1
沈み落ちるような感覚が急激に止まった時、視界が徐々に明るくなるのを感じた。
体を包み込む柔らかい感覚は、まるで雲の上にでも浮かんでいるかのようだ。
目を開き、状況を確認する。
白い天井、白い壁。
「・・・・・・ああ、そっか」
友哉はようやく、自分の身に何が起きたのか理解した。
エムアインスとエムツヴァイに敗れた後、友哉は病院のベッドの上で意識を取り戻したのだが、いても立ってもいられず、病院を抜け出して
だが、結果として意識を失い、また病院に連れ戻されてしまったらしい。
意識を失う前後の事は、殆ど思い出せない。確か、誰かに会ったような気がしたんだが。
そこまで考えた時、布団から出ている手が、何か柔らかい物に触れた。
「おろ?」
少し無理して体を起こす。
すると、そこには上半身をベッドに預けるようにして、座ったまま眠りこけている少女の姿があった。
「茉莉・・・・・・」
余程疲れたのだろうか、こちらが起きている気配にも気付いた様子が無く、静かな寝息を立てている。
「そっとしておいてやれよ」
入口の方から声を掛けられ振り返ると、腕を組んで壁に寄り掛っている陣の姿が見えた。
「昼間、オメェが倒れたって、慌てて俺のところに電話よこしてよ。オメェが寝ている間、ずっと着いていてくれたんだぜ、そいつ」
「そう、だったんだ・・・・・・・・・・・・」
友哉は、茉莉の可愛らしい寝顔を見詰め、そっと息を吐く。
こんなになるまで、自分の事を心配してくれるとは。
「陣も、悪かったね」
「俺ァ、別に構わんよ。どうせ、暇してたんだしな。それより、瀬田が起きたら礼くらい言えよ」
「そうだね」
言いながら、手を伸ばし、茉莉の髪をそっと撫でる。
「なあ、友哉よォ」
そんな友哉の様子を見ながら、陣が話しかけて来る。
「おろ?」
「焦る気持ちは判るが、お前、ちっと無理しすぎだぜ」
それは、言われるまでも無く、友哉も自覚している。
エムアインスとエムツヴァイの2人に敗れた友哉。
しかも、ただ敗れたのではない。飛天御剣流と言う、自分と同じ技を使う者達に敗れたのだ。
相手は自分の同門。つまり基本となる条件は同じ。友哉は彼等に、実力で敗れたのだ。
「俺も、ちょっとばかり相手にしたから言うが、ありゃ、どう見てもお前より力は上だな」
「判ってるよ」
少し不機嫌さの混じる声で、友哉は返事をする。
そんな事は、友哉が一番わかっている。
判っているからこそ、陣の言葉は思っている以上に、友哉の心に突き刺さった。
「言っとくが、1日や2日訓練積んだところで、埋められるもんじゃねェと思うぜ」
「・・・・・・・・・・・・」
陣の指摘に、沈黙する友哉。
友哉とて、ここまでの強さを得るのに相当な年月、努力を重ねて来た。それは「血の滲む」などと言う言葉では言い表せない、人知を越えた努力量だった筈だ。
だが、それでも追い付けない物と言う物は往々にしてある。
いま正に、エムアインスと言う存在が、高い壁となって友哉の前にそびえ立っていた。
「なあ、友哉」
言葉を詰まらせる友哉に、陣は語りかける。
「イクスってのは、お前が作ったチームだろうが。だったら、もう少し俺等の事も信用しろよ。俺らだって、仲よしこよしで一緒にいる訳じゃねえ。戦う事はできるし、協力し合えば、どんな奴等にだって負けない自信はあるぜ」
「陣・・・・・・」
「とにかく、道はひとつじゃねェんだ。俺等には俺等にしかできねェ戦い方ってもんが、あるんじゃねぇのか?」
そう言い残すと、陣は「お大事にな」と言い残し、背中越しに手を振りながら病室を出て行った。
道は一つでは無い。
確かに、そうかもしれない。
友哉達は、今まで多くの敵を倒して来たが、その誰もが、自分達の実力を凌駕する者達だった。
楽な戦いなど、一度も無かった。敗北の憂き目を見そうになった事も、一度や二度じゃない。
だが、その度に、困難な戦いを乗り越え、勝利を掴んで来た。
それはひとえに、仲間達と協力して来たからに他ならない。
皆と力を合わせれば、どんな強大な敵をも打ち破れる筈。陣は、友哉にそれを伝えたかったのだろう。
その時、
「・・・・・・ん・・・・・・んみゅ」
