高町飛鳥は夢をみる   作:御神の犬士

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第三話 あなたの心なんて丸裸も同然よ

「花も恥らう乙女に向かって悪魔って……アンタ、どういう神経しているわけ?」

 

 元来、ぱっちりとしていた筈の親友の目は完全に据わっており、その唇から飛び出すのは明らかな侮蔑の言葉。その中に挑発の意図が含まれているのは明白だ。

 同い年の、しかも異性からの先の言葉。普通なら簡単に釣れるだろうその針に、(えもの)は釣られない。

 

「こういう神経をしているよ」

「コ、コイツ……」

「アリサちゃん、お、落ち着いて」

 

 アリサの辛辣な視線など柳に風、洗練された動きで彼はおかずを口の中へと運んでいる。その姿に思わず頬が緩む。

 いつもと変わらぬ日常に心が安らいでいるのは勿論ある。されど今胸の中で生れる僅かな痛みすら感じるこの幸福感は、それ以外の要因が加味されていることを少女は確かに自覚していた。

 吹き抜ける東風(こち)が心地良く、靡く髪を軽く押さえながら少女は改めて自身を囲む親友たちの顔を見つめる。

 

「何言ってるのなのは、言われた本人がそれじゃいつまで経ってもコイツに舐められたままよ。それでもいいの!?」

 

 目くじらを立て、一人でヒートアップしているのはアリサ・バニングス。少女の親友の一人だ。

 異国の血を引く彼女の容姿は一際人の目を惹く。髪染めではない、純粋な血によって発現する黄金の髪は彼女の快活な精神を良く現していた。

 今は怒りに曇る彼女の瞳だが、その藍緑色(アクアマリン)の輝きは勇敢の石言葉を持つ。名は体を現すと言うが、彼女は正にその体現者と言える。

 アリサとの出会いは少女にとって最悪と言えるものだった、だが今の時間を加味すれば帳消しに出来るどころかお釣りが来る。

 それほどまでに、少女にとってアリサとの出会いが世界(すべて)を変えていった。

 

「だ、だって飛鳥が私をからかうのは日常茶飯事だし……」

 

 そして、最悪の出会いを最高の出会いに変えてくれた少女のもう一人の親友、高町なのは。

 天真爛漫に服を着せたらなのはだ、とはある少年の言葉だが言いえて妙だ。穏やかで優しく、そして何より正義に篤い女の子。

 なのはにその善性がなければ、アリサとの関係は今とは真逆のものとなっていた。これは少女の想像ではなく確信だ。

 今こそアリサの剣幕にたじたじのなのはだが、あの時はとにかく凄かった。その心の強さに、憧れさえ抱いた。その想いは未だ胸の中で確かに息衝いている。

 

 親友と、胸を張って言える確かな友を得られる生を謳歌できるとは夢にも思わなかった。そして、それがどれだけ幸福なことか、少女は知らなかった。

 孤独(あのころ)の私はもういない。この温もりを知ってしまえば、もう戻れない。

 昔を思い出し、少女は体を一瞬震わせる。過去の残滓ですら、この寒さだ。もし目の前の親友達が己から離れれば、心が凍て付いてしまうかもしれない。

 その可能性を有り得ないと、少女は断言できない、出来る筈がない。

 少女には親友にすら打ち明けられないある秘密を抱えていた。それを知られることは少女にとって恐怖以外の何物でもない。

 何故ならば、それを知られることはこの日常の終焉に他ならない。そう少女は信じて疑わない。それほどまで思いつめてしまうほど、少女が抱える秘密は大きく、重い。

 だからそれをひた隠し、少女は笑う。親友を欺く痛み()を抱えて。

 彼女たちと離れないために、放さないために。

 そして、それは彼女達だけではない。

 

「なのは、それは違う。からかっているんじゃない、可愛がっているんだ」

「にゃ、や、やめてよ~」

 

 無造作に撫でられなのはの頭がゆらゆらと揺れる。嫌がった素振りを見せているが、その顔に浮かぶ表情は言葉を裏切っていた。

 恥じらうなのはの隣に座り、彼女へ温かな眼差しを向ける少年に、少女の鼓動が小さく跳ねる。

 少年、そう言葉にすることを躊躇ってしまう程、その容姿は少女が認識している(いせい)とかけ離れている。

 未だ第二次性徴期を迎えていないとはいえ、男女の骨格の差異が徐々に顕になっている。少女の記憶が正しければ、もう少し男の子の体はがっしりとしていた筈だ。

 けれど、正面に座る少年は違う。着ている制服は確かに男子用のものだが、線は女の子のように細く、服の間から覗く四肢は男子とは思えないほど白くしなやかであり、顔の輪郭も理想的な曲線を描いており、一目で男とは到底見抜けない。何せ、親友(なのは)と瓜二つの顔立ちだ。

