高町飛鳥は夢をみる   作:御神の犬士

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第五話 Go to blazes

 眼前の思念体に限らず、周囲に意識を集中していた彼にとってもそれは想定外の声だった。

 声の主は懐に己を抱え、迫り来る理不尽な暴力を前に酷く怯えさせてしまった、自分の『声』に答えてくれた少女にとても良く似ていた。

 

 ――――双子、なのかな?

 

「あ、飛鳥?」

 

 栗色の髪を左右に髪紐で結った少女なのはは、想定外の来客の姿にまるで幻を見たかのように呆然としている。

 

「何を呆けている」

「い、いたたたたっ!?」

 

 突如、飛鳥と呼ばれる子は思考停止に陥っていた少女(なのは)の頬を無造作に掴み引っ張る。そこに遠慮などまるでなく、結構な痛みが発生しているのは彼の目にも明らかだった。

 痛覚という生命にとって必要不可欠なその感覚に叩き起こされた少女の瞳に涙が浮かぶのは人として当然の反応といえる。

 

「いきなり何をするわっ!?」

 

 言葉は最後まで続けられることはなかった。彼も突然の衝撃に声を発することが出来ない。視界が一瞬にして流転するが、ヤツへの警戒を解かなかった。

 だからこそ、理解する。

 つい寸刻まで自分たちがいた場所に思念体が駆け抜けたのだ。危機一髪だったことに気付かされ、冷や汗が一つ流れる。

 轟音と共に外壁が一瞬にして破壊される。相変わらず驚異的な突進力だ、人など軽く蹴散らせるだろう。それこそ、この少女など。

 

「何、何なの!?」

「落ち着けなのは、老けるぞ」

「何で!?」

 

 顔を上げれば、未だ自身の状況を把握できず目を瞬かせる少女の顔が見える。そして、ある変化に気が付く。あれほどまで恐怖に身を縮ませていた少女の瞳に明確な意思の光が灯っていた。

 その燈火にあれほどまで凍てついていた肉体も、ぎこちなくはあるが彼女の意思に反応し、二本の足でしっかりと大地を踏み締め、隣に立つなのはに良く似た顔立ちの()()、飛鳥に食って掛かっていた。

 

「そんなことはどうでもいい」

「良くないよ! 女の子にとって美容は命の次に大事なことだよ、たぶん!」

「わかったわかった、話は後にしてくれ」

 

 なのはの抗議を柳のように受け流していた少女(あすか)の視線が一瞬、自分へと注がれていることに気付く。

 

 ――――落ち着いている、本当に。

 

 顔立ちはなのはと瓜二つだが、その精神は恐ろしいほど隔離している。少女の瞳には動揺の欠片さえ見受けられず、ただ水面のように何処までも澄んでいた。

 彼女にとっても、今の現状が何処までも日常と乖離していることに何ら変わらないというのに。

 

「そこの貴方」

「は、はい!」

 

 自身の現在の形態ではまず考えられない飛鳥の丁寧な物腰に、思わず姿勢を正し答える。その反応に少女が小さく笑っていることに気付き、思わず頬を赤らめ身を縮ませる。

 

「済みませんが状況を説明してもらえますか? 正直、何も分かっていませんので」

「も、勿論です!」

 

 少女は小さく頷く。何処までも自然体なその立ち姿に思わず見惚れていたが、ふと気づく。

 いつの間にか、彼女のその手に一振りの刀が握られていることに。

 

 

 

 

 高町飛鳥は夢をみる 第五話 ~Go to blazes~

 

 

 

 

「僕はある捜し物をするために、信じられないかもしれませんが此処とは違う世界から来ました」

 

 自分で言っておきながら何だが、彼らにとって何と現実味のない言葉だろうか。未だ、次元への進出を果たしていない管理外世界にとって、この説明にどれだけの説得力があるというのか。

 しかし、他に言いようがない。誤魔化そうにも、協力を要請するには真実を話さなければ力の譲渡は不可能であり意味をなさない。正に八方塞の状況といえる。

 だが、存外彼女たちは拍子抜けするほどあっさり自分の言葉を信じた。

 

