緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第4話「葵屋」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鞍馬山で、ココと名乗る謎の襲撃者に襲われた後、一同は甲の運転する車で、本日の宿泊先である葵屋へと移動していた。

 

 結局、あのココが何者なのかは判らず仕舞いであり、突然襲われた友哉としては、首をひねらざるを得ない結果となっていた。

 

 因みに、陣と茉莉は、友哉達が戦っていた場所よりも上の本堂付近で、観光客と思われる女の人に道を聞かれて話しこんでおり、駆けつけるのが遅れたと言う。

 

 甲の車の助手席に座りながら、友哉は考え込んでいる。

 

 どうも、状況ができ過ぎているように思える。

 

 突然の襲撃者と、それを計ったように現われた女性。まるでこちらを分断し、本命を叩きに来たかのような行動だ。

 

 その動きが、あまりにも似ているのだ。あの男のやり口に。

 

 《仕立屋》由比彰彦。

 

 友哉は、ジンワリと滲む汗が額を濡らすのを感じる。

 

 今回の件に、またあの男が一枚噛んでいるのか。いや、あの男でなくとも、仕立屋の誰かが関わっている可能性は充分にある。

 

 通常、仕立屋は自ら能動的に動く事は無い。主役となる誰かが存在し、その主役を引き立てる黒子となるのが、仕立屋のあり方だ。

 

 これまで、仕立屋が関わって来た事件全てに、その条件が当てはまる。

 

 峰・理子・リュパン4世が起こした武偵殺し事件では由比彰彦本人が、ジャンヌ・ダルク30世が起こした魔剣事件では瀬田茉莉が、シャーロック・ホームズ1世との決戦では、由比彰彦と杉村義人が影で動き、戦いに必要な舞台を作り上げて来た。

 

 ならば、今回の主役は、あのココと名乗った少女、と言う事になる。

 

「緋村、藍幇(らんぱん)と言う組織を知っているか?」

 

 甲が車を運転しながら、友哉に話しかけて来た為、思考はそこで中断した。

 

「藍幇・・・・・・いや、聞いた事無いですね」

 

 発音からして、大陸系の組織か何かと推察できるが、ちょっと記憶になかった。

 

 そんな友哉に代わって口を開いたのは、後部座席に座る茉莉だった。

 

「香港に拠点を置く組織ですね。イ・ウーにも、藍幇からの出向者が何人かいました」

「そうだ。さっき、お前を襲った女は、その藍幇の構成員だ」

 

 イ・ウーに出向者がいた、と言う事はつまり、彼女もイ・ウーの残党と言う事になる。

 

 そこから考えれば、

 

「つまり、彼女が僕を襲った理由は、イ・ウー壊滅に対する復讐、と言う事ですか?」

 

 友哉もまた、イ・ウーの壊滅に大きく関わった1人。敵将シャーロック討伐の際には、キンジと共に剣を交えた者だ。

 

 それ故に、イ・ウーの残党から恨まれていたとしても不思議は無い。

 

 だが、

 

「いや、そうじゃないな」

 

 甲は、友哉の考えを否定した。そこに、茉莉も同意を兼ねて補足する。

 

「友哉さん。イ・ウーが無くなったからと言って、その残党の中で友哉さんや遠山君を恨んでいる人は殆どいないと思います」

 

 公安0課の斎藤一馬が以前言っていたが、イ・ウーは一種の学習機関であり、自身の能力を高める事を目的としている。そこでは誰もが教師であり、誰もが生徒となる。あのシャーロックでさえ、その枠に当てはまる。

 

 全てが自らの向上心と栄達心の為に存在する組織。

 

 逆を言えば、イ・ウー構成員に仲間意識や帰属意識などは存在しない。その組織が崩壊したところで、友哉達を恨む人間は少ない、と言う訳である。

 

「むしろ、崩壊させた事、それ自体が問題だった」

「どういう事だよ?」

 

 僅かに不機嫌な声を滲ませて、陣が尋ねる。

 

 あの戦いには陣も参加して、激しい死闘の渦中にいた1人である。その戦いが間違いだった、と言う風な事を言われれば、穏やかでいられる筈も無かった。

 

「イ・ウーは確かに強大な組織だったが、それ自体は単一に過ぎなかった。だが、お前等がイ・ウーを倒し、その残党が世界中に散らばった事で、それまで一致協力してイ・ウー警戒網を構築していた各国政府は、それぞれがバラバラに、自分達にとって最も危険度の高い組織に当たらなければならなくなった」

