高町飛鳥は夢をみる   作:御神の犬士

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第二話 アイツは昔からそうだ

 不規則に揺れる車体はどうしてこう、人の眠気を誘うのだろうか。催眠装置の一つでも積んでいるのかと、くだらない冗談がアリサの脳裏に一瞬過ぎる。徐々に幕を閉じようとする瞼を鞭打って、眼を意地でも開かせる。

 バニングス家の後継者たる自分がこの程度の誘惑に屈してなるものですか。

 

「なんだか眠そうだね」

 

 しかし、顔を繕ったところで隣に座る少女にはお見通しのようだ。有象無象に悟られるならば自尊心(プライド)の一つも傷つくが、見抜いたのが親友ならば致し方ないというものだ。

 

「えぇ、寝る前に軽い気持ちで本を読んでいたんだけれど限の良いところが中々見つからなくて、ね」

「それで最後まで読んでしまった、と」

Exactly(正解)

「ふふっ、アリサちゃんらしいね」

 

 小さく微笑むその姿は同性の自分の目から見ても可愛らしい。柔らかな物腰と控えめな態度、正に絵に描いたかのような完璧な淑女(レディー)の姿に心中で小さく溜息を零す。

 最近クラスにいる数名の男子(ガキ)の友に向ける視線に色が混じっている。全く、今更男と女を意識し出したお子様を相手にしなければと思うと気が滅入る。

 だが、私がやらなければならない。

 今は遠巻きに見ているだけなのでさほど気にならないが、その内直接アプローチをしてくる輩が出るのはほぼ確定事項だ。この年齢時の男子の気の惹き方は、女子にとっては迷惑以外の何物でもない。

 降りかかる火の粉は払わなければ、傷つくのは自分達だ。

 

 傷物など、させるものですか。

 

「すずか」

「ん、何?」

「私が守るからね」

「ありがとう?」

 

 思わず握られた手と私の言葉に首を僅かに傾げつつ、すずかは頷いてくれた。

 彼女の名前は月村すずか、私の親友の一人だ。

 私とは対極の、貞淑な女性の理想像。私にないものをいっぱい持っている素敵な女の子。

 友達となるきっかけも、それが欲しかったから。

 今にして思うと我ながら、何とも幼稚な思考であのような暴挙に出たものだ。二年前の自分に会うことが出来たなら、問答無用で張っ倒すところだ。

 しかし今更考えると、今の私とすずかの関係はまるで夢や幻のように、本来有り得ない可能性なのではないだろうか。少なくとも私とすずかだけでは、このような関係にはなっていない。断言できる。

 すずかと友達になっていなかったら今頃私はどうなっていただろうか。

 鼻持ちならない嫌な女になっていたのは、まず間違いないだろう。

 

 あの()には感謝してもしたりないわね。

 

 アリサは窓辺に流れる景色を眺める。見慣れた光景を瞳に映しながら、その心は一人の少女を思い描いていた。

 穏やかで明るい、ひまわりのような誰からにも好かれる女の子。少女の笑顔が鮮やかに蘇る。

 ふと意識を現実に戻すと、流れいた景色が徐々に輪郭を濃くしていた。バスが緩やかに速度を落としており、気付けば見慣れたバス停はもう目と鼻の先にあった。

 車輪が回り、回り、止まる。と同時に車体前方の扉が開かれ、そこからリボンで留められた栗色の髪が視界に入る。通路に躍り出たその少女の顔に浮かぶ表情は、アリサの頭に浮かべていたものと寸分違わぬものだった。

 

「おはよう、アリサちゃん」

「おはよう、なのは」

 