 男装した女の子、それが少年を表すに相応しい。

 だがその内面、性格はその女性的な外見とは相反しており、確かにその心は男であると理解する。

 それを補強するかのように、少年の手にはその容姿に似つかわさぬ弁当箱が鎮座している。その大きさはなのはのおよそ二倍、自分たちの弁当箱の二回りは大きいだろうそれを、いとも容易く完食してしまう少年の胃袋の大きさに、やはり男の子だと意識させられる。

 とくん、と心臓が少女の体を小突く。少女は反射的に視線を膝の上へと向ける。

 彼は敏い。さり気なく見つめていたつもりだが、気付けば彼の穏やかな瞳が己を映していた。まるで自分の全てを見透かされるようで、僅かな恐怖すら覚える。 

 しかし、その感情は更なる大きな感情に塗り潰される。その感情の名を少女は知ろうとはしない、知れば必ず傷つくと、彼女の本能が理解していた。

 それでも少女は、欲していた。

 

「そうやって誤魔化すのはよくないと思うな」

「すずかさん……」

「そういう人にはもうおかず分けてあげないよ?」

「私が悪う御座いました」

 

 この一時(ひととき)が、永遠であればいいのに。

 

 

 

 

 高町飛鳥は夢をみる 第三話 ~あなたの心なんて丸裸も同然よ~

 

 

 

 

「また、この(とき)が来てしまった……」

 

 乾いた大地はまるで現代の人の心のように荒んでおり、春風に吹かれ砂が無情に舞う。少女はこの世の無情に嘆き、その表情には愁いが満ちる。

 

「たかだか体育の授業で大げさよ、なのは」

「私にとっては深刻な事態なの!」

 

 先程の空気は何処へ吹いたのか、頬を膨らませ抗議するなのはとそれを生暖かい目で見守るアリサ、これも毎度恒例の光景だ。

 

「体を動かすのは気持ちいいことだと思うけどな」

「それは運動が出来る人限定です」

 

 なのはの僻みの混じった視線にすずかは苦笑を浮かべる。彼女の運動能力は知っている。基礎体力は当然のことながら女子の平均を下回っており、敏捷性や反射神経など思わず目を覆いたくなる性能を誇る。

 はっきり言って、高町なのはという少女は典型的な運動オンチである。

 

「何事も訓練よ、なのは。確か今日はドッジボールだったかしら」

Really(ほんとに)?」

「あらなのは、なかなか良い発音じゃない」

 

 アリサの褒め言葉などまるで聞いておらず、なのははまるでとあるノルウェー画家が描いた油彩絵画の人物のような表情を浮かべる。絶望に文字通り座り込む親友(なのは)の情けない姿に、思わずアリサに視線を寄越すと、酷く冷めた表情で首を左右へと振る。

 

「なのはちゃん、頑張って逃げようね」

 

 当てようね、とは口が裂けても言えない。なのはの身体能力ではまともなパスを投げられるかすら怪しい力量(ライン)にある。

 それならば、下手に攻撃に出ず大人しく逃げ回っていた方が自他共に良いだろう。

 

「すずかちゃん、敵になったら優しくしてね」

「何始まる前から情けないこと言ってるのよ」

「だ、だって~」

 

 アリサの叱責になのはは何とか言い訳を絞り出そうとしているが、残念ながら頭の回転はアリサの方が一枚上手だ。このまま放置していれば、試合が始まる前からなのはが撃沈するのは目に見えている。

 助け舟を出すのはもうすずかの習性と化していた。

 

「ほら、いざとなったら最初から外野にいればいいじゃない。それなら当たる心配はないでしょ?」

「私、頑張って外野やる!」

「何と現金な()

 

 反転、後ろ向きに全力で取り組む姿勢を見せるなのはにアリサは思わず顔を手で覆う。何とかやる気を出したので良しとすべきだろう。

 すずかはそう、自分を納得させた。彼女にだってやれることには限度があるのだ。

 だが、そんな彼女の努力を嘲笑うように、アリサは小悪魔の笑みを浮かべる。

 