 

 そこで友哉は、甲の言わんとする事が理解できた。

 

 つまり、それまではイ・ウーと言う大火一つを警戒していればよかったのだが、それが細かく散って飛び火したせいで、あちこちの消火に追われる羽目になった訳だ。

 

 1匹の象と100万匹の蟻。どちらが殺すのに困難かと言えば、断然、後者である。

 

「でも、それと、今回の襲撃と、どう関係してるんですか?」

 

 そこが判らなかった。復讐目的の襲撃でないとしたら、いったいなぜ、このような事態になったのか。

 

 甲は僅かに友哉に視線を向けた後、再び前を見ながら答えた。

 

「イ・ウーの崩壊後、各組織は自陣営の強化に乗り出している。藍幇もその一つだ」

「陣営の強化って、一体何のために?」

「それは判らん。だが、何かの前触れである事は間違いない」

 

 陣営の強化と一口で言っても、それは簡単な事ではない。金も掛かれば手間もかかる。例えば、1人の兵士を養うにしても、その人物の食事代や生活費、養成費用などで莫大な出費となる。

 

 組織運用も楽ではないのだ。

 

「まるで、戦争でも始めるみたいですね」

 

 茉莉が言った言葉に、友哉は考え込む。

 

 確かに、戦争を始めるのだとしたら、陣営強化の辻褄も合う。つまり、各組織は、やがて起こる戦争を予期し、それに勝ち抜く為に準備を進めているのだ。

 

「お前を襲った藍幇の女は、恐らく目を着けた人材を見極め、拉致する為の要員だったのだろう」

「なるほど、だから・・・・・・」

 

 再試だの30点だの、何の事を言っているのかさっぱり判らなかったが、これでハッキリした事がある。

 

 だが、この予想が正しければ、やがて大きな戦争が起こる事になる。

 

「何れにせよ、奴等の言葉通りなら、あの女は再びお前の前に現われるだろう。油断しない事だ」

「そうですね」

 

 そう言葉を交わす頃、目的地である葵屋の灯が見えて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 葵屋は創業300年近い、江戸時代から続く老舗の旅館である。

 

 近年、バブルの混乱期に、瑠香や甲の祖父が手堅い商売を続けたおかげで、順調に業績を伸ばし続け、現在では雑誌にも掲載される程の有名になっていた。

 

 江戸時代さながらの雰囲気を残しつつも、内装の近代化がおこなわれ、京都で人気の旅館となっていた。

 

 その葵屋の正面に車を付けた甲は、友哉達が荷物を下ろすのを確認してから、窓を開けて助手席に身を乗り出した。

 

「藍幇に関しては、俺の方でも探ってみる。何か判ったら、お前達にも連絡を入れる」

「え?」

 

 甲の言葉に、友哉は少し驚いたように問い返した。てっきり、このまま実家に顔くらい出して行くと思っていたのだが。

 

 そんな友哉の思考を読んだのか、甲はサングラス越しにフッと笑って言った。

 

「今は、そんな事をしている時じゃないからな。落ち着いたら寄らせてもらうさ」

 

 そう告げる甲は、何かを思い出したように僅かに細め、睨むように友哉を見る。

 

「緋村、お前もいい加減、あの事は忘れたらどうだ?」

「ッ!?」

 

 甲の突然の言葉に、友哉は思わず息を飲んだ。

 

 甲が何を言わんとしているのか、友哉にはそれが理解できている。

 

 それは友哉にとって、忘れたくても忘れられない忌まわしい記憶であった。

 

「じゃあ、またな」

 

 そう言うと、車をスタートさせ去って行った。

 

 走り去る車を見送ってから、友哉は葵屋の建物を振りかえった。

 

 ここに来るのは、もう3年ぶりになる。

 

 そう、3年前。

 

 友哉はそっと、目を伏せる。

 

 「あの事件」があった年、友哉はこの京都に来て、葵屋に泊った。幼馴染の瑠香と一緒に遊べる事を楽しみにして、わざわざ東京から新幹線で来たのだ。

 

 だが、それがあんな事になるとは・・・・・・

 

「おい、友哉」

「おろ・・・・・・」

 

 陣に声を掛けられ、友哉は我に返った。

 

「何やってんだよ、ボウッとして。入らねえのか?」

「疲れてるんですよ。早く入って休みましょう」

 

 声を掛けてくれる2人に、友哉はニッコリと笑みを返す。

 

