1
友哉は刀を正眼に構え、対峙する彰彦と向かい合う。
無表情の仮面はバーの明かりに照らされて無機質に光を放ち、より一層不気味な雰囲気を作り出していた。。
対峙したのは大井埠頭での一度のみ。しかし、その一度だけで、彰彦は得体の知れない存在感を友哉に刻みつけていた。
理子によってハイジャックされたANA600便の中で、こうして再び対峙しても、その不気味さは変わらない。
一方の彰彦は、右手にオーストリア製自動拳銃グロック19を構え、左手には日本刀を持って、友哉との間合いを図っている。
《仕立屋》を名乗る謎の敵。その実力は未だに分からない。だが、それだけに迂闊に踏む込む事が躊躇われた。
「どうしました?」
友哉が攻め手に迷っていると、彰彦の方から声をかけてきた。
「迷いがあるようですね。迷いは剣を鈍らせる要因にもなりますよ」
「・・・・・・・・・・・・」
どこか諭すような口調で話す彰彦の言葉に、友哉は答えない。一種の心理戦である。彰彦は挑発めいた言葉を交える事によって、友哉のモチベーションを崩そうとしているのだ。
友哉は取り合わず、彰彦の武器に視線を集中させる。
彰彦の実力が未知数である以上、迂闊に先の剣を狙うのは却って自殺行為である。また、仮面によって表情を読み取れない為、視線から相手の狙いを推察する事も難しい。ならばアクションを起こす瞬間を見逃さず、相手の動きに自身を合わせる後の先を狙うしかない。
右手のグロックか、左手の刀か。
先に動くのはどちらだ。
緊張感を張り詰め、友哉は即応できるように両足に均等に力を込めた。
「私を、失望させないで下さいよッ」
次の瞬間、彰彦が動いた。
その右手が跳ね上がる。
グロックの照準が、友哉の頭部に合わさった。
「ッ!!」
次の瞬間、友哉は体を低くして床を蹴る。
放たれる弾丸。
しかし、一瞬早く友哉が頭を下げた為、致死の弾丸は頭部を掠めて背後の壁に命中する。
床面を低空で疾走するように、友哉は彰彦へ接近した。
「ハァッ!!」
切り上げるように、下から刀を振るう友哉。
その一撃を、刀を下に返して防ぐ彰彦。
突進速度をそのまま斬り上げに変換した友哉の一撃を、彰彦は片腕で防いで見せたのだ。
「チッ!?」
舌打ちする友哉。
ほぼ同時に、彰彦はグロックの銃口を、動きを止めた友哉へと向ける。
が、
「なっ!?」
銃口の先に、友哉の姿はない。
友哉は殆ど天井に近い高さまで飛び上がり、右手で逆刃刀を振り上げていた。
「飛天御剣流、龍槌閃!!」
急降下と同時に、勢いに任せて振りかぶった刀を振り下ろす友哉。
防御力の高い陣を、一撃の下に沈めた技を放つ。
流石にこれには敵わないと踏んだのか、彰彦は大きく後退。友哉の攻撃を回避した。
着地と同時に、友哉は顔を上げて視線を彰彦に向けた。
天井が低すぎる為、十分な高度が取れなかった。その為、龍槌閃は威力、速度共に不十分な物になってしまったのだ。
彰彦もただでは下がらない。バックステップで後退しつつ、立て続けに3発、グロックの引き金を引いた。
「クッ!?」
飛んでくる銃弾。
全てをよけきる事は不可能。
1発目は友哉の右耳を掠める。
2発目、友哉は体を傾けて大きく回避。
そして3発目。これは体勢を崩した友哉に命中するコースにある。
だが、友哉は慌てなかった。
飛んでくる銃弾の射線に対し、自らの刃を誘導する。
ギィンッ
甲高い音とともに、彰彦の放った弾丸は逆刃刀の刃に弾かれて明後日の方向に弾き返された。
飛んできた3発の弾丸の内、2発を回避、残り1発を刃で返すという離れ業をやってのけた友哉。
だが、その驚異の反応速度を見ても、彰彦は怯まずに距離を詰めてきた。
「体勢が崩れましたよ、緋村君!!」
「ッ!?」
とっさに体に力を入れ、回避行動に入ろうとする友哉。
しかし、遅い。
体重の乗った彰彦の蹴りが、友哉の小柄な体に突き刺さった。
「グッ!?」
大きく吹き飛ばされ、廊下まで転がる友哉。
すぐに膝をついて立ち上がろうとするが、そこへ彰彦が斬り込んできた。
「クッ!?」
突きに近い一撃を、友哉は逆刃刀を傾けながら受け、そのまま勢いを斜めに逸らす。
友哉と彰彦、その視線が一瞬間近で交錯する。
