緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第5話「稲荷小僧」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉が神社に戻ると、既に陣も、そして瑠香と茉莉も戻ってきていた。

 

 瑠香と茉莉は、お互い揃いの巫女装束に身を包み、瑠香が何やら茉莉の髪をいじっている所だった。

 

「ただいま」

 

 縁側から廊下にあがり、そのまま居間に上がる。

 

 ちょうど、一馬と会った獣道は、真っ直ぐ瀬田家の裏手に繋がっていたので、玄関には入らず、そのまま裏手に回ったのだ。

 

「あ、お帰り友哉君。どうだった?」

 

 茉莉の髪を櫛で梳いてやりながら、瑠香が手を上げて来る。

 

「何か判った事、ありますか?」

 

 普段はショートポニーにしている髪を梳いてもらっている関係で、解いてセミロングにしている茉莉。

 

 普段とはまた違った印象の少女の様子に、友哉は一瞬言葉に詰まった。

 

 先日の泉での一件もあり、どうにも必要以上に茉莉を意識してしまっている感がある。

 

 友哉は冷静になるべく、軽く息を吐いてから説明に入った。

 

「実は・・・・・・」

 

 噂通り、ダムの建設は停滞している事、そして作業員や用心棒と思われる者達と、陣と一緒に交戦になった事。

 

「やっぱり、稲荷小僧の影響なのかな?」

「ああ、それそれ。そっちでは何か聞けなかった?」

 

 瑠香の言葉に、友哉は反応する。

 

 今回の件、唯一ベールに包まれた状態にあるのは、稲荷小僧の事だ。そこだけが未だに謎に包まれている。

 

 逆を言えば、そこを考えればこの事件も、もう少し見えて来る物があるのでは、と友哉は考えていた。

 

「瑠香さんと2人で村の方で情報収集して見たんですが、凄かったです」

「もう、ね、ヒーロー? ッて言うか、守り神様みたいな崇め方だったよ。一部の人なんか、本当に神の御使いが来てくれたー、とか言って拝んでたくらいだし」

 

 何となく、その光景が容易に想像できる。

 

 村人達にとって、ダム工事を妨害し停滞させている稲荷小僧の存在は、確かに守り神と呼べるものかもしれない。が、

 

「とは言え、やってる事はれっきとした通り魔だから、武偵としては見過ごすわけにはいかないんだよね」

「そうだね」

 

 困った事に、と心の中で呟く。

 

 心情的には味方したい気持ちでいっぱいだ。特に、茉莉から谷家の実情を聞いた後は尚の事、そう思う。

 

 だが、それはそれとして、稲荷小僧のやっている事を見過ごす事もできない。

 

 如何に正義を語ろうと、法を介さなければただの暴力になり下がる。それを見過ごす事は、すなわち法の崩壊と、人心の荒廃に直結する。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 一同が話し込む中、茉莉が何やら深刻そうな顔で黙っている事に気付き、友哉は話しかけた。

 

「茉莉、どうかした?」

「え?」

 

 話しかけられ、今、友哉の声に気付いたとばかりに茉莉は顔を上げた。

 

 彼女も、この村の一員だ。その事を踏まえて、知っている事は何でも話してもらいたい。

 

「何か、悩み事でもあるの?」

「あ、い、いえ・・・・・・」

 

 訝るような友哉の視線に、少し慌てるようにしながら茉莉は言った。

 

「・・・・・・次に谷家の人達が、どういう手で来るのか、それを考えていたんです」

「成程、確かにね」

 

 悔しいが、今のところイニシアチブは谷家が握っている為、こちらが先手を打つのは難しい。相手の出方に応じて対応して行くしかないだろう。

 

 一歩間違えば、逮捕されるのはこちらと言う事態にもなりかねない。

 

「考えられるのは、稲荷小僧の燻り出し、だろうね」

 

 谷家としては、茉莉の父親を排除した以上、残る目の上のタンコブは、この正体不明の通り魔のみである。その排除に動くのは当然の事だろう。

 

「なら、俺達のやる事は、その稲荷なんたらを見付けてとっ捕まえる事だな」

 

 威勢よく言う陣に、友哉も頷く。

 

「そうだね。万が一、稲荷小僧が谷家の手に落ちたら、僕達は完全に勝機を失ってしまう事になる」

 

 谷家よりも先に稲荷小僧の身柄を確保し、その上で協力できるようならこちらに引き込む。それが当面の方針である。

 

