とある無能力者の絶対能力   作:ノナノナ

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荒地

 

 大ブリテン島を、帽子を被った魔法使いの顔に例えるなら、その下顎に当たる半島の付け根に花崗岩で出来た高地が広がる。

 「ダートムーア(荒れた湿地)」と呼ばれる丘陵地帯。湿地と言ってもズブズブした湖沼ではなく、厚い泥炭層に降った雨は吸収されて地表は乾いており、森林は少なく、なだらかなヒース(荒れた草地)の丘のうえに花崗岩の奇岩奇石が点在する。

 

 人を寄せ付けぬ痩せた土地。

 しかし居住の痕跡は古く、人気のない草原のそこかしこに列石や立石の古代遺跡が転がっている。

 それはケルトに先立つダーナ神族の時代。有名なストーンヘンジやアイルランドの古墳ニューグレンジなどは新石器時代のもので鉄器の民であるケルト人によるものではない。彼らが移住してきた時にはすでに在り、それら巨石の担い手を魔術と詩に優れた神々として「トゥアハ・デ・ダナーン(ダーナ神族)」と呼んだ。

 魔術はケルトに受け継がれ、十字教によって弾圧と吸収を繰り返し、やがて近代に黄金の夜明け団を生む。

 

 8月の終わり。

 丘はすでに秋の装いで、背の低い野草が黄や赤紫の花をつけている。吹き渡る風も冷たい。

 晴れていれば、ゆるやかな起伏に一面の花畑と青空に屹立する奇岩が展開して、荒れ地の一年のうちもっとも美しい風景が広がっているのだろうが、雲は低く垂れこめ、岩も草原も霧にかすんでいる。エリカの花は暗く沈み灰色の中に岩山が黒く浮かんでいた。

 修道士が羽織る黒いローブを纏った一人の男が、丈の低い草花の間をかき分けながら丘を登っている。男の傍らには、ローブと同じ色をした一匹の犬。

 男の口からは、喘ぎ声が漏れる。付き従う犬も苦しい息。

 男が纏うローブの所々に黒い染みがあった。犬の身体にも同様の染み。男と犬の後ろには、点々と血の跡が続く。

 丘の頂上には、巨大なブロックを積み重ねたような花崗岩の岩山。

息が続かず、その麓に転がっている子供の背丈ほどの石に、男はもたれ掛かった。黒犬が足元に伏せって小さな鼻息をもらす。

 「最後まで私に付いて来てくれたのは、お前だけだったようだね。エセルドレーダ」

 と、男とも女ともつかない声で犬の名を呼ぶ。

 「いくら必要だったとはいえ、些か傷を負いすぎたか・・・」

 人払いの術式を掛けてはいるが、相手も自分が育てた手練れたち。それに太古の魔術の痕跡が残る地勢に加え血の臭いだ。ここに辿り着くのにさほど造作は無いだろう。男は自嘲気味に呟く。

 

 男の顔は白く蒼ざめている。失血によるものだった。そして吹き渡る風が、男の残り少ない体温を容赦なく奪っていく。しかし男にはまだ、これからすることがあった。そのために身を隠すには不適なこの地に逃げて来たのだ。

 男を取り囲むように、石の柱が円形に並んでいる。

 男がもたれている石もストーンサークルの一部だ。ストーンサークルと言っても、ストーンヘンジに見られるようなどっしりとした巨石で出来たものではない。差し渡し10メートル範囲に15個の男の腰の高さほどの自然石が円形に配された、小さなもの。男がもたれているのはそんな列石の中で一番大きなものだったが、それでも2メートルほどしかない。

 

 名もない太古の遺跡。

 風に紅紫色の花が揺れている。

 ヒースに咲くエリカの花言葉は「孤独」「休息」「幸運」そして「裏切り」。

 霧の中で、柱の群れは追っ手の影の様にも見える。実際、事が終わった後には男の骸の周りを処刑人たちが囲んでいるだろう。

 

 暗い大地。たっぷり湿気を含んだ風。遠くで雷鳴も聞こえる。雨が近い。

――頃はよし。

 

 男はよろよろと、サークルの中に入ると、

懐から一冊の書を取り出してサークルの真ん中に置く。

 書も男の血で濡れている。この書を取り戻すために男は傷を負い、追われる身となったのだ。かつて自ら記し魔道図書館の奥深くに秘匿された原書。

 

 男は地面の上に書を置くと、その上に一本のタクトを添えた。齢を経たトネリコの樹から削り出した魔法杖だ。これを手放すことは魔法使いを棄てることを意味する。

置いた書に視線を落としつつ、呪文を唱え始める。

「血は命の流れ、刻印は我が体なり。地を払う風は我が息吹・・・」

 

 息を整え長く吐きながら、男は脇腹に手をねじ込んだ。そして自分の肝臓を摑むと、血潮と共に肉片を引きずり出して書の上に振りかける。

激しい痛みに気が遠くなりそうだが、男の顔にそんな苦悶は浮かばない。薄く笑みさえ浮かべながら、二歩後ろに下がって石に命じる。

 

