緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第2話「優しさの代償」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強襲科と言う学科は、その性質上、どうしても生傷が絶える事が無い。

 

 切った張ったが商売内容であるのだから、それも無理からぬことである。

 

 加えて、戦いで得た傷と言う物は強襲科の生徒にとっては一種の勲章みたいなものである。それ自体が、どれだけの激戦を潜り抜けて来たかを現わすステータスとなるからだ。

 

 相良陣もまた、その例に漏れず体中傷だらけである。

 

 特にひどいのは、5月の魔剣事件の折りに鬼達磨(丸橋譲治)に槍で刺された腹の傷だろう。あの時は槍の穂先が体を貫通して、背中にまで達していたのだ。

 

 普通の人間なら致命傷となってもおかしくはない傷だが、しかし、陣は、槍の穂先が刺さったまま、自分で歩いて救護科まで行き、あまつさえ入院翌日には病院を抜け出して遊び歩いていたと言うのだから、この男の体がいかに常識外であるか窺えるだろう。

 

 そんな訳で、生傷が絶えない陣として、訓練後に救護科に通う事がある意味日課のようになっていた。

 

「あんたね・・・・・・」

 

 診察に応じた高荷紗枝が、呆れ気味に溜息をつく。

 

「こう毎回毎回来られたんじゃ、うちの備品の在庫はあっという間に底を突くわよ」

 

 不平を言いながらも、陣の体の傷を丁寧に消毒し、包帯を巻いて行く手際に淀みは無い。

 

 呆れかえる患者であっても、手を抜くような事をしないのは、医者の端くれとして称賛に値する事であろう。

 

「まあ、そう言うなよ。俺と姐御の仲だろ」

「どんな仲でもないでしょ」

 

 グリッ

 

 言いながら紗枝は、消毒薬を湿らせた脱脂綿で陣の腕の傷をわざと抉るように動かす。

 

「グォォォォォォォォォォォォ」

 

 これにはさすがに耐えがたい物があったらしい。

 

 激痛で陣が悶絶している内に、さっさと手当てを済ませてしまう紗枝。

 

 やがて処置も終わり、陣は紗枝を少し恨みがましい目で見ながら制服を着込んで行く。

 

「サンキューな、姐御」

「ったく、あんたならそれくらいの傷、唾でも付けておけば治るでしょうが。いちいちうちに来ないでよ」

「まあ、そうなんだがよ。折角ある物は、活用しないと損だろ」

「毎日のように来られる、こっちの身にもなりなさい」

 

 呆れ気味にそう言い、薬箱を棚に戻す紗枝。

 

 そんな紗枝に、陣はふと思い出した事を口にしてみた。

 

「なあ、姐御。ちょいと友哉の事で、気になる事があるんだが、聞いてくんねーか?」

「緋村君の事?」

 

 少し真面目さを帯びた陣の言葉に、紗枝も手を止めて振り返る。

 

 イクスのメンバーの中で、紗枝が最も長い付き合いなのが友哉だ。その友哉に関わる事となると、流石に看過できなかった。

 

「いや、この間の事なんだがな」

 

 陣は、先日のエムアインスとの決戦の事を、紗枝に語って聞かせた。

 

 あの時友哉は、正しく豹変と呼んで差支えが無い程に、普段からかけ離れた様相をしていた。

 

 惜しげも無く振りまかれる凄惨な殺気と、相手を殺す事も厭わない攻撃。それらは、普段の温厚な少年像からは、ひどくかけ離れたものであった。

 

 そう、まるで本物の「人斬り」と化したかのように。

 

 そして、陣、茉莉、瑠香、彩夏が束になっても敵わなかったエムアインス相手に互角以上の戦いを演じ、ついには辛くも、ではあるが倒すまでに至ったのだ。

 

「ありゃ、どう考えても普通じゃねえぜ。俺は見るのは初めてだったが、四乃森とか瀬田は、前にも友哉がああなったところを見た事あるらしい」

「う~ん・・・・・・あたしは、その現場を見てないから何とも言えないんだけど・・・・・・」

 

 少し悩むように考え込んでから、紗枝は顔を上げた。

 

「もしかして、二重人格みたいなものかしら?」

「確かに、それに近いっちゃ、近いんだがよ・・・・・・」

 

 陣は歯切れ悪く答える。

 

 どうにも、何か納得がいかない様子だ。

 

「気になるんなら、一度診てもらいましょうか? 救護科には精神科専門のカウンセラーもいるから、緋村君を連れて来るなら話を通しておくわよ」

「いや、そこまでする程のもんじゃ、ねぇと思うんだが・・・・・・」

 

 気になると言えばもう一つ。

 

 友哉が最後に使った抜刀術もそうだ。

 

 目視すら不可能な鞘走りに、大柄な人間一人を上空高く吹き飛ばせるほどの破壊力。

 

 友哉自身、成功率が低く、リスクの高い技だと語っていたが、あの威力は尋常ではない、と陣は感じていた。

 

 加えて、放った直後に友哉自身に帰って来たダメージ。

 

 エムアインスと互角に戦うだけの戦闘力を見せていた友哉が、ただの一撃で戦闘不能になってしまったのだ。

 

 あんな技が、普通である筈がない。

 

 あの技は、何れ友哉自身を滅ぼす事になりかねない。陣には、そう思えてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緋村友哉は、若干の戸惑いから抜けだせないでいた。

 

 時刻は8時少し前。今は寮を出て学校に向かっている最中。横には同室の四乃森瑠香と瀬田茉莉が並んで歩いている。

 