 彼女の名は高町なのは、私のもう一人の親友だ。

 最後尾に陣を敷いていた私は、僅かに席をずらし空いたスペースを軽く叩く。語らずとも、それだけで彼女(なのは)には伝わる。

 なのははいつもの笑顔を振り撒きながら指定された席に座ると、すずかとにこやかに言葉を交わす。

 アリサにとってすずかとなのは、この二人が日常の象徴であり、三人揃うことで初めて世界が音を立てて動き出す。

 今日はどんな一日になるのか、少女は期待に胸を膨らませる。

 その時、すぐさま視線を彼女たちへと移せば良かった。そうすれば、この心は未だに弾んだままだった筈だ。

 しかし、もはやそれはIfの話であり、夢物語だ。アリサの瞳は乗車する一人の人物を確かに捉えてしまっていた。

 それによる少女の心境の変化は激変の一言に尽きる。

 満たされていた筈の心が急速に萎れていき、胸の熱が急激に低下する。その寒さのせいだろうか、アリサの眉間には浅くない皺が寄っていた。

 そう、この娘(なのは)が乗ったならば、アイツが乗るのもまた必然ではないか。その程度の予測すら出来ないとは腑抜けたか、アリサ・バニングス。

 理性が浮ついていた自身を痛烈に批評する。

 

「「アリサちゃん?」」

 

 その声を打ち消すように自分の頬を叩いて気合を入れるアリサに、なのはとすずかは疑問の声を上げるが、彼女の視線の先に立つ人物を知ると、二人して納得すると同時に苦笑を浮かべる。

 そんな親友たちの気遣いにすら気づかぬほど、アリサは視線の先に立つ人物を凝視していた。

 これが少女漫画ならば、二人の間に華々しい花や光で溢れるところだが、現実は違う。甘酸っぱくなるような雰囲気は微塵も存在せず、少女の視線は何処か危険な熱量を放っていた。

 アリサは視線を外さない。相手は未だ自分を見ていないが、目を逸らせばまるで私がアイツの視線を恐れたように見えるではないか。

 

 このアリサ・バニングスがアイツに屈するなど、あってなるものですか。

 

 目は口ほど物を言う、という(ことわざ)がある。確かに少女の視線は彼女の心中を現すかのように熱く鋭い。

 されど、それだけで相手の心を読み取れる者は果たして何人いるだろうか。言葉でさえ受け手の取り方一つでその意味合いは大きく変わる。それが視線ではいかほどのものか。

 少女の熱烈な視線に当てられて、一人の少年がゆっくりと瞳を移す。

 

 視線が混じり、一つとなる。

 

 少年の澄んだ瞳に、少女の瞳が僅かに揺れる。

 一瞬の空白時間、思考を刹那の間奪われたことをアリサは自覚する。何たる屈辱、容易く射竦められた自身を叱咤し、眼により一層の力を込める。

 まるで睥睨するかのようなその眼光に、気の弱い者は反射的に目を逸らすことだろう。

 だが、少年は違った。

 口元には僅かに笑みを浮かべながら、ゆっくりと近付いてくる。

 

 来るんじゃないわよ、と声高々に言ってやりたい。しかし、それは無理な相談だ。相手は親友(なのは)の弟であり、すずかも心許す数少ない異性の友人だ。それを拒絶できるわけがない。

 親友たちへの配慮ももちろん理由の一つだが、何より眼前の少年を拒めない一番の理由は、これ以上自身の弱さを露呈してしまうことが我慢できないからだ。

 

 そう、アリサ・バニングスは弱みを握られている。

 

 だが、それで言いなりになるような弱い女ではないことを証明してみせる。不屈の闘志に燃える少女はされどその心を完璧に覆い隠し、少年を優雅な笑顔で出迎える。

 

「おはよう、飛鳥」

「おはよう、アリサ嬢」

 

 アリサ・バニングスの一日(たたかい)が幕を開ける。

 

 

 

 

 高町飛鳥は夢をみる 第二話 ~アイツは昔からそうだ~

 

 

 

 

 眉間に皺を寄せながら、アリサは眼下のノートを睨みつける。それはさながら、親の仇と言わんばかりの形相だ。

 教師が黒板に淡々と文字を書いているが、それを書き留めているようには見えず、実際彼女が記しているのは授業とは完全に別の事項だ。そもそも彼女にとって、学校の授業の内容など既に復習以外の価値を見出せておらず、内容についていけない、という事態に陥ったわけでは断じてない。

 では、何について悩んでいるかといえば、彼女の悩みの種と言ったら一つ以外に存在しない。

 

 高町飛鳥。アリサ・バニングスの不倶戴天の敵の名だ。

 

