ショートボブの茶髪の少女が、公衆電話ボックスで手にした携帯を弄んでいる。
日はとっくに暮れ完全下校時刻も過ぎている。
しかし街路はいよいよ賑わしい。明日から始まる年末シーズンを控え、クリスマスソングと色とりどりのイルミネーションが煌めく。
そこかしこにアベックの姿。学園都市は若者の街なのだ。
少女は電話に片手を置き、ただ端末のディスプレイを眺めている。夜も更けて、これから友達と街へ遊びに行こうと連絡を取ろうとしているといった風。
ただ身に着けている服が似つかわしくなかった。名門常盤台中学の制服。お嬢様学校で知られる常盤台は学生寮も規則がすこぶる厳しい。外出に制服着用は勿論のこと時間破りなど以ての外。一分一秒でも理由なく完全下校時刻を過ぎたら、問答無用で首を狩られる。
そんなことを気にも止めず、御坂美琴は携帯端末を操っている。目立つ顔立ちの彼女に声を掛けてくる男性も何人かいたが、そんな声を無視して視線はひたすら携帯の画面を見続けている。
寮側破りも三日連続。今日もルームメイトが上手く誤魔化してくれる筈だ。昨夜は第二三学区。今日は寮と同じ第七学区。移動に手間取ることもない。
昨日一昨日と、打ち上げられる衛星を破壊しようと発射場に忍び込んだが、何故か知り合いがそこに居て果たせなかった。しかし何でジャッジメントに過ぎない初春飾利が居たのだろう。警備に召集された訳でも無いだろうに。(そういった戦力には一番不向きな彼女だ。むしろ同僚の黒子の方が向いている)
右手の携帯端末を操作するわけでも無く、ただ持っているだけ。公衆電話の筐体に添えた左手から時折微弱な電気がスパークしている。しかし彼女の端末は凄まじいスピードで情報が画面を流れていた。次々に展開されるウィンドウが目で追えないくらいに。
これからハッキングしようというのだ。
公衆電話からのハッキングは、あの実験の際にもやったことがある。研究内容を調べるために、学園都市最強のセキュリティを持つバンクへの侵入だ。――その時はトンデモナイ防壁に阻まれて撤退を余儀なくされたが。
今回の対象は、「ユグドラシル」。
昨日打ち上げられた、ツリーダイアグラムの後継機。
以前ツリーダイアグラムを破壊しようとした際、ツリーダイアグラムとの送受信を一括していた樹形樹の設計者情報受信センターを襲ったように(あの時はツリーダイアグラムが既に破壊されていたことを知り、ヤツの血流操作での妹の無残な死をリアルタイムで見せられてしまった)、ユグドラシルの窓口を狙えれば簡単なのだが、どうもそう言ったセンターが見当たらない。
あの狂った実験を、いや他にも人が不幸になる実験をさせないためにも、ユグドラシルは破壊しなければならない。しかし相手は宇宙空間にある。シャトルをチャーターして、直接レールガンでも打ち込めればいいが、恐らく防衛ラインに近付くことも出来ないだろう。だいいち『ユグドラシルに用事あるんで、シャトルを貸してください』では打ち上げてくれない。婚后さんなら実家(婚后航空)のシャトルを用意できるかもしれないが、自分がすることを考えると迷惑を掛けることになる。
で、ネットワークを介した内部からの破壊。ユグドラシルに強制接続しての電撃破壊だ。
直接ユグドラシルと繋がっている何処かの研究所のスーパーコンピューターを使えばもっと楽なのだが、恐らくそこのデータは使い物にならなくなる。中央情報処理システムはお釈迦だろう。碌でもない研究をやっているにしても確証が無い以上気が引ける。それに最端末の電話回線からでもネットで繋がっている以上、迂遠な方法だが出来ない事じゃない。まあ電話会社のサーバーは、ユグドラシルにビリビリしたとき確実に焼き切れるだろうが。
――まっ、その位は必要経費ってコトで。公共物なんだし復旧も早いでしょ。――
