緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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香港編
第1話「出入り」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四方に窓の無い部屋は薄暗く、天井の頼りない蛍光灯がなかったら、すぐ隣にいる人間の顔すら見えないであろう。

 

 壁の装飾も一切無く、徹底的に「無駄」を排除した部屋からは何の感慨を浮かばせる事はできず、正しく牢獄と呼ぶにふさわしい外観をしている。

 

 女が逮捕されて約1週間。それまでは普通の拘置所に収監されていたのだが、今朝になってこの部屋に移された。

 

 尋問の為である事は、疑う余地はない。ましてか、相手は自分の正体を知っている。自分が持っている情報がいかに有益であるか、気付かない筈がなかった。

 

 部屋の中央に置かれたパイプ椅子に手錠で繋がれ、既に半日近くが経過していた。

 

 いい加減、変化のない光景に脳がまいり始めた頃、ガチャリ、と言う音と共に正面の扉が開かれた。

 

 入って来たのは痩身で鋭い眼光をした狼のような男だ。

 

 斎藤一馬。

 

 警視庁公安部第0課特殊班と呼ばれる部署に所属し、その戦闘力は一軍にすら匹敵すると言われる。

 

 間違いなく、日本最強戦力の1人である。

 

 この男に目を付けられた時点で、こうなる運命は決まっていたとも言える。

 

 一馬は、目の前に座る女をつまらなそうに一瞥すると、持ってきた資料に目を落とした。

 

「・・・・・・吉川志摩子。本名、川島由美。元大陸系テログループ《亜細亜の曙》構成員。中国国内における反体制派テロ事件に数度関与。その後、同組織は壊滅。数年間、中東、南米と言った紛争地帯を転々とした後、仕立屋グループにスカウトされる。主に情報収集、諜報活動に従事し、組織の諜報部部長を務める。祖母は彼の《東洋のマタハリ》川島芳子」

 

 一馬は資料を読み上げた後、フンと鼻を鳴らして、椅子に座ったままの由美に目を向けた。

 

「大した経歴の持ち主だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 皮肉交じりの言葉に対し、由美は何も答えず、目も合わせようとしない。

 

 《東洋のマタハリ》川島芳子と言えば、日中戦争中、日本軍のスパイとした活躍した女性である。女性であるにもかかわらず、髪を切り、男の軍装に身を固めていた事から《男装の麗人》とも呼ばれた。芳子自身は、滅び去った清王朝の末裔であり、日本軍の協力の元で王朝復興を成そうとしたのだが、日本の敗戦が決まったことで中国軍に捕えられ、処刑されたという記録がある。

 

 しかし、実際には芳子は生き残っており、その血脈はこうして現代に伝わっていた。

 

 つまり世が世なら、由美は正真正銘、清の王族、姫君と言う訳である。

 

「それが落ちぶれて、今じゃ立派な傭兵組織の耳役と言う訳だ」

 

 皮肉を隠そうともせずに言いながら、一馬はこの場が地下であるにもかかわらず、煙草を取り出して火を付けた。

 

 先の浪日製薬壊滅作戦中、彼女の経歴を調べ上げた一馬は、仕立屋の情報を得る為に、彼女を生け捕る事を思いついた。

 

 仕立屋と言う組織は、兎角謎が多い。

 

 無理も無い話である。その本質は「他者の支援」であり、作戦中、本人達は常に黒子に徹している。その為、今まで殆ど全貌を掴めなかったのだ。

 

 決して表に姿を見せず、痕跡も残さず、風の如く消えさる組織。それが仕立屋だ。

 

 幹部を捕える事に成功したのは、今回が初めての事である。

 

 だが、無論、由美とて秘密組織の幹部である。そう簡単に組織の秘密に関して口を割るつもりはない。

 

 拷問に対する訓練も、テログループにいた頃から何度も受けており、苦痛に対する耐性はかなりの物であると自負している。

 

 頑なに口を噤んだままの由美を見て、一馬はゆっくりと紫煙を吸いこみながら、鋭い視線を投げかける。

 

「どんな拷問にも屈するつもりはない、か」

 

 由美を見ながら、一馬は壁際にあったもう一つのパイプ椅子を引っ張って来ると、彼女の正面に置いて腰掛け足を組んだ。

 