 なのはが聞いたら泣きそうなので決して言わないが、そう評するが適切だと思うほど、アリサは飛鳥という少年に対し敵対意識を持っていた。

 だが、言うほど敵愾心を抱いている訳ではない。むしろ有象無象の男子と比較すればすこぶる飛鳥への評価は良いほうだ。

 そもそも、人間は好意だろうと悪意だろうと、相手への意識なくして感情の発露は有り得ない。つまり、飛鳥への感情は正負のベクトルを別にすれば、彼女(アリサ)にとって相当な高い位置に存在していることになる。

 それをアリサは否定しない。でなければ、こうして悶々と悩まなくて済むのだ。

 思わず少女の瑞々しい唇から小さくも重い溜息が零れる。

 

 まぁ、第一印象がアレじゃねぇ……

 

 シャーペンを器用に回しながら、アリサは意識を過去へと飛ばす。

 人間、認識をそう容易く変えられるほど器用に出来ていない。頭では理解できているのだが、感情がそれに伴ってくれないのだ。

 あれから早二年、我ながらいい加減吹っ切っても良いと思うのだが。

 

 …………止めよ。

 

 ペンを机に置くと、案の定寄ってしまった眉間の皺を揉み解す。こんな気苦労で皺など作ったら泣くに泣けない。

 再度溜息を吐くと、アリサは眼下のノートに目を走らせる。先程までペンを走らせていたそれは、彼に対する情報の数々だ。

 客観的に、あるいは主観的に、高町飛鳥という少年に対して記してみたのだが、身長、体重、血液型など気付けば(あすか)の簡易プロフィールのようなものが出来上がっていた。我ながら何で知っているのかと思う情報もあるのだが、その理由は一先ず脇に置いておく。ついでに頬の熱も。

 重要なのはそのような表面的なものではなく、より内面的な部分だ。

 

 勉学:私と同位、つまり学年一位。忌々しい……

 

 本当に忌々しいヤツ。小さく付け足された文字に心底同意する。横目に見れば、前方に座る彼は教科書を開き、ノートにペンを走らせていた。

 しかし、アリサは知っている。飛鳥が黒板の内容を書いている訳ではないということを。

 そもそも、この程度の内容、アリサは完璧に覚えているのだ。自分と同じ主席である飛鳥(ヤツ)が同様のことを出来ない訳がない。注視してみれば立てられた教科書の内側にもう一冊本が広げられており、何やらそれに対して書いているようだ。

 そのことについて教師に告げる、という選択肢は少女の中に存在しない。そんな姑息な告げ口で気が晴れるわけもなく、むしろそのような手段でしか見返せないのかと思われるほうが遥かに問題だ。

 どうせ飛鳥のことだ、間接的に授業に関連のある書物を持ち込んだに違いない。

 アリサは不機嫌そうに鼻息を一つ吐く。

 飛鳥は自身の知識(ちから)を進んで誇示しようとは決してしない。腹立たしいことだ。

 

 アイツは昔からそうだ。

 

 優秀であることを表には出さず、謙虚な姿勢を崩したことはアリサが見た中で一度としてない。

 注目されたい、人気者(ヒーロー)になりたいという子供が当たり前に持つだろう英雄願望を飛鳥(アイツ)は持ち合わせていないとでも言うのか。

 そんなことはない筈だ。ただ、大人なだけ。それがアリサには非常に不愉快であった。

 そして残念なことに、その不快な点を少年は幾つも持っていた。

 

 運動:常に学年トップ5入り

 

 そう、アイツは運動も出来る。勉強と違ってトップ、という訳ではないが、それでも常に上位に食い込んでいる。私も運動は割と得意な方だが、アイツには劣る。

 当然悔しくはあるが、男と女、肉体スペックに元から差があるので、それほどまで悔しく感じることはない。それでも負けていることに何も感じないわけではないが。

 それより、少々気になることがアイツの動きだ。

 どうも動作の一つ一つに余裕があり過ぎるように見える。一流の運動選手(アスリート)でもない(しろうと)の目など、何の当てにもならないが、そう見えるのだ。

 やっかみによって目が曇っているとは考えたくないが……どちらにせよ、文武が優れているのは間違いない。そこは認めよう、現実から目を背けても何の解決にもならない。

 勉強も出来て、運動も出来る。大変素晴らしい、しかし人格に問題はないだろうか。どれだけ優秀な成績を修めようと、人間としての品位を養っていなければ、それは真に優れた者とは言えないだろう。

