「緋村剣路と言えば、緋村家の二代目当主であり、かの人斬り抜刀斎の息子であったと言われている。今日、こうして飛天御剣流が現代に伝わっているのも、彼の功績に依る所が大きいだろう」

 

 そうだ。緋村家初代当主は、そもそも飛天御剣流を後世に伝えるつもりは無く、息子の剣路にすら何一つ教える事は無かったと言う。しかし緋村剣路は独学で飛天御剣流の技を再現したらしい。

 

 友哉も殆ど手さぐりに近い所から始めた事もあり、この130年前に生きた先祖には、どこか共感のような物を覚えていた。

 

「少し読んでみたが、それには飛天御剣流の技の中でも、特に派生技に関する物が多く書かれていたよ。きっと、お前の助けになる筈だよ」

「ありがとう、父さん」

 

 友哉は、貰った本を大事そうに抱えた。これで、いくつかの技を再現できれば、新たな力を得る事ができる。

 

 これからの戦い、より一層激しくなることが予想される。飛天御剣流が完成すれば、これから現われる多くの敵にも対応できる筈だ。

 

「じゃあ、私からは、これね」

 

 そう言うと、いつの間に来たのか、雪絵が紙に包まれた物を差し出した。

 

「母さん、これは?」

「あなたが帰って来るって聞いてね、お父さんと2人で何を送れば良いのか考えたの。開けてみて」

 

 言われるままに開けてみると、中から漆黒のコートが出て来た。腰の部分と襟にはベルトがあしらわれたデザインをしている。

 

 だが、貰ってから友哉は、少し微妙な顔を作る。

 

「いや、嬉しいけどさ、今、まだ夏だよ」

 

 夏に黒のロングコートを着ても、暑苦しいだけだと思うのだが。

 

 だが、そんな友哉に対し、雪絵は心配無用とばかりに胸を張る。

 

「大丈夫よ。それね、何でもアメリカの軍隊か何かが開発したっていう素材を使っているらしくてね、夏でも着れるように、通気性は抜群なんだって」

「へえ・・・・・・」

 

 確かに、通気性の高い防弾服の開発は、各国の企業でも躍起になっている所だ。一々夏が来るたびに防御力が落ちていたのでは、笑い話にしかならない。

 

「ありがとう、母さん」

「大事にしてね。そのコートじゃなく、あなたの体を」

 

 そう言って、雪絵は優しく微笑む。

 

 友哉が武偵になると言った時、雪絵は強くは反対しなかったが、同時に、内心ではあまりよく思っていなかったであろう事は、友哉にも薄々判っていた。その母が、こうして応援してくれる事は、理屈を抜きにして嬉しい事である。

 

 友哉が興味深げにコートを広げて眺めている時だった。

 

 ポケットに入れておいた携帯電話が振動し、着信が告げられる。

 

 こんな時間に誰かが電話をして来る事は珍しい。訝りながら出てみると、聞き慣れた声が耳に入ってきた。

 

《緋村か。夜分にすまない。ジャンヌだ》

「おろ、ジャンヌ。どうしたの?」

 

 ジャンヌ・ダルク30世は、少し緊張した声音で話し出す。

 

《うむ。少し気になる情報が入ってきたのでな。お前にだけは教えておこうと思ってな》

「気になる・・・・・・どんな?」

 

 ややあって、ジャンヌが言った言葉は、友哉を驚愕させるには充分な物だった。

 

《・・・・・・単刀直入に言おう。瀬田の命が危ない》

 

 

 

 

 

 長野県某所

 

 この辺りは山間部に位置し、昔ながらの里山の風景を残している。

 

 人口も2000人と少なく、歩いていて人に出会う事もあまりない。

 

 近年になり、都会から若者が、レジャー目的で遊びに来る事も多くなり、そのおかげで僅かに財政も潤い始めて来た所である。

 

 近辺には街灯も少なく、夜ともなると殆ど真っ暗に近くなる。

 

 そんな暗い夜道を、2人の男が千鳥足で歩いている。

 

「おやっさん。そんなんで、明日の仕事、大丈夫すか?」

「馬鹿野郎。こんなもん、呑んだ内に入るかよッ!?」

 

 顔を赤く染め、明らかに回っていない舌で、年輩の男は叫ぶ。

 

 たった今、商店街にある飲み屋で閉店まで飲んで来た帰りである。

 

 全く、困ったものである。

 

 明日は仕事だと言うのに。現場監督がこんな状態で本当に大丈夫だろうか。

 

 心の中で溜息をついたた時だった。

 

 それまで鳴いていた虫の音が、一斉に途絶えた。

 

「・・・・・・な、何だ?」

 

 一切の音が途絶えた静寂。漆黒の闇の中にあって、全ての存在が消えうせたような錯覚すら覚える。

 

 不気味な存在に、それまで回っていた酔いも、一気に冷めて行くのが判る。

 

「な、なんでぇ、こいつはッ!?」

 

 隣を歩いていた監督も、その雰囲気に圧倒されて目を覚ました。

 

 その時だった。

 

 突然、左右に列を作るように、青白い炎がボッと浮かび上がった。

 

 炎は次々と点灯し、炎の道を作り上げて行く。

 

「な、何なんだよ、こいつはよッ!?」

「し、知りませんよ!!」

 

 あまりの出来事に、発狂しそうな程に狼狽する。

 

 その炎が進む先に、人影が立っている。

 

 だが、その顔には、能などで使う狐の面が付けられていた。

 

「い、稲荷小僧・・・・・・」

 

 恐怖で腰を抜かし、呟く声。

 

 ゆっくりと、人影は近付いて来る。

 

 その手には、一振りの日本刀が握られていた。

 

 

 

 

 

第2話「帰省」      終わり

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。