緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第9話「トルネード・チェンジ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女の手から、構えていたワルサーPPKが滑り落ち、アスファルトの地面に当たって甲高い音を立てた。

 

 最早、それを構える力も、持っている力すら、少女には無いのだ。

 

 否、立っている力さえ・・・・・・

 

 少女は膝から崩れ落ち、その場にうつぶせに倒れ込む。

 

 一撃、

 

 たった一撃で、状況は逆転してしまった。

 

 技を打ち切った状態で荒い息をつく友哉は、疲労の濃い瞳で倒れた彩夏を見詰めている。

 

 飛天御剣流抜刀術 双龍閃・雷

 

 通常の双龍閃ならまず刀による一撃を加え、それが回避された場合、必殺の二撃目として鞘で攻撃する事になる。

 

 双龍閃・雷の場合、これが逆になる。まず鞘によって相手に打撃を加える。この際、相手の体を衝撃で宙に浮かせる事により動きを封じてから、抜刀による第二撃を繰り出す。通常の双龍閃よりも、難易度は高いが、上手く使いこなせば確実性の高い技である。

 

 双龍閃・雷をまともに食らった彩夏は、起き上がって来る気配がない。どうやら、気を失っているらしい。

 

 勝敗は決した。

 

 だが、

 

 友哉は、思わず崩れ落ちそうになる体を、必死に支える。

 

 恐ろしい相手だった。もう少し長引いていたら、敗れていたのは友哉の方だったかもしれない。

 

 その様子は、離れていた場所で戦っていた譲治や龍那の目にも見えていた。

 

「旦那、潮時じゃないかね?」

 

 陣の攻撃をかわしながら、龍那が背後の譲治に声を掛ける。

 

 既に状況は彼等にとって不利になっている。一馬が戦線に加わり、大牙と彩夏が倒れた事で、当初3対4だったのが、4対2に逆転していた。

 

「むぅ」

 

 一馬の牙突を捌きながら、譲治も唸り声を上げる。

 

 確かに、この状況でこれ以上戦う理由は、彼らには無かった。

 

 元々、依頼内容は時間稼ぎであって、敵の殲滅では無い。これ以上戦う理由は、仕立屋には無いのだ。

 

 それに、

 

 譲治は自身の槍の穂先に目をやった。

 

 立て続けに牙突を捌いた穂先は、ボロボロになり、今にも折れる直前と言った風情だ。

 

 譲治自らが特注し、並みの剣と打ち合っても刃毀れがしない程に強固な筈の刃が、まるで朽ち果てたように欠けていた。

 

 恐るべきは牙突の威力と言うべきか。柄の部分だけで金属バットの先端部分ほどもある槍を、ここまでボロボロにするとは。

 

 後一撃。それだけ食らえば、この槍はへし折られるだろう。そして、勢いを駆った狼の牙は、譲治に食い付いて来る事になる。

 

「どうした、来ないのか?」

 

 一馬の挑発的な言葉が響く。

 

 これまでの打ち合いで、一馬は無傷を保って立っている。彼の持つ刀も、戦闘開始時と変わらない、剣呑な輝きを放っていた。

 

 逃げるなら、背中から斬る。一馬の眼は、そう語っていた。

 

 この無傷の牙狼相手に、万全でない得物でこれ以上戦うのは危険だった。

 

「退くぞ、坂本。飯綱は俺が持つ」

「了解!!」

 

 言いながら、譲治は手にした槍を、一馬に向けて投げつける。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしつつ、飛んで来た槍を刀で払いのける一馬。

 

 しかし、重量だけで子供の体重程もある槍だ。払いのける事はできたが、一馬の体勢は大きく崩れる事になった。

 

 その間に、譲治は地面に倒れ伏してノびている大牙の体を拾い上げ、肩に担ぐ。

 

「待って!!」

 

 相手が離脱する気である事を悟った茉莉が、阻止しようと譲治へ斬りかかる。

 

 しかし、それは2発の銃声によって阻まれた。

 

「あぐッ!?」

 

 肩と腹に命中弾を受け、体をくの時に折る茉莉。

 

 見れば、龍那が両手に持った2丁のハイウェイパトロールマンの銃口を、茉莉に向けている。

 