「言っておくが、俺達を甘く見るなよ。お前の存在、名前、戸籍、記憶、この世に生まれて来たという事実すら、消す事ができる」

 

 事実である。

 

 公安0課は今まで、そうして密かに、国内に入り込んだテログループの構成員や重要犯罪者を捉え、存在ごと根こそぎ地上から葬って来たのだ。

 

 今、一馬がその命令を下せば、ただちに由美の処刑は実行され、後は専門の処理班が彼女の存在を裏の裏に至るまで綺麗に抹消する事だろう。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 由美は無言のまま、目を閉じる。

 

 とうの昔に覚悟はできている。やるならさっさとやれ。と言う意思表示のようだ。

 

 その様子を見て、一馬は煙草の灰を携帯灰皿に落としながら無言で見詰める。

 

 一馬と由美。

 

 狭い部屋の中で、互いに無言のまま暫く過ぎた頃だった。

 

 一馬の方から、口を開いた。

 

「どうだ、一つ、取引をしないか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 話を持ちかけた一馬に対し、由美は相変わらずの無言。しかし、それまで閉じていた目が、急に開かれた。

 

 表情に乏しい為、いまいち判り辛いが、微妙に驚いているようにも見える。一馬の一言が、由美にとっては予想外であったらしい。

 

 それを見て、口元に笑みを浮かべる一馬。

 

 どうやら、主導権を握れたらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鯉口を切り、愛刀を鞘から抜き出すと、緋村友哉は正眼に構えた。

 

 左腕の調子を確かめてみるが、痛みはおろか、違和感を感じる事も特にない。

 

 過日、浪日製薬を巡る戦いにおいて赴いた、小笠原諸島の骨喰島で起きた戦いにおいて、友哉は肋骨を骨折する重傷を負ったのだが、その傷はもう、動かしても気にならない程度まで回復していた。

 

 正眼に構えた切っ先は真っ直ぐに、前方に置かれた標的に向けられている。

 

 少女よりも少女的な顔には、真剣そのものの表情が浮かんでいる。

 

 固唾をのんで見守るギャラリーの中には、友哉の知った顔も少なくない。

 

 中には強襲科教師である蘭豹の姿もある。

 

 腕組みをしたままの蘭豹は、鋭い眼差しを友哉へ向けている。

 

 しかし、それらの視線は、一切、友哉の意識から隔離されている。

 

 友哉はただ只管に、目の前の標的と、自身がこれから繰り出す技にのみ集中していた。

 

 一同が、無言の内に時間が過ぎて行く。

 

 季節が冬と言う事もあり、体育館の中はそれなりに寒い。

 

 しかし、そんな気温も忘れさせられるほど、張り詰めた緊張感に満ち溢れていた。

 

 誰かが、沈黙に耐えかねて喉を鳴らした。

 

 次の瞬間、

 

 大気を粉砕したような衝撃波を残し、友哉は地面を蹴った。

 

 一瞬の間に、友哉と標的との距離は零となる。

 

 間合いは既に友哉の手の中。

 

 繰り出される斬撃。

 

 その数は、九。

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 凶悪極まる、九頭竜の牙。

 

 見ていた人間のほぼ全員が、友哉が何をしたのか理解できなかった。

 

 標的の脇をすり抜ける友哉。

 

 同時に足を地面につけ、急制動を掛ける。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の背後で、標的となったラバー製の人形が木っ端みじんに砕け散った。

 

 途端に、感嘆の声がギャラリーから起きる。

 

 ラバー製の人形は、訓練の際に加えられる強烈な打撃に耐えられるよう、充分な硬度と柔軟性を持たせてある。

 

 それを一瞬で粉砕してのけた友哉に、居並ぶ一同は驚愕を禁じえなかった。

 

「うむ、見事ッ」

 

 その中で1人、平然と笑みを浮かべて称賛の声を上げたのは蘭豹だった。

 

 彼女程の実力者からすれば、この程度の事は、まだ曲芸のレベルでしか無いのかもしれない。が、しかし、その凄みのある顔には、確かな称賛の笑みが浮かべられていた。

 

 とは言え、九頭龍閃である。

 

 どうやら、ようやくの事で物にできたらしい。

 

 友哉は大きく息を吐き、そして構えを解いた。

 