 

 人格:温和で理知的、思慮深く情に厚い

 

 その性格の良さはクラスは勿論、教師陣にも知られており、喧嘩の仲裁に駆り出されるのは割と日常茶飯事であり、男女の橋渡しや他クラスとの交渉などその働きは多岐に渡る。

 

「我ながらべた褒めじゃない」

 

 アリサはがくりと頭を垂れる。まるで理想の男子を妄想しました、と言ったら容易に信じられるプロフィールの数々に少女の頭に鈍痛が走る。

 文武両道、品行方正。これだけでモテない理由(わけ)がない。しかし、人はどれだけ内面が優れていようと外見でまず人となりを判断するものだ。

 そして、アリサにとって非常に残念なことに飛鳥の容姿はなのはに類似していた。つまりは――

 

 容姿:女顔の美少年(認めたくないが……)

 

 そう、親友のなのはは大変可愛らしい少女だ。そんななのはに瓜二つの顔立ちをしているという、後は語るまでもないだろう。

 

 高町飛鳥は、絵に描いたかのような完璧な優等生であった。

 

 恐らく、出会いさえ違えば、今とはまた違った関係を築き、違った感情を抱いたことだろう。しかし、いくら想像したところで現実が替わるわけではない。

 今、アリサ・バニングスが抱く想い、それこそが全てだ。

 

「――――それではこの問題を……飛鳥君」

「はい」

 

 教師の指名を受け、アイツが立ち上がる。なのはと同じクラスに在籍するため、二人だけは名前で呼ばれるのだ。

 黒板に向かって歩く後姿を眺めながら、周囲の情報も同時に取り込む。女子の何人かは明らかに目の色が違っていることに否応なく気付かされ、再度溜息が零れる。

 溜息を零す度に幸福が逃げるというが、果たして私は今日何度逃したのだろうか、考えたくもない。

 スラスラと流暢な字で黒板に答えを書く飛鳥(アイツ)の背中をぼんやりと見つめながら、今後の対応をどうするか、頭を悩ます。

 アリサ・バニングスの割と良く見かけるワンシーンだ。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「――――それでは、今日はここまでにしましょうか」

 

 その言葉と共に日直が号令をかかる。クラス一同、教師に頭を垂れ、礼をする。その後に待つのは、皆の大好きな昼食だ。皆、弁当を手に各々好きな場所で食事を取る。

 この時、クラスには大小様々なグループが形成されており、大抵食事を取るメンバーは決まってくる。アリサの場合も例に漏れず、今日もまたすずかとなのはと一緒だ。

 だが、何事も例外というものが存在する。

 

「おい飛鳥、こっちで一緒に食べようぜ」

「ちょっと待てよ、この前もそっちで食べたじゃないか。抜け駆けすんなよ」

「おいおい、こっちは休み前から言ってたんだぜ? 悪いが今日は譲れねぇな」

 

 教室の一角で少年たちの何やら姦しいやら喧しい舌戦に、額に手を当て天井を仰ぐ飛鳥の姿が否応なく注目される。

 

「貴女の弟は相変わらずおモテのようね、なのは」

「あはは」

 

 なのはの乾いた笑い声にアリサも流石に同情する。両手に花ならまだしも、男子では見栄えは決して良いとは言えないだろう。

 高町飛鳥はその立場故か生来の性格故か、何処の勢力(グループ)に属そうともしない。孤高を気取る一匹狼、というわけでもなく、御呼ばれのあるグループからグループへと梯子している、所謂はぐれだ。

 蝙蝠のようにも見えるが、むしろ実情は逆であり、皆が飛鳥(アイツ)を取り合っているのだ。万一彼が一つの勢力に加わろうものなら、周囲からブーイングの大合唱が起こるのは火を見るより明らかだ。

 今日もまた調停役(バランサー)として職務を全うしていて何よりだが、こうも高頻度で言い争うのは如何なものか。

 

 もう少し、上手くあやしなさいよね。

 

 心中で無責任な言を吐くと、良い天気だから屋上でもとアリサは脳内で練っていた計画(プラン)を実行しようとするのだが――

 

