緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第3話「特別依頼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タワーの如く詰まれた医学書は、今にも崩れてきそうなほど不安定に揺れている。

 

 時刻は深夜2時。夜勤でもない限り、この時間帯に救護科にいる生徒はいない。

 

 だが紗枝は、どうしても早急に調べたい物がある為、日勤開けであるにもかかわらず、救護科で自分が使っている診察室に、夕方から籠っていた。

 

 目の前にある分厚い医学書を、隅から隅まで読んで行く。本来なら、読み上げるのに、昼夜ぶっ続けで読んで4日は掛かりそうな代物だが、紗枝は既に3分の2近く読み進めていた。

 

 気になる事があった。

 

 それは、ついこの間見た、緋村友哉の姿。

 

 同じチームの少女である瀬田茉莉を人質に取られた友哉は、普段の彼からは想像もできないような凶暴性を垣間見せていた。

 

 紗枝も、友哉とは2年近い付き合いになるが、彼のあんな所は見たのは初めてである。

 

「あれが・・・・・・緋村君のもう1つの人格・・・・・・」

 

 事前に相良陣から聞かされていた事だが、実際に見た時のインパクトは計り知れなかった。

 

 目の前にいる全ての敵を切り裂くかのような狂気。

 

 己の大切な物の為なら、他の全てを切り捨てる事も厭わないかのような孤高性。

 

 あらゆる物を、自らの膝下にひれ伏させる、暴君の如きふるまい。

 

 その全てが、紗枝の持つ「緋村友哉」のイメージからかけ離れていた。

 

 事件の現場から離れていた紗枝でさえ、あの時の友哉の気当たりで、少しの間、気分が悪くなってしまっていたほどだ。

 

 もし、あれが二重人格だとしたら、武偵校はとんでも無い怪物を育てている事になる。

 

 一息入れる為に、傍らにおいてあるポットから、眠気覚ましのコーヒーを入れる。

 

 香ばしい香りに浸りながら、紗枝は沈思する。

 

 医学が発展している、と言っても、未だに人類にとって、人体と言うのは未知の部分が多い。それが脳や精神となると、尚更の話だ。複雑すぎて、未だに人間の手が入っていない場所ばかりだ。

 

 紗枝が今読んでいるのは、精神学に関わる医学書である。

 

 紗枝の専門は、内科と内臓外科である為、脳外科や精神科は専門外である。しかし、気になった事は調べずにはいられない性分なのだ。

 

 だが、この医学書を持ってしても、未知の部分が大きすぎて判らない事が多かった。

 

 友哉とは知らない仲ではない。学年こそ違うが友人だとも思っているし、イクスメンバー達は今や、紗枝にとって専属の担当患者でもある。

 

 少しでも、彼等の役に立ってやりたかった。

 

 

 

 

 

「無期限停学処分、ですか?」

 

 教務課に、友哉の不満げな声が響く。

 

 目の前には強襲科教員の蘭豹と、探偵科教員の高天原ゆとりがソファーに座っている。だが、よく見れば、蘭豹は不機嫌そうにそっぽを向き、ゆとりは申し訳なさそうに顔を伏せているのが判る。

 

 そして、友哉の横には、少し悲しげに俯いている茉莉の姿があった。

 

 今日2人が教務課に呼び出されたのは、先日、石井が引き起こした人質殺人未遂事件、その顛末に関係した説明を受ける為だった。

 

 あの事件の後、数日の間、茉莉は見るからにふさぎ込んでいた。

 

 無理も無い。自分が好意から起こした行動が、結果的に裏目に出て、1人の生徒を傷付けてしまったのだから。

 

 傷付いたと言えば茉莉もそうだし、彼女こそが、今回の件に関する最大の被害者である筈なのだが、自分の痛みよりも、他人の痛みの為に泣く事ができる少女である。今回の件で責任を感じてしまうのは無理からぬことであった。

 

 それでも、ここ数日は何とか立ち直った様子を見せ、少しずつだがいつもの調子を取り戻している様子だった。

 