猫のような声を上げ、傍らで寝こけていた少女が目を覚ました。
顔を上げた茉莉は、半開きの眼のまま、寝惚けたように周囲をきょろきょろと見回した後、ベッドで上体を起こしている友哉を目に留めた。
そこで、大きく目を見開く。
「友哉さん、起きてたんですかッ!?」
すぐに茉莉は、友哉へ跳びついて来る。
「い、痛い所はありませんかッ? それよりも、何か欲しい物はッ? あぁ、えっと、お水持って来ましょうかッ!?」
「いや、茉莉、取り敢えず落ち着こう」
苦笑しながら宥めるように、静かに言う友哉。
その声に鎮静効果でもあったのか、茉莉の勢いは減速するように収束して行った。
「ごめん、心配かけちゃったね」
「いえ・・・・・・」
微笑みを返す茉莉。しかし、その目元が、少しうるんでいるのを、友哉は見逃さない。
もしかしたら、疲れて眠るまでの間、泣いていたのかもしれない。
優しい娘だ、と思う。
こんな娘だから、友哉は茉莉の事を好きになったのだ。
「ねえ、茉莉」
「は、はい?」
茉莉は慌てたように、目元を拭って友哉を見た。
そんな茉莉を、友哉は真っ直ぐに見詰めて言う。
「本当に、ありがとうね。君がいてくれて助かるよ」
「い、いえ・・・・・・」
友哉の言葉に、茉莉ははにかむよう顔を赤くして俯かせる。
「友哉さんの為なら・・・・・・私・・・・・・」
小声で囁く言葉は、友哉に僅かに届かない。
友哉の優しさ、その包容力が生む圧倒的な温もり。それが、茉莉を優しく包み込むのが判る。
だからこそ、茉莉は緋村友哉と言う少年に惹かれているのだ。
互いに、抱える想いは一方通行。
今はまだ、2つの感情と言う川が、僅かに逸れて流れている為に、互いの気持ちに気付いていない状態であった。
その2つの小さな流れが結びつく日が、果たして来るのであろうか。
「あ、そうだ」
そこで、茉莉はある事を思い出し、顔を上げると、真剣な眼差しを友哉へ向けた。
「実は、友哉さんに相談しなくてはならない事があるんです」
「おろ?」
話題を変えた茉莉に対し、友哉も真剣な眼差しで先を促す。茉莉の態度から、何か深刻な事態が起きているのを感じていた。
恐らく、極東戦役に関わる事なのだろう。
聞き入る友哉に対し、茉莉は今日起こった事を説明した。
友哉の代理として、茉莉が
そこで行われた、会話の内容。当面、
そして、話しは茉莉自身の、最大の焦点へと入った。
「実は、私自身も、ある役をこなすように言われました」
少し言い難そうに、茉莉は口を開く。
話している内容は、茉莉にとってあまりにも重すぎる物だった。
聞いている友哉にも、その事が判っている為、徐々に表情が険しくなるのが判る。
「・・・・・・・・・・・・判った」
全てを聞き終え、友哉は苦い顔のまま頷いた。
これは、確かに茉莉にはきつい事かもしれない。友哉だって、できれば避けたい事態である。
だが、状況が、そのような贅沢を許さなかった。
とにかく今は、打てる手を全て打つ必要がある。
「この件、僕に預からせてほしい」
「え?」
友哉の言葉に、茉莉は驚いて顔を上げる。
対して友哉は、茉莉を安心させるように笑顔を作る。
「交渉は、僕がやるから、茉莉は繋ぎ役をお願い」
「で、でも、玉藻さんからは、この事は私がやれって・・・・・・」
言い募ろうとする茉莉を、友哉は制して言う。
「玉藻には玉藻の考えがあるのはわかるよ。けど、これはどちらかと言えば、僕達の問題だ。玉藻は確かに師団のリーダーかもしれないけど、イクスのリーダーは僕だよ。例え相手が玉藻でも、口出しはさせない」
それにね、と友哉は微笑んだまま続ける。
「多分だけど、この役、茉莉がやるより、僕がやった方が成功率は高いと思うよ。僕なら、向こうが欲しがっている物を持っているから」
「友哉さん・・・・・・」
心配そうな顔をする茉莉。
そんな彼女を安心させるように、友哉は手を伸ばして茉莉の頭を撫でてやる。
その心地よい感覚に、茉莉は頬を赤らめて身を委ねていた。
2
圧迫するような闇の中に、自分がいる事を感じる。
苦しい。
息が苦しい。
体中が痛い。
助けて、
誰か助けてッ!!
