30世紀の笛吹き {完結}   作:ハナのTV

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第12話

 

更衣室で着替え終わった私は下着姿のままロッカーの前で立ち尽くしていた。それなりに清掃されて綺麗なロッカールームで一人自分のロッカーの奥底に放り込まれている自分のパーカーとホットパンツ、いわゆる自分の私服という物を見て硬直していた。

 

私はそれらを手に取って、少し前の自分を感じた気がした。その服からは前までの自分の残り香が残っていて、僅かに自分の汗の匂いが鼻孔を刺激した。その気体成分が脳に達した時、私は不意にフラッシュバックを覚えた。

 

視界に映るソレはどうしようもなく無邪気に喜んでいて、もし本当の犬なら耳をさかんに動かし尻尾を振りまくっていたに違いないだろう数日前の私だ。スーツにジャケットを着ただけで夢が叶ってきた気でいた自分を私はため息とともにこき下ろした。

 

「呑気な奴だよね」

 

それが自虐だって事にはすぐに気が付いた。昔の自分ほど見たくない者はないと言うヒトを時たま見たことがあったが、今の私がまさにそれだ。だけど、乙女だからという訳ではないが複雑な思いに駆られて見ていて赤面すると同時にあの頃に戻りたい気もした。

 

未だ手に残るトリガーの感触、肉を切り裂いて骨まで断った白刃を振り回した記憶に鼻にこびり付いた鉄の香り。私にとって、昔の自分は果てしなく純粋無垢で汚れを知らない存在に思えてならない。

 

たしかに生まれはロクな場所ではなく、刃物を使った刀傷沙汰だって経験して来た。女だてらにマウントポジションを取って男相手に殴り合いをしてボコボコにしたことだってあった。だが、そんなものは生易しいものだったと気づかされた。

 

そんな痛みは笛吹として働いた時と比べれば羽毛のクッションで殴られた程度の物だ。向うでの体験はそれはもう衝撃的だった。地獄を作る者とそのおこぼれにすがる者、そしてその犠牲者たちの姿を見て、本物の殺し合いをして、自分は大きく変わった気がした。

 

今なら悪党と見ればためらいなく銃を向けて頭をぶち抜き、この世を少しだけマシにすることも容易く行えるかもしれない。だが、それを素直に成長と言っていいものかは疑問だ。

 

パーカーの袖に腕を通すと硝煙の甘い香りが一つもしないことに違和感を覚えた。これからデートだというのに香水を付け忘れた女の子になった気分だ。

 

ヒトを殺せるようになり、その環境に適応していく。それが成長と言えるのだろうか。悪党を殺すことに疑問は無くとも、自分が良いことをしていると言う完全な肯定はできそうになかった。

 

私はそんなモヤモヤと白黒はっきりしないことに頭を掻いてロッカーの扉を勢いよく締めた。

 

「なんで、悩むかなぁ……もう」

 

子供を助けた時には確かに高揚感を覚えた。あの時は自分は彼らを地獄から救い出したのだと実感してらのように無邪気に喜んだ。ハッキリ言ってしまえばヒーローだと思った。

 

だが、興奮の熱も冷めれば意外と虚しいものだ。自分のあの喜びを素直に受け入れられなくなると言うものだ。戦場から日常へ戻ると、そこには戦場での常識が非常識となるのは当たり前で悪党とは言え殺しを喜ぶと言うのは道徳に大いに反するのでは、と思い不安になる。

 

笛吹として子供を救ったと思う一方で日常に戻って、自分がしたことに対する違和感が拭えないのだ。これがギャップという物なのだろうか。

 

ため息を一つ付いて更衣室から出ると服の裾を誰かに掴まれたのを感じて私はそこで立ち止まった。

 

「……誰?」

「私だよ~」

 

聞き覚えのある声、振り返ると同僚のミナミがいた。いまだ特殊スーツにスカートの仕事の格好だった。流石にチェストリグやピストルベルトの類は外していたが、それでも私服と比べると幾分か思い装備をまだ身に着けているのには少々呆れを覚えた。

 

「まだ着替えてなかったの?」

「ベッキーちゃんを待ってたからね」

 

ニコニコと屈託のない笑みを浮かべて彼女は言う。コレが私と同い年で私より銃器の扱いに精通していると言うのだから驚く。帰還途中で彼女のバックパックを見せてもらった時、中には巨大なショットガンのようなグレネードランチャーにXM63とかいうパーツを差し替えるだけで突撃銃から軽機関銃、果てはカービンにもなれると言う銃器のパーツを入れていた。本人曰く、本体は木端微塵になったらしい。