 そして今日、2人は揃って教務課に呼び出された。

 

 そこで聞かされた、事件の容疑者である石井に対する処罰は「武偵校無期限停学処分」であった。

 

 当然、納得がいく筈がない。

 

 あれだけの事件を起こしたのだ。一般人であっても収監、実刑は免れない所である。ましてか、石井は曲がりなりにも現役の武偵だ。武偵が罪を犯した場合、「武偵三倍刑」が発動される為、一般人よりも罪が重くなる。

 

 それなのに、こんな軽い処分ですむ事事態、あり得ない話であった。

 

「説明してください。どう言う事ですか!?」

 

 身を乗り出すように食いつく友哉。事によっては、相手が蘭豹であっても掴みかからんとする勢いだ。勿論、その1秒後には友哉の方が床に這いつくばっているだろうが。

 

 対して蘭豹は、面倒くさそうに耳穴に指を入れながら、それでも眼光だけは鋭く友哉を睨みつけた。

 

「鬱陶しいから、子犬みたいにキャンキャン喚くなや。言われんでも、今から説明したるわボケ」

 

 吐き捨てるように言ってから、傍らのゆとりへと視線をやる。

 

 蘭豹の目配せを受けて頷くと、今度はゆとりが口を開いた。

 

「まず、2人に説明しておかなくちゃいけない事は、武偵校はその特殊性があるとは言え、れっきとした日本の高校であると言う事です。そして、たとえどんなジャンルであったとしても、学校を運営するには、莫大なお金が必要になります」

「分けても、うちらの学校は、浮島1個丸々買い取って学校にしとる。当然、掛かる費用も半端無いって事や」

 

 学園島は南北に2キロ、東西に500メートル。総面積1000平方キロメートル。更にその上に、各種最新の設備を満載した建造物を建設しているのだ。それ自体が、ちょっとした「学園都市」と呼んでも差支えは無い。

 

 一体、この島を維持するのにかかる費用がどれほどになるのか、友哉にも茉莉にも、想像がつかなかった。

 

「それで、ここからが本題なんですけど、石井君の家は、石井君が入学するに当たって、うちの学校にたくさんのお金を寄付してくれたんです」

 

 ゆとりの説明に、ようやく友哉は事態を飲み込めて来た。

 

 要するに、石井の家は武偵校に取ってスポンサーのような存在であり、発言権も大きいのだろう。その息子に重い罰を与える事は、自分達の首を絞めることにもなりかねない、と言う事だろう。

 

 それ故に武偵校側としては、石井を処罰する事ができず、事実上の「処分保留」に近い、無期限停学処分にするしか無かったのだ。

 

「石井君の家は、さる大会社の取締役で、全国の武偵校連盟の理事会員も務めていて。だから、誰も滅多な事は言えないんです」

「だからってッ」

「話はそれだけやないで」

 

 友哉の声を遮って、蘭豹が口を出す。

 

「連中、今回の件に異議申し立てを出して来よった。『うちの息子は誑かされただけであり、事件には何の罪も無い被害者である。罪は、被害者を僭称する少女の方にこそ問うべきである。真の加害者であるその少女こそ、厳罰にするべきである』ってな」

「そんな理不尽な話がありますかッ!!」

 

 激昂する友哉。

 

 彼らの主張する「少女」が、茉莉の事を言っているのは疑うべくもない。

 

 自分の身内可愛さに、被害者を加害者として糾弾する。これでは論点のすり替えも甚だしい。

 

 そんな道理の通らない事があって良い筈がなかった。

 

「馬鹿な息子を庇う馬鹿な親ってのは、どこにでもいるもんや」

 

 呆れ気味の溜息と共に、蘭豹が吐き捨てる。

 

 態度を見ている限り、蘭豹もゆとりも今回の件に不服を持っているのは判る。しかし、翻って一教師に過ぎない彼女達にも、どうにもならない事があるのだろう。

 

「で、だ・・・・・・」

 

 蘭豹は友哉と茉莉を交互に見詰めて言った。

 

