「いやあ、船は怖いね。何時、深海棲艦に襲われるかと冷や冷やしたよ」
数時間揺られること辿り着いた大地で伸びをする。船と一口に言っても客船であるはずもなく、どちらかと言うと貨物船のようなものだ。
「その割には司令官さん、ずっと寝ていたのです」
「そうだったかな」
苦笑気味に言う電を尻目に、適当にはぐらかして鎮守府を仰ぎ見る。以前の艦隊は僻地の割には大所帯だったらしく、敷地も広く設備も整っているようだ。
しかし、少なくとも数年は手付かずだったのだろう。埃が積もり掃除しなければ使い物にならなさそうだ。
いくつか部屋を手当たり次第に開けていくと、前任者が執務室として使っていたのだろう部屋が分かった。隣が自室だったと思われ、ベッドやいくつかの家具があった。
「よし、電最初の任務を言い渡す」
「は、はい!」
緊張した声音。艦娘にとっての主たる任務は出撃となるからだ。
「一緒に大掃除をしようか」
しかし、そんなことより最低限の機能を果たせる鎮守府に戻すことが先決だ。出撃する余裕なんて今はない。
「良かったのです。出撃かと思ったのです」
「出撃は今すぐに行う訳にはいかない。少なくとも入渠と補給が確実に行えるか調べなくてはいけないからね」
施設の現状を確認出来ていない状況で出撃など愚の骨頂。電の頭をぽんぽんと軽く撫でつつ、速やかに分担を考える。
「私はこの部屋と執務室を使えるようにするから。取り敢えず、どこでもいいから自分が使う部屋を決めて掃除しておいで」
手早く分担して掃除に取り掛かる。幸いなのは掃除道具が近場にあったことだろう。簡単に埃を払い、換気しただけでも十分良くなった。やはり清潔な職場というのは必要なことだ。
自室の掃除を簡単に終わらせ、執務室の掃除へと向かう。
適度に片付いたところで、ふと視界に移った書類の収められた棚が気になった。どうやら日誌のようなものがあるようだ。
「少し見てみるか」
何か有益なことが書かれているかもしれないし、早めに目を通しておくべきだろう。
毎日少しづつ書かれたのだろう。日誌は何冊かに渡って綴られていた。一番初めの年の日誌を見ると、どうやら前任者も着任初日に艦娘と掃除をしていたことが書かれていた。奇妙な感覚に襲われて微笑ましさから口を綻ばせた。
「司令官さん、終わったのです」
扉から入ってきた電を見て、掃除の途中だったことを思い出した。
「何を見てるのです?」
「前任者の記録があったものだからね。何か興味深いことが書いてないかと。済まない、上官がサボっていては示しがつかないな」
「い、いえ、そんなことないのです」
「さて、次はどうしたものか。掃除するとなると、どこもかしこも必要な訳だが」
「食堂とかも必要ですよね?」
「生活する上では欠かせないからな。しかし、そもそもこの鎮守府のどこに食堂があるのか……」
「それなら先程、通路の所に見取り図があったのです」
「流石だ」
電の頭を撫でつつ見取り図まで案内させると、何ということはなく部屋から少し離れた所にぽつりとあった。来た時とは別の方向だから見落としていたようだ。どうやら見取り図によると今居る棟は執務関係などの施設が集中しているらしく、本来は少し離れた棟に艦娘の寮となる場所があるようだ。
「電はどこの部屋を使うんだ?」
「司令官さんの隣の部屋を使うのです」
別に大量に艦娘が居るわけでも無く、電と私しか居ないのだ。何処を使おうと不都合は無かろう。わざわざ離れた棟の部屋を使うのも無駄に等しい。後は艦娘が多くなったら考えればいい。
食堂へと向かうとガランとした部屋は寂しいものがあった。
「食堂も広いな。前任者は余程大部隊だったようだな。電は調理スペースの方を確認してくれ。補給物資の中には食料も含まれてたし、そこに置いてあると思う」
「あったのです! これは何日分あるのです?」
「一週間分だったな。電は料理が出来るか?」
「一応出来ますが、味の保証は出来ないのです」
味より食えることが大事だ。口に入りさえすれば、何でも良い。
「なら、調理スペースを掃除しよう。そして電が料理している間に私が食堂の方を掃除するとしよう」
調理スペースを掃除していると思ったより、黒いアレが出なかった。何処にでも居そうなものだが、何年も放置されていたからだろう。
「これくらいでいいだろう。電は料理の方を頼む。私は食堂の方へ行く」
電を残して食堂の方へ行く。テーブルを拭いて、埃を払い簡単に出来るとこを済ましていく。
雑巾までするべきか、とちらりと電を見る。なかなか手間取ってるようで、まだ時間が掛かりそうだ。
「よし、もう一仕事するか」
水が冷たい季節じゃなく良かった、と思いながら水を絞る。しかし、艦娘の中には北方の寒い所にも、遠征や出撃をしなければならない者も居る。それに比べれば寒い中でさえ、マシだろう。
こびりついた汚れを落とすより、取り敢えず多く拭くことを優先する。
「司令官さん、ご飯が出来たのです」
「そうか。先に食べても構わないぞ。あと少しで拭き終わるから、それからいただくとするよ」
「手伝うのです」
「いや、もう終わるからいいぞ」
結局、拭き終わるまで電は食べなかった。いくら上官がいいと言っても、普通は食べられないか。
「済まなかった。結局、待たせてしまったな」
「いえ、そんなことは」
「食事にしようか。この匂いはカレーかな?」
食堂からは香り良いカレー独特の匂いが漂ってくる。スパイシーな香りではなく、少し甘めな味付けの香りだ。
「はい、電の得意料理なのです!」
一口食べてみると、辛さが程よい甘さで辛過ぎず甘過ぎない丁度好みの味だった。
「どうですか……?」
「美味しいよ。これだけ美味いのは久しぶりに食べたよ」
思わず電の頭を撫でてしまうくらいには美味しかった。
もう一口食べたくなったが、手を止める。
「司令官さん、どうしたのです?」
「食べててくれ。トイレだ」
席を立ち食堂から見えなくなるところまで歩く。電が見えなくなったところで、廊下を走る。行き先はトイレではなく、自室だ。走らなければトイレと偽るには時間が掛かりすぎる。
部屋を開けて、封を解いてない荷物から目当ての物を探す。そして急いで食堂へ戻る。
「電、手を出しなさい」
「は、はい?」
首を傾げながら電が手を差し出す。小さく綺麗な細い指には二箇所、切った跡があった。まだ血が滲む指先は痛々しい。
自室から取ってきた絆創膏を貼ってやる。
「ありがとうなのです!」
「次からは気を付けるんだぞ。でも、ありがとう。本当に美味しいよ」
カレーは少し冷めてしまったが、やはり美味しかった。
これが私の鎮守府の始まりだった。