―――ねぇ、知ってる? 街はずれにある十字路に何でも願いを叶えてくれる悪魔がいるって噂。
―――知ってる知ってる! 確か凄くイケメンな悪魔って噂だよね。
―――いや、俺が聞いた話じゃかなりの美少女らしいぜ。
―――それで、その悪魔は本当に何でも願いを叶えてくれるのか?
―――うん、そうらしいよ。でもそのかわり……
―――分かった、魂を持っていくんだろ!
―――ちょっと、先に言わないでよ。
―――悪りぃ悪りぃ。
―――それで、噂を確かめに行く?
―――それいいな。放課後に皆で行こうぜ。
走っている、走っている、走っている。
ひたすらに走るその姿は誰の目にも映ってはいなかった。当たり前だ、そもそも映るべき眼球を持った他人が居ないのだ。どんなことをしていてもそれを目撃する他人がいなければ、それはやっていないと同じじゃないのかと脳裏をよぎっていたが彼はその考えを無理やりに頭の外へと放り出し足を止めずに走り続ける。
真夜中の街中をまるで短距離走を走るかのように走り抜け、街灯の光を浴びてできた影を彼方へと起きざるように見える。
彼の顔は苦しみで歪んでいると言うより、無力感で歪んでいるように見える。歯を食いしばり、目的の場所まで立ち止まる気がない事はその姿を見れば誰でも予想はついただろう。
息は切れ切れ、今にも転びそうなほどにもつれ始めた足、尋常じゃないくらいに噴き出てシャツを濡らす汗。体はすでに悲鳴を上げ、一度止まってしまえばもう動く事は無いであろう疲労を抱え、それでも意思と意志を両目に宿して……
ようやく足を止め、今にも崩れ落ちそうなほどに憔悴しきっているが両ひざに両手を置いてどうにか中腰で立っている。
「ハァ、ハァ………いるん、だろ……出て、こいよ…魂でも、命でも、何でも払って、やる………とっとと出てきて俺の願いを叶えやがれ!」
砂利道が二つ交差した、十字路の真ん中。誰かが近づけば必ず足音が聞こえてくるであろう道の上。彼は夜の帳が完全に降り切っている空に向かって咆哮する。
「まったく、こんな夜に近所迷惑じゃないか。君はどういう神経をしているんだい?」
後ろから男の子とおぼしき声が聞こえてくる。しかし、その口ぶりは目上の者が目下の者に言うようでその声とまったく逆の印象を与えてくる。
だが、そんなことよりもどうやって近づいたのか。一歩でも足を踏み出せば砂利がこすれあい音が出るはずだ。大声を出していたとしても、周りには人の姿などはなく後ろに立つには必ず砂利道を歩かなくてはならない。なのに、足音は一切無かった。なら、それは……
「なんてね」
彼は恐る恐る振り向いた。
「やぁ、比企谷八幡君。そんなに緊張しなくても良いよ、君が僕を呼んだんじゃないか。ああ、そんな意外そうな顔をしないでくれるかい、傷つくなぁ。まぁ、待ってたよ」
子供がそこに立っていた。年齢は見たところ、小学中学年から高学年くらいの男の子なのだが、どうもその顔に張り付けている笑顔が子供らしくない笑顔であった。
「……お前、が?」
「おや、この姿はお気に召さないのかい? これほどまでこんな時間だからこそおかしいと思える姿は無いと思ったのだが、別の姿がしっくりくるものなのかね」
一瞬だった。目を離したわけでもなければ、目を逸らしたわけでもない、まばたきの瞬間に子供は消えかわりに真っ黒いスーツを着た詐欺師のような男が立っていた。絶句している間に、今度は白髪の仙人のような老人へ。そこから老婆、赤ん坊、少女、幼女、童女、少年、青年、そして……雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣、平塚静、戸塚彩加、材木座義輝、葉山隼人、川崎沙希、鶴見留美、城廻めぐり、比企谷小町へとまばたきするたびに姿を変えていき、最後には比企谷八幡へと姿を変えた。
「どうだい、これで信じてくれただろうか」
自分と同じ顔、同じ声、同じ目で笑いかけてくるソレは、吐き気がするほど気持ちが悪かった。
「あ、ああ、信じる。だから……その姿はやめてくれ。最初の姿でいい」
「ん、そうかい? 僕としてはこの姿をお気に入りとして使っていきたいのだけれども、本人に君がダメだと言うなら使用は控えよう。肖像権の侵害というものだね」
無邪気に笑う自分の姿を直視できず目を伏せ足元を見ながら、まばたきの瞬間変わったのを確認して顔を戻した。
「さて、ようやく君が僕を呼んでくれたからには、それなりの叶えて欲しい願いがあると言うことは明白だね。本当なら僕を呼び出すには面倒な手順を踏まなきゃいけないんだけど、ほかならぬ君の頼みだ、そんな手順は省いてあげたよ。なに、お礼はいらないよ。僕と君の仲じゃないか」
得意げな表情を湛えて、なにか納得したようにうなずく悪魔。いや、本当に悪魔なのだろうか。こいつは人間ではないことはすでに疑いようのない事だが、だからと言って悪魔と断言するのは早い。それに、目の前のソレは自分のことを悪魔と名乗っていないのだ。しかし、比企谷八幡にとってそれは些細な問題だろう、問題にならない問題だろう。大切なことはただ一つだけ、
「本当に、何でも、叶えてくれるのか……どうなんだ!」
本当に願いを叶えてくれるのか、ただそれだけだ。
「うわ。急にどならないでくれよ、びっくりするなぁ」
