カンムスレイヤー第1部「アウェイキン・ウルフ・ライゼス・ザ・オータム・ストーム・ヨコスカ」 作:屋敷犬都馬
ハッシュタグ #カンムスレイヤー でTwitterに公開した文書を下書きとして加筆、公開しました。段落頭一字下げなど、小説としての体裁が整っていないのはその名残りです。
投稿字数制限により、前後編分割でお届けします。
◆1◆~◆16◆:前編
◆17◆~◆27◆:後編
◆◆17◆◆
ここはチンジフの裏波止場。間もなく日付が変わる。黒く染まった風景に、群青色の人影が浮かんで見えた。背中にかかる長い髪。黒いタイトスカート。女は、海を見ながら紫煙を燻らせていた。休みなく雲を焦がす対シカイ・サーチライトに背を向けながら。「オッタンカ」カワチ・ダイアローグを聞いて、女は振り向いた。
女はアシガラ。ゴウコンに依らずカンムスソウルに目覚めし稀有な存在、リアルカンムスだ。「チョークを。止められたわ」アシガラは、吸いさしの煙草を指で弾いた。煙草はカタパルトめいた射出速度で海へ飛翔。圧縮されて極小の花火となり、銃声的破裂音を立てて闇夜に消える。ワザマエ!
「そら、ゴッツイナー」チンジフ唯一のカワチ・ダイアローグを使うのは、無論テイトクである。奇異なのは言葉だけではない。海軍帽に桜の徽章。目下を覆う鈍色「提」「督」メンポ。ボロ布めいた有り様の白詰襟だが、背中だけが真新しい。そこに黒く刺繍されしは無数のミンチョ文字。まさに異装である!
対シカイ・サーチライトの照り返しで、白詰襟の背の文字が読み取れる。「蒼龍」「名取」「千代田」これは、如何なる意味か?
──賢明な読者諸氏は、すでにお気づきであろう。 カンムスに宿るとされる108のイクサ船の魂、その真名が刺繍されているのだ。テイトクの……背中に!
背中の刺繍をさらに見れば、所々に白い虫食いがある。「加賀」の隣。「那智」「羽黒」の間。
──そう、このマッポーの世にカンムスソウルが召喚されしとき、白詰襟の背からその真名が消えるのだ。十数年前のある冬、「吹雪」の真名もその背から消えた。そして今、ヨコスカにいる。
「勿体ナイ吸い方しよって」テイトクは懐から煙草を差し出す。箱から一本突き出した煙草を、アシガラは唇で受け取る! 顔を突き出す一連の動きで、下から舐めるようにテイトクの顔を見上げた。「提」「督」メンポの奥に、隠しきれぬ古傷が見えた。「ドーモ」アシガラはぞんざいに礼を言い、背を向けた。
シボボッ。ヘドギアのアンテナからアーク放電が迸る。人外の手段で煙草に着火すると、アシガラは右足を係留ビットに乗せた。マドロスめいた大胆姿勢により、タイトスカートからタイツへと、黒くしなやかな脚線美が流れていく。「アシガラ=サン。サソートルの?」「膝が痛いのよ」夜風が古傷に響いた。
「アントキの。エラいスマンかった」「今更? お互い様よ」「サヨカ」会話は途絶え、紫煙だけが秋の夜空に吸われていく。
アシガラのチョークを止めたフブキは、現在ヨコスカ・チンジフ南南東38海里を粛々と航行中である。
(あのこも) アシガラは、咥え煙草で呟いた。
◆◆18◆◆
午前二時からは原速。遠征艦隊は作戦行動の遅れを取り戻していた。暁の水平線が白み始め、旗艦テンリュウが目を細める。
「ッシャオラー! 小休止だぜお嬢様共!」
「えっと。そろそろかな?」ムツキは膝に手をついて休む。「徹夜のお散歩は飽きるっぽーい!」対して、ユウダチは波を枕に仰向け姿勢。自室のフートン上めいた所作を海上でこなしている。 二人の姿勢の差は、すなわちカラテの差である!
「あら。結局お一人で牽引させてしまいましたね。お疲れかしら? フブキ=チャン」キサラギはちゃっかりと持ち込んでいた浮き輪を膨らませ、そこに座している。弱者の知恵であった。「いえ。何も持たないで走ると、軽すぎてバランスを崩しちゃうんです。ちょうど良かったです」
2トンを超えるイ級を徹夜で牽引しながらも、フブキに疲労の色は実際ない。「す、凄いわねえ……」キサラギは、手櫛のついでに冷や汗を拭った。
「でも、なんで動かないのかな? 主機」フブキは右足一本でフラミンゴめいた立ち姿となり、左の靴を外して逆さにする。
おお、新体操めいた海上バランスカラテ! もしフブキが空母であったならば、海上片足立ちにて弓を射ったという、古代海上空手の型「カガ・ゼロスタイル」すら実現可能ではあるまいか!
左右の靴、両手の砲と、フブキはギソウの各部を外しては振り、外しては振って水抜きのような動作をした。その後、いよいよ背中の主機全体を逆さに振ろうと逆立ちの構えをした──が、流石にスカートで逆立ちは如何なものか、思い返し断念した。ムネン!
「あ、ありえない格好っぽい……」ユウダチはフブキのカラテに圧倒され、無意識に正座していた。ドゲザしろと言われれば、しめやかに従ってしまいそうなほどに、恐怖に近い感情がニューロンを満たしていた。
「あの。フブキ=チャン……。ギソウは、水抜きとかそういうので直ったりしないよ?」ムツキは、リスめいた瞳を泳がせながらも、辛うじて笑顔を作って忠告した。
「ハラショー島なら、ドックもあるわ。なんとかなるでしょう」柔らかく声をかけながら近づいてきたのは、軽巡タツタ。くつろいでいた駆逐達は大慌てで横一列に並び、敬礼をする。「あら? 休止中はダラけてなさいな。それより、島へのおみやげを用意しないとね」
タツタはグレイヴを取り出すと、バトンめいて軽々と振り回す。湿った夜明けの風が、白刃に切られてウミネコめいた鳴き声をあげた。「おみやげ……って、何?」「ああ。ここで釣りをするんだよ。フブキ=チャン」ムツキに言われて、フブキは持参した装備一式を思い出す。
バイオシュロ荒縄。フラフープめいた巨大フック。半殺しのイ級一匹。そして任務説明にあった「漁労」の言葉──まさか!