「違う世界? つまり、世界は複数存在すると」

「はい。僕らでの世界とは次元世界、即ち数多の次元が並列して存在する多元世界の総称を指します」

「へぇ~色々な世界があるんだ、じゃあ(ドラゴン)とか天馬(ペガサス)とかいるの?」

「え、えぇ両種とも次元世界でも希少種に入りますが確かに存在します」

「凄~い、一度見てみたいね飛鳥」

「分かったから、さっさと走れ!」

「は、はぃ!」

 

 飛鳥の檄に背を蹴飛ばされ、なのはは必死になって足で大地を漕ぐが、その顔には疲労の他に不満が色濃く表れていた。

 

「飛鳥こそ木刀なんか恰好良く持ってるんだから、早く何とかしてよ!」

「出来たらとっくにしてる、わ!」

 

 少女の裂帛の声と共に一陣の風が吹く。飛鳥の木刀と思念体が激突したのだ。本来なら木で作られただけの刀など一撃で簡単に折れる筈なのに、何合と打ち合っているが未だ彼女の手に握られる刀は原型を留めていた。

 彼には理解できていなかったが、飛鳥は思念体の突撃に対し、全身をクッションにひたすら木刀で衝撃を外へと逸らしていた。

 未だ致命傷を受けていないとはいえ、その衝撃力は計り知れない。例えるなら、常に大型車と正面衝突しているようなものだ。無事でいる時点で異常ともいえる奮闘ぶりだ。

 その証拠に飛鳥の吐息には熱が篭り、頬に一筋の汗が流れる。一見、それこそなのはたちから見れば余裕をもってあしらっているように見えるが、そうではない。

 常に薄氷の上で独り踊っているようなものだ。

 

「あれを倒すには物理的な力では駄目なんです」

「じゃあどうするの!?」

 

 なのはの悲鳴は最もだ。今現在頼れる戦力は飛鳥のみ、その彼ですら防戦一方でとても反撃できるとは思えない。そこに、剣では倒せないときた。確かに匙を投げたくもなるだろう。

 そんな状況下でも飛鳥は冷静であった。

 

「他に方法があるんですね」

「はい」

 

 頷き、二人を見据える。飛鳥となのは、この二人が()()にいる時点でその術がある。

 

「アレを倒すには資質がいるんです」

「資質?」

 

 世界を書き換える力が。

 

「そうです、魔法の資質が」

「まほう~?」

 

 魔法――神秘を宿す秘術、神の遺産、悪魔の置き土産、管理外の世界にも溢れる神話の秘法。しかし、次元世界には確かに存在する。

 だが、それは望めば何でも叶う願望術ではなく、確かに体系付けられた技法の名称だ。

 

 怪訝な表情を浮かべるなのはだが、管理外の世界の住人にとってそれは当たり前の反応であり、彼にとって落胆する要素とは成り得ない。

 考えてもみるがいい、見知らぬ人からいきなり「貴方は勇者です」などと告げられるようなものだ。まず相手の正気を疑うだろうし、自分だってまず信じないだろう。

 だからこそ、御伽噺のような荒唐無稽な話にまるで驚かず受け入れる飛鳥にこそ驚く。

 

「その資質が私たちにある、と」

「信じるんですか? 自分で言うのも何ですがこんな与太話を……」

 

 なのはの背後に控えながら、木刀を振るう彼女に思わず零してしまった言葉という名の不安。それを拭い去ってくれたのもまた、彼女だった。

 

「信じますよ。少なくとも、私が知っている常識ではフェレットは喋りませんから」

「そうだよね~私もびっくりしちゃったよ」

「は、はは……」

 

 自分の今の見た目で判断されたことに悲しめばいいのか喜べばいいのか判断に困っていると、突如飛鳥の足が止まる。

 

「飛鳥?」

「――先に行け」

 

 飛鳥(かのじょ)の声色が変わった。語調が落ち、声に感情が乗らずまるで人形が発したかのようだ。なのは(こちら)から背を向いており、少女の顔を窺うことは叶わないが、恐らく冷たい表情を浮かべているだろうことが容易に想像できる。

 

「で、でも!」

 