「でもすんなりなのはにやらせて貰えるかしら」

「アリサちゃん……」

 

 分かっている筈の親友に無言の抗議を主張してみるが、どうやら取り合う気はないらしい。意気込んでいるなのはの肩に手を置くと、もう片方の手である人物を指差す。

 すずかも釣られ、視線を向けるとそこにはクラスのリーダー格の男子たちが何やら話し合っていた。そして、その中に飛鳥もいた。

 

「ドッジボールの基本は外野と内野の素早いパスワークによる敵の攪乱、そして統率の崩れた一角から各個撃破、この流れに尽きるわ。そして基本的にチームを仕切るのは男子、後は言わなくても分かるわね、なのは」

「うぅ……」

 

 確かに学級(クラス)を統率するのは女であるアリサにも出来る。けれど、こと体育に関しては勝手が違う。優れた運動資質が集団(チーム)を仕切る最低限の要素だが、アリサも運動が決して出来ない部類ではないが、男子相手には分が悪い。

 これが男女別のチームなら何の問題もないのだが、残念ながら体育の授業は男女混合で行われている。そうなると主導権は必然的に男子へと渡ってしまう。そのため、姉御肌のアリサがこうして静かに話の推移を渋々待つという構図が出来上がる。

 だが、何事にも例外というものが存在する。

 

「まぁ、すずかが一言進言すればなのはが外野に行ける可能性は上がるわね」

 

 1%くらいわね、というアリサの幻聴をすずかは確かに聞いた。なのはの藁にも縋りそうに表情にすずかは途方に暮れる。自身にそんな発言力があるとは思えないが、体育において通常と立場が異なることには少女も気付いていた。

 

「なのはちゃん、そんな目で見ても駄目だよ」

「そ、そこを何とか……」

 

 なのはに縋り付かれ途方に暮れるすずかだったが、突如彼女の体が身構える。肉体の突然の反射反応に少女の理性が、その志向性をその原因へと向ける。するとその先にはお荷物(なのは)の弟が、あろうことかこちらに向かって歩いているではないか。

 気付けばすずかは臨戦態勢を整える。それは即ち、静かに、御淑やかに、何処に出しても恥ずかしくない一人前の淑女(レディー)へと。

 月村すずかは猫を被る。

 

「どうかしたの、飛鳥君?」

「いや、うちの愚姉が迷惑をかけているようなので。本当に毎度毎度申し訳ない」

「そ、そんなことないよ」

 

 深々と頭を下げる飛鳥に面喰い、意味もなく手を振って彼の言葉を否定する。

 

「どうかこんな姉ですが、見捨てないでやって下さい。お願いします」

「誰がこんな姉だ~」

 

 飛鳥の言葉に即座に反論するなのはだが、その姿に姉の威厳など微塵もない。自分と(あね)との関係とはまるで違う、けれど同種の温かさを感じる。

 その熱がすずかの心を満たす。

 

「そう言われたくなければさっさとすずかさんから退かないか、みっともない」

「こればかりはコイツに同意するわ」

「うぅ~すずかちゃん、皆が私を苛めるよ~」

 

 飛鳥の言葉に追随したアリサの呆れた視線に、なのはは更にすずかに身を寄せる。その姿はまるで家で飼っている猫のようだ。

 反射的に喉元を撫でようとする己の手を慌てて止めると、不自然のないようそのままなのはの頭に手を乗せる。

 

「大丈夫だよなのはちゃん、私が守ってあげるから」

「すずかちゃん!」

 

 歓喜極まるとは正にこのことか、と言わんばかりの満面の笑みを浮かべ抱きつくなのはに、飛鳥もアリサも、もはや何も語ることはなかった。

 

「でも敵になった時は別だから」

「そんな~」

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 一人削り、一人削られ、ボールがコートを行き交う度に双方の内野の人口密度は薄くなり、その分布もまた点在したものとなる。

 飛び交うのは何もボールだけではない、喜怒哀楽の声が校庭に高らかに響き渡る。

 

「喰らえー!」

 

 助走をつけて放たれたボールの速度は女子では到底出せない程早い。女子はおろか並の男子ですら迫るそのボールの威圧感に思わず目を瞑ってしまうかもしれない、そう思わせるほどの速球をすずかはいとも容易く捕球してみせる。

 

「流石、月村さん!」

「いけいけ~!」

「あと少しよ!」

 

