緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第3話「水辺の天女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝になり、鳥の音と共に目を覚ます。

 

 最近ではベッドで寝る事が多かったので、こうして畳の上に布団を敷いて寝るのは本当に久しぶりだった。やはり、こちらの方が、自分には合っているように思えた。

 

 ただ、最近はよく、同室の娘と一緒の布団で寝る事が多かった為、1人で寝る布団に物足りなさを感じていたが。

 

 それでも、久しぶりの実家と言うのは良い物である。

 

 寝巻にしている白襦袢を脱ぎ、普段着に着替え、紐でセミロングの髪をショートポニーに結んで、服装をチェックする。

 

「ん、問題無し・・・・・・」

 

 低い声で呟く。

 

 朝の準備を終えた瀬田茉莉は、お勤めに出るべく部屋を後にする。

 

 その格好は、白い上衣に緋袴と言う巫女装束を着ていた。

 

 

 

 

 

 神社の石段を、竹箒を掃き清めて行く。

 

 まだ葉の落ちる時期ではない為、掃除は比較的簡単に済む。それに、こちらに戻って来てから毎日掃除しているので、思っている程汚れも無い。

 

 長野県の山村にある瀬田神社の歴史は、古くは戦国時代にまで遡る。

 

 この皐月村自体が、元々は戦火を逃れて移り住んで来た者達が作った隠れ里である、という伝承が残っている。江戸時代後期になるまで、他の村との交流も殆ど無く、閉鎖的な印象が強かったのだ。

 

 瀬田神社はその中にあって土地神を信仰し、村の有力者として人々の信頼を集めていた。

 

 もっとも、瀬田と言う名字を使うようになったのは、明治期に入り、当時の神主の1人娘が、旅人として訪れた男性と結婚してからの事であり、それ以前は別の名前を使っていたらしい。生憎、そこら辺の記録は大正期に倉が火事で焼失した為に失われてしまい、今となっては調べる事もできないが。

 

 元々、神道系だった事もあり、廃仏毀釈の難も逃れ、瀬田神社は今日に至るまで存続していた。

 

 茉莉はこの神社の巫女であり、神主の一人娘でもある。

 

 とは言え、今この神社にいるのは茉莉1人である。母は茉莉が生まれて間もなく他界した為、茉莉は父と長く2人暮らしをしてきたのだが、その父もつい先日、事故によって大怪我をして今は病院にいる。

 

 茉莉が武偵校の寮で受け取った手紙は、父が事故にあったという知らせだったのだ。

 

 その時、石段を上って来る人影がある事に気付いた。

 

「あれ、茉莉ちゃん、おはよう」

「おはようございます」

 

 上がって来たのは、近所に住む高橋のおばさんだった。

 

 茉莉が産まれる前から瀬田家と付き合いがある女性で、茉莉は子供の頃から可愛がってもらっている。

 

「朝の参拝ですか?」

「うん。いつも通りのね。茉莉ちゃんも御苦労さま」

 

 高橋は茉莉と同じ段まで登って来て、気さくに話しかける。

 

 母親のいない茉莉にとっては、母代りのような女性だ。自然と、接し方にも親しみやすさが交じる。

 

「それにしても、あれね。茉莉ちゃんも久しぶりでしょ。こうして実家で暮らすのも」

「はい、そうですね。もう3年になります」

 

 茉莉がイ・ウーに「入学」したのは14歳の時だ。以来、故郷には一度も戻っていない。とある大望を秘めて故郷を出た茉莉にとって、戻る時はその大望を果たす時と決めていた。

 

 だが、既にそのイ・ウーを抜け、彼の秘密結社もまた壊滅した。そして父の事故の報せを受け、茉莉は目的を果たせないまま、故郷の土を踏む事となったのだ。

 

 もっとも、そう言った裏の事情は、目の前のおばさんにはあずかり知らぬ事である。

 

「長い事、都会で一人暮らしは大変だったでしょう」

「ええ、ちょっと」

 

 イ・ウーにいた時期も含めて、茉莉が故郷を離れていた理由は、そう言う風に説明されているらしい。確かに、その方が茉莉としても色々と都合が良いが、優しい父らしい配慮だと思った。