「お兄ちゃんッ!!」
「・・・・・・・・・・・・」
ベッドの上で、エムツヴァイは目を覚ました。
どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。
寝覚めは、最悪の気分である。
体中に寝汗をかいているのが判る。
栗色の前髪は、額に張り付き、それがまた不快な気分を呼び起こした。
ここはセーフハウスの一室、エムツヴァイの部屋だ。
一流ホテルの部屋を借り切っている状態である為、12畳ほどの広々とした空間の中に、贅を尽くしたような調度品の数々が飾られている。
流石は、派手好きのジーサードだった。こう言う所に金を惜しまない事も、組織のトップに立つ人間には重要な事である。要するに、至近を惜しまず、自分の度量を見せる事で、下の者に良い目を見させる事が重要なのだ。
ベッドから起き出す。
上が白いタンクトップに、下が白のショーツのみと言う飾りっけのない下着姿だが、はだけた様な肩から腕にかけてのラインと、ショーツから伸びたほっそりした白い足が煽情的な光景を作り出している。
エムツヴァイは冷蔵庫まで歩いて行くと、中からペットボトル入りのミネラルウォーターを取り出し、キャップを開けて口を付ける。
熱を帯びた体に、よく冷えた水が気持よく流し込まれるのが判る。
体の具合を確かめるように、掌を開閉してみる。
この間の友哉との戦闘から、既に数日が経っている。本来なら、もう体は回復しても良い頃だが。
「・・・・・・・・・・・・」
半分ほど飲んだペットボトルを投げ捨てると、シャワールームへと足を運ぶ。
ともかく、寝汗を流してすっきりしたい気分だった。
シャワーを浴びると、服を着替えて部屋を出る。
すると、リビングのソファーに腰掛けて、エムアインスの姿があった。
何かの情報を確認しているのか、難しい顔で、テーブルの上においてあるノートパソコンを眺めている。
今、このセーフハウスには、2人しかいない。ジーフォースは作戦の一環で学園島へ行き、首領であるジーサードは、別件で用があるとかで日本を離れていた。
近付いてみても、エムアインスは顔を上げる様子は無い。一心にパソコンの画面を眺めている。
「どうかしたんですか?」
「ああ、ツヴァイか」
今気付いた、と言う感じに、エムアインスはノートパソコンから顔を上げた。
「体は、もう良いのか?」
「ええ、すっかり。それよりも、」
言いながらエムツヴァイは、ノートパソコンの方に目をやる。
先端科学を操る事の出来るジーサード勢力は、やろうと思えば世界中から情報を集める事ができる。そうして集めた情報は、彼等の作戦行動における重要な指針となるのだ。
「何か、気になる情報でも?」
「ああ」
尋ねるエムツヴァイに、エムアインスはパソコンの画面を指し示して見せた。
覗き込むと、メール画面が開いており、一通の受信メールが入っていた。
それは、東京武偵校に潜入しているジーフォースからの直通メールだった。
「この間の戦闘で、俺達と戦って負傷した連中が、全員退院したそうだ」
「それってッ」
「あぁ」
驚愕したようなエムツヴァイの言葉に、エムアインスは重々しく頷きを返す。
「神崎・H・アリア、星伽白雪、峰・理子・リュパン4世、蕾姫のバスカービルメンバー。そして、」
「イクスリーダー、緋村友哉・・・・・・・・・・・・」
その名前を呟きながら、エムツヴァイは苦い顔を作る。
自分達が苦労して倒した敵が復活してしまった。その事に苛立ちを隠せない様子だった。
「やはりあの時、とどめを刺せなかったのが痛かったな」
「そんな事、今更言っても始まらないじゃないですか。それより、復活したのなら。また倒せば良いだけの話です」
息も荒く、エムツヴァイはそう言いきる。
確かに、言ってしまえばその通りではあるのだが。
「落ち着け、ツヴァイ」
「アインス?」
エムツヴァイは、静かな光をたたえた瞳で、エムツヴァイを見詰める。
その瞳は、有無を言わせないような迫力が込められているのが判る。
「闇雲に仕掛けるのは危険だ。奴には何か、執念深いような物を感じる」
そう言うと、エムツヴァイは自分の肩に手をやる。
そこは、先の戦いで、友哉の一撃を受けた場所だ。
完全に勝ったと思った一瞬、まさかの逆撃を食らった場所。
侮る事はできない。
前回の戦いは実力で勝ったと言うよりも、情報を制したような物だとエムアインスは考えている。こちらは緋村友哉の情報を念入りに調べ上げたのに対し、何の前情報も無かった友哉は、殆ど成す術も無かったに等しい。
にもかかわらず、執念とも言える反撃をエムアインスに食らわせた。
舐めてかかれば、次に敗北するのは自分達かもしれない。
漠然と感じる予感を、エムアインスは無視する事ができなかった。
だが、
「怖気づいたんですか?」
「・・・・・・何?」
嘲りを若干含ませたエムツヴァイの言葉に、エムアインスは静かに顔を上げて睨みつける。
その眼光をまともに受けながら、平然と言葉を続けるエムツヴァイ。
「何度戦っても結果は同じです。また私達が勝つ。これは絶対です」
「その考えは危険すぎる。忘れるな、俺達と言えど、絶対の存在ではないと言う事を」
窘めるようなエムアインスの言葉を、しかしエムツヴァイは言下にはねつける。
「アインスこそ忘れたんですか? 私達がここに来た目的を」
「忘れてないどいないッ」
エムツヴァイの言葉に、エムアインスは殆ど反射的に返した。
自分達と同じ、飛天御剣流を現代に伝える、緋村友哉と戦う。
そして、倒す。
それこそが、自分達にとっての唯一にして絶対の存在意義であり、自分達が生み出された理由でもある。
「なら、こんな所で手を拱いている暇は無い筈ですッ 今すぐにでも、武偵校に行き、緋村友哉の首を取る。それが、私達の取るべき道でしょう!!」
「次も、この前と同じように行くと思ったら大間違いだ。奴も、今度は万全の状態で待ち構えているだろうしな」
血気に逸るエムツヴァイを、エムアインスはあくまで冷静にとどめようとする。
エムアインスの目には、エムツヴァイが舞い上がり過ぎているように見えた。
これまで2人は、ジーサードやジーフォースと共に数々の戦場に赴き、全ての戦いに勝利を収めて来た。
そして先日、ついに宿願とも言うべき敵に打ち勝った。
それら事実が、エムツヴァイを増長させているとしか思えなかった。
「・・・・・・・・・・・・なあ、ツヴァイ」
あくまで冷静に言い聞かせるように、エムアインスは口を開く。
「これは、前々からサードとも相談していた事なんだがな。お前、今回の作戦から外れないか?」
「・・・・・・え?」
突然の申し出に驚き、次いで目を剥くエムツヴァイ。
「ど、どうしてッ」
「お前の体の事だ」
優しく語りかけるように、エムアインスは強い口調で続ける。
「オランダに、サードが良い医者を見付けてくれている。どの政府や組織とも繋がりが無く、腕も良いそうだ。病院の立地条件も、自然に囲まれた環境に良い場所らしい。そこに行って、少し体を休めないか?」
「・・・・・・・・・・・・」
「別に、お前を放逐しようとか、一生、戦線から外れろと言っている訳じゃない。ただ、今は体の治療に専念し、回復を待ってから復帰した方がいいんじゃないのか?」
諭すような、エムアインスの口調。
だが、
「・・・・・・・・・・・・もう、良いです」
聞くに堪えない、とばかりにエムツヴァイは絞り出すような声で告げ、乱暴にソファーから立ち上がる。
「ツヴァイッ」
「そんな与太話を聞く為に、この国に来た訳じゃありませんから」
そう言うと、振り返る事無く自分の部屋へと戻って行く。
その背中を、黙って見送る事しかできないエムアインス。
「ツヴァイ・・・・・・」
彼女の為と思ってしたお膳立て。しかし、結局それが、彼女を追い詰める結果となってしまっている。
一体、なぜ、このような事になったのか。
痛みを感じるほどに、硬く拳を握りしめる。
「・・・・・・・・・・・・全ては、あの時から始まったのだッ」
囁く言葉は、後悔と憤怒によって彩られ、室内に溶けて行く。
ただ、エムアインスには、戻る事の出来ぬ過去への憤りを吐き捨てる事しかできなかった。
その日、午前中の授業を終えた友哉は、午後の自由履修を辞退して、早々に寮へ戻る事にした。
退院したとはいえ、完全に傷が癒えた訳ではない。激しい運動は控えるよう、紗枝から厳重に言い渡されていた。
とは言っても、普段の友哉なら、この程度の無茶は押し通してしまうのだが、流石に、この間、茉莉達に迷惑を掛けたばかりである。そこは慎ましく自重する程度の分別は、弁えているつもりだった。
第3男子寮前の停留所でバスを降りると、真っ直ぐ自分の部屋へと上がる。
正直、エムアインス達の再襲が充分考えられる現状、悠長に休んでいる暇も無いのだが、陣にも指摘された通り、確かに、自分とエムアインスとの実力差は一朝一夕で埋まる物では無い。