 チームメイトから歓声が湧き上がる。すずかにとって何でもない動作も、彼女らの視点ではそれ全てが一流選手(トッププレイヤー)の妙技に見えるらしい。

 

「はは、ありがとうすずかちゃん」

「約束したからね」

 

 すずかの背に隠れる少女、なのはの礼の言葉に少女は小さな微笑を浮かべる。

 試合開始直後はいつもの乱闘ならぬ乱投戦に突入する。人が密集しているため、かえって動きが抑制されるために取り零したボールが他のプレイヤーに触れる、所謂ダブルアウトがかなりの割合で発生し、双方順調に内野の人数を削っていく。

 すずかはこの時間帯は敢えて足を止める。即ち回避運動を最初から捨て、捕球に意識を集中することにより、イレギュラーのバウンドにすら対応してみせる。

 すずかは線こそ細いものの、その精神は決して細くはない。

 運動オンチで知られるなのはをすずかは先の約束通り庇い続けた。彼女がいなければなのはなど速攻で落とされていたことだろう。どうやら、なのはの当初の望みは叶わなかったらしい。

 程良い空間が確保できるようになってからは、双方の有力な生徒達の投手戦となる。互いが互いの隙を窺いチャンスと見るや、すかさず投げ放つ。

 既に内野に残っているのはすずかとなのはを除けば僅か三人、いずれも運動神経に優れた男子だ。対する相手チームの残りは僅か男子二名。一人を倒せばチェックが入る。しかも、ボールはすずかの手の中にある。

 圧倒的優勢、既に勝利までの道程がはっきりと見えていた。けれど、すずかは慢心しない。

 精神は高揚せず、むしろ何処までも静かに張り詰める。まるで矢を(つが)える射手のように。

 刹那、空気が震えた。

 強弓より放たれた一陣の風は一瞬にして相手を射抜く。

 一瞬の静寂、そして更なる歓声と激励の言葉が四方から湧き上がる。

 

「「あと一人! あと一人!」」

 

 ――――違う。

 

 すずかは独り、その言葉を否定する。確かに、眼前の内野に佇むのはただ一人だけだ。けれど、まだ一人ではないのだ。

 

「タイム!」

 

 背後から聞き覚えのある少女の声が上がる。振り返ればそこには不敵な笑みを浮かべた親友(アリサ)の姿があった。

 敢え無く別々のチームとなってしまったアリサは、試合当初は乱投戦に参戦し何人か当てたのだが、外野から放たれたボールに、周囲の生徒によって回避運動が制限されヒット、外野へと回された。その後一度、敵を撃ち落して内野に舞い戻ったのだが、すぐさま狙い撃たれ外野へとんぼ返りするハメになり、先程までご立腹な態度で試合を見守っていた。

 その親友が動いたのだ、不敵な笑みを携えて。

 

「先生、『復帰(バック)』を宣言します。いいですよね?」

 

 復帰(バック)、即ちゲーム開始から場外にいる者が、内野の一人がボールを当てられた場合に一度だけ交代で内野へ入れるという公式規則(ルール)が存在する。

 この試合も特別なルール変更は存在せず、つまりは規定のルールは勿論適用される。

 

「許可します。それではバニングスさん、内野へ」

 

 審判を務める教師の誘導の言葉に、されどアリサは首を横へと振る。

 

「御免なさい。先生、復帰するのは私じゃないんです」

「それは構いませんが、では誰が……」

 

 その言葉にアリサの視線が、いや彼女だけではない。気付けば、極自然に全ての生徒の視線が一ある点に集束されていた。

 そして、その人物をすずかは良く知っていた。

 

「そういうわけだから、頑張んなさい」

 

 気軽に肩を叩かれたその生徒は周囲を見渡し、そして苦笑を浮かべる。再度、校庭に熱狂の渦が沸き上がる。

 

「分かりました。それでは飛鳥(あすか)さん、内野へ」

「分かりました」

 

 教師に促され、飛鳥は内野へと歩を進ませる。多くの観衆の視線に晒されながらあくまで変わらぬ彼の歩調は、それだけで確かな力強さを感じさせた。

 味方の期待を一身に背負い、高町飛鳥は最前線に踏み込む。

 

「そういや飛鳥、最初から外だったんだ」

「そうね」

 

 そう、なのはの弟、飛鳥は試合開始時から既に外野に回っていたのだ。しかも、試合中は相手を狙わず、パスに徹しておりその活躍は華々しいものではなく、むしろ地味な役回りを自分に課していた。