 

「それにしても、」

 

 そんな事を考えていると、高橋のおばさんは茉莉に顔を近づけて来た。

 

「おばさん、ほんとに心配だったのよ」

「心配って、何がですか?」

 

 キョトンとする茉莉に、おばさんは険しい顔で言った。

 

「だって、茉莉ちゃんって、言っちゃなんだけど、こう、ボーッとしてる所あるじゃない。都会に行って悪い人に捕まったりしないかってね」

 

 そう言う事は、本人を目の前に言わないでほしい。

 

 確かに悪い人達(イ・ウー)と付き合いがあったのは事実だが。

 

「それに、茉莉ちゃんってば、ろくにお料理もできないじゃない。そんなんで、本当に1人でやっていけるかどうか、おばさん心配で心配で」

 

 それに関しては、例え天地がひっくりかえっても茉莉に反論する資格は無い。何しろ、それが原因で瑠香と大喧嘩をやらかしたのは、ついこの間の事である。

 

「茉莉ちゃんは頼りないから。本当に大丈夫だった?」

「だ、大丈夫ですって」

 

 そう言って強がって見せる茉莉。

 

 だが、完全に否定しきれない事は事実だった。

 

「それはそうと、茉莉ちゃん」

 

 高橋のおばさんは、急に声音を変えて茉莉に顔を寄せて来る。茉莉は知っている。この顔は、何か茉莉をからかう時の顔だった。

 

「都会に行って、彼氏の1人でも作った?」

「か、カレッ!?」

 

 思わず絶句する茉莉。

 

 忘れていた。このおばさんは、この手の話題が大好きで、中学の頃までは茉莉は良いカモだったのだ。

 

「おばさん、そっちの方も心配だったのよね。ほら、茉莉ちゃんって中2の頃まで、すっごい幼児体型だったじゃない。それに、帰って来て成長はしたみたいだけど、おっぱいは小さいままだし」

「余計なお世話ですッ」

 

 顔を赤くして叫ぶ茉莉を無視して、高橋のおばさんは更に言い募る。

 

「それで、好きな男の子はできた?」

「そ、それは・・・・・・」

 

 追及に対し、茉莉は目を泳がせる。

 

 なぜか、頭に浮かぶのは、居候先の家主、緋村友哉の顔だった。

 

 少女のような顔立ちをした少年。しかし、ひとたび剣を取れば、鬼神もかくやと言わんばかりに敵をなぎ倒して行く姿は、爽快ですらある。そして、まるで本当の兄のように優しい少年。一緒にいるだけで、暖かい気持ちになれる。それが、緋村友哉と言う少年だった。

 

「・・・・・・・・・・・・ハッ!?」

 

 そこでふと、茉莉は我に返った。気付けば、高橋のおばさんは意味ありげな顔で茉莉を見ていた。

 

「あれあれ、その顔は、いるのね、好きな子が」

「おばさんッ」

「アハハハハ、そう言えば、おばさん、家の仕事がまだ残ってるんだった。早く参拝済ませて帰りましょ」

「もうッ!!」

 

 顔を真っ赤にしてプンスカ怒る茉莉に背を向けて、高橋のおばさんは本堂の方へと上がって行った。

 

 それを溜息交じりに見送る茉莉。

 

 高橋のおばさんには本当に感謝しているし、今でも大好きだが、あの性格だけは何とかしてほしいと、割と本気で思っていたりする。

 

 その時、石段下の鳥居付近で、数台の車が止まる音がした。

 

 振り返る茉莉。

 

 そこで、この少女にしてはなかなか珍しい事に、ハッキリそれと判るくらいに不快な顔を作った。

 

 黒縁眼鏡を掛けた痩身の男を先頭に、石段を上がってくる集団は、茉莉にとっては思い出したくも無い連中である。

 

「おはようございます。瀬田のお嬢さん」

「・・・・・・・・・・・・何の用ですか?」

 

 にこやかに挨拶して来る男に対し、茉莉は硬い声で応じた。

 