仮面越しに互いを射抜く視線。
自分よりも体重の大きな彰彦の突進をいなしたことで、友哉の体勢は大きく崩れて壁に背中を付ける。
その間に彰彦は、距離を置いて構え直した。
戦場はバーから狭い通路へと移っている。
友哉も立ち上がりながら、刀を持ち上げる。
この地形は、友哉にとって不利である。
彰彦は銃を持ち、遠距離から攻撃できるのに対し、友哉の武器は刀一本のみ。おまけに通路が狭い為、機動力を活かして銃弾を回避する事も難しい。先程のように刀で銃弾を弾く手もあるが、あの防御は連射されると難しい。
その事は彰彦にも分かっている。故に、余裕の持った口調で言った。
「これで終わりですよ、緋村君」
その仮面の下では、既に彰彦は勝利を確信していた。
「いかに君でも、この距離で私の銃よりも速く斬りかかることなど不可能です」
両者の距離は6メートル。確かに、彰彦の銃撃を掻い潜って斬りかかるにはいささか距離がありすぎる。
だが、
「それは、どうでしょう」
友哉もまた、諦めていない口調で返す。その構えは、先ほどまでと違っている。右手一本で持った逆刃刀を、弓を引くように構え、左手は水平に倒した刃の腹に当てて支えている。
「やってみないと判りませんよ」
そう告げる友哉を、彰彦は仮面の奥の瞳で見据える。
これまで彰彦は、多くの人間と戦ってきた。その中には、今の友哉と同じ目をした人物は何人もいた。
どんな状況に陥っても、決してあきらめない、不屈の闘志を持った人間の目だ。
「・・・・・・いいでしょう」
こうした目を持つ人間を、彰彦は決して嫌いではない。
だが、彰彦とて《仕立屋》として闇の世界にその名を知られている人物。ここで引く事は許されない。
「勝負ですッ」
叫ぶと同時に、彰彦の右腕が跳ね上がり、グロックの銃口が向けられた。
ここは狭い通路。いかに友哉が素早く動けようと、左右への回避は絶対にできない。ならば、友哉が狙うのは高速接近で彰彦の照準を狂わせ、一気に懐に入り込んで一撃を加える以外にない。
それが分かっているなら、彰彦の勝利は動かない。彰彦の銃の腕なら、友哉が接近しきる前に仕留める自信があった。また、仮に接近を許したとしても、今度は日本刀による迎撃が友哉を待っている。それを逃れる事はまず不可能。まさに、彰彦にとって必勝の布陣であった。
放たれる弾丸。殆ど間を置かない速射により、一気に3発放たれる。
次の瞬間、友哉の姿が消えた。
否、超高速で動いたため、消えたように見えただけだ。
彰彦の視線は、友哉の動きを正確に見切っていた。
「下です!!」
3発の銃弾を潜りぬけて、彰彦に接近する友哉。
そこへ、彰彦が刀を振り下ろす。
刃は友哉の頭頂部を目指す。
これで終わり。
そう思った瞬間、
友哉の動きが一瞬にして更に加速、振るった腕が霞む程の速さで斬り上げられた。
「飛天御剣流、龍翔閃!!」
とっさに、彰彦は友哉の攻撃を防ごうとして刀を構える。
攻撃のモーションから、すぐさま防御に切り替えるあたり、彰彦の技量の高さが伺える。
しかし、それが限界だった。
友哉の龍翔閃は、彰彦の刀をへし折って更に威力を失わない。
低空接近から切り替えられた、超高速の斬り上げ。それは、接近速度をそのまま打撃に変換され、振り上げた刃の腹は無防備に立ち尽くす彰彦の顎を強烈に打ち抜いた。
仰向けに宙を舞う彰彦。その仮面の奥で、信じられないという目をしていた。
状況は彰彦にとって有利に動いていたはずだ。それが、こうもあっさりと覆されるとは。
「・・・・・・や、やはり・・・・・・・私の見立てに、間違いはなかった」
不思議な事に、彰彦は仮面の奥で満足げな笑みを浮かべていた。
「緋村君・・・・・・君は、実に興味深い存在です」
背中から床に倒れる彰彦。
勝敗は決した。
友哉は手錠を取り出すと、倒れている彰彦へと歩み寄る。
「由比彰彦、殺人未遂の現行犯で逮捕します」
その手を取ろうとした。
その時、
突然、ANA600便の機体が急激に傾いた。
「なっ!?」
思わずよろける友哉。
その一瞬の隙に、彰彦は動いた。
スーツの内側に入れておいた閃光手榴弾を取り出すと、友哉の足元へと転がす。
