先
『ヘマをしたな、ターキッシュ。手綱を握るのを忘れていたな』
『……何の反論もできないな、爺さん』
こめかみに指を当てて、遠くにいる元相棒コルト爺さんと通話する。あの爺もこの世界に来ていたらしく真っ先に俺の通信に答えたのが、彼だった。事情を話して五分とかからずに的確な評価を下してくれるのは有難くないが、融通が利く相手で俺は胸をなでおろした。
『ベッキーがあんな行動に出るとは思わなかったさ。アイツの出身はロクでもないはずだから、もっと現実的だとばかり思っていたよ』
『底辺こそ夢を見るものだ。そこはお前の勉強不足だな。もっともまだ三十も言っていないお前では難しいかね?』
『言ってる場合かよ、コッチは死にかけたんだぞ?』
『そう言うな。昔のお前ソックリで私は面白いと思うぞ』
『……思い出させるなよ』
向うからカラカラと笑う声が届き、俺は舌打ちした。誰だって思い出しくない記憶の一つや二つあるが、爺さんは俺の黒歴史を10は知っている。そのうちの一つを思い出されて、言い顔を出来るわけなかった。
『まあ、お前達の助けた連中はこちらで見つけ、回収しよう』
『助かるよ』
俺は爺さんに礼を言った。俺の言う事、為す事に一定の理解を示してくれる相手は本当に助かる。普通なら無駄な戦闘をしたことを咎める。特にノーズレスのボルドーなら「平和への努力が足らん」と言って、無駄な流血とそれに生じる必要経費について口やかましく責めるだろうからだ。
だが、俺の事をよく知りすぎているのは考え物だった。加えて、頭の構造も違いすぎるという点も。
『まあ。お似合い同士。楽しむことだターキッシュ、私のようにな』
活き活きとした齢六十近い男の声は年相応ではない。むしろ、そこいらの十代より生気にあふれていると言えた。俺は人知れず奥歯を噛みしめて、コルトに言った。
『……俺とアンタは違う。仕事だからだ』
『素直になれない奴め。唯の仕事ならこんなこと続けはしないさ。楽に考えろ』
俺はその後の言葉を聞くことなく、切った。爺さんはいい相棒だった。ベテラン中のベテランで、冗談も通じる。だが、仕事にまで冗談を持ってくるのだ。しかも、大真面目に冗談を現実にするのだから、始末に負えない。
俺は鼻息荒くして、水筒に補給した水を飲んだ。フィルターと薬品で消毒した水の不味さに不満を抱きつつ、流れおちる水の向うのユラユラと揺れる景色を一瞥した。
予想外の戦闘の後、俺とベッキーは滝つぼの奥に見つけた洞窟で休憩を取ることにした。周りの植生も濃く、滝と言う水のカーテンで隠されたこの場所は先ほどの戦闘の火照りを癒すのにはちょうど良かった。
荒く息を吐き続けるベッキーはリグを取り外し、アーマーこそ脱がなかったが、スーツの前部分を開けて、体に風を取り込んで汗と戦闘のストレスを和らげようとする。滝つぼから得た水を頭の上にかけて、腕や顔を必死にこすって、取れない汚れを落とそうと躍起になっている。
ムリもない、と俺は彼女に同情した。戦いとは常に二つの側面を持つ。負の部分が大半を占めるがそれを受け入れることで変化が生じる。戦闘による高揚、生きるか死ぬかの一種のスリルという物は快楽に通じ、ヒトによっては最高の悦楽たり得るものであるが、それを感じられるようになるほど、ベッキーは経験を積んでいない。
別にベッキーが珍しいわけではない。新米なら誰しも最初の戦闘が終われば、罪深さや罪悪感から拒否反応を示す。アンダーハイブで初等、中等教育を受け、親からの躾がしっかりとされているなら、必ず身に付く道徳という物がこれらを引き起こすのだ。もっと言えば、心を持つものなら誰しも良心と言う安全装置が付いているもので、これがあるからヒトは安易にヒトを殺せないし、戦闘を、闘争を忌避する。