 20代後半ほどと思われる黒縁眼鏡の男の名前は、谷信吾(たに しんご)。古くからこの地方一帯を取り仕切っている谷家の御曹司である。一応、茉莉とは子供の頃からの顔見知りと言う事になるが、何かにつけて村の人達と揉めている印象しか無く、当然、茉莉も好感情を持っていない。

 

 そして、彼の家は、茉莉が村を出る原因を作った一家でもある。

 

 背後にはやたらガタイの大きな禿頭の男と、逆に貧相なほど痩せこけた男が着き従っている。恐らく、ボディガードなのだろう。

 

「帰って来たと聞いたので、御挨拶をと思いまして。それに、お父様が事故にあわれたとか。そのお見舞いも兼ねまして・・・・・・」

「・・・・・・白々しい」

 

 茉莉は低い声で吐き捨てる。

 

 判っているのだ、茉莉には。

 

 茉莉の父は谷家が推し進めている「とある計画」に真っ向から反対しており、その急先鋒でもあった。その為、谷家側は父を物理的に排除する為に動いたのだ。と茉莉は睨んでいる。勿論、証拠は無い。だからこそ茉莉も帰って来たは良いが、派手な身動きが取れないでいるのだ。

 

「心外ですね。私はただ、あなたやお父様の事を察し、こうして少ない時間を割いて来ただけだと言うのに」

 

 まるで、その事に感謝しろ。とでも言わんばかりの口調に、茉莉はますます腹を立てる。

 

「お見舞いなら結構です。どうぞ、お引き取り下さい」

「このガキっ」

 

 信吾の後ろに控えていた痩身の男が、牙をむき出すような勢いで身を乗り出す。

 

「坊ちゃんが、せっかく足を運んでやったって言うのに、何だその態度はッ!?」

 

 男の剣幕に対し、茉莉は両足を肩幅まで広げ、いつでも動けるような体勢を作り、同時に手にした竹箒を構える。

 

 後の2人がどの程度の実力かは知らないが、縮地を使えば瞬きをする間に3人とも叩き伏せる自信がある。ここは石段の中ほどで足場としてはあまり良くないし、今は刀も持っていないが、同時に茉莉の実家でもある。地の利は茉莉の方にあった。

 

 見れば禿頭の巨漢も、いつでも動けるように身構えている。

 

 来るか?

 

 そう思った瞬間。

 

「や~めろ」

 

 信吾が気だるそうに、背後の2人を制すると、再び茉莉に向き直った。

 

「お嬢さん、仕方がないので。今日の所はこれで帰りますよ」

 

 だが、信吾は最後に付け加えるように、茉莉の耳元で囁いた。

 

「お忘れないように。お父上が入院されている病院にも『谷』の息が掛っている者がいると言う事を」

「ッ!?」

 

 絶句する茉莉を置いて、信吾と2人の部下達は石段を下りて行く。

 

 その後ろ姿を、茉莉は憎しみすら込めた瞳で見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瀬田神社の裏手には、地下水がわき出した天然の泉がある。

 

 昼頃になると、陽光が水面に反射してキラキラと輝くその場所は、茉莉にとっての一番のお気に入りの場所だった。

 

 その泉のほとりで、茉莉は膝を抱えて座っている。

 

 だが、茉莉の目は水面を映してはいなかった。

 

 思い出されるのは、信吾のあの言葉だ。

 

 父の病院に、谷の配下の者がいる。その言葉はすなわち、父が人質に取られている、と言う事に他ならない。

 

 そもそも、谷の家は明治初期にこの地方一帯を収める事を当時の政府から委託され、それが現在まで連綿と続いていて来ている、生粋の「領主」一族だ。

 

 古くは一族から衆議院議員や警察官僚を出した事もある。信吾の父もまた県議員の1人である。その権力は絶対であると言えた。

 

 それに比べて、茉莉は村の有力者の娘とは言え、その権力には天地ほどの開きがある。

 

 まっとうな手段での対抗は、まず難しい。それどころか県警にも谷の息が掛っている。仮に証拠を揃えて行っても、握りつぶされ、逆に名誉棄損で起訴されるのは目に見えている。

 

 茉莉が村を出て3年間。今まで、谷の横暴に対し村が抵抗で来ていたのは、父の存在が大きかった。父は村内ではカリスマもあり、何より娘の茉莉から見ても度胸がある人だ。例え相手が誰であっても、通す筋はきちんと通すものである。