 

私は目の前の女の子を見て、悩む自分もいれば、悩まない彼女もいることを実感して口をへの字に曲げた。

 

「……待ってくれたのは嬉しいけど、着替えなよ。重い装備じゃ疲れるでしょ?」

「別にいいよ? ちょっとお話したいだけだから」

「そう?」

 

一拍間を置いて私は何を話すつもりなのか訊いた。

 

「で、話って? 体のラインとか?」

「そっちはどうでもいいかな。話したいのはコレだよ」

 

心なしか自分の体と私のを一瞬比較した気がしたが、ミナミは笑顔を崩すことなく、一枚の紙を手渡してきた。受け取って見ると、そこには住所と施設の名前「希望の家」なんて一瞬胡散臭く感じる名前が書かれていた。

 

「お爺ちゃんから言われたの。ベッキーちゃんたちは此処に言った方がいいって」

「私達? ターキッシュもって事?」

「多分ね」

 

私はその紙を細かに見たが、他に大した情報は乗っていないことを確認した。今まで見たことないほどの達筆さで書かれた住所と施設名以外何もなく、彼女の言うお爺ちゃんの意志を汲みとることが出来なかった。

 

ただ、何となくイメージでしかないがあの老人が無駄な事をするとは思えず、何か意味があるとは感じた。

 

「行けばいいって事?」

「うん、お爺ちゃんによるとベッキーちゃんの知り合いも此処に来てるって言うらしい」

 

知り合いと聞いて私は誰の事か、と考えた。そして彼女たちのやろうとしていること、希望の家なんて名前から連想し、知り合いが一体誰なのかという事に気づいた。私はその紙をしばらく見つめた後、折りたたんでパーカーのポケットに仕舞おうとした。

すると、ミナミが私の手を取って仕舞わせなかった。

 

「ベッキーちゃん。もしかして行かないつもりじゃないよね?」

 

一瞬肩がビクついた。察しがいいことに私の考えていることをピタリと言い当てて来た。私は彼女と視線をまともに合わせないで、ごまかしを図った。

 

「……いや、ちゃんと行くよ。何を疑ってんのさ」

「行かなきゃダメだよ、ベッキーちゃん。ターキッシュ先輩と一緒に」

 

ミナミは私と目を合わせてそう言った。自分より幾分か背の低い女の子にしては妙に迫力がある目に私は嘘を突き通せないと悟った。あの世界で見た男たちの濁った目とは違う澄んだ瞳ではあったが、それ故に瞳の奥の暗い光が私を射していた。

 

私は観念してその訳を話した。

 

「……会いに生きにくいよ、ミナミ。こうして日常に戻ってくると自分が何なのか、って思ってさ。綺麗じゃない私が彼らと会っていいと思う? 私は……不安だよ」

 

確かに私は彼らに一目会って、彼らの笑顔を見たいと思うし、その資格だってあるのかもしれない。悪党を倒し、子供を救った。言葉だけ聞けばおとぎ話の王子様と一緒だ。悪い魔女を倒してお姫様を助けてハッピーエバーアフター、めでたし、めでたしだ。だが、実際自分がソレをやってみると違うものだ。

 

血にまみれた自分が会いに行くことは避けるべきではないのか。彼ら子供達はとりあえず地獄から脱出した。なら、その地獄で悪党と同じことをした自分たちが会うことで地獄をまた思い出させたら? 子供に恐怖の感情を抱かれたら?

 

結局はヒト殺しのダーティーウォ―カーだ。もう彼らは地獄を忘れて平穏に生きることに集中させるべきで、私達のような笛吹が行っていいものなのか、私は不安に思う。

 

「会った方がいいよ」

 

ミナミはそう言って理由を述べた。

 

「自分を救ってくれたヒトだもの。どんなに汚れていてもヒーローだもの。こっちに来て不安に思う子だっているかもしれない。その子たちの背中を押してあげるのが笛吹じゃないかな?」

 

出会った時から不思議な子ではあったが、ミナミの語る口は熱を帯びているような気がした。彼女にも思う所があるらしい。その根本は知らないが彼女にとっても笛吹には思う所があるようだ。

 