ここはまず、落ち着いて休養につとめ、戦力の回復を図るべきだった。
自分の部屋のある階まで上がり、廊下に出た時だった。
「おろ?」
廊下の端のドアの前に立ち、手に持った鞄の中を覗き込んでいる少女の姿があった。
明るい茶色の髪を、短くボブカットにした少女だ。
まだ、幼さの残るあどけない顔立ちは、美人と言うよりも可愛らしいという表現が当てはまる。
きっと、あんな子がクラスに1人いたら、皆から可愛がられる事だろう。
だが、見覚えの無い少女である。少なくとも、この寮に今まで住んでいた訳ではない筈。それなら、友哉とも会っている筈だから
だが、その少女の様子に、友哉は不審に思う。
この廊下の角部屋、ちょうど、友哉の隣の部屋に当たる場所は、キンジの部屋の筈だ。少女は、そのキンジの部屋の前に立って、何かをしているように見える。
「あっれー、おっかしいな・・・・・・確か、入れたと思ったんだけど・・・・・・」
困り顔の少女は、自分の鞄の中を手でかきまわしながら何かを探している。
「どうかしたの?」
少女の傍らまで歩み寄った友哉が声を掛けると、少女は驚いたように振り向いた。
友哉と少女の視線が合わさる。
思った通り、可愛らしい少女だ。大きな瞳がクリクリとよく動き、小動物のような可愛さがある。
だが、友哉は少女の顔を、僅かな違和感と共に眺めていた。
会った事は無い、筈だ。
だが、何処かで見たような気がする。そんな違和感が、胸の内に湧き上がっていた。
「あの、えっと・・・・・・」
突然現われた友哉に、少女は戸惑っている様子だ。
そんな少女に対し、友哉は慌てたように苦笑して言う。
「あ、ごめん。君が何だか困っているみたいだったからさ」
言ってから、自分の部屋を指差す。
「僕は、そこの住人だけど、君はキンジの知り合いか何か?」
一瞬、キョトンとした少女だが、すぐに笑顔を浮かべ「あぁ、成程」と呟いた。
「初めまして、いつもお兄ちゃんがお世話になっています」
そう言って、ペコっと頭を下げる少女。
「おろ、『お兄ちゃん』って事は・・・・・・」
「はい。私、遠山かなめって言います。お兄ちゃんの妹です」
「お兄ちゃんの妹」と言う言い方も、どこかおかしいが、しかしそれなら、この部屋の前にいた事も納得がいく。それに言われてみれば、何となく雰囲気が似ている気がした。
もしかしたら、先程感じた違和感の正体も、それだったのかもしれない。
それにしても、
『キンジ、妹がいるなんて、一言も言った事無かった筈だけど・・・・・・』
内心で首を傾げる友哉。
兄がいるのは知っているし、実際に会った事も一緒に戦った事もあるが、キンジの下に弟妹がいるなんて話は聞いた事が無かった。
とは言え、他人の家の事情である。何か話せない事情があったのかもしれないし、たんに話題の端に上らなかっただけと言う事も考えられる。
「で、かなめ。君はここで何やってたの?」
「えっと、実は、出掛ける時に鍵を忘れちゃって、部屋に入られなくなっちゃったんです」
成程。それで鞄の中を必死に探していたのか。
とは言え、自由履修を辞退して早退した友哉と違い、キンジは
その間、かなめはこの部屋の前で待ちぼうけになってしまう。
流石に、それは可哀そうだった。
「どうかな、うちの部屋でキンジが来るの待ってない? お茶くらいは御馳走するけど」
言ってから、しまった、と思った。
これじゃあ、傍から見れば、「見ず知らずの女子を部屋に連れ込もうとしている好色男」に見えなくも無い。友哉の見た目は女だが。
とっさにフォローしようとする友哉。
だが、その前にかなめが割り込んだ。
「じゃあ、すみませんが、お願いします」
至極あっさりと、ついて来る事を了承してしまった。
その様子に、友哉は一瞬呆気に取られる。
随分あけっぴろげな感じのする少女である。もしかしたら、世間の一般論には疎いのかもしれない。
何しろ、キンジの幼馴染と言えば、超箱入り娘の星伽白雪である。彼女も相当に浮世離れしている事から考えれば、妹もその枠に収まるのかもしれなかった。
鍵を取り出し、ロックを解除する。
「あ、そう言えば名乗って無かったね。僕は・・・・・・」
「緋村友哉さんですよね。お兄ちゃんから聞いてます」
そう言って、かなめは笑顔を見せる。まあ、部屋は隣だし、こう言っては何だが、キンジは友達が少ない方である。既に妹に友哉の事を紹介していてもおかしくは無かった。
ドアを開いて、かなめを招じ入れる。
「さ、入って入って。ちょっと散らかってるけど」