 一緒に逃げようと、伸ばした手をなのはは途中で止める。

 彼にも確かに理解できた、飛鳥から立ち昇る闘気というものを。魔法によるものではない、人の、意志の力が身体から迸っていた。

 その熱気にまるで空間が揺らいでいるようにすら見える。

 それに呼応するかのように、いやそれに対応するために飛鳥は足を止めたのだろう。

 先程まで思念体(アレ)は執拗になのはを、いや自分を狙っていた。その理由は分かっている。

 しかし、今は違う。明らかに標的を自分から飛鳥へと切り替えている。目の前を飛び回る小さな蠅に業を煮やしたのだろう。

 確かになのはと自分の安全を考えるなら、その選択は間違いではない。だが、それに生じる不利益(デメリット)は全て彼女が引き受けることになる。

 なのはが飛鳥の身を案じるのは当然と言えた。

 

 だが、飛鳥は一蹴した。

 

「いいから逃げるんだ!」

「ぅっ!?」

 

 振り返った飛鳥(かのじょ)のその表情に、声に、なのはは口を噤み目尻に滴を浮かべると、黙って踵を返し走り出す。

 その背に帰ってきたのは、彼女の声ではなく、思念体の咆哮と鈍い激突音であった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 あれからどれだけ走っただろうか。先の場所からかなりの距離を稼ぐと、少女の足はパタリと止まってしまう。

 

「どうしよう、どうしよう飛鳥が、飛鳥が!」

「落ち着いて!」

 

 ――いけない、軽い恐慌(パニック)症状を引き起こしてる。

 

 先程まで取り戻してつつあった平常心が揺らいでいる。見た目に寄らず頑強(タフ)な精神の持ち主だと感心していたが、どうやらそうではなかったようだ。

 なのはがすぐにその精神を立て直したのは飛鳥(かのじょ)の存在があったからこそ。恐らく余程信頼を寄せているのだろう。肉親への感情というのは特別なものだ。あの顔立ちから察するに双子の姉妹だろう。

 精神の拠り所を失った少女(なのは)の精神は酷く不安定な状態に陥ってしまった。

 

『落ち着いて!!』

 

 なのはの耳に声が届かないと判断した後は早かった。即座に脳へ『声』を大音量で叩きつける。

 効果は劇的だった。

 一瞬肩をビクつかせると、己の懐に抱く小動物へと視線を移す。瞳に焦点が合っていることが分かり、思わず安堵の息が零れる。

 

「落ち着いたかい?」

「う、うん……ごめんなさい」

「謝ることはないよ。むしろ謝るのは僕の方だ、ごめんなさい……僕のせいで君たちを巻き込んでしまった」

 

 そう、責める権利などある筈がない。目の前の惨状は自分が引き起こしたも同然なのだ。むしろ罵倒されて然るべきだ。

 

「そんなこと、今気にしている場合じゃないよ。早く飛鳥を助けないと!」

 

 しかし、彼女はそんなことに目もくれない。なのはの瞳に映るのは未だ見えぬ肉親の姿。立ち昇る煙が少女の不安を掻き立てる。

 

「さっき、言ってたよね。私たちには資質があるって」

「うん」

 

 資質は間違いなくある。何故ならば今、この一帯を覆う結界内で活動できるのは魔法資質を有する者だけだ。その中で、こうして自分と対話をしている時点で、証明されている。

 後は、どれだけの資質を有しているかという点に尽きる。

 

「その資質があれば魔法を使って、飛鳥を助けてあげられるんだよね?」

 

 ここでうんと、肯定することは容易い。しかし、確信を持って言えるほどの資質を持っているかはデバイスを起動させてみないと分からない。

 寸陰迷ったが、正直に少女の問いに答える。それが巻き込んでしまった者としての最低限の礼儀だ。

 

「今の君ではまず彼女を助けることは不可能だ。でも僕の力を、(デバイス)を貸せば可能性は確実に上がる。でも、つまりそれは君がアレと戦うということをも意味する。僕が言うのもお門違いかもしれないけど、やれるかい?」

「か、かの……とりあえず飛鳥を助けられるんだったらやる、やります!」

 

 何かを言いかけたが、なのはは拳を握りしめ、宣誓する。

 彼女の精神は年相応で戦闘に耐えられるか、不安の種は探していたらきりがない。

 当初は現在、殿(しんがり)を務めていた飛鳥に託そうと思っていた。的確な状況判断能力、揺るがない強靭な精神、どれも十分に合格点だ。

 だが状況がそれを許さず頼れる者は今の現状、彼女(なのは)を置いて他にはいない。

 やるしか、ない。

 

