初春飾利は、ジャッジメントの仕事を同僚の白井黒子に押し付け・・もとい一任して、親友との待ち合わせ場所に急いでいた。
白い息がマフラーから漏れる。元々運動が得意でない彼女の息は上がっており、足取りも遅い。周りからはランニングをしているように見えるだろうが彼女にしてみれば全力疾走だった。複合商業施設ダイヤノイドで行われる一一一(ひとついはじめ)のゲリラライブまであまり時間が無い。ライブの情報を見つけたのが今朝の9時過ぎ、親友と連絡を取ったのが9時半、午前のパトロールを済ませて177支部に戻ったのが11時25分。午後からの予定を同僚に任せるため色々辻褄合わせをして、177支部を出たのが12時半を回っていた。ダイヤノイドは177支部のある第7学区とは隣り合わせの第15学区にある。ライブが始まるのが1時半だから結構ギリギリだ。
待ち合わせの公園に到着すると、親友が自分に向かってブンブン手を振っている。
「遅く・・なって、スミマセン・・・」
両膝に手をついてゼイゼイと息を吐きながら謝る。
「しっかし、よく出てこれたね。てっきり白井さんが許可してくれないと思ったけど」
初春飾利と揃いのセーラー服の少女が驚いている。白梅の髪飾りをつけたストレートの長い髪が特徴的なクラスメート。年齢は初春と同じはずなのだが、結構メリハリの効いたプロポーションの持ち主。
「ライブに行くって言ったら許してくれる訳ないじゃないですか。これは警備なんです。一一一のライブ会場で走力者狩りのテロの恐れがあるっていう情報があって、そのパトロール!」
ビシッと音がする勢いで腕章を指示しながら初春飾利がドヤ顔で言う。その腕章には楯のマーク。
「だからそんな怪しげな情報に、よく白井さんがGOサインを出したなって・・」
「何だか、気もそぞろって感じでしたねー。魂が抜けたような表情で。あまり詮索されませんでしたよ」
「その情報も、どこかの花飾りの少女が発信源だったりして」
「ななな、何言ってるんですか佐天さん。急ぎましょう、もう始まっちゃいますよ――。警備が間に合わなくなっちゃう!」
初春飾利は、親友がニヤニヤ顔で覗き込んでくるのを慌てて打ち消しながら、先に走り出す。
「あっ、ずるーい。待ってよ初春―」
後を追う佐天涙子。
すぐに初春飾利に追いついて、
「ねえねえ初春。この公園ならコッチの方が近道なんだ!」
「そんな抜け道ばっかり使っているから、佐天さんは遭わなくてもいいトラブルに巻き込まれてるんですよ、ってもう行ってるしーぃ」
声を掛けて角を駆けていく。
表通りの喧騒から切り離された、細い路地。クーラーの外扇機やら空き箱やらが剥き出しの、女の子があまり立ち入るような場所ではない区画。
ジャッジメントの役目上この様な道は知っている初春だが、抜け道の知識は佐天の方がはるかに上だろう。ちょっと心細さを感じかけた所で表通りに出ると目の前にはダイアノイドのビル。確かに通常のルートなら一五分はかかるのを一〇分足らずにショートカットしている。
「へえー、ホントに近道なんですねー」
初春が巨大な複合施設前の広場にほけっとしている。細い迷路から、ポンと広場に放り出されたような感覚だった。
「やっばー、始まりまで10分切ってるっっつ。初春、前席無理かも。急ごっ!」
佐天涙子が小走りに走り出し、初春飾利が後に続いて、路地から表通りの歩道に出た時それは起こった。
急に周りの喧騒が消えた。いや人はいるのだが音が無い。
「え?何。初春・・」
奇妙な雰囲気に戸惑い、横を一緒に歩いていた初春飾利を向く。しかし隣りに彼女が居ない。親友は自分の数歩後ろで立ち止まっている。
「初春?」
満面の笑顔でセブンスミストを見ながら彼女も固まっていた。佐天が呼ぶ声も聞こえている様子はない。
無いのは音でなく動きだった。周囲を見回すと、すべての人が時間が止まったように静止している。時間が止まっている訳ではない。風に葉を落とした街路樹の梢がそよいでいるしチュンチュンと鳥の声も聞こえる。人間と警備ロボットだけが静止している。まるで自分ひとりポツンと取り残されているような疎外感。
突然、背後にタイヤの軋む音がした。
振り返ると、ワゴン車が歩道に乗り上げながら、一直線に二人に直進してくる。
車は避ける様子もなく、あっという間に二人に迫る!