 

『それに引き換え・・・・・・』

 

 茉莉は自分の不甲斐なさを、心の中で嘆く。

 

 合法的な手段では谷を糾弾する事もできず、更には旗振り役であった父が倒れた事で、村内の結束は目に見えてほころび始めている。谷に対抗しようと言う者は殆どいなくなってしまった。皆、父のように危害を加えられる事を恐れているのだ。高橋のおばさんのように、昔から付き合いのある人は茉莉に同情して味方もしてくれているが、せいぜいそれくらいである。

 

「だから・・・・・・私は・・・・・・」

 

 掠れるような声で呟いてから、茉莉はブンブンと頭を振った。

 

 弱気になってはいけない。自分は何としても、倒れた父に代わってこの村を助けなければならないのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま、水面を見詰める。

 

 谷が来たせいで、今の茉莉は明らかに頭に血が上っている。少し、クールダウンしたかった。

 

 立ち上がる茉莉。その手は、緋袴の帯に伸ばし、結び目をそっと解く。

 

 紐を全て解くと、緋袴を地面に落とす。

 

 上衣は上半身を覆うだけの長さしか無いので、そこからスラリと伸びた足と、その上にある下着までもが見えてしまっている。だが、問題は無い。何しろ今、この家には茉莉しかいないのだから。

 

 茉莉は更に純白の上衣も脱ぎ去った。

 

 雪原を思わせる白い肌に、上下水色のブラジャーとパンツが眩しく映えている。お尻の所に描かれたクマさんがお気に入りである。

 

 その下着も、脱ぎ去る。

 

 生まれたままの姿になった茉莉は、ショートポニーの髪も解き、ゆっくりと、爪先から水面に浸して行った。

 

 夏本場の蒸発しそうな気温の中、冷たい水の感触が足先から全身に広がって行く。

 

 この泉は元々、禊や水垢離の時に使う物だが、夏場にこうして水浴びに使う事は、茉莉にとって密かな楽しみでもあった。

 

 腰まで水深のある水の中で、茉莉は自分の体をじっと眺める。

 

 こうして見れば、高橋のおばさんの言うとおり、中学生のころに比べて手足も伸び、日々鍛錬を欠かしていないせいか、体も引き締まって来ている。

 

 だが、なぜか、胸だけは中学の頃からあまり成長していない気がした。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、自分の両胸に手を当てて見る。

 

 以前イ・ウーにいた頃、理子から「男は胸のある方が好み」と言う話を聞いた事がある。

 

 その時の茉莉は大して気にも留めなかったが、イ・ウーを離れ、武偵校で暮らすようになってから、その考えがたびたび脳裏によぎるようになった。

 

 その根底に、1人の少年の姿がある事は否めなかった。

 

「緋村君・・・・・・・・・・・・」

 

 口に出して呼んでみる。

 

 出会ったのは、5月の魔剣事件の折り。《仕立屋》の一員であった茉莉は、ジャンヌの依頼に従い、彼女を支援し、妨害して来るであろう友哉を排除する為に武偵校へ潜り込み、友哉に近づいた。

 

 初めは監視、排除の対象でしかなかった。

 

 しかし、その後、戦いに敗れて逮捕され、正式に編入した後、一緒に戦うようになって、最も身近にその存在を感じるようになった少年である事は間違いない。

 

 水を手で掬い、パシャっと胸元に掛ける。

 

 今回、茉莉は自分が抱えている事情を、友哉に話していない。

 

 否、友哉だけではない。瑠香にも、誰にも話していない。

 

「もし、私が話していたら・・・・・・」

 

 彼等は、力になってくれただろうか。

 

 きっと、なってくれたと思う。

 

 友哉は何も言わず、その剣を自分の為に振るってくれただろう。

 

 瑠香は、むしろ率先して力を貸してくれただろう。

 

 陣も、何だかんだで面倒見のいい性格をしているから、きっと力を貸してくれた筈だ。

 

 それは判っている。

 

 だが、

 

 判っているからこそ、茉莉は彼等に言う事ができなかった。

 