だが、この職場ではソレを無視しなくてはならない事が多すぎる、誰かの子供を勝手に自分たちの世界に連れてくる、という事を一度頭に思ってしまえばその時点で迷いが生まれる。
まして、それが悪党とは言え誰かを殺すことになれば、比べ物にならないショックが心を襲うのは当然だ。インターネットで死刑囚の記事を呼んで、その残虐性ゆえに義憤に燃え、掲示板やSNSに殺せ、と書き込むことなどとは訳が違う
100gには程遠い一発の銃弾を指先一つ動かして音速で飛ばし、肉を切り裂き骨を砕くことで相手の人生を終わらせるのは、遥かに難しいのだ。たった指の関節一つ動かすのに俺達は鋼の心を持つことが必要となる。そして、その殺し方が最も罪悪感を覚えないと言うのだから、いかにヒトの心という物がコントロールしにくいものか分かるだろう。
ナイフで切り裂き、ワイヤーで絞め殺すなど以下に訓練された者でも嫌悪感を抱くものだ。相手の息の途絶える瞬間を生で感じない銃ですら感じるのだ。本来、殺しは恐ろしいのだ。
「大丈夫か?」
目の前で咳き込む少女に俺は訊いた。まだ現実を知らなかった女の子はソレを知って、顔を青くしていた。前を開けたスーツから見える水をはじく活き活きとした肌の健康そうな輝きと裏腹に。
「……意外と優しいんですね?」
「先輩だからな」
バックパックを下ろし、チョコレートバーの入った袋を取り出して破った。のっぺりと、味気なさそうなこげ茶色で保存料タップリの砂糖菓子。俺はそれ口に含んだ。ヌガーが入った恐ろしく粘つき砂糖たっぷりの菓子を口にして、俺は彼女の姿から自分の昔を思い出していた。
この女が取る行動が、何故か知らないが俺の昔と被った。出来もしないことをしようとして、死ぬ寸前までに追い詰められて一々後悔する。理想がデカいだけの頭でっかちと言っていい。とにかく青臭いのだ
「お前と同じ苦労はとっくに経験済みだし。そいつを克服する術ってやつも知っている。今のお前がすべきことは水で見えない汚れを落とすことじゃない。深呼吸だ」
「深呼吸?」
「そう。落ち着かせるんだ。でもって、忘れろ。自分のしたことを」
ベッキーは怪訝そうな顔をした。俺はチョコレートバーを噛み千切るだけで表情は別段と意識しなかったが、彼女の俺を咎めるような視線を見て俺は内心ため息を吐いた。
「忘れるなんて、出来るんですか?」
「出来るようにするんだ。まず悪党を殺す自分を正しいと思え、そしてお前が撃つのはただのヒトモドキだ。でないと精神を自分でぶっ壊すことになる」
ストレスへの最大の対処法は忘れることだ。鉄のような精神を持つとか言う精神論は通用しない。ストレスがその程度で収まるようなら誰だって苦労しないのだ。サラリーマンや労働者のように別に死地にいるわけでもないのに自殺する者だっている、どこに居ようとヒトを死に追いやるのがストレスだ。
だが、大抵は一晩眠れば消えてなくなるのだ。もしくは気の合う連中と酒を飲むなりすれば解決する。だが。笛吹の場合は特殊で、酒や薬に手を出しても記憶から離れないのだ。
笛吹のベテランは多くがコイツに悩ませられている。今のベッキーのように忘れにくいショックを受けて、毎晩寝るたびに思い出して苦しむ。
殺すべきでなかった。もっと大勢を助けられた、そんな咎を背負っているのに、何故自分が幸せを感じたり笑ったりしているのか。疑問を思い浮かべてしまえば、最期永遠にその過去に苦しむ。
過去は最悪の殺し屋、どこへ行っても自分を殺しに追いかけてくる。その手口は陰惨にして確実なり。その殺し屋から逃げる方法が忘却だ。どんなに消えなくても、消そうとする以外に術はない。奥底に仕舞いこんでしまうのだ。