「そうだね。入ろうか」

 

 そう言うと、2人の前に立って歩き出す。

 

 何れにせよ、もう終わった事件だ。気にするような事じゃない。

 

 暖簾をよけ、自動ドアを潜り、中へと入る。

 

 床感圧式の自動呼び鈴が鳴る。

 

 内部は純和風の構造をしており、上がり框で靴を脱いで上がるようになっている。

 

 1階は大浴場や宴会場、調理場、スタッフルームなどがあり、2階3階が客室となっている。

 

「いらっしゃいませー」

 

 呼び鈴が聞こえたのだろう。奥から浅黄色の従業員用の着物を着た、仲居さんが出て来た。

 

 仲居さんは上がり框の上で正座し、深々と頭を下げる。

 

「3名様で予約の緋村様ですね。お待ちしていました」

 

 そして、顔を上げる仲居さん。

 

 次の瞬間、

 

 友哉達は思わず絶句した。

 

 何と顔を上げた仲居さんは、

 

 友哉の戦妹、四乃森瑠香だったのだから。

 

「る、るる、瑠香ァ!?」

 

 瑠香は今、東京の武偵校で留守番している筈だ。そもそも1年生なのだから、修学旅行Ⅰに参加できる筈がない。

 

 別人か、と一瞬思ったが、流石に幼馴染の顔を見間違えるほどアホではないつもりだ。

 

「もう、3人とも遅いよ。待ちくたびれちゃったじゃない」

 

 やれやれとばかりに首を振る瑠香に、友哉は詰め寄る。

 

「な、何でここにいるの!?」

「何でここにって、友哉君。ここ、あたしの家だよ。いちゃ悪いの?」

「そう言う事言ってるんじゃない!!」

 

 東京にいる筈の人間が、どうして京都にいるのか尋ねているのだ。

 

「まあ、所謂、長距離任務ってやつ? 武偵校のホームページから京都でできる任務を探してさ、あとは今朝、友哉君達が出発した後に、あたしも寮を出たってわけ。羽田から飛行機使ってこっち来たから、みんなよりも先に着いたんじゃないかな?」

 

 確かに、認可されれば授業を免除されて任務を優先する事もできるのが武偵校と言う場所である。

 

 しかし、だからと言って、東京武偵校の人間が京都で任務を請け負うなど、無茶苦茶にも程があった。

 

「だって・・・・・・」

 

 少し口をとがらせて、瑠香は視線を逸らす。

 

「寂しかったんだもん。みんなが3日間も京都行ってるのに、あたしだけ東京で待ってるなんてさ」

「瑠香・・・・・・」

 

 瑠香の言葉に、友哉は言葉を詰まらせる。

 

 確かに、瑠香の気持ちも判らないではない。瑠香はその性格故に、1年生にも友達は多いが、基本的に友哉や茉莉と一緒にいる事が多い。その為、どうしても行動が友哉達を中心にした物になりがちだった。

 

「友哉さん、良いじゃないですか」

「茉莉・・・・・・」

「瑠香さんだって、私達の仲間です。1人だけ仲間外れにするのは可哀そうです」

 

 茉莉の言いたい事は判る。友哉だって、それと同じ気持ちだ。それに、正式な手続きを踏んで長距離任務を請け負って来たと言うなら、たとえ戦兄であってもとやかく言ういわれは無い。

 

「茉莉ちゃん!!」

「キャッ!?」

 

 突然、瑠香はダイビングするような勢いで茉莉に抱きついた。

 

「茉莉ちゃぁん、愛してるよ~」

「・・・・・・友哉さん」

 

 胸元に顔をうずめる瑠香を抱きとめながら、茉莉は視線を友哉に向けて来る。それは、瑠香の同行を許可してあげて欲しい、と言うサインであった。

 

「・・・・・・仕方ないね」

「やったー!!」

 

 友哉の言葉を聞いて、飛び上がる瑠香。

 

 その様子に、苦笑を洩らすしかない。

 

 そこへ、奥の方から、もう1人女性が出て来た。

 

「ほら瑠香、何してんだい。玄関先で騒いでたら、他のお客さんに迷惑だろ」

 

 少しぶっきらぼうながらも、顔に苦笑を浮かべた女性は、友哉の知り合いでもある。

 

「おや、友哉君。お久しぶりだね」

「はい、御無沙汰してます」

 

 女性は、瑠香や甲の母親で、四乃森弥生。この葵屋の女将を務めている。

 