「リズムある生き方を求める、それがミナミの望む道なのに。何でそんな事を?」

「私はね、ベッキーちゃん。この世界の生まれじゃないの」

 

ミナミは自分の出自を明かした。笛吹によって連れてこられた一人という事を彼女は述べ、目元の雫型の痣を指さして語った。

 

「この痣が証。気付いたら銃を握りしめてた生活をしていてね。その甲斐あってこっちでも習性がこびり付いて離れないの。別にそんな自分が嫌いって訳じゃないけど」

「だから、銃とか詳しかったのね」

「まあ、ね」

 

彼女は短いスカートの内側に隠れたホルスターをチラリと見せた。そこにあるマグナムオートをよく見るとグリップセイフテイーの塗装が剥がれており、樹脂製のグリップも細かな傷が多く存在した。

 

恐らく彼女は銃器から離れることが出来ない体質となってしまったのだろうか。いや、リズムある生活を、と言っていたことを思い出し銃器ではなく刺激や興奮と言った類のものだと判断した。

 

「こんな感じだから、私には無理っぽいから、ベッキーちゃんみたいになるのは。だから自分に合ったやり方をしようと思ってね」

 

私は彼女の境遇に同情しつつも、彼女がそんな自分の境遇を受け入れ、スリルに忠実に生きるヒトだと知った。フリスビーを見たら走り出す犬みたいな生き方だ。一瞬一瞬の興奮に走り出す類のものだ。

 

「だから、好きに生きることが大切なの。だから、ベッキーちゃんにも自分のしたいことをちゃんとして欲しいの。私は笛吹として頑張っているベッキーちゃんでいて欲しいの」

 

その言葉に私は一人の男を思い出した。懸命に救おうと動き、現実に疲れた男の事を思い出した。私はそのヒトに今のミナミのように、こうであって欲しいと願った人物であった。

 

ターキッシュ。彼の態度を見るたびに思った。彼の過去から来る呪縛によって自分を悪党と見ている悲しいヒト。きっと誰よりも「笛吹」であろうとしているのに、そうなれないと思い込んで、斜に構えた態度で自分を偽る彼に対して私はミナミと同じ思いを抱いた。

 

私はそんな思いを胸に抱き、ある決心をした。そして私も同じことをすべきだと思い彼女に向き直った。

 

「身勝手な意見だね、私の悩みは?」

「会えば解決するかもよ? それでダメなら次はしないことにすればいいし」

 

楽観的すぎる発想に私は少し肩の力が抜けた気がした。好き勝手な意見と言えばそうだが、一理ある。確かに飛び込みもしないで怖がっても何も分からない。例え傷心するような事態になったとしても、自分が笛吹をやめることは無い。

 

子供たちがどう過ごそうとしているのか見たい。自分が救った彼らがどう生きようとしているのか一目見ておきたい。少なくとも、次の仕事までに知っておきたいことだ。

 

「アンタの言う通りかもね……一回行ってみるのもいいかもね」

「でしょ?」

 

得意げな顔を見せて胸を張るミナミを見て私は苦笑し、額に軽くデコピンをした。「痛い」と小さく言ったミナミに私は少し咎めるような口調で言った。

 

「調子に乗らないの」

 

自分の額を抑えるミナミは不貞腐れた子供のような顔をして私を見た。この子は本当に不思議だ。さっきまで大人みたいな事を言ってたくせに、次の瞬間には私以上に子供っぽい行動をとったりする。もっとも、向うからすれば私も相当変わっているのかもしれないが。

 

しかし、他人の心だの思惑だのを完全にしることは出来ない。私はエスパーでもなければ、お馬鹿なカップル相手に彼女らの将来をそれっぽく言い当てる小銭を稼ぐインチキな占い師でもない。ただの十五の女の子でしかない。

 

「お爺ちゃんの言う通り、素直じゃないな~。先輩とそっくりだよ」

「何か言った?」

「別に。あ、それと……」

 

失礼な口も聞こえたが、そこは追求せずに私はミナミの話の続きを聞いた。それはコルトのお爺ちゃんから聞いた話らしく、それを聞いた時私は心底震えた。そして、すぐにその情報を頭にインプットして駆け出した。

 

その事実はターキッシュに伝えなくてはならない。私はそう確信を得た。私などより遥かに長い時間を戦って傷ついてきたヒト、泥を被り続けて疲れ切った彼にこそ知ってほしいことだから。

 

 

 

 

 

 

 