「覚えるのは最初だけだ。後のは覚えなくなる。そう言う風になることで俺達は前を向いて生きていける。一生後ろ髪を引っ張られるのは御免だろ?」
俺は至極当然の事を言った。職場の先輩としての助言、生きるために必要な事を言ったはずだ。だが、俺の中ではため息を吐く自分がいた。口では言っても本当に正しい、と言い切れない自分を何故か感じ取った気がした。
そして、その納得しない自分を映す鏡のようにベッキーは両足を腕で抱きしめるように座り込み、両手をじっと見つめて頬を水滴で濡らした。
「……何で泣く?」
俺は訳を聞き出そうとした。相手に同情しているのか、それとも自己嫌悪の極致に陥ったのかと俺は訊いた。ベッキーは前者の質問に対しては首を横に振り、後者に対してはたてに振った。
「こんなことになる可能性は考えなかったのか?」
「……考えましたよ。でも違いすぎた」
「馬鹿だな」
率直に浮かんだ言葉を吐いたが、ベッキーは前のように反抗しなかった。雨露に濡れた子犬のように表情を暗くするだけだ。
「悪党を背中から撃て、と言われたことは? 相手が頷くまでぶん殴れ、ってのは?」
「ないですよ!」
「なら、覚えろ。それが重要だ」
そこで思ったのは、この少女の動機に対する疑問だった。一体何を望んで彼女は入って来たのか。
給料目当てならいくらでもいた。試験と研修さえ通れば、学歴、経歴は不問の職業は此処と軍隊くらいで、それでいて他の業種を遥かに超える給料だからだ。何せ大切な人間様の元で働く労働力の提供者だ。それに見合うだけのペイは来るのだ。
だが、彼女はそんなもののために来てはいなかったようだ。
来ているのなら、あの場で村に突撃をかます馬鹿をやらかすわけがない。利己的な者は蛮勇を振りかざさず、ひたすら保身に努める。それこそハゲタカのように死体を漁るようなマネだって平気でするのだ。
「お前は何で此処に入ったんだ?」
その問いにピクリと彼女が反応した。子犬に似ていた気がしたが、そこは無視し、面を上げた彼女の顔を見た。頬は赤く、嗚咽を小さく漏らす彼女は年相応の少女である証のようであった。
笛吹と言う職に就いた者ではなく、女の子の顔を見せたベッキーは涙を手でふき取って、鼻をすすった。そして、彼女の口からその理由が放たれた。
「……憧れがあったんです」
「憧れ?」
小さく頷いて彼女は言葉を紡ぐ。
「誰かの太陽になりたかったって言ったら笑いますか?」
太陽、その単語に俺は目を見開いた。アンダーハイブにはないものを彼女は夢にしたと言うのか。皆自分の事で手いっぱいで、家族を養うだけで奔走する中で誰かを照らす存在になりたいとこの少女は言ったと言うのだろうか。
しかも、笛吹と言う体のいい誘拐犯と揶揄される場に来ておきながら、そのセリフはあまりに想像の斜め上だ。ハッキリ言って有り得ないと言ってもよかった。そんなもの、目指したところでたどり着けないと分かるはずなのに、だ。
「太陽なんていつ知った?」
「五歳の頃。若い笛吹が喧嘩に負けて公園でベンチに座っていた私に教えてくれたんです。最初は怖かったんですけど、優しかった。その人が言ってくれたんです。誰かを照らせるヒトになりたいって」
俺は黙ってベッキーの話に付き合いだした。いつの間にかチョコレートバーを口に運ぶことすらやめていた。
「自分たちは色々言われてるけど、子供を助けて、彼らの暗い心を照らして笑顔にして挙げるのが仕事なんだって、誰かの心を照らす太陽になるんだ、と」
太陽、その存在は大きい。俺達には縁のないものだが、人を無償で照らし、悪人善人の区別なく照らす様はまさしく理想的だろう。だが、太陽は一方で誰かを熱し、殺してしまう存在でもある、と知ることになる。俺にはその未来が見えていた。