「これを」

 

 首からぶら下げていた赤い宝石、デバイスをなのはへと渡すと、儀式用の魔法陣を展開する。新規使用者の設定を組まなければ、例えいくら杖が高性能だとはいえ、その力を十全に発揮できない。

 

「これは?」

「君の力となるものだよ」

 

 ――どうか、上手くいってくれ。

 

 プログラムを最速で組み上げると祈る気持ちで可能性(なのは)に起動パスワードを告げる。その結果――

 

「なんて、魔力だ」

 

 眼前の光景をただ呆然と見つめる。

 圧倒的、そう形容するより他の言葉が見つからない。自身が保有する魔力量と、文字通り桁が違う。その湧き上がる魔力になのはの体はゆっくりと上昇している。指向性を持たせていないただの魔力の奔流だけで人を浮かせるとは規格外にも程がある。

 どれだけの資質を持っているのかと戦々恐々していたが、蓋を開けばそれはただの箱ではなかった。

 それは禁断(パンドラ)の箱、だったのかもしれない。

 本来ならば目覚める筈のなかったチカラ、それが今、目の前で爛々と輝きを発していた。

 

「何、何なのこれ?」

 

 天を貫いていた桜色の魔力光が集束し、その中から現れた少女の恰好は先程のものとは全くの別物に変わっていた。

 その魔力量と相反する初心者の態度に何とも言えない表情を浮かべながら、彼女の疑問を解消すべく口を開く。

 

「その(デバイス)、レイジングハートから聞かれませんでしたか? 身を護る衣服の姿を想像しろって」

「言ってました、とりあえず聖祥(せいしょう)の制服を思ったから、それで……」

 

 興味深そうに自身の服を眺めていたなのはだが、再度鳴り響く轟音に表情を引き締める。何が起こっているのか言われるまでないだろう。

 彼女が、闘っているのだ。

 

「飛鳥……お姉ちゃんが今助けに行くからね」

<Flier Fin>

 

 待ってと、静止の言葉を放つ前に少女の靴に桜色の翼が生える。それを感知した瞬間、なのはの保護服(バリアジャケット)にしがみつく。

 次の瞬間、猛烈なGが襲い来る。落とされまいと四肢に力を込めながら驚嘆する。

 

 ――まだ何も知らない筈なのに飛行魔法を、まさか感覚で組んだのか、魔法を、こうも簡単に!?

 

 魔法とは自然摂理や物理法則をプログラム化し、それを任意に書き換えることで術者の望んだ作用に変える技法であり、それには当然計算式や法則が数えきれない程存在する。それを感覚で組むなど常人には到底不可能な所業である。

 天才、その言葉が今、現実に目の前に存在する。

 

 なのはが必死になって走った数分の距離をものの数十秒で走破する。運動神経が皆無な彼女にとってその速度は正に光速。

 その速度は彼女の逸る心そのもの。

 

「速く、もっと速く!」

 

 まるで滑るように流れる景色などまるで眼中になく、少女はただ一点を見つめる。

 

「見つけた!」

 

 その言葉になのはは急停止をかけると、そこに待ち受ける光景に愕然とする。

 アスファルトで舗装されている筈の道路が点々と抉り取られ、或いは壁が粉砕され、去ってものの数分で日常が戦場と成り果てていた。

 そんな中、彼女は見た、いや見てしまった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 荒い息を吐く飛鳥のその口元に触れるものがある。

 赤い、赤い滴だ。

 それが探し求めた者の血であることに、なのはは暫く気付かなかった。

 額を切ったのだろうか、眉間から垂れる生命の滴は絶えず流れ落ちる。傷口は額だけに留まらない、腕に脚に、良く見れば至る所に裂傷を負っていた。

 無理もないと、異世界の魔法使いは眼下の光景を歯痒い思いで見つめる。

 あの思念体にいくら物理攻撃を加えたところで、効果的なダメージは絶対に有り得ない。アレを核としている以上、元を絶たなければいくら攻撃したところで再生するだけだ。

 何度もぶつかり合ったためだろう、その手に持っているのはもはや原型を留めておらず、木の棒きれと化していた。

 しかし、飛鳥は未だ大地に立っていた。

 眼前に聳える敵を前に、一歩も引かず、その眼光に一点の曇りもない。

 闘うと、護ってみせると、その背が無言で語っていた。

 

