緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

81 / 137
第4話「告白」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その島が、地図上から消されている事に気付いている人間は、恐らく1人もいないだろう。

 

 八丈島から南西に350キロほど進んだ場所にある小さな離島。

 

 黒潮の直撃を受けるその島は、常に荒天のような荒波にもまれている為、船で乗り付けることは難しい。かつ一般の航路からも外れている為、付近を船舶が航行する事も無い。

 

 つまり、人目に着く事自体が、殆ど稀である。

 

 隣島の住人にすら、長くその存在は疑問視されていた。

 

 周囲に人が住める島が全く存在しない、完全なる離島。

 

 晴れた日には全く見る事ができず、小雨が降った時のみ、遠方に黒々としたシルエットを僅かに覗かせる、幻のような島。

 

 地下に巨大な空洞でもあるのか、風が強い日には獣が唸るような声が遠く波に乗って聞こえて来る事もあった。

 

 古くは漁師の伝説にも上り、島の付近まで行った漁師は、事故に遭う者が続出したとか。更に、好奇心から上陸した者は1人も帰って来なかったとか。呪われた曰くが絶えない。

 

 その存在自体が、怪物じみた伝説を持つ島。

 

 故に、小笠原諸島の住人達は、恐怖と共に、島の事を、こう呼んだ。

 

 

 

 

 

 曰く「骨喰島」と。

 

 

 

 

 

 波とエンジンの振動に身を任せているうちに、どうやら眠ってしまっていたらしい。

 

 友哉が目を覚ますと、そこはまだ暗闇の中だった。

 

 一瞬、まだ夜なのかとも思ったが、そうではない。自分達がほぼ丸一日、光の差さないコンテナの中にいた事を思い出した。

 

 頭がはっきりしてくると同時に、友哉はある事に気付いた。

 

 眠る前と比べて、船の振動が少なくなっている。まだ動いている感覚はあるが、明らかに減速しているのが判った。

 

 そこから考えられる答は、1つしか無い。

 

「港に、近付いている・・・・・・」

 

 島が近付いた為、船が減速して停泊の準備に入ったのだ。恐らくこの後、岸壁に着けて荷降ろし作業に入るのだろう。

 

 こうしてはいられない。荷下ろし作業の合間に隠れて、船から脱出しないと。

 

「茉莉、起きて。降りるよ」

 

 そう言って、ゆり起そうと腕を伸ばした時、

 

 ムニュ

 

「おろ?」

 

 何やら、掌に好ましい感触が伝わってくるのを感じた。

 

 何だろう、あまり馴染のない感触だ。指に力を入れるだけで、面白いように吸いついて行くのが判る。

 

 とても柔らかく、ずっと触っていたいような感覚。

 

 放っておいたら、暫くこのまま弄んでしまいそうだ。

 

「あ、あの・・・・・・友哉さん・・・・・・」

 

 いつの間にか起きていた茉莉が、暗がりから声を発して来た。

 

 だが、声の調子がおかしい。何と言うか、長い付き合いだから判るのだが、茉莉が恥ずかしがっている時に出すような声だ。

 

「その・・・・・・そこは、あんまり、触らないでもらえると・・・・・・で、でも、友哉さんが触っていたいなら、少しくらいなら、い、良いですよ・・・・・・」

 

 何を言っているのか、と問おうとして、

 

 友哉は今、自分が何をしているのか気付いた。

 

 暗がりで判らなかったが、

 

 友哉の手は、茉莉の胸を鷲掴みにして、あまつさえ揉みまくっていたのだ。

 

 いつも胸の小ささを気にしていた茉莉。確かに傍から見た限りでは御世辞にも大きいとは言い難いのだが、

 

 こうして触ってみると、確かに「ある」のが判る。

 

「う、ウワァッ!?」

 

 慌てて手を離す友哉。

 

「ご、ごごご、ごめん茉莉ッ」

「い、いえ、私の方こそ、変な物を触らせてしまいまして・・・・・・」

 

 滑稽だった。

 

 顔も見えないほどの暗がりにいると言うのに、お互いの顔がリンゴのように真っ赤になっているのが判ってしまったのだ。

 

 友哉は(暗くて見えないのを良い事に)、掌に残っている感覚を反芻してみる。

 

 女の子の胸に触るなんて、少なくとも物心ついて以降は初めての事だ。しかも、相手は茉莉。友哉が片思い(と勘違い)している少女である。

 

 その柔らかい感触を思い出すだけで、血液の温度が上昇するのが判った。

 

 とは言え、いつまでもラブコメっている訳にもいかないので、暫く互いのまま無言を維持して落ち着きを取り戻すと、周囲に気配が消えたのを見計らってコンテナの外に出た。

 

 扉を開けた瞬間、眩しい光が差し込み、一瞬目を細める。

 

 一応、定期的にドアを開けて光を見るようにしていたので失明の心配はないのだが、やはり若干の眩しさは避けられなかった。

 

 船が岸壁に着き、錨を下ろすのを確認してから、友哉と茉莉は人の目を避けつつ船から降りた。

 

「これからどうしますか?」

 

 港から離れた場所で一息つきつつ、茉莉が尋ねる。

 

 ここまで来れば、誰かに見咎められる事も無いだろう。

 

「まずは島の状況を調べよう。あまり大きい島じゃないみたいだけど、それでもこの広さなら人が住んでいる可能性もあるし」

 

 浪日製薬の事を調べるにしても、まずは島の事を知らない事には話にならなかった。できれば、件の研究施設の関係者と接触して情報を引き出せればベストだが、流石にそれは贅沢を言いすぎかもしれない。

 

 だがそれ以外にも、島の地形や住民の有無など、調べておかなくてはならない事は山のようにある。

 

「さ、行こうか」

「はい」

 

 まずは島を一巡りする。

 

 その上で対策を立てよう、と言う事になった。

 