 だが、彼のパスは非常に巧い具合に戦列を分断し、各個撃破の局面を幾つも作り出していた。今回のチーム編成だと、明らかすずかたちに分があった。しかし、蓋を開ければほぼ互角の勝負を繰り広げていた。その要因を知る者は少ない。

 そして、すずかはその数少ない少数派の一人であった。

 

「頼もしい援軍のご到着だ」

「あんまりプレッシャーをかけるなよ」

 

 コツンと、拳を合わせる飛鳥たちのやり取りに一部の女子生徒から熱い声援が上がる。すずかは手強い強敵の戦線復帰に身構えながら、その口元には本人も気付かぬうちに緩やかな弧が描かれていた。

 

「あの、すずかちゃん?」

「何、なのはちゃん」

「な、なんでもないです」

 

 急に押し黙るなのはに疑問を抱くが、それも眼前に立ちはだかる好敵手を前に霧散する。すずかの腰が自然に落ち、重心が据わる。その姿はさながら獲物を前にした黒豹(パンサー)のようだ。その彼女らしからぬ獰猛な眼光に、飛鳥の隣に立つ少年は思わず一歩後ずさる。

 しかし、飛鳥(あすか)の瞳に畏怖の色はまるでない。それが分かるから、その恐怖を誰より知るからこそ、それを恐れぬ少年にすずかは惹かれる。

 少年からボールを受け取った飛鳥は僅かな助走の後、腕を振り上げる。

 その投球姿勢(スローポジション)から腕が鞭のようにしなり、更に手首を返し指先からボールが離れる。その一連の芸術のような投球によって放たれたボールが奏でる球音は空気を巻き込み、激しく音を掻き立てる。

 すずかが投げる相手を撃ち落とす剛速球とは対極の、捕球崩し(ファンブル)を狙った絡み球が飛鳥より放たれる。

 そのボールを待ち受けるのは一人の少女だ。

 両手でボールを包んだ瞬間、掌から伝わる衝撃に意識するより先に体が反応する。このままでは取り零すと、懐に抱き包み込む。

 まるで家に来たばかりの捨て猫たちを思い出しながら、すずかは暴れ狂うボールを受け止める。

 

「ふふっ、なかなか強情だったかな」

 

 胸の中で大人しくなった球を掲げ、可愛らしく微笑むすずかの姿に生徒たちの熱気(ボルテージ)が際限なく上昇させられる。

 

「なのはちゃん、御免ちょっとだけ離れてくれる?」

「う、うん」

 

 なのはがここで初めてすずかから離れる。それは即ち、すずかが本気を出すということだ。彼女の身体能力は女子の平均レベルを容易く超え、同じ男子たちですら悠々と超える。

 つまり、月村すずかは学年でトップクラスの身体能力を有していることを意味する。

 その本気がどれほどのものか。クラスの視線がすずかに集束するのは当然の帰結といえる。

 

 普段なら間違いなく気になる筈の視線も、今はまるで気にならない。ただ、眼前の少年に自分のチカラを揮えることに気分が否応なく高揚する。

 駆け出すと彼の輪郭が相対的に大きく、確かなものへと変わっていく。ただ、それだけで頬が熱くなるのか少女にはまだ分からない。けれどその心は何処までも軽やかだ。

 自陣と敵陣を分かつ境界線ギリギリまで近づくとすずかは大地を強く踏み締め、上体を逸らす。その姿はまるで限界まで弓引かれた矢を髣髴させる。

 

 止めなさい、と理性が警鐘を鳴らす。しかしその声は余りに小さく、血の衝動に酔うすずかの耳には届かない。

 

「いくよ!」

 

 すずかは腕を振り下ろす。そこに技術は存在せず、どこまでも直情的な投球であった。だが、だからこそそのボールの速度は凄まじいの一言に尽きる。

 小細工など一切ない、する必要性すら感じられない純粋な威力勝負(パワーファイト)

 子供一人、容易く吹き飛ばす威力を秘めているのは一目見て誰もが理解できるだろう。

 それを、飛鳥は黙って受け止める。

 彼と球が接触した瞬間、何処までも鈍く重い音が校庭に響き渡る。その衝撃音に思わず誰もが目を瞑ってしまう。その一瞬、結果が暗闇に閉ざされる。

 アウトか、それともセーフか。

 慌てて目を見開きその結末に目を凝らすと、そこには――

 