ユウダチが碧眼を見開いて言う。「イ級の友釣り! 雑用艦のムツキ・タイプが、いつもやらされてる退屈任務っぽい!」
「そう。だからみんな、仲良くね?」タツタの持つ白刃が、朝日を反射してユウダチの目を射る! 「アエエ……。楽しいパーティにしましょう。みなさん」直立不動となるユウダチ。ニューロンには昨晩の気道圧迫ケジメの悪夢がよぎっていた。
「ッッシャオラー! 狩りの時間だぜヒャッハー!」テンリュウが叫ぶ。夜明けの海に血の香り!
ゼンネンレイの読者諸氏に御覧いただくため、一部の描写を抽象的にすることを御容赦いただきたい。イ級の友釣り。これはシカイ・セイカン・イ級の持つ、強い仲間意識を逆用した漁である。まず、イ級の断末魔を四海に轟かせ、仲間を救出せんと馳せ参じるイ級を次々と半殺しにして荒縄に繋ぐ。
そして、イ級をヌタウナギ養殖場まで曳航の後、海中に沈めてヌタウナギの餌とする。一月後に荒縄を引き上げる。すると、喰い残されたイ級の皮を網代わりとして、肉を食い尽くして繁殖しきったヌタウナギが、やすやすと穫れる。甚だ簡略的な説明で恐縮だが、これが、ヨコスカ・チンジフの主たる収入源、イ級の友釣りである!
◆◆19◆◆
「こんな……こんなのってないよ!」フブキは青ざめて立ち尽くす。その周囲を駆けずり回る駆逐達から声が飛ぶ! ユウダチ!「いいから、とっととフック刺すっぽい!」キサラギ!「あら。ロープが足りなくなるのではないかしら?」ムツキ!「フブキ=チャン、動いて!」
輪形陣の中央には生贄のイ級。イ級はアンカーを打たれ動けないまま、体中をナマスに切られて悲鳴と紫血を垂れ流している。「イグワーッ!」痛みにのたうち傷口が開く! さらに出血!「イグワーッ!」痛みにのたうち傷口が開く! さらに出血! サツバツ!
輪形陣の外周を軽巡が回る。テンリュウとタツタは、それぞれのエモノであるカタナ・ソードとグレイヴを操り、イ級の脊髄を無慈悲に刺し壊す。哀れなイ級は波間に漂うツキジ・マグロとなり、勤勉な駆逐達に荒縄フック連結されるのを待つばかりである。
「ッシャオラー!」「今日は大漁ねー」テンリュウ・タイプは快調にイ級の脊髄をケジメしていく。チンジフから約100海里。この海域はイ級の巣に近く、格好の漁場だ。「漲ってきたぜ! 食らえ、伝説の突き──ッ!」テンリュウは35匹目の脊髄を刺し壊しながら、狂った決め台詞を吐いた。
イ級の習性を利用した、残酷非道極まる単純労働が始まってから小一時間。「さて、そろそろいいんじゃない?」タツタが21匹目を刺し壊した、その時である!
「……ンジャコラー? スッゾコラー!」ヤクザ・スラングを吐きながらも、テンリュウは冷汗を流している! 彼女は朝日が照らす東の海を凝視する。海が、黒い。黒が七分に海が三分! 「ナマッコラー!」とめどない冷汗!
黒い水平線はやがて黒蟻めいて粒立ち、その中から一匹が高く跳ね、着水して水柱を上げた。
ゴウランガ! 水平線を埋め尽くす、シカイ駆逐の大群だ! 群れをなすのはイ級ばかりではない。ロ級・ハ級を交えたトリプルアソートが、急速に迫りつつある! ナムアミダブツ!
「テンリュウ=チャン。漲ってきた?」グレイヴを正眼に構え直すタツタ。いつものヨユウ・アティテュードを保っているが、その顔に笑みはない。「コトワザにもあるぜ。『32の作戦の内、逃げるシカを追わないのが最善です』ってな!」テンリュウは黄の信号弾を撃った! 撤退戦用意!
「アエエ……? 黄色!? 逃げるの? ナンデ?」信号煙を見たムツキがコケシめいて固まる。「イクサ場で考える奴は死ぬっぽい! 道具捨てて! 機関全速、用意!」ユウダチの的確な絶叫指示! ムツキはフックを、キサラギは荒縄を手放し、機関を焚きつける。微速から全速までの所要時間、約1分!
なぜ1分もかかるのか? ──賢明な読者諸氏はお思いかも知れない。現に、フブキが海没したあの瞬間、ユウダチは全速力で駈け出したではないかと。しかし、思い出していただきたい。あのとき、ユウダチはタツタの気道圧迫拷問から逃れようとすでに全力を出していた。故に、機関は十二分に温まっていた。なればこそ、即座に全速力を出すことができたのだ。
「ブッダ! こんな実弾の大盤振る舞い、主計科に大目玉だぜ!」BDOOM!! BDOOM!! テンリュウとタツタは、14cm単装砲を乱射している。 駆逐共にシカイ駆逐が向かわぬよう、せめてもの陽動をしているのだ! 「いいじゃない。実包消費なんて三年ぶりよ! 反動! 硝煙! アーイイ。遥かにいいわ!」タツタが鼻腔一杯に硝煙を吸い込むと、青白い顔に赤みが差した。
テンリュウもタツタも、この三年間、一発たりとて主砲弾を撃っていなかった。それもそのはず、ギソウの一部として刀剣を帯びる彼女等は、弾薬を消費せぬカラテを生き残りの術として磨いてきた。イ級を屠っては運び、屠っては運ぶという、単調残虐往復任務は、二人のカラテ個性を存分に発揮する場であった。
読者諸氏には思い返していただきたい。ダイホンエ・ヘドクオーターのキアイ・ドクトリンを。
「物資は有限であるが、カラテは無限である」カンムスの最大長所はその戦闘力にあらず。無限のカラテで無限の銃砲弾と無限の魚雷、無限の艦載機を生成する、無限の経済性にある!