「お前等2人、暫くの間、学校を離れろや」

 

 え? と驚く2人に、後を引き継いだゆとりが更に説明する。

 

「今回の件、ちょっと長引きそうなんです。下手をすると、あなた達にも累が及ぶ事になるかもしれないですから。その間、少し学校を離れていて欲しいんです。その間に必要な事は、こっちでやっておきますから」

「ちょうど、教務課の方に厄介な任務が一つ入っとる。こいつをお前等に回す事にする」

 

 つまり、長期任務中と言う事で、友哉と茉莉を武偵校から一時的に遠ざけ、その間に学校側で石井と交渉してくれると言う事らしい。

 

 顔を見合わせる、友哉と茉莉。

 

 これは武偵校が今、2人に示す事ができる最大限の温情である事が理解できる。

 

 それ故に、断る事は、できそうになかった。

 

 

 

 

 

 暗い部屋にうずくまり、石井忠志は光の籠らない目で虚空を見つめている。

 

 思い出されるのは、先日の武偵校での一件だ。

 

 石井が茉莉を人質にとり、殺人未遂にまで発展した事件。

 

 石井の中では、あの時の事を反芻する度に、「なぜ?」という疑問が溢れていた。

 

 なぜ、あのような事になってしまったのか?

 

 なぜ、自分だけがこんな目に合わなくてはならないのか?

 

 なぜ、他の奴等から嘲笑を受けなくてはならないのか?

 

 なぜ?

 

 なぜ?

 

 なぜ?

 

 なぜ、こんな事になったのか?

 

 自分はただ、彼女に告白をしただけだと言うのに。

 

 彼女なら、受け入れてくれると思った。

 

 なぜなら瀬田茉莉と言う少女は、石井が武偵校に入って、初めてまともに会話に応じてくれた相手だったからだ。

 

 あの、ロキシーで苛められていたところを助けてくれた時。

 

 その後、色々な相談を親身になって聞いてくれた時。

 

 友達のいない石井にとって、それは宝石のように貴重な体験であった。

 

 彼女こそ、自分の女神だ。

 

 彼女こそ、自分の運命の相手だ。

 

 憧れが恋に変わるのに、それほどの時間はかからなかった。

 

 だから、行動に移した。この感情を、僅かでも持て余す事ができなかったからだ。

 

 何度も何度も練習し、シチュエーションを組み、同時に茉莉の事をたくさん調べ上げた。

 

 武偵校に入って以来、石井は間違いなく最高の勤勉さを発揮した。

 

 それほどまでにして、石井は茉莉を手に入れたかったのだ。

 

 そして、全ての準備を整え、彼女に告白した。

 

 結果は、無惨だった。

 

 無上にして純粋な想いを断られたばかりか、あまつさえ目の前で下らない惚気まで聞かされる始末。極めつけは、周りにいた奴等に嘲笑まで浴びせられた。

 

 その後の事は、覚えていない。

 

 気が付けば、逮捕され尋問されていたのだ。

 

 尋問科の生徒から、自分が茉莉を人質に取って、殺人未遂をしたと言う事を聞かされた。

 

 なぜ、そのような事をしてしまったのか?

 

 どうして、こんな事になってしまったのか?

 

 自問自答は、際限無く続く。

 

 やがて石井は、ゆっくりと顔を上げる。

 

「・・・・・・・・・・・・あいつ等が悪い」

 

 囁かれた言葉は、怨嗟と憎悪に彩られ、赤黒く染まっているかのようだ。

 

「あいつ等が、全部悪い」

 

 自分を誑かした女、瀬田茉莉。

 

 そして、瀬田を唆した男、緋村友哉。

 

 あいつ等が自分を騙し、嘲笑しなければ、今、自分がこのような目にあう事も無かったのだ。

 

 自分は何も悪くない。

 

 あいつ等さえいなければ、自分はこのような目に遭わなくて済んだのだ。

 

「許さない・・・・・・絶対に許さない・・・・・・」

 

 自分がどうなろうが、最早、そんな事は関係なかった。

 