 問題なのは、茉莉の方だった。

 

 どうも、ここ数日、彼女の様子がおかしいのだ。

 

 話しかけても上の空だし。かと思えば、気付けば友哉の顔をボーっと見ている事が多い。自分の顔に何かついているのだろうか、と思わず真剣に鏡と睨めっこをしてしまったほどだ。

 

 今も、そうだ。

 

 先程から一言もしゃべる事無く、何やら思いつめたように、真剣な眼差しで俯いているように見える。

 

「あ、あの、茉莉?」

 

 恐る恐ると言った感じに声を掛ける友哉。

 

 と、

 

「ひ、ひゃいッ!?」

 

 思いっきり裏返った声で返事をする茉莉。どうやら考え事をしていたところに声を掛けられたせいで慌ててしまったようだ。

 

「あ、ご、ごめん。でも、何だか悩んでるみたいだけど、どうかしたの?」

「そ、それは・・・・・・」

「僕で良かったら、相談に乗るけど?」

 

 友哉としては100パーセント純粋な善意として言っているのである。

 

 が、当の茉莉としては、正に悩みの元である友哉からそのような気遣いをされては、却って言い淀んでしまうと言う物である。

 

 茉莉の悩み。それは、数日前に瑠香と彩夏から後押しを受けた件である。即ち「どうやって友哉に告白するのか」と言う事だ。

 

 簡単なようでいて難しいこの問題。奥手の茉莉にとっては高すぎるハードルとなって目の前にそびえ立っていた。

 

 そのせいで、ここ数日まともに眠れない日々が続いている。

 

「い、いえ、それは・・・・・・」

 

 口を噤んだ時、チラッと傍らの瑠香の姿が目に入った。

 

 瑠香は拳を作り、盛んにそれを振っている。『行けッ 行けッ』と、心の中で囃し立てているのだ。

 

 顔を上げる茉莉。

 

 その瞳は真っ直ぐに友哉を見詰めている。

 

「ゆ、友哉さんッ」

「おろ?」

 

 茉莉は真剣な眼差しを向ける。

 

「その・・・す・・・す・・・・す・・・」

 

 おお、ついに告白するのかッ!?

 

 瑠香が身を乗り出す中、

 

 茉莉は勢い込んで、

 

 

 

 

 

「す、寿司飯って、どうしてあんなに酸っぱいんでしょうかッ!?」

 

 

 

 

 

 ガクッ

 

 思わず、その場でズッコケる瑠香。

 

 友哉も目を丸くして、突然トンチンカンな質問をしてきた少女を見詰める。

 

「・・・・・・え、えっと、あれは確か、炊き立てのシャリを冷ます為だとか、ネタの鮮度を保ち易くするために酢を入れるっていう理由だった気がするよ。僕も、よく判んないけど」

「そ、そうですか・・・・・・・・・・・・じゃ、なくてッ!!」

 

 再び顔を上げる茉莉に対し、友哉は思いっきり怪訝な顔つきになる。

 

 さっきから茉莉が何をしたいのか、さっぱり判らないのだ。

 

「友哉さんッ」

「は、はい?」

「す・・・・・・す・・・す・・・すき・・・・・・」

 

 おお、今度こそ頑張れッ!!

 

 瑠香が心の中で精一杯のエールを送る中、

 

 茉莉は意を決して顔を上げた。

 

 

 

 

 

「す、すき・・・すき焼きが美味しい季節になりましたねッ!!」

 

 

 

 

 

「あ~、うん、そうだね」

 

 目が点になりながら、適当に相槌を打つ友哉。何だか、茉莉と言う少女の事が判らなくなりつつあった。

 

 言ってから、茉莉はハッと我に返る。

 

「い、いえッ あのッ だから、その・・・・・・」

 

 わたふたと両手を振りまわす茉莉。

 

 と、

 

 ギュムッ

 

「キャァッ!?」

 

 突然、茉莉は悲鳴を上げ、お尻を押さえる。

 

 涙目で振りかえると、そこにはジト目で睨んで来る瑠香の姿があった。

 

 あまりにヘタレまくる茉莉のお尻を、瑠香が思いっきりつねったのだ。

 

《な~にしてるのかな~茉莉ちゃんは?》

《ご、ごめんなさい~》

 

 マバタキ信号でそんな事をやり取りする2人を、完全に置いてけぼりを食らった友哉は、怪訝な顔つきで見詰めている事しかできなかった。

 

『まったく、もうッ・・・・・・』

 

 心の中で、瑠香は溜息をつく。

 

 茉莉が奥手なのは知っているが、こんな調子では卒業までに告白できるかどうかすら微妙だった。

 

 結局、その後も3人は、学校に着くまで、微妙な空気を引きずったまま歩き続けるしか無かった。

 

 玄関から校舎に入り、上履きに換えた時だった。

 

「あの・・・・・・瀬田、さん・・・・・・」

 

 黙っていれば、思わず聞き逃してしまいそうなほど、小さな声で名前を呼ばれ茉莉は振り返る。

 

 そこには、どこかで見覚えのある大柄な男子生徒が立っていた。

 

「ああ、石井君・・・・・・」

 

 それは先日、ロキシーで強襲科の生徒に絡まれているのを助けた、石井忠志だった。

 

 相変わらずオドオドと気弱そうな顔で、視線を合わせる事無く茉莉の方を見ている。

 

 茉莉はあれから何度か、石井が持ちかけて来た相談にのってあげ、その都度、的確なアドバイスをしてあげていた。

 