「・・・!!!」
佐天涙子は咄嗟に初春の腕を摑んで横に身を躱した。
ワゴン車はそのまま二人のすぐ横を走り過ぎて、歩道わきの街灯に追突した。
「いたたた・・大丈夫、初春?」
転んだ身を起こしながら一緒に倒れ込んだ親友を見る。初春飾利は、セブンスミストを見上げていた時と同じ表情のまま、笑顔を浮かべていた。それはまるで人形のようだった。
「オヤ、次元断層に移層する人払いの術式ヲ掛けたのだけれド、何んデ貴方は動けるノかしラ?」
声のする方を見ると、この時期に何て格好というほど場違いな姿をした少女が立っていた。淡い水色のホルタートップスにカラフルな飾り布(モラ)をボレロにしたセパレート。手首で貝殻をくりぬいて作ったブレスレットが乾いた音を立てている。真夏の南国の格好。しかしその肌は褐色ではなく死人を思わせる青黒い色をしている。
「AIM拡散力場が無い…貴方ゼロ能力者なの? 裏鏡の術式が効かないッテことハ魔術師なンだろーけド、その姿この街の学生よネ。カリキュラムに拒絶反応しないワケ?」
魔術師でありながら土御門元春のように学園都市の学生でいる者もいる。しかしその代償は、魔術師としての技能も能力者としての能力もその大半を失うというもの。しかもどちらかの力を揮おうとすれば肉体が激しい拒否反応を起こして命の危険すらある。
(ゼロ能力者って・・そりゃワタシはレベル0(無能力者)ですよ。でも無能無能って言わなくても・・・。それに、裏鏡の術式?魔術師?? この人さっきから何言ってんの?)
科学の街の住人である佐天涙子は、大半のものがそうであるように魔術というものを知らない。たとえ知らず知らずのうちに魔術サイドの人間と繋がりを持っていたとしても、だ。
「アレイスターの巣にイレギュラーは当然ヨネ。自分が出てきた方がやっぱ確実ダワ。ま、どーデモいいけド邪魔しない事ネ。魔神の私ニ、聖人ごときのチンケナ魔術ハ通用しないワ」
(魔神? 聖人? 新手の宗教勧誘か何か???)
「ワタシはその花飾りの能力者に用があンのヨ。第三位ヲ狩る餌にすンだからサ!」
(能力者狩り!!)
佐天涙子はネットで見かけた能力者の脳を狩るという都市伝説を思い出した。思わず初春飾利を護るようにぎゅっと抱きしめる。
「ホウ一人前に抵抗する気かイ。なーんも出来ないト思うけド?」
魂を吸い取られるような眼差しで、佐天涙子は見据えられた。見竦まれて、身体が動かない。生気のない眼がどんどん大きくなって、自分が身体ごと呑み込まれるように感じる。腰が抜けて失禁しそうになる。
「あ・・あ・・あ・・あ・・あ」
助けて。止めて。誰か。
声を出そうとするが、どれも言葉にならない。
青黒い細い腕が、佐天涙子に伸びて来る。
その胸元に触れた時、あたりに『ガラスが割れるような音』が響き、思わずゾンビ魔神は手を引っ込めた。
「!!っ、いま何・・・!!!」
ゾンビ魔神が叫ぶが、最後は言葉にならなかった。何故ならいきなり彼女は後方に吹き飛ばされたからだった。
突風が薙ぐと、ゾンビ魔神と二人の少女の間に一匹のラブラドール犬が居た。
「営利誘拐の現行犯ってことか。――殺人容疑もあるがな。魔神ともあろう者が随分しみったれた小事をしているようだな」
「フン、アレイスターの犬か。本当ニ、まだ犬なんだナ。確カ真っ黒ナ獰猛犬だったト思うンだけド、イメチェンしたンかしらぁ。」
犬と正体不明の怪人が会話している。この世ならざる光景が佐天涙子の目の前で繰り広げられていた。
「お前らの目的は、幻想殺しと原石の確保じゃなかったのかね」
「アラよくご存ジ。幻想殺しの餌に第三位を使おうト思ってネ。その準備中。魔道図書館でもいいンだけド、色々トうざい連中ガ絡んデくるからサ・・・」
(幻想殺し? 第三位って御坂さん? 図書館ってテロ!?)