 追撃をかけようとした茉莉を、龍那は牽制を目的として撃ったのだ。

 

「瀬田!!」

 

 膝をついて蹲った茉莉を庇うように、陣がその前に立ちはだかる。

 

 しかし龍那は、それ以上攻撃を行う事も無く、譲治と共に身を翻すと、そのまま背を向けて駆けだし、海に向かって飛び込んだ。

 

 ややあって、ドドドドドドと言う音が響き、死角から3人を乗せたモーターボートが走り去るのが見えた。

 

 用意の良い事である。そのボートで学園島に上陸したのか、それとも撤退を考慮して予め伏せておいたのか。どちらにせよ、これでもう3人を追い掛ける事ができない。

 

 友哉は刀を収めながら、周囲を見やった。

 

 戦闘の結果、周囲の景観は一変している。

 

 特に彩夏の爆薬や、陣の二重の極みによる被害は、惨憺たるものだ。これを修理するのは大変だろう、と漠然と考える。

 

 だが、まだ息をつく事はできない。こうしている間にも、キンジとワトソンは戦端を開いているかもしれないのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・斎藤さん、ここ、お願いして良いですか?」

 

 この男に頼み事をするのは、友哉にとって屈辱の極みなのだが、こうして介入を許してしまった以上、無視する訳にもいかない。それに友哉には、可及的速やかにスカイツリーへキンジ支援に赴かねばならない事情があった。それを成すには、一馬に事後処理を頼むしか無かった。

 

 対して一馬は、面倒くさそうに煙草に火を付け、一度大きく吹かしてから、こちらを見ずに口を開いた。

 

「構わんが、その女はこちらで貰うぞ」

 

 そう言って、倒れている彩夏を顎でしゃくる。

 

 友哉は一瞬、反抗するように目付きを細めたが、やがて、無理やり納得するように頷きを返した。

 

 これは仕方ない。ここまで派手に暴れてしまったのだ。一時的にせよ、彼女は司法の手に委ねざるを得ないだろう。それに一馬は(性格的には色々アレだが)、立場的にはしっかりしている。任せても大丈夫だろう。

 

 友哉は停車しておいたバイクに歩み寄ると、跨ってエンジンを掛ける。

 

「茉莉、陣、僕はスカイツリーにキンジ支援に向かう。2人は残って、後の処理をお願い」

 

 茉莉は一戦したせいで、既に疲労が見え始めているし、陣は乗る車が無い。一応、彩夏のフェラーリはあるが、流石にあんな『戦車』で東京の街中を走る気にはなれない。

 

 少し時間を置けば、車輛科(ロジ)から別の車を取って来る事もできるだろうし、茉莉も体力を回復させる事ができるかもしれない。

 

 しかし、今や事態は寸暇を争う。これ以上余計な時間を使っている暇は無かった。

 

 友哉はヘルメットを被ると、アクセルを吹かしてバイクをスタートさせる。

 

「頼む。無事でいてよ、キンジ、アリア」

 

 友2人の顔を思い浮かべ、逸る思いのままバイクを加速させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイクを走らせ、どうにか渋滞を回避して友哉がその場所に到着したのは、それから10分後の事だった。

 

 バイクのエンジンを切り、ヘルメットを取る。

 

 目の前には、いずれ日本最大の建築物になる事が確定されている巨大な塔が見える。

 

 もっとも、こうして近くで見れば、何処にでもありそうなビルディングに見える。

 

 ためしに、螺旋を描く塔を見上げてみる。

 

 ただそれだけで、目が眩んでしまいそうなほどに高い。

 

 ここに、キンジとワトソン、それにアリアがいる筈。

 

 友哉は状況を確認しようと、周囲を見回す。

 

 ここへ来るに先立って、瑠香に入口を見張るように指示を出しておいた筈。しかし、一向に戦妹の少女は姿を現わさない。

 

「瑠香?」

 

 声を掛けてみるも、返事は帰らない。

 

 一応、携帯電話にも掛けてみたが、繋がらなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 15秒ほど、沈思する。

 

 嫌な予感がする。

 

 何かに急き立てられるように、友哉は工事現場の柵を越えて建物の中へと入って行った。

 