 その為、今では彼の少し気弱そうな顔を、すっかり御馴染となっていた。

 

「・・・あ、あの・・・・・・ちょっと、相談、良い、かな?」

 

 辛うじて聞き取れる程度の声で、そう言ってくる石井。

 

 対して茉莉は、少し考え込むようにしてから答える。

 

「それは・・・・・・構いませんけど・・・・・・」

 

 元々、何かあったら相談に来て良いと言ったのは茉莉の方である。どうやら、今日も相談したい事があって来たようだ。

 

 ならば、断る理由は茉莉には無かった。

 

 言ってから茉莉は、友哉の方に振りかえる。

 

「すみません、友哉さん。そう言う事なので、先に行っていてもらえますか?」

「うん、構わないよ」

 

 二つ返事で了承する友哉は、そのまま並んで去っていく茉莉と石井の姿を見送る。

 

 そこへ、瑠香がやってきた。

 

「あれ? あれってこの間の人だ・・・・・・また来てたんだ」

「瑠香、あの人の事、知ってるの?」

 

 少し呆れ気味に言う瑠香に、友哉は視線を向けて尋ねる。

 

「うん。この間ね・・・・・・」

 

 瑠香は友哉に、事の顛末を話して聞かせた。

 

 ロキシーでの事。そこで強襲科の生徒に絡まれていた石井を助けた事。それを機に、石井が頻繁に、茉莉に相談事を持ちかけている事。

 

 瑠香の話を聞いて、友哉は感心したように鼻を鳴らした。

 

「成程。そんな事があったんだ」

「茉莉ちゃんも真面目だよね。あんな言葉、リップサービスぐらいに考えてればいいのに」

 

 瑠香の言葉を聞いて、友哉は苦笑した。

 

 確かに、瑠香の言うことにも一理ある。きっと普通の武偵校生徒なら、石井とこれ以上関わるのは控えるだろう。武偵憲章4条に「武偵は自立せよ」とある。逆を言えば、自立できない武偵は半人前にも満たないと言う事だ。

 

 それ故に、助けてもらった後も茉莉を頼るような真似をしている石井は、本来であるなら武偵として相応しいとは言えない。茉莉が仮に彼を無視したとしても、誰も彼女を責める者はいないだろう。

 

 しかし、それができない所が、ある意味、茉莉の魅力と言えるのではないだろうか? 

 

 そして、だからこそ、友哉は瀬田茉莉と言う少女に恋をしたんだと確信していた。

 

「良いの、友哉君?」

「おろ?」

 

 瑠香が少し、呆れ気味に尋ねて来る。

 

「茉莉ちゃんにあんな事させといて?」

「いかにも、彼女らしいじゃない。良い事だと思うよ」

 

 そう言って笑い掛けると、瑠香の頭をポンと叩いて歩き出す。

 

 その背中を、溜息交じりに見詰める瑠香。

 

 正直、この鈍感君と奥手(ヘタレ)ちゃんのカップルを、どうくっつければ良い物か、悩まずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 キンジとレキが教務課由来の特秘任務を負って学園島を離れた為、2年A組の彼の席は常に空席となっていた。

 

 もっとも、キンジは元々、目立つ事を嫌う性格をしていた為、彼が抜けた事でクラス内の空気が重くなる、と言う事は無かったのだが。

 

 問題はクラスよりも、バスカービルの方だろう。

 

 元々は、キンジ、アリア、白雪、理子、レキの5人だけだったチームも、倒した眷属や無所属のメンバーも引き入れて、戦力を拡大している。

 

 その中で主要戦力であるキンジとレキが抜けたと言う事もあるが、何よりキンジがいなくなった事で、ある意味、中心となるべき人間を欠いた状態となっていた。

 

 元々、キンジは(彼自身は意識していなかったが)高いカリスマ性を備えた存在であった。彼がいたからこそ、アクの強いメンバー揃いのバスカービルが一つにまとまっていたのだ。

 

 残っているメンバーでは、どう考えてもキンジが抜けた穴を埋めるには及ばないだろう。

 

 アリアは戦闘力が高く尚且つ仕切り屋でもあるが、自身の直感を重視して突っ走る傾向がある。白雪は生徒会長も務めており纏め役に向いているが、どちらかと言えば後方支援向きであり、前線指揮官と言うタイプでは無い。理子は自由奔放に動くタイプであり、明らかに全体指揮には向いていない。ワトソン、ヒルダ、かなめと言った後発組は言うに及ばずである。

 

 つまり、曲がりなりにもバスカービルがチームとして動いていたのは、キンジと言う存在がいかにも大きかった事を示していた。

 

 そのような状況である。キンジを欠いたバスカービルが、普段にもまして統率が取れなくなるのは無理からぬことでもあった。

 

 それでなくとも、キンジとレキが抜けた穴は大きい。いつ眷属陣営が攻めて来ないとも限らない現状において、戦線の穴埋めは早急にする必要があった。

 

 そんな事を友哉が考えていると、ホームルームの開始を告げる予鈴が鳴り響いた。

 

 と同時に、滑り込むようにして茉莉が教室に駆けこんで来る。

 

 用事の方は終わったのだろうか?