「おじゃましまーす」
散らかってる。と言っても、いつも几帳面な茉莉が掃除している為、それほど目立つような物では無い。せいぜい、今朝読んだ新聞が床に置かれている程度だ。
「わあ、やっぱり、お兄ちゃんの部屋と同じなんだ」
「この寮は、全部屋同じ間取りだからね。適当に座ってて。コーヒーで良いかな?」
この部屋の住人は、皆、朝はコーヒーと決まっている。その他、好みに合わせてミルクや砂糖を入れるくらいである。その為、実際の話、他の飲み物と言ったら、冷蔵庫の中のジュースくらいなのだが。
幸いと言うべきか、特にかなめは拒否もしなかったので、2人分のコーヒーを用意する。
「何だか、女の子の匂いがしますね」
コーヒーを待っている間、かなめは部屋の中を見回しながら、そんな事を言う。
その言葉に、友哉は苦笑した。
「匂いって・・・まあ、一緒に暮らしている女の子の匂いが、少し残っているのかもしれないね」
考えてみれば、茉莉と瑠香がこの部屋に転がり込んで来て、もう半年になる。普段は気付かない生活の匂いのような物が、部屋に残っていてもおかしくは無いだろう。
友哉は淹れ終えたコーヒーを盆に乗せ、かなめの元へ運ぶ。
「はい、どうぞ。砂糖とミルクはお好みでね」
かなめの好みが判らないので、取り敢えずミルクの瓶と砂糖のケースも一緒に持ってきて置いた。
だが、かなめはそれらには手を触れず、スカートのポケットからキャラメルの箱を取り出すと、一個取り出して口に含み、次いでコーヒーのカップに口を付けた。
妙な飲み方だと思う。余程キャラメルが好きなのだろうか? とは言え、そんな飲み方では、キャラメルの味が消えてしまうような気がするのだが。
しかし、一口飲んだかなめは、何やら幸せそうな顔を作る。
「うん、とっても美味しいですよ」
「それは良かった」
まあ、世の中にはキャラメルマキアートやら、キャラメルフラペチーノやら、キャラメルとコーヒーを混ぜた飲み物もある事だし、飲み方は人それぞれだった。
自分もコーヒーを飲みながら、友哉はそう言う事で納得する事にした。
暫く飲んでいると、今度はかなめの方から声を掛けて来た。
「あの、女の子と一緒に暮らしてるって、言いましたよね」
「一緒に暮らしてるって言うか、2人は居候みたいなものなんだけど。まあ・・・・・・」
かなめの言い方では、まるで同棲しているみたいな感じがする。
まあ、それもあながち間違いとは言い切れないのだが。
「もしかして、どっちか1人は彼女さんですか?」
突然の質問に、口に運びかけた手を止める友哉。
その質問は、今の友哉にとって生々しすぎた。
「・・・・・・・・・・・・さあ、どうだろうね」
カップをテーブルに戻しながら、動揺を抑えるように、努めて冷静に答える友哉。
その脳裏に、どうしても1人の少女の姿が浮かんでしまう。
「・・・・・・彼女、では、まだないね」
なぜ、そんな事を言ってしまったのか、友哉には判らなかった。
友人の妹、と言うだけの存在であるかなめ。本来なら、このような事を相談するには不適切であろう。だが、友哉はまるで呼吸をするようにあっさりと、かなめに自分の心中を話してしまっていた。
「まだって、告白とかは?」
「それもまだ。どうしても、自分の中で踏ん切りがつかなくてね」
自嘲的に笑う。
敵と戦っている時なら、いくらでも果断即決できるのに、今回の事は、どうしてこうまでウジウジと悩んでしまうのか。
正直、自分でもその答えを見つけられそうになかった。
「そこは、思いきって行かないと、ダメだと思いますよ」
そんな友哉に、かなめはハッキリした口調で言ってくる。
「どんな事でも、自分からぶつかって行かないと。相手の気持ちなんて判らないと思います。少なくとも、私なら、そうします」
「・・・・・・・・・・・・そっか。そうだよね」
同じような事を、この間、不知火にも言われた気がする。
だが、不思議だった。
年下の女の子に諭すように言われた言葉だが、なぜか友哉の胸にストレートに突き刺さった気がした。
今まで友哉は茉莉にフられる事を嫌い、告白に踏み切れなかった。
だが結局、それは自分がかわいい故に、戦う事から逃げていたにすぎないのかもしれない。
目の前の少女は、その事をズバリ指摘して来たのだ。
「ありがとう。お陰で目が覚めた気分だよ」
そう言って笑顔を向ける友哉に、かなめもまた笑顔を返してきた。
と、その時、携帯のバイブレーションが振動し、メールの着信を告げてきた。