モノレールに乗って十数分。駅の改札口から出て、常夜の街の中を歩いて行く。あの世界とは違ってヒトを温める太陽も冷たい雨水も降り注がない場所であることを再認識して自分がどんな場所で育ってきたかを改めて実感していた。

 

空は鉛色と言うより、鉛そのものと言っていい鉄板やらパイプやらで覆われていて閉鎖的な世界であることは否定できない。ちょっと前までは悪しざまに見ていた世界だったが、今は違うと思えていた。

 

たとえ、お天道様が空に居ても地上に地獄は訪れるのだと知った後では、この世界と言う物も悪くはないかもしれない。少なくとも死と隣り合わせではないのだから。

 

「で、どこに行こうとしているんだ?」

 

隣を歩くターキッシュは私にそう訊いてきた。私はミナミから受け取った紙きれをポケットから取り出して、それを彼に手渡した。ターキッシュは最初は何気なくその紙を眺めていたが、少しすると目を驚きに見開かせた。

 

「おい、コイツは……」

「コルトさんから、ついでにミナミから言われましてね」

 

ターキッシュは苦笑してその紙をポケットに仕舞いこんで足を止めた。私が彼が足を止めた理由を何となく察しつつ、彼に向かってわざとらしく小首を傾げた。行かないのか、と尋ねると彼は気まずそうに頭を掻いて、私から視線を逸らした。

 

「ベッキー、俺は……行かない方が正解じゃないか?」

「どうして、そんな事を?」

 

問い詰めると彼は少し言葉を詰まらせた。彼がその答えを言う前に私が代わりにその答えを、恐らくは彼の思考を言葉にした。

 

「大丈夫ですよ……怖いのは一緒ですから。でも、貴方に会わせたいヒトがいる。私だけじゃ、多分ダメだと思いますから」

「俺は」

 

ターキッシュは一瞬言葉を選ぶために口ごもり訊いてきた。

 

「お前とは違う。お前はこれからだが、俺はもう数多くの非道をしてしまっている。そんな俺が彼らと会っていいと思うか? 俺は……思わないね」

 

悪党を殺すことに疑問は持たないが、悪党とご同類の自分が子供と会うのには疑問を感じざるを得ない。私も少し前まで思ったことだ。しかも彼の場合は私とハ比べ物にならない程の修羅場を経験しているからこそ、その根は深いことだろう。

 

戦えば戦うほど彼らが眩しく自分がいかに堕ちて行くのを感じていく。そして戦うのをやめれば、それ以降誰かを救うことは出来なくなってしまう。より善きことをなすために誰よりも悪行に身を染めて行かなくてはならない、という矛盾。

 

笛吹として子供を救うことを願うたびに良心をすり減らしていく。彼はもう何度もソレを経験し心はきっと摩耗しきってしまっている。だけど、彼にとっての私はまだそうではないと考えていることだろう。

 

でも私は違うと考える。

 

「私は……思います。先輩はやっぱり会いに行くべきだと思います」

「……何故だ?」

「ミナミから聞きましたよ。前までは偶に顔を出していたって」

 

ターキッシュは目を僅かに釣り上げた。別に教える気もなかったことを知られていたことに憤慨し、誰がその情報を流したのかを察した。

 

「爺め、余計な事を」

 

此処にはいない自分の先達を罵倒した彼に私は一歩近づいて彼のすぐ目の前に立った。子供達、とりわけあるヒトに彼を合わせるたびに今私は持てる限りの言葉を用いて彼を説得しなくてはならない。私だけではだめだ、それでは意味がない。同じ笛吹、そしてより長く戦ってきた彼こそがそこに赴くことで意味があるのだ。

 

「私は昔名も知らない笛吹に支えられた。笛吹は誰かを照らせるって思えたから、私は笛吹になった」

「だが、俺は」

「言ったはずです、貴方は私を照らしたと」

 

ターキッシュは何の銃器も持たずに、一人で子供と私を助けるために、ロシアンルーレットと言う名の処刑台に上った。深淵のような闇の中、彼の伸ばした手は確かに救いになった。その彼が自分はまだ子供達と面と向かうことが出来ないなんてことはあまりに寂しい話だ。

 

「貴方だって誰かを照らせるヒトです。ですから、此処に行ってソレを確かめてほしいんです」

 