 

 

 

 

 だが、この時、2人は気付いていなかった。

 

 歩き出す2人の背中を、じっと睨み付ける視線があった事に。

 

 

 

 

 

 石井久志は、今年で61になる。

 

 老年と呼んでも差支えは無い年齢だが、若い頃からスポーツをやって鍛えた体は引き締まり、社長に就任した今でも、週2度のジム通いを欠かしていない。

 

 若い頃は大学で医学と薬草学を学び、卒業後は知人の経営する会社の研究チームに加わって、社の発展に大きく貢献した。

 

 また同時に、経営学も並行して学んだため、それらで得た知識は、会社経営に大きく役に立った。

 

 そんな久志は今、自分が経営する浪日製薬が持つ、研究施設の1つを訪れていた。

 

 ここは社内でも、ごく一部の物しか存在を知らない秘密の研究施設である。

 

 隣島の住民から「骨喰島」の名前で呼ばれ恐れられているこの島では、戦前から様々な医療関係の研究が行われてきた。

 

 病原菌の探索、特効薬の開発、危険植物の研究。

 

 ここで開発された物で、日本医療の発展に大きく貢献した物も少なくはない。

 

 戦前は軍の管理施設であったこの場所を久志が知ったのは、彼の父が旧日本軍の軍医であったからに他ならない。久志の父はそういった、当時としては最先端の医療を研究するチームの一員だったのだ。

 

 地図にも載っていない島である為、米軍による小笠原諸島侵攻の際にも標的にされる事は無く、大きな被害を受ける事を免れたのだ。

 

 研究所自体にも、カムフラージュが施されている。

 

 外観だけを見れば、ただの朽ち果てた廃墟にしか見えないだろう。しかし、その地下には島全体に広大な空間が掘り進められており、そこがメインの施設となっていたのだ。

 

 研究施設に足を踏み入れると、清潔な廊下や壁が見え、多くの研究員達が行き来していた。

 

「計画は予定よりも遅れているようだな」

 

 久志が厳しい口調で語りかけた相手は、背後に立っている彼の秘書だった。

 

 吉川志摩子(よしかわ しまこ)と言う名前のまだ20歳ほどの若い女性である秘書は、動き易さを重視したのか、ダークグレーのスーツと、下は同色のパンツルックである。細められた瞳と短く切った髪から、どこか少年のような印象も受ける。

 

「研究部からは、実験が難しい段階に入ったので、慎重を期したいと言って来ていますが」

「そんな物は言い訳にはならん」

 

 志摩子の発言を、久志は言下に切り捨てる。

 

「私が奴等に金を払っているのは、この島をリゾート代わりにして惰眠を貪らせる為ではない。クビにされたくなかったら、さっさと結果を出せと言え」

「はい」

 

 この研究施設において、久志が「クビにする」と言う言葉は、たんに会社を放逐すると言う意味では無い。文字通り、首を切られて海に投げ捨てられる、と考えた方が良いだろう。

 

 実際、過去に何度も、失敗をした研究員や、方針に反対した者が、その翌日には姿を消していた、などと言う事があった。

 

 彼等は「消された」のだ。文字通り、その存在そのものを綺麗さっぱり。

 

 久志の言葉に対し、志摩子は恭しく頭を下げる。非情な命令に対し、一切、表情を動かす事は無かった。

 

 久志が、まだ若いこの女を気に入っている理由はここだった。

 

 たんに優秀なだけでも、たんに美貌だけでも久志の秘書は務まらない。彼が下す非情な命令。それを淡々とこなすだけの精神力を備えた人間でなければ、恐らく1週間と持たないだろう。

 

 その点、志摩子は120点満点で合格ラインを突破していた。これまで久志が下した数々の命令に対し、一切感情を動かす事無く忠実に実行して来たのだ。

 

「この後の予定は?」

「はい。この後すぐに、研究部の視察、部長との方針協議に入ります。その後、10時から書類決裁。昼食の後、1時から食後のトレーニング、その後は・・・・・・」

「大会社の社長ってのも、大変なんだな」

 

 スケジュールを読み上げる志摩子を遮るように、付き従っていたもう1人の男が可笑しそうに言った。

 

 年の頃は30代後半ほど。およそ大会社の研究施設には似つかわしくない、荒々しさと血生臭さを感じる。しかし、それでいて、どこか高潔な武将めいた威丈夫である。

 

 対して、久志も肩を竦めてみせる。

 

「楽では無いさ。ただ、必要だと信じているから出来るんだ」

「そんなもんかね?」

 

 進んで苦労を背負いこむような物好きの事は良く判らん。とでも言いたげな男の態度に、久志は苦笑で返す。

 

 奇妙な事に、久志はこの無礼な男の事をそれなりに気に入っていた。それは単純に、男の優秀な人物であると言う事もあるが、自分に対して一切物おじしないこの性格に面白みを感じているからかもしれないと考えていた。

 

 男は久志が個人的に雇ったボディーガードである。

 

 職業柄、久志はどうしても敵が多い。会社経営を妨害される事もあるが、それ以外に、直接命を狙われる事も多かった。それを警戒して雇った男なのだが、結果は久志の期待以上だった。

 

 男はこれまで、何度かあった暗殺未遂事件において、見事に久志の身を守り抜いたのである。

 

 本来なら、私設警備隊の隊長を任せようかとも思ったのだが、本人的には一匹オオカミが好みらしく、あくまでも一ボディーガードとして久志に着き従っていた。

 

「そう言えば、忠志はどうした?」

 

 久志は、1人息子の事を志摩子に聞いた。

 

 久志もスポンサーとして出資している、東京武偵校に入学している忠志だが、ついこの間、女子生徒を人質にして殺人未遂事件を起こして停学処分を受けていた。本来なら実刑は免れない所ではあるが、久志が横槍を入れて、停学処分にしてしまったのだ。