 

 

 

 

 何度かエレベーターを乗り継ぎ、徐々に上へと運ばれていく。

 

 視界は高みへと上り、眼下には街の夜景が見えるようになる。完成した暁には、多くの人の目を楽しませる事になる光景だ。

 

 だが、エレベーターの中で友哉は景色を楽しむ余裕も無く、壁に背を預けてズルズルと、その場に座り込んだ。

 

 立っているだけでも息が上がり、足が殆ど言う事を聞かない。よくここまで、バイクを運転して来れたと思う。

 

 やはり、対彩夏戦でのダメージは思ったより深刻なようだ。

 

 銃撃や爆風の衝撃は、容赦無く体を痛めつけ、体力を削り取っていった。

 

 多分、跳躍や高速機動は、もう殆どできないだろう。辛うじて刀を振るう力は残されているが、飛天御剣流の技はあまり使えそうもない。

 

 万が一、キンジがワトソンに敗れていた場合、彼を仕留める自信が友哉には無かった。

 

『だけど・・・・・・』

 

 友哉は刀を杖代わりにして、無理やり体を起こす。

 

 キンジにアリア、それに瑠香の事が気になる。こんな所で寝ている暇は友哉には無かった。

 

 やがてエレベーターが第1展望台に到着すると、友哉はよろけるように転がり出た。

 

 まだ完成途上の展望デッキは、コンクリート地が剥き出しの状態になっている。

 

 もう、大分上まで来ている。そろそろ、誰かと行きあっても良いような気がするのだが。

 

 そう思った時だった。

 

 友哉の視界が、2人の人間を捉えた。

 

 それは友哉が思い描いた通りの人物、キンジと、ワトソンだ。

 

 ワトソンの手にはSIGSAUAR P226が握られ、銃口は真っ直ぐにキンジの眉間へと向けられている。

 

 対してキンジは、空手だ。その手には何の武器も持っていない。ただ、何かを狙っているかのように、腕をピンと伸ばし、体を大きく捩じっている。

 

『キンジッ』

 

 痛む体を引きずり、友哉が刀の柄に手を掛けた。

 

 その瞬間、ワトソンが発砲、弾丸がキンジへと放たれた。

 

 ワトソンが狙っているのはキンジの眉間。それが友哉には判る。

 

 体がぼろぼろになっていても、充分な稼働率を確保している短期未来予測が、残酷な事実を突きつけていた。

 

 そして同時に、今から友哉が割って入っても間に合わない、と言う事を。

 

 次の瞬間、

 

 螺旋が、舞い上がった。

 

 自身に向かって来た弾丸を、キンジは全身を螺子巻きのように回転させ、右手の指先で捉えたのだ。

 

 キンジの右手には、オープンフィンガーグローブ「オロチ」が装備されている。これは特殊チタン合金と防弾線維を組み合わせたグローブで、平たく言えば、素手で弾丸を掴み取る事を目的として装備だ。

 

 本来なら両手装備となる筈なのだが、ワトソンの妨害と資金不足により片手分しか間に合わなかった。

 

 だが、今のキンジ、ベルセのキンジにとっては、片手分あれば充分だった。

 

 挟み取った弾丸に回転のベクトルを加え、

 

 斜め後方へと逸らしてしまった。

 

 正に絶技

 

 正に神技

 

螺旋(トルネード)・・・・・・」

 

 低い声で、キンジは囁いた。

 

 その様子を、友哉は呆れ半分、驚愕半分の瞳で見つめて呟いた。

 

「キンジ、君って・・・・・・」

 

 我が友は、一体どこまで人間やめれば気が済むのか。その底は計り知れなかった。

 

 一方、

 

「そ、そんな、馬鹿な・・・・・・」

 

 ありえない光景を目の当たりにしたワトソンは、動揺したように、数歩後ずさる。

 

 だが、彼が立っているのは、既に展望台のすぐ縁だ。そのまま行けば、350メートル下に転落してしまう。

 

「ワトソン、ダメッ」

 

 友哉が声を掛けるも虚しく、ワトソンはついに足を滑らして体を傾かせた。

 

 次の瞬間、

 