 ただ、あの2人。

 

 瀬田茉莉と緋村友哉だけは、絶対に許せない。奴等に自分達の罪を判らせ、罰を与えなければならない。

 

 瀬田は、緋村友哉の前でたっぷりと辱めを受けさせてやる。

 

 その後、泣き崩れる瀬田の目の前で、緋村を八つ裂きにして殺してやる。

 

 傍から見れば、見苦しい逆恨み以外の何物でもない、破綻だらけの論法。

 

 だが、当の本人からすれば、地面に張った根よりも強固な「必然」によって生まれた意思。

 

 かつて、気弱で苛められるだけの存在だった少年は、そこにはいない。

 

 今や完全に狂気の虜と化した石井にとって、「確固たる罪に対する、正当な報復」を躊躇う理由は微塵も存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 任務の通達を受けた翌日から、早速友哉と茉莉は行動を開始した。

 

 とは言え、「じゃあ、始めますか」と簡単にいくわけでは無い。各種手続きや、関係各所への通達、事務的な確認など、先にこなさなくてはならない事は多いのだ。

 

 特に、今回は長期に渡って武偵校を離れる任務と言う事で、最大の問題として補給が上げられる。

 

 補給を無視しては勝機がないのは、戦争も武偵活動も同じである。

 

 食料や各種弾薬類、携帯バッテリー。資金等、様々な物を予め用意してから任務に臨まないといけない。任務中にこれらが不足した場合、武偵校から離れた場所では、即補充、と言う訳にはいかないのである。

 

 銃弾もそうだが、刀にしても一定の性能を維持する為には常に整備は欠かせない。その整備の為の道具も用意して行く必要があった。

 

 後は連絡と引き継ぎだろう。

 

 特に今は、極東戦役の最中。仲間達に、自分達が任務で暫くの間、学園島を離れる事。その間の連絡や防衛戦の維持、何より、イクスの指揮統率を誰かに引き継ぐ必要がある。

 

 そこで友哉はジャンヌに事情を説明し、学園島の防衛や、万が一の時の連絡手段の交換を行った。

 

 ジャンヌも茉莉の身に起きた事は知っているので、友哉の申し出に快く応じてくれた。

 

 更に友哉は、彩夏に自分と茉莉不在時の指揮代行を頼んだ。

 

 本来なら、後発組の彼女にそのような事を頼むべきではないのだが、陣にしろ瑠香にしろ、前線で暴れるタイプであり、指揮には向いていない。残留メンバーの中では、彼女が最も指揮官に適任だった。

 

 そうして各種の手続きを終えた友哉と茉莉は、行動を開始したのだった。

 

 任務を行うに当たって、まずは依頼人と会う必要があった。

 

 任務の詳細に関して、友哉も茉莉も教務課からは何も聞かされていない。依頼人から直接言われるように指示されている為だ。

 

 指定された喫茶店で待つ事10分。

 

 2人の前に現われたのは30代前半ほどの、人当たりの良さそうな青年だった。

 

「あ、お待たせしました。武偵校からいらした方々、で宜しいですよね?」

 

 そう言って、頭を下げて来る相手に対し、友哉と茉莉も立ち上がって礼をする。

 

「初めまして武偵校から来ました緋村友哉です」

「瀬田茉莉です」

 

 2人が名乗ると、相手の方も掛けている眼鏡を直しながら答えた。

 

「初めまして、私が依頼を送りました、浪日製薬株式会社専務の武田克俊(たけだ かつとし)と申します」

 

 その肩書きに、友哉と茉莉は驚いた。

 

 浪日製薬(なみひ せいやく)と言えば、今急成長中な事で話題の会社である。数々の新商品をヒット的に売り出している事でも有名であり、何れは上場株式市場にも名を連ねるのではと、もっぱらの噂である。

 

 その浪日製薬の専務が、このように若い男性であった事に驚いたのだ。

 

 その2人の様子から、何に驚いているのか察したのだろう。武田は少し照れくさそうに頭を掻いて苦笑する。

 