 

 誰にでも、大切な物と言う物はある。自分にも他人にも厳しい久志が、唯一甘い存在が、息子の忠志だった。

 

 母親に早くに先立たれた事もあり、甘やかして育ててしまった面も大きい。それ故に、17歳になった今でも気が弱く、ちょっとでも強い相手を前にしたら竦んでしまう、そんな弱い男になってしまった。

 

 その事を憂慮した久志は、忠志を武偵校に入学させ、精神的に鍛えようと考えたのだ。

 

 しかし、その結果が、あの事件である。

 

 事件の顛末の事は聞いている。あれは、どう考えても忠志の方が悪い。だがそれでも、忠志は久志にとって、たった1人の大切な息子である。助けない訳にはいかなかった。

 

 無期限停学処分になったのを機に、久志は忠志を、この離島の研究施設へと連れて来た。何かの気晴らしになればと思ったのもあるが、いずれ忠志も浪日製薬を背負って立つ身。今から少しでも会社の事を知っておいて、損はないと思ったのだ。

 

「今は、自室で休んでおいでです」

「そうか。後で様子を見に行こう。それと・・・・・・」

 

 久志は厳しい目を志摩子に向けて言った。

 

「警戒は怠らないようにしろ。どうやら、ネズミが島に入り込んでいるようだからな」

 

 そう告げると、久志は歩き出す。

 

 ネズミが彼の周りをうろつくのはいつもの事である為、今更慌てるには値しない。

 

 万が一、彼の元に来るようなら、ボディーガードの男や警備員達が排除に動くだろう。

 

 それに、万が一にも、そうなる事態が起こるとは思えない。何しろ、この島を守っているのは、ボディーガードや警備員達だけでは無いのだから。

 

 島に入り込んだネズミは、間もなくそれを思い知る事になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 11月とは言え、小笠原諸島は比較的暖かい。残暑とまではいかずとも、小春日和程度の気温は保たれている。

 

 その為、駆けまわる友哉と茉莉からすれば、行動するのに適した気候であると言えた。

 

 回って見て判ったのだが、島の周囲は黒潮の荒波で削られて高い断崖状になっている。

 

 縁に立って見ると目もくらむような高さであり、正直、ここから落ちたら友哉であっても生きていられる自信は無かった。

 

 更に島の中心部には、人の手が加わっていない生の原生林が広がっており、足を踏み入れてみると、見た事も無いような動物や鳥達が目に付いた。

 

 木々が縦横に生い茂り、周囲1メートルすら見通す事ができない密林。

 

 普通に考えれば、あまり人が歩くには適さないような場所だが、そこは、武偵校でも屈指の身軽さと機動力を誇る2人。道なき道を、まるで舗装された道路と同じような気軽さで越えて行ってしまう。

 

 2人が島を1周するのに、2時間も掛からなかった。

 

「・・・・・・成程」

 

 一通り回り終えてから、友哉は急速も兼ねて足を止めた。

 

 友哉自身はまだ体力に余裕があるが、茉莉の方は友哉に合わせて長時間走り続けた事もあり、いい加減、限界が近いようである。

 

 持って来た水で一息入れながら、友哉は島の情景を思い出していた。

 

 島は南北に3キロ、東西に2キロほどの楕円形に近い外見をしている。人が住んでいる気配はなく、地表の殆どが密林となっている。もっとも、2時間で全てを見れた訳ではないので、密林の奥の方がどうなっているのかは判らないが。

 

「・・・・・・妙だね」

「そうですね」

 

 友哉の疑問符に、茉莉も頷きを返す。どうやら、ほぼ同時に同じ疑問にぶち当たったようだ。

 

 2人が密航して来た船は、大型の貨物船である。具体的な積載量は判らないが、相当な物資の輸送が可能な筈であり、事実、船倉にはたくさんの大型コンテナが積まれていた。

 

 逆を考えれば、それだけたくさんの物資が必要なほど、大きな施設、あるいはたくさんの住人が、この島にいる筈なのだ。

 

 だが、ザッと見た限りでは、港以外で人の姿は見ていない。

 

「見落としたんでしょうか?」

「いや、その可能性は低いと思う」

 

 物資の量から計算して、見落とすような規模ではない筈。それに、物資を運ぶ為には、必ず、大掛かりな集積所や、電力施設、輸送トラックが通る為の大掛かりな道路も必要となるが、それすらこの島には見当たらないのだ。

 

 そんな事は、物理的にあり得ないはずだ。

 

 そこまで考えた時だった。

 

 ポツッ

 

 ポツッ

 

「あ・・・・・・」

「おろ?」

 

 ポツポツッ

 

 冷たい雫が、2人の頭や肩に落ち始めた。

 

「これは・・・・・・」

「雨、ですね」

 

 言っている間にも、雨足は急速に強くなり始めた。

 

 次の瞬間、視界が白く染め上げられたかと思うと、一瞬の後に耳を劈くような轟音が鳴り響いた。

 

「キャッ!?」

 

 思わず、耳を押さえて縮こまる茉莉。どうやら、島のすぐ近くに雷が落ちたらしい。

 

 別段、アリアと違って雷が苦手と言う訳でもない茉莉だが、流石に今のは驚いたようだ。

 

「茉莉、こっちッ!!」

 

 友哉は茉莉の手を引っ張ると、大急ぎで木蔭へと引っ張り込んだ。

 

 海上にある離島と言う事で、急変した天候は一気に悪化し易いのだろう。雨はまたたく間に豪雨となり、地面がぬかるんだ沼と化す。

 

「暫く、様子を見た方がよさそうだね」

「そうですね」

 

 上空を見上げながらそう言うと、2人はその場に腰を下ろした。

 

 とにかく、ここまで強い雨足だと、迂闊に探索もできない。下手をすると遭難と言う事態もあり得る。この離島でそうなると、洒落にならないだろう。

 