私はそんなターキッシュに彼が照らしたヒトに会わせたい。彼にもう一度かつて目指したであろう彼の「笛吹」を復活させたい。たとえ、それがすっかり短くなった蝋燭に火をともすような行為だとしても、彼の最後の心の壁を崩すきっかけとなって欲しいと願うのだ。

 

ミナミに言われて気付いた

 

「無理なお願いかも知れませんけど、会ってほしいヒトがいるんです。会えばきっと変わると思います、だから」

 

ターキッシュはしばし考え込んだ。腕を組んで私を見る目は意外と優しいものだった。迷うのも当然だ。いかに今回の仕事が特異な例で笛吹としての自分を考え直すきっかけだったとしても、早々と決断を下すのは容易じゃない。

 

子供達と接し何かを取り戻せるという淡い期待とトラウマが再びおこるのでは、と言う恐怖。その二つが螺旋のように絡み合って彼を迷わせる。私より大人の彼が悩む、それは一見すれば情けないように見えるかもしれないけど、実際は違う。

 

大人だから悩むのだ。まだ十五の私とは違う。数々のヒトを救って来て、より多くの非道を見て来た大人だからこそ子供たちを、自分をより深く考えるのだ。

 

「お前は俺にわざわざトラウマと向き合え、そう言っているんだ。わかっているか?」

「分かってるつもりです」

 

ターキッシュは私の顔をしばらく見つめた。何かを探っている、と私は感じた。しばらく、そうしていると思っていると彼は一度深呼吸をした。とても深く息を吸いこんで自分を落ち着かせようとしているのが目に見えて分かった。

 

「お前はサドかマゾか分からん奴だな。俺にトラウマと向き合えと言い、その口で自分も不安だって言う。せめてどっちかだったら、俺ももう少し簡単に答えを見つけられたろうに……」

 

その口調は自嘲気味だった。せめてどちらか片方なら言い訳の一つでも作れた、と言っているようだった。そんな彼の身上をくみ取ろうと思っていると突然、ターキッシュは私の両腕を掴んで顔を近づけた。普段ならセクハラだのと口を尖らせたところだが、彼の表情を見ると私はそんな事できなくなっていた。

 

「俺はハッキリ言って行きたいと思わん。また、あの目……恐怖を宿した目で見られたりしないか、と思うからな……だが同時にだ。そうでないと信じる俺もいるんだ。わかるか?」

「ハイ」

 

ターキッシュは喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。喉が渇いて仕方ない。不安からくる行為だった。

 

「だが、お前が俺にその可能性があると言うなら、俺はそれに賭けてみてもいいと思うんだ。だから」

「来てくれますか?」

 

私は確認を取るように訊いた。すると彼はいがらっぽい声で「ああ」とどうにか答えてくれた。その時私はその場で飛び上りたくなった。ターキッシュがYESと答えてくれたのだ。

 

彼の言うトラウマを私も味わう羽目になることは怖く思う。また、彼にもう一度ソレを体験させることは身勝手で申し訳ないと思う。子供たちにとって今の自分が怖いと思われるのは不安だ。それを既に知っているターキッシュなら尚更のことだろう。

 

でも、それらを含めて受け止めなくてはならないのだろう。汚れを被っても為さなくてはならないのが私達だ。その汚れ故に蔑まれても、拒絶されても笛吹としての勤めは果たさないといけないのだ。あの世界での出来事だけでも私はそう確信できた。偽善だから救わない、感謝されないから救わないなど言えるわけがない。

 

目の前に蹂躙されつくされた女児を見ても、偽善だから救わないとほざく者がいたとしたら、その彼ないし彼女は偽善ではないにしても悪であることは確実で、私達はそんな事をしてはいけないのだ。

 

そして、だからこそ私達は会う必要がある。自身が子供達からどう見られているのかを知り、その上で彼らの現在を知って彼らがこの世界でどう生きていこうとしているのかを見る必要がある。

 

彼らの未来を見守り、その上で自分たちの立ち振る舞いと言う物を知ることだ。怖くても、子供たちに会い、笛吹としての自分が何をなしたのかを見る。

 

その上でターキッシュに希望を、と願う。逆の結果となる可能性もあるが、私の足りない頭で思いつく方法はこれしかない。

 

私達は重い足取りで目的地まで再び歩き出した。時間的距離にして五分ほどの距離のはずだが、妙に遠く思える。この大きな箱庭のような世界で、まるで千里の旅路にでも出かけたかのように

 

 

 

 

 

 