 

 そう思って、友哉が隣の席に座る茉莉に目をやると、何か紙のような物を深刻そうに眺めていた。

 

「おろ? 茉莉、それは?」

 

 友哉に話しかけられた瞬間、思わず茉莉はビクッと肩を震わせながら振り返った。

 

 そんなに驚くとは思っていなかった友哉は、少し怪訝そうにするが、その間に茉莉は、隠すように手に持った紙を机の中に仕舞ってしまった。

 

「い、いえ、何でも無いんです」

「いや、何でも無いって・・・・・・・・・・・・」

 

 あからさまに不審な態度をされて気にならない訳がない。

 

「ほんとに、何でも無いんです。あ、ほら、先生が来ましたよ」

 

 茉莉の言うとおり、担任の高天原ゆとりが扉を開けて教室に入って来る所であった。

 

 先生が来た以上、これ以上私語をするのは躊躇われる為、友哉も追求を諦めて前を向くしか無かった。

 

 だが、茉莉の態度が気にならない訳ではない。

 

 他の者ならいざ知らず、相手が茉莉であるからこそ、気にせずにはいられなかった。

 

 自身が想いを寄せる少女が、自分に隠し事をしている。

 

 その事が友哉には、何となく面白くないように思えて仕方が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休みに入り、それまで机の上で不毛な戦いを強いられていた学生達は一斉に解き放たれ、悲鳴を上げる胃袋を満足させるべく、それぞれの行動を開始する。

 

 イクスメンバーもまた、例外ではない。

 

 全員、いつものように食堂に集まって、それぞれの食券で得た食事を手に席に着く。

 

 季節柄だろう。全体的に暖かい物が多く締められている。

 

 だが、

 

「あれ?」

 

 席に着いた時点で、何かに気が付いた陣が不審そうに声を上げた。

 

「そう言えば、瀬田はどうした?」

 

 見回しても、茉莉の姿はそこにはない。いつもなら、みんなの分のお茶がいきわたっているのか確認するくらいの気遣いを見せる茉莉がいない事が、少し意外だったのだ。

 

「うん、何か用事があるから、先に食べててくれってさ」

 

 答える彩夏の言葉を聞きながら、友哉は先程の茉莉とのやり取りを思い出していた。

 

 どうやら、今朝茉莉が、友哉から隠すようにした紙は、誰かからの手紙であったらしい。

 

 茉莉は、その手紙に呼び出されて出て行ったのだ。

 

 それは良いのだが、なぜ、それを自分に隠すようにしなければならなかったのか、友哉には判らなかった。

 

『・・・・・・まずいまずい』

 

 友哉は軽く頭を振って、ネガティブに陥りかけた思考を呼び戻す。

 

 別に付き合っている訳でもない茉莉を束縛する権利は、友哉には無い。勿論、付き合っているからと言って束縛して良いと言う理由にはならない。

 

 茉莉は困っている人を放っておけないからこそ、石井と言う装備科の男子を助ける決断をした。それが彼女にとっての美点であり、彼女に惹かれる者としては、むしろ誇らしく思うべきだろう。

 

 そんな友哉の様子を横目で見ながら、瑠香は内心、これは良い機会ではないかと考えていた。

 

 茉莉が今更、友哉以外の男に靡くとは思えない。それは半年以上一緒に暮して来た瑠香にとっては確信に近い結論であった。ましてか、石井のキャラクター性は、友哉とはほぼ正反対と言っても良い存在だ。言っては何だが、石井は茉莉の好みからは大きく外れているだろう。

 

 だが、石井の存在そのものが、この停滞した状況の突破口になる可能性は期待できる。

 

 兎角、友哉にしろ茉莉にしろ、暢気すぎるきらいがある。

 

 恋は駆け引きであり戦いでもある。

 

 2人のようにのんびりし過ぎていたら、相手を捕まえる事はおろか、永遠に堂々巡りをやっている羽目にもなりかねない。

 

 今回の件が、うまく功を奏してくれたら、2人の仲も進展するのではないか、と考えていた。

 

 その時だった。

 

「緋村君ッ!!」

 

 突然、大声で名前を呼ばれ、友哉は食べる手を止めて振り返る。

 

 そこには、血相を変えて走って来る紗枝の姿があった。

 

「おろ、高荷先輩、どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも無いわよッ 大変なの!!」

 

 普段、殆ど取り乱す事のない紗枝が、我を失うほど慌てている。その事から、何か尋常でない事が起こっている事が覗われた。

 

 

 

 

 

 話は若干、時間を遡る。

 

 友哉や彩夏が食堂に誘うのを辞し、1人正面玄関に向かっているのは茉莉である。

 

 その顔には、困惑と憂鬱が入り混じった表情を張り付けている。

 

「・・・・・・困りました」

 

 実際に言葉に出してから、茉莉は溜息をつく。

 

 その手には、今朝、石井から手渡された手紙があった。

 

『もう少し相談したい事があるので、昼休みに一般科棟正面玄関まで来てください』

 

 文面には、そうあった。

 

「これって・・・・・・多分、そう言う事なんですよね」

 

 「彼氏いない歴=年齢」の茉莉は、今までこの手の物を貰った事がない。普段の茉莉であるなら、恐らくピンとこなかっただろう。

 

 だが幸か不幸か、最近、その手の話題に事欠かない為、その意味を理解してしまった。

 

 ラブレター

 

 古式ゆかしい恋愛の文化である。携帯メール全盛の昨今であっても、やはり想いを伝えるのに最良の手段と言えた。

 

 自分を慕ってくれている異性がいる。ただそれだけなら、決して悪い気はしないだろう。

 

 しかし、それはあくまでも普段の話である。

 

 今の茉莉は、自分の中にある友哉への気持をはっきりと自覚している。その為、正直、この手の物は迷惑でしか無かった。

 

「と、とにかく、こう言う事は、相手にあまり気を持たせるような事をしてはいけない・・・・・・て、この前、瑠香さんが言ってましたし、ここはハッキリ断った方が良いでしょうね」

 

 独り言をブツブツ言っている内に、茉莉の足は正面玄関に着いてしまう。

 

 とにかく、まだ話がそうときまった訳ではないのだ。もしかしたら、全然違う話である可能性だって残されている訳だし。

 

 だがもし、本当に予想通りの話であったなら、まずはきっちりと断る。相手を傷付けないようにする為にも、それが一番だと思った。

 

 探すまでも無く、石井の姿は茉莉の視界に入った。大柄である為、探す手間が省けたのだ。

 

「あ、せ、瀬田さん・・・・・・」

 

 石井の方でも茉莉の姿を見付け、ぎこちなく笑顔を見せて来る。

 

「すみません、石井君。遅くなりましたか?」

「い、いや、僕も、今、来たところだから・・・・・・」

 

 相変わらず、聞き取り辛い低い声で石井は喋っている。

 

 茉莉も、彼の相談に乗るようになった当初は、この聞き取りにくい声に苦労した物である。

 

 石井は様々な事を、茉莉に相談してきた。

 

 強襲科の生徒にいじめを受けた事。成績が下がり気味な事。友達がなかなかできない事。その他にも、装備科で自分が作った武器の事を、自慢げに話してくれた事もあった。

 

 それらをいちいちきちんと聞き、茉莉は時にアドバイスを与え、時に一緒に悩んでもやった。

 

 今回も、同じような用件であって欲しい、と思っている。

 

 そんな茉莉に対し、石井は躊躇うように下げていた視線を上げて、真っ直ぐに見詰めて来た。

 

「せ、瀬田さん!!」

「は、はい!?」

 

 突然大声を上げた石井に、思わず茉莉の大声で返してしまう。

 

 その勢いを借りるように、石井は一気にたたみかけた。

 

「好きですッ、僕と、付き合って下さい!!」

 

 その言葉を聞きながら、

 

 茉莉は心の中で「ああ、やっぱり・・・・・・」と呟く。同時に、この思い切りの良さが羨ましくも感じた。

 

 自分にもこれくらいの思い切りの良さがあれば、友哉に対して、こうも奥手になる事も無いだろうに。

 

 だが、石井に対する羨望はともかく、その想いを受け止める事はできない。

 

 故に、

 

「・・・・・・ごめんなさい」

 

 この言葉は、茉莉にとって必然だった。

 

「あの・・・・・・私、今・・・・・・好きな人がいるんで。その・・・あなたの気持には、答えられません・・・・・・」

 

 本来、この言葉は、言わなくても良い言葉だっただろう。

 

 だが、相手の好意に対する若干の後ろ暗さから、茉莉は言い訳せずにはいられなかった。

 

 対して、石井は口を半開きにしたまま茉莉を見詰めている。

 

 あまりの事にショックを受けているのだろうか。

 

 そう思ったのだが、

 

「おいおい、瀬田さん、何言ってんの?」

「え?」

 

 まるで茉莉が、至極簡単な質問に対して、間違った回答をしたかのように、石井はうすら笑いを張り付けて言う。

 

「ここは、冗談を言う所じゃないよ」

「え、何、言ってるんですか?」

 

 キョトンとする茉莉。勿論、冗談を言っているつもりはない。茉莉は石井の告白に対して、正面から受け止め、そして断ったのだ。

 

 だが、茉莉の真意が伝わっていないかのように、石井は更に言い募る。

 

「いやいやいや、今ので、瀬田さんが落ちない筈ないって。何回もシュミレーションしたんだから、間違いないって」

「そ、そんな事言われても・・・・・・」

 

 困惑する茉莉。

 

 何だろう、この感覚は?

 

 まるで演劇の舞台の上で、相方とのセリフがかみ合わないかのようなもどかしさを感じる。

 

「このシチュエーションだって、一生懸命考えたんだよ。こう言う目立つ場所で告白すれば、奥手の瀬田さんは断る事ができないだろうって・・・・・・」

 

 石井の声に異様な熱が言葉に籠り始めるのを感じる茉莉。だが、その場に釘づけにされたかのように、茉莉は動けずにいる。

 

「大体、何が不満なの? 僕は瀬田さんの事なら、何でも知っているよ。得意な教科も、好きな食べ物も、趣味も、身長も、体重も、スリーサイズも!!」

「な、何で私のスリーサイズを知っているんですかッ!?」

 

 思わず胸を押さえて茉莉は顔を赤くする。まあ、もっともお世辞にも(主に胸のあたりが)自慢できる体型とは言い難いのだが。

 

 だが、そんなことはお構いなしに、石井はヒートアップする。

 

「好きな子の事なら、全部知っていて当然だろ」

 

 自慢げに言う石井。

 

 その双眸に、常軌を逸脱し始めた光が宿り始めているのを、茉莉は見逃さなかった。

 

 そんな茉莉に、石井は掴みかからんばかりの勢いで迫って来る。

 

「教えてくれッ 瀬田さん。僕の、一体どこがいけないんだ!?」

 

 対して、茉莉は逆に、冷静さを帯びて行くのを感じた。

 

 この手の熱し過ぎた手合いに対し、自分まで熱を持ってしまってはいけない。あくまで冷静に、咬んで含むように言って聞かせるのが得策だった。

 

 息を吐き出し、茉莉も真っ直ぐに石井を見る。

 

「ですから・・・・・・あの、私・・・・・・他に好きな人がいるんです」

 

 茉莉が、決定的な一言を口にした瞬間、

 

「何だあれ、ダッセ。振られてやがる」

「ちょっと、やだぁ 馬鹿じゃないの?」

「シッ 聞こえるって」

「構わねェんじゃねェの? こんな所で告る方が馬鹿なんだよ」

 

 周りにいた学生達が、口々に石井を指差して嘲笑する。

 

 なまじ、大きな声を出していたので、茉莉達は周囲の視線を集めていたのだ。加えてここは正面玄関前。目立たない訳がない。

 

 自分を嘲る声を聞き、石井は再び俯き、その大柄な体を震わせる。

 

「あ、あの、石井君・・・・・・」

 

 そんな石井に対し、茉莉は躊躇いがちに声を掛けようとした、

 

 次の瞬間、

 

「うがァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 石井は突然、ガバッと顔を上げたかと思うと、奇声を上げて茉莉に跳びかかって来た。

 

「キャッ!?」

 

 思わず怯む茉莉。

 

 この時茉莉は、石井に対し不用意に近付き過ぎていた。

 

 その為、気付いた時には、茉莉は石井に背後から拘束され、その体を締め上げられていた。

 

「もうダメだ、もう僕はおしまいだ!!」

 

 茉莉を抱えたまま、絶望的な叫びを上げる石井。

 

 対して、突然の事で呆然としていた茉莉も、我に返って叫ぶ。

 

「い、石井君、お、落ち着いてください!!」

「うるさいッ!! 僕はもう、おしまいなんだよ!!」

 

 言い放つと、左腕で茉莉の細い体を拘束し、右手は、腰からナイフを抜き放って茉莉の頬に当てた。

 

「ッ!?」

 

 一瞬、刃の冷たい感触に息を飲む茉莉。

 

 この手の荒事には馴れている茉莉でも、ナイフを直接顔に当てられて怯まない筈がなかった。

 

「お、おい、その娘を放せ!!」

「馬鹿な真似はやめなさいッ」

 

 周囲で先程まで石井を罵っていた生徒達も、ようやく状況が尋常でない事を察し、収拾の為に動きだす。

 

 しかしいかに武偵であっても、狂躁状態の人間を言葉だけで説得するのは難しい。

 

「うるさい、黙れッ!! 瀬田さんに振られた以上、僕はもう、生きてたってしょうがないんだッ だから、瀬田さんを殺して僕も死んでやる!!」

 

 石井がめちゃくちゃにナイフを振り回すと、即席の包囲網は呆気なく崩れて四散してしまう。

 

 その様子を見ながら、石井はニヤリと笑う。

 

 そこには最早、先程まで存在した気弱な少年はいない。狂気に走った犯罪者がいるだけだった。

 

「さあ、瀬田さん。行こうか。僕と君だけの楽園へ」

 

 完全に常軌を逸した石井の言葉に、茉莉は背中が寒くなるのを禁じ得なかった。

 

「そうだ、どうせなら、君をたぶらかした男にも見せてやろう。君が処刑されるところをね」

 

 石井の言葉に、茉莉はハッと顔を上げる。

 

『友哉さん・・・・・・・・・・・・』

 

 その脳裏には、想いを寄せる少年の温和な顔立ちがハッキリと浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 紗枝から知らせを受けた友哉達が駆けつけた時、既に現場は校庭へと移され、そこには包囲するように黒い人だかりができ上がっていた。

 

「何か、凄い事になってるねッ」

 

 ピョンピョンと跳びはねながら、瑠香が緊張した面持ちで言う。人垣が高過ぎて、彼女の背では中の様子が見えないのだ。

 

 それは友哉も同じである。男子としては比較的小柄な友哉では、中の様子を覗う事ができない。

 

 中で一体、どうなっているのか。

 

 茉莉は無事なのか。

 

 焦る気持ちが、水に浸したように増えて行く。

 

 その時、

 

「友哉ッ!!」

 

 名前を呼ばれて振り返ると、アリアが長いピンク色のツインテールを靡かせて走って来るところだった。

 

「アリアッ」

「話は聞いたわ。茉莉が人質になっているそうね」

 

 すでに周知メールが出されている。加えて今は平日の昼休み。殆どの学生が学校にいる。現場の状況は、既に大半の生徒に知れ渡っていた。

 

「既に強襲科(アサルト)の制圧チームが動いているわ。狙撃科(スナイプ)にも出動要請が出てる。アンタ達も手伝いなさい」

 

 ここは自分達にとってのホームグランド。制圧作戦の立案、実行も速やかに行える。

 

 だが、友哉は狙撃科が出動している事態に、僅かな難色を示した。

 

 うちの狙撃科を信用していない訳ではないが、万が一、茉莉を誤射をしてしまう可能性も考慮すると歓迎すべき事態では無かった。せめて、レキがいてくれたら安心できたのだが。

 

 その間にも、どうやら包囲網の内側では石井に対する説得と、時間稼ぎが行われていた。

 

「と、とにかく落ち着け。まずはナイフと、その娘を下ろすんだ!!」

 

 尋問科(ダギュラ)の生徒が、必死になって宥めようとしている。

 

 だが、

 

「煩い!! 早く、この女をたぶらかした男を連れて来い!! そいつも一緒に殺してやる!!」

 

 言いながら、抱えている茉莉の頬に刃を押しあてる。

 

 白い頬が、ナイフによって僅かに斬られ、鮮血が滲み出る。

 

 そんな中で、茉莉は成す術も無く捕らわれている事しかできない。

 

 一見すると気弱そうに見える石井だが、その大柄に違わず、凄まじい腕力で茉莉の華奢な体を締め上げている。茉莉の腕力では、到底解けそうになかった。

 

 加えて、石井と茉莉では頭2つ分くらい背丈が違う為、抱え上げられると完全に地から足が離れてしまう。茉莉の強さは、あくまで縮地を利用した高速戦闘にある。つまり、地面から足を離されてしまうと、殆ど何もできなくなってしまうのだ。

 

 せめて、サイドアームとして携行しているブローニング・ハイパワーを抜ければ良いのだが、腕ごと拘束されている為、スカートの下のホルダーに手が届かない。

 

 つまり、今の茉莉は全ての反撃手段を封殺されているに等しかった。

 

『クッ・・・・・・このままじゃ、まずい・・・・・・』

 

 締めあげられ痛む体に顔を歪めながら、茉莉はどうにか、この状況を抜けだす手段を模索する。

 

 既に友哉も、この事態を知っている可能性が高い。

 

 もし友哉がここに来たなら、石井がこれ以上何をするのか想像もできなかった。

 

 包囲している生徒達も、茉莉が人質にされている関係で、遠巻きに見ている事しかできない様子だ。

 

『わ、私が、何とか、しないと・・・・・・あぐッ』

 

 どうにか拘束から抜け出そうともがくが、一層体をきつく締めあげられ、殆ど身動きができなくなってしまった。

 

「残念だったね、瀬田さん。どうやら、君と一緒に死のうって言う勇気を持ったやつはいないみたいだ。けど、安心して良いよ。僕は絶対に、君を1人ぼっちにはさせないからね」

 

 得意の絶頂と言った感じの石井が、勝ち誇ったようにそう言った時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場の空気が、一変した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空気そのものが粘つくような、そんな錯覚が支配する。

 

 まるで、コールタールの海に、放り込まれたかのようだ

 

「な、何だ・・・・・・これ・・・・・・」

「く、苦しい・・・・・・」

「気持ち、悪い・・・・・・」

 

 包囲していた生徒達が、次々とその場に倒れ伏して行く。

 

 装備科や車輛課、救護科など、荒事に向かない学科の生徒などは、失神する者まで出ている。

 

「な、何だよ、これはッ!?」

 

 その異様な光景に、石井もまた困惑の表情を浮かべる。

 

 「気当たり」と言う言葉がある。

 

 殺気や剣気、闘気と言った目に見えない、所謂「気合」を相手にぶつける事で相手を怯ませる効果を生む行為である。

 

 剣道の立ち合いにおいて、気勢を上げるのは、その効果を狙った物でもある。

 

 この気当たりによって相手を怯ませる事ができれば、それだけ戦いを有利に進める事もできるのだ。

 

 だが如何様にすれば、対象だけならいざ知らず、周囲にいる無関係な者達をも巻き込む程の気当たりを発する事ができると言うのか。

 

 しかも、ただ怯むだけならいざ知らず、大半の者が動く事すらままならなくなるくらいに射竦められている。それだけでも、この状況を現出した人物が怪物じみている事が覗えた。

 

 多くの者が、その場にて倒れ伏す中、

 

 ゆっくりと前に出る者がいた。

 

「その娘を離せ」

 

 低く囁かれる言葉は、まるで古の魔王が降臨したかのように、声だけで周囲を凍てつかせる。

 

 容姿は可憐な少女のよう。

 

 しかし、内面から発せられる殺気は、修羅にも匹敵する凄惨さを誇っている。

 

「ゆ、友哉さん・・・・・・」

 

 息を飲みながら、茉莉が名前を呼ぶ。

 

 友哉の出現に、一瞬怯む石井。

 

 だが、既に精神が狂気に染まり始めている石井にとって、今にも斬りかかりそうな友哉の剣気さえ、ただの微風程度にしか感じていなかった。

 

「お、お前か、瀬田さんを誑かしたのは!?」

「だったら、何だ?」

 

 間髪入れずに返される、友哉の冷たい声。

 

 その言葉に気圧され、再びナイフが茉莉に突きつけられた。

 

「そ、それ以上近付いて見ろ。瀬田さんを殺すぞ!!」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に、一瞬動きを止めた友哉だが、

 

 すぐに鋭い眼差しで、石井を睨みつける。

 

「やってみろ。ただし・・・・・・」

 

 続けて発せられた言葉を、その場にいた多くの者が、恐怖と共に心に刻みつけた。

 

「その時は貴様に、痛覚を持って産まれて来た事を後悔させてやる」

 

 死

 

 その場にいた誰もが、石井の死を予感する。

 

 それほどまでに、今の友哉は危険極まりない存在と化していた。

 

 更に、1歩前へ出る友哉。

 

「く、来るなッ 来るなァッ!!」

 

 友哉がいかに危険な存在であるか、ようやく気付いたのだろう。

 

 石井は茉莉に突きつけていたナイフを、とっさに友哉に向ける。

 

 だが、人質からナイフを離した時点で、石井の運命は決まっていたような物だ。

 

 次の瞬間、

 

 ガンッ

 

 鋭い発砲音と共に、石井の腕に着弾した。

 

「あぐッ!?」

 

 思わず、ナイフを取り落とす石井。

 

 友哉の背後。姿を隠して射角が取れるギリギリの位置に、白銀のガバメントを構えたアリアが立っていた。

 

 友哉が石井の気を引き付けている内に、照準を合わせたアリアが精密射撃を敢行したのだ。

 