「どうしたの、すずか」

「う、ううん。何かなアリサちゃん」

 

 笑みを浮かべるすずかだが、声をかける瞬間までその視線が一人の少年を見つめていたことを、横目で目聡く捉えていたアリサは親友の手元に包まれた弁当を一瞬見つめる。

 形状がいつもより若干大きく、親友(すずか)の僅かな動揺、トドメに指に巻かれた可愛らしい子猫がプリントされた絆創膏、送迎のバスでは終ぞはぐらかされたそれの意味を少女は知った。

 

 さて、どうするか。

 

「だから今日は俺たちんところだって。昨日のサッカーはお前らのチームに飛鳥を貸してやったんだからいいだろ?」

「聞き捨てならねぇな。一昨日のバスケはそっちのチームだったじゃないか、そんな話を持ち出すならウチのほうが優先権を持ってると思うが」

「なら、間を取ってウチで飯を食うということで」

「「おいおい」」

 

 (ガキ)共の声に熱が徐々に篭っている、このまま放っておけばいつか臨界点を突破するだろうが、その点は全く心配していない。なんやかんやで飛鳥(アイツ)が上手く執り成すことのは明白だ。それぐらいの器量は持ち合わせている。別に信頼しているわけでもなく、ただ事実を述べただけだ。

 むしろ、問題はこちら側だ。今、口を挟めば火に油を注ぐようなもの、火中の栗を拾う度胸はあれど、その後の対応を考えると気が重くなる。

 しかし、すずかの意を汲むと願いを叶えてやりたいと思うのが人情というものだ。

 アリサはメリットとデメリット、両者を天秤にかけ、シミュレーションを脳内で高速で何十通りと演算する。

 

「ねぇなのは、アンタ食事は何処で取りたい?」

「う~ん」

 

 相変わらず天真爛漫な親友(なのは)のその姿に自然と顔が綻ぶ。

 

「やっぱりお天気も良いし、外で食べたいかな」

All right(なら決まりね)

 

 その言葉が契機となる。軽く息を吐くと、アリサは小さく両手の拳を固め気合を入れる。

 

「良し、やるわよアリサ・バニングス」

「あ、あのアリサちゃん、一体何を?」

「まぁ黙って見てなさい、すずかの悪いようにはしないから」

 

 妙な気合を入れるアリサに何かを察したすずかは慌てて制止の手を伸ばすが、虚しく空を切る。

 金色(こんじき)の髪を掻き上げ優雅に歩むその姿は、まるで戦場に向かう戦乙女(ヴァルキューレ)のように美しく、力強い。

 

「アリサちゃん、なんか恰好良い……」

 

 その後ろ姿に思わず見惚れる親友らを背に、アリサは教室を闊歩する。眼前には未だ低レベルの言い争いをする男たちの姿がある。

 ただの女子では思わず気後れしそうな渦中に、少女は悠然と踏み込んだ。

 

「ちょっとアンタたち」

「げっ、バニングス」

 

 思わぬ人物の登場に、言い争っていた男たちは思わず身を引く。

 少年たちと少女の間に隔絶した身長の差異はなく、その目線は殆ど変らない。故に、彼らの目に少女がやけに大きく見えるのは、彼女が宿す瞳の力によるものかもしれない。

 持って生まれた威光を携えた者特有の圧力に、少年たちは容易く呑まれる。

 アリサは好奇と嫉妬に満ちた視線を黙って受ける。

 

「な、何だよ。今大事な話し合いをしてんだ。見て分からねぇのかよ」

 

 尻込むことを恥じた少年の一人は、羞恥の感情を掻き消すように腹から声を出して威嚇する。しかし、そのような態度こそ、アリサからしたらお笑い種もいいところだ。

 少女は態度を欠片も崩さず、気品を纏いながら舌という名の武器を取ると、躊躇することなく振り下ろす。

 

「お生憎様、いつまでも結論の出せない無意味な会話を『話し合い』というのなら、それを止めに来たの。周りを見なさい、皆迷惑しているのよ」

「何だと!?」

「バニングス、てめぇ……」

 