希望の家、安直なネーミングセンスによって名づけられた施設の前に来て私達の前に立ちはだかったのはアンダーハイブでは珍しい鋼鉄の門付きの清潔感溢れる白い巨大な囲いだった。

 

囲いの向うには巨大な館のような物が聳え立っており、周りを明るくするためのライトをこれでもか、と言うほど照らし施設だけでなく、その周辺も明るく照らしている。

 

普通、この地下世界ではマンションやアパートと言った集合住宅が一般的で、少ない土地に何人もの亜人を押し込むのが習わしだ。私が通った学校でさえ階層構造の建物で、階ごとに教室や体育館が詰められていたほどだ。

 

だから、こういった建物は珍しいのだ。そんな奇妙な建物の前に立ち、これから子供たちに思うと喉がカラカラに乾き、暑くもないのに汗がにじみ出てきた。しかし、こんなご立派な建物の前でいつまでも右往左往してても埒が明かないと判断したのか、ターキッシュが私の代わりにインターホンを押した。

 

「誘ったお前が俺より怯えんな、馬鹿」

「すいません、でも先輩も指が震えてましたよ」

「当然だ」

 

ターキッシュは吐き捨てるように言った。

 

「撃ち合いなんぞより、よっぽど怖いからな」

 

偉大なる先達は引きつった笑身を浮かべていた。彼が言うのだから、きっとそうに違いない。実際私もこれからどうなるか全くわからない。わかっているのは彼に会わせるべきヒトがいて、彼と合わせる、それだけだ。

 

インターホンの向う側から声がして、何しに来た、お前は誰だ?など数々の質問に答えていき、最後に笛吹の証明書をターキッシュが見せると、分厚い門のロックが解除された。

 

重苦しい音を引きずって門が開かれると、そこには大きな庭が広がっていた。いや、公園と言うべきだろうか。砂場や滑り台、ジャングルジム等の遊具が置かれていて、そこで子供たちがはしゃぎまわっていた。

 

鼻にはバターの焼けるいい匂いが微かにして、それがパンを焼くものの匂いだと気づくのにそう長い時間はかからなかった。

 

多くはないが植物も植えられていて、グリーンの環境を作られていることにも感心していると、子供たちが自分たちに好奇の目で見ているのに気付いた。皆一様にここにはいない年長のヒトに疑問符を浮かべているようだった。

 

隣のターキッシュは多少顔を青くしているように見え、辛そうにも見えた。私はそんな彼の隣について「一緒ですから」と小さくつぶやいた。すると、彼は作り笑いをして「ああ」と短く答えた。

 

そんな私達の元に施設の物が現れ、用件を詳しく訊いてきた。デニムのパンツにTシャツの上に薄いピンクのエプロンを羽織った年配の女性に目当てのヒトがいるかどうかを聞こうとした時だった。

 

唐突に私の耳に「お姉さん!」という幼さこもった声が届いた。

私は聞き覚えのあるその声に反応して、振り返るとそこにあの少年がいた。私はこの時神様とかいう存在を一瞬信じた。目当てのヒトが向うからやって来たのだから。

 

「会いに来てくれたんだ、お姉さん」

「うん、アナタに会いたかったし、会わせたいヒトが居てね」

 

少年は察しがいいらしく、すぐに私の隣のターキッシュの方を見た。少年は自分より年のいった男に向かって頭を一度下げて挨拶をした。

 

「こんにちは」

「ああ、こりゃどうも」

「ターキッシュ……さん、だよね?」

 

少年が訊くとターキッシュはぎこちなく「ああ」と答えた。彼は不安そうな顔をしていた。これから何を言われるか、それが彼にとって恐ろしく映っているのが目に見えて分かった。またしても、拒絶されるのではないか、という恐怖心と彼は戦いつつ目の前の少年と普通に話そうと懸命になっている。

 

私はそんな彼に手助けはしなかった。と言うよりできなかった。自分が一体何かしたところで彼自身の問題を解決するのは彼と少年だけで、私はただ心の内で祈るだけだ。

 

少年はターキッシュをしばし見つめていた。牢獄に居た時とは違う輝きをどうにか取り戻した目が彼を捉えていた。

 

「思ったより怖い顔をしてるんだね」

「……そうか?」

 

ターキッシュの顔が一瞬落胆に染まったと思った矢先、少年は言葉を続けた。

 

「でも、お姉さんと一緒で優しい目なんだね」

 