ベッキーは右手で足元の石を触り、次に洞窟の隅に生えていた一輪の花に手を伸ばした。白い花弁の花は美しく、その香りは柑橘系の爽やかな香りがあった。
「私の育ちはロクなとこじゃない。ヤクザ者の祖父に育てられて、女はコールガール、男はチンピラにしかなれない。底辺中の底辺、あの日だって、なけなしの小遣いで買ったクッキー欲しさに殴られた」
ロクな生まれでない事は予想していた。あの手慣れた体の動かし方に反抗心の強さ、あれらはどうにもならない場所で吠えつづけた者にしか身につかない。恭順も無気力な非暴力も拒否した者の強さだ。
そのルーツが俺達にあるとは知らなかったが。
「皆妬んで、奪って、荒んだ場所でした。でも、そんな中で与えてくれる人を祖父以外、家族以外で知ることが出来た。太陽の輝きも、花の綺麗さとか、私を魅せるものをたくさん教えてくれた! だから、私はあの世界になかったモノになりたかった!」
ベッキーは目じりに涙をためたまま、必死で自分の想いた夢を語った。俺は笑うことなどしなかった。冗談でも笑ってはいけなかった。自分の置かれた環境下で抗って、遂にその夢の尻尾を掴みかけている少女を愚弄するかのようなマネなどできるわけがない。
「あの地下世界には何もない。人間に与えられた太陽の温かさと光も、上から降ってくる雨だってない。当たり前だった平等すら私達にはない、でも、だから私はせめて、誰かの太陽になりたかった。どんな場所でも希望を見出せるって信じたかった!」
ベッキーの言う通りだった。あそこには雨も太陽もない。当たり前の平等すら与えられない常世の世界。俺達笛吹も含めた全てのヒトの住処では欲するのなら、求めなければ与えられない。
欲しいものの為に対価を払う、当たり前だがそれ故に残酷だ。弱者を救うための福祉すら存在しない。死にたければ、何もしないだけでいい、生きたければ働け、労働こそが自由への道だと言う。
そんな中で与える側に、しかも我が身削って笛吹に来たと言うベッキーはあまりに真っ直ぐな少女だと言えた。それが儚い事を知っている自分を憎らしく思えた。素直に彼女を肯定することが出来れば、どれだけ良かったことか。
「なのに、私は無力で、結局は町のチンピラと同じ! 中途半端な暴力に秀でたくらいで調子に乗って! 足を引っ張って! 汚れきった手で夢を叶える気でいたんて! こんなので誰かに笑顔だなんて、お笑い草じゃない!」
思いつくのは、現実の前に無力だ、という面白くもない言葉や、いつか思い知らされて終わりだ、と否定するモノばかり。十五の女の子に説教しか思い浮かばないのだ。
実際、太陽と言うには彼女の手は綺麗とは言いづらい。何かの為に殺すのは正義でも、清いわけがない。
きっと俺の知らない内に彼女に嫉妬しているのだろう。そんな簡単に上手くいくのなら苦労はしない、現実を見て妥協しろ、と。俺はそんな心を押し殺し、目の前ですすり泣く少女の肩に手をやった。せめて嘘でも何か言うべきだと考えた。
「ベッキー」
その名を呼んで、少女が俺の顔を幼い泣き顔で見た。俺は彼女に何を言うべきか、迷い口を閉じたり開いたりした。なんて言うべきか、少しの間思考を働かせて、その言葉を声に変えた。
「俺達笛吹は綺麗じゃない。そいつを分かったと思う。だが、言ったろう、悪党を殺すことは正しいと。誰かの笑顔の対価がそれで何が悪い? 多くのヒトの笑顔を望むなら、仕方ないし、ソイツは悪い事じゃないはずだ」
「でも、そんなの!」
「お前は今日、あの場にいたヒト達を助けた。彼らだって生きてりゃ笑顔になれるさ。死んだらそこで終わりだからな。だから殺そうとしたアイツらは悪だ。わかるな?」