「ちょっと情熱的過ぎませんか、すずかさん」

 

 何処までも普段と変わらぬ飛鳥(あすか)の姿がそこにはあった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「それで結局どうなったのかしら?」

「え~とね、負けちゃったんだけど」

「へぇ~すずかがね~って、()()()?」

 

 目を瞬かす姉にすずかはその時の情景を思い返しながら、言葉を繋げる。

 

「うん、あの後飛鳥君と一騎打ちというか、交互に投げ合ってたんだけど最後は私がボールを落としちゃってアウトになったんだけど、そこで鐘が鳴っちゃって試合終了。人数は私たちのチームが内野に三人残ってて、飛鳥君のチームは二人だったから、試合は私たちの勝ちで終わったんだ」

「ふ~ん、何か釈然としない結末ね」

 

 当事者でもないのに不満そうに眉を顰める忍の姿が親友(アリサ)の姿とそっくりで、すずかは小さな笑い声を上げる。

 

「勝負に負けて試合に勝った、ということですね」

 

 物音一つ立てず、まるで初めから居たかのようにメイド服に身を包んだ妙齢の女性が食卓にトレーを置く。

 

「みたいね、お茶ありがとうノエル」

「いえ、すずか様もどうぞ」

「ありがとう」

 

 メイド長(ノエル)から手渡された陶磁器から漂う甘美な香りにすずかの表情が緩む。

 

「それにしても嬉しそうね、すずか」

「……そうかな?」

「そうよ、何なら鏡を持ってきてもらおうかしら」

「いいよ、そんなことしなくて」

 

 姉の明らかなからかい顔にすずかは顔を背ける。なのはの苦労話はすずかにとっても他人事ではないのだ。この気苦労は一人っ子のアリサには分からないだろう。

 しかしどうにも、先程から姉の視線が気にかかる。何というか、待ちに待った玩具を手にした子供のようというか、ねこじゃらしを前にした猫のようというか。

 弄りたくてしょうがない、と顔にでかでかと書かれている。どうやら早めに部屋に撤退したほうが良さそうだ。

 この時、すずかは判断を誤った。早めと言わず即座に戻るべきだった。しかし、時は無情にIf(かのうせい)を押し流す。

 

「やっぱりあれかしら、その()()()のせい、だったり?」

「お、お姉ちゃん!?」

「やっぱりね~」

 

 うんうんと一人納得顔の(あね)をすずかは凝視する。その頬は羞恥の色に鮮やかに染まっていた。

 

「何故分かったのかって顔してるわよ、すずか。甘い甘い、恭也とイチャイチャすること早……何年? まぁそんな細かいことは今はいいの。兎に角、この今の私の恋愛力を持ってすればあなたの心なんて丸裸も同然よ!」

「お嬢様、言い方が少々卑猥です」

 

 親指を立て何故か勝ち誇る姉の姿に、すずかの頭に鈍痛が走る。

 

「ノエル、ツッコミは後にして頂戴。今は愛しい(すずか)助言(カウンセラー)が先よ」

「……少しは自重するようにお願いします」

「まっかせなさい!」

 

 その口から放たれた言葉とは裏腹に忍の顔には、それはもう素敵な笑みが張り付いていた。

 

「さてすずか、その左手の薬指に巻かれる絆創膏はどうしたのかしら。確か、今朝貼ってあったのは仔猫が印刷(プリント)されていたわよね。今つけているのは、おやおや~何もないわね、これはどうしたのかしら?」

「そ、それはあの試合の時に絆創膏が切れちゃって、ボールを受けてたら昨日の切り傷が開いちゃって、それに気付いた飛鳥君が替わりにこの絆創膏を……ってお姉ちゃん、その顔止めて!」

「えぇ~どんな顔かな~忍ちゃんわっかんな~い」

 

 姉のその態度に、その声に、少女の中で何かが切れる音がした。

 

「お姉ちゃん!」

「おっ久々の姉妹喧嘩ね、買ったわ!」

「失礼しますって何ですか、これ!?」

「ただのスキンシップです。ファリン、食器を片しますよ」

「は、はい」

 

 超人的な肉弾戦が繰り広げられる最中、二人のメイドは黙々と己の任務をこなす。

 その夜、月村邸から騒音が鳴り止むことは終ぞなかったという。

 

「お姉ちゃんの、馬鹿ぁぁーーーーっ!!」




リリカルマジカルどこいった?
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