 宙にたゆたった腕を、伸びて来た手がガッシリと捕まえた。

 

 間一髪、ヘッドスライディングの要領で滑って来たキンジが、落下するワトソンの腕を捉える事に成功したのだ。

 

 友哉がホッと息をつく間に、キンジはワトソンの体に腕を回して、しっかりと固定する。

 

「な・・・なぜ、助けるんだ?」

 

 動揺を隠せない声のワトソン。彼からすれば、たった今までいのちのやり取りをしていただけでなく、ここ数日、謂れのない孤立を強いて来た相手に助けられた事が不思議な様子だった。

 

「・・・・・・それを聞くか?」

 

 友哉が近付いて来るのを確かめながら、キンジが苦笑して言う。

 

 武偵は人を殺さない。少なくとも、日本の武偵は。いや、それ以前に、誰かが危険な目にあっていたら助けるのが人間として当たり前の事だった。

 

 キンジのその言葉に、

 

 なぜかワトソンは、潤んだような眼でキンジを見ている。

 

 それに、座り込んでいるワトソンは両手で胸を隠し、更に、足を揃えて横座りをしている。

 

 その姿は、演技でも何でもない。

 

 キンジも、そして友哉も呆然とする。

 

 そこには、まぎれも無い1人の少女が座り込んでいた。

 

 

 

 

 

「ワトソン、君、『転装生(チェンジ)』だったの?」

 

 友哉の震える問いに、ワトソンは躊躇いがちに頷きを返す。

 

 ワトソンは語るに、真相はこうだった。

 

 表の事業では大々的な成功を収めたワトソン家だったが、裏の活動、つまりリバティ・メイソンとしての地位は30年ほど前から凋落傾向にあった。リバティ・メイソンとはそもそも、英国王室直属として、人知れず無償で世の中を救う事を求められる結社なのだとか。

 

 その中で凋落すると言う事は、ある種の蔑みも同時に受ける事になる。

 

 この事を憂慮した先々代のワトソン家当主は、4代前から付き合いのあるホームズ家と密約を交わし、やがて生まれて来る子供同士を許嫁として娶わせようとした。未だに高い地位を誇るホームズ家と縁続きとなる事で、失地回復を図ったのだ。

 

 しかし不幸な事に、両家に生まれた子供は、どちらも女の子だった。

 

 リバティ・メイソンの規約で、養子縁組は認められない。そこでワトソン家では、生まれたエルを男として育てたのだと言う。

 

 そこまで語り、ワトソンは目元を拭ってキンジを見た。

 

「ボクは貴族だ。負けたからには、今までの事・・・・・・仕返しはイーブンになるまで謹んで受ける」

 

 と、ヒステリアモードのキンジ相手に、随分と無防備な事を言う。

 

 聞いてから、友哉は嘆息した。ワトソンが転装生である事を疑っていた友哉だが、まさかその直感が当たるとは思ってもみなかった。

 

「ッて言うか、女同士で結婚なんて、色々と無理があるでしょ。最近じゃ風潮も緩くなってきてるけどさ。ばれたらどうするつもりだったの?」

「判っている。だが、それを置いても、まずはアリアを手に入れる事が先決だった」

 

 批判めいた友哉の言葉に、ワトソンは言い訳のように反論する。

 

「バスカービル、それにイクス。この2つが眷属(グレナダ)を選ばない限り、アリアの危機は拭えない。師団(ディーン)の持つ殻金は、現在2つ。対して眷属は5つ。これだけでも師団の不利は明らかだ。だから、アリアは眷属に入るべきだったんだ」

「そもそも、師団とやらに入ると宣言した覚えは無いんだがね」

 

 キンジは肩を竦めながら言う。

 

 確かに、キンジは師団にも眷属にも付くとは言っていない。殆ど状況に流されるままに、戦わざるを得ない上に追い込まれた、と言うのが本当のところだ。

 

「それに、今更裏切って眷属に入ったりしたら、今度は師団の連中から命を狙われる事になるだろ。そんな事は御免だね」

「確かに、玉藻とかレキとか、普通にやりそうだよね」

 

 師団のリーダー的存在である玉藻に、文字通り洒落の通じないレキ。この2人に狙われては、正直生き残る自信がなかった。

 

 裏切った翌日には、死体が一つ転がる事になるだろう。

 

「俺にとってアリアは、もう乗りかかった船みたいなもんだ。強引にパートナーにされちまった上に、チームの仲間でもあるからな。相手が誰でも関係ない。襲う奴がいれば護る。浚う奴がいれば奪い返す。と言う訳で、案内しろ。あいつの所へ」

「・・・・・・どうしても、眷属にはならないか? どんなに不利で、危険でも」

「いつもの事だ」

 

 事も無げに言うキンジ。

 

 そう、少なくともアリアが転校してきてからこっち、危険でなかった事など一度も無い。そして、彼女と共にいる限り、これからも危険でない事など無いだろう。

 

 つまり、こうしている今が、キンジ達にとって「普通」となりつつあるのだ。

 

 一片の迷いすら感じられないキンジの言葉に、とうとうワトソンは折れた。言葉だけで、この男を叛意させる事は不可能だと悟ったのだ。

 

「・・・・・・判った。ここからは僕も協力しよう。せめてもの償いとして、リバティ・メイソンへの『眷属』帰属提案も撤回し、『師団』となるように再提案する」

 

 それは有り難い事だった。劣勢の師団陣営にとって、少しでも味方が増える事は嬉しい。これで、これからの戦いも楽になるだろう。

 

 そうときまれば、これ以上ここで話していても仕方がない。アリアと、それから連絡の取れない瑠香の事が気になる。一刻も早く、彼女達の元へ行きたかった。

 

「そう言えばキンジ、瑠香見なかった?」

「四乃森? いや、見てないが・・・・・・」

 

 ワトソンに視線をやるが、彼女もやはり見ていないと言う。

 

 一体どこへ行ったのか。自分の仕事を途中で放り出すなどと言う事は決してしない子の筈なのだが。

 

 ワトソンが用意していたマガジンで弾丸を補充する2人を横目に、友哉は首をかしげる。

 

 弾丸の交換をしながら、2人が何かを言っているのは聞こえて来たが、会話の内容までは頭に入らなかった。

 

 友哉はそこで強烈な眩暈に襲われ、立っている事ができず、思わず柱を支えにする。

 

「おい緋村、大丈夫か?」

「う、うん。大丈夫。でも、ちょっとだけ、休ませて」

 

 心配そうに覗き込むキンジに手を上げて制し、友哉は柱を背にして腰を下ろす。

 

 無理も無い。この場にあって、キンジとワトソンも相当の激戦を繰り広げたのだろうが、友哉もまた彩夏との死闘を制してここに駆け付けたのだから。

 

 ワトソンも、心配そうに覗き込んで来る。

 

 その仕草が、妙におかしかった。

 

 きっと彼女自身は、とても良い子なのだろう。今までは実家と言う柵のせいで、わざと陰険な性格を演じなくてはならなかったのかもしれない。

 

 今の彼女なら、友達になれるだろうか。

 

 そう考えた時、異変は唐突に起こった。

 

 眼下の灯が、1つ、また1つと消えて行くのだ。

 

 やがて、変化は急速に訪れる。まるで黒い墨を浸したように、街の灯が次々と消えて行くのだ。

 

「何、これ・・・・・・」

「停電か?」

 

 訳が判らず、呻く友哉とキンジ。

 

 その時だった。

 

「ッ・・・・・・Wachout! Hight!!」

 

 慌てたワトソンの叫び。

 

 英語で言われたせいで、一瞬、何を言っているのか判らなかった。

 

 次の瞬間、

 

 巨大な雷球がキンジへと向かって落ちて来るのが見えた。

 

「あれはッ!?」

 

 見覚えがある。あれは宣戦会議の夜に戦った《竜悴公姫》ヒルダの技。

 

 雷球がキンジを直撃するかと思った瞬間、

 

 ワトソンがとっさに、キンジの体を突き飛ばした。

 

 視界が真っ白に染まる。

 

「2人とも、僕から離れろ!!」

 

 ワトソンの言葉に、突き飛ばされたキンジはとっさに、床に座り込んでいる友哉を脇に抱えて飛び退く。

 

