ラジオの再生産が軌道に乗り、只のならず者に過ぎなかった大人たちを巻き込んでコミュニティー会社の体裁を取りはじめた頃、青年は自分の学生時代の友人に宛ててメールを送った。相手は学園都市で航空産業をやり始めた男だ。いまは航空エンジンの改良や設計研究をしているが、ゆくゆくは総合機械産業に育てたいという野望を持っている。そことの業務提携を持ち掛けたのだ。
精密機器を扱う企業に、ここの部品に使用価値があるとは思えないが、今はジャンクでも技術供与と資本投下で都市鉱山に化ける可能性がある。ここに足りないのは教育や資本のバックアップだ。友人の会社もまだ小さく、とても海外進出など出来る規模にはないが、将来国際的な総合機械産業メーカーを目指すなら、その足掛かりになるものが今からあってもいい。その事業が貧困層への社会貢献となれば、企業が得られるイメージ効果は大きい。まして援助の対象が最弱者の子供たちなら尚更だ。
学園都市と直接貿易が出来る会社への登記簿手続きは、青年が利用しているクレジットカードの会社を通して行った。法律にはあまり詳しくないので、餅は餅屋に任せた訳だが、この手の手続きに普通数か月は待たされるものを、僅か二日で完了した。何でも担当者の話によると、向こうの方から勝手に必要な手続きとか窓口とかが集まって来たとか。
かくして、輸出できるものと言えば、プランテーションの第一次産業しかなかったこの国に、はじめて精密機械産業の輸出会社が誕生した。たとえまだ、売り上げは微々たるもので扱う品はジャンクであっても。
「こんな処か。」
と、青年は呟いた。
この国は政情不安だ。大人の都合で子供はいとも容易く翻弄される。けれど、政治が市民に無関心であれば、弱者が生きていける活路はある。足りないものをほんのちょっと用意すればいい。翻弄されないだけのバックアップも用意した。そのための学園都市だ。
そろそろ立ち去る頃と思った。だが、もう一つ足りないものがある。
青年のクレジットカートはとある外資系企業のもので、金融だけでなくカード利用者の旅行代理業務も行っている。世界各国に支店があり世界中を飛び回っている青年にとってはまことに使い勝手がいい。この小国にも支店があり、少女を出国させるためにパスを手配してもらおうと電話を掛ける。窓口の出たのは、あの登記簿手続きの時と同じ日本人の新米営業マンだった。顧客ごとに担当者は固定されているが、実はお互いに名前は知らない。本人確認はID番号でやり取りされる。顧客と営業の機密保持のためだ。後日パブなどで隣同士になっても知らないどうしで、ああ担当のとはならない。
「二人分の旅券をお願いしたいんだが・・・」
『どちらまで?』
「取り敢えずプエルトリコ。ちなみに一人は子供ですが身分証明は持ってません」
『それって結構違法行為ですよ。いまここは戒厳令で国民の出入国は制限されてます。それに本人のパスポートが無い?まあパスなんて有って無いような国ですけどね。偽造か成りすましでもするんですか? 』
「まあそれはどうとでも・・・」
事情を話す青年。
自分が居なくなっても、このコミュニティーを継続していけるだけの人材。そしてある程度の知識が必要だ。だがそれだけの教育がここでは得られない。この少女なら、子供たちの間に人望があり、知識欲も旺盛だ。青年は今後をこの少女に託すため出国させようと思った。
『――わかりました。とりあえず一日待ってください。望みは薄いですが』
だが夕方に営業マンから電話が入る。
『手配できました。』
「本当ですか!」
『たまたま米国のチャーター便がありまして、恐らく亡命用でしょうが丁度空きがあったんですよ。都合が良いことにパスポートのプロフィールがお宅の件と一致。先方は消息不明。元々余分にキープしてあった偽造旅券の疑いがありますね。そこに入れ込んどきました。』
たまたま、丁度、都合よく・・・そんなに調子が良いことが重なるもんだろうかと青年は電話越しに思った。