ちょっと、ごめんね、と言って携帯電話を開くと、相手は茉莉からであった。
《先方との接触に成功しました。今夜にでも会いたいとの事です》
「・・・・・・・・・・・・」
どうやら、早速食いついて来たらしい。まずは、予定通りと言ったところだ。
正念場はここからである。何としても、こちらの要求を飲ませる必要があった。
「もしかして、彼女さんからですか?」
「彼女じゃないよ」
『まだ、ね』と、心の中で付け加えてから、携帯を閉じる友哉。
そこで、
ふと、動きを止めた。
視線は、手の中の携帯電話に釘付けになっている。
この携帯電話の中には、1本の動画が圧縮ファイルとして収められている。入院中、暇を持て余したため、研究も兼ねてキンジから添付ファイルで送ってもらった物だ。
それは、ジーサードが交渉と脅迫の為にキンジに送りつけて来た、ジーフォースと、アリア達との戦闘シーンの動画だった。
その動画の中で、先進的な刀を振るう少女と、
目の前の少女が、脳裏の中でピッタリと一致した。
「・・・・・・あ、やっと気付いたんだ」
変わらぬ口調で、言うかなめ。
「でも、思ってたよりは早かったかな。ツヴァイ達が拘る訳が、何となくわかるよ」
「・・・・・・褒められたって、思っておくよ」
答えてから友哉は、かなめを、
否、
ジーフォースを静かに見詰め返した。
バスカービルをたった1人で壊滅させた少女は、相変わらず、キャラメルを口に含んだまま、コーヒーを飲んでいる。
「うちの学校に入り込んでるって、報告は受けていたけど。こんなに堂々と姿を現わすなんてね。君も、僕と戦うのが目的?」
言いながら友哉は、傍らに立てかけた逆刃刀をいつでも取れるように身構える。
しかし、対してジーフォースは、一切動じた様子は無い。
「それは非合理的。今のあなたじゃ、あたしには勝てないよ」
ジーフォースは動じないのではない。動じる必要が無いのだ。今の友哉が、たとえ全力を出したとしても、自分には勝てないと判っているから。
それは同時に、もう一つの意味も持っている。即ち「やるならとっくにやっている」と言う。
ジーフォースが本気なら、とっくに友哉は殺されている筈だった。
その事に思い至り、友哉もソファーに腰を下ろす。
確かに、こうなった以上、慌てても仕方が無かった。
「それにしても、なかなか手の込んだ嘘だね。キンジの妹だなんてさ」
友哉が最初に見た違和感は、キンジに雰囲気が似ていたからではない。動画として彼女の戦いを見ていたからだった。ただ、戦闘中のジーフォースはバイザーで顔を隠していた為、なかなか記憶が結び付かなかったのだ。
「その考えは、非合理的だよ」
「どう言う事?」
「だって、あたしは本当に、お兄ちゃんの妹なんだもん」
芯からロールプレイを演じ切っているのか、ジーフォースは友哉の言葉を真っ向から否定する。
「じゃあ、『遠山かなめ』って言う名前は?」
「それは、お兄ちゃんが付けてくれたの」
嬉々として語るジーフォース。
確か、茉莉の話では、キンジがジーフォースにロメオを仕掛ける手はずになっていた筈。と言う事は、これもその一環かもしれない。
「それで、君はこれからどうするつもりなの?」
いったい、何が目的でこの学校に来たのか。そこのところに探りを入れてみる。
ここは言えば、彼女にとっては完全な敵地だ。そこにわざわざ1人で乗り込んで来た目的に興味があった。
「そうだなー・・・・・・」
足をぶらぶらさせながら、ジーフォースは考え込む。
「まず、お兄ちゃんに近付く女共を全殺しして、お兄ちゃんには、あたし以外誰も近付けないようにすること。その後は、あたしがお兄ちゃんを、いっぱい愛してあげるんだ」
物騒な愛もあった物である。
何がジーフォースをそこまで駆り立てるのか、見当もつかない事である。
だが、
「そう、うまくいくかな」
友哉は静かな口調で告げる。
この子の実力が本物なのは、今更疑う余地は無いが、戦いとはカタログスペックのみで決まる物では無い。その事を、友哉は良く知っている。
「行くよ~ あんな奴等、物の数じゃないもん」
ジーフォースは言いながら、無邪気に可笑しそうに笑う。
自身の実力に対する絶対の自信。それをジーフォースは隠そうとする気配すら無かった。
その時、玄関の扉が開き、人が入って来る気配がした。
「ただいま、友哉君。少し休んだら、晩御飯の準備するから」
そう言いながら、リビングへ入って来る瑠香。
その視線が、友哉の正面に対峙するように座る、少女の姿を映した。
「あれ、かなめちゃん?」
「おー、こんにちはー」
何やら親しげに挨拶する2人の様子に、友哉は思わず呆気に取られた。
「おろ、2人、知り合い?」
「うん、クラスは違うんだけどね。かなめちゃん、陽菜っちとクラスメイトだから、その関係でさ」
「ねー」
陽菜っち、と言うのはキンジの戦妹の風魔陽菜の事だろう。瑠香とは同じ諜報科(レザド)出身で仲が良い。何でも、高名な忍びの末裔である所とかも、同様であるらしかった。もっとも、友哉には、いつも時代掛った口調で、腹をすかしている少女にしか見えないのだが。
何はともあれ、敵と室内で2人っきりと言う状況は脱する事ができたらしい。
友哉は仲良く話を弾ませる2人の様子を見ながら、そっと溜息をついた。
3
その日の夜。
かなめやキンジも交えた夕食を終えた後、友哉は茉莉を伴って寮を抜けだした。
予め
この場で
その1カ月の内に、リバティ・メイソンと戦い、ヒルダと戦い、今度はジーサード勢力と戦う事になっている。
正に、激戦と呼ぶべき状況である。
そして今夜、
ANA600便の激突によって折れ曲がった風車の下まで来た時、2人は足を止めた。
「友哉さん、来ました」
茉莉の声に、友哉は頷きを返す。
友哉の視界にも、こちらに向かって歩いて来る人影が見えたのだ。
「時間通りですね。結構な事です」
闇から現われた人物は、スーツ姿に無表情の仮面で顔を覆った男。
友哉にとっては、何度も刃を交えた因縁の相手である。
《仕立屋》由比彰彦
彼が、今日の対談の相手であった。
「申し訳ありませんね。わざわざこのような時間に、このような場所へお呼び立てして」
「構いません。交渉を持ちかけたのはこっちですから」
一見、気さくな会話のようにも見えるが、実際には友哉は僅かな油断すらしていない。
これまでに仕立屋とは幾度となく戦い、足元を掬われた事も一度や二度では無い。警戒するに越した事は無かった。
彰彦の方でも、同様の思いなのだろう。一定以上に近付いて来る事を避けている様子がある。
「それで、本日の交渉とは、如何なる物でしょう?」
彰彦の問いかけに、友哉は僅かに躊躇うように唇をかむ。
正直、この男に交渉を持ちかけるなど、友哉にとっては拒否したい事態なのだが、現状はそれを許してはくれなかった。
顔を上げて、相手の仮面に包まれた顔をしっかりと見据えた。
「単刀直入に言います。
それが、玉藻の打ち出した方針だった。
ともかく、早急な防衛網再構築を行う必要がある。その為の手っ取り早い手段として、傭兵である仕立屋の力を利用しようと考えたのだ。
「・・・・・・・・・・・・ほう」
仮面の奥で目を細め、彰彦は納得したように頷く。
友哉の申し出に、驚いた様子は無い。むしろ、この事態を予想していた様子だ。
仕立屋としても、ジーサード勢力がイクスとバスカービルに奇襲を掛けた事は掴んでいた筈だ。そこから推察して、こうなる事を予想していたのだろう。
ややあって、彰彦は口を開いた。
「良いでしょう。我々としても、今後の活動の為に師団と繋がりを持っておく事は望ましい。その話、お受けしましょう」
ただし、と彰彦は続ける。
「御承知の通り、我々は傭兵です。傭兵と言うのは、兵士であると同時に商人でもあります。ビジネスとして雇われるからには、当然、報酬の交渉もしなくてはなりません」
「報酬、ですか。お金なら、」
一応、この件に関して、玉藻から予算にいとめを付けないように言われている。玉藻には玉藻の財源があるようだ。どこから持って来たお金なのかは、敢えて聞かないでいるが。
だが、そんな友哉の言葉を、彰彦は手を振って制する。
「いえいえ、報酬は、何もお金であるとは限りませんよ。要はこちらが欲している物を提供してくれればいいのです」
「それじゃあ、何を?」
問い掛ける友哉。
その一瞬、
強い海風が、立っている3人の元を吹き抜けた。
「キャッ!?」
とっさに、舞い上がる髪とスカートを抑える茉莉。
その風がやんだ時、
友哉と彰彦は、互いに無言のまま睨み合っていた。
「・・・・・・・・・・・・判りました」
ややあって発せられた友哉の言葉は、苦渋と言うよりも諦念に満ちているような気がした。まるで、こうなる事を予想していたかのように。
「では、交渉成立です」
仮面の奥で、ニヤリと笑う彰彦。
その瞬間、
友哉は自分が悪魔と契約したような気分になるのを押さえられなかった。
第4話「キンジの妹」 終わり