 元々は、以前戦ったエムアインス、武藤海斗が友哉を倒す為に身に付けた、飛天御剣流の技であるが、あまりに動きが複雑すぎる為、今まで友哉は模倣する事ができなかったのだ。

 

 この間の骨喰島の戦いで使ってはみたが、あの時は負傷のせいもあり、結局失敗してしまった。

 

 しかし、負傷の癒えた友哉は、今日まで鍛錬に鍛錬を重ねて、ようやく九頭龍閃を自分の物とする事ができたのだ。

 

「では、壊れた標的人形は、緋村が弁償すると言う事で」

「おろッ!?」

 

 蘭豹がニヤニヤ笑いながら、理不尽な事を言ってくる。

 

 目を丸くする友哉の様子が可笑しかったのだろう。周囲から笑いが起こった。

 

 やがて、三々五々、他の生徒達が減っていくと、知り合いの下級生2人が残って友哉に歩み寄って来た。

 

「凄かったです、緋村先輩!!」

「いやいや、どうやったらここまでできるんだよ?」

 

 歩み寄って来た2人の少女は、見るからに対照的な外見をしている。

 

 短めの髪をツインテールに結った小柄な少女は間宮あかりと言って、アリアの戦妹である。一見すると戦闘には無縁そうな小さな少女だが、こう見えて、仲間思いで決断力も高く、リーダー向けな性格をしている。

 

 もう1人の少女は火野ライカ。こちらは友哉よりも背が高く、スラリと均整の取れた外見は、モデルのような印象がある。好戦的な表情は、どこか、しなやかなネコ科の猛獣を思わせる少女だ。

 

 どちらも友哉にとっては強襲科の後輩であり、戦妹である四乃森瑠香のクラスの友人でもある。

 

「でも、凄過ぎて、結局何をしたんだか判らなかったです」

「何だ、あかりには判んなかったか~?」

 

 少し優越感を込めて嘯くライカに対し、ぼやいたあかりはふくれっ面を見せて食ってかかる。

 

「じゃあ、ライカには判ったの?」

「ああ、勿論だ」

 

 躊躇なく頷いてから、ライカは答え合わせを求めるように友哉を見た。

 

「先輩は間合いに入った瞬間、ちょうど『米』の字をみたいに剣を振って、最後に突きを繰り出した。それをほぼ一瞬でやったから、人形は衝撃を逃がす事ができなくて、あんな風になった。違う?」

 

 言いながら、ライカは視線を粉砕された標的人形に向ける。

 

 九頭龍閃の衝撃をまともに受けた標的人形は、最早元の形が何だったか判別がつかないほどに粉砕し尽くされている。

 

 改めて、九頭龍閃の威力のすさまじさを見せつけていた。

 

「正解」

 

 笑顔で答える友哉。

 

 もっとも、ライカの「答え」には、一点だけ誤りがある。最後の刺突を、友哉は切っ先で突き込むのではなく、柄尻に返して叩きつけたのだ。

 

 海斗は切っ先で刺突を放っていたが、それでは殺傷力が高くなってしまい、武偵の技としては失格と言って良い。九頭龍閃を鍛錬するに当たって、友哉が最も熟慮したのが、その点だった。

 

 あるいは刺突を除いた8連撃のみで技の完成とするか、とも考えたが、結局この型が最も理想的であるという結論に達した。威力は多少落ちるかもしれないが、元々、九頭龍閃は威力が高すぎる事も問題だったので、却ってちょうど良いだろう。間合いが短くなってしまう事もあるが、元々突撃技であるので、大した問題にはならない。

 

 元の形を改編した、言わば九頭龍閃・改とでも言うべき型となった。

 

 実は、友哉は知り得ない事だが、かつて、厳しい修行の末に九頭龍閃を体得した緋村抜刀斎も、不殺を貫く為に同様の改良を行っている。

 

 期せずして、古今における飛天御剣流の使い手が、時代を越えて同じ結論に至ったと言える。もし、この歴史に詳しい人間が知ったら、感慨深い物を感じずにはいられない事だろう。

 

「しっかし、こんな技を使われたんじゃ、また先輩との差が開いてしまうぜ」

「いやいや、流石に模擬戦じゃ使わないって」

 

 ライカのぼやきに対して、友哉は苦笑して返す。

 