 友哉の背を目隠しにしながら、僅かな射角で行う狙撃。いかに中距離とは言え、アリア以外にこの任務を達成できる者はいなかった。

 

 腕への着弾で、一瞬、石井の気が逸れる。

 

 そこへすかさず、友哉が一足で近付くと、茉莉の腕を取って強引に石井から引き離した。

 

「せ、瀬田さん!!」

 

 尚も未練がましく手を伸ばそうとする石井。

 

 だが、

 

「うるせぇんだよ!!」

 

 飛び出した陣が、その顔面を殴り飛ばす。

 

 多少、腕力があろうとも、陣のように常識外の戦闘力がある訳ではない。

 

「グボハッ!?」

 

 肺から抜けるような声を発し、無様にも地面に転がる石井。

 

 そこへ、彩夏が躍り出て来た。

 

「確保して!!」

 

 彩夏の号令の元、待機していた制圧チームが一斉に殺到し、倒れている石井を踏みつけ、殴り付け、拘束して行く。

 

 石井は尚も、言葉にならない叫びを狂ったように上げていたが、屈強な強襲科生徒に敵う筈も無く、あっという間に拘束され、そのまま連行されてい行く。

 

 その様子を、茉莉は友哉の腕の中で、悲しげに見詰めていた。

 

「大丈夫か?」

 

 不意に声を掛けられ顔を上げると、友哉は鋭い眼差しの仲にも、気遣うような視線を茉莉に向けて来ていた。

 

「・・・・・・は、はい。すみません、でした」

「いや、無事なら、それで良い」

 

 そう言うと、友哉は茉莉の頬に滲んだ血を、指先でそっと拭ってやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄昏に暮れる救護科棟の廊下で、友哉、陣、瑠香、彩夏のイクスメンバー達は、無言のまま佇んでいた。

 

 結局あの後、茉莉は簡単な治療を衛生科で受けた後、尋問科で事情聴取を受けた。

 

 事件の被害者であるとは言え、一応、確認を行わなければならない事がいくつかあったからだ。

 

 友哉や紗枝などは、茉莉が心身ともに疲弊している事を考慮して、聴取の延期を要求したが、当事者である茉莉が応じた為、予定通りの尋問が行われた。

 

 石井の方は強襲科に逮捕された後、同じように尋問科に連行されたが、こちらはひどく躁状態が続いており、とてもまともな会話ができる状態では無いとの事で、尋問は後日に回されていた。

 

 事情聴取を終えた茉莉は、その足で救護科へと行き、本格的な検査を受けている。

 

 そして、今に至る訳である。

 

 ここに集まった全員が、茉莉の身を案じて来たのだ。

 

 あのような事件に巻き込まれ、その後尋問科に拘束されたのだ。ひどいショックを受けていなければ良いが。

 

 そう考えていると、診察室の扉が開き、茉莉と、彼女を診察してくれた紗枝が出て来た。

 

「茉莉ちゃんッ!!」

 

 瑠香が真っ先に飛びつくと、茉莉の体をきつく抱きしめる。

 

「茉莉ちゃん、本当に良かったよッ」

 

 今にも泣き出しそうな瑠香を抱き留め微笑みかけると、茉莉は改めて全員を見回した。

 

「皆さん、ご迷惑をおかけして、本当にすいませんでした」

「気にすんな、良いって事よ」

「別に、アンタが悪い訳じゃないでしょ」

 

 陣と彩夏も、そう言って茉莉を慰める。

 

 そして、

 

「無事で良かった。本当に」

「友哉さん・・・・・・」

 

 微笑みかける友哉に対し、茉莉は夕日以外の事で顔を僅かに赤く染める。

 

「診察してみた限りでは、顔以外に特に外傷はないわ。ただ、精神的に少しショックを受けているみたいだから、ゆっくり休みなさい」

「はい・・・・・・」

 

 お大事にね、と言って部屋の中に戻っていく紗枝に頭を下げる茉莉。

 

 その顔には、ナイフで斬られた際にできた傷が残っており、今は絆創膏を貼っている。紗枝の診察では、半日程度で傷は完全に塞がり、跡も残らないだろうとの事だった。

 

 だが、優しさの代償は、あまりにも高くついた。

 

「さてッ」

 

 彩夏が、パチンと手を叩く。

 

「茉莉も無事だった事だし。今日はここで解散にしましょう」

 

 そう言うと、陣と瑠香の背中を強引に押して歩き出す。

 

「お、おい、何すんだよッ?」

「良いから良いから」

 

 彩夏は言いながら、2人の背中を押して行ってしまう。

 

 後には、友哉と茉莉の2人だけが廊下に残された。

 

 沈黙が、黄昏の寒気の中に舞い降りる。

 

 友哉と茉莉、互いに向かい合ったまま、無言のまま時間が過ぎて行く。

 

 ややあって、沈黙に耐えきれなくなった友哉の方から、口を開いた。

 

「茉莉、僕達もそろそろ・・・・・・」

 

 「帰ろうか」と言おうとした友哉。

 

 その友哉の胸に、茉莉が飛び込んだ。

 

「・・・・・・すみません。もうちょっとだけ、このままでいさせてください」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 抱き留めた友哉の胸に、かすかな震えが伝わってくる。

 

 茉莉は泣いていた。

 

 あまりに悔しくて。

 

 あまりに悲しくて、泣いていた。

 

 そんな茉莉の背に、友哉は手を回し、

 

 そして安心させるように、優しく頭を撫でてあげた。

 

 

 

 

 

第2話「優しさの代償」      終わり

 


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