「GLUUUUU!!」

 

 襲い来る化物を相手に飛鳥は手に持っていた木刀だったものを躊躇することなく投擲する。しかし、当たる瞬間、思念体から生える触手によって阻まれてしまう。

 だが、それも想定済みと言わんばかりに飛鳥は胴を回し流れるような動きで大地を蹴ると、空を舞う。上体を捻じるように巻き込んで放たれる回し蹴りはその小さな体格に不相応な威力を発揮する。

 自身の何倍の体積のあろう魔物を蹴り飛ばすという快挙を成し遂げるが、それだけだ。敵の勢いはまるで衰えない、むしろ増してさえいた。

 僅かとはいえ危害を加える害虫(あすか)に思念体は敵意を燃やす。その意思がそのまま、力となっているのだ。

 

 最初に遭遇した時より遥かに増殖した触手の群れが飛鳥を襲う。少女は怪我をしているとは思えない身軽な動きで回避し続けるが、どこか精彩を欠いているようにも見受けられる。

 

「駄目だ!?」

 

 いくら声を嗄らしたところで飛鳥(かのじょ)が躱せるわけがないのに、それでも叫んでしまう。神懸かり的な回避運動を取り続けていた彼女だが、僅かに鈍った挙動が致命的となる。触手に足を取られ、大地へと体を叩きつけられる。そこに遠慮など存在しない。

 まるで蠅を叩き潰すかのように、何処までも荒々しい。それを執拗に繰り返す。何度も、何度も。

 その惨劇を、なのはは身体を小刻みに震わせながら、ただ茫然と見つめていた。

 

 少しは気が晴れたのだろうか、無造作に少女を放り投げる。その勢いは日常ではまる体感できない速度であり、大地と並行滑空していた飛鳥の体は始まりの地、槙原動物病院へと吸い込まれる。

 破壊音が連鎖し、数刻を持ってようやく音が途絶えた。

 

「GLAAAAAAAAA!!」

 

 思念体の咆哮が結界内を震撼させる。視線を病院から思念体へと移せば、その体に何かが突き刺さっていることに気付く。

 数本の針がいつの間にか、その体に埋め込まれていた。誰がやったのか、考えるまでもない。

 

 ――なんて()なんだ。

 

 あれだけ痛めつけられて、傷ついて、まだ戦うことを止めようとしない。

 それを証明するかのように、大穴が空いた屋敷から一人の少女が姿を現す。

 

「…………レイジングハート」

 

 ここで初めて、少女の口が動く。その立ち姿は何処までも静かだ。しかし何故だろうそれを見つめるだけで腹の奥底から湧き上がるこの感情は何だろう。

 思い出す、その感情の名前は――恐怖だ。

 

 突如、吹き荒れる魔力の嵐。魔導師なら即座に反応できるほどの大魔力に思念体も当然反応する。ヤツからすれば、逃した筈の獲物がわざわざ戻ってきたようなものだろう。

 跳躍し、思念体はその触手を振りかざす。本来ならば絶体絶命の局面だ、しかし、そんなものより目の前にいる少女の方が何倍も恐ろしい。

 

<Protection>

 

 (デバイス)が術者の意思を読み取り、術式を展開する。

 あれほどまで自身を苦しめた攻撃をいとも容易く防ぎきる、それも完璧にだ。その圧倒的な出力で展開される魔力障壁は外航艦の装甲を髣髴させる。

 そよ風一つ発生しない無敵の盾、だが未だ恐怖は遠退いてはいない。

 

「ねぇ……」

「は、はい!」

 

 飛鳥(かのじょ)に良く似た声なのに、何故だろう……背筋が凍る。

 

「どうすれば、いいのかな?」

「え、えぇっとあれを停止させるには思念体の核、ジュエルシードを封印して元の状態に戻さないといけないんです」

「封印……ね」

 

 突き付けた杖はまるで最後の審判を告げる神か魔王のように見える。

 

「その前に」

 