 ここは雨が小降りになるまで、ジッとしていた方が賢明だった。

 

 だが待っていても一向に止む気配がない。

 

 強い豪雨である為、木陰にいると言っても、雨を完全に防げるわけではない。徐々に浸すように、体が濡れて行くのは避けられなかった。

 

「クシュンッ」

 

 暫くすると、可愛らしいくしゃみが茉莉の口からこぼれて来た。

 

 友哉が振り返ると、少し彼女の顔が赤いのが見えた。どうやら、この雨のせいで、少し体が冷えてしまったらしい。

 

「大丈夫?」

「はい、このくらいなら・・・・・・」

 

 そうは言っているが、少し声の調子がおかしい。それに顔が赤いのは、熱っぽいせいもあるのかもしれない。

 

 友哉は着ているコートを脱ぐと、茉莉の肩にそっと掛けてやった。

 

「友哉さん?」

「体を冷やしたら、まずいだろうからね」

 

 男の友哉なら多少体が冷えた程度でどうという事も無いが、女の茉莉は、体調不良に直結する可能性もある。それに船旅や、馴れない環境のせいで体力が落ちている可能性もある。

 

 一応、いくつか薬の持ち合せもあるが、このような場所で病気になるのは避けたかった。

 

「あ、ありがとうございます・・・・・・」

 

 消え入りそうな声でそう言うと、茉莉は両手でコートを掻き抱く。それだけで、友哉の温もりを感じる事ができた。

 

 2人とも、暫く無言のまま、特にする事も無く並んで座り込んでいた。

 

 雨の勢いは若干弱まったものの、まだ動きまわれるレベルでは無く、むしろ長雨になりそうな雰囲気すらあった。

 

 その時だった。

 

「キャッ!?」

 

 突然、地面に座っているお尻に熱い物を感じ、茉莉は思わず飛び上がった。

 

「ど、どうしたの?」

「いえ、何だか、熱い物が流れて来て・・・・・・」

 

 言われて、友哉は茉莉が座っていた辺りに手を当ててみる。

 

 確かに、少し暖かい感覚が伝わってくる。これが地面や雨の感触では無い事は、すぐに判った。

 

「おろ・・・・・・これは・・・・・・」

 

 掌で地面を撫でながら、友哉の中である種の確信のような物が生まれていた。

 

 これはもしかすると、天の恵みかもしれない。

 

「茉莉、行こう」

「え、ゆ、友哉さん?」

 

 戸惑う茉莉の手を引いて、友哉は雨の中を駆けだす。

 

 恐らく、これを辿っていけば、友哉の予想通りの物がある筈だった。

 

 

 

 

 

 果たして、

 

 行きついた先には、友哉の思い描いた通りの物があった。

 

 そこはちょっとした洞窟になっており、雨風を凌げるようになっている。

 

 そして、その洞窟を2メートルほど奥に進んだ場所に、それはあった。

 

 もうもうと湯気を立て、視界が殆ど効かない中、2人の前には、ある程度の広さを持った水たまりが広がっていた。

 

 深さもそれなりにあるらしく、人が入るにはちょうど良い広さだ。

 

 そう、そこには天然の温泉が広がっていたのだ。

 

「やっぱりね」

 

 友哉は自分の考えが的中し、満足げに指を鳴らす。

 

 熱い液体が流れて来た時点で、どこか近くに温泉が湧いているのでは、と思ったのだ。

 

 一応、持っていたライターで、適当な紙に火を付けて放り込むと、パチパチと勢いよく燃えた。有毒ガスが発生していない証拠である。更に、近付いて手を入れてみると、熱すぎる事と言う事も無い、程良い温もりが伝わってくる。

 

 危険がない事を確認して、友哉は茉莉に向き直った。

 

「茉莉、入りなよ」

「え?」

「風邪引くとまずいからさ」

 

 ここで天然の温泉を見付けられたのは僥倖だった。体を温める事ができれば体調を崩す事も無いだろう。

 

「僕は外で見張っているから、茉莉、先に入りなよ」

「え、あの・・・・・・」

「気にしなくても、僕も後で入るから」

 

 そう言って、外に出ようとした友哉。

 

 その袖を、茉莉が掴んだ。

 

「おろ?」

「あ、あの・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は、これまでにないくらいに顔を真っ赤に染めて俯いている。殆ど、下を向いているに等しいレベルだ。

 

「どうしたの? 風邪引くとまずいから、早く入りなよ」

「い、いえ・・・あの・・・・・・」

 

 茉莉は尚も下を向いたまま、友哉の袖を握っている。

 

 やがて、意を決して顔を上げた。そして、ただでさえ、スズメの涙くらいしか無い勇気を総動員して口を開いた。

 

「い、一緒に入りませんか?」

「・・・・・・おろ?」

 

 一瞬、友哉はキョトンとした。

 

 目の前の少女が、一体何を言っているのか判らなかったのだ。

 

 やがて、言葉の意味が徐々に脳へと浸透して来る。

 

 ここは温泉で、ここには友哉と茉莉しかいなくて、そして「一緒に入りませんか?」と来れば・・・・・・

 

 言葉を組み合わせてみて、友哉は一気に顔が赤くなるのを感じた。

 

 つまり、茉莉は友哉に、一緒に風呂に入ろうと言っているのだ。そして、有史以来の常識として、風呂に入る時には、服を脱がなくてはいけない訳で・・・・・・

 

「あ、あのあの、どの道、こんな所に、誰かが来るとは思えませんし、そのっ、2人で別々に入るよりも、一緒に入った方が、時間的なロスも少なくて済みますし、あの、えっと・・・・・・」

 

 必死になって、言い訳を並べたてる茉莉。

 

 対して友哉は、顔を赤くしたまま茉莉をまじまじと見つめている。

 