「風と岩の加護をもて 災いを弾く盾となす存れ」

 

 丘を吹き渡る風が、流れを変えた。

 ストーンサークルの周りを、円を描いて流れ始める。

 風はだんだんと強さを増し、立っているのもやっとなくらいになってくる。時ならぬ嵐。

 閃光が走り雷鳴が轟く。辺りは夕暮れのように暗い。

 暗がりの荒野を渺々と吹き荒ぶ風。しかしその中心は無風。足元の草も男のローブもそよともしない。

 その暗がりの中で、ストーンサークルが燐光を放ち始める。

 燐光は石の柱を起点として、円の中にすじを伸ばし、図形を描いていく。

円、五芒星、六芒星が複雑に絡み合った十五角形の魔方陣。十五角形は定規とコンパスで描くことの出来る、太古から知られる図。

 

 円周には線で刻んだ見慣れぬ文字が浮かぶ。似ているがルーンともオガム(古ケルト文字)とも違う字体。

 

 その意味する言葉は、それぞれ

 『Khoad』(木立)―ときの全ての智恵のある所―を起点として、

 始まりの月(11月)『Beith』(樺)―浄化―

 二番目の月(12月)『Luis』(ナナカマド)―五感の支配―

 三番目の月(1月)『Fearn』(榛の木)―神託―

 四番目の月(2月)『Saille』(柳)―女性性―

 五番目の月(3月)『Nuin』(トネリコ)―内と外を繋ぐコスモス―

 六番目の月(4月)『Huathe』(山査子)―守護―

 七番目の月(5月)『Duir』(樫)――謎への入り口

 八番目の月(6月)『Tinne』(柊)―戦い―

 九番目の月(7月)『Coll』(ハシバミ)―直観―

 十番目の月(8月)『Muin』(葡萄)―予言―

 十一番目の月(9月)『Gort』(蔦)―自分自身の探求―

 十二番目の月(10月)『Ngetal』(葦)―行動―

 十三番目の月(10月の最後の3日)『Ruis』(ニワトコ)―始まりの終わり 終わりの始まり―。

 古ケルトの十一月から始まる十三の月の名と、対角線に『loho』(櫟)―再生と永劫―、が並ぶ。

 

 「我は乞う、弱き石の弱きがゆえに 森の吐息を示さんことを。

  我は乞う、弱き石の弱きがゆえに 

  森の吐息に敗北し 速やかにその流れを示さんことを。」

 燐光が魔方陣全体に満ち、中心に置かれた書も男の身体も包み込んでいく。

 「地の流れ、天の意志。

  ここに集い 収斂せん。

  『Vi Veri Vniversum Vivus Vici!』

  ―われ、真実の力によりて生きながらに万象に打ち克てり―!」

 男は両手を空に差し挙げ、叫んだ。

 

 魔方陣から光があふれて、十字方向に光の条が、どこまでも伸びていく。

 上空に厚く垂れ込んだ雲が形を変えて、サークルの真上を芯にして渦を巻き始める。

回転しながら帯になり二重螺旋を描いていく。その渦の中心は雲が払われ、青空がのぞいている。

 その青空に、地を薙ぐ風が立ち昇っていく。大地に十字に伸びた光を吸い上げながら。

 

 風は太い束となり、一点に集まる。

 凄まじい密度の大気の集まり。

 大気が収斂され、圧縮され、青空の下で発光を始める。

 科学者が見たらプラズマと言うだろう。大気分子が高密高圧の中で電離された姿。しかし物理的にはそうでも、その正体は、地の鼓動と天の息吹が収斂されたもの。地脈とエーテルが融け合ったテレズマ。

 白く輝く光の球は、あたりの雲を吹き払い、青空の中に浮かんでいる。皆既日食と真逆のように、暗闇の大地でストーンサークルのある丘の周辺だけが日差しに照らされている。

 

 満足げにそのテレズマを愛でつつ、男は差し上げた両腕を、ゆっくり横に広げていく。――テレズマも男の動きに連動して降下していく。

 地上近くまで下りたテレズマは、ストーンサークルよりも大きく、背後に聳える岩山ごと丘陵を包み込む大きさだった。

 光に向かって、男は命じる!