しかし! テンリュウ・タイプは砲弾一発すらカラテで作り出せない。彼女等は砲雷撃に実包を消費せざるをえないのだ。砲弾一発が人一匹の命より貴重な国情を鑑みれば、彼女等は戦闘艦としては出来損ないの極みである。だがそれでも、その特異な経済カラテによって、ヨコスカ・チンジフは彼女等を重用しているのであった。
テンリュウが信号弾を撃ってから、1分経過!
「んー? そろそろ、みんな暖まったかしら?」タツタが水を向けた。「ッシャオラー! 全艦全速南進! ハラショー島方面へ突っ切れ! 荷物はシカイにくれてやれ!」電信せずとも届く、テンリュウの絶叫号令! 即座に五艦は転舵南進。タツタは、スゴイ級ハッカーめいた高速タイピングで、チンジフにモールス信号を送る。
◆◆20◆◆
転舵南進したのは五艦。そう、ただ一艦が取り残されているのだ。それは──フブキ!
「アバーッ! 絡まった。絡まっています。待ってくださいアバーッ!」フブキの足に絡むのは、駆逐達の作業の賜物。すなわち、半殺イ級フック連結荒縄数珠繋ぎだ! ハラショー島への手土産となるべきおぞましき工芸品が、致命的トラップとなってフブキに絡みついている! ナムサン!
シカイ駆逐イ級・ロ級・ハ級。無慈悲なトリプルアソートが東から迫る! それに呼応するかのごとく、半殺イ級フック連結荒縄数珠繋ぎフブキ添えが動き出した! 脊髄を刺し壊されてもなお消えぬ帰巣本能が、仲間の群れへと奔りだす! 当然フブキもドナドナめいて強制曳航される! ナムアミダブツ!
「フブキ=チャンが、いない!」ムツキはふとフブキの落伍に気づき、減速し──減速させない! 「全速、全速南進だ! それ以外考えるなお嬢様!」「グワーッ!」テンリュウがムツキの右腕を捻じり上げているのだ! 「でも、でもフブキ=チャンちゃんがグワーッ!」「大丈夫」タツタが無表情にムツキの左肩を極めた。
フルネルソンめいた三体合体がやや船足を落とす間に、キサラギとユウダチが前に出る格好となった。「あら? そういえばフブキ=チャンが──」「──いないっぽい?」テンリュウの絶叫号令を聞いた瞬間から、脇目もふらず走ってきた二人。彼女等に、フブキを案ずる余裕などはあろうはずもない。
キサラギは一瞬青ざめた顔を左右に振り、オカメめいた欺瞞笑顔を形成した。「タツタ=サンが、大丈夫って言ったもの。大丈夫よね?」ユウダチは犬耳ライク・アホゲをはためかせ、即答!「大丈夫っぽい!」二人は余計なニューロンが働かぬよう、努めて真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐに全速南進を継続した。
「ブッダ! フブキ=チャンが! ジーザス! フブキ=チャン! オーディン! ナマハゲ!」ムツキは半狂乱となり、神仏の名を唱えながらテンリュウ・タイプ二艦の拘束を振りほどこうとする! 「聞き分けろ!」SMAAAASH!!「グワーッ!」 テンリュウが、ムツキの柔らかな頬を、平手でしたたかに打った! いわゆるバリキ注入である!
SMAAAASH!!「グワーッ!」SMAAAASH!!「グワーッ!」SMAAAASH!!「グワーッ!」無慈悲な往復バリキ注入だ! ムツキの頬はリスめいて赤く腫れ上がる!「アエッ……。アエエッ……。ハイ、ワカリマシタ……」ムツキは激しく前後されたキムスメのように虚ろな目となり、ようやく抵抗を諦めた。読者諸氏にお話するのも心苦しい、テンリュウのこの暴虐的説得術! はたして彼女は鬼めいて非情なのか? 否! テンリュウが非情なのではない。戦場が非情なのだ!
ムツキは両脇からテンリュウ・タイプに抱えられたまま、南進を再開する。むせび泣くムツキの涙を、黒手袋が拭った。「大丈夫よ。あの子が……」タツタは北へ飛ぶウミネコを見送った。その先にはフブキがいるはず。「あの子が──リアルカンムスなら」
◆◆21◆◆
同時刻、ヨコスカ・チンジフ電探室。
宿直から解放され、今しも朝風呂に突撃せんとしていたオオヨドの専用UNIX端末に、巨大な赤色ミンチョ文字が強調表示された!
「シカ・シカ・シカ」
──我ガ隊ハ撤退戦ニ突入セリ──
「入電! 遠征艦隊、シカイ駆逐無数と遭遇!? これはナマハゲですか! 場所……ハラショー島北、20海里? ──テイトクに報告を!」
「ンー? ゴッツイ状況ヤネ」アンブッシュ! 背後からの声は、オオヨドが提督室直通のIRC回線を開くより早かった。見れば、肘掛け椅子には既に誰かが座っている。海軍帽に鈍色の「提」「督」メンポ。その下から響く、カワチ・ダイアローグ。テイトクその人である!
「タツタから続電! 『フブキ落伍、シカイ駆逐ニ鹵獲サル』」宿直明けのオオヨドの顔は、隈をますます深めていく。しかし、テイトクに動じる様子は微塵もない。緑の目を鈍く光らせながら、シンシテキにオオヨドが飲み残したチャを啜っている。鈍色メンポはクワガタめいて左右に開閉し、飲食を可能とする機構を備えていた。タクミ!