 正直、あの大人しい茉莉が、こんな大胆な事を言ってくるとは、思いもよらなかったのだ。

 

「い、いや、でも・・・・・・」

 

 ここで流されちゃダメだ。彼女の事は好きだが、ここで流されたら、自分は色々な物を失ってしまう。

 

 煩悩の大攻勢に対して、理性が最後の抵抗をする。

 

 そこへ、

 

「だ、だめ、でしょうか?」

 

 上目遣いに、友哉を覗き込む仕草をする茉莉。

 

 恐らく、狙ってやった物では無かったのだろう。

 

 だが、

 

 ドキンッ

 

 友哉の心臓が、ひと際大きく跳ね上がる。

 

『ま、茉莉って、こんな可愛い顔もできたんだ・・・・・・』

 

 勿論、普段の茉莉も充分にかわいい。だが、今の表情は正に別格だったと言える。

 

 そして、

 

「わ、判った・・・・・・」

 

 友哉の理性は、煩悩に無条件降伏した。

 

 

 

 

 

 チャプ・・・・・・

 

 控えめな音が聞こえた瞬間、友哉はあからさまに肩を震わせる。

 

 まさか、こんな事になるとは、全くの想定外であった。

 

 そう言えば、夏休みに茉莉の実家に行った時、偶然だが彼女の裸を見てしまった事を思い出した。

 

 もっとも、あの時は殆ど事故のような物だったし、直後に瑠香に蹴り飛ばされた為、じっくりとは見ていないのだが・・・・・・

 

『いやいやいやいやいやいや』

 

 ブンブンと頭を振る友哉。

 

 だからと言って、今じっくり見て良い訳ではないだろう。

 

「あ、あの、友哉さん。もう、大丈夫です」

「あ、そ、そう」

 

 言いながら、振りかえる友哉。

 

 そこには、湯に浸かった茉莉の姿があった。

 

 体の大半は湯で隠れている。しかし、剥き出しになった肩から首にかけてのラインがハッキリと見えてしまっていた。

 

 高鳴る心臓を押さえられない。

 

 茉莉と一緒に風呂に入っている。正直、幼馴染の瑠香とすら、小学生以降一緒に入った事はない。

 

 それが、緊急時とは言え、このような事になるとは思いもよらなかった。

 

 これで緊張するなと言うのは、呼吸を止めろと言われているに等しいだろう。

 

「こ、こんな所に、温泉があって、良かったね」

「そ、そうですね」

 

 2人してぎこちなく言いながら、沈黙してしまう。

 

 緊張しているのは、お互いさまだった。

 

 友哉同様に、茉莉もまた心の底から湧き出る気恥かしさに、沈黙を持って耐えている状態であった。

 

『うう~ どうして、あんな事を言ってしまったのでしょう』

 

 後悔していない、と言えば嘘になる。

 

 とは言え、いつまでも現状維持に甘んじていたいかと言えば、それも嫌だった。

 

 きっかけが欲しいかった。それが、どんな些細な事であっても。

 

 自分が奥手すぎる事も自覚している。だから、それを打破するだけの何かを、茉莉は求めていたのだ。

 

 その為だったら、羞恥心の一つや二つ、越えて見せる。

 

 と、決意したまでは良かったのだが、

 

『や、やっぱり、ダメです・・・・・・・・・・・・』

 

 恥ずかしくて堪らなかった。

 

 まともに、友哉の顔を見る事もできない。

 

 そんな茉莉を見て、友哉はフッと微笑んだ。

 

 そして、

 

「茉莉、こっちにおいで」

「あっ・・・・・・」

 

 茉莉が何かを言う前に、友哉は彼女の腕を引きよせる。

 

 気付いた時には、茉莉は友哉に背後から抱かれるような格好になっていた。

 

「ゆ、友哉さんッ」

 

 互いに一糸纏わぬ状態での密着。

 

 茉莉の背中は、友哉の胸に密着して互いの体の感触を伝えあっている。

 

 恥ずかしさで声を上ずらせながら、抗議しようとする茉莉。

 

 だが、そんな彼女に、友哉はあくまで静かに語りかける。

 

「・・・・・・ずっと、こうしたかった」

「・・・・・・え?」

 

 思わず、上げかけた声を止める茉莉。

 

 その耳元で囁くように、友哉は言葉を紡ぐ。

 

「きっかけが何だったのか、もう僕にも判らない。けど、この想いは、ずっとずっと、僕の中にあったんだと思う」

「友哉、さん?」

 

 その言葉に隠された、戸惑いと、微かな期待。

 

 温もりに包まれた中、

 

 友哉は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「茉莉、君が好きだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、茉莉の中で止まっていた時間が動きだした。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 友哉の言葉が、ゆっくりと茉莉の中へと浸透して来る。

 

 友哉が、好き? 自分の事を?

 

「あ、あの、それって・・・・・・」

「君が、好きなんだ」

 

 もう一度、耳元で、優しく囁かれる。

 

 ただそれだけで、茉莉はとろけそうなほど甘美な想いに満たされていった。

 

 まさか、こんな事が、本当にあって良いのだろうか?

 

 もしかしたら、自分は今、夢を見ているのではないだろうか?

 

 そんな事を考えてしまう。

 

 だが、背中に伝わってくる友哉の温もりは、間違いなく本物であった。

 

 そしてその瞬間、

 

 茉莉を縛る何物も、存在しなくなった事を意味していた。

 

「わ、私も・・・・・・」

 

 意を決するように息を吸い込み、茉莉は今まで胸の内に秘めて来た全てを言葉に乗せて差し出した。

 

「私も、友哉さんが好きです。大好きですッ」

 

 それは、想いが通じ合った瞬間。

 

 互いを遮る、全ての壁が意味を失った瞬間だった。

 

「・・・・・・・・・・・・ありがとう、茉莉」

 

 万感の思いと共に、友哉は自分の胸の内を告げる。

 

「茉莉と両想いになれた。たったそれだけの事が、こんなに嬉しいなんて思わなかった」

「私もです。すごく・・・・・・すごく、嬉しいです」

 

 茉莉の目から、涙がこぼれる。

 

 片思いだと思っていた。

 

 自分の思いは一方通行だと。

 

 だが、そうではなかった。友哉の方でも、自分を好きでいてくれた。

 

 その事が、堪らなく嬉しかった。

 

「でもね茉莉・・・・・・僕は、怖いんだ」

「怖い?」

 

 友哉の言葉に、茉莉は怪訝な顔をする。

 

「君も知っているでしょ。僕が、普通じゃないって事・・・・・・」

「それは、あの時みたいな?」

 

 茉莉の問いに、友哉は頷きを返す。

 

 つい先日、エムアインス、武藤海斗と戦った時に友哉が見せた、普段とは全くの真逆と言って良い人格。

 

「友哉さんには、あの時の記憶があるのですね?」

「うん」

 

 二重人格の場合、人格が切り替わっている時の記憶が欠落する場合が往々にしてある。しかし、友哉はその限りでは無いようだ。

 

「僕の中には、僕自身でも制御できない何かが棲んでいる。そいつがいつか、茉莉や、他のみんなを傷付けるんじゃないか。そう思ってしまうんだ」

「友哉さん・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は友哉の腕の中で体を返し、正面から向き合う格好になる。

 

「そんな事にはなりません」

「でも・・・・・・」

「たとえ、もしそうなったとしても、その時は私が、友哉さんを止めて見せます」

 

 そう告げる茉莉の瞳には、何者にも断ち切り難い強い意志と共に、あらゆる物を凌駕する、少年への思慕の念が込められていた。

 

「茉莉・・・・・・ありがとう・・・・・・」

「友哉さん・・・・・・」

 

 2人の間に、それ以上の言葉は必要とはしない。

 

 ただ、互いに互いの温もりを感じ合うだけで思いを通じ合う事ができる事が判ったから。

 

 2人は、上気した顔で見つめ合い、

 

 そして、ゆっくりと唇を重ね合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恋人としての通過儀式を終えた2人。

 

 しかし、自分達が温泉に入っていると言う事を、2人揃って半ば忘れていたと言うのは、いかにも間抜けな話であった。

 

 いい加減、のぼせる寸前まで行ってしまったので、2人はそそくさと湯を出ると、それぞれの服を着始めた。

 

 一応、温泉に入る前に、即席の物干し台を切った枝で作り、温泉の熱気で乾かすようにしていた。流石にコートは乾いていなかったが、制服や下着類は、我慢すれば着れなくはない程度には乾いていた。

 

 互いに背中を向け合ったまま、各々の服を着込む。

 

 そうしたのは、茉莉のお願いだった。晴れて恋人同士になったとは言え、着替えを見られるのは恥ずかしいらしい。

 

 制服を着込み、防弾コートを羽織って、逆刃刀を手に取った友哉。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 思わず、手を止めた。

 

「友哉さん?」

 

 自分の彼氏になった少年を、怪訝そうに見詰める茉莉。

 

 対して友哉は、難しい表情のまま、ゆっくりと刀を取ると、腰のホルダーに差す。

 

「・・・・・・・・・・・・やられた」

 

 低い声で苦々しく絞り出される。

 

 恐らく、雨のせいだ。あの豪雨が、自分達の感覚を鈍らせていたのだろう。そうでなかったら、自分や茉莉が気配に気付かない筈がない。

 

 囲まれている。恐らく、洞窟の出口を半包囲する形で。

 

 茉莉も状況に気付いたのだろう。菊一文字を取って、いつでも抜けるように準備する。

 

「数は、15・・・・・・いえ、20くらいでしょうか?」

「多分それくらいだね」

 

 友哉は心の中で舌打ちする。

 

 この状況は不利だ。数は大した事はないが、こちらは狭い場所に押し込められている状態。逃げるにしても戦うにしても、洞窟の入り口から飛び出さなくてはいけない。下手にのこのこ出て行ったら、ハチの巣にされるのがオチだ。加えて、周囲は密林の状態である。接近戦主体の友哉と茉莉では、機動力を減殺されて、本来の実力を発揮しきれない。

 

「で、でも、どうして、私達がここにいる事が判ったんでしょう?」

「多分、森中に監視カメラが設置されていたんだ。迂闊だったかも・・・・・・」

 

 舌打ちしてから、友哉は茉莉を見る。

 

「茉莉、ここは一旦、全速力で包囲を抜けてしまおう」

 

 2人の脚力なら、敵が反応する前に包囲を抜けられる筈。一旦、この場を脱してしまえば危機は去る筈。後は密林に紛れてしまえば、隠れるのはそう難しくない。

 

「判りました」

 

 頷く茉莉。

 

 友哉は自分の彼女の小さな手を、勇気付けるようにギュッと握ると、互いに頷き合う。

 

 視線を入口に向けた瞬間、

 

 2人は同時に駆けだす。

 

 初手からのトップスピード。

 

 外から見ていた者達は、恐らく砲弾か何かが飛び出してきたようにも見えただろう。

 

 一瞬遅れて、銃撃音が響いて来るが、圧倒的に遅い。

 

 その時には既に、2人は洞窟から50メートル近く離れていた。

 

 敵は更に、2人の背後から銃を撃ってくるが、今度は木立が射角を邪魔して2人を捉える事ができない。

 

 その間に、2人は距離を稼ぐ。

 

 やがて銃声も遠のき、人の気配も希薄になる。

 

「ここまで来れば・・・・・・」

 

 安心だろう。

 

 そう言って友哉が足を止めようとした時、

 

 突然、横合いから、殴りかかってくる影があった。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、刀を抜いて迎え撃つ友哉。

 

 走る銀の閃光は、向かって来た相手を確実に捉え、弾き飛ばした。

 

 だが、地面に転がった相手を見て、友哉は思わず絶句した。

 

 その人物は上半身裸なのだが、その肌は毒々しい紫色に染まっている、更に腕の筋肉は異様に盛り上がり、指には鋭い爪がある。伸び放題の伸ばした髪の下で目が爛々と輝き、口元には牙が伸びていた。

 

「こ、これは・・・・・・」

 

 その異様な姿に、覚えの声を上げる茉莉。

 

 確かに、見ただけで嫌悪感を呼び起こされるような風体だ。

 

 しかも、

 

 それ1体では無い。

 

 密林から滲み出るように、同じ風体の者が続々と現われて来たのだ。

 

「クッ!?」

 

 襲い掛かって来る相手に対し、刀を振るって薙ぎ払う友哉。

 

 更に、向かってくる敵を、刀で打ち払う。

 

 しかし、敵は仲間が倒される事も厭わず、次から次へと襲い掛かってくる。

 

 茉莉も刀を抜いて応戦しているが、あちらも似たような状況だ。

 

「クッ きりがないッ!?」

 

 何体目かの敵を倒しながら、友哉は吐き捨てるように言う。

 

 見れば、倒した異形の内、比較的打撃の軽かった者は、既に起き上がって、再び向かって来ている。

 

 まるで不死の敵を相手にしているかのようだ。

 

 時間を追うごとに、数も増えて来ている。このままではじり貧は目に見えていた。

 

 いつしか、茉莉とも大きく引き離され、孤軍を余儀なくされていた。

 

「仕方がない・・・・・・」

 

 友哉は手近な敵を刀で薙ぎ払うと、声を上げて叫んだ。

 

「茉莉、ここは一旦、バラバラに逃げて、後で落ち合おう!!」

「判りました!!」

 

 今や敵の数は、目に見えるだけでも20は下らない。密林の中の気配を探れば、更にその倍はいそうだ。

 

 無理に合流しようとすれば、却って包囲される危険性もある。ここはバラバラに逃げて、後で座標を決めて落ち合った方が得策に思えた。

 

 友哉と茉莉は、ほぼ同時に、互いに正反対の方向へと走り出した。

 

 

 

 

 

 幸いな事に、襲って来た異形どもの足はそれほど速くはない。友哉が全力で走れば、あっという間に引き離してしまった。

 

 茉莉の方も、心配はいらないだろう。彼女の足は友哉よりも速い。恐らく、捕まる心配はない筈だ。

 

 走り続けた友哉は、いつしか海岸線に出ていた。

 

 海岸と言ってもそこは砂浜では無く、切り立った崖である。

 

 恐らくこの島は、太古の昔にはもっと大きかったのだろう。それが何万年もの時を掛けて風や波で削られ、今のような形となったのだ。

 

 周囲を探ってみるが、人の気配はない。どうやら、追っ手は完全に撒いたようだ。

 

「それにしても・・・・・・・・・・・・」

 

 足を止め、沈思する。

 

 先程の異形の敵は、一体なんだったのだろう?

 

 一応、形的に人間に見えなくもない。四肢があり、首があり、2足歩行をしていた。

 

 しかし、見た目の異形さが、人間の持つイメージからかけ離れ過ぎていた。

 

 「鬼」と言うキーワードが、友哉の頭に浮かぶ。

 

 かつて相対した「鬼」と言えば、吸血鬼であるブラドとヒルダの親子、そしてエリザベートの3人だが、彼等は残忍であっても理性はあった。

 

 だが、先程の敵には、理性の欠片すら感じられなかった。

 

 まるで獣のように、本能の赴くままに襲って来た。そんな感じだった。

 

 友哉の持っている情報の中で、考えられる物は一つしか無い。

 

「生物兵器・・・・・・」

 

 出発前に武田に聞いた情報。

 

 浪日製薬は、密かに生物兵器を研究、製造していると言う。それを確かめるのが、今回の仕事だ。

 

 だが、今回の襲撃で、その疑いは濃厚になったと言える。

 

 とにかく、もう少し調べる為にも、早く研究施設を見付ける必要があった。

 

 その時、

 

「御名答、なかなか鋭いじゃないか」

 

 突然の声に、とっさに振り返る友哉。

 

 そこには、1人の男が立っている。

 

 落ち着き払った雰囲気と、飄々とした態度。それと同時に、一目で判る、血生臭い印象。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 警戒するように、刀の柄に手をやる友哉。

 

 目の前の男が、ただの一般人でない事はすぐに判った。恐らくはこの島の警備をつかさどる者。それも、どちらかと言えば、表には出せないような仕事が専門であろう。

 

「ほう」

 

 そんな友哉の態度に、男は感心したように声を発する。

 

 自分の正体を一目で看破した事を称賛しているのだ。それに、

 

「奇遇だな、お前さんもか」

 

 そう言って取り出して見せたのは、

 

 鞘に収まったままの日本刀だった。

 

 男は鞘から日本刀を抜き放つと、切っ先を友哉に向けて正眼に構える。

 

柳生当真(やぎゅう とうま)。押して参る」

 

 言い放った瞬間、

 

 地面を踏みぬかんとする勢いで、当真は切り込んで来た。

 

「クッ!!」

 

 とっさに、友哉も抜刀しながら迎え撃つ。

 

 ギンッ

 

 一瞬の火花と共に、互いの刃が押し返される。

 

 一見すると互角。

 

 しかし、

 

『強い・・・・・・』

 

 ボクシングのジャブを撃ちあったような僅かなぶつかり合いだったが、友哉は自分の体が押し戻されるのを感じた。

 

「逆刃刀とは、随分面白い刀だな!!」

「どうも」

 

 互いに軽口をたたき合いながら、相手に対して先手を取るべく距離を縮めていく。

 

 そこへ更に、当真が切り込む。

 

 大上段からの鋭い打ち下ろし。

 

 対して友哉も、斬り上げるように迎え撃つ。

 

 互いの刃がぶつかり合い、

 

 そして、

 

「グッ!?」

 

 僅かな拮抗の後、友哉は押し返された。

 

 凄まじい膂力だ。恐らく、まともな打ち合いで相手にもならないのではないだろうか?

 

 更に、後退する友哉を追って、当真は横薙ぎの剣を繰り出して来る。

 

 速度は充分。威力は言うに及ばず。

 

 風を巻いて向かってくる剣を、友哉は辛うじて回避する事に成功する。だが、ここは崖の上。いつまでも受けに回っているのは分が悪すぎる。

 

 幸いな事に、ここは密林からも外れ、視界も開けている。縦横無尽な3次元的戦闘を得意とする飛天御剣流にとって、戦いやすい戦場である。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 距離を取って、刀を背に隠し、抜き打つように構えを取る。

 

 その様子を見て、当真も無理に攻めて来るような事はしない。友哉が何かを狙って足を止めた事を見抜いたのだ。

 

 当真の剣は、友哉の飛天御剣流ほど派手と言う訳ではない。言ってしまえば、基本に忠実な剣だ。

 

 だが、その忠実な剣を、鍛えに鍛え抜き、更に当真本人の膂力を加える事で、絶対不可侵な必殺剣へと昇華させている。例えるなら、斎藤一馬の牙突や、杉村義人の龍飛剣のように。

 

 それだけに、手ごわい。並みの技では弾かれるだけでなく、その上から叩き潰されるだろう。

 

『一撃に、全力を掛ける』

 

 心の中で呟き、刀を持つ手に、僅かに力を込めた。

 

 激発する。

 

 次の瞬間、

 

「そ、そこまでだよ」

 

 およそ、戦場に似つかわしくない、緊迫感を著しく欠いた声。

 

 真剣勝負を、下らない冗談で水を差されたような、そんな不快感。

 

 苛立ちと共に振り返り、

 

 そして友哉は絶句した。

 

 そこに立っていた人物に、見覚えがあったのだ。

 

「い、石井・・・・・・・・・・・・」

 

 見間違いようも無い。そこにいたのは、先日、茉莉を人質にして殺人未遂を犯し、無期限停学処分となった、装備科の石井忠志だった。

 

 更に驚愕すべき事に、彼の背後にいる取り巻き。

 

 その内の1人が、茉莉を拘束して立っているのだ。

 

 友哉と別れた後、一旦は包囲を抜けた茉莉だったが、その後、大挙して押し寄せて来た警備員達に捕まってしまったのだ。

 

「す、すみません、友哉さん・・・・・・」

 

 茉莉は刀と銃を取り上げられた上に、後手に手錠を掛けられて身動きできなくなっていた。

 

 捕まってしまった自分の彼女の姿に、友哉は唇をかむ事しかできない。

 

 そんな友哉の姿に、忠志は茉莉の頭に銃口を突きつけ、勝ち誇ったように言った。

 

「ぶ、武器を捨てろ緋村ッ 瀬田さんを殺すぞッ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 正に下種と言うべき所業だが、茉莉を人質に取られた以上、今の友哉にはどうする事もできない。

 

 代わって肩を竦めたのは、つい今で刃を交えていた当真だった。

 

「おいおい坊ちゃん。そりゃ無い話だぜ。せっかく、これから面白くなるってのに」

「う、煩いッ お前はパパに雇われた身だろッ 良いから僕に従えよ!!」

 

 ヒステリックに叫びを返してから、忠志はもう一度友哉に向き直った。

 

「さ、さっさと武器を捨てろッ 本当に殺すぞ!!」

 

 そう言って、更に銃を茉莉に突きつける忠志。

 

 ハッキリ言って、構えが素人である事は一目見れば判る。ただそれだけに、誤って引き金を引いてしまう危険性は大いにあった。

 

「友哉さん、ダメですッ!! 私は良いですから・・・・・・」

「う、煩い、お前は黙ってろよ!!」

 

 喚き散らしながら、忠志は銃のグリップで茉莉の頭を殴りつける。

 

「待てッ」

 

 茉莉の頭から血が流れるのを見て、

 

 友哉はついに折れた。

 

 ホルダーから鞘を抜き、刀を収めると、地面に向かって投げ捨てた。

 

「・・・・・・・・・・・・これで良い?」

 

 忠志を睨みつけながら問う友哉。

 

 対して、

 

「ギャハハハハハッ!! ギーヒッヒッヒッ!! ケヒヒヒヒヒヒッ ケヒッ!! ケヒッ!! ケヒッ!! イーヒッヒッヒッ!! ギヒヒヒヒヒヒヒッ!!」

 

 不快感しか呼び起こさない、忠志の笑い声が密林の中にこだまして行く。

 

 そして、

 

 銃口が友哉に向けられた。

 

「馬~鹿、お前なんかもう用済みだ。目障りだから、もうさっさと死ねよッ」

 

 言った瞬間、

 

 あっさりと、

 

 引き金が引かれた。

 

 よけようと思えば、友哉には簡単に避けられる弾丸。

 

 しかし、

 

 友哉は避けなかった。

 

 胸に着弾する弾丸。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の体は、後へ急速に傾く。

 

 下は切り立った崖。落ちたら命はない。

 

「友哉さん!!」

 

 叫ぶ茉莉と、一瞬目が合う。

 

 彼女を安心させるように、笑顔を向ける友哉。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の体は、100メートル以上下の海へ、真っ逆さまに落ちて行った。

 

 

 

 

 

第4話「告白」      終わり

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。