一瞬にして、廊下が閃光に満たされる。
「うッ!?」
思わず目をガードするが、白色の閃光は瞼の裏を焼き付けて友哉の視界を奪う。
ややあって、視界が元に戻ると、そこには既に彰彦の姿はなかった。
「・・・・・・逃がしたか」
友哉は苦い想いとともに、刀を鞘に納める。
やはり一筋縄ではいかない。勝ったと思った瞬間にこれである。
だが、悔しがっても仕方がない。今はキンジ達の状況を確認するのが先決だった。
2
客室へと向かう途中、再び振動が機体を襲った。
先程よりも強い衝撃に、友哉は思わず肩を壁に叩きつけられたほどだった。
「・・・・・・何なんだ?」
しかも、今回は前に揺れた時とは違う。微かにだが、明らかに何かが壊れる音が聞こえた。
雷か何かが直撃して、機体が破損したのだろうか? だとしたら拙いかもしれない。航空機というのは落雷対策をしっかりとしているものだが、万が一計器などに損傷があった場合、航法に支障が出る可能性もある。
その時、
「緋村!!」
呼ばれて振り返ると、キンジが友哉を追いかけるように走ってくるのが見えた。
「キンジ、状況はどうなってるの?」
「理子には逃げられた。それにミサイル喰らって、エンジンを2基やられた」
キンジの言葉に、友哉は顔面が蒼白になった。先程の振動はそれだったのだ。
4基あるエンジンの内半分を失っても、こうして安定した飛行が可能な辺りは流石VIP専用のチャーター機と言うべきだが、状況は予断を許す物ではない。
「とにかく、コックピットへ行くぞ。今、アリアが操縦を担当しているはずだ。状況を確認し、機体を最寄りの空港に下ろすぞ」
「そうだね」
頷きながら、友哉はキンジが先程までと雰囲気が違う事に気付いていた。
危機的状況であるにもかかわらず、発揮する冷静な判断力と行動を整理する力。
キンジが時々見せるこの雰囲気こそ、彼が去年、強襲科でSランクを誇った証だ。正体は分からないが、こうなった時のキンジはあらゆる意味で頼りになる存在である。
2人がコックピットに入ると、アリアはその小さい体をパイロット席に乗せ、操縦桿にしがみついていた。
先程、理子にやられた時のぐったりした様子はない。どうやら応急手当は成功したようだ。
「遅い!!」
2人が入ってくる気配を察してアリアが叫ぶ。
「すまないね、アリア」
コパイロット席に座りながら、キンジは手早く状況をアリアに説明する。
理子は逃亡。更にミサイルの直撃により、エンジン2基が破損した事。
「さっきの衝撃はそれだったわけね」
アリアが舌打ちしながら呻く。今のところ、目に見える変化は訪れていないが、着弾のショックで機体がどこかいかれている可能性もある。どうにかして羽田空港まで戻る必要があった。幸いにして、ここはまだ東京上空。戻るのにそう時間はかからない。
「アリア、飛行機を操縦した経験は?」
「小型機を何度かあるだけ。流石にこれだけ大きいと勝手が分からないわ。着陸させるのも無理ね」
必死に操縦桿を操るアリア。パイロットとサブパイロットは既に理子によって無力化されている。つまり、今はアリアだけが頼りという事だ。
普段よりも、アリアの声が上ずっている。Sランク武偵として数々の凶悪犯を捕まえてきたアリアでも、この状況には恐怖を覚えずにはいられなかったのだろう。
そんなアリアの頭を、キンジは優しく撫でる。
「それで充分だよ、アリア」
「んなッ!?」
ウィンクまでして見せるキンジの態度に、アリアの顔は急激に赤く染まる。
不思議だ。
いつも友哉は思う。
普段は女嫌いを自称し、露骨に女子と接触する事を避ける傾向にあるキンジが、こうなった時はなぜか必要以上に女性に対して優しくなる。
一体、どっちのキンジが本当なのか。
そんな事を考えていると、アリアが焦ったように話題を変えてきた。
「そ、そんなことより友哉。あんた今まで何処行ってたのよ?」
「おろ、僕?」
話題を振られ、友哉は2人に説明する。理子以外の敵、《仕立屋》由比彰彦の事を。
その話を聞いて、アリアは少し難しい顔をして考え込んだ。
「・・・・・・そう言えば聞いたことあるわ。イ・ウーには自ら計画を立てて犯行に及ぶんじゃなくて、他のメンバーを支援する事を目的に行動する人間がいるって。そいつのコードネームが、確か《仕立屋》だったはず」
