魔法少女リリカルなのは―畏国の力はその意志に― 作:流川こはく
「……アルカス・クルタス・エイギアス……
煌めきたる天神よ。今導きのもと、降りきたれ。
バルエル・ザルエル・ブラウゼル」
海鳴市の海上で、フェイトは大規模魔法を構築していた。
残されたジュエルシード六つ。海の中に眠るこれらのジュエルシードを見つけるためには、遥か広域の海に魔力を叩き込み強制的に発動させるしかない。
幸いなことに、フェイトの魔力資質は雷。広域の海に魔力を行き渡らせるにはもってこいの資質だった。それでも、人一人で行うには余りにも無茶な行為ではあったが。
「撃つは雷、響くは轟雷。アルカス・クルタス・エイギアス……!」
海に大量の雷を撃ち込む。
一つ、二つと、海からは暴力的な力の波動が解き放たれ、すぐに六つ全てのジュエルシードが暴走を始めた。
時期はまだ春なのに、強烈な台風に直撃されているかのように海が荒れ狂う。
「行くよ、バルディッシュ。……がんばろう」
フェイトは愛機バルディッシュと、使い魔のアルフと共に暴風域に突入していった。
それは母のために、自分のために。ジュエルシードを届けて、母に優しい頃の姿に戻ってもらうために。
◇
「駄目だ。認められない」
アラートを聞きブリッジに集合したなのはは、現地の映像を見てフェイトの手助けを申請したが、クロノに却下される。
「なんで?! だってフェイトちゃんが危ないよ! それに暴走したジュエルシードがどんなに危険かってことはクロノ君が説明してくれたのに!」
「私たちは最善の行動をとらなくてはいけないの。そして行動を起こすときは、今じゃないわ」
「あの魔導士は明らかに無理をしている。あんなに魔力を放出して、無事に全てのジュエルシードを封印できるとはとても思えない」
「じゃあ……ッ!!」
クロノの言葉から、なのははよりフェイトの元へと行かなくては行けなくてはと思う。クロノの言葉は自分の行動を後押しするものだと。
だが、それは違った。
「だから僕たちが行くのは……彼女が倒れた後だ」
「ッ!! ……そんなッ!!」
現実は非情だった。
時空管理局の出した答えは、フェイトを見殺しにするというもの。
それでは何のために、ここにいるのか分からない。自分がここにいるのは、勿論海鳴の街を守りたいという思いはあるけれど、でも他にも、フェイトのことが気になるから。
あの綺麗な悲しい瞳をした少女のことが放っておけないから。あの少女と――気持ちを分け合いたいからだ。
――あぁ、そっか。ようやく分かった……。自分の気持ち。どうしてこんなにあの子のことが気になるのか。どうしてあの子のことを思うと、こんなにも心がざわめくのか。
私はきっと、あの子と――――
――――友達になりたいんだ。
(なのは、行って! ここは僕が抑えるから!)
(ユーノ君!)
ユーノの助けを得て、なのはは現地へと跳んだ。
それは局の規律を破る行為。だけどそこに後悔はなかった。
「高町なのは、勝手ながら指示を無視させてもらいます!!」
第十三話『衝突と邂逅』
海鳴海浜公園。その海岸沿いにアイリは立っていた。
海は荒れ狂い、空へ伸びる渦が幾重にも見える。その中で、少女と狼が地場の暴力に対抗して飛び回っていた。
――これは多分、最後までもたないな……。
客観的に、そんなことを思う。
《助けに行かないのですか?》
「本当に危なくなったら助けるよ。でも……」
ジュエルシード集めの手助けをすることが本当にフェイトのためになるのか、それが分からなくなってしまった。
フェイトの望みと、プレシアの望みは決して交わることがない。フェイトがプレシアの助けをすればするほど、フェイトは自分の望みから離れていく。
かつてリニスが負った苦悩を、今はアイリが負っていた。
少ししたら、フェイトがジュエルシードの暴走に飲み込まれ始めてきた。やはり無茶だったのだ。それは初めから分かりきっていた。それでもフェイトは止まらなかった。それが、その思いが、逆に悲しい。
その時、空から一人の少女が降ってきた。
「あれは……なのちゃんか」
《彼女もこの光景を見ていたのでしょう。管理局がフェイトの支援をするとは思えません。きっと独断ですね》