 そう告げて、友哉は一同を見回す。

 

 力強く頷く陣と瑠香。だが、茉莉だけは何かを考え込むように俯いているのが見えた。

 

 何か声を掛けようかとも思ったが、その前にある事を思いだした為、そちらを先に話す事にした。

 

「そう言えば、さっき森の中で斎藤さんに会ったよ」

 

 その言葉に、一同は思わず目を剥いて騒然となった。

 

「おいおい、斎藤って言や、あいつだろ、あの客船の戦いの時にいた刑事だろナントカって言う組織の」

「公安0課、ですね」

 

 人の言葉を補足するように茉莉が言う。

 

 公安がこの事件に足を踏み入れている。この事実に、誰もが緊張を隠せなかった。

 

「だから、ここからは、より慎重に事を進めないといけない」

 

 友哉の言葉に、一同は頷きを返した。

 

 警視庁公安部が動いている以上、事件はかなりの規模に発展していると言う事だ。確かに、これからは慎重に動く必要があった。

 

「さて、と」

 

 話は終わり、瑠香は勢いよく立ちあがる。

 

「たくさん歩いて汗かいちゃった。茉莉ちゃん、お風呂入ろ」

「あ、は、はい。じゃあ、お湯沸かしますね」

 

 そう言って立ち上がる茉莉を見ながら、瑠香は睨みつけるように男性陣を見た。

 

「言っとくけど、覗かないでよね。特に友哉君」

「おろッ 何で僕?」

 

 心外だ、と言わんばかりに抗議しようとするが、瑠香は半眼になって友哉を睨みつける。

 

「友哉君、前科一般。昨日、茉莉ちゃんの水浴び覗いたでしょ。アリア先輩なら風穴物だよ」

「いや、だから、あれは偶然の事故だったんだってば!!」

 

 抗議する友哉だが、瑠香は聞く耳もたないとばかりにそっぽを向いている。見れば、茉莉も、その時の事を思い出したのか、顔を赤くして俯いている。

 

 どうやら、友哉の不名誉な誤解は、当分解けそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 比留間洋二と三矢の兄弟は、谷家宅へと呼び出されていた。

 

 用件は、昼間にダム作業現場に侵入した子供2人についてだった。

 

「全く、なんてザマだッ」

 

 怒り心頭と言った風情で源蔵は怒鳴る。

 

「たった2人のガキを取り逃がしただとッ!? 一体、何の為の用心棒だ!?」

「そうは言うがよ、何とも妙な奴らでよ」

「そうそう、何かガタイの良い奴と、女みてェな顔した奴なんだけど、素手で地面割ったり、軽技みたいに身が軽かったりよ」

 

 言い訳じみた事を言う比留間兄弟に、源蔵は冷ややかな目を向ける。

 

「フンッ、世迷言を。言い訳なら、もう少しマシな事を言うんだな」

「本当なんだよッ」

 

 話を信じようとしない源蔵に、洋二は声を荒げるようにして言う。

 

 その声を無視して、源蔵は自分の背後に立つ男に目をやった。

 

「これは貴様の責任だぞ、喜一」

 

 喜一と呼ばれた男は、壁に背を預けたまま、腕を組んで様子を見ていた。

 

「貴様の弟が不甲斐ないせいで、ワシ等まで舐められる事になるんだッ」

「すいませんね」

 

 上辺だけの謝罪を口にしながら、喜一と呼ばれた男は洋二と三矢に目をやった。

 

「あ、兄貴・・・・・・」

「すまねえ・・・・・・」

 

 喜一に一睨みされ、振るえるように恐縮する2人。

 

 対して喜一は、底冷えするような声で言った。

 

「二度とこんな失敗をするな。次やったら、俺がお前等を殺すぞ」

「わ、判った」

 

 2人は必死に頷くと、慌てたように部屋を出て行った。

 

「それにしても、」

 

 話題を変えるように、喜一は源蔵に向き直る。

 

「気になりますね、その2人組のガキ。あいつ等にしろ、作業員にしろ、頭は悪いが腕っ節だけは、そこらの警官にだって負けない連中だ。それが何十人も集まって、捕まえる事ができないとは」

「まさか、そいつ等が稲荷小僧なのかッ?」

 

 源蔵は喜一の言葉に目を剥く。

 

 そいつ等が稲荷小僧なら、いよいよその正体を掴んだ事になる。

 

 だが、それを喜一は否定する。

 