展開されるウィンドウを目で追う必要はない。事実その流れは人間の視覚では不可能だ。コンマ9桁のナノ秒で展開を繰り返している。展開される情報は彼女の頭の中で処理されコマンドを電気的に返している。学園都市第三位の電撃使いだからこそ出来る荒業だ。
「よし、繋がった」
いくつものサーバーを経由し、研究所のドメインを乗っ取って、ユグドラシルと繋がっている窓口を見つけた。
――楯のマーク…ジャッジメント?――
何でそんな末端が学園都市のホストコンピュータと接続しているのか不審だったが、入口に辿り着いたのなら何だっていい。あとは突入するのみだ。
パスワードを無視して力技で侵入する。
PPPPP・・・・
デスクのノートパソコンが警告音を出している。
「ん、侵入者があったようですよ。・・・どれどれ」
ホカホカのたい焼きを口に咥えてノートパソコンを引き寄せる。
「パスワードを介さず力押しの侵入ですか――。スマートじゃあ有りませんね――。まあ好きなようにやってもらいましょう」
ここまでは、これまでも何件かあった。大抵は実力試しのハッカーか産業スパイのクラッカーの仕業。でもそのどれもがこの段階でログを押さえられアンチスキルに捕まっている。
パチパチと幾つかコマンドを打ち込んで、またデスクトップに向かい日誌の記入に取り掛かる。
侵入すると、いきなり情報の奔流が御坂美琴に襲い掛かった。
垓を超える情報。そのどれもが意味を成さない文字の羅列。意味ありげな文字列もあるがダミー。正規の手順を踏まなければ展開されるトラップなのだ。膨大な情報量の中で迷わせ、帰り道を閉ざしてクラッカーを溺れさせる。
幾つかのダミーは攻性防壁のようだ。触れれば高圧電流が逆流してこちらのデータもろとも端末が焼き切られる代物。が
「さすがユグドラシルのファイアウォールね。でも電撃使いの美琴センセーを舐めるんじゃないわよ」
身体から電撃を飛ばすわけではない。身は地上の電話ボックスの中、しかし意識は衛星軌道上のユグドラシルに居る。仮想空間であっても能力が揮える。だから力技でのハッキングも可能な訳だが、意識へのダメージは直接生身に降りかかって来る。しかし彼女は攻性防壁の電流以上の出力を持っている。そして超能力を支える演算能力も。
広範囲にわたって電撃を飛ばし、周りに渦巻く情報の奔流を捕え、操る。
無秩序だった情報を時系列で纏め、正規の手続きを踏んだ足跡を辿る。
意味のなかった文字列がそれぞれ意味を持ったものに変換されて展開していく。
PPPPP・・・・
ノートパソコンから再び警告音。
「おやおや、最初の関門突破ですか」
ログを拾うと攻性防壁もねじ伏せた痕跡がある。
「これはなかなかの猛者ですね。高位の発電系能力者の仕業でしょうか。――八月の時と同じ相手かもしれません。でも、前回のようには逃げられませんよ。ここからが本番です」
逃げときゃ良かったのにね――と呟いて、中断された日誌に向かう。
楯のエンブレムが変わってYGGDRASILの文字。
手に持つ携帯のディスプレイにはCORONALとあったが、文字はすっと消えて、黒い画面を無数の輝線が流星のように飛んでいた。
「よし、入った」
御坂美琴の意識に海が広がる。緑色の輝点が無数に広がり、お互いが結びつき絡み合っているネットの海。瞬きより速い速度でやり取りされる情報の流れは、海面のように波打っている。
海の上に沢山のウィンドウが浮かんでいる。その中心に柱が立っている。
柱に円を描くように展開しているウィンドウの一つ一つがユグドラシルとアクセスしている機構の窓口。ウィンドウから光が海面に伸びて繋がり、中心に立つ柱に光が集まる。その柱がユグドラシルの本体。膨大な量の情報を高速演算し各ウィンドウに処理を送っている。