ターキッシュはその言葉を聞いてほんの僅かだが、体を震わせた。よく注視していなければ分からない程小さく体を揺らしたのだ。そんな少年を見ていると彼はいきなり現地の言葉を使って何かを呼んだ。

 

するともう一人、少年によく似たヒトが私達の前に現れた。その子の正体はすぐにわかった。彼の弟に間違いなかった。

 

「弟を……助けてくれてありがとう。笛吹のお兄さん」

 

少年は幼い弟と一緒に頭を下げて礼を言った。その時、時間が止まったようにターキッシュは動かなかった。少年たちの方を見て、彼は拳と唇の端をキュッと締め、何かに堪えているようだった。

 

彼はしばらくして膝を曲げて目線の高さを少年たちに合わせた。時折、目元をこすりつつ彼は少年たちに訊いた。

 

「……ここでの生活はどうだ?」

「お日様が無くて慣れないけど、頑張ってるよ。今算数を習ってるんだ」

「算数か……難しいか?」

「うん、掛け算がね」

 

ターキッシュと少年は一見すると他愛のない会話を始めた。施設での生活についてターキッシュが訊き、少年が答える、という単純なものだ。でも、子供からの恐怖に怯えていた大人と地獄から日常へ戻ることが出来た少年の会話は内容など関係なしに二人にとって深い意味を持っているに疑いはない事は確かだ。

 

二人にとって戻らないと思っていた物が戻って来た、それだけで彼らは十分に報われた、と言えた。

 

「算数教えてくれないかな、ターキッシュさん」

 

そんな中で少年がターキッシュにお願いをした。おずおずと頼み込んだ少年にターキッシュは反応が遅れた。少年がもう一度聞き返して、ようやく反応して答えた。

 

「ああ」

「本当に?」

「ああ、何でも教えるさ」

 

今の彼は微笑んでいた。戦いの場で見せるような笑顔ではない、大人の本心からの笑みだった。彼は今ようやく報われた。いや、正確に言うと彼がその機会を恐怖心から自分で逃していただけで、本当はいつでも得られた機会だったはずだ。でも、それが今までできなかった。

 

それが叶った今、彼はいつものニヒルな笑みを止めて、本当の笑みを浮かべることが出来たのだ。私がそんな彼らを見守っていると、少年は私の方にも振り返った。

 

「お姉さんも」

 

少年は私にもそんなお願いをしてくれた。私は思っても見なかった事で多少は面食らったが、すぐに了承した。どうやら、私も肯定されたようだった。少年とその弟は私たち二人から算数を教えてもらえると喜び、私達より先に教室があると思われる方に駆けて行った。

 

その後ろ姿は本当に子供そのものだった。

 

「でも私、教えたことないんだよなぁ」

 

私はそんな二人の背中を見ながら、そう呟いた時、ターキッシュは鼻を一度すすって私に言った。

 

「教えるのは簡単だよベッキー。大分昔だが、トラウマがつくまでは教えていたこともあった」

「だから、お勉強は大事だって言ってたんですね」

「ああ、現地で教えることもあったからな……」

 

言われてみれば、彼と共に少年の世界に行ったとき、彼は世界を学べと言って簡単に歴史や風土について述べていた。彼は本当に笛吹として、世界中を走り続けていたのだと改めて認識した。

 

「じゃあ、教えてくれますか? ターキッシュ先生」

 

軽い冗談で聞くと彼は二カリと笑って応えた。

 

「ああ、勿論だとも……相棒」

 

彼にそう言われて私は笑った。相棒、犬なんて呼ばれることがある私のようなヒトにはピッタリかもしれない。私はターキッシュに自分を生き残らせてくれたこと、笛吹としての姿を見せてくれたことを順に思い出し、その背中に小さく言葉を放った。気恥ずかしさから、彼に聞こえない程の声で私は言った。

 

「……ありがとう」

 

この決して綺麗ではない世界で気高くあろうとする先達に、生き方を見せてくれる先生に一言、礼を告げた。

 




これにて一応の完結です。
初めての完結ですので気持ちがいいですね。

余談ですが、登場火器のイメージは以下のようなイメージです

ターキッシュ SR25 m38 CZ75
ベッキー L85(訓練時) AK100シリーズ 
ミナミ オートマグ1 m63(LMG) チャイナレイク
民兵 ステンガン 56式小銃 水平二連

粗も多いと思いますが楽しんでもらえたら嬉しいです。

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