 アリサの言葉に、男たちの瞳に明確な敵意が浮かび上がる。いくら子供でも既に一端の自尊心(プライド)を持っている。それを傷つけられて黙っている筈はない。

 むしろ、大人と違い自制心が未だ形成しきれていない未熟な精神は容易に攻勢へと転じてしまう。

 一触即発の事態に、教室内の空気が緊張で張り詰める。

 反射的に、アリサの最も近くにいた少年の手が伸び、彼女の制服に触れようとした瞬間、突如現れた壁がそれを阻んだ。

 

 遅いのよ。

 

 態度はあくまで優雅に、内心で心臓を激しく脈動させるアリサは少年(ガキ)の手から庇ってくれた盾に心中で愚痴る。

 

「もう少し言い方というものがあるんじゃないかな、アリサ嬢」

「御免なさい、日本語って難しいわね」

 

 白々しいその台詞に、周囲を囲む少年たちの顔から険が取れないが、先程のように手が出る、という雰囲気ではない。

 一人の少年が少女と対峙するだけで、二人の間に何者も干渉できない不可侵領域が形成されていた。

 クラスの男子の統率者(リーダー)が飛鳥ならば、女子の代表はこのアリサを置いて他にはいない。

 

「それで、要件は何かな?」

 

 飛鳥の視線を間近に受け、胸の内で再度衝動染みた感情が湧き上がるが、理性でそれを捻じ伏せる。今は自身の感情より優先するべきことがある。

 それを成すために、わざわざ足を運んだのだ。

 

「まさか、忘れたとは言わせないわよ」

 

 合わせなさいよ。

 

「勿論覚えているよ、今日はアリサ嬢たちと一緒だって」

 

 アリサの視線に込められた言葉に、飛鳥は間髪入れず応える。

 飛鳥の言葉に一瞬、室内が揺れた。それは勿論錯覚の筈、だ。しかし、場を動かす威力を持っていたのは確かだったようだ。

 

「おいおい、本気(マジ)かよ」

「済まない、言おうとは思ったんだが」

「アンタたちが勝手に盛り上がってたから言うタイミングを逃したんでしょ」

 

 バツが悪そうに顔を顰める飛鳥に、アリサがさり気なく援護(サポート)する。

 

「くっそ~、今日こそと思ったのによ~」

「悪い。この埋め合わせは今度するから」

「じゃあ、今日の放課後だけど」

「それは帰ってきたら教えてくれるか、勿論どのメンバーとでも付き合うからさ」

 

 その言葉にグループのリーダー格たちは仕方ないと未練を何とか断ち切る。

 

「了解、じゃあさっさと行っちまえ!」

「この男の敵め!」

「あぁ、済まないが失礼するよ」

 

 少年たちの野次を背に、飛鳥はアリサを伴って歩き出す。周囲を見守っていた観衆もエンドロールを見る気はないようで、各々話を咲かせ始める。

 

「…………助かった」

「別に、アンタのためじゃないわよ」

 

 ポツリと呟かれた飛鳥の感謝の言葉を、アリサは拒絶する。

 そう、本当に飛鳥(コイツ)のためにしたわけではない。あくまで、すずかのためだ。

 しかし、今回もまた大立ち回りをしてしまった。これで、最近ようやく沈静しつつあった火種に火をくべてしまった。

 

「またバニングスさんのところでだってさ」

「いいわよね~高町さんがいるから誘いたい放題じゃない」

 

 アリサは心中で深く重い息を吐く。そう、男子以上に女子の妬みは始末に負えない。彼らのように単純に、容易く表面化しないため、表向きはあくまで穏やかだ。されど、その裏でどのような怨嗟を吐いていることやら、想像するだけで気が滅入る。

 

 また、一からやり直しね。

 

 事後処理に追われるのは上に立つ者の責務だ。そう思わないと、正直やってられない。神経質(ナーバス)に陥りそうになる精神を持ち前の根性で無理やり持ち直す。

 折角悪役を演じてまでもぎ取った景品だ、有効活用しなければ損というものだ。

 空は青く、風も穏やかだ。春の日差しの上で食べるランチはまた格別に美味しい筈だ。

 

 アリサ・バニングスは歩き出す、高町飛鳥(トラブルメイカー)と共に。

 

「この貸しは高いわよ、覚悟なさい」

「お手柔らかに」


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