「積もる話もあるだろうけど、取り敢えず部屋に行ってからにしなよ。疲れただろ」

「はい、お願いします」

 

 そう言うと、勝手知ったる幼馴染の家に、友哉は靴を脱いで上がり込んだ。

 

 

 

 

 

「え、お兄ちゃんに会ったの?」

 

 部屋でくつろぎながら、瑠香が驚いた声で尋ねる。

 

 ちなみに彼女、自分が請け負った依頼は昼の内にさっさと片付け、あとは葵屋で友哉達が来るのをずっと待っていたらしい。

 

 その頑張りを認めてくれたのか、弥生も娘が友哉達と一緒にいるのを許可してくれている。

 

 旅館の女将として、娘の事を優しくも厳しく育てて来た弥生にしては珍しい話である。

 

「うん、危ないトコを助けてもらったよ」

 

 あのまま戦っていたら、友哉はあのココと言う少女にやられていた可能性が高い。

 

 ちなみに武偵校では、自分よりも年下の相手に負ける事を「下負け」と言い、かなり不名誉なこととされている。逆に上級生に勝つ「上勝ち」は、1度するだけでも名誉なことであり、周囲からは雨霰と絶賛される。

 

 同時に年下と引き分ける「下分け」もあり、こちらも不名誉な事である。

 

 今回の友哉は甲の介入でココが退いた為、下負けなのか下分けなのか微妙な所だが、どちらにしても不名誉には違いない。

 

「お兄ちゃんもたまには帰って来れば良いのに。お母さんもお父さんも、いっつも電話でぼやいてるんだよ」

「まあ、甲さんは典型的な仕事人間だからね」

 

 瑠香のぼやきに、友哉は苦笑する。

 

 当初、弥生や、瑠香の父、勇人は、甲が接客業を勉強して、旅館を継いでくれる事を願っていた。

 

 しかし、そんな両親の意思に反して、甲は武偵養成校に入学し、今や日本でも10指に入るとまで言われるSランク武偵になっていた。

 

「新しい戦いは、多分、もう始まっている」

 

 友哉は部屋にいる、瑠香、陣、茉莉を見渡しながら言う。

 

「次の敵は藍幇。相手は僕達よりも年下の少女だけど、侮る事はできない。敵がどんな手を使ってくるかは判らないけど、みんなも油断しないように。良いね」

 

 友哉の言葉に、一同は緊張の面持ちで頷く。

 

 イ・ウー戦以来の激闘が始まる予感が、一同の胸に去来していた。

 

 その時、

 

「失礼します」

 

 部屋の入口の戸が開いて、壮年の男性が入って来た。背の低い、愛嬌のある男性で、どこか、人の良い好々爺然とした雰囲気がある男性である。

 

「お嬢さん、緋村さん、お風呂の支度ができました。お食事の前に入られますか?」

「あ、柏崎さん。それでお願いします」

 

 友哉が答えた男性は、柏崎弘志と言い、長年この葵屋で従業員をしている男である。当然、友哉とも幼いころから面識がある。

 

「いや、しかし、お久しぶりですね、緋村さん」

「すっかりご無沙汰になってすみません。柏崎さんも、お変わりないようで」

「いえいえ、ここの所、どうにも体が前ほど動けなくなってきてる気がするんですよ。私も歳ですね」

「またまた」

 

 そう言って、お互いに笑いあう友哉と弘志。

 

 そこでふと、弘志はある事を思い出して話題を変えた。

 

「そうそう、明神さんのご家族も、先程到着されましたよ。後で皆さんとご一緒したいとの事でした」

「あ、姉さん達も来たんだ」

 

 今朝、金閣寺で会った彩達も、どうやら到着したらしい。

 

 これは、今夜は騒がしい事になりそうだった。

 

「そんじゃ、まずは、お風呂に入ってこよう!!」

 

 なぜか、一番テンションの高い瑠香が、拳を突き上げながら宣言する。

 

 こうして、京都に来て1日目の夜を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 葵屋の風呂は、大浴場と露天風呂からなっており、その広い風呂と、岩で作られた露天風呂も売りの一つとなっている。

 

 ただ、温泉地に立地している訳ではないので、湯は毎回沸かしているのだが。

 

 今はシーズンから外れている事もあり、利用客は少なく、ほぼ貸し切りに近い状態だった。

 

「大きいですね~」

「へへ、良いでしょ。自慢って程じゃないんだけどね~」

 

 湯煙で煙る大浴場の前に立ちながら、感嘆の声を上げる茉莉に、瑠香は自慢げに言う。

 

 勿論、2人とも一糸纏わぬ、生まれたままの姿になっている。

 

 普段は制服に隠している、発展途上の肢体は湯煙の中で鮮やかに浮かび上がっている。

 

「あ、茉莉ちゃん、背中流してあげるよ」

 

 武偵校の寮でも、2人は一緒に風呂に入る事が多い。場所が変わるだけで、その行動に大きな変化がある訳ではなかった。

 

 タオルにボディソープを付けて背後に回ると、瑠香の目には茉莉の背中が見える。

 

 ほっそりしたうなじ、翼を宿したような白い背中、そして小さなお尻にかけてのラインが、若干の妖艶さを持って瑠香の前に晒される。

 

 瑠香と茉莉の体格は似通っている。瑠香は高1女子としては取りたてて体が大きいと言う訳でもないので、茉莉の方が、高校2年生としてはやや小柄、と言う事になる。

 

 そんな茉莉の体に、瑠香はそっとタオルを当てた。

 

「んッ」

 

 石鹸の冷たさに、僅かに声を上げる茉莉。

 

 そんな様子に、瑠香は僅かにゾクッと体の毛が逆立つのを感じた。

 

「相変わらず、茉莉ちゃんって感じ易い体してるよね」

「そ、そんな事は・・・・・・」

 

 慌てて否定しようとする茉莉。

 

 しかし、状況のイニシアチブは、今や瑠香が握っている。

 

「へえ、じゃあ、こんなのはどうかな?」

 

 瑠香は強すぎず弱すぎず、絶妙の力加減で茉莉の背中を擦って行く。

 

「あ、あんッ」

 

 その絶妙な擦り方に、思わず声を上げてしまう茉莉。

 

「ほれほれ、良いのんか? ここが良いのんか?」

「ちょ、瑠香さ、やめッ、あ、うんッ!?」

 

 言葉を発する前に、快感が波となって押し寄せる。

 

 白く煙る浴場で、暫く少女の嬌声が鳴り響くのだった。

 

 

 

 

 

 それから暫く

 

 

 

 

 

 風呂に入り終えた茉莉は、脱衣所で着替えをしながら、そっぽを向いていた。

 

 セミロングの髪はタオルで纏めて邪魔にならないようにし、そのしなやかな肢体は、揃いの水玉模様の可愛らしいブラとパンティのみを身につけている。その顔は、湯上がり以外の要因で赤く染まっている。

 

 そんな茉莉の横で、瑠香は苦笑しながら宥めている。こちらも上下白の下着姿だが、縁どりに黒いフリルが入り、布面積も少し小さく、やや大人っぽい雰囲気が強調されている。

 

 結局あの後、茉莉は終始この状態だった為、流石の瑠香も、ちょっとやり過ぎたかな、と反省していた。

 

「もう、機嫌直してよ、茉莉ちゃん」

「知りません」

 

 完全に臍を曲げた茉莉は、頬をプーッと膨らませる。

 

「瑠香さん、お風呂の度にアレやるんですから。少しは私の身にもなってください」

「だから、ごめんってば」

 

 ジト目で睨む茉莉に、瑠香はばつが悪そうに頬を掻く。

 

 実際、瑠香からすれば、茉莉のこんな反応も含めて可愛いと思っている為、ついつい悪戯してしまう、というのが本音である。よくある、「好きな子を苛めて喜ぶタイプ」だった。

 

 それが判っているだけに、茉莉も溜息交じりに言う。

 

「反省してくださいね」

「したした、もう、バッチリしたよ!!」

 

 言いながら、茉莉の首に飛びつく瑠香。

 

 そんな瑠香には、茉莉も苦笑するしか無かった。

 

 その時、ガラガラと戸が開いて、浴衣姿の女性が脱衣所に入って来た。

 

「こら、アンタ達。ちょっと騒ぎ過ぎ。外まで声聞こえてたわよ」

 

 そう言ったのは、明神彩だった。瑠香は勿論、既に茉莉とも面識がある彼女は、その気さくな性格から、気兼ねなく話しかけて来た。

 

「あ、彩さん。早かったね」

「ご飯の前にお風呂に入りたくてね。あっちゃんは弥生さんに預けて来た」

 

 2人もの子供を育てた弥生なら、赤ん坊の扱いにも慣れている筈。敦志を預けても問題無いだろう。

 