なのははいつだって変わらないなと思う。
まっすぐで、優しくて、どんな時でも自分の気持ちを忘れない。
きっとなのはもフェイトのことがずっと気になっていたんだなと、自分と同じ気持ちだったんだなと思うと、嬉しくもあり気恥ずかしくもある。
視線の先では、なのはとフェイト、ユーノとアルフが力を合わせて力の波動を抑え込んでいた。
「ははっ」
《……? どうしましたマスター?》
フェイトとなのはが手を取り合っている姿を見ると、自分の悩みなんて吹き飛んだ気がした。フェイトは不幸なんかじゃない。フェイトの周りには、あの子のことを大切に思ってくれている子がいる。なら、きっと大丈夫。フェイトの横に、なのはがいれば。
「何でもないよ。でも少し吹っ切れたかな。そうだね、今は目の前の嵐から彼女たちを助けよう」
《了解です。頑張りましょう!》
その言葉のあと、アイリもまた海上へと飛び立っていった。
◇
「これは、この調子ならジュエルシードを全部封印できるかもしれないな」
「ええ、そうね。でもあの子には悪いけど……」
「はい。封印が完了したら僕も出ます。ジュエルシードも、彼女の身柄も逃がしません」
「ごめんなさい、クロノ。嫌な役をやらせてしまって……」
「構いません。僕は時空管理局員で執務官ですから。恨まれるのは、慣れてます」
アースラで現地の様子を伺っていたクロノたちは、介入のタイミングを図っていた。
そこにエイミィの声が響く。
「現地に広域魔力反応! なにこれ?! 広すぎっ! 前に張られてた結界魔法の空間を完全に包み込んでる!」
「なんだって?! 発信源はどこからだ!」
「今探してる! …………ッ見つけた! 海上にいるこの子だ! ってこれアイリ君だ!!」
「何?!」
モニターに映った姿を凝視する。アイリは海上で以前持っていた剣を掲げて、呪文を唱えていた。
「天体の運命をこの手に委ねよ……」
空間全方位型の上位魔法。あり得ない規模の範囲魔法。それが魔法初心者であるはずのアイリによって発動されている。
「我は汝、汝は我なれば……」
空間内のジュエルシードによって引き起こされた現象の全てに光が差し込む。
「アイリ君?!」
「アイリ!!」
現地ではこの現象の原因であるアイリに全員が気がついていた。
白色の魔力光を煌めかせながら、アイリの最後の言霊が放たれる。
「月よ、星よ、その威を示せ」
『星天停止』
光が空高く延び、雲を全て薙ぎ払う。
雲一つない空には、昼間にも関わらず星が輝いていた。
幾つもの星が絶えず廻り続けている。
「星が、動いてる? あんなに速く……。どうして?」
「違う。これは、動いてるのは……星じゃない。動いてるのは、多分この空間の方」
もとはジュエルシードを狙う対立者同士であることを忘れて、二人はその場で立ち止まる。
もっとも、なのはには大分前からその意識は薄かったが。
世界が廻る。光が満ちる。
ジュエルシードによって引き起こされた現象の全てが、その動きを止める。
波は収まり、風は止み、フェイトたちを襲っていた水も海の中へとその姿を消した。
動きが止まり、光がおさまった後に残るのは波一つない海原。
そこから、六つのジュエルシードが浮上する。
それらは全て完全な形で封印されていた。
「馬鹿な、空間内全てを対象にした攻撃魔法だって!」
「正確には、多分封印系だろうけど……でもすごいよ!」
「やっぱり逸材ね。なのはさんもだけど、二人ともアースラに来てくれないかしら」
モニター越しにアイリの魔法を眺めたアースラスタッフは、魔法に深く関わっているからこそ、アイリの魔法の非常識さに驚いた。
画面の中では、五人が集まり、六つのジュエルシードもそこに漂っていた。
◇
「フェイトちゃん、私、自分の気持ちに……やっと気付いたんだ。なんでフェイトちゃんのことがこんなに気になるのか。私は、フェイトちゃんと気持ちを分け合いたいんだ。フェイトちゃんと……友達になりたいんだ」
「……っ!!」
なのはの言葉に、フェイトの冷めきった心が揺らぐ。
「僕も、フェイトちゃんのことは放っておけないよ。見てて少し危なっかしいしね」
アイリの言葉に、プレシアのためだけに生きようという意思が鈍る。
「なんで、なんで君たちