緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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亡霊編(オリジナル)
第1話「ガールズ・トーキング」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めは噎せるようだった、きついシンナー臭も、長く嗅いでいれば気にならない物である。

 

 ただ、ここから出た時に、何らかの後遺症が残りそうで、それだけは嫌だった。

 

 少し、思考力が落ちて来ている頭を振り、瀬田茉莉は覚醒度を僅かでも上げようとする。

 

 既に徹夜2日目。

 

 正直なところ、今すぐでも床に倒れて、そのまま泥のように眠ってしまいたい気分だ。

 

 だが、自分のノルマも果たしていないうちに、それはできなかった。

 

 本来、これが任務であるなら、茉莉も二徹くらいで参る事は無い。

 

 しかし、神経のみを集中的にすり減らすような作業を続けていると、どうしても疲労は急速に溜まっていく。

 

「桃子さん、これ、上がりました」

「そう、じゃあ、今度はこっちをお願いね」

 

 そう言って渡された紙の束を見て、一瞬ゲンナリするも、無言のまま受け取って、再びペンをとる。

 

 茉莉は今、理子の部屋で漫画作りのアシスタントをやっていた。

 

 彼女に指示を出している桃子と呼んだ少女は、黒髪ストレートの日本人形のようないでたちの少女である。

 

 だが、その正体は、イ・ウーにおいて《魔宮の蠍》と呼ばれた猛毒使いで、名を夾竹桃(きょうちくとう)。本名は桃子と言うのだが、上の名前は茉莉も知らない。イ・ウーでは同期であり、それなりに仲が良かった少女である。

 

 彼女は理子が起こした4月の事件の折り、並行する形で別の事件を引き起こしていたのだ。その際、既に東京に潜入していた茉莉も、仕立屋として支援に回っている。

 

 その結果、夾竹桃は敗れて逮捕され、司法取引と言う形で東京武偵校に編入されて来たのだ。

 

 因みに夾竹桃は「クリスチーネ桃子」と言うペンネームで漫画を書き、それを夏と冬に東京ビッグサイトで行われる祭典で出店して人気を博している。

 

 クリスチーネ桃子の名は、そちらの業界ではちょっとした有名人らしい。

 

 今書いている漫画も、その為の出店物である。

 

「て言うか・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は、少し気分を変えるために、部屋の中を見回して言った。

 

「何だかこの部屋、イ・ウー率高くありません?」

 

 茉莉の視界の中に、3人の少女がいる。

 

《魔宮の蠍》夾竹桃

 

《武偵殺し》峰・理子・リュパン4世

 

《銀氷の魔女》ジャンヌ・ダルク30世

 

 そして、

 

《天剣》瀬田茉莉

 

 更にもう1人、座っている理子の足元に、文字通り影となって寄り添っている者がいる。

 

《紫電の魔女》ヒルダ。

 

 先々月の事件以降、理子の傍を離れようとしないヒルダ。どうやら、理子と仲直りしたいのだが、そのきっかけと勇気が無いので、こうして影となってつき従い、色々と理子のお世話をしているのだとか。

 

 因みに、本人的にはあれで隠れているつもりらしいが、この場にいる全員が、作業を始める前から存在に気付いている。それでも可哀そうなので、取り敢えず放っておいているのだ。

 

 集っている5人の少女、全員が元イ・ウー構成員である。

 

「他の連中に任せるくらいなら、勝手知ったるあなた達に任せた方が、効率が良いでしょう」

 

 と、原稿から目を放さず、夾竹桃が答える。

 

 それでも、もう少し計画的に作業した方がいいような気がするのだが、と茉莉は思わないでもない。

 

 見た所、この中で未だに充分に気力を残しているのは夾竹桃くらいだった。

 

「だったら、いい加減、私にも絵を書かせてくれ」

 

 中でもダメージ大なのが、ぼやくようにそう言って、恨みがましく顔を上げるジャンヌだろう。

 

 彼女は一昨日から、枠線とベタ塗り作業のみを行っている。理由は単純にして、この上なく明快。ジャンヌが超絶望的に絵が下手だからだ。

 

 しかも始末に負えないのは、ジャンヌ自身は「自分は絵が上手い」と固く信じ切っている事だろう。

 

「適材適所よ」

「どう言う意味だ?」

 

 素っ気ない夾竹桃の言葉に、ジャンヌはブスっとしたまま睨み付ける。

 

 無理も無い。茉莉も同じ気持ちである。

 

 ジャンヌの事は好きだが、もし仮に自分が夾竹桃と同じ立場だったなら、同じように役割分担しただろう。

 

 その後も、一同作業に戻ってペンを走らせ続けた。

 

 不満たらたらだったジャンヌも、職務放棄をするつもりはないらしく、不承不承ながら枠線ベタ塗り作業に没頭していた。

 

 玄関のチャイムが鳴ったのは、それから1時間ちょっと経ってからだった。

 

「はいは~い」

 

 家主の理子が立ち上がり、フラフラとした足取りで玄関の方へと向かう。

 

 ちょうど良いので、ここらで一息入れようと言う流れになり、茉莉とジャンヌは手を止めた。ただ、そんな中でもクリスチーネ桃子先生だけは、休まずに書き続けているが。

 

「そう言えば茉莉、聞いたんだけど」

「はい、何ですか?」

 

 お茶を飲みながら、茉莉は尋ねて来た夾竹桃の方へ振り返る。

 

 一方の夾竹桃は、原稿から目を放さないまま語り続ける。

 

「あなた最近、男と同棲しているそうね」

「ブフゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!?」

 

 茉莉が思いっきり噴き出したお茶が、ジャンヌの顔面を直撃する。

 

 それほどまでに、夾竹桃の発言は茉莉の意表を突いていた。

 

「あの大人しい娘が、随分と大胆になったものね」

「断じて違いますッ!!」

 

 確かに友哉と同じ部屋で暮らしてはいるが、あれはルームシェアであって同棲では無い。

 

 大体、瑠香も一緒の部屋にいるのだから、同棲には当たらない筈だ。

 

「そ、そうだったのか、瀬田。知らなかった・・・・・・」

「ジャンヌさんも、信じないでください!!」

 

 茉莉が噴き出したお茶をレース柄のハンカチで拭いながら、信じられないと言った面持ちで震えているジャンヌに、猛抗議する茉莉。

 

「何にしても、やるなら避妊はしっかりとなさい。あなた、まだ若いんだから」

「だから、違いますってば!!」

 

 「避妊」と言うキーワードに、茉莉は顔を赤くしながら叫ぶ。

 

 何やら老成したような事を言う夾竹桃の中では、既に茉莉が男と同棲している事は確定されてしまったらしかった。

 

 ちょうどその時、廊下の方からパタパタと足音が聞こえて来た。

 

「うわっ お前等、何やってたんだよ?」

 

 入ってくるなり顔を顰めたのは、茉莉のクラスメイトでもある遠山キンジだった。この間の戦いでは敵の首領であるジーサードを討ち取り、師団の勝利を確定づける活躍を示した。

 

 そのキンジの後ろにつき従うように、ひっそりと佇んでいるのは、狙撃科の麒麟児、レキだ。

 

「アシだよー・・・・・・あぅー、冬が近いんだよー」

「冬って、今が冬だろ。ほら、借りてたゲーム返すから足どけろ」

 

 ソファーに座ったキンジの膝の上に、理子はうつ伏せになって遠慮なくのしかかる。

 

 その理子の元に、影になったヒルダがユンケルを銀のお盆に乗せて運んでいた。

 

 そんな様子を見て、

 

「遠山!!」

 

 ジャンヌが涙目になり、ガバッと顔を上げた。

 

「助けてくれ、理子も桃子も瀬田も、私に絵を書かせてくれないんだッ 人物どころか背景もだッ 枠線とベタ塗りだけはもう嫌だッ おお神よ!!」

 

 何やら、悲劇のヒロイン風に崩れ落ちるジャンヌ。

 

 素材が良いだけに、大変絵になる光景ではある。の、だが、

 

『だって、あんた絵ヘタクソでしょ』

 

 とは、茉莉、理子、夾竹桃が同時に思った事である。

 

「でも、私もそろそろ、限界なんですけど・・・・・・」

 

 言いながら、茉莉も眠い目をこする。

 

「3人とも、二徹くらいでだらしないわよ」

 

 衰える事を知らないのは、夾竹桃1人だけだった。全く持って、彼女の働き振りは驚異的と言わざるを得なかった。

 

 その後、キンジは自分とレキが特秘任務に就く事を告げて来た。どうやら、教務課から何らかの命令があったらしい。

 

「特務、ですか。遠山君とレキさんが・・・・・・」

「ぬいぬいのもそれー?」

 

 尋ねる理子の言葉に、茉莉は一瞬、何の事を言っているのか判らなかったが、クラスメイトの不知火亮の事を言っているのだと判った。

 

 どうやら、不知火も何らかの任務に就くらしい。

 

「いや、別件だ」

 

 短く告げると、キンジはレキを連れて部屋を出て行った。

 

 しかし、キンジとレキが抜けるとなると、またも学園島の防衛線が薄くなってしまう。極東戦役の戦局が激化の一途をたどっている現在、対策は早急に立てる必要がある。

 

 ここは一度、イクスの仲間達と一緒に協議する必要がありそうだった。

 

 キンジとレキが帰った事で、作業を再開した一同。

 

 それから暫くしたころ、茉莉はふと、腕時計を見た。

 

「あの、すいません桃子さん。今日はこれからちょっと、お友達と会う約束がありますので、抜けても良いですか?」

「あら、そうだったわね」

 

 言ってから、夾竹桃はスケジュールを確認する。茉莉が今日、用事がある事は事前に伝えておいたので、それと合わせて確認しているようだ。

 

「判ったわ。ここまで頑張ればもう一息だし。あとはこっちで何とかするから」

「ありがとうございます」

 

 そう言って、自分の荷物を纏める茉莉。

 

 そんな茉莉を、理子が悪戯っぽい笑みと共に見詰めた。

 

「なに~ マツリン、もしかして男の所に行くの~?」

「違いますッ!!」

 

 叫んでから、「しまった」と思った。

 

 先程の夾竹桃との掛け合いもあって、思わず過剰に反応してしまったが、これではまるで照れ隠しのようではないか。

 

 案の定、いかにも恰好のカモを見付けたとばかりに、餌にはいよるピラニアの如く言い寄って元同期達。

 

「ムキになるところが怪しいわね」

「そうか、瀬田もついに大人の階段を上る時が来たか。後でちゃんと報告するのだぞ。何がどうだったとか」

「マツリ~ン、頑張れ~」

「もう好きにしてください・・・・・・」

 

 ガックリと肩を落とす茉莉。

 

 これ以上、何を言っても無駄な事は、イ・ウー以来の付き合いで判り切っていた。

 

 必要以上に疲れ切った体で、茉莉は部屋を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼も過ぎていると言う事で、ロキシー内の人の姿はまばらである。

 

 武偵校の生徒も何人か見る事ができるが、殆どが1人で来ているらしく、ドリンク片手に参考書や文庫本を開いている者達ばかりであった。

 

 そんな中で、目当ての人物達はすぐに見つける事ができた。

 

「お~い、茉莉ちゃん、こっちだよ~」

 

 四乃森瑠香が元気に手を振っているのが見えた。

 

 その隣には、高梨・B・彩夏も控えめに手を振りながらこっちを見ている。

 

 夾竹桃に無理を言って抜けて来たのは、彼女達と会うためだった。

 

「どう、作業は進んだ?」

 

 席に座ると、メニューを渡しながら瑠香が尋ねて来た。一応、外泊と言う形になる為、同室である彼女と友哉には理由を話して出て来てある。

 

「はい、何とか。だいぶ進んだので、桃子さんも私が抜けても大丈夫だと判断したようです」

 

 メニューを見ながら答える茉莉。

 

 目は自然と、甘い物を追っている。漫画執筆と言うかなり神経をすり減らす作業を2日間徹夜でやって来たのだ。脳が急激に甘い物を欲していた。

 

「漫画か・・・・・・日本の漫画はイギリスとかアメリカでも流行ってるわよ。レベルが高いからね」

 

 漫画に限らず、日本のアニメやフィギュア、グッズなど、所謂「オタク文化」と呼ばれる物は、今や世界に誇るべき地位を保つに至っている。

 

 もっとも、オタクが市民権を得るようになったのは、ここ10年程の事であり、それまではオタクと言うだけで、周囲の人間から白い目で見られる事が多かった。

 

 その頃から比べると、大変な進化と言うべきだろう。

 

「彩夏先輩も、漫画とか読むんですか?」

「まあね。もっとも、あたしはどっちかと言えば小説派だけど」

 

 何でも、任務の合間の暇な時間を見付けて、文庫本を開いて読むのが彩夏の密かな趣味だとか。

 

 ところで、この間の事件以降、瑠香は彩夏の事を名前で呼ぶ事が多くなっていた。一番の理由としては、彩夏がそう呼ぶ事を許可した事が大きいのだろうが、それ以前に、既に半ばイクスメンバーと化している彩夏に、他人行儀な呼び方はしたくないらしかった。

 

 それに合わせて、茉莉も彼女の事を名前で呼ぶように改めている。これは以前、瑠香に指摘された事だが、仲間である以上、他人行儀な呼び方や態度はしない方がいいと思ったのだ。

 

「ところで、」

 

 運ばれてきたホットコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れながら、茉莉は本題に入るべく話題を切り替えた。

 

「今日は、どんな意図で集まったんですか?」

 

 話の内容を、まだ茉莉は聞いていなかった。

 

 女3人だけ、男達がいない状況は、この間の女子会に似てなくもないが。

 

 そんな茉莉に対して、瑠香と彩夏は意味深な笑みを見せて来た。

 

「な、何ですか?」

「いや~、茉莉ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど」

 

 瑠香が言い置いてから、今度は彩夏が口を開いた。

 

「茉莉は、友哉に対してどんなアプローチで攻めようと思ってるの?」

 

 次の瞬間、茉莉の目がまん丸になったのは言うまでも無い。

 

 この2人は、一体、何を言っているのか。

 

 だが、呆然としている茉莉を余所に、2人は更に舌鋒を強くする。

 

「いい、茉莉ちゃん、恋は駆け引きなんだからね。ただ単調に攻めてるだけじゃ、いつまでたっても『お友達』のままで終わっちゃうよ」

「そうそう。大胆かつ冷静にね。露骨に攻めようとすれば、却ってイタイ人みたいに見られちゃうから。攻めるべきところは攻めて退く所は退く。戦いと同じよ」

 

 それでようやく理解した。

 

 2人は、友哉と茉莉をくっつけようと画策して、このような形で話し合いの場を設けたのだ。

 

 それにしても、

 

 茉莉はチラッと、瑠香に視線を向ける。

 

 あの夜から数日。

 

 当初、少しだけ落ち込んでいる様子だった瑠香も、今は立ち直っているように見える。

 

 あの夜、

 

 茉莉は自分の想いをはっきりと告げ、そして結果的に瑠香を失恋に追いやってしまった夜。

 

 瑠香は、友哉と茉莉を傷つけたくない一心で身を引いた。全ては、彼女の行き過ぎた優しさゆえの行動だった。

 

 だが、それだけに茉莉は、瑠香が自分を恨んでいてもおかしくはないと思っていた。最悪、このまま仲がこじれてしまうのでは、とまで考えていたのだ。

 

 だが瑠香は、その後も変わらず茉莉と友達でい続けてくれている。

 

 今の茉莉の中では、瑠香への友情と、そして申し訳なさが入り混じっている状態であった。

 

「で、どんな戦略で攻めるか、なんだけど」

「ちょっと待ってください」

 

 尚も話を進めようとする瑠香を、茉莉は我に返って制する。

 

「何?」

「まさか、今日集まったのは、その為なんですか?」

「そだよ」

 

 何を今更、とばかりに溜息交じりの視線を向ける瑠香。

 

「だってさ、茉莉ちゃんの場合、待ってたらいつまで経っても、友哉君に告白できそうにないじゃん」

「こ、告ッ・・・・・・」

 

 瑠香の一言に、茉莉は思わず絶句してしまった。

 

 そうだった。

 

 茉莉はすっかり失念していた事だが、自分の中にある友哉に対する好意。これを形にするためには、どうしても避けては通れない道なのだ。

 

 無論、今更逃げる事はできない。茉莉は不可抗力とは言え、瑠香を蹴落とす形になってしまった。その茉莉が逃げるなど許されない事である。

 

「ん~、じゃあ、まずはさ」

 

 それまで黙って聞いていた彩夏が、ここで口を開いた。

 

「友哉を背後から襲って気絶させて、その後、目が覚めたらベッドの上、その隣には裸になった茉莉がいて既成事実完成ってのは?」

「絶対イヤです!!」

 

 その光景を想像し、茉莉は顔を赤くする。

 

 そんな事できる筈が無かった。

 

「だいたい、それじゃあ詐欺じゃないですか!!」

「ダメ?」

「ダメですッ」

「じゃあさ、茉莉がノーパン状態で、友哉の前でスカートめくって見せて『あたしを食べて』って言うのは? それで落ちなかったら男じゃないよ」

「却下ですッ!!

 

 顔を真っ赤にした茉莉に強い口調で言われ、彩夏は口を尖らせてブツブツと不平を言っている。しかし、何と言われようが、茉莉にその気はなかった。

 

 大体、そんなの戦略でも何でもない。ただの色仕掛けではないか。

 

 友哉の事は好きだが、友哉にはしたない女だと思われるのは絶対に嫌だった。

 

「となると、やっぱここは正攻法で行くしかないかな」

「正攻法って?」

 

 尋ねる彩夏に、瑠香は「う~ん」と考え込んでから口を開く。

 

「手料理・・・は、やめて、と・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 瑠香の言葉に、茉莉は不満そうに沈黙する。

 

 確かに、自分の料理の腕前が破滅的な事は知っているが、それでも少しずつ上達はしてきているのだ。もう少し頑張れば、ちょっとはマシなレベルになるのでは、と思っている。

 

 もっとも、旅館の娘であり、家事、特に料理に関しては小さい頃からある意味英才教育を受けて来た瑠香に言わせれば、茉莉の料理の腕は、良く言って「子供の泥んこ遊び」程度でしか無いのだが。

 

「やっぱさ、ここは一発、正面から告るしか無いんじゃない?」

「ちょっと待ってください」

 

 強引に話を進めようとしている瑠香と彩夏を制して、茉莉は自分のペースを取り戻すべく声を上げる。

 

「何だか、さっきから聞いていれば、私が友哉さんに告白する前提で話が進んでいるような気がするんですけど」

 

 その言葉に対し、

 

 瑠香と彩夏は、まるで珍獣でも見るような目を茉莉に向けて来た。

 

「何、もしかして茉莉ちゃん、告白しない気なの?」

「そ、そう言う訳じゃないですけど・・・その、何って言うか、こう言う事は、友哉さんの気持ちを確かめてからにするべきだと思うんですけど」

「だから、それを確かめる為にも、告白するべきだって言ってんの」

 

 何を言ってるのか、と呆れ気味に言う彩夏に対し、茉莉は急速に熱を帯びる頬を持て余すように、声を小さくしながら呟く。

 

「で、でもでも・・・もし、それで友哉さんに拒否されたら、私・・・・・・」

 

 その茉莉の言葉を聞いて、

 

 彩夏はあからさまに溜息をつき、肩を竦めた。

 

「・・・・・・ねえ瑠香。このヘタレ娘に譲っちゃって、ホントに良かったの? 何だったら今からでも取り返したら?」

「あ、あはは・・・・・・」

 

 こちらも、呆れ気味に苦笑する瑠香。瑠香としては、茉莉がこういう態度になってしまう事は、ある程度予想していた事だった。

 

 だから、優しく笑みを浮かべて語りかける。

 

「大丈夫だよ、茉莉ちゃん。友哉君も茉莉ちゃんの事好きだから」

「そ、そうでしょうか・・・・・・」

「絶対そうだって。あたしが言うんだから間違いないよ」

 

 瑠香にそう言われると、自分自身もそんな気がしてくるから不思議だった。

 

 友哉に告白し、自分の想いを伝える。そんな事は、茉莉にとって想像の埒外の事であった。

 

 だがもし、本当に友哉が自分の気持ちを受け入れてくれるなら、

 

 その時は・・・・・・

 

 ガシャァァァァァァン

 

 けたたましい音が、茉莉の思考を強制的に中断させた。

 

 顔を上げ、振りかえる茉莉。

 

「あれッ」

 

 彩夏が指し示した先では、数人の男達が垣根を作るようにしてボックス席を包囲している光景が見えた。

 

 数は4人。全員が強襲科の生徒なのだろう。高校生離れしたガタイをしているのが判る。

 

「キメェンだよ、テメェはよ!!」

「ここに来んなっつったろ!!」

「痛い目見てェのか、あァ!?」

 

 口々に罵り声を上げている。

 

 どうやら、4人で誰かを包囲し、吊るし上げのような事をしているらしい。

 

 珍しい光景では無い。

 

 武偵校生徒。特に強襲科の生徒は、自分達の腕力や戦闘技術を誇り、他の学科、特に装備科や救護科、車輛科等、戦闘力がそれほど高くない学科の生徒を標的にして、暴力を振るう輩が稀にいる。

 

 あの連中も、そう言う類なのだろう。

 

 周囲の者達も、いびられている生徒を助けようとする者はいない。武偵校の学生なら、荒事は自己管理が原則である為、誰もが無視を決め込んでいるのだ。

 

 ロキシーの店員も、無関心を装って見て見ぬ振りをしている。武偵校の近くに店を構えている時点で、彼等にとってもこの光景は日常茶飯事である為、いちいち慌てるには値しないと言う事だろう。壊れた備品に関しては、後で武偵校に請求が行くようになっているらしいので、それも無視して良いのだとか。

 

「黙ってねぇで、何とか言えよ、オラッ!!」

 

 言い放つと、男の1人が対象の生徒の襟首を握り、掴みあげた。

 

 襟首を掴まれた生徒は、顔を青くして悲鳴を上げている。

 

 大柄な男子生徒だが、鍛えているという印象は無く、どちらかと言えば肥満気味のように見える。やはりと言うか恐らく、車輛科や装備科の生徒なのだろう。

 

 掴みあげている強襲科生徒も、その取り巻きらしい3人も、悲鳴を上げる男子生徒をニヤニヤしながら見詰めている。

 

 圧倒的な力で弱い物をいたぶる。その愉悦に酔った者の目だ。

 

 茉莉は全身の産毛が逆立つのを感じた。

 

 彼女がかつて所属していた秘密組織イ・ウーでも、ああ言う輩が何人もいたが、そういう連中に対して、茉莉は例外なく嫌悪感を抱いていた。

 

 だからこそ、清廉で人当たりも良く、包容力も高い友哉に、茉莉は惹かれているのかもしれないが。

 

 だが今は、それどころでは無い。

 

「どうする、サブリーダー?」

 

 声を低める形で、彩夏が話しかけて来る。

 

 先程までとはうって変わって低く鳴った声からは、彼女も目の前の光景に怒りを覚えている事が覗えた。

 

「ああ言うのって、やだよね」

 

 そう言ったのは瑠香だ。

 

 こちらも、既に目を細め、飛びかかるタイミングを測っているかのようだ。

 

 つまり、2人は待っているのだ。

 

 イクスのサブリーダーである、茉莉のゴーサインを。

 

 この場に友哉がいない以上、決定権はイクスナンバー2の茉莉にある。茉莉が一言「やる」と言えば、2人とも躊躇い無く武器を抜き放つだろう。

 

 もう一度、男達の方を見る。

 

 今、強襲科生徒達は床に転がった男子生徒を、足でいたぶるようにして蹴りを加えている。

 

 唾棄すべき光景だ。断じて、許せるものではない。

 

 そして何より、友哉がこの場にいたら、必ず決断を下すと確信していた。

 

「やりましょう」

 

 茉莉の低い言葉は、迷いなく解き放たれる。

 

 その瞬間、待ってましたとばかりに2人の顔は輝いた。

 

 強襲科の男子達は下卑た笑い声を上げて、床に転がっている男子生徒を踏みつけている。

 

「つまんね。もう死ねよ、お前ッ」

 

 言い放つと、リーダー格の男が更に踏みつけようと、足を振り上げた。

 

 次の瞬間、

 

 ドンッ

 

「ぐあッ!?」

 

 轟音と共に、背中に殴りつけられたような衝撃を感じ、リーダー格の少年は思わずよろける。

 

 意表を突かれた形となった一同は、慌てたように振り返る。

 

「それくらいにしとけば。見苦しいにも程があるわよ」

 

 そこには、ワルサーPPKを真っ直ぐに構えた彩夏が、不敵な笑みと共に睨みつけていた。

 

「このッ いきなり何しやがる!?」

 

 激昂する男達を余所に、彩夏は涼しい顔のまま肩を竦める。

 

「別に。あんまりうるさかったから、静かにしてもらおうと思っただけよ」

「テメェッ」

「まぁ、待て」

 

 激昂しそうになる仲間達を、先程、彩夏に撃たれたリーダー格の男が制した。

 

 防弾制服越しとは言え背中をまともに撃たれたにもかかわらず、もう復活している辺りは、流石は強襲科と言うべきか。

 

「言っておくが、俺達は強襲科だ。それを承知で喧嘩売って来てるんだろうな?」

「知ってるわよ。頭悪そうな顔してるしね」

 

 啖呵を切ろうとする男に、彩夏は間髪入れずに挑発を返す。

 

 そこへ、茉莉も加わった。

 

「肩書きを振り翳さないと喧嘩もできませんか?」

「最近の強襲科も安っぽくなったわね」

 

 その言葉が、限界だった。

 

 そもそも、腕自慢の脳筋自慢である強襲科学生に、「自制する」と言う選択肢があるとは思えない。

 

 女に舐められてたまるか、と言うプライドもあるのだろう。

 

 茉莉と彩夏の言葉が引き金となり、男達は一斉に襲い掛かって来た。

 

 筋骨たくましい男達が、壁のように襲い掛かってくる姿は、確かに迫力がある。

 

 だが、

 

「所詮は、それだけですね」

 

 茉莉が淡々と呟いた瞬間、

 

 戦闘の男が、何かに足を引っ掛けて転倒した。

 

「グヘラッ!?」

 

 顔面から床に突っ込む男。そのまま自分の体重と突進力が凶器となり頭を強打、失神して動けなくなった。

 

 笑顔を向ける茉莉。

 

 その先には、ピースサインを向けて来る瑠香の姿があった。

 

 瑠香は茉莉と彩夏が相手を挑発している隙に、密かに彼等の足元にワイヤーを張っておいたのだ。突進してきた相手が転ぶように。

 

 諜報科所属で、しかも忍びの末裔である瑠香。しかも相手は、頭の悪そうな強襲科学生である。全く気付かれる事のないまま、罠の準備を完了していたのだ。

 

「ヤロォ!!」

 

 その様子に、とうとう激昂した男達が突っ込んで来る。

 

 相手は3人。しかも、見るからに体が細い女ばかり。まともに戦えば、強襲科の自分達の方が強い筈だ。

 

 そう思った瞬間、

 

 茉莉の姿が、彼等の目の前から掻き消えた。

 

 次の瞬間、

 

「こっちですよ」

 

 すぐ目の前に、腰をかがめた状態で立つ茉莉。

 

 その手には納刀したままの菊一文字がある。

 

 鞘走る一閃。

 

 一撃が男の胴に命中し、大きく吹き飛ばした。

 

 その間に彩夏はワルサーをフルオートに切り替えて斉射。更にもう1人の男に弾丸をシャワーの如く浴びせて床に這わせた。

 

「ば、馬鹿なッ・・・・・・」

 

 絶句する、リーダー格の男。

 

 ほんの一瞬のうちに、自分の仲間達が皆、床に沈んでしまったのだから無理も無い事だった。

 

 そこへ、

 

 チャキッ

 

 茉莉が刀の切っ先を、リーダーの首筋に突きつけた。

 

「まだやりますか?」

「クッ・・・・・・」

 

 実力差は歴然だった。

 

 茉莉は探偵科、彩夏は車輛科、瑠香は諜報科。この中に強襲科の者は1人もいない。唯一、彩夏がマンチェスター武偵校で強襲科を履修済みであるのみだ。

 

 しかし彼女達は皆、これまで何度も死線を潜り抜けて来た実戦経験がある。訓練だけで満足し、弱い者を苛めて悦に浸っているだけの連中に負ける筈が無かった。

 

「お、覚えてやがれ!!」

 

 ステレオ的な捨て台詞を残し、リーダー格の男は駆け去っていく。床に倒れた仲間達を見捨てて。

 

 その後ろ姿を見送ってから、茉莉は刀を鞘に収めると、先程まで苛められていた男子生徒の元へと駆け寄った。

 

「大丈夫ですか?」

「う・・・・・・うぁぁ・・・・・・」

 

 声を掛ける茉莉に対して、呻くような声を上げながらも、どうにか頷いて来る。

 

 気弱そうな少年だ。制服を着ていなければ、とても武偵校生徒には見えないだろう。

 

 茉莉はできるだけ不安を与えないよう、笑顔のまま話しかける。

 

「私は探偵科2年の瀬田茉莉と言います。良かったら、名前を聞かせてもらえませんか?」

 

 少年は怯えたような目をしていたが、やがて茉莉に害意は無いと思ったのだろう。震えるように口を開いた。

 

「石井・・・・・・石井忠志(いしい ただし)・・・・・・装備科(アムド)2年、です」

「石井君ですか。もし、また何か困った事があったら、私に連絡してください」

 

 そう言って、茉莉はニッコリ微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時まだ、茉莉に気付く筈も無かった。

 

 この事が、後に重大な事件に巻き込まれる事になる予兆であったと言う事に。

 

 

 

 

 

第1話「ガールズ・トーキング」      終わり

 


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