でもまあ、これで手配は全て整った訳だ。
荷物、といっても来たときと同様にバック一つだが、持ち物を片付けていたとき、それは起こった。
ブルドーザーが唸りを上げてゴミ山を突き崩し、そのまま広場に闖入してきた。
いったい何がと表に出てみると、数台のブルドーザーが、子供たちのバラックを押し潰していく。悲鳴を上げながら逃げ惑う子供たち。
続いて、目出しの麻袋を被った男の集団が、手にマチェーテ(山刀)を持ち銃を発砲しながら現れる。
「呪われた魂を袋に詰めろ! バロン・シミテール(墓地男爵)の救済を!」
一団を率いる男が叫ぶ。山高帽に髑髏のメイキャップ、手につるはし、上半身裸に髑髏のネックレスといういで立ち。
トントン・マクート。
大学のアーカイブで見たことがあった。青年が生まれる以前、同じカリブ海の国で、デュヴァリエとかいう独裁者が組織したという親衛隊。迷信と暴力で民衆を支配したそれと同じ手法を、ここの権力者は使っている。
「呪われた魂を袋に詰めろ!」
禍々しい髑髏面の男が叫び、逃げ惑う子供らに白い粉を撒く。その粉を吸った子供が倒れ、麻袋の男どもが次々と子供を攫っていく。
泣き叫ぶ子供、住処を押し潰していく重機、おどろおどろしい風体の集団、広場は恐怖の坩堝と化していた。
「やめろーっ!!!」
青年が子供を攫っている男に体当たりする。
男はいきなりの事によろめくが、次には山刀の柄で青年の頭を強かに打ち据えた。
目に火花が散り、そのままblackout。
地べたに這いつくばり、次に意識を取り戻した時も、まだパニックは続いていた。それほど時間は経っていないようだった。もっとも柄で無かったらそのまま命がoutしていただろうが。
ズキズキ痛む後頭部に手を当て、よろけながら立ち上がった青年は、広場を見下ろすゴミの山に立つ人影を見つけた。
一人はあの少女、その隣に、パレオを纏った女が立っている。窓のないバラックで会った呪術師の女だ。
少女が肩で息してるところを見ると、この惨事に急いで呼んできたのだろう。呪い師には呪術師でという所だろうが、実力行使の暴力に女の手が通用するとは思えない。
「おおお、悪魔の目を持つ女がいるぞ!」
「碧に光る瞳こそ諸悪の原石。あの女どもを捕えよ! バロン・シミテール様もお喜びになる。果報は汝らのもとに!!」
青年とほぼ同時に二人を見つけた髑髏の男が命じた。その指示にわらわらと麻袋の者共が取り囲むようにゴミ山を登っていく。
少女は身を固くするが、パレオの女は不動のまま見下ろしている。身が竦んで動けないのか、いや、青年は女の口元が嗤っているように見えた。
からんと、乾いた音。女が片手を差し上げる。と、あのバラックで感じたのと同様に、女の身体の輪郭がぼやけた。そしてあたりが暗くなる。女の身体から滲み出た黒い霧が辺りを包み込んでいく。
暗闇の中で、声にならない悲鳴が上がる。
「なに!? これは・・・、ゲーデ(死神)か! だかそれはあのお方ただお一人の筈! 女である筈が――」
鳴き声のような髑髏男の言葉が響く。
尋常でないことが黒い霧の中で起きている気配。だが何が起きているか判らない。辺りは噴煙の中にあるように真っ黒。その中で緑色の瞳だけが光を放ち浮かんでいる。
やがて悲鳴も消え、カランカランと腕輪の乾いた音と共に、ふたたび唐突に霧が晴れた。
壊れたバラック。動きを止めた重機。倒れていた子供たちが意識を取り戻してのろのろと立ち上がっている。しかし、そこに襲ってきた男たちの姿が無い。いや、ただ一人、髑髏の男を除いて。
「マクートの男たちを、どうした・・」
がくがくと膝を震わせながら、立っているのがやっとといういで立ちで、声を絞り出すように尋ねる。
「お前もボゴの端くれなら、判るだろう?」
事も無げな様子で女が言う。
「魂と一緒に、喰らったよ。死体を子供たちに見せたくないんでな」
―――!!!