 相手は谷一族。この地方一帯を牛耳る権力者だ。いかに武偵の戦闘力を持ってしても、絶大な権力には敵わない。

 

 来れば彼等は潰される。

 

 だから茉莉は、誰にも告げずに1人でここに来たのだ。

 

 だが、

 

 脳裏からは、どうしても友哉の顔が離れない。

 

「緋村君・・・・・・」

 

 もう一度、そっと名を呟く。

 

「会いたい、です・・・・・・」

 

 その言葉は、誰にも聞き咎められず、水面を流れて消えて行く。

 

「お~~~~~~」

 

 その時、

 

「ろ~~~~~~」

 

 遥か頭上から、人の声が降って来る。

 

 振り仰ぐ茉莉。

 

 次の瞬間、

 

 バッシャーーーーーーン

 

 凄まじい轟音と共に、何かが上空から降ってきて泉に高々と水柱を上げた。

 

「・・・・・・・・・・・・はい?」

 

 あまりの事に、茉莉も目を丸くして硬直する。

 

 そんな茉莉の目の前で、その人物は顔を上げた。

 

「おろ・・・・・・だから、無茶するなって言ったのに・・・・・・」

 

 顔を上げた、互いの視線が交差する。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 その状態のまま、互いに言葉を失う。

 

 なぜなら、降って来たのは、先程まで茉莉が思い描いていた人物、緋村友哉その人だったからだ。

 

 

 

 

 

 話は、数分前に遡る。

 

 瀬田神社の裏手は高い崖になっており、山頂付近まで細い道が繋がっている。

 

 その道を、3人の人間が歩いていた。

 

「ねえ、もうどれくらい歩いたっけ?」

「さあな、6時間くらいじゃねえの?」

 

 四乃森瑠香の質問に、相良陣は適当な調子で答える。

 

 だが、かなりの時間、山の中を彷徨っていたのは事実だった。

 

「まったく、相良先輩があてずっぽうで歩きまくるから、こんな事になったんですよ!!」

「んな事言うんだったら、お前だって駅前のレストランでゆっくり飯食ってるからだろうが。だから近道しようとしただけだろう!!」

「だって、美味しかったんだもんッ」

「ああ~、もう~、やめなよ」

 

 先頭で地図を見ながら歩いている友哉が、呆れ気味に言う。

 

 要するに真相を言うと、電車で最寄り駅に着いたは良いが、取る物も取り敢えずと言う形で出て来た為、碌に食事もしていなかった。そこで、まずは腹ごしらえと思い、駅前にあったレストランで食事をしていたが、たくさん頼み過ぎてしまい、乗る予定だったバスに間に合わなくなってしまった。

 

 田舎のバスは本数が少ない。数時間に1本、などというパターンが常である。

 

 仕方がなく、歩いて目的地に行こうと言う事に決まり、3人で歩き出したまでは良かったが、今度は陣が「面倒くさいので近道しよう」等と言いだし山に分け入ったのが運の尽き。

 

 完璧なまでに遭難し、現在に至る訳である。

 

 本格的なGPSくらい持ってくればよかったか、と友哉は割と後悔している。携帯電話のGPS機能では、性能が追いつかず、大体の方角くらいしか判らない有様だ。

 

「相良先輩は大雑把過ぎるんですよ!!」

「んだと、こらっ!!」

 

 更にヒートアップして行く2人。

 

「やめなってばッ」

 

 制止に入ろうとする友哉の言葉も聞いていない。

 

「ようし、そこまで言うんだったら、俺がどうにかしてやるよ」

「どうする気ですか?」

「へっ、道ってのはな、誰かが作ったのを歩くんじゃねえ。歩く場所を自分で切り開くんだ!!」

 

 そう言うと、何を思ったのか陣は、藪を切り開くようにして歩きだした。

 

「ちょ、陣、無茶はやめなってッ」

 

 慌てて友哉が制止しようとした時だった。

 

 ボロッ

 

 突然、道の端が崩れ、友哉の体が大きく傾く。

 

「・・・・・・お?」

 

 視界が斜めに、そして横倒しになった。

 

「ろ~~~~~~」

 

 そのまま、まっさかさまに落ちて行く友哉。

 

