人間は成長する。
成長を望む者。そうでない者。
そんなことは関係なく、等しく何らかの成長をする。
しかし、短期間で劇的に変化する者などは微々たるものだろう。
大抵の人間は、長期間をかけ僅かずつ自分を伸ばす。
努力により程度を調節することは可能だ。
蛇口を想像してみてほしい。
蛇口は捻ればそれだけ水が出る。
けれども例え蛇口を限界まで緩めたとしても、タンクの水が無くなるのには時間がかかる。
結局、調節可能と言っても、その程度なのだ。
今回の依頼の主題は『成長』。
この依頼は難しい。
この依頼において、終着点が見えないのだ。
どうなれば依頼達成なのか。
どこまで行けば依頼達成なのか。
とにかく私は依頼人の手伝いをするだけだ。
依頼人の望む『成長』が得られるように。
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「まず今日は筋力の強化ね。筋力を上げれば、基礎代謝も上がり、より運動に適した身体となって、カロリー消費しやすくなるの」
「カロリー!?私もやるよ!」
心地よい陽気の中、私たちは筋トレ、ランニング、素振りのような基礎を中心として練習を行った。
途中から材木座君も許可なく参加していたが、ボール拾いなどの雑用に率先して動いていたので、黙認。
要するに、ここまでは何も問題はない。
事は順調に進んでいる。
「で、あなたはその煩悩を振り払ったらどうかしら」
運動をする由比ヶ浜さんを見て薄ら笑いを浮かべる比企谷君に微笑みかける。
比企谷君は一瞬驚いたような表情を浮かべ、何事も無かったかのように蟻の行列に目を移し、しゃがみ込んだ。
「あなたも働きなさい。腐っても部長なのだから」
比企谷君は見るからに気だるそうに立ち上がり、私の方に向き直った。
「俺も仕事くらいしたよ。戸塚とここの使用申請してきたし、テニスコートの使用の承認貰ってきたし、コートの使用許諾とってきた」
「呆れるわね。あなた結局一度しか働いてないのね。それに、その仕事は戸塚君一人でも十分だわ」
時計に目をやると、昼休みは残り五分となっていた。
片付けも考えると、今日はもう終わりにした方が良いだろう。
「今日はここまでにしましょう。比企谷君、片付けくらい手伝いなさい」
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────次の日
「いっくよー、えいっ」
由比ヶ浜さんがコート端に向けボールを放る。
逆サイドにいた戸塚君がそれを追いかけクロスに返す。
昼休みが始まってから、ずっと反復でやっている。
もう体力的にも厳しいだろう。
「はあ・・はあ・・・・次、お願いします」
戸塚君が肩で呼吸をしながら構えた。
ここが追い込み時だろう。
「由比ヶ浜さん。もっとコート端の厳しいコースに投げなさい」
「わ、わかった」
脳が休息を求めている時にどれだけ追い込めるかが、成長に繋がる。
ここで手を休めては意味がない。
後ろに目をやると、比企谷君が冷ややかな目でこちらを見ていた。
やはり彼は優しいのだ。
ここで追い込ませる事を良く思っていないのだろう。
「さいちゃん、いっくよー」
由比ヶ浜さんが投げたボールはライン上に落ち、再び宙に跳び上がった。
戸塚君はそれを必死に追う。
一直線に走って、遂にラケットがボールを捉えるかと思われたその瞬間、戸塚君がみるみると減速し、頭が地面に近付いていく。
肌が地面と擦れる音が耳に入ると同時に、由比ヶ浜さんが駆け寄った。
「さいちゃん!だいじょうぶ!?」
「大丈夫だから・・・続けて」
戸塚君は起き上がり笑顔を見せた。
しかし、その膝からは血が流れていた。
それを見て比企谷君が小走りで、校舎の方へ向かっていく。
「ヒッキーどこいくのー?」
「怪我してるんだから安静にしとけ。俺、保健室から色々取ってくるから、それまで待ってろ」
そう言い残し、比企谷君は校舎内へと姿を消した。
それと同時に騒がしいグループが姿を現した。