身勝手と言われても仕方ないだろう。だが、これが俺の思う正しさだし、笛吹の在り方だ。押しつけと言えば、そうだろうが、目の前の少女がこのまま過去とやらに追い回されるのは不憫だ。
だから、せめて自分のしたことが完全な間違いではないという事は知ってほしい。俺の今できる助言だ。現実を知りすぎた哀れな笛吹のせめてもの慰みの言葉を彼女に投げかけた。
「仲間には連絡しておいたから、何人かは救われたはずだ。お前は今日、誰かの笑顔を守ったんだよ」
肩に置いた手をベッキーが握った。誰かの温かみに触れたかったのか、それとも孤独に耐えることが辛かったのか、彼女は俺の手を握りしめた。訓練時に見せた獰猛さもないか弱さだった。
濡れた短い黒い髪の毛が色香を与え、アーモンド形の瞳が少し前まで反骨心で細くなっていたのも、今ではしおらしく見える。狂犬じみた輝きは失せて愛らしさすらあった。
「お前の理想は間違ってない。今は泣いて悩め、笛吹にその可愛らしさは似合わない」
暴力と優しさは正反対のものだ。同居させるには馬が合わないにもほどがある。だが、俺達にはきっとそれが求められるべきなのだろう。一方で殺し、一方で救う。なんとも勝手な人種だろうか。偽善と言われてウン、と頷く以外許されない。
だが、完全な善よりかはいい。何故なら実行できるし、誰かを救うことが出来るのだから。だから、それをベッキーは知るべきだ。
俺は彼女を咎めることが出来なかった。あの言葉を聞いた以上、非情に徹するのが難しくなってしまった。我ながら大甘だと思うが。
ベッキーは立ち上がって俺の胸に飛び込んだ。俺は彼女を抱くことはしなかったが、彼女はそうした。
「少しだけ……少しだけ胸を貸してください。そうすれば、耐えられるから……」
「俺はお前の言う殺し屋だぞ?」
「でも、貴方だって」
彼女は俺の顔を見上げて言った。
「助けに来てくれた」
そう言って泣く少女が俺をほんの少し認めていたことを口にした。ふと、滝つぼから聞こえる水音に耳を澄ませた。ベッキーは俺に眩しすぎた。真正面から直視するには。
犬
朝陽が指しこみ、木の葉の隙間から優しい光が漏れて大地を照らす。水のせせらぎに、小鳥の鳴き声、かぐわかしき緑の香りと大自然の中を最先端の防弾装備と徹底的に殺しの為に研究された銃器を握って私とターキッシュは進む。
ブーニーハットを被ったターキッシュが私の顔を見て、ニヤリと笑って風邪かと聞いてきた。彼の視線に映る私の顔は赤く、パッと見すれば確かにそのように見えるだろう。
洞窟を出た後で私は昨日の事を思い出して、自分を殺したくなった。冷静になってみれば、まだ十五の私が二十代の男に抱き付くなど、正気を疑うものだ。いくらショックと無力感と勢いでやったとはいえ、自分の馬鹿さ加減にほとほと呆れる。
「あの、昨日の事は……」
「ああ、いい思い出にしとくから安心しな」
ニヒルな笑顔を浮かべるターキッシュに私は苦虫を一ガロンはかみつぶした顔を見せたことだろう。この先輩を昨晩で一時期はいいヒトと勘違いしそうになったが、そうではないことを思いだした。
「マーマルはホント、感情豊かだよな。勢いで大胆すぎることしちまうんだから」
「ああ。なんで抱き付いちゃったかな」
昨日の行動をフラッシュバックさせて私は頭を抱えた。まさに人生の黒歴史にまた一ページ、訓練で無様な様を晒したのも数えれば二つ目だ。あの時は気遣ってくれる彼が嬉しかったし、温かさが救いになったが、今ではそれが私を殺しに来ている。
恥ずかしさとこれから弄られる悔しさに握り拳を作る。
「道端で百面相するんじゃない。嬉しいのか、悔しいのかどっちかにしろ」
「悔しい」
「……リップサービスはなしか」