 ライカやあかりとは、瑠香との兼ね合いもあり、よく訓練や模擬戦を共にしていた。その際、ライカはしばしば「上勝ち」を狙って友哉に挑んで来る事が多かった。

 

 幸いにして今のところは全勝をキープしている友哉だが、ライカは地力が強く、成長率も悪くない。いつかは追い抜かれるのではないか、と考えていた。

 

 とは言え、流石に1年生徒の模擬戦で九頭龍閃を持ち出すのは大人気無さ過ぎだろう。

 

 この技は、あくまで実戦で使用すると決めている。

 

 極東戦役における敵対組織の構成員。それに由比彰彦をリーダーとする仕立屋グループ。それらを相手にする時、九頭龍閃は友哉にとって大きな戦力になる筈だった。

 

 それに、もう1人。

 

 友哉の中で、思い描く人物がいる。

 

 斎藤一馬。

 

 公安0課の刑事であり、これまで何度も共闘してきた相手。

 

 共闘、と言っても、そこに互いのあったのは「利害」であって、「信頼」では無い。

 

 そもそも、友哉と一馬は相性からして最悪である。

 

 友哉は一馬の事を「魂の底から存在が気に入らない。腕が立つのは認めるけど、二度と目の前に現われないでもらいたい」と思っている。

 

 対して一馬は友哉を、「一から十まで全てが甘いガキ。取り敢えず使えるようだから使ってやっているだけ」と思っている。

 

 無理も無いのかもしれない。

 

 片や、最強の維新志士「人斬り抜刀斎」こと、緋村剣心の子孫。

 

 片や、維新志士の天敵、新撰組三番隊組長、斎藤一の子孫。

 

 記録によれば、抜刀斎と最も多く剣を交えた新撰組隊士は斎藤一であったと言う説があるくらいだ。にもかかわらず、両名とも明治期までの生存が確認されている。つまり、互いの決着はつかなかったという事である。

 

 水と油どころの騒ぎでは無い。冗談抜きにして文字通り、遺伝子レベルで反りが合わないのだ。

 

 そんな一馬と対決する可能性。友哉はそれを、最近になって割と深刻に考えるようになっていた。

 

 馬鹿な事を、と自分でも思う。友哉は武偵、一馬は公安警察。互いの利益が克ち合う可能性など限りなく低いだろう。

 

 だが、万が一の可能性として、もし友哉が一馬と対峙した時、はたしてあの牙狼相手に勝てるか? と問われれば、限りなく低い勝率と考えざるを得なかった。

 

 九頭龍閃は、そんな戦力差を僅かでも埋める為のカードである。勿論、使わないで済むなら、それに越した事はないと思っているが。

 

 訓練を終え、友哉はシャワーで汗を流すと、更衣室に戻った。

 

 後は着替えをして、寮の部屋に戻るだけである。

 

 寮と言えば、そこに戻ると思うだけで、友哉は僅かに心が浮き立つのを感じた。

 

 理由は判っている。

 

 寮に戻れば、茉莉が待っている。

 

 茉莉と付き合い始めて、既に半月近くになっていた。その間に何度かデートを重ね、なるべく一緒にいられる時間を増やしている。

 

 充実している。これまでにない、楽しい時間を過ごしていた。

 

 茉莉の笑った顔、恥じらった顔、少し困った顔、ちょっと怒った顔。

 

 それらを思い出すだけで、友哉は心が楽しくなるようだった。

 

 早く帰ろう。

 

 そう思い、ロッカーに掛けておいたコートに手を伸ばした。

 

 その時、携帯電話が着信を告げる。

 

 良い気分に水を差されたようで、少し苛立ちながら開いて見ると、差出人の名前は無く、メールの文面が用件のみを伝えていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 一読し、携帯を閉じる。

 

 コートを羽織り、刀を手に取ると、友哉は足早にその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中には、瀬田茉莉、四乃森瑠香、高梨・B・彩夏の3人が、テーブルを囲んでお茶を楽しんでいた。

 

 光景その物はいつもの女子会と言った感じだが、場所はいつものように喫茶店やファミリーレストランではなく、友哉の部屋だった。

 

 一応、居候として一緒に住んでいる瑠香と茉莉だが、家主不在の状況でも構わず、3人はガールズトークに華を咲かせていた。

 

「ふうん、そっか、とうとう告ったんだ」

 

 紅茶のカップを傾けながら、彩夏は微笑を浮かべる。

 

 その視線は、テーブルを挟んで向かい側に座る茉莉に向けられている。

 

 その茉莉はと言えば、少し恥ずかしそうに頬を染めて俯きながらも、口元には隠しようの無い微笑が浮かべている。

 

 恥ずかしさと嬉しさが混在している。そんな顔だ。

 

 無理もあるまい。念願かなって、ようやく友哉と恋人同士になれたのだから。

 

 今は、彩夏にその報告をしているところだった。彼女に、ここに至るまでに様々な助言をしてもらった為、この報告はある意味必然であった。

 

「良かったね、茉莉ちゃん」

「瑠香さん・・・ありがとうございます」

 

 瑠香の言葉に、茉莉は少し困ったような顔を浮かべつつも頷きを返す。

 

 瑠香への報告は、骨喰島から戻ったその日の内に済ませてあった。

 

 何しろ、茉莉は瑠香に負い目がある。不可抗力とは言え、彼女から友哉を奪う形になってしまったのだから。勿論、瑠香は全くそのような事は気にしていないが、茉莉としては、やはり気に掛けずにはいられないのだった。

 

 因みに瑠香は、つい先日、12月3日を持って16歳になっている。イクスの誕生日は、それぞれ、陣が4月、友哉が8月、瑠香が12月、茉莉が3月となっており、まだ茉莉だけが誕生日を迎えていなかった。

 

「と、なると、だ・・・・・・次のステップが必要になるわね」

 

 意味ありげな彩夏の声を聞きながら、茉莉は紅茶のティーポットを持ち上げる。しかし、どうやら3人で飲みつくしてしまったらしく、中身は空であった。

 

 仕方なく、立ち上がるとキッチンへ向かう。確かまだ、作り置きがあった筈だ。

 

 ちょうどダイニングテーブルの上に置いてあった、別のポットを持ってリビングへと戻る。

 

「何ですか、次のステップって?」

 

 瑠香と彩夏のカップに紅茶を注ぎながら、茉莉は怪訝そうに尋ねる。

 

 対して、彩夏は意味ありげに含み笑いを浮かべて、茉莉の耳に顔を近付けた。

 

「勿論、好き合ってる男と女がする事」

「ッ!?」

 

 その一言で、彩夏が何を言いたいのか理解した茉莉は、顔を一気に赤くする。

 

 確かに、段階を踏んで行けば、次は「それ」なのだろうけど、

 

「で、できませんよ、そんな事?」

「え~、何でよ?」

「そ、そんな、ふしだらじゃないですか!!」

 

 ふしだら、とはまた古い言葉が出て来た物である。

 

 顔を真っ赤にした茉莉は、逃げるように後じさる。どうやら、ようやく付き合い始めたは良いが、そこまで考えるには、茉莉の頭はお子チャマに過ぎた。

 

 それにしても、

 

「まさかと思うけど、茉莉って、『処女は結婚するまで取っておく』とか天然記念物みたいな事言わないわよね?」

「そ、それは・・・・・・」

「そんな事、今時、白雪だって言わないわよ」

 

 武偵校生徒会長である星伽白雪は、規則に厳格な星伽神社の跡取り娘であり、礼儀作法や立ち居振る舞いの穏やかな、今どき誠に珍しい「大和撫子」であるが、その反面、事ある毎に幼馴染の遠山キンジと「既成事実」を作ろうとする事がしばしばある。

 

 呆れ顔を作る彩夏。

 

 どうやら、茉莉の貞操観念を改革するには、戦前まで遡る必要がありそうだった。

 

「いや~、彩夏先輩。茉莉ちゃんの場合、それ以前の問題だと思います」

「はい?」

「どう言う意味?」

 

 瑠香の言っている意味が判らず、キョトンとして尋ねる茉莉と彩夏。

 

「だって・・・・・・」

 

 呟くようにして言いながら、瑠香は一瞬でティーポットを持ったままの茉莉の背後に回り込んだ。

 

「え?」

 

 何をするのか判らず、立ち尽くす茉莉。

 