「ダカラ、邪魔しないデくれない――」
ゾンビ魔神の緑の目が赤く変わる。
対峙するラブラドール犬の体が光り、パワードスーツを装着する。
(え?え?戦隊もの? 蒸着!とか言っちゃうの?)
佐天涙子は、初春飾利を抱きしめたまま事態の推移についていけない。
そして二つの人外は、唐突に姿を消した。
白々しいまでの静寂が残る。
まるで世界じゅうに、たった一人取り残されたよう。
腕の中の初春にも、自分の周囲にも、何の動きもない。人外は目の前から消えたが、佐天の非日常はまだ続いていた。
コツコツと、乾いたヒールの音が近づいてくる。
見ると、白衣を着た女性が一人。
「お嬢さん、けがはない」
白衣の女性が声を掛けて来る。既製品のリクルートスーツの上に白衣を無造作に羽織っっている。22~3くらいの理知的な整った顔。何処かの研究者だろうか。
「え? ええ。私は大丈夫です。でも初春が、街の様子が。」
「それと変な人が現れて、犬が変身して、いきなり消えちゃって、何がどうなってるのか、訳わかんなくて・・・」
佐天は目の前の女性に、混乱した頭で説明しようとするが、余計に混乱し自分でも何を言っているのかわからなくなる。
そんな佐天の言葉を静止させて、白衣の女性は言った。
「大丈夫よ。彼女は元の次元に居るわ。この街もね。私たちの方が次元の狭間に居るの。丁度鏡の裏側に居て世界を見ているような状態だわ。随分と大がかりな人払いの術式ね」
本来人払いの術式は、ある特定の空間に人を近付けない、場所を認識させないもので、その空間に居る人までは切り離せない。空間に存在するすべてのものに干渉する術式は御使堕しに相当する。
「二人は異なる位相に行ってしまったから、間もなくこの術式も消えると思うけど。――まあ、消えなかったらこの世界も元の世界も終わりで、私たちには知る術もないのだけれど」
何気に恐ろしいことを言う。
「貴方、この街の学生よね」
「は、はい・・・」
「ここで見たことは、決して明らかになってはいけないものなの。トップシークレット中のシークレット。統括理事会でも知らない事だわ」
「ええええ?」
「このことが世界に知れると、また世界大戦が起こりかねない。だから、貴方に喋ってほしくない。ワカル?」
自分が見たことと世界大戦がどう繋がるのか、さっぱり解らないが、ただ言えることは、何だか部外者の口は封じるっていうお約束な会話の流れ・・・
「しゃ、喋りません! ぜーったい誰にも! 口が裂けても!」
身を固くして、ブンブンと首を振る佐天涙子。そんな彼女に微笑みながら
「アラ、貴方をどうかしようって言うんじゃないから。ただ、忘れて欲しいの」
「忘れますっ! 忘れよう! 忘れましたっ!」
彼女の言葉に激しく同意する佐天。
「なに、その変な三段活用。じゃ、忘れて」
へ、と振り向く佐天の前に短銃が突きつけられ、彼女の顔にガスが噴射される。
ガスを吸い、意識を失う佐天。
「色々余計な事まで喋りすぎた感はあるけど、まあ綺麗に上書きされるから、いいでしょ」
倒れた佐天涙子を尻目に、白衣の女性はポケットから未来的なデザインのヘアバンドを取り出すと自分の頭に付ける。ヘアバンドの両端には扁平な突起物が伸びており、ロボットアニメによくある機動戦士風ウサ耳だ。
彼女が取り出したものは学習装置MO(テスタメント・メンタルアウト)。周辺での人々の特定の記憶を改竄するもの。第5位が拉致されたとき彼女が格納されたファイブオーバーMOの欠片を回収して作られたものだ。見られては困ることを一般人に知られた場合に平和的に解決するのに使用する。
スイッチを入れると、広場周辺に電磁波が流れ、人の脳の特定部分の水分が操作される。
自分のやることを終えると、白衣の女性、木原唯一は止まったままの世界を後にした。