ターキッシュはカラカラ笑って私の顔をもう一度見た。私はその視線が今までのとは違う気がして何か、と思った。すると彼は何を思ったのか、意外な事を口にした。
「ま、良かったさ。そんな顔できるくらいには回復したんだろ?」
「いや、まあ」
曖昧な返事をしてしまった。まさか、彼の口から私の心配をするようなことが訊けるとは思わなかった。だが言われてみれば、確かに昨日よりかはずっと心が楽になった。この憎き男の胸の内に泣いたのが、そんなに効果を発揮したと言うのは何とも素直に喜べない。せめて、彼がもっと白馬の王子様の如く、スマートな八頭身で、ニヒルではなく爽やかで、耳をとろけさせるような甘い声で優しかったら良かったが、そんな事は無かった。
「泣くって意外とストレスには有効だしな。それにお前も少しは固い頭を柔らかくできたろう?」
「私は……」
「ヒト殺しだって、痛いのは最初だけさ。何事も初めての痛みが怖いが、その後はどうってことは無い。世の理だ」
嫌な言葉選びだ。女相手に初めての痛みなどと言うとはセクハラもいい所だ。だけど、確かにその言葉は正しかった。私の昨日の痛みも大分引いたようで、今では軽口は多少叩けるようになっている。
それでも、心のどこかに引っかかりがあるような気もするのだが、とにかく昨日よりはマシになった。彼の言う通り、初体験、山を超えたという訳だ。
「今思えば、殺しをそんな簡単に言うなんて先輩が初めてですよ」
「昨日言ったろ 忘れるようになることだって。俺は割り切っているだけだ」
呆れた口調で陰に彼を誹ったが、ターキッシュは余裕そうに答えた。だが、私はそれだけで、彼の言葉に頷けなかった。卓越した殺しの技術は素人の私にだってわかる。
スリングまで利用し、迷いなく銃口を敵の急所に命中させる。とにかく早く殺す、そうプログラミングされたマシーンだ。そんな姿を見せておいて、割り切っているだけ、と言われて納得できるだろうか。
むしろ私は彼は割り切っていない方ではない気がした。割り切ると言うのは合理的な行動、発想だ。割り切っているなら、もっと必要最低限の技術でいいはずなのだ。
だが、あれは十分に訓練された者ですらたどり着くのが難しい達人の域だ。ただ長く経験して来ただけでは絶対に身に付くことは無い。そこに強い意志が無ければ、ああはならない。
ちょうど、私があの最底辺から此処まで登ってこれたのと同じだ。割り切るのなら、もっと賢く楽に行く。例えば、笛吹にならずに適当な商社にでも入った方が余程楽で安定していると言った風に。
彼は助けに来た。私と言う無謀、無鉄砲なお荷物な小娘とあの場で凍えていたかのように震えていた村人の為に。そして、私のガッツを認めるような発言、実は彼も何らかの想いを抱えているのでは、とふと思った。
「先輩は……本当に割り切っているんですか?」
「俺はそう思っているさ。少なくとも殺しに悩むようにはなっていない」
「そうじゃなくて、本当は私と同じなんじゃないかって」
そこまで言うと、ターキッシュは一旦足を止めて私の方へと振り返った。視線は鋭く、私の目を射殺すかのようなギラリとした輝きがあったが、すぐに消えてため息を吐いて言った。
「俺は太陽になんかなれない。他人を照らせねえよ、ベッキー」
「でも私を励ましてくれて……」
「勘違いするな。俺とお前は仕事上のパートナーだ。お前の迷いは俺の死にもつながるだけだ」
突然、彼が不機嫌になった。私と同じ、そう言っただけでターキッシュは急に態度を変えただしたのだ。触れてはいけない部分に触れてしまったのか、彼は狼のように私を睨み威嚇していた。
「俺は仕事に忠実なだけだ」
決して笑わないで言った言葉は私にだけに述べられたように思えない。まるで、自分にも言い聞かせているようにも見えた。けど、私はそれを指摘することはしなかった。