 とっさに陣と瑠香が手を伸ばそうとするが、届かない。

 

 そして、

 

 バッシャーーーーーーン

 

 どうやら、下は水辺になっていたらしく、そこに頭から突っ込んだ友哉は、水がクッション代わりになってくれて、どうにか大怪我をせずに済んだ。

 

「おろ・・・・・・・・・・・・だから、無茶するなって言ったのに」

 

 顔を上げる友哉。

 

 その瞬間、目の前に立っていた少女と目が合った。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 互いに無言。

 

 少女は、水浴びの途中だったのか、陽光の下に裸身を晒している。

 

『・・・・・・・・・・・・き、綺麗だなァ』

 

 友哉は状況も忘れて、そう思ってしまった。

 

 やがて、

 

「ひ・・・・・・緋村・・・・・・君?」

「・・・・・・おろ?」

 

 目の前の裸身の少女から、いきなり名前を呼ばれて、友哉はキョトンとする。

 

 そこで、自分の記憶と、目の前の人物とのビジョンが一致して行く。

 

「ま・・・・・・茉莉?」

 

 髪を解いている上に、状況があまりにもアレだった為、思わず見間違えてしまったが、目の前の少女は間違いなく、寮で同室の瀬田茉莉に他ならなかった。

 

 まさか、こんな偶然があって良いのだろうか、と本気で考えてしまう。

 

「あ・・・あの、どうして、ここに?」

「いや、あの、ジャンヌから、聞いて・・・・・・ッて言うか、茉莉・・・・・・」

 

 友哉は顔を赤くしながら、僅かに顔を背ける。

 

「あの、前、隠してもらいたいんだけど・・・・・・」

「へ?」

 

 言われて、

 

 茉莉はゆっくりと、自分の恰好を見下ろす。

 

 言われるまでも無く、一糸纏わぬ真っ裸状態。

 

 まっさらな白い平原の上に、思いだしたように築かれた小さな二つの丘と、その頂にて自己主張しているピンク色の突起が、初々しい美しさと共に友哉の視線に惜しげも無く晒されている。

 

 ゆっくりと顔を上げる茉莉。

 

 その顔は、情けないくらいに真っ赤に染まっている。

 

「き・・・・・・」

 

 目に涙をいっぱい浮かべる茉莉。

 

 次の瞬間、

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

 盛大な悲鳴と共に、茉莉は両手で胸を隠し、水の中にしゃがみ込んでしまった。

 

 と、

 

「伝家の宝刀、怪鳥蹴りィィィィィィッ!!」

 

 ドゴスッ

 

「おろォォォォォォッ!?」

 

 どこからともなく飛来した瑠香のドロップキックが、友哉の側頭部に突き刺さる。

 

 呆気なく轟沈する友哉。

 

「友哉君、最低ッ 何、いきなり覗いてんのよッ!!」

「ご、誤解、だっ、てば・・・・・・」

 

 目を回しながら、それでも必死に弁明する友哉。

 

 そこへ、

 

「何だ、今の悲鳴はッ!?」

 

 藪を掻き分けて、陣が乱入して来る。

 

 だが、

 

「来るな、馬鹿ァッ!!」

 

 瑠香はその鼻っ面に、持っていたデイバックを思いっきり投げつけて悶絶させる。

 

 その後、瑠香は何とか茉莉を宥め、男2人を視界外に追い出して、どうにか事態を収拾するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 畳敷きの井草が香る応接間にて、どうにか落ち着きを取り戻した4人は、車座になって座っていた。

 

「あ、あの、すみませんでした。取り乱してしまって」

 

 まだ少し顔が赤い茉莉は、そう言って頭を下げる。

 

 父親以外の男に裸を見られる、と言う人生初の体験を交通事故並みの勢いでしてしまった少女にとって、なかなかそのショックから立ち直れないのも無理は無かった。

 

「ま、まあ、僕もちょっと、気が回らなかったと思っているよ」

 

 そう言って、友哉もまた頭を下げる。

 

 本当に、どうかしていた。

 

 裸の茉莉を前にして、思わず凝視してしまうなんて。

 

 そう、裸の・・・・・・

 

 それにしても、綺麗だったな。と、友哉は脳裏で思い浮かべる。

 

 白い絹のような肌が、その上を滑る雫に反射する陽光の元、まるで幻想のような光景を露わにしていた。

 

「・・・・・・友哉君」

「ハッ!?」

 

 瑠香の冷えた声に、友哉は我に帰る。

 

 何も長野くんだりまで、茉莉の水浴びシーンを覗きに来た訳ではない。れっきとした目的があって来たのだ。

 

 ゴホンッと咳払いをすると、友哉は真剣な眼差しを茉莉に向けた。

 

「茉莉、僕達は、この村が抱えている現状や、君の事情を聞いてここまで来たんだ」

「え?」

 

 友哉の言葉を聞いて、茉莉は驚いたような顔をした。

 

 茉莉は誰にも話さずに、故郷に戻って来たというのに、一体どこから情報を得たと言うのか。

 

「ジャンヌ先輩がね、教えてくれたんだよ」

「・・・・・・成程。そうですか、ジャンヌさんが」

 

 イ・ウー時代からの友人であるあの銀氷の魔女が、武偵校では情報科(インフォルマ)に所属している事を思い出した。恐らく彼女が張り巡らせているアンテナに、茉莉の事情が引っ掛かったのだろう。

 

「ダム建設が、進められているんだね」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 ためらった末、茉莉は友哉達に事情を話す事にした。どの道、大体の事情を聞いているなら、今更隠した所で意味は無かった。

 

「その話が出たのは、4年前。私がまだ、イ・ウーに入る事を決める前です。治水工事の為に大型ダムを建設しようと言う計画でした。しかし、ダムが完成すれば、この村が水の底に沈んでしまうと言う話に、村の人達は怒り、反対運動を展開しました。その旗振り役が、私の父でした」

 

 村の有力者である茉莉の父が、反対派のリーダーをやるのは自然な流れだったし、何より本人もやる気満々だった。

 

 反対派は連日、座り込みや抗議文の作成、有力者への直談判など、考えつく限りのあらゆる活動を行い、工事の妨害を行った。

 

「でも、それらの活動は、全て無駄だったんです」

「どうして?」

 

 尋ねる瑠香に、茉莉は悲しそうな顔をして言った。

 

「谷家が、ダム建設推進派に回ったからです」

 

 この地方一帯を牛耳り、有力者はおろか衆議院議員にさえ太いパイプを持つ谷家にとって、小村の反対運動を握りつぶす事など、訳無かった。

 

「そんな折でした。私にイ・ウーから『入学』の誘いにが来たのは」

 

 イ・ウーからの使者は、茉莉に対し、彼女が持つ縮地の技術を開示する代わり、相応の報酬を払い、更に提示された任務をこなせば、充分な額の追加料金も払うと約束した。

 

 当然、初めは茉莉も、茉莉の父もその話に賛同はしなかった。しかし、現実問題として、お金が必要なのも事実である。綺麗事に縋って手をこまねいている内にも、工事は着々と進んで行っているのだ。

 

 迷った末に、茉莉はイ・ウー行きを決め、故郷を後にした。

 

『・・・・・・成程』

 

 話を聞きながら、友哉は少し納得したような気がした。

 

 出会ったころの茉莉は、どこか追い詰められた獣のような、執念にも似た印象を持っていた事を覚えている。それに、茉莉の依頼受諾量が半端ではない事も気になっていたが、それは全て、ここに直結していたのだ。

 

「話は判ったがよ、瀬田」

 

 それまで黙っていた陣が口を開いた。その目は睨むように細められ、明らかに茉莉を責めているのが判る。

 

「どうして俺達に言わなかった? 水臭ぇじゃねえか」

「危険だからです」

 

 陣の言葉に、茉莉も鋭く言い返す。

 

「谷家の権力は、恐らく皆さんが考えているよりもずっと大きい。皆さんの力は知っていますが、いかに力があろうとも、強大な権力の前ではただ押し潰されるしかありません」

 

 権力。と言う敵と戦った経験は、確かに友哉達には無い。だが、如何に武力と言う剣があっても、権力と言う城壁に傷を付ける事はできない。

 

 ゴクリッ

 