「魂を亡くし、骸も失った者はゾンビにすらなれない。救済も無く、永遠を彷徨うだけの虚ろになるのサ。――お前もそうなりたいか? 帰って親玉に伝えろ、ゾンビごっこも大概にしろってな」
う、うあ、あああああああ―――。
転がるように髑髏男は逃げ出していった。
「実際のところ、何をやった。あの男たちは何処に行った。あんたは何者なんだ」
青年は問いかける。喰らった云々は冗談にしても、実際に人が消えている。そしてあの霧、尋常でなかった雰囲気、マジックや何かにしては違いすぎる。ただ常人でないことは確かだ。
「ゾンビさ。正確には生きながらゾンビとなった者、ゾンビでありボゴでありンザンビでもある既死者。」
「エテルヌス!」
淡々と語る彼女に少女がしがみつく。
「もう心配ないよ。お前は私が救ってあげる」
そっと女は少女の頭に手を添え、幾分寂しげに言った。
「あと少しなんだ。」
虚空に、ぱーんと乾いた音がした。
どこかで爆竹でも弾いたような、間延びした音。
きょとんとした少女の胸に、小さく赤い染みが出来、みるみる滲んで大きくなる。
「え、え・・」
何が起きたのかわからないまま、少女はその染みを見詰めていたが、やがて全身の力が抜け、女の腕を擦り抜ける。
「くそう! 外した」
先程の髑髏男が、広場を挟んだ反対側のゴミ山で叫んでいる。手には硝煙が出ている銃。そして稜線から消える。
青年は急いで駆け登った。
地面に崩れ落ちた少女。その間にも赤い染みは拡がり、地面にも血だまりを作っていく。
青年は自分のシャツを引き千切り、傷口を押さえるが、血の流れは止まらない。当てたシャツも朱に染まっていく。エテルヌスと呼ばれた女は、ただ茫然と佇んだままだ。
「おい! お前呪術師なんだろ! 魔術でも超能力でも何でもいい、血を止める秘術は無いか!」
女は無言だった。
「さっき魂を喰らったとか言ってたな。なら命を、魂を繋ぎとめることぐらい出来ないのか!」
急激な失血と痛みで、少女の顔は白から青くなっていき体に痙攣が走っている。このままでは、確実に死ぬ。
あ・・あ・・と声にならない息と共に少女は女を見詰めていた。
エテルヌスは、沈痛な表情で、静かに手をかざした。
ぽうとかざした手の周りが光っているように見える。
すると、少女の息が楽になり、出血も収まっていくように見えた。青年の顔が明るくなる。「よし、時間が稼げる。救急車を呼んで病院に運べば助かるかも!」
「いや、彼女は助からないよ・・」
手をかざしながらエテルヌスはぽつりと言った。
「助からない? だって実際出血は止められている――どういう理屈かは判らんが。それにショック症状も収まった。いま手当できれば――」
「いま私がやっているのは、彼女のエーテル流をゾンビに変換してるんだよ。肉体が破壊され、消えようとしている命を繋ぎ止めるには肉体を変化させるしか無いんだ。」
「なん・・何だって・・・」
何を言っているのか解らない。ゾンビだって? 生きた死体って只の迷信――。
「私は既死者。生きたままゾンビとなった者さ。ゾンビは実在するんだよ。信じられないと言った顔だね。なら、この破片で私を突き刺してみな」
そう言って、足元に転がっている尖った鉄片をおもむろに手渡す。でも握らされて、はいそうですかと刺せる訳がない。
エテルヌスは左手で鉄片を持った青年の手首を握ると、無造作に自分の胸に突き立てた。
「う、うあ!?!」
そのまま、深く刺していく。引き抜こうとするがエテルヌスがそれを許さない。鉄片がエテルヌスの背を突き抜けていくまで青年の手を放さない。
「ああああああ」
殺人! いや自殺の手伝い? やっと手を自由にされて、青年は地べたにへたり込んだ。手の震えがおさまらない。
エテルヌスは平然としている。ふんと腰を抜かしている青年を放って、少女の手当てを続けている。鉄片が身体を串刺しにしているというのに! しかし、彼女の胸からは一滴の血も流れていない。
「もう死んでいる肉体は殺せないのさ」
「ゾンビに変換って・・彼女はどうなる・・」
「文字通り、ゾンビになるってことさ。但し命があるうちにゾンビになる。――そして、ゾンビはゾンビでなければ救えない」
最後の言葉を言いながら、エテルヌスの顔が苦し気に歪んだ。
「――彼女は、私と同じように、生きながらゾンビにされた少女なんだよ」
貧しさから呪術師に売られ、呪術の道具にされ、生きながらゾンビの術を掛けられ、まだ彼女は知らないが、その先にあるものは生と死の狭間に置かれた永遠の時間。
エテルヌスはそんな自分と似た境遇の彼女と出会った。
長い時間の中で、エテルヌスはゾンビの呪いを払う様々なツールを学んだ。魂を抜かれたゾンビを救うにはゾンビに仕立てたボゴ(術師)から魂を取り返せばいい。魂が朽ちた肉体に戻り死ぬことが出来る。あるいは生気を保ったままゾンビとなった者、既死者の生気を貰い、既死者の肉体を取り込むことで死のコミュニオン(聖体拝領)を得る。キリストがパンと葡萄酒を与え自らの身体と血を与えたように。