委縮したのもあるが、これ以上は彼の深層にまで手を突っ込むような気がして、行動に移せなかった。アンタッチャブル、触れれば棘に刺さるどころですまないだろう。
「嘘だ」
小さくつぶやいて、私は彼の主張を否定したが、先輩はもう前を向いて私の方を見てなかった。聞こえていたかもしれないが、彼は無反応だった。ただ、つまらなそうに石ころを蹴り上げて前へ前へとせっせと足を運ぶばかり。
「大人の誤魔化し」だと直感した。多くを語らないようにして、威厳やその時々の権威を振りかざし相手を間違っていると言うパワープレイ。先輩と言う立場を利用し、自分の持もつ雰囲気を盾に彼は私の言葉を封じたのだ。
自己防衛だと思い、私は別段怒りは感じなかった。むしろ悲しく思えた。誰とて自己防衛はするだろう。踏み入れられたくない部分に入ればたちどころに牙を剥くのは当然の反応だ。それが出来なければ、幾人もの侵入を許して自分という物がなくなってしまう。
だけど、昨日優しさを見せ、非情に徹しているようで徹せられないかのような彼の行動を見てしまうと、彼の反応が急に痛ましくも思えた。何をそんなに彼を素直にさせないのか、と。
昨日彼は私を素直にさせてくれた。足を引っ張って、痛みと後悔に堪えかねた私の背中を支えてくれた彼には貸しがあると言える。歌詞を作ったままで嫌だし、それは私の流儀に反するものだ。
巻ければとりあえず従う、貸し借りは作らない。あのごみ溜めとも言えなくもない場所で育った私が得た教訓だ。ある意味では家訓とも言えなくもない。
手に握りしめた銃器を見て思う。初めてコレを握ったその日、AKタイプと言われる野暮ったいデザインの鉄と樹脂で構成されたアサルトライフルを握る私は万能感に溢れていた。しかし、昨日と言う山を越えて自分が何ら特別でもなければ、銃を持つだけで強くなれる訳ではない、と思い知らされた。
腕も未熟であるのは無鉄砲な若さだけ。ターキッシュに借りを返すことが出来、なおかつ彼を素直にさせることは出来るだろうか。私は彼の本当を知りたい。もしかしたら彼は私の想っていた理想に近い存在なのではないのか、と疑問が浮かぶ。
ソレを確かめたい。無論だが、恋ではない。好奇心と恋慕は違う。立った一晩優しくされただけで惚れるような安い女ではない。
私は決心して彼に訊こうとした。何故頑固にひねくれ者ぶっているのか、と。しかし、彼は足を止めて、突然姿勢を低くして辺りを見回しだした。
何かを警戒しているとすぐに察知して私も彼と同じ行動をとる。それだけでなく、昨日は出来なかったマーマルとしての機能を使うことにして耳を澄ませ、鼻を利かせると、驚くほど多くの事を知覚できた。
『感じるか?』
ナノマシンによる年話で声が聞こえ、私も同じように返信した。
『火薬とグリース、それに汗の匂いが。足音も多い気がします』
『まるでレーダーだな。他には? 何人いる?』
探りはしたが、私は残念ながら機械ではなく、勘を働かせるにはいかんせん若すぎた。ただ、一つ分かったのはヒトの足音に混じって妙な金属音も混ざっていると判断することが出来た。
「人数はわかんないですけど、変な金属音が……」
『馬鹿野郎!』
私は声に出して話してしまった。いつもの癖と言えばそうだが、それは致命的なミスだった。相手の装備が分からぬうちに迂闊に声を出してしまったのだ。大きな発射音が幾重も重なり、何かが空を切って堕ちてくるのを近くした時、私とターキッシュは次の瞬間には爆風と言う見えないハンマーに身を吹き飛ばされた。
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