「まあ、専務と言いましても、私はたんに、みんなの纏め役みたいなものですから」

 

 謙遜はしているが、大会社の事実上のナンバー2を務めていると言うだけで、武田がいかに優秀なサラリーマンであるかと言う事が覗えた。

 

「それで、御依頼の件ですが?」

 

 挨拶を終えたと言う事で、茉莉は先を促すように話を進める。互いに恐縮していても話は始まらない。単なる時間の無駄である。

 

 武偵憲章5条「行動に疾くあれ」だ。何に付けても、もたもたする事に意味は無かった。

 

「そうですね。では、早速ですが」

 

 そう言うと武田は、持って来た鞄から数枚の資料を取り出して2人に渡した。

 

「お二人にお願いしたいのは、我が社の内部調査なのです」

「内部調査、ですか・・・・・・」

 

 武田の言葉を聞き、友哉は内心で首を傾げた。

 

 探偵が全盛だった時代から、大会社が内部調査を外部の人間に依頼する事は珍しくない。それが武偵に代わっても同じ事であった。

 

 しかし、

 

「あの、内部調査と言う事であれば、他の人間に当たらせた方が良かったのでは? こう言っては何ですが、こちらの瀬田はともかく、僕は強襲科、言ってしまえば荒事の専門家です。この手の依頼には向かないと思うのですが・・・・・・」

 

 調査系の依頼は、これまで何度かこなした事があるが、大抵はキンジや理子など、探偵科の友人の手伝いが殆どだった。正直、浪日製薬ほどの大会社の内部調査を手動で行う自信は無かった。

 

「それが、そうでもないのです・・・・・・」

 

 武田は、少し体を俯かせると、苦々しい口調で説明を始めた。

 

 武田の話によると、最近、社内で妙な噂が上がっているとか。それは、浪日製薬が急成長する事になったきっかけに起因する噂。

 

 浪日製薬は、ここ数年で急成長を遂げてはいるが、それまではどこにでもありそうな、ごく普通の中小企業であり、事業規模もささやかな物であった。

 

 しかし、歴史だけはそこそこ古く、創業は戦後にまで遡るらしい。

 

 だが、それまで、言ってしまえば泣かず飛ばずだった浪日製薬が、数年で急に成長したのには、何か理由があるのではないか、と言う噂が立ち始めた。

 

 そして、その理由こそが、

 

「生物兵器、ですか?」

「まさか・・・・・・」

 

 物騒過ぎる言葉に、友哉と茉莉は思わず絶句した。

 

 日本では核兵器、細菌兵器、生物兵器の開発、保有は法律によって禁止されている。もし開発を行えば、個人だけでなく会社そのものが操業停止に追いやられるだろう。

 

 にわかに信じがたい話である。

 

「私も、初めはそう思いました。しかし、調べてみたら、確かにここ数年、社長を中心にして、極秘のプロジェクトが行われている事が判ったんです」

「極秘って、武田さんにも知らされずに、ですか?」

 

 専務すら知らないプロジェクトなど、果たして存在するのだろうか?

 

「私は、どちらかと言えば経理担当ですので。開発にはあまり手を付けていないのです」

 

 武田の説明によれば、浪日製薬では研究開発部が1つの独立したセクションになっているらしい。その総指揮は社長自ら取っており、詳細を知る者はごく僅かだとか。武田をはじめとする経営陣は、経理や広報、営業などを担当しているらしい

 

「でも、極秘プロジェクトがある、ってだけじゃ、生物兵器を開発している事にはなりませんよね。他に何か、証拠になるような物があったりしますか?」

「はい。そこで、私も独自に調べたのですが、どうやら社長は、小笠原諸島の一角に、独自の研究施設を持っているらしいのです。そこは絶海の孤島で、週1回の船による定期便以外、連絡手段がないらしいんです。正式な会社の研究施設は他にあるのですが、それ以外に、社員にも秘密の研究施設を、そのような人目を隠すような場所に作る事が、どうにも私には疑わしく思えてならないのです」

 