 彩はシュルッと帯を解き、着ている浴衣をはだける。

 

 流石は大人の女性と言うべきか、少女2人と違い、彩の肢体は成熟した大人の艶やかさを醸し出している

 

 だが、

 

「おっと・・・・・・」

 

 手ぬぐいを左手で取ろうとして、彩は手を滑らせて落としてしまった。

 

「どうぞ」

「あ、ごめんね。ありがと」

 

 足元に落ちた手ぬぐいを拾った時、茉莉はそれを見てしまった。

 

 彩の左肩から胸元にかけて、無惨な傷跡が残っている。特に左肩関節から首筋にかけての部分は無惨にひしゃげた跡があり、一目で複雑骨折が治癒した跡だと判った。

 

 ここ最近の傷ではない。負ってからもう何年も経過し、表面上は塞がっている傷だ。

 

 チラッと瑠香に視線を向けると、いたたまれない風に顔を伏せているのが見えた。

 

 そんな少女達の様子に気づかないまま、彩は上機嫌で体を流していた。

 

「そんじゃ、あたしはお風呂入るから。また後でね」

 

 そう言うと、彩は長い髪を揺らして浴場へ入って行く。

 

 後には、立ち尽くす2人の少女が残された。

 

「瑠香さん・・・、彩さんの、あの傷は・・・・・・」

 

 ややあって、茉莉が尋ねた。

 

 あの傷は、ただの事故でついた物ではない。明らかに、鈍器のような物で殴られてできたものだ。

 

「・・・・・・流石に、茉莉ちゃんも気付くよね」

 

 少し言い難そうに、瑠香は口を開いた。

 

「彩さん、ね。昔、武偵やってたんだ」

「それは・・・・・・」

 

 薄々感づいていた。あの金閣寺での立ち回りが、何より雄弁に語っている。

 

 だが、昔、と言う事は、即ち今は引退してしまっている事を意味している。

 

「あの傷は、その頃に負った傷なんだ。あれのせいで、彩さんは武偵をやめなくちゃいけなくなったの」

「・・・・・・そうだったんですか」

 

 無理も無い。あれだけの傷だ。恐らく今も左腕が思うように動かないであろう事は容易に想像できる。たぶん、さっき手ぬぐいを取り落としたのも、そのせいだろう。

 

 だが、次に瑠香が言った言葉は、茉莉の予想していなかった物だ。

 

「・・・・・・あの傷を彩さんに負わせたのはね、友哉君なんだよ」

 

 

 

 

 

 風呂上がりに浴衣に着替えた友哉は、長い渡り廊下を歩きながら、明日以降の計画を頭に思い浮かべていた。

 

 今日一日で、学校から出されたノルマは達成した。更に予想外の事とは言え、瑠香も合流する事ができた。ならば、明日からは思いっきり羽を伸ばすに限る。

 

 当初計画していた通り、京都の名所巡りをするのも良いし、買い物に出るのも良い。

 

『買い物に行くんだったら、大阪に繰り出すのも良いかな。あ、でもそれじゃあ、ちょっと時間が足りないかな』

 

 明日一日自由にできるとなると、やりたい事は尽きない。3日目は移動の事も考えなければならない為、それほど遊んでいる時間は無い。やはり、遊ぶなら明日だろう。

 

 そう思っていると、渡り廊下の向こうから女性が歩いて来るのが見えた。

 

 髪の長いその女性は、葵屋の浴衣を着ており、泊り客である事が窺える。

 

 今日は止まり客があまりいないとの事だったが、彼女もその1人なのだろう。

 

 そんな事を考えていると、友哉と女性はすれ違う。

 

 と、

 

「首は、もう大丈夫なのかしら?」

「ッ!?」

 

 突然声を掛けられ、友哉は思わず足を止めた。

 

 振り返れば、女性は背中越しに話しかけて来ていた。

 

「でもさ、あんまり浮かれてばかりだと、その首、いつか取られちゃうよ」

「あなたは、誰です?」

 

 緊張をはらむ友哉の声。

 

 ここでその話題を出す、と言う事は、この女はココの仲間である可能性が高い。

 

「さあ、誰でしょうね。何れにせよ、死神の刃は、気付いた時には振り下ろされているものよ。せいぜい、気をつけなさい」

 

 そう言うと、女性は友哉に背を向けて去っていく。

 

 後には、立ち尽くす友哉が、女性の去った方向を眺めているだけだった。

 

 

 

 

 

第4話「葵屋」      終わり

 


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