「マ、轟沈とはユートラヘンのヤロ?」「はい。ですが!」「タツタは全速で戦域を離脱中なのです。状況確認などできるわけが!」「……ああブッダ。どうしてこんな」合掌姿勢でUNIX画面を注視するオオヨドは、テイトクのシンシテキ行為に気づく余裕などありはしなかった。
オオヨドは合掌を解き、アンダーリムのツルをしきりに撫でる。「続電……続電はないの?」
KNOCK!! 一瞬の静寂をノックが破った。「オハヨウゴザイマス……おや? 引継ぎの時間ではないのか? オオヨド」秘書艦ナガトのエントリーだ! ナガトは毎日朝四時に起床し、チンジフ各施設を視察する。それは、秘書艦としての業務ではなく、彼女の自発的行為であった。
「オハヨウゴザイマス。秘書艦ナガト=サン。緊急入電が」「──見せろ!」叫びながらUNIX端末に駆け寄るナガト。何かを跳ね飛ばしたが、気にしなかった。ギソウを纏わずとも、彼女の恵まれた体躯から繰り出す体当たりは実際危険だ。それでも彼女は気にしなかった。
「シカイ駆逐、無数だと……?」ナガトは一瞬沈黙し、思考を巡らす。「ハラショー島の電探に感は? 定時の偵察機から報告は?」「ありません! 湧いて出たとしか言いようがないですよ」CHATA!! TATA!! オオヨドはすでに半泣きとなり、画面を更新する「能五」ボタンを連打している。「おおブッダ。私はなにか罪を犯しましたか? オーボン・フェスタのドネーションが足りなかったのですか?」
「朝からソーゾーしいで。オオヨド=サン。あと、朝からエエ腹筋ヤネ。ナガト=サン」ナガトが、未必の故意で殺人タックルを仕掛けた相手は、すなわちテイトクは、無傷であった!
「アグッ……」ナガトの腹筋に、蛇に舐められたような悪寒が走る! テイトクは激突の刹那、迫り来る衝撃をカラテでいなしながら、ナガトの割れた腹筋を指先で愛でる余裕さえあったのだ! おお、何たるシンシテキワザマエであることか!
「テイトク。アカギを叩き起して艦攻を出させます。宜しいですね?」ナガトはテイトクの
シンシテキ行為を賞賛する時間も惜しみ、裁可を求める。しかしテイトクは答えず、オオヨドの飲み残しの最後の一滴を、名残り惜しそうに啜った。「テイトク!」ナガトは怒声と共にギソウを纏う。狭い電探室で41cm・ツヨイ・カノンの展開は危険だ! 落下音! 案の定、電探室のモニタが一枚割れた。
「落ち着キーヤ、ナガト=サン。艦攻ヤテ? 着く前チューカ、出す前に終わるヤロ。一緒にチャでも飲モーヤ」ここに至り、ナガトはようやくアリューシャンの流氷めいた冷静さを取り戻した。眼前のテイトクの落ち着きようは、ただのヒョーロク的無思慮ではない。テイトクには、確信がある!
「ならば、まずは座らせていただきます」ナガトはギソウを解除した。41cm・ツヨイ・カノンを急に格納するのも、また危険だ! 落下音! 案の定、電探室のモニタが一枚割れた。アカギの緊急呼び出しIRC回線を、開くか開くまいかと躊躇していたオオヨドが、「入る」キーに指を乗せたまま聞く。「アノ? 私は?」
「チャでも淹れんカイ。オオヨド=サン。熱いンを二つ頼むデ」テイトクは空のマグユノミを戦議机
の端に置く。「アッハイ!」オオヨドは給湯室へ走る。テイトクが占有しているマグユノミが、自分のものであることなど意識になかった。
電探室には、ナガトとテイトクが残された。「昔話になるケドな」「何でしょう」「アシガラを一番多く殴ったンは、誰ヤ?」テイトクは、電探室で唯一の肘掛け椅子に、深く座り直した。「私です」ナガトは即答し、スツールに座る。ナガトの席は戦議机を挟んでテイトクの真向かいだが、その視線はUNIX端末に注がれていた。
「ナガト=サン。まあ、ヨーケ殴ったナー? 素手。教導棒。弱装三式弾を腹にカマしたり。セヤナ?」「全て、必要な教導でした」UNIX端末は、「待機な」の緑ミンチョ文字を出したまま固まっている。「ショーミのとこ、ドナイやった?」「怖かったんチャウ? ホンマは?」
テイトクは、マグユノミの取手を爪弾いた。ぐるりと一回転して止まるかに見えたマグユノミが、二回転、三回転とするうちに回転軸をずらしながら加速し、ナガトへ向かって机上を走りだす! 違法改造ベーゴマめいたマグユノミの駆動力は、無論テイトクのカラテに由来する!
ナガトは、右手を鷲めいた形に開いて受け止めようとする──も、失敗! CRASSSH!! 哀れなオオヨド愛用マグユノミは、コトワザに言う「自殺志願者の頭を冷やすにはトーフ」の通りに四散し、赤い取っ手だけが指輪めいてナガトの薬指に収まった。カッコカリ!
「肯定。自分が恐怖を感じたカンムスは、アレだけです」「ドナイな恐怖?」「喰われる……適切な表現とは思いませんが。第一感で、喰われそうな……と」「アタリヤロ」提督の目が緑色に明滅した。
ヨコスカ・チンジフ黎明期。所属カンムスがまだ十指に満たぬ時代から、戦艦ナガトは秘書艦としてカンムス達を褒め、叱り、殴ってきた。近年は前線に立つ機会も減ったとはいえ、重巡クラス以上のシカイ・セイカンとの実戦経験も数多い。百戦錬磨の戦艦ナガトが恐怖を感じたカンムスが、重巡洋艦アシガラただ一人とは!
しばしの間、ゼンめいた抽象論をお許し頂きたい。
恐怖の本質とは何だろうか。
鼠は猫を恐れるが、象を恐れない。象はたやすく鼠を踏み潰すが、決して獲物として狙いはしないからだ。
人は狼を恐れるが、牛を恐れない。時に猛牛はたやすく人を突き殺すが、決して人を喰らいはしないからだ。
喰われる恐怖。それは生物としての絶対恐怖であり、学習や経験では決して克服できない宿命的感情である。
──ならば、シカイ・セイカンは? その生態が未だ不明とはいえ、彼等も一種の生物であるならば、何かを恐れることはあるのだろうか?
