結局あのあと数度リバースしかけるのを耐え、なんとか全員課題を通過させることに成功した。
タキちゃんは心底不満そうだったが、自分にも他人にも厳しいだけで別に悪い人間ではないので今度夢の国辺りにでも連れて行ってやれば機嫌は治るだろう。
生徒の何人かから、胃薬をもらったが未だ整わない体調で不吉な噂を耳にする。
「食戟?」
「そう!おもしろそうじゃない!?」
どうやら、何処かのグループで発生した事件を聞きつけたらしいアリスちゃんが実に楽しそうに話してくれる。
薙切アリス。
えりなちゃんと同じ”薙切”でありながら性格は真逆でえりなちゃんが負けず嫌いの子供であるとすれば、アリスちゃんは楽しいことが大好きな子供。つまりは、比較的絡みやすい方だ。
午後の課題が終わり、生徒達が使った食器や道具をホテルのスタッフ達と片付けつつ、片手間で余った食材でまかないを彼らに振舞っていたときにやってきた彼女は自らの得意分野である最新の調理機器というより科学の実験で使うと言ったほうが信憑性のありそうな機器を取り出した時は流石に何をやっているのかわからなかったが、終わってみればその場にいた全員にその素晴らしい料理の腕を披露していた。
どうしてイキナリそんな事をしたのかは検討は付かないが、初めて会った時からこういう部分のある子だったので気にしたら負けだ。悪意や敵意がないだけマシだと考えよう。
「でもなぁ、噂で聞いた話じゃその食戟ってのは非公式のものなんだろう?そんなものシャペル先生にバレたら――――考えるだけで恐ろしい!」
誰だか知らないが、合宿中に行うほど体力が有り余っているならアリスちゃんのように手伝いをしてもらいたいものだ。
「でも、気にならない?」
「いいや、気にならないね。大体、食戟ってのにはいい思い出がないんだ。精々、気になるとしても明日の課題に集中できないくらいだ!」
「…………それって十分気になってるって事じゃ無いんすか?」
アリスちゃんと一緒に来た黒木場くんから辛辣なツッコミは断じて認めるわけにはいかなかった。だって、食戟が行われるのを知っていて報告しないと俺もシャペル先生にこってり絞られちゃうじゃん。豆乳を絞り尽くして出来たおからみたいになってしまう。
「というか、今日はテンション低いというかダウナー気味なんだね?」
「ああ、リョウくんはいつもこうよ?料理の時以外はねっ!」
アリスちゃんの話を聞いて納得する。
いるよね、そういう子。
えりなちゃんとはまた違った形の料理に全振りタイプだ。
「ま、確かに対岸の火は自分に関係ないからこそ多少は気になるわけで、この地獄の合宿でそんな酔狂な真似をする輩には多少は興味あるかな?」
「もう、ミーくんは素直じゃないのね。気になるなら最初から言えばいいのに!!」
「その呼び方はやめてくれ………」
「いいじゃない!減るものでもないし。知り合い同士は砕けた呼び名を使ったほうが好印象なのよ?」
「え、それ誰に対する?」
まさか、君の一族の誰かじゃないよね?全く事実無根なのに変な勘違いされて酷い目には合いたくないよ!
大体、そういう事なら君も従姉妹であるえりなちゃんを”えりちゃん”とでも呼んでみろって話だ。あの子なら、絶対挑発されてると思うから。
「それに、関係ないって昨日一緒にいたじゃない」
「何が?」
「えっと。その食戟を挑んだのは幸平とかいう奴ですね」
前言撤回。
思いっきり、聞き覚えのある名前だった。
ホテル遠月離宮の別館。
ここは今回の合宿で使用されないはずの場所、地下への階段を下りた先の厨房は部外者の立ち入りを拒むようにその扉を閉めていた。隙間から漏れるかすかな光がなかに誰かがいることを感じながらゆっくりと扉を開く。
「むっ」
室内に入りまず飛び込んできたのは、既にここに来るまでの足音で俺の存在に気づいていたのか堂島さんの鋭い視線。そして、なぜか椅子に縛り付けられている日向子さんに既にテーブルの上に乗せられた二皿を食し終わっている三人の先輩シェフ。
食戟を行っていたと思われる四宮先輩と田所さんと創真くんは状況から調理はもう終わっていたのだろう。
「よくここがわかったな」
「あれだけ噂になっていたのに上層部に知られないように情報規制が掛けられていてめぼしいシェフ達が全員行方不明となれば流石に気づきますよ。後は、犯罪心理学などを利用して使っていない厨房で最も可能性の高い場所を当たっただけの事。日本のプロファイリング技術をあまり舐めないほうがいいですよ?」
「…………お前、本当に料理人か?」
普段はどんな状況でも落ち着いている堂島さんの若干の引き顔を横目にしながら、テーブルの両端に置かれた片方に三枚のコインが乗せられているコインを見る。
「なんだ、お前も来たのか」
「――――四宮さん」
食戟を行った一人、四宮小次郎はまるで何事もなかったかのように笑みを浮かべる。
既に勝敗は決定した。いや、そもそもそんな事は最初から問題ではない。この食戟において最初からこれ以外のエンディングなど存在しなかった。
「悪いな、来るとわかってればお前の分くらい用意してやったのに」
「いや、いいです。さて、と。創真くん、言い忘れたけど十傑って大体の人が料理の天才なんだよ?しかも、一番厄介な努力する天才で元第一席に挑むとはなかなか無茶したね?」
四宮さんを軽くスルーし、表面上は負けたことに納得しているような創真くんに話しかける。
「ま。大体の事情はここに来るまでに聞いているし、そこまで責める気はないけど…………いや、本当凄いね。俺ならそう簡単に誰かを守るために覚悟なんて決められないわ」
「あ、あの――――創真くんは悪くないんです!だから、」
「田所さんだね?言いたいことはわかるけど、これは非公式とは言え食戟だろ?判定を覆すことはできないし、無理に押し通したってここにいるのはこの合宿の講師たちだ。この状況で明日からの課題を生き残ることは難しいだろう。それに、ね」
創真くんの頭に手を乗せる。
その身体に触れてみて初めてわかる。悔しさと憤りで小刻みに震えるその身。それらは全て未熟な自分に向けられているくせに後悔はない。本当、初めて会った時の印象通りの少年だ。
「男の子ってのは女の子を守るときは喜々として行動するくせに、その逆は嫌がるんだ。面倒な生き物だろ?」
だから、あとは任せろ。
「四宮さん。ここに現在フランス近辺にいると思われる俺の知り合い計百人程の名簿があります。政治家から映画監督、スポーツ選手は勿論。
「ほう――――。一体どうしたんだ?それ」
「はい、これが俺の対価です。求めるのは、そうですねぇ。今の食戟の判定のやり直し。これは勝敗に関係なくやってもらいたい。ま、流石にストレート負けってんなら諦めますが」
四宮さんと堂島さん。それに判定員の三シェフをそれぞれ見る。日向子さんは―――――今の真面目な雰囲気で見るのはよそう。
「おいおい、ムッシュ榊奴。一体何を言い出すんだ?俺は明日のためにもう休みたいんだが――――」
「いや、ね。ここまで言ったら日本人なら流石にわかると思うんですが、外国暮らしが長いとこうなのかな?つまり、」
ここで。この部屋に入る前からずっと考えていた言葉をひねり出す。
「俺と食戟してくださいって、言ってるんですよ。おしゃれメガネ」