「その可能性は、低いんじゃないですかね」

「なぜだ?」

「時期が合わないんですよ。稲荷小僧が出現し始めたのは、1週間くらい前から。対してそのガキは、今日初めて姿を見せた。可能性としてゼロじゃないにしても、この空白の期間には少々違和感がる。むしろ、村の誰かが武偵でも雇った、と考える方が無難でしょうね」

「武偵か・・・・・・」

 

 それはそれで厄介だ。連中にいらぬ事を探られては困る。

 

「何、心配はいりませんよ」

 

 そう言うと喜一は、傍らに置いてある白木造りの鞘に収めた刀を持ち上げる。

 

「その為に、私がいるんですから」

 

 その頼もしい発言に、源蔵も笑みを見せる。

 

「頼んだぞ、裏社会じゃ『千人斬りの比留間』と呼ばれているお前だ。頼りにしているぞ」

「御安心ください。それに、稲荷小僧の方も万全です。今夜中には捕まえる事ができるでしょう」

 

 その頼もしい発言に、源蔵と信吾も笑みを浮かべる。

 

 謎の通り魔さえ排除できれば、最早この地方で谷に逆らえる者はいなくなるのだ。

 

 富と権力を手中に収めた谷家。その躍進を止められる者など存在する筈がなかった。

 

 

 

 

 

 風呂を終えた瑠香と茉莉は、夕食の材料を買うべく、商店街へと繰り出していた。

 

 少々間の抜けた話ではあるが、風呂に入り終えた後に、夕飯の食材が無い事に気付いたのだ。

 

 高橋のおばさんに頼ろうとも思ったが、あまりおばさんにばかり頼りきりになる訳にも行かない。

 

 と言う訳で、今晩は簡単な物で自炊しようと言う事になったのだ。

 

「それにしても・・・・・・」

 

 瑠香は興味深そうに、周囲を見回しながら茉莉に話しかける。

 

「茉莉ちゃんの村って、面白いね」

「あの、つまらなくないですか?」

 

 茉莉は怪訝そうに尋ねる。都会育ちの瑠香からすれば、皐月村は何もないド田舎に見える事だろう。もしかして、退屈していないか、と勘繰ってしまったのだ。

 

 しかし、上目遣いで尋ねる茉莉に、瑠香は笑い飛ばすように言った。

 

「そんな事無いよ」

 

 そう言って、瑠香は茉莉の手を繋ぐ。

 

「あたしの京都の実家も街中にあるし、武偵校なんか、マジで都会のど真ん中じゃん。だからかな、逆にこう言う長閑な場所での生活って言うのに、少し憧れてたんだ」

 

 これが都会で育った人間と、田舎で育った人間の感性の違いなのだろう。一概にどちらが良いと言う訳ではないが、互いが互いの感性を理解しづらい事は確かだろう。

 

「そう言ってくれると、私も嬉しいです」

 

 茉莉も嬉しそうに微笑しながら、瑠香の手を握り返す。自分の故郷を良く言ってくれて、悪い気分になる者も少ないだろう。

 

 そのまま手を繋いで歩き、商店街まで歩いて来ると、何人か茉莉の顔見知りの人達と出会う事となった。

 

 何しろ、2人ともお揃いの巫女服を着ている。狭い商店街で、目立たない筈がなかった。

 

「あれま、茉莉ちゃん。帰ってたのかい」

「おかえり~、茉莉ちゃん」

 

 口々に話しかけて来る。

 

 その光景だけでも、茉莉が、この商店街ではちょっとしたアイドルのような存在である事が判る。

 

「茉莉ちゃん、大人気だね」

「うう、恥ずかしいです・・・・・・」

 

 顔を赤くしながら、所在無げに俯いている茉莉を見て、瑠香もクスクス笑う。

 

 そんな瑠香にも、話しかける声がある。

 

「お嬢ちゃんは、茉莉ちゃんのお友達かい」

「あ、はい。学校の後輩です」

 

 瑠香のその返事に、質問した相手の方が少し驚いた表情をする。

 

「あれ、あんた茉莉ちゃんより年下だったのかい。あたしゃてっきり、茉莉ちゃんの方が年下かと思ったよ」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 瑠香と茉莉は微妙な表情で顔を見合わせる。

 

 割と普段から「瑠香=姉、茉莉=妹」のような関係の2人である。傍から見ても、やっぱりそんな風に見えるらしい。

 

 だが、そんなに悪い気はしない。と、茉莉は密かに思っている。

 