比企谷君と入れ替わるようにして出てきた彼らは、真っ直ぐとテニスコートへ足を進めてくる。
嫌な予感がする。
「やっぱりテニスしてんじゃん。テニス部以外も使っていいんだあ」
三浦優美子。
後ろには葉山隼人とその取り巻きを連れている。
まったく面倒なのが足を突っ込んでくれたものだ。
「あーしもテニスやりたいんだけど。ここ空けてくんない?」
三浦さんが睨みを効かせ、こちらを威圧する。
なぜか自信に満ち満ちた目で。
まず穏便に済ますことを一番に考えるべきね。
「ここは戸塚君が許可をとって使っているの。あなた達が使える場所じゃないわ」
三浦さんの目の鋭さが増す。
この程度でイライラするなんて、やはりこの人種は扱いづらい。
「は?あんたも使ってんじゃん」
「私たちは戸塚君の練習を手伝っているのよ。あなた達のように遊びに来ているわけではないの。ただ依頼をこなしているだけ」
「は?意味分かんないんだけど」
三浦さんは声のトーンを下げ、私を威嚇する。
「今の説明を聞いて分からないのかしら。流石に威嚇なんて獣並の手段をとるだけのことはあるわね。獣水準の知能では、人間との会話は難しかったかしら」
「は!?あんたマジ何なの!?調子乗んないでくんない?」
三浦さんが声を荒らげると、葉山君が困ったように笑いながら私と三浦さんの間に割って入った。
「まあまあ、ケンカ腰になんなよ。皆で楽しくなればいいだろ」
「あなたも話が通じないのかしら。あなた達はここを使えないと今言ったはずなのだけれど」
葉山君は苦笑を浮かべ、何かを探すように視線を泳がせた。
この行動の真意は何だろうか。
まるで解決法を、その何かがあれば、この場を収束できると知っているような。
その時、私の足元に何かが飛来した。
それは宙に跳ね上がり、金網にぶつかった。
テニスボールだ。
ボールの飛んできた方に目を向けると、そこには三浦さんがラケットを持って立っていた。
「あーし、いい加減テニスやりたいんだけどー」
テニスボールを弄び、虫が悪そうな顔で立っている三浦さんを一瞥し、葉山君はアゴに手をあて思案した。
「じゃあこうしよう。部外者同士、こちらから一人、そちらから一人出して勝負する。勝った方が今後昼休みはここを使えるって事で。どうかな」
「こちらへのメリットを提示しなさい。それでなければ勝負する理由がないわ。それに、これは戸塚君の依頼よ。私たちだけで決めれることではないし、第一戸塚君の練習が目的なのだから、あなた達が遊びで使うなんておかしな話だわ」
「そうだな。君達が勝ったら俺達はもうテニスコートには来ないことは当たり前として・・・・今後、奉仕部の活動で人手が必要になったとき、できる限り手伝うことを約束するよ。もちろん俺らが勝ったら戸塚の練習にも付き合う。強い方と練習した方が戸塚のためになるだろ。それでどうかな」
戸塚君は助けを求めるような目で由比ヶ浜さんを見ている。
この様子では彼に決定を委ねることは無理そうだ。
「残念ながら、あなた達の手を借りる時なんてないわ。自分達のことは自分達で解決できる。今すぐ立ち去りなさい」
私の言葉と同時に、三浦さんの口角が釣り上がった。
見下すような目で私を笑ったのだ。
「あんたさあ、勝負に勝つ自信ないだけっしょ。ビビりのくせに調子乗んなし」
その言葉に釣られるようにして、三浦さんの取り巻きも笑い声を上げた。
葉山君は三浦さんを宥めるが、この場の雰囲気が変わることはない。
私は馬鹿にされるのが嫌いだ。
見下されるのが嫌いだ。
嫌われるのは何とも思わない。
しかし、見下されるのは我慢ならない。
昔を、情けない自分を思い出すから。
胸が締め付けられるように痛むから。
「分かったわ。あなたの挑発に乗ってあげる」
三浦さんが顔を近づけ、私を睨みつける。
「悪いけど、あーし手加減とかできないから」
私は真っ直ぐ三浦さんの目を見て、軽く微笑む。
自信に満ちた目で、胸を張って言い放つ。
「安心しなさい。私は手加減してあげる。その安いプライドを粉々にしてあげるわ」