「今頃、ビビっとるんチャウン?」テイトクがUNIX端末を見やる。海軍帽とメンポの間から、鋭い緑色眼光が差している。「どちらが……ですか?」ナガトの薬指から赤い取手が落ち、床にあたって乾いた音を立てた。テイトクの首が、糸の切れたジョルリのように前にガクリと垂れた。
「アカン……。アカンて。今のズッコケ、ナガト=サンのケジメ案件なのでは? ゴッツ決まっとったワイの台詞を、なんで聞き返すんや? 察し悪イでモー。カンニンしてや」テイトクは、うつむいたまま戦議机に愚痴を垂れ流す。「ハッ……」ナガトは床の取っ手を舵めいたハイヒールで踏み潰し、理不尽に耐えた。
◆◆22◆◆
給湯室から戻ったオオヨドは、電探室の扉を小さく空けた。中の様子を伺うと、アンダーリムの眼鏡越しに、戦議机に散乱する赤い破片が見えた。今ここに至ってオオヨドは気づく。あれは愛用のマグユノミの成れの果てだと! しかし、今はコトワザに言う「オーボンの前のマイクローボン」だ。オオヨドは平静を装いつつ言った「オチャが入りました」
「オッソイで」「入れ」肘掛け椅子にもたれるテイトク。スツールに座るナガト。その間には散乱するマグユノミの破片。一体、如何なる痴情のもつれ、否、激論の衝突がありや!? オオヨドは訝しみながら恐る恐るユノミを配る。淹れたのは士官用の高級ゲートキーパー・チャだ。電探室に甘い香りが漂う。
「ホー。マイヅル名物」テイトクは早速一口啜った。「そうなのですか?」ナガトは茶柱を凝視している。「知らんノ? イクサ馬鹿ヤネー」「恥ずかしながら……」チャノミ・トークが成立している。ならば、二人の対立は解消されたのだ。小心者のオオヨドは、それ以上考えるのをやめた。
「アー?」テイトクが白手袋でUNIX端末を指差す。「な、なんでしょう!」オオヨドはチャのオカワリかと思い、急須を手にとった。「入電とチャウ?」 見れば、UNIX端末に着信あり! オオヨドは定位置の椅子へと走る。黒画面を、極太の水色ゴシック文字が走り抜ける。
──シロタヘノフフキノコロモサムカラシムネノホムラヲナヒクオホカミ──
「電文解読……不能! シカイ・セイカンによるハックでしょうか──アエーッ!?」 オオヨドはテイトクに振り向いたつもりが、刹那にして目の前に窓が迫った! 不可解状況!
「ア? チョロいヤロ。貸しタリーヤ」入れ替わりにUNIX端末の前に座るは、テイトク!
刹那にして、テイトクの座る肘掛け椅子と、オオヨドの座るスツールが入れ替わっていたのだ! これぞ暗黒カラテ秘技、チャブ・シフトである!
テイトクはスゴイ級ハッカー的速度でIME「お得」を操作した。CLATTTTTTE!! 機関砲めいた打鍵の後、しめやかに「空な」キーが押下された。表示された解析結果は──ハイクであった!
白妙の 吹雪の衣 寒からし
胸の焔を 靡く狼
「ハイク、ハイクだというのか!」「五節ハイク! ブッダエンジェル!」ナガトとオオヨドは顔面蒼白である。何故? たかがハイクが、どれほどの驚愕に値するというのか?
賢明な読者諸氏には常識であろうが、老婆心からの解説をお許し願う。ハイクの起源は、平安時代のオンミョ・ソーサレス、アベベ・ヒミコの呪文である。一節読めば今日の四聖獣占いのランクが一つ上がり、二節読めば夜尿症が完治、三節読めばしめやかに失禁するという、禁断のコトダマ。それがハイクである!
ならば、五節のハイクを詠めば、天変地異を引き起こすとでも言うのか? 「マ、最初のハイクやし。コンナンチャウ?」しかし、テイトクは朝刊の折り込み健康食品アド・オリガミでも見るかのように、平然とUNIXモニタを眺めている。
「ハイクを詠んだだと……まさか」ナガトの腹筋が震えている。「たかが駆逐が、ハイクを詠んだと? アバーッ!」オオヨドは全身を痙攣させ、失神寸前だ!
「記録ヤ」テイトクは、低く冷たい声を電探室に響かせた。「今の電文傍受時刻」「アッハイ!」正気を取り戻したオオヨドはUNIX端末に駆け寄り、IRCログを確認する。「コーコク歴2078年9月27日、午前6時17分!」「覚えトキや」テイトクはそれだけを言い残し、電探室を後にした。
◆◆23◆◆
半殺イ級フック連結荒縄数珠繋ぎの添え物、つまりフブキは荒縄に足を曳かれ、最大戦速で死地へと牽引されている。だが、不思議とフブキに恐怖はなかった。仰向けに浮かぶフブキはシエスタめいて目を閉じ、波間に揺れる木の葉のように、ただ襲い来る荒波をいなすばかりであった。
フブキの足先から脳天へと、無数の波が流れていく。目を閉じたままで五体に感じる波の蠕動。それは無性に暖かかった。フブキは思う。もし、自分に母の胎内の記憶があったなら、こういうものかもしれないと。そしてさらに思う。この中枢ニューロンを石炭めいて赤熱させる感情は──何なのかと。
彼女の短い人生は、その感情を形容すべき言葉を教えてくれなかった。しかし、少なくとも恐怖ではなかった。それだけは明確に理解できた。
(敵……周りは全て、敵。敵を。敵なら)
ニューロンの底から、懐かしい声が聞こえた。昨日の水没騒動以来、完全に停止していた主機が、低く唸った。
水平線を埋め尽くすほどのシカイ駆逐は、いつしか大円陣を敷いていた。その直径、約ニキロ。五千、いや六千のシカイ駆逐が敷く大円陣。ブラックホールめいたその渦に吸い込まれる十数匹。半殺イ級フック連結荒縄数珠繋ぎフブキ添えだ。呼応して、マントラ一つで海を割ったというブッダの奇跡めいて円陣が割れる。大円陣の中央に、フブキが曳き据えられた。
那由多の金属蝉が、盛夏に鳴いたごとくの、轟音! 数万基の5inch単装砲が、一斉にフブキを照準した。死槍が擦れ合う金属音が、雲を震わす大音声となる。たとえ歴戦の猛者でも、末期のハイクすら詠めぬほどのドッタン場である。
しかし、それは、吠えた!