「アリア、聞きたいんだが、そのイ・ウーって言うのはなんなんだい? 確か、理子も同じ事を言っていたが」
計器を操作しながら尋ねるキンジ。
だが、アリアは首を横に振って答える意思がない事を示した。
「世の中には、知らない方が良い事だってある。知れば、あんた達は後戻りできなくなるわ。だから、少なくとも今はまだ言えない」
「アリア・・・・・・・・・・・・」
友哉は少し非難するような目を向ける。既にここまで巻き込まれている状態である。それで情報を隠されるのは、正直今更という感が無くはなかった。
対してキンジは、落ち着いた口調で言った。
「分かった。けど、いつかは話してくれるんだろう。俺はその時を待つよ」
キンジのそのセリフに、またもアリアの顔が赤くなる。
そんなアリアをよそに、計器の操作を終えたキンジがインカムに向かって口を開いた。
「応答せよ、羽田コントロール。こちら羽田発ヒースロー行き、ANA600便」
現在、600便に搭乗している人間で、このエアバスを完璧に操縦できる人間はいない。そこで、地上から指示を受け、着陸シークエンスを行うのだ。その方がリスクは少ない。
ややあって、応答があった。
《こちら、羽田コントロール。聞こえている。状況を説明せよ》
「ハイジャック犯は逃走。パイロット負傷の為、現在、乗り合わせた武偵2名が操縦している。俺は遠山キンジ。もう1人は神崎・H・アリア」
《よくやった、遠山武偵。次の指示を待て》
そこで通信はいったん途切れた。
キンジは内ポケットから、端末を取り出し、片手でボタンをプッシュする。それは航空でも通話可能な衛星電話。乗客から借りてきた物である。
記憶にある番号を入力し通話ボタンを押した。
コール1回で、相手が出る。
《もしもしッ?》
「武藤、俺だ。キンジだ。変な番号からですまない。実は訳あって、今、東京の上空から掛けている」
相手は車輛科の武藤剛気だ。キンジ達とはクラスメイトであり、先日のバスジャック事件では負傷した運転士に変わって見事な運転技術を披露し危機的状況を切り抜けた。普段はお調子者で、理子と並ぶ男子のムードメーカーだが、今はその声も緊張に満ちている。
《キンジ、やっぱお前だったか》
「武藤、時間が無いから状況を説明するぞ」
キンジは武藤のアドバイスを受けつつ、状況を整理していく。
すると、驚くべき事が分かった。
燃料が漏れている。ミサイルが命中した際に燃料弁も破損してしまったのだ。しかも、破壊されたエンジンは内側の2基である為、閉鎖する事も出来ない。
時間は持って15分。その間にこの機体をどこかに降ろさないと、乗客もろとも墜落する事になる。
「どうすれば良い?」
《そうだな、まずは・・・・・・》
そこで、なぜかノイズが入り、通信が不自然な切り替わり方をした。
《こちらは、防衛省航空管理局だ》
その声に、キンジと友哉は不審な想いになる。衛星電話に割り込みをかけての通信。まるでこちらを分断するかのような行動だ。
《羽田空港は現在、事故により閉鎖中で使用できない。誘導機が海上へ誘導、安全確実に君達を不時着させる》
通信相手がそう告げると同時に、コックピットの窓の外に1機の戦闘機が並走するのが見えた。
航空自衛隊の主力戦闘機F15Jイーグルだ。アメリカの旧マグダネルダグラス社が開発した機体を、日本の自衛隊が採用した物である。20ミリバルカン砲1門を固定装備し、マッハ2.5で飛行が可能。正式採用されて半世紀近くになるというのに、未だに被撃墜機が無いという伝説めいた事実を持っている。新鋭機が続々と登場している現状にあってなお、世界最強の戦闘機と言って過言でない機体である。
あれが誘導機なのだろう。
アリアが指示に従い、操縦桿を倒そうとした。
だが、その手をキンジが掴んだ。
「キンジ?」
「指示に従っちゃだめだ、アリア。海の上に安全に降りれる場所なんてない。海上に出たら俺達は撃墜されるぞ」
政府はリスクと乗客の命を天秤にかけてリスクを取った。素人が600便を操縦して墜落する事を恐れたのだ。そこで海上に誘導して撃墜するつもりなのだ。並走するイーグルはその為の刺客と考えるべきだった。