表情を変えずに嘯くソレは比企谷八幡の目の前まで近づき見上げて、
「その答えは、Yesだよ」
三日月のように口を歪め、ピエロのような逆三日月の目で笑っていた。そのゾッとする表情から逃れるように数歩後ろに下がりもう一度目を合わせると、さっきの表情が錯覚に思えるほどに普通の顔に戻っていた。
「さて、君の願いを聞かせてもらえるかい。時間がないんだろう?」
コテン、と首を横に倒して見てくるソレは最後の希望であり最初の絶望だと本能が知らせてくる。ここで願いを言おうものならどんな未来が待っているか、しかしながら願わなければいけない事情もある。
「一つだけ聞かせろ。お前が、わざと、事故を起こしたんじゃ、ないよな」
「ん~事故ねぇ。さぁ、どうだろうねぇ。
起こしたかもしれないし、起こしてないかもしれない。起こしたとしても君の願いに関係ないところかもしれないし、起こしてなくても僕のやった小さな事が後々そこにつながっているかもしれない。
あ、これがかの有名なバタフライエフェクトって言うんだっけ。
まぁ、そんなことは関係ないよね。だって、君は願うしかないんだから」
比企谷八幡は思う、もしかしたら目の前のソレは自分の魂が欲しくてこんな状況をつくりだしたんじゃないか、と。しかし、それは無意味に終わった。結局、自分のすべきことは変わらないのだから。
「さぁ、どうするんだい? 願ってくれなきゃ、僕の出番が無くなっちゃうよ。待つのは好きだけど、待たせ過ぎるのはやめてくれないかな」
「……魂でも何でもくれてやるから、雪ノ下と由比ヶ浜を救いやがれ」
「了解したよ」
目の前にはたまにしか見せない笑顔の雪ノ下雪乃が立っており、無理やり比企谷八幡の唇を唇でふさいだ。そして次の瞬間には由比ヶ浜結衣が二回目の唇を奪った。
「全てはキスから始まる」
あっけに取られている比企谷八幡から離れたソレは子供の姿に戻っていた。
「いい言葉だと思わないかな。キスによって繋ぐ契約、これで契約成立だ」
いまだ魂が戻らないように呆けているが、それでも言葉は耳に届いていた。頭に入っていたかは確認してはいないが。
「では、契約内容をおさらいしようか。
君の願いである雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣の両名は今この瞬間に命を取り留めた。君の願いはここに完了した。
サービスで現代医療によって回復したように見せるために、一週間かけて徐々に回復するようにしておいたよ。これで、今までのような君が何かをやったと言う疑惑は起きないと思うよ」
ようやく意識が戻ってきた比企谷八幡のまわりをぐるぐる回りながら喋り続ける。
「さて、君の願いにおける代償の話に入ろうか。
普通なら魂を徴収するところだけど、君には別の物で支払ってもらいたいんだ。実は、僕の趣味はね、瞳の蒐集なんだよ。
だから欲しいのは、君の目玉、眼球。今まで見たことのないほどに腐りきったその瞳は何にも変えられない価値があるんだよ」
ソレは指を鳴らす。
「ぐぁ!」
比企谷八幡が両眼を押さえてうずくまる。一瞬の痛みが走るが、すぐに何もなくおさまった。両手を外したその下、両眼があった場所からは血も流れていなかったが眼球があった場所には空っぽで空虚で空洞が世界を覗いていた。
「そう、君は眼球が無くなって失明するよね。
そのままじゃ、君が何かをやったことなんてすぐに分かっちゃうね。ここから僕が君だけにサービスをしてあげよう。他の人には喋っちゃだめだよ。
あ、ここで『喋る友達はいねぇよ』って言うのが君なんだよね」
うずくまったままの比企谷八幡のまわりをいまだに回りながら、喋り続ける。その片手には比企谷八幡のものだった眼球が一つずつ入った二つの保存容器、もう片手には同じ保存容器を二つ持っている。そのもう一つの保存容器の中には瞳の色の違う眼球が一つずつ浮いている。
「君にはこの新しい眼球を移植してあげる。これで君の視力は戻るよ。
でも元の瞳と違うし、この二つの瞳の色自体違うからオッドアイになっちゃうんだよね。そこでこの魔法の眼鏡を追加でサービスしてあげる。これはね、かけるだけで瞳を以前の状態に見せる事ができるんだ。その他にも色々と機能はあるんだけど、それは使いながら確認してほしいな」
持っていた保存容器をどこかに消し、再び指を鳴らす。
「がぁ!」
再びの痛みに両眼を押さえる。その痛みもすぐに消え両手を離すと、自分の手のひらが目に入る。
「うん、ちゃんと見えるようだね。
はい、僕の出番はこれで終わり。僕はこれから用事があるからもう行かなきゃいけないんだよね。あ、これが眼鏡だよ。僕がかけてあげる。
うん、似合ってる似合ってる。その眼鏡は壊れないからどんな扱いをしても大丈夫だよ」
比企谷八幡は見上げる、その嘯く表情を。
「そうそう、最後に言い忘れたけど。
君の右目は他人の悪意を見抜き、君の左目は他人の善意を見抜く。使い方はいたって簡単、眼鏡を外して使いたい目と逆の目を隠せばいい。
君の絶望と希望が二つ目の対価だよ」
そう言い残し、ソレは煙のように姿を消した。
その十字路に残されたのは比企谷八幡だけだった。
比企谷八幡は立ち上がり、眼鏡を外し左手を動かし、左目を隠した。見開く右目は妖しく光り輝いた。