 言われてみれば、確かに怪しく思える。

 

 ただの製薬工場なら、そんな辺鄙な場所に作る必要はない。だいたい、そんな場所に造れば、完成した製品を運び出すだけでも一苦労だし、輸送に掛かる費用もばかにならない。

 

 つまり、人目に付かせたくない物で、尚且つ、その程度の出費を度外視しても良いレベルの品物を、その工場で作っている、という論法が成り立つ。

 

 火の無い所に煙は立たない、とは古来から言われている事だ。それを考えると、この疑惑も真実味を帯びて来る。

 

「公的機関に調査を依頼し、もし万が一、黒であった場合、会社が受ける被害は測り知れません。だから、武偵校に調査依頼を出したのです。緋村さん、瀬田さん。どうかこの通り、宜しくお願いします」

 

 そう言って武田はテーブルに手を突くと、深々と頭を下げる。

 

「友哉さん、私は、受けても良いと思います」

 

 茉莉は控えめに、そう言ってくる。

 

 確かに、この話が本当なら、大変な事になる。

 

 暫く目を瞑って黙考した後、友哉は武田に目を向けた。

 

「武田さん。定期便が出るのはいつですか?」

「今夜です。時間は夜の7時」

 

 時計を見る友哉。

 

 時間は充分にある。今から向かえば、潜入は充分に可能だろう。

 

「判りました。この依頼、お受けします」

「あ、ありがとうございます!!」

 

 そう言って、再び頭を下げる武田。

 

 まずはその問題の島に乗り込む。その上で白なら良し。だが、万が一黒なら、その時は相応の対処をする必要があった。

 

 友哉がそう考えた時だった。

 

「友哉さん、これッ」

 

 茉莉の緊迫した声に、友哉は思考を止めて、彼女の方を見る。

 

 対する茉莉は、緊張した面持ちで、貰った資料を指差している。

 

 そこに書かれている人物の名前を見て、

 

「ッ!?」

 

 友哉は絶句した。

 

『浪日製薬代表取締役社長:石井久志』

 

 そこには、そう書かれていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大井コンテナ埠頭と言えば、すぐ目と鼻の先に学園島が見える場所にある。

 

 ここはある意味、友哉にとって因縁の深い場所である。

 

 あの《仕立屋》由比彰彦と初めて対峙した場所であり、そこから連綿と続く因縁が始まった場所でもある。

 

 隣を歩く茉莉。

 

 もしこの場所の因縁がなかったら、彼女と出会う事も無かったかもしれない。

 

 そう考えると、決してマイナスのイメージばかりがある訳では無かったが。

 

 武田が運転する車で埠頭にやって来た友哉と茉莉が見た物は、荷物の積み込み作業を行っている大型のコンテナ船だった。

 

 島にどれくらいの人間がいるのかは判らないが、その全員が1週間生活できるだけの必需品を輸送しているのだ。あれくらいの大きさは必要なのかもしれない。

 

「あれ、ですか」

「ええ」

 

 友哉の問いかけに、武田は緊張した面持ちで答える。

 

 彼の話では、島までの航程は船を使って24時間弱。結構な距離と言えるが、あれだけの大型船なら隠れる場所はいくらでもある。それくらいの密航くらい、何とかなるだろう。

 

 友哉は、背後の武田に振り返った。

 

「武田さんは、ここまでです。後は僕達に任せてください」

「いや、しかし・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、武田は難色を見せる。

 

 彼としては、自分も島に乗り込んで、研究所の実態を確かめたいところなのだろう。武田の、会社に対する熱意はそれだけ重いのだ。

 

 だが、武偵として、依頼人を危機に晒す訳にはいかなかった。

 

「これ以上は万が一という事もあります。何かあった場合は連絡を入れますから」

 

 ここに来る前に装備科に立ち寄り、衛星通信可能な携帯電話を借りて来た。これならどこにいても、リアルタイムの交信ができる。

 

 友哉の言葉に対して、武田は苦い顔をしながらも引き下がった。彼自身、これ以上ついて行けば自分が足を引っ張ってしまう事は判っているのだろう。

 