 昔から一人っ子だったから、一緒に遊べる兄弟姉妹が欲しいと思った事は何度もある。それが、瑠香のように何でも相談できる姉だったら、と思う事もあった。

 

 その時だった。

 

 それまで、2人を囲んで騒いでいた村人達が、緊張したように話すのをやめて、別の方向を向いている。

 

 その視線を辿り、茉莉も息を飲んだ。

 

 黒塗りのセダン。

 

 そこから降りて来た黒縁眼鏡の男が、目に入ったからだ。

 

 緊張に体をこわばらせながら、茉莉はそっと瑠香に口を近付ける。

 

「瑠香さん、あれが谷信吾です」

「うわっ あれがそうなんだ」

 

 名前を聞いて、瑠香も嫌悪感を露わにする。何しろ、自分達の敵が目の前に現われたのだ。警戒しない方がおかしい。

 

「こんにちは、瀬田のお嬢さん」

「・・・・・・どうも」

 

 にこやかな信吾の言葉に対し、茉莉は警戒心剥き出しの、硬い声で応じる。

 

 そんな茉莉の様子に気付いていないのか、それとも気付いていても無視しているのか、信吾は変わらない調子で話す。

 

「おや、夕食のお買いものですか、良いですね」

「あなたには関係の無い事です。それじゃ」

 

 そう言って、信吾の脇を抜けようとする茉莉。

 

 その時、

 

「お父様・・・・・・」

 

 その一言に、茉莉は足を止める。

 

「早く、良くなると良いですね」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 横目で睨んで来る信吾に対し、茉莉は視線を合わせずに黙りこむ。実質、父を人質に取られている茉莉にとって、この場での抵抗は封じられているに等しかった。

 

 それが判っているので、信吾は更に言い募って来る。

 

「どうです、今度ウチで食事でも? 是非招待させてくださいよ」

「何言ってんのよ、アンタッ」

 

 その言葉に対し、反応したのは茉莉ではなく、彼女の傍らで信吾を睨みつけていた瑠香だった。

 

「茉莉ちゃんがアンタの所になんか、行く訳無いでしょ」

「おやおや」

 

 そんな瑠香の剣幕にも、信吾は首を振ってやれやれと肩を竦める。

 

「お友達は選んだ方がいいですよ、茉莉さん。こんな犬のようにキャンキャンと吠えるだけの奴など、あなたに相応しくない」

「なにをッ」

 

 激昂しかける瑠香。しかし、その袖を茉莉が引っ張って制する。

 

「瑠香さん、ダメです」

「茉莉ちゃん、でもッ、こいつ、茉莉ちゃんの事ッ」

 

 怒る瑠香の気持ちは嬉しいが、ここでの揉め事はまずい。

 

 友哉からも、現状での交戦は避けるように言われていた。今はまだ、相手の力が大きすぎる。下手に手を出せば、それを理由にこちらが潰されてしまうのは明白だった。

 

 代わって、茉莉が瑠香の前へと出た。

 

「お話は判りました。いずれ覗わせて頂きたいと思います。ただ、」

 

 スッと、茉莉は眼を細めて信吾を睨みつける。

 

 イ・ウーにて《天剣》の茉莉として馴らした少女は、自身の殺気の出し方についても心得ている。

 

「これ以上、私のお友達を侮辱するなら、その時は容赦しませんよ」

「・・・・・・それは、肝に銘じておきましょう」

 

 ただの小娘だと思っていた相手の凄みに、信吾は僅かに鼻白んだ様子で返事を返す

 

 。とは言え、それで怯んだ訳ではないらしい。生来、父親の威を借り、他人を蹴落とす事で人生を歩んで来たこの男にとって、そもそも「他人と争う」と言う事自体が無縁である。よって、そもそもからして「殺気」とは如何なる物か、理解もできない様子だった。

 

「それでは、楽しみにしていますよ」

 

 それだけ言い置くと、車の方へと戻って行く。

 

 それを見送る茉莉。

 

 今はまだ、奴等に対抗する事はできない。だからこそ、自分達なりの戦い方をしよう、と心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽が落ちると、この辺りは本当に真っ暗となり、馴れない人間では歩く事も難しくなる。

 

 周囲には田畑も多い為、下手をすればその中へ足を突っ込み、悲惨な状況になると言う、笑えば良いのか泣けばいいのか判らない、と言う事故も起こるくらいだ。

 