その時、
《その通りだ、キンジ!!》
通信機から、再び武藤の声が響いた。おそらく通信科が回線を確保したのだ。
《よく聞け、お上の奴等。俺達は絶対に仲間を見捨てねえ。絶対にだ!!》
啖呵を切る武藤の声が、この上なく頼もしく感じる。
ANA600便が首都上空から出ないと悟ったのか、並走していたイーグルが遠ざかっていく。彼らも人口密集地で撃墜する気はないのだろう。
とは言え、それでも稼いだ時間は僅か10分強だ。いずれにしても10分後には墜落か不時着の二者択一を選ばなくてはならない。
キンジは少し考えてから口を開いた。
「武藤、この機体を着陸させるとすれば、どれくらいの距離が必要だ?」
《そうだな、状況にもよるだろうが、だいたい2050メートルってところだ》
「・・・・・・ギリギリだな」
キンジは考え込むように呟いた。
「キンジ、どうするつもり?」
「学園島は南北2000メートル、東西に500メートル。対角線に取れば2061メートルまで取れる」
アリアの問いかけに、キンジは答える。だが、その言葉には友哉も、アリアも驚愕した。
キンジは学園島の敷地を使って、この機体を不時着させると言っているのだ。
だが学園島の上には当然、武偵校関連施設が存在している。そこに突っ込む事は、もはや墜落と何ら変わらない。
だがキンジは何でもないと言いたげに続ける。
「安心しろ、降りるのは空き地島の方だ」
空き地島とは学園島の北に浮かぶ、だだっ広い更地の事だ。確かにあそこなら施設は何もない平面なので着陸自体は可能だろう。しかも、そこには当然、着陸用の設備は何もない。舗装された滑走路はおろか、誘導灯や制動索すら無い。夜間に、しかもこの嵐の中で降りられる光源はないのだ。
「何とかするさ」
落ち着き払ったキンジの声。そこには気負いも不安も感じられない。
友哉は思わず震えるのを感じた。
残り10分。状況は最悪。
その状況下で、これだけ落ち着いていられること自体が既に異常であると言えなくもない。
だが、そこから来る圧倒的な信頼感とカリスマ性。
これこそが遠山キンジなのだ。
叩きつけるように、武藤が叫ぶ声が聞こえた。車輛科であるからこそ、彼もキンジの案がいかに無茶であるか認識しているのだ。
「緋村、頼みがある」
キンジが操縦桿を握りながら言う。
「不時着を成功させるのは、できるだけ機体を軽くする必要がある。このままでは仮に接地に成功してもオーバーランする恐れがある。だから、少しでも機体を軽くするんだ」
「軽くって言うと、もしかして・・・・・・」
友哉はキンジが言わんとする事を察し、同時に渋い顔を作った。
「ああ、これから着陸に当たって、一度だけ東京湾上空をフライパスする。その時に貨物室にある荷物を、全部投棄してくれ」
航空機は大きな荷物は、カウンターで預けられる。その荷物は全て纏めて、最下層の貨物室に格納されているはずだ。
確かに、捨てるならそれしかない。貨物室の荷物を投棄出来れば、かなりの重量軽減になるだろう。
だが、
「後から苦情が殺到しそうだね」
「命とどっちが大事か考えてもらうさ。頼めるか?」
「分かった」
友哉は頷くと、駆け足でコックピットを出て行く。
生存に向けて、最後の戦いが始まった。
3
強襲科2年の不知火亮は、自身の無力さを感じずにはいられなかった。
彼は武藤と同じくキンジ達のクラスメイトであり友人だ。友達を助けたいという思いは誰よりも強い。
現在、武偵校の教室を臨時の司令部とし、情報科、通信科の生徒が集まりバックアップ体制を築き上げている。
しかし、状況は必ずしも芳しくはない。
通信とネット回線は防衛省によって妨害され、直通通信が可能なのは、通信科2年の中空知美咲が開通した物のみ。ましてか現場は上空を飛行するエアバスの中。実質、状況分析以外に殆ど手出しできない状態だ。
武藤は先ほど、キンジとの通信を叩きつけるように打ちきり、教室から駆けだしていった。おそらく、彼なりの形でキンジ達の手助けをするつもりなのだろう。
事ここに至って、不知火にできるのは彼らの無事を祈る事のみである。