「判りました。では、宜しくお願いします」

 

 一礼して去っていく武田を見送り、友哉は茉莉に向き直った。

 

「行こうか」

「はい」

 

 短いやり取りと共に頷き合う2人。

 

 2人は帳が下りる闇を縫って、足早に船の方へと近付いて行った。

 

 

 

 

 

 思った通り、船の中には充分な広さがある。

 

 加えて、襲撃の可能性を考慮していないのか、作業員や警備員の数も少ない為、友哉や茉莉が身を隠すのには、充分なスペースがあった。

 

「何とか、なりそうですね」

「うん」

 

 僅かな振動から船が動きだした事を感じ取りながら、2人は暗がりの中で会話を交わす。

 

 今2人がいるのは、格納庫に積み上げられたコンテナ。その内の1つの中だった。幸い、あまり物が入っていないコンテナがあったので、その中に身を隠したのだ。

 

 コンテナの中なら、島に着くまで中を改める事も無い筈。24時間もの間潜伏していなくてはならない以上、なるべくリスクの低い隠れ場所を選択したのだ。

 

 携帯食料や水なら備えがある。ここでなら、どうにか24時間くらいやり過ごせるだろう。

 

「それはそうと、友哉さん、気になりませんか?」

「おろ?」

 

 突然の質問に、友哉は闇の中でキョトンとする。

 

「さっきの、資料にあった名前の事です」

「・・・・・・ああ」

 

 茉莉の言葉に、友哉も頷きを返した。

 

 武田から渡された資料に遭った、浪日製薬社長の名前。

 

 石井久志。

 

 あの石井忠志と同じ名字。加えて、名前の響きも似ていると来た。

 

 まさか、と思う。こんな偶然があるのだろうか? と。

 

 しかし石井の人質殺人未遂事件の説明を受けた時、ゆとりも石井の父親が大会社の社長をしていると言っていた。だとするならば、こうなる可能性も無い訳では無かった筈だ。

 

「妙な所で、話は繋がって来るね」

「・・・・・・そうですね」

 

 暗闇の中でも、茉莉が俯いているのが判る。

 

 あの事件によって茉莉が受けた傷は、他人はおろか、茉莉自身が思っているよりもずっと深いのかもしれない。

 

 そう考えた友哉は、そっと手を伸ばし、

 

「あっ・・・・・・」

 

 茉莉の頭を撫でてやった。

 

「茉莉は悪くないよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉が、闇の中から優しく響いて来る。

 

 闇に阻まれたその顔を、茉莉は至近距離にいながら見る事ができない。

 

 しかし、向かい合うだけで、少年が可憐な容貌に、優しげな笑みを浮かべている事を想像する事ができた。

 

「茉莉は何も悪くない。けど、全ての善意がいつでも良い方向に行くとは限らない。それが今回、たまたま、最悪の方向に行ってしまっただけだよ」

「友哉さん・・・・・・・・・・・・」

「だから茉莉。君は、自分の優しさを決して捨てないでほしい」

 

 だって僕は、君のその純粋な優しさが、とても好きだから。

 

 かつて、その溢れ出るほどの優しさゆえに、自分の全てを捨てて犯罪組織に身を投じた少女。

 

 自分の事より、他人の事の為に怒り、泣く事ができる少女。

 

 だからこそ、友哉は目の前にいる少女の事が好きになったのだ。

 

 ただ、

 

 この段になって尚も照れくささが勝ってしまい、友哉は言葉の後ろ半分を声に出す事ができなかったが。

 

 代わりに友哉は、茉莉の頭をそっと、かき抱くように自分の胸へと抱きよせる。

 

 茉莉もまた、抗う事無く友哉の胸に身を任せる。

 

 静かに揺れる波の振動の中、互いの顔が見えない闇に包まれて、しかし茉莉と友哉は、互いの温もりだけをしっかりと相手に伝えあっていた。

 

 

 

 

 

第3話「特別依頼」      終わり

 


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