 そんな中を、数人の男達が歩いていた。

 

 ほろ酔い加減で、歩く彼等は、ダム建設現場で働く作業員達である。どうやら、今日も商店街の飲み屋で飲み歩いていたらしい。

 

 皐月村側としては、ダム建設関係者である彼等は仇敵と言っても良い存在だが、同時に金回りの良い上客である事には変わりがない。来店を断るに断れない、と言うのが本音であった。

 

「いやぁ しかし、困ったもんだよな」

 

 いい感じに出来上がっている作業員の1人が、仲間に肩を貸しながら口を開く。

 

「例の通り魔のせいで、一体、いつになったら、仕事が再開できるのか」

「いや、まったくだな」

「まあ、俺らはこうして、酒さえ飲んでりゃ良いんだから、楽なもんだよな」

「そうそう、いっそのこと、ずっとこのままでいてくれないかね?」

「稲荷小僧様様ってか」

 

 そう言って、大爆笑する男達。

 

 そうしている内に、小さな畦道に出る。作業場に戻るには、ここを通らねばならない。

 

「おい、ちゃんと歩けよ」

「判ってるよ。お前こそ、ふらついてんじゃねえよ」

 

 そう言った時だった。

 

 突然、畦道の両側に、ボッと青白い炎が浮かび上がった。

 

「・・・・・・あん?」

 

 目を剥いて、立ち尽くす男達。

 

 炎は、連なるようにして、間隔を置いて灯って行く。

 

 その向かう先に、小柄な人影が立っていた。

 

 白い上衣に緋色の袴。手には日本刀を携え、顔には狐の面をしている。

 

「い、稲荷小僧ッ!?」

 

 言った瞬間、

 

 白風が駆け抜けた。

 

 闇夜に、青白い光に照らされ、迸る白刃。

 

 一瞬にして、先頭の男は刃を受けて昏倒した。

 

 稲荷小僧は、刀を峰に返して振るっているので、相手を殺傷する事は無い。

 

 それでも、重い鉄棒を叩きつけられたに等しい一撃によって、昏倒は免れない。

 

 更に一撃。

 

 2人目の男が、稲荷小僧によってなぎ倒された。

 

 その素早い動きに、作業員達は相手を捕える事すらできないでいる。

 

「ヒッ、ヒィィィッ!?」

 

 稲荷小僧の出現に、作業員が腰を抜かして逃げ惑う。

 

 対して稲荷小僧は、逃がさないとばかりに回り込み、1人ずつ着実に叩きのめして行く。

 

 全ての男達が地面に転がるまでに、2分も掛からなかった。

 

 後には、1人立ち尽くす狐面の人物と、地面に転がった男達だけである。

 

 一撃で昏倒させられた者はまだ良い方で、中途半端に意識が残った者は、折られた腕や足を抱えて、呻き声を上げている。

 

「・・・・・・他愛ない」

 

 面の下から、低い声で囁きが漏れる。

 

 そのまま立ち去ろうとした、

 

 その時だった。

 

 突然、カッと言う音と共に、強烈な光が四方から浴びせられた。

 

「ッ!?」

 

 思わず振り返る稲荷小僧の視界に、瞼を焼くような光が飛び込んで来た。

 

 警察が夜間強襲に使う、強力なサーチライトの証明だ。

 

「ようやく捕えたぞ、稲荷小僧」

 

 光の中から歩み出た比留間喜一は、手にした日本刀を掲げるようにして見せる。

 

 対抗するように、手にした刀を構える稲荷小僧。

 

 その様子を見て喜一は、口の端を釣り上げて笑みを見せる。

 

「嬉しいぜ。久しぶりに『合法的』に人が斬れるんだからな。何しろ、テメェは犯罪者だ。斬ったところで、いくらでも言い逃れはできる」

 

 そう言うと、刀の鯉口を切る。

 

 その目には明らかな嗜虐が浮かび、自身の愛刀が血を啜る事を喜んでいるのが判る。

 

「おい、お前等。絶対に逃がすんじゃねえぞ!!」

 

 喜一は、周囲に大声で命じる。

 

 既に周りには、ダムの作業員や、応援に駆け付けた県警の職員によって包囲されている。

 

 夜間、少数の人間を相手に戦う場合、多数側が大兵力で一気に攻めると、視界の悪さから却って混乱し、損害を増やす結果にもなりかねない。ここは敢えて、大部隊は包囲にのみ専念し、精鋭のみを交戦に当てた方が効率は良い。

 

 喜一は長い裏社会での暮らしにより、その事を充分に理解していた。勿論、自分自身の実力に相当な自信がなければ成立しない作戦ではあるが。

 

 スラリと刀を抜き放つ喜一。

 

 対して稲荷小僧も、峰に返したままの刀を構えて斬り込んだ。

 

 互いの刀が闇夜にぶつかり合い、火花を散らす。

 

「おッらァァァァァァ!!」

 

 喜一は、自分よりも小柄な稲荷小僧の体を、力押しで弾き飛ばす。

 

 対して稲荷小僧は、地面に足を着いて受け身を取ると、その状態から急加速し、一気に喜一へと斬り込む。

 

「ウオッ!?」

 

 稲荷小僧の鋭い斬り込みに、喜一は思わずたたらを踏んだ。辛うじていなす事に成功したものの、バランスを大きく崩す。

 

 一方の稲荷小僧の方も、地に足を着いてブレーキを掛ける。そのまま反転して斬り込もうとする。

 

 が、

 

 突然、背後から襲いかかる気配に、とっさにその場から飛び退く。

 

 見れば、包囲している警官隊が、ジュラルミンの盾や警棒を手に、包囲網を狭めて生きていた。

 

「クッ!?」

 

 仮面の下で、思わず舌打ちする。

 

 改めて、自分が四面楚歌である事を思い知らされた。

 

 行動を制限すると同時に、逃げ場も塞がれている。このままでは捕まるのも時間の問題だ。

 

「どこに行く気だ?」

「ッ!?」

 

 気が付けば、いつの間にか喜一が距離を詰めて斬りかかって来るところだった。

 

 振り下ろされる剣を、とっさに刀を返して防ぐ稲荷小僧。

 

 しかし、鍔競り合いに入った瞬間、手首を掴まれてしまった。

 

「捕まえたぜ。これで、もう逃げられないだろ」

「クッ・・・・・・」

 

 仮面の奥で呻き声を上げる。

 

 とっさに振り解こうとするが、喜一は力強く握りしめ、離そうとしない。

 

「逃がしはしない。ここでくたばってもらうッ!!」

 

 そう言って、喜一が刀を振りかぶった時だった。

 

 突然、包囲網の外から投げ込まれた、数本のスプレー缶状の物から、勢いよく煙が噴き出して、視界を覆い始めた。

 

「クッ、煙幕かッ!!」

 

 喜一はとっさに、稲荷小僧の腕を放して、目と口を覆いながら後退していく。

 

 一方の稲荷小僧も、突然の事で戸惑ったようにその光景を見詰めている。

 

 と、その手がいきなり引っ張られた。

 

「こっちに、早くッ」

 

 その手の主は、半ば強引に引っ張るようにして駆け出す。

 

 包囲している警官隊や、作業員達の間をすり抜けるようにして、2人はその場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 どうにか包囲網を抜け、途中の人目を避けながら走り抜け、街道近くまで来て、ようやく一息つく事ができた。

 

「ここまで来れば、もう安心かな」

 

 友哉は、後ろを振り返りながら言う。

 

 稲荷小僧は、疲れ果てたように地面に座り込んでいる。

 

 今夜あたり、稲荷小僧が動くと読んでいた友哉は、村の中の動きをよく観察していた。すると案の定と言うべきか、警察やダム建設作業員に大規模な動きがあった。

 

 恐らく、稲荷小僧を捕える為に谷家が動いたのだろうと考えた友哉は、じっと、その時が来るまで息を潜めて待機していたのだ。

 

 そして、交戦が始まった瞬間を見計らって飛び出し、予め用意しておいた投擲型の発煙弾を投げつけて包囲部隊の視界を奪い、その隙に稲荷小僧を救出する事に成功したのだった。

 

 谷家とて馬鹿ではない。そう何度も無防備に襲撃を許す筈がないと踏んでの行動だったが、どうやら予想は的中だったようだ。

 

「それにしても、君もなかなか無茶をするね」

 

 そう言って、呆れ気味の視線を稲荷小僧に向ける。

 

 その仮面の下の素顔に、友哉は既に大方の見当を付けていた。

 

 ゆっくりと、その手が狐面に伸ばされ、外される。

 

 淡い月光の下、晒される素顔。

 

 そこに現われたのは、

 

 瀬田茉莉の顔だった。

 

 

 

 

 

第5話「稲荷小僧」      終わり

 


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