グーググーググーグウォオオーン。人間も動力機関も発し得ない、獣の咆哮。フブキの口は閉じていた。主機は再び沈黙していた。しかし、六千のシカイ駆逐には、その吠え声が確かに聞こえていたのだ。この声は何処から?
◆◆24◆◆
半殺イ級フック連結荒縄数珠繋ぎに強制曳航され始めてから、今この時まで。固く閉じられていたフブキの目が、開いた。朝の秋空は天高く、フブキの瞳を雲が流れる。雲は白く、冷たく、疾く流れ、いつしか吹雪となって吹き荒れる。
──白妙の──
誰かがハイクを詠んでいる。フブキは遠くで聞いていた。
──吹雪の衣 寒からし──
懐かしい声は、誰か。母。母でない。友。友でもない。
──胸の焔を 靡く狼──
そうか。いつも聞こえていた、あの声か。
そして、フブキは、吹雪となった。
六千のシカイ駆逐を前にして、吹雪は無造作に立ち上がった。その右目はセンコめいて細まっていた。その左目は闇夜の猫めいて見開き、瞳は紅に曳光していた。バイオシュロ荒縄が絡んだままの手足は、摩擦に皮膚を千切られ流血している。
偶然に、極めて偶然に、吹雪とイ級の目が合った。「ドーモ……」その声は、フブキより十歳も大人びていた。吹雪は、握手でも求めるかのように右手を伸ばした。荒縄の噛み跡から滲みだす血が潮風を吸い込み、血煙となって右手を覆う。次の瞬間、その手には特型駆逐艦吹雪の主砲、12.7cm連装砲が握られていた。
吹雪はギソウを纏い、主砲を……否! その非常識スケールは、駆逐の主砲ではない! 吹雪の右腕よりあからさまに長いその砲身長は、戦艦主砲にすら相当する逸物であった! しかし、吹雪は自らその逸物を定義した。「これは、12.7cm連装砲。撃てば弾が出るただのテッポー」言いながら、吹雪がイ級を見据える眼光はますます厳しさを増していく。
「撃つよ」GYAOOONE!! 12.7cm連装砲の一斉射! 砲声とはもはや呼べぬ、獣めいた二重咆哮!
──しかし、撃たれたのはイ級ではない! 半殺イ級フック連結荒縄数珠繋ぎと吹雪を繋ぐ、バイオシュロ荒縄だ! 係累を断ち切り、吹雪は背を丸めて両手を低く垂らす。オスモウ仕切りめいた、あるいは肉食獣めいた構えとなった。
「ねえ? 撃ったよ?」フブキは海面スレスレから砲塔をしゃくり、未だ硝煙を燻らす砲口を舐めた。SIZZZLING!! 舌が焦げ、イオウのごとき蒸気を上げる! しかしなんと、吹雪の顔はノメーンめいた無感情! そう、これが純粋戦闘存在、リアルカンムスである!
「ねえ。撃たないの?」フブキがイ級に左手をかざす。再び血煙が規格外の連装砲を形成し、正面のイ級を照準する。「ピ、ピグワーッ!」イ級は怯えとも威嚇ともつかぬ奇声を発した。
「そうだよね。撃てないよね」GYAOOONE!! 12.7cm連装砲が、イ級の眉間を撃ち抜く!「イアバーッ!」無慈悲な砲弾がロ級体内の弾薬袋を貫通! 誘爆により爆発四散せしめた! ナムアミダブツ!
戦端は開かれた! そして、六千のシカイ駆逐から、吹雪目掛けてインガオホーの反撃が……反撃はない!? フブキを十重二十重に囲むシカイ駆逐は、一匹たりとも5inch砲を放とうとはしない。これは如何なる不可思議状況か?
「囲んで。脅して。泣いて謝るとでも」右連装砲! GYAOOONE!! 「数を頼みのスケロク共が」左連装砲! GYAOOONE!! 「ほらほら! ヒョーロクめいてないで、何か言えってんだよ、クジラ野郎!」再び右連装砲! GYAOOONE!!
読者諸氏は耳を、いや目を疑っておられるだろうか? 吹雪が砲声と交互に発する、ヤクザスラングめいた恫喝口調を見よ! しばしばサラリマン的ですらある礼節重点な吹雪の口調とは、あまりにも異質ではないか!
吹雪の無慈悲な連撃で、既に5匹のシカイ駆逐が爆発四散した。それでもなお、六千のシカイ駆逐に反撃の兆しなし! 黒紙の中央に火が付いたかのごとく、包囲の輪がジリジリと押し広げられている。一万二千の5inch砲が前後に磨れ合い、錆びた唸りが悲鳴じみて海原に轟く。
「撃てないよな! 分かってる!」右連装砲! GYAOOONE!! 無慈悲に続く吹雪の砲撃! 「包囲の際は火線が互いを避けるように布陣せよ」これは、安土桃山時代の天才軍師にして吟遊詩人であった、ショカツ・チョーメイの至言である。
THAT IS!! 畢竟つまるところ、シカイ駆逐は吹雪を囲みすぎた。あまりにも布陣密度を高めすぎた。故に、吹雪への砲撃はその背後に位置する味方への砲撃と同義であった。同族意識が強く仲間が傷つくのを何よりも嫌うシカイ・セイカン。吹雪はカンムス洞察力でその本能を見抜き、逆用したのだ!