 轟と、圧倒的な魔力がレイジングハートに注がれるのが分かる。分かるからこそ、恐ろしい。そこにどれだけの力が集っているのか否応なく理解できるが故に。

 障壁を突き破ろうと障壁に火花を散らしながら突進する思念体を前に、なのはは不動の姿勢を崩さない。一瞬、彼女の視線が眼下の飛鳥へと向けられる。

 

 少女の歯軋りが、耳朶にこびりつく。

 

 無造作に振るわれた杖に付き従うように、思念体の体は突如上空へと放り出される。恐らく障壁の衝撃反射角度を操作したのだろう。初心者にあるまじき技巧だ。

 満点に瞬く星を背景に、なのはは杖を突き上げる。

 

 赤き宝玉(レイジングハート)を起点に環状の魔法陣が多重形成される。それに伴って鳴動する大気の悲鳴。

 思わず唾を呑み込む。これから起こるだろう光景に、身を固くする。

 今のなのはは爆発寸前の火薬庫だ。それもとびきり危険な爆薬物を詰め込んだ極めて凶悪な。それが今、解き放たれようとしていた。

 

 少女は穏やかに告げた。

 

Go to blazes(お仕置きだよ)

 

 閃光が天を貫いた。

 目も眩むような桜色の魔力光がまるで洪水の如く溢れ出る。思念で出来た仮の肉体はその砲撃によって、一瞬にして蒸発する。再度復元しようにも体を構成する分子を消し飛ばし続けているのだ、再生のしようがない。

 その余りに圧倒的な破壊力に心胆が震える。これが地上に放たれたなら、その被害は思念体が及ぼしたものより遥かに酷いものになっただろう。

 

 光の奔流が止むと、先の怪物の姿は何処にもなく、宙には蒼穹を思い起こさせる青い宝石が浮かんでいた。

 

「それがジュエルシードです、封印をお願いします!」

「レイジングハート、封印をお願い」

<All right>

 

 なのはの呼び声にレイジングハートは形状を封印に適した形へと自律変形する。

 

<Sealing. Receipt number XVI>

「ありがとう」

 

 赤い宝石の中にジュエルシードが吸い込まれるように姿を消す。とりあえずの当面の危機を防いだことに思わず安堵の息を吐く。

 しかし、新たに産まれた魔導師にとって、ロストロギアの回収など二の次だろう。

 

「飛鳥、飛鳥ぁ!」

「なのは……また面白い恰好をしているな」

 

 満身創痍の筈なのに日常(いつも)と何ら変わらぬ飛鳥の態度になのはの瞳に浮かんでいた滴はその行き場を失い引っ込んでしまう。

 

「冗談言ってないでじっとしてて、レイジングハート!」

<All right, Physical Heal>

「おぉ、怪我が塞がっていく。凄いななのは」

 

 傷口が徐々に塞がっていくといった、正に魔法の恩恵に飛鳥は目を年相応に輝かせる。

 

「レイジングハートが頑張ってくれてるんだよ」

「そうか、ありがとうレイジングハートさん」

<Don't worry>

 

 翳された杖に頭を下げる飛鳥に自律行動型デバイス(レイジングハート)は即座に返答する。

 先程の激戦は何処に行ったのか、思わず目を疑いたくなるような和気藹々とした彼女たちの会話に思わず二人を凝視してしまう。

 飛鳥となのは、第97管理外世界にて出会った二人の少女を前に、この先どうなっていくのかまるで想像が出来ない。

 

 規格外の魔力量を誇る天才魔導師と年不相応な精神と不屈の闘志を秘めた剣士、一癖も二癖もある彼女たちと異世界の魔導師、ユーノ・スクライアは運命の邂逅を果たす。

 その出会いが何を齎すのか、人の身である彼には分からない。

 されど、ただ一つ分かることがある。それは――

 

「飛鳥は弱いんだから無理しちゃ駄目だよ、これからはお姉ちゃんが守ってあげるから安心して」

「なのは、今聞き捨てならない発言を耳にしたような気がしたが気のせいだよな?」

「耳まで悪くなっちゃったの? まったくしょうがないな~お姉ちゃんが治してあげるよ」

「何だろう、この敗北感は……」

 

 自分が苦労するだろうということだ。




そしてユーノは誤解する

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