エテルヌスはゾンビだ。だが魂は失っていない。彼女の永遠を解放してくれるのは同じ既死者のみ。この少女も既死者。だが彼女からコミュニオンを受ければ、自分は死を得るもの(人間)に戻れるかもしれないが、彼女は残される。それに彼女はまだ既死者としての日も浅く、コミュニオンの儀式は知らない。日が浅いから彼女に待ち受けている永遠の意味も未だ知らない。そんなものは自分だけで十分だ。知ってしまう前に、自分が見知った人々に取り残されて日々をお送ることを味わう前に、
救おうとした。
それが、エテルヌスがここに棲み、彼女のエーテルがゾンビと化してしまう前に、彼女に術を施し人間に戻る治療を施していた理由だった。
既死者と言っても小さな体はまだ若々しいエーテルに満ちている。ゾンビはまだ枠にしか過ぎない。その彼女のエーテルが、人間に戻れたはずの生気が尽きようとしている。生気を失えば、残された属性はゾンビ。だが幼いながらも既に彼女は既死者なのだ。
「――もう少しだったんだ。あと一歩でゾンビの枷から自由になる事が出来たんだ。人に戻るその手前で生命を破壊された。この子は殆ど人間になっている。だがゾンビの属性は少しだが残っている。このまま死ねば、彼女は死ぬこともゾンビになることも出来ない!」
それは既死者より過酷な運命。既に死んでいるのだから死ぬことも出来ず、生気が尽きたからと言って既にゾンビである彼女はゾンビにもなれず、あやふやのまま魂だけが彷徨い続ける・・・。
「だから、魂を繋ぎ止めたまま、彼女を殺す!」
エテルヌスの言っていることが矛盾だらけで、青年にはさっぱり理解不能だった。だが、彼女を殺すという言葉で、エテルヌスが彼女の命を救うつもりが無い事だけは解った。
「駄目だ! 彼女はまだ生きてるんだろ。意識を持っているんだろ。ゾンビだか何か知らないが、そんなものは糞喰らえだ!」
「お前に何が解る! 有限の生を持つ者が、知った風を言うな!」
青年の言葉を一刀の基に切り棄てるエテルヌス。経て来た長い時間が彼女にそう言わせた。
それは、青年の口を閉ざすのに十分だった。彼女の言葉が本当なのかは判らない。胸に鉄片を突き刺して平然としていられる事から、ゾンビというのもあながち出鱈目とも思えない。しかしそれよりも、次に続く言を奪ってしまう迫力が、その言葉にはあった。
少女の身体に変化が現れた。
淡いピンクの肌色が、エテルヌスと同じ土色に変わり、朱の唇は青黒く変色し、碧の目ばかりが煌々と光る。
「エ・・テル・・・ヌス。」
息とも言葉ともつかぬ声で少女は言った。
「私を、食べて。・・・ゾンビに、なる前に・・・」
エテルヌスの頬に、熱い雫が流れた。
それは、ここ三百年来、感じたことが無かった感覚だった。
「――お前――!」
エテルヌスは少女を抱き締める。
エテルヌスの腕の中で、少女はゾンビとなった。瞳の碧光は鈍く失せ、生気を喰らいたいというゾンビの性と僅かに残る人性とで、少女だったものは葛藤し、苦しんでいた。
そんな彼女を、エテルヌスは、自分の胸に彼女の口を押し当てる。まるで幼子に乳を与える母親のように。
ゾンビはエテルヌスの乳房に喰らい付く。そして、安らいだ表情で胸元に顔を埋める。
そして、少女はエテルヌスの胸の中で、土となり、砂と崩れて、姿を失って消えた。残るのは土塊に落ちるエテルヌスの、涙。
その土塊も、ゴミ山に吹く風に飛ばされ、やがて失せる。
残されたエテルヌスの中で、何かが外れた。
もし自分に魔力があって、少女のゾンビ化をとどめることが出来たなら。例えば、無数のヴォドゥン(精霊)を召喚し、ゾンビの呪いを浄化しえていたら・・・。
もし自分の永遠を分割し、例えば、彼女のエーテルに与えることが出来ていたら・・・。
もし自分に理を替える力があり、人の運命を変えることが出来たなら・・・。
『もし自分に悲劇を変える能力があったら!』
『もし自分に悲劇を生まない世界を創る術があったら!』
『もっと自分に『力』があったら!』
「タビカケ、子供たちを頼む。彼女が必死になって護ろうとした証だからな。――私は自分が何をすればいいか、解った気がする」
エテルヌスが、ゆらりと立ち上がるなり言った。
「何をするつもりだ」
「そうだな、とりあえずゾンビを騙った奴らに、この落とし前を着けてもらう。三百年振りに涙を教えてくれたお礼も兼ねてな。その後の事は、この国の人間に任せるさ」
「・・・・・・」
「――ここに足りないものは何だとか言いながら、色々やってくれたようだが――、
タビカケ。この世に足りないもの、それは『神』だよ。」
そう言い残し、廃棄物処理場からエテルヌスは姿を消した。