 そんな茉莉のスカートを、瑠香は手を伸ばして思いっきりめくり上げた。

 

「・・・・・・へ?」

 

 一瞬、意味が判らずに呆ける茉莉。

 

 しかし、すぐに状況を理解し、顔を真っ赤にしてしまう。

 

「キャァァァァァァッ!?」

 

 悲鳴を上げる茉莉。とっさにスカートを抑えようとするがしかし、両手にはポットとカップを持っている為、どうする事もできない。

 

 瑠香はスカートをめくったままの状態でホールドしている。その為、茉莉のパンツは、無防備に瑠香の前に晒されていた。

 

「は、放して下さい!!」

 

 今にも泣きそうになっている茉莉を無視して、瑠香は呆れ気味に溜息をつく。

 

「やっぱね~」

「どれどれ・・・・・・あ~、成程」

 

 めくられているスカートの下から覗き込んだ彩夏も、瑠香が言わんとしている事に納得して頷いた。

 

 茉莉が穿いているパンツは、ピンクと白のストライプで、お尻の所にデフォルメされたクマの絵が描かれている。

 

「これだもん」

「茉莉さ、彼氏持ちの女がクマさんパンツは無いと思うよ?」

「判りましたから、手を放してください!!」

 

 いよいよマジ泣きしそうになっている茉莉を見て、流石に可哀そうになった瑠香は手を放してやる。

 

「もうッ 一体何なんですか!?」

 

 スカートの皺を直しながら、茉莉はいじけたような目で瑠香と彩夏を睨む。

 

 流石に苛め過ぎたかも知れない、と思った2人は苦笑しながら茉莉を見た。

 

「ごめんごめん、茉莉ちゃん」

「けどさ、やっぱり男の子と付き合い始めたんだもん。もうちょっと、オシャレとかに気を使うべきだと思うよ」

「・・・・・・どう言う意味ですか?」

 

 完全にブー垂れた調子で、茉莉はソファーに座り直す。

 

 この場に女子しかいなかったから良いような物の、もし友哉がいたりしたら、死ぬほど恥ずかしい思いをする所であった。

 

 そんな茉莉の横に座り直し、瑠香が紅茶のカップを手に尋ねて来る。

 

「前から思ってたんだけど、茉莉ちゃんって、下着の趣味がちょっと子供っぽいよね」

「それは・・・・・・」

 

 瑠香の指摘に対し、言葉を詰まらせる茉莉。

 

 事実だった。確かに茉莉は、柄物やプリント入りなど、少し子供ッぽいデザインの下着を好む傾向があった。

 

 対して瑠香は、デザインはともかく、布面積がやや小さい物や、レース入りの物など、少し背伸びしたような、大人っぽいデザインを好んでいる。

 

 因みに彩夏は、瑠香よりもさらに過激なデザインの物を好む。露骨に露出度の高い物は避けているが、それでもちょっと着けて出歩くのは憚られるような物まで、日常的に穿いていたりする。

 

「・・・・・・良いじゃないですか。だって、好きなんですから」

 

 いくら相手が瑠香でも、パンツの趣味までとやかく言われる筋合いはない。と茉莉は思った。

 

「何だったら、あたしの貸してあげよっか?」

 

 綾香のその言葉に、茉莉は顔を赤くする。以前、綾香が使っている下着を見せてもらった事があるが、茉莉には一生かかっても着る事ができないような、過激な物ばかりだった。

 

 もし、あんな物を穿いているところを、友哉に見られでもしたら・・・・・・

 

 

 

 

 

~以下、茉莉の妄想~

 

 

 

 

 

『ふうん、茉莉はこう言うのを穿いてるんだ』

『あ、あの、友哉さん、これは・・・・・・』

『あんなに大人しかった娘が、すっかりエッチになっちゃったね』

『あ、あう・・・・・・・・・・・・』

『そんなエッチな娘にはお仕置きが必要だね。さあ、こっちにおいで』

『・・・・・・・・・・・・はい』

 

 

 

 

 

~妄想終了~

 

 

 

 

 

「そ、そんなはしたない事、できません!!」

「「いや、はしたないのはアンタの頭だから」」

 

 頬に手を当てて、イヤイヤをするように頭を振る茉莉に、半眼で突っ込みを入れる瑠香と綾香。

 