「・・・・・・少し、休んだ方が良いんじゃない?」
不知火は、彼の背後に立つ1年女子にそう声をかけた。
四乃森瑠香は、疲れたような表情でそこに立っていた。
ライナー埠頭での戦いの後、友哉の指示通り車輛科と救護科を呼んで陣を護送した直後、武偵病院でハイジャックの話を聞き急いで駆け付けたのだ。
あの飛行機には、キンジが、アリアが、そして友哉が乗っている。
無力を感じているのは、瑠香も不知火と同じである。この場にあっては、彼女にできる事は何もない。
「・・・・・・ここに、いさせてください」
「四乃森さん」
「邪魔はしません。お願いします」
瑠香の心情を察してくれたのだろう。不知火はそれ以上何も云わずに瑠香から離れる。
「・・・・・・・・・・・・友哉君」
ぽつりと、大切な幼馴染の名前を呼ぶ。
『お願い、どうか、無事で・・・・・・・・・・・・』
友哉が貨物室に飛び込むと、一瞬にして冷気が全身を襲い、凍結するような感覚に襲われた。内部の温度は氷点下を下回っている。
比較的低空を飛んでいるとはいえ、今はまだ4月。しかも夜間である。上空は文字通り凍りつく寒さである。
友哉は指先が凍りつくような感触に襲われながらも、必死に作業盤に取り付く。急がないといけない。今や乗客全ての命は3人の武偵の肩にかかっていると言っても過言ではなかった。
コンテナはレール上に乗せられて固定しており、荷揚げや荷下ろしの際にはこのレールを稼働させて作業を行うのだ。
機材を操作しロックを解除、更にレールを稼働待機状態にする。これで後は、後部ハッチを開放すればいつでも投棄できる。
友哉はハッチ開閉パネルのある後部へと足を向けた。
そこで、足を止める。
目指すパネルの前に、1人の男が立っていた。
「由比、彰彦・・・・・・」
「随分とやってくれましたね、緋村君」
気を抜けば気を失ってしまいそうな気温の中、武偵と仕立屋は再び対峙する。
だが、彰彦にはそれ以上交戦の意思はないのか、肩を落としたまま銃を抜く気配も無い。龍翔閃をまともに食らったにも関わらず、そのダメージを感じさせないほど落ち着き払っている。
仮面の奥にあって表情を読む事は出来ないが、その口調には非難よりも賞賛があるように見て取れた。
「計画は失敗。主犯である理子さんも逃亡。この稼業は長いですが、ここまでひどい負け戦は初めてですよ」
「・・・なら、投降してください。これ以上の戦いは無意味です」
「さあ、それはどうでしょう?」
「ここは空の上ですよ。現在、不時着の準備中ですが、当然、不時着地点は武偵校の学生が包囲しています。逃げ道はありません」
言いながら、刀の柄に手をかける友哉。この距離なら彰彦が銃を撃つ前に斬り掛る自信がある。
だが、その様子にも彰彦は動く気配がない。
「武偵憲章七条『悲観論で備え、楽観論で行動せよ』でしたか。武偵でなくても、それは当てはまるのですよ」
そう言い放つと、ハッチ解放レバーを下ろした。
「クッ!?」
気圧低下に伴う強風が、友哉の体を叩く。
その一瞬の隙を突き、彰彦は虚空に身を躍らせた。
とっさに追いかけて捕まえようとするが、既に彰彦の体は東京湾上空に投げ出されている。
友哉はハッチの端に掴まりながら、強風に耐えてその姿を追う。
しかし、夜間の上に嵐である為、視界が全く効かない。
彰彦の体は、すぐに闇にまぎれて見えなくなってしまった。
自殺、をするような人間には見えない。という事は、何らかの脱出手段を持っていたと考えるべきだ。
それにしても、
「《仕立屋》由比彰彦、か」
自身で計画を考え実行するのではなく、他者という主演者の為に、作戦という名の衣装で着飾らせ、支援者という脇役を用意し、戦場という舞台を仕立てる。
まさに仕立屋。
これらを一人でやったとすれば、最強の脇役と言っても過言ではない存在だった。
「恐ろしい敵だ・・・・・・」
ここで取り逃がした事は大きい。この事が、いずれ自分達にとって大きな災禍となって返ってくるかもしれない。
パネルを操作し、荷物の投棄を始める。
やがて、コンテナは暗い東京湾へ吸い込まれるように落下していった。
第7話「最強の脇役」 終わり