「まだ撃てない? なら、これで!」吹雪は、自ら切断したばかりのバイオシュロ荒縄を鷲掴みにし、主機を滾らせる。HOWLLLLLY!! 遠吠えめいた吸気は重油とカンムスソウルを混焼し、血煙じみた排気が吹雪の顔を覆いつつ形を変える。マフラーめいた布、そして、メンポに!
吹雪は、如何なる超自然的原理で形成されたとも知れぬその桜色の薄布を、吹き流しめいて靡かせている。メンポとマフラーめいた布。このシンピテキ佇まいはもしや、古来よりブッダの教えを守りし神話的戦士では? 純粋戦闘存在リアル・カンムスとは、まさかニンジ──否! 断じて否! 読者諸氏にも否定と忘却を懇願する。吹雪はカンムス。カンムスである!
「Wasshoi!!」禍々しくも猛々しき咆哮と共に剛力を発し、吹雪は半殺イ級フック連結荒縄数珠繋ぎを天空へ放る。それはアドバルーンめいて中空に縦一文字となり、垂直落下! 真下で吹雪が──顎《あぎと》を開いた! 両手に纏う12.7cm連装砲、2基4門を牙として!
「喰らう!」2基4門の連装砲がイ級の頭部を咬み、刹那に発砲! GYAOOONE!! イ級は爆発四散!「喰らえ!」咬み、発砲! GYAOOONE!! イ級は爆発四散! 「喰ってやる!」咬み、発砲! GYAOOONE!! イ級は爆発四散! GYAOOONE!! GYAOOONE!! 吹雪は紫血に塗れ、ジゴクめいた咀嚼でイ級を貪食していく!
KABOOM!! とうとう、恐怖に負けた5inch砲が火を噴いた! それは、シカイ駆逐の破滅を告げる、マッポー審判の法螺貝に他ならない。十重二十重に吹雪を囲んでいたシカイ駆逐が、闇雲に円陣中央を砲撃する。KABOOM!!「ログワーッ!」KABOOM!!「ハグワーッ!」必定、フレンドリー・ファイア多発! ナムアミダブツ!
アビ・インフェルノとはまさにこのことだ。絶対的捕食者が執拗に刷り込んだ喰われる恐怖により、シカイ駆逐は恐慌に追い込まれた。フレンドリー・ファイアの業火は止まず、シカイ駆逐の大円陣は、破滅の炎と断末魔の叫びを上げながら、狂乱の渦となって燃え尽きようとしている。その只中で、吹雪は? 吹雪はいかに!
◆◆25◆◆
おお、ゴウランガ! 狂気の砲渦が己を呑み込まんとする寸前、吹雪は海神に挑むかの如き裂帛の気合と共に、海面を殴打した!「イヤーッ!」すると、足元から巨大なヤリめいた水柱が屹立し、吹雪は瞬時に遥か上空へと誘われた。これぞ古代水中カラテ「ミズゲイボルグ」である!
恐怖に目を曇らせたシカイ駆逐共には、瞬時に砲渦の遥か上空へ逃れた吹雪の所在を知る由もない! 無慈悲な、ひたすら無慈悲なフレンドリー・ファイアの業火に自ら焼かれ、ムザンに爆発四散するのみである! KABOOM!!「イアバーッ!」KABOOM!!「ロアバーッ!」KABOOM!!「ハアバーッ!」おお、インガオホー!
六千のシカイ駆逐による、ジゴクめいた包囲陣であった。それが今、吹雪一人が扇動した恐慌により壊滅寸前に追い込まれている! KABOOM!! KABOOM!! 禁忌のフレンドリー・ファイアにより、イ級の屍が、ロ級の骸が、ハ級の肉塊が、円陣中央へと砲圧で吹き寄せられる。それらは、マッポー絵師も自主規制するほどの死の屑山を形成した!
血煙が織りなした桜色のマフラーを靡かせ、水柱から死の山に降り立つ吹雪。ブッダエンジェルの降臨としてウキヨエに描かれるほどのシンピテキ光景だが、シカイ駆逐にとっては恐怖の大王の降臨そのものである!
「イヤーッ!」吹雪はカラテ・シャウトと共に、12.7cm連装砲2基4門を咬合した! クロス・カタナめいて交叉する連装砲。それは絶対的な死の暗示であり、人類とシカイ・セイカンの種族差を容易に超越する恐怖の形象であった!
「「「「「アグワーーッ!!!!!」」」」」
わずか数分前まで六千の大円陣を敷いていたシカイ駆逐も、今や生存数は役千五百! その全艦が、畏れに哭いた!
「消えろ!」GYAOOONE!! 交叉したままの連装砲が空に吠える! それを号砲代わりに、黒色花火の炸裂めいて、シカイ駆逐は四方八方に逃走を開始した。「そっち!」GYAOOONE!! 吹雪は北に発砲! 「違う!」GYAOOONE!! 西に発砲! 「そこじゃない!」GYAOOONE!! 南に発砲!
GYAOOONE!! 吹雪は死の山から海面を砲撃している。これは決して乱射ではない。シカイ駆逐の当走路を東に限定しているのだ。羊飼いの牧童めいて、吹雪単艦が千五百を超えるシカイ駆逐の手綱を握っている! これぞ、人類がシカイ・セイカンに新たな恐怖を抱かせた歴史的瞬間であった!
狂乱の渦を逃れたシカイ駆逐は役千五百。東へ。ひたすら東へ。狼の牙に追い立てられ、先を争って敗走していく。焼けた砲を、落とした魚雷を、削げた肉片を点々と残しながら。
GYAOOONE!!「帰れ! クジラ共!」紫血に染まった逃走路に向けて、吹雪は連装砲を撃ち続けた。
「帰れ! 帰れ!」カラテは尽きた。既に撃つ弾は無かった。「帰って! 帰って。お願い……」
その顔に桜色のメンポはない。先刻まで冷酷な殺意を宿していた瞳は、焦点を失い震えている。シカイ駆逐のニューロンを凍らす恫喝を吐いていた唇も、紫に震えている。
──吹雪は、フブキに返ったのだ。
フブキは南の水平線を見た。ハラショー島までは20海里か、あるいは30海里か。シカイ駆逐はもう来ないだろうか。「これで、みんな……」安堵と消耗が、フブキの灼けたニューロンを冷やしていく。シカイ駆逐の焦げた死骸をフートンとして、フブキは深く眠りに落ちていった。
◆◆26◆◆
ボンズは衆愚に説く。「ブッダは最も高い場所から我らを見守っています」と。
ならば。シカイ駆逐の砲渦を見下し、古代海上カラテ「ミズゲイボルグ」の水柱上に悠然と佇む吹雪の、さらに上空でカメラを構える彼女は、如何なる存在であろうか?