 そこで我に返ると、茉莉は反論に出る。

 

「か、仮にですよ、彩夏さんの言うとおりだったとしても、友哉さんとすぐにその・・・・・・ッチ・・・・・・するとは限らないじゃないですかッ」

 

 肝心の部分が小声になってしまう辺り、茉莉の羞恥心の強さを現わしていると言える。

 

 そもそも、友哉の性格からして、そんなに強引に事を進めるようには思えないのだが。

 

「甘いよ、茉莉ちゃん」

 

 そんな茉莉の考えを否定するように、瑠香が口を開いた。

 

「友哉君、あれで結構ロールキャベツ系だったりするから、意外とやる時はやると思うよ」

 

 草食系に見えて、実は中身は肉食系。

 

 そう言えば、茉莉にも憶えがある。

 

 茉莉自身、告白する時はあれだけ思い悩んだと言うのに、実際に告白して来たのは友哉が先だった。

 

 おっとりしていながら、決める時は決める。

 

 そう考えれば、実戦でも恋でも、友哉は先手必勝を旨として行動しているようにも見える。

 

「とにかくさ、いざって時がいつ来るかなんて判らないんだから。備えておいて損はないと思うよ」

「はあ・・・・・・」

 

 瑠香の言葉に、茉莉は尚も納得しきれてない調子で頷く。

 

 友哉と男女の仲になる。

 

 付き合い始めて、まだそれほど日が経っていない茉莉にとって、いまいちピンとこない。

 

 だがもし、友哉にそう迫られた時、自分はそれを拒む事ができるだろうか?

 

 きっと、できないかもしれない。

 

 茉莉は漠然と、そう考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ・・・・・・クションッ!!」

 

 友哉は大きなくしゃみを一つぶちかますと、コートの前をより合わせた。

 

 寒さは身に沁みるようだ。何しろ、雪が降っているのだから。

 

 肩や頭に積もる雪に構わず、友哉は傘もささずに歩いていた。

 

「風邪、引かなきゃいいけど」

 

 とボヤキ気味に言いながら、友哉は両手をコートのポケットに突っ込んだ。

 

 学園島を出た友哉は、その足で西池袋を目指していた。

 

 原因は、夕方に貰った、奇妙なメールである。差出人は無く、件名には「遠山君の危機」とだけ書かれている。

 

 それによると、キンジは何やら暴力団関係者に目を付けられているのだとか。しかも悪い事に、キンジの友人数人が、その暴力団の手に落ちているとか。

 

「何やってんだろ、キンジ。そう言う任務なのかな?」

 

 特秘で長期任務についている友人に呆れながら、足を止めずに歩いて行く。

 

 とは言え、ヤクザはまずい。

 

 法律によって殺人を禁じられている武偵と違って、彼等は殺す時は殺す。しかも、様々な形で隠蔽を行う事も手慣れている。人1人の痕跡を綺麗に消す事くらい、訳無くできる連中だ。

 

 しかも、相手が誰であろうと構わない連中である。

 

 事実上、人質を取られて形になっているキンジの身にも、危機が迫っているのだ。

 

 やがて歩いて行くと、友哉の目の前に巨大な門がそびえ立っていた。

 

「『鏡高組』・・・・・・ここか」

 

 巨大な表札を見上げて、友哉は呟く。

 

 仰々しい門が前のこの屋敷こそが、メールにあった暴力団の屋敷だ。

 

 関東非指定暴力団『鏡高組』。現在。急速に勢力を伸ばしている一派だとか。

 

 こんなのを相手にしなきゃいけないあたり、キンジは相変わらず危ない橋を渡っているようだ。

 

「武偵憲章一条、『仲間を信じ、仲間を助けよ』・・・・・・」

 

 呟きながら、腰の刀をゆっくりと抜き放つ。

 

 逆刃刀と呼ばれる、峰と刃が通常とは逆になっている刀。その刀を、友哉は刃の方に返す。

 

「仲間がピンチになっている時は、何時如何なる時も、全力を持って駆け付ける。それが、僕達の信念だッ」

 

 言い放つと同時に、友哉は刀を逆袈裟に振るう。

 

 一閃。

 

 その一撃は、視界その物を斜めに両断した。

 

 

 

 

 

第1話「出入り」      終わり

 


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