ここからが本番。人命、生命維持やインフラ制御などに使われている領域を除いて、研究演算に使われる部分をぶっ壊そうというのだ。まあ、それらは地上にバックアップがありユグドラシルに繋がっていなくても機能するだろう。しかし精度は格段に落ちる。ツリーダイアグラムを失った天気予報が大雑把なものになったように。それらはお互いに関連しあっており、連携する領域を安易に断ち切らないようにしつつ高度な多層演算処理のみをダウンさせる。そうすればユグドラシルは単に膨大なデータ領域を持つだけのハードディスク。性能は並のスパコンと変わらなくなり、ため込んだ記録を処理できなくなる。それにこの街の闇が次に何を画策しているのかを知るためにも、ファイルの内容を覗いておく必要があった。
細い指を水面に付ける。途端に情報の奔流が御坂美琴の(意識上の)体の中を駆け巡る。
やり取りされる電気信号の波とリンクしたのだ。意識を海の広がり全体に伸ばし、ユグドラシルにアクセスしているウィンドウに逆探査を掛ける。
「気象工学機関…流体解析研究所……婚后航空…、遺伝子操作研究……第7学区中央病院…生体領域拡張ラボ……。ああん面倒だわね、それぞれが複雑にリンクしあってる」
学術研究がその領域だけで完結しているケースなどむしろ稀だ。高度な研究になるほどお互いに影響し合う部分が多くなる。それだけでなく自分に身近なところまでもユグドラシルと繋がっている。婚后光子の実家である婚后航空もだしカエル医者の病院もだ。生体領域拡張ラボ関連で常盤台中学の名もあった。
「電磁気使いの私と精神操作の飾蜂がいるんだから当たり前か…」
PinPon、PinPon、PinPon・・・・
ノートパソコンのブザーが変わる。
「ピーピングです! 外から眺めているだけにしときなさいよー。実害が無い今なら間に合います。中を覗こうなんてしたら、どうなるか判りませんよー」
仕上げなければならない日誌をうっちゃって、自分のノートパソコンの方に注目している。ネットワーク全体に電流が走ったのを見て驚いた。あの膨大な情報網に一気にアクセスを掛けて来るなんて。それだけの処理能力(キャパシティ)を持った相手という事だ。
「侵入経路は学園都市内から。個人でそれだけのマシンを用意するのは無理があります。ファイアウォール破りの手口から見てレベル5級の能力者でしょう。でも電気系でレベル5といったら第三位しかいません・・・」
ちょっと考えてから、ポンとキーボードにコマンドを入れた。
あまり馴染みたくもないワードも幾つか見つけた。素養格付。FIVE-Over。暗闇の五月。などなど。しかし絶対能力進化計画の名前は無い。名称を変えて続けているのだろうか。
「まあ怪しげな中身を見せてもらいましょ!」
御坂美琴はその怪しげなウィンドウに狙いを定めて電撃を飛ばした。ウィンドウを破壊してフォルダを開示させる。
と、そのフォルダの群れが、うぞうぞと蠢き出し膨れ上がっていく。
それはフォルダの中にあったファイル。それが無秩序に広がり拡散されていく。それだけではなかった。ファイルが散らばると同時に、連動したように御坂がかまっていなかったウィンドウまで弾けて、同様に無数のファイルが散らばっていく。
「え、え、え・・・」
御坂美琴は戸惑う。これでは図書館の本が崩れてページがごちゃ混ぜになりながら散らばるようなものだ。もうどれがどのファイルか判らない。
試しに弾けた場所から拡散したそれらしいファイルの一つを開けてみる。しかしそれは、意味不明な乱数の羅列になっている。
学園都市で、すなわち世界で最も解読不能な暗号。一つの解析に200年掛かり、すべてのファイルが等しく200年かかる乱数に変換されてしまうゲテモノ。
「これって、バンクの時と同じヤツ!」
絶対能力進化計画を追い掛けていたときに出会ったことがある。秘密を護るためなら記憶バンクの筐体を開けて水をぶちまけた方がましという代物。それが書庫とは比べ物にならない規模で広がっている。
それだけではなかった。乱数化されたファイルが光の粒となって雲散していく。ネット自体も纏まりを解き、混沌と融けていく。『情報』そのものが雲散霧消していく。と同時に、ネットにリンクしていた御坂美琴の意識の中に、意味を失った情報の津波が襲い掛かる。それは音の洪水が一気に押し寄せるのと同じ。意識がパンクしそうになり、 電磁の遮蔽幕を張りつつ慌ててリンクを切る。