二式大艇。全幅38m、全長28mの大型飛行艇だ。上空三千メートルを飛ぶその翼上で、彼女は平然と立って二眼レフのシャッターを切る。「見ちゃいました!」SHOT!! 「見ちゃいました!」SHOT!! 嬌声が四発エンジンに負けじと響く。合いの手はシャッター音だ。
135ノットの対気速度をものともせず、翼上で撮影をするその姿。セーラー服に黄色のネクタイ。少年めいたハーフパンツ。だが見よ! そのピンクのうなじを! おお、オーバーニーソックスとハーフパンツに垣間見る、太腿の眩しさを! 間違いない。彼女もまた、カンムスである!
「よく見えますねぇ」SHOT!! そしてメモ! このカンムスは、上空から吹雪の驚異的戦闘の一部始終を記録していたのだ。高度三千で左旋回を続ける、二式大艇の翼上で! ゴウランガ! 恐るべきカラテである。
《燃料限界な。帰還重点》操縦士からIRC通信が入る。「構いませんよ? なんなら、私は歩いてでも帰れますし」カンムスはカメラのレンズにカバーをかけ、青い瞳で水柱から降り立つ吹雪を見ている。「狂犬カワイイ……」矛盾的賞賛だが、欺瞞は無い!
《アイエエエ! 帰還指示、ヨシナニ!》サンシタじみた哀願通信が繰り返される。カンムスは応じず、吹雪がシカイ駆逐を追い立て、力尽きるまでの動静を見守っていた。
《帰還指示、ヨシナニ!》「あー。目標が寝ちゃいましたね……」《帰還指示、ヨシナニ!》「ま。深入りしすぎないのが長生きのコツですからね?」「今日は帰りましょう。昼食はお好み焼きでと伝えてください」《ヨロコンデー!》二式大艇は旋回を止め、西に航路を取った。
◆◆27◆◆
ハラショー島を目前とした浅海域。テンリュウ旗艦の遠征艦隊五艦は足を止め、フブキの動静を探っている。「偵察機があればな……。あっても、俺達には使えないけどよ」テンリュウが歯噛みする。「もう、落ち着いたかしら?」タツタは、ムツキの肩から手を離した。
ムツキは取り残されたフブキを思う。こみ上げる涙を零すまいと、空を見上げた。北東から微かに爆音が聞こえる。「四発……? サセボの大艇かしら」キサラギにも聞こえたようだ。「金持ちクレーが、一機買ったって話も聞いたっぽい」ユウダチも空を見上げ、爆音の主を探している。
「入電!」タツタが右耳を抑えた。
《ゴリラ、センベイ、オタカラ》
──北カラ、目標接近、待機セヨ──
「どういうこと?」タツタは訝しんだが、続電はない。巧妙に雲に隠れていた二式大艇は僅かに機影を覗かせ、すぐまた身を隠した。爆音は西へと去っていった。
「アッ北、北です。アエエエ!」ユウダチが北を指差し固まっている。一同が北の水平線を見ると、黒い塊が見えた!
北から黒紫の煙を上げて近づく、氷山めいた巨塊! シカイ駆逐の追手なのか? ユウダチは海上にキムスメ座りとなって失禁寸前であった。
「フブキ……フブキ=チャン!」突然、ムツキが北に走りだした! とうとう、忍耐の限界を超えた恐怖でリアリティ・ショックを発症したのか? よもや、そのマーベラスルーセントな40デニールの下は失禁はしていないのか?
否、ムツキは正気を保っていた! 失禁もしていなかった! 読者諸氏も心して頂きたい。本当の希望は、血も凍るような絶望の底から芽吹くことを。決してテイトク指定の40デニールストッキングの下からではないということを!
ムツキのリスめいた瞳に映る、煙管型の吸気管。無論、フブキである! 「おお、ブッダは起きていやがった!」PANG!! テンリュウが左掌を右拳で豪快に打つ。「ヨコスカから入電。『僚艦ヲ回収、ハラショー島ヘ』……ですって」タツタは黒手袋を脱ぐとテンリュウに手を振る。PANG!! テンリュウの豪快なハイタッチが決まった。
硝煙漂うシカイ駆逐の遺骸さえ、困憊したフブキには柔らかなフートンであった。未だまどろみに落ちているフブキを、何かが柔らかく揺り起こした。潮に流されていた遺骸が、浅瀬に差し掛かり減速したのだ。それだけではない。遠くで誰かが呼んでいる。「フブキ……フブキ=チャン! オタッシャデ!」
その声でフブキは目覚めた。しかし、手はもう上がらない。足はもう立てない。せめてもの返事をしようと、フブキは呟く。「オタッシャだよ……」目を開けると、遺骸に背を持たれたフブキの前方に、手を振りながらかけてくる……ムツキ!
「フブキ=ヂャン! フブキ=ヂャン!」ムツキの涙声! 「オタッシャっぽーい!」ユウダチ! 「あら。よくオタッシャで……」キサラギ! 「どうやってエンマを騙して来やがった、このお嬢様!」テンリュウ! 「うふふ。お赤飯炊かないと」タツタ!
──皆の声が、聞こえた!
◆◆◆◆
カンムスレイヤー第1部「アウェイキン・ウルフ・イン・オータム・ストーム・ヨコスカ」終わり
日本にチンジフは4つだけ(ヨコスカ・マイヅル・サセボ・クレー)という設定です。
2部以降で他のチンジフとヨコスカの関係性も描く予定です。