 

 「汝の意志することを行え‼‼」

 

 太陽が地に降りて来たような眩い光が満ち、ストーンサークルも、丘も、男も、白い中に溶け込んでいった――。

 

 

 人気のない荒れ野。どんより曇った空。

さあと吹き渡る風のあとに雨が降り出した。この地方では、この時期によくある驟雨。灰色の中で、草原も、岩山も、黒く濡れそぼっていく。

 

 遠くで犬の吠える声がする。

 途切れ途切れながらも、相手を威嚇する吠声。

 意識の底から、徐々に、犬の声が近付いて来る。

  ――犬? ああエセルドレーダ…――

 

 生きていたか。という想いと共に、瞼を開ける。

 が、目の前にいたのは、犬ではなく黒い人の影。

 

 四〇歳くらいの中肉中背の東洋人の男がしゃがみ込んでいた。

 「ああちょっと、よさないか――」

 吠え付く犬を払いつつ、影は、男が意識を取り戻したことに気付いた。

 「気付いたかね、君の傷を診たいんだが、ご主人様に近付かせてくれなくてねえ。――敵ではないと言ってくれないか」

 威嚇してくる犬に閉口している様子。

 どうやら、自分を追ってきたガルム(番犬)ではなさそうだ。男がすっと片手を振ると、犬は大人しくなり男の傍らに蹲って動かなくなる。

 相手のするがまま、自分の身体を任せる。

 「ふーん…大分ひどい傷だね。特に右腹部が酷い。どうやったらこんな傷口になるんだい。自分で指でも突っ込んだか? 兎に角、止血だね」

 医術の心得でもあるのか手際がいい。

 いや、満足な器具もないなかで正確な縫合をし、疼痛を和らげていく手腕は並な医者を超えている。見たところパックパッカーのようだが――。

 「痛みが相当な筈なんだが、静観を保っていられる君はバケモノかい。過ぎたPerdurabo(我慢)も命に係わるから、君の意識をしばらく預かることにするけど、いいかい?」

 東洋医術に使う針を手に、影が言う。

影の言葉に、男はストーンサークルの中心を指し示した。懐から書と杖を取り出し置いた場所だ。しかし書も杖もない。一枚の小さな護符が落ちているだけ。

 男が指す紙片に気付き、それを取ると手に握らせる。男は、安心したように目を閉じた。

 自分に身をゆだねたことを確認すると、影は針を男の頸椎の秘孔に刺した。

 春の日差しに結氷が緩んでいくような心地よさの中で、男は再び意識を失った。

  ・・・・・・・・・・・・

 

 目が覚めると、男はベッドの上に居た。

 屋根裏のような低い天井。硬い木の寝台。

 古い馬車宿の一室のようだった。

 ドアが開いて、中肉中背の東洋人が入って来る。彼は男が目を覚ましたのに気付いて声を掛けた。

 「やあ、気付いたかい。――まだ動かない方がいいよ。簡単な応急処置をしただけだからね。君はまだ重篤な状態なんだ。何より血が足りない」

 窓から朝の日差しが差し込んでいる。どんよりした雲もない。一体どれくらいの時間が経過したのだろう。

 「君は三日間眠ったままだったんだ。」

 中年の男は疑問を察したか言った。

 「彼の方が早く目覚めたがね。君が指図してくれたお陰で、こうして手当が出来る。しかし何も食べようとしない。眠ったままの君の傍でずっと寝そべっている。――傷を見せてもらうよ」

 床に目を落とすと、包帯姿の黒犬が蹲っていた。その前には口が付けられていない冷えたスープ。

 中年男の手当てを受けながら時間の経過を思っていた。三日も過ぎているのなら異端審問官の前に引き据えられている筈だ。でも自分はこうして安宿の一室にいる。私の足跡を見失ったか、あえて見逃したか・・・。ローラ。自分を憎んでいる女の顔が浮かぶ。

 「経過はいいようだが、ちゃんとした治療を受けないといけないねえ。どこかいい病院は知っているかい。」

 自分でも自分がどんな状態だったかは判る。それを碌な機材もなしで命をつなぎとめる技は相当なものだ。神業と言っていい。それだけの腕を持った医者だ。たしかに外国人のようだが、この国に知り合いの研究機関はいるだろう。必要とする治療ができる医療施設を知らないはずはない。なのに病院はどこがいいかと尋ねて来た。自分の素性も傷の原因も訊いてこない。追っ手から身を隠せる場所はどこかと聞いている。何に追われているかも知らず、手助けすればどんな危険が身に降りかかって来るかも知れないのにだ。実際、相手はそう言った手合いだ。

 この国に身を置ける場所は無い。そう意味を込めて、男は顔を横に振った。

 「そうかい・・・。なら、僕の国に来るといい。ジャパンという極東の端にある国さ。知り合いの所で君を治療できる。――なに、僕の郷里なんだがね。トーキョーのような都会じゃないが君が必要としているものは用意できると思うよ。カントー地方にあるカレノという山間の田舎だ」

 「カレノ・・・」

 「枯れた野という意味だが、君がいたのがダートムーア(荒れた湿地)というのも何かの縁かねえ。」

 手当てを終え、中年男は何か口にできる者を持ってくると言って立ち上がった。そして部屋を出て行きがしに付け加えた。

 「君を移送する方法は何とかする。君は僕の患者だ。患者が必要とするものを用意するのが、医師である私の主義なんでね。」

 

 

 

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