 誰かが、息を飲む音が聞こえた。

 

 これは、今までに対峙してきた敵とは一味も二味も違うと認識せざるを得なかった。

 

 だが、

 

「判ったよ、茉莉。けどね、」

 

 友哉は毅然と顔を上げて、言い放つ。

 

「武偵憲章1条『仲間を信じ、仲間を助けよ』。仲間が絶望的な状況にあるのに、それを見捨てるような人間に、武偵を名乗る資格は無いよ」

「緋村君・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、茉莉は驚いたように目を見開いた。

 

「そうだよ、茉莉ちゃん」

 

 瑠香も身を乗り出して来る。

 

「あたし達はお友達だよ。助けあうのは当然の事じゃん」

「瑠香さん・・・・・・」

「ま、乗りかかった船ってな・・・・・・」

 

 陣も、ニヤッと笑みを浮かべて言う。

 

「こんな時くらい、俺らを頼れよ」

「相良君・・・・・・」

 

 胸が熱くなる。

 

 この村に戻った時。茉莉は孤独な戦いを覚悟した。

 

 だが今、こうして集まってくれた友達がいる。共に戦ってくれると言う仲間がいる。

 

 それが、茉莉には何より輝いて見えた。

 

「ありがとう・・・・・・ございます」

 

 そう言って、頭を下げる茉莉に、一同は微笑みを投げかける。

 

 まるで、謝る必要なんかない。これは必然の事なんだから、と無言のうちに語っているようだ。

 

「そ れ に」

 

 瑠香が、少し声のトーンを落として言う。

 

「どうせ、茉莉ちゃんの事だから、帰って来てから碌な物食べてないんでしょ」

 

 ギクッ

 

 図星を指摘され、茉莉は視線を泳がせる。

 

「そ、そんな事、無いです、よ?」

「何で口調が疑問文なのかな?」

 

 確かに、帰って来てから茉莉は高橋のおばさんが用意してくれた物以外は、インスタント物しか食べていない。

 

 そう言う意味でも、確かに皆が来てくれたのはありがたい事だった。

 

「そんな訳で、料理人くらい必要でしょ?」

「・・・・・・すみません」

 

 ここは、素直に白旗を上げるのが正解だった。

 

「それにしてもさ、」

 

 瑠香が話を変える。

 

「茉莉ちゃんのその格好、可愛いよね~」

 

 瑠香は目をキラキラと輝かせて言う。

 

 茉莉は水浴びをした後、そのまま服を着たので巫女装束のままである。確かに、神聖な巫女服は処女性を現わし、それが同時に清楚な美しさを見せていた。

 

「あの、良かったら着てみます?」

「良いの!?」

「はい。私の予備がありますし。それに瑠香さんなら、私と体格が似ていますから、多分着れると思います」

 

 そう言って部屋の方へ瑠香を案内する茉莉を、微笑ましそうに見送る友哉。

 

 少女達の姿が見えなくなってから、友哉は陣に向き直った。その目からは既に笑みが消され、真剣な眼差しが向けられている。

 

「どうやら、事態は思っていたよりも深刻みたいだね」

「ああ」

 

 陣も、難しい表情で頷きを返す。

 

 ダム建設。それに伴う反対運動。谷家の暗躍、そして反対派リーダーだった茉莉の父の事故。

 

 相手は、相当な権力を有している事が窺える。

 

「これは、一筋縄じゃいかないよね」

「そう言えばよ、妙な噂聞いたんだけどよ」

 

 陣が、ここに来る前に駅前で聞いた噂を思いだして話す。

 

「何でも、『稲荷小僧』とか言う奴が、ダム推進派を闇討ちしてるって話だぜ」

「稲荷小僧・・・・・・」

 

 また、随分と古風な名前である。

 

「何でも、この間もダムの現場監督とその他1名が襲われて、病院送りにされたって話だ」

 

 陣の言葉を聞き、友哉は考え込む。

 

 その稲荷小僧とやらが、どのような立ち位置で、何者なのかは判らない。

 

 だが、状況は自分達が考えている以上に、混沌とした物であるらしい事は理解できた。

 

 

 

 

 

第3話「水辺の天女」     終わり

 


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