 そこへ、特大の雷球が、立ち尽くすワトソンを直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強烈な白光が止んだ時、ワトソンはコートのフードを頭からかぶり、床に伏せていた。

 

 視界が元に戻ると同時に、キンジと友哉は慌てて彼女に駆け寄った。

 

「ワトソン、大丈夫かッ!?」

「・・・・・・だ、大丈夫、ではないな。あの魔女と関わった時から、そ・・・装備の耐電化はしてきた、つもりだったけど・・・・・・す、済まないトオヤマ、ヒムラ・・・・・・し、暫く、落ちる・・・・・・」

 

 苦しげにそう言うと、ワトソンは目を閉じてグッタリと力を抜く。どうやら気を失ったらしい。

 

「ワトソン、しっかりしてッ ワトソン!!」

「緋村、まずいぞ。とにかく今は、一旦退こう!!」

 

 キンジの言葉に、友哉も頷く。

 

 この場に留まっていては、いつ追撃が来るとも判らない。動けないワトソンを抱えた所で襲われればひとたまりも無いだろう。

 

 キンジがワトソンを担ぎ、一旦階下に降りる事となった。

 

 しかし、今の一撃でエレベーターは故障していて使えない。そこで、非常用階段を使い、階下の小部屋へと運ぶと、そこでようやく息をついた。

 

 ヒルダが陣を張っているのは、恐らく第1展望台より上の第2展望台付近と思われる。そこまで行けば、高度は450メートルにも達する。追撃されたらひとたまりも無いところであったが、幸いな事に、それ以上の攻撃は起こらなかった。

 

 ここでなら、ワトソンをゆっくり休ませる事もできるだろう。

 

 暫くすると、ワトソンも目を覚ました。

 

「こ、ここは?」

「第1展望室の下だよ。大丈夫、ここならヒルダの攻撃は届かないよ」

 

 友哉が安心させるように言う。

 

 実際にはどこまで安心なのか判らないが、今はそう信じるしかない。

 

「あ、ありがとう・・・・・・それより、アリアを・・・・・・アリアは第2展望台だ。そこには、ヒルダもいる・・・・・・」

 

 やはり、と思う。しかもどうやら、ワトソンとヒルダは水面下で接触して、今回の戦いを演出したらしい。ワトソンはキンジを排除して、アリアを手に入れる為に。そして、ヒルダにもヒルダの思惑があっての事だったらしい。

 

「こ、この剣を持って行け」

 

 そう言ってワトソンは、震える手で自分の剣をキンジに渡す。

 

「これは十字箔剣(クルス・エッジ)。ヒルダはこれを嫌う」

 

 更にワトソンは、強力な気付け薬をネビュラをキンジに渡す。一応、武偵手帳には万が一の時の気付け用にラッツォと言う薬と、小型注射器が入っているが、このネビュラはさらに強力な薬だと言う。

 

「それからヒムラ、君にはこっちだ」

 

 そう言ってワトソンは、キンジに渡した物とは別の圧式小型注射器をよこしてきた。

 

「気を付けろ、この薬は強力だが・・・・・・」

 

 衛生科(メディカ))の武偵らしく、薬の知識には詳しいらしい。思い出してみれば、彼女の先祖であるJ・H・ワトソンも医者だった。もしかすると、そう言う家系なのかもしれない。

 

「トオヤマ、ヒムラ、僕も、た、戦う・・・・・・」

 

 そう言って立ち上がろうとするワトソンだが、体ががくがくと痙攣するばかりで、殆ど身動きが取れない。

 

 既に戦えないのは火を見るよりも明らかだった。

 

「お前はもう戦わなくて良い。と言うか、立てないだろ。可愛い女の子が無理をするな」

「キンジ・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は呆れ気味にキンジを見る。

 

 こんな所でナンパしてどうするのか。ヒステリアモードの副作用として、極度に女の子に対し優しくなる事を知っている友哉だが、それでも友人のこの行動には嘆息を禁じえなかった。

 

 一方のワトソンは、暗闇にも判るくらいに顔を赤くして、何やらもごもごと言っているが、それ以上動こうとはしない。どうやら、キンジの言葉に従うらしかった。

 

 これで万全とは言えないが、準備は整った。

 

 キンジと友哉は、動けないワトソンをその場に残し、さらなる高みを目指して、天空樹を上り始めた。

 

 

 

 

 

 復旧したらしいエレベーターを乗り継ぎ、450メートル上空を目指して行く。

 

 既に戦闘意欲充分なキンジに対し、ダメージの抜けきらない友哉は、再びエレベーターの壁に寄り掛って座っていた。

 

「つらいんなら、ワトソンの所に戻ってても良いんだぞ」

「まさか、冗談でしょ」

 

 力無く苦笑しながら、キンジの言葉を否定する。

 

 ここまで来て退却なんてありえなかった。戦う理由があるのはキンジだけではないのだ。

 

 やがてエレベーターも途切れ、そこからは階段での上りとなる。目指す第2展望台は、もうすぐそこだった。

 

 ふと見上げれば、天井には無数の蝙蝠が群れを成して止まっているのが見える。

 

 どうやら、ここは蝙蝠の巣であるらしい。

 

 正直、蝙蝠はヒルダの羽を連想させるので、あまり良い気分ではなかった。

 

 更に上へ昇ろうとした時、

 

「キンジ」

 

 頭上から聞き慣れた声を掛けられ、2人は足を止めて顔を上げる。

 

 そこには、ピンク色の長いツインテールを靡かせた少女が立っていた。

 

「アリアッ」

 

 捕まっていると思っていた少女が、その場に現われた事に、友哉とキンジは驚きを隠せなかった。

 

「大丈夫か、ワトソンに変な薬飲まされたんだろ」

「平気よ。ここに来た時は眠っていたけど」

 

 降りて来たアリアは、キンジの後ろに付き従っている友哉の方にも視線を向けた。

 

「大丈夫、友哉、つらそうだけど?」

「ここに来るまでにちょっとね。けど、大丈夫だよ」

 

 そう言って、無理に笑って見せる。少し休んだおかげで、動くのに支障がない程度には回復していた。もっとも、激しい動きはまだ無理そうだが。

 

「そう。じゃあ、2人とも来て。この上にヒルダがいるわ。そこで話しましょう」

 

 そう言って、アリアは階上を指して2人を誘う。

 

 どうやら、ヒルダは交渉の場を設けるつもりのようだが、

 

「話すって、俺達はあいつの親父の、言ってみれば仇なんだぞ。話が通じる相手かよ?」

 

 確かに、ここにいる3人に理子を加えた4人が、ブラドを直接倒した、言わば張本人だ。話し合いの余地があるようには思えない。

 

「それに、僕は一度、ヒルダと直接やり合っている。正直、交渉できるとは・・・・・・」

 

 控えめながら、友哉も否定的な意見を述べる。

 

 あの宣戦会議の夜、刃を交えたヒルダは自らを上位者と僭称し、終始、友哉達を見下した態度を崩さなかった。そんなのを相手に交渉どころか、そもそも会話が成立するのかどうか、友哉には疑問なのだが。

 

 首を傾げる2人に、アリアは神妙な顔つきで言った。

 

「大丈夫よ。ヒルダはブラドと違って計算高いの。曾お爺様を倒したアンタ達を、それなりに警戒しているらしいわ」

「買いかぶられたもんだな」

 

 溜息交じりに言うキンジの言葉に、友哉は全くの同意だった。

 

 あの戦いは、2人掛かりでも終始、シャーロックに押されっ放しだった。最後の一撃が決まったのも、殆ど奇跡だったと思っているのだが、

 

 どうやら、傍から見ればそうでもないらしい。

 

 とにかく、向こうが話し合いに応じると言うのなら、それに乗るべきなのかもしれない。

 

 アリアを先頭に、3人は再び階段を上りはじめた。

 

 

 

 

 

 地上450メートル、スカイツリー第2展望台。

 

 スカイツリーは、まだここまでしか完成していない。

 

 現在はまだ吹き晒しであり、寒風は容赦なく吹き込んで来る。

 

 第1展望台よりも狭い面積の、第2展望台。

 

 その中央に、祭壇のような物が飾られている。

 

 周囲をバラで取り囲んだ中央には、細長い箱のような物が2つ飾られていた。

 

 Kinji Tohyama

 Aria Holmes Kanzaki

 

 キンジとアリアの名前が刻まれたその箱は、明らかに映画などで見る棺桶のように思えた。

 

 その棺桶には、太い電源ケーブルのような物が繋がれていた。

 

「一応もらっておくか。いずれ一度は入るもんなんだからな」

 

 棺桶に蹴りを入れながら、キンジが言った、その時だった。

 

「棺とは終の棲家。たった数平方メートルとは言え、何人たりとも侵されざる、個の領域。それは気高き吸血鬼(オーガ・バンピエス)からの至上の贈り物と心得なさい」

 

 聞き憶えのある甲高い声。

 

 振り返る先。

 

 豪華な棺の中から、影となって這い出して来る人物。

 

 闇夜にも鮮やかな金髪のツインテールを靡かせ、夜であるにもかかわらず日傘を差した、ゴシックロリータ調の人物。

 

 見間違える筈も無い。あの宣戦会議の夜に交戦した竜悴公姫。

 

『ヒルダッ』

 

 友哉は、キンジの背に隠れながら、いつでも刀を抜けるように身構える。

 

 先の戦闘のダメージが未だに抜けきらないが、それでも一撃、先制攻撃を仕掛けるだけの体力は残っている。

 

 話し合いの場を持つと言っても、油断するつもりは微塵も無かった。

 

 だが、

 

「その前に」

 

 ヒルダが意味ありげに、手に持った扇子を掲げた瞬間、

 

 物影から飛び出してきた何かが、友哉を押し倒す形でその上に圧し掛かった。

 

「ウグッ!?」

 

 突然の事でとっさに対応できず、背中から倒れる友哉。

 

 その上に圧し掛かった物の正体を見て、思わず息を飲んだ。

 

 白い毛並みを持つ、大型の狼。恐らく、レキの飼っているハイマキと同じ、コーカサスハクギンオオカミだ。

 

「クッ!?」

 

 押しのけようとするが、既に友哉にはその力すら残されていない。

 

「緋村ッ!!」

 

 とっさに友哉を助けようとするキンジ。

 

 しかし、

 

「ごめんね、キンジ」

 

 囁くようにそう言うと、アリアはキンジの首に鎖を繋ぎ、そこへ錠前を掛けてしまった。

 

 次の瞬間、キンジの体を中心にスパークが奔る。

 

 ヒルダの雷魔法だと判った時には、既に手遅れ。電撃を直接体に通されたキンジは、体の自由を奪われて、その場に膝をついた。

 

 そこへ、ヒルダの高笑いが木霊する。

 

「オーホッホッホッホッホッホッ こうもあっさりと上手くいくなんてね。所詮、あなた達下賤な人間は、高貴なる竜悴公姫には敵わないのよ!!」

 

 だが、友哉もキンジも、ヒルダのその言葉を聞いていない。

 

 視線は、まさかの裏切りをしたアリアへと向けられている。

 

「クッ、アリア、どういう事だ!?」

 

 声を荒げて尋ねるキンジに対し、アリアは無言のまま、何も答えようとしない。

 

 と、アリアの手が、祭壇の影から何かを引っ張り出した。

 

 よろけるような足取り引っ張り出されたその姿を見て、友哉は思わず呻いた。

 

「る、瑠香ッ」

「ごめん、友哉君。言われた通り入口を見張ってたんだけど。その時に、後ろから襲われちゃって・・・・・・」

 

 後ろ手に縛り上げられた瑠香は、弱々しく呟く。

 

 と、瑠香を捕まえていたアリアは、空いている手で自分の顎の下を掴むと、そこからベリベリと、自分の顔を剥がしてしまった。

 

 その下から出て来た人物を見て、

 

 友哉とキンジは絶句した。

 

 豊かな金色のツーテールに、愛らしい美貌。服装こそ、いつものフリフリの改造制服ではないが、その姿を見間違える筈も無い。

 

「り、理子・・・・・・」

 

 バスカービルメンバーの1人、峰理子が、無表情のまま友哉達を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

第9話「トルネード・チェンジ」      終わり

 


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