意識を持っていかれそうになるところを寸でで踏ん張ったが、激しい頭痛がしている。一度に膨大な情報量に晒されたためだった。その電気量も自分の持つ最大出力に近い。
「悔しいけど、撤退するほかないわね」
コイツに白旗を上げるのは二回目だが、前回はファイルの解読を無効にするだけだった。今回は無意味化された暗号でもって攻撃してくる。自分のキャパシティを超えた電気を相手にするのは分が悪い。
来た道を戻ろうとするが、自分がくぐって来たウィンドウも消えている。
「退路が絶たれた!」
いま物理的に端末を落としても、意識がここにある以上肉体と切り離されてしまう。あらためて臍を噛むが閉じ込められたわけだ。自力でゲートを構築して、外部の回線と繋がるしかない。材料である電子はふんだんにあるが、それを使うには再リンクするほかは無く、あの攻撃に晒されるわけだ。つまりは堂々巡り。
なんとか飛び交っているノイズ(微弱な電気)をかき集めてゲートを作ろうとする御坂美琴。しかしそんな彼女の(意識上の)身体にも変化が起こっていた。
指先やつま先など体の末端がぼやけ、細かな粒子と化してきたのだ。
「やばっ、ハッキングされてる‼」
津波に襲われたとき、電子化された自分の意識の情報が解析されていたのだ。そして乗っ取りを駆けてきている。
「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ‼‼っ」
電磁膜で防ごうとするが、それも解析済みらしく、膜が溶かされていく。体の粒子化は徐々に全身に及び、身体の形を保てなくなってきている。
自分の意識が電子のスープの中にとろけていくのを感じる。
焦りだけが先行して、だんだんと薄れ行く意識。
「あ…ぁ…あ」
そんな中で、ぼんやりとドアが見えた。
いままで気付かなかったが、小さな扉が中空に浮かんでいる。ファイルの一つが消えずにいて扉の形をとっているのだ。
「バック・・ドア?・・・・」
僅かな意識の中で、その扉に触れる。
扉が開き、この空間とは違う穴に意識が吸い込まれていく。霧消しかけていた意識の欠片も尾を引きながら…………。
Poon・・・
ノートパソコンがミッション終了のチャイムを流す。
「またサイバー攻撃?」
眼鏡をかけた巨乳の上司が声を掛ける。
「貴方の学校の新聞部って、こんなにしょっちゅうハッキングを受けてるの?」
「いえ、これは新聞部のサーバーじゃないんですけど、アレと同じようにこれもバックアップを兼ねたダミーですから。…無事脱出できたようですね……。あとはログとアドレスを統括運営機構に連絡して・・・」
簡単なコマンドのあとにEnterを押す。
「あらアンチスキルじゃないの」
「ええ、運営機関そのものです。アンチスキルにも任せられないそうで。でも管理はジャッジメントの私に任されてるんですよね――」
小顎に人差し指を当てて、何ででしょうという表情を浮かべる少女。
「そりゃ貴方が最強だからでしょ」
気が付くと、意識はもと居た電話ボックスの中にいた。
街の喧騒も戻っている。
「見逃してくれた・・ってことか・・・・」
端末の電源を落とし、力なく電話ボックスを出る。
寮まで戻る道すがら、行き交う声も喧騒も耳に聞こえない。
「完敗・・・」
見逃してくれたんじゃなく、逃がしてくれたのだ。あのままだったら自分の意識は完全に取り込まれて、能力も記憶もパーソナルリアリティも失い、ただ空っぽの、御坂美琴の形をした肉体が電話ボックスに転がっていただろう。相手は自分が何者かを知った上で、出口を用意してくれていた。
「初春さんなら、やっぱもっと上手くできるのかなぁ」
超能力者である自分が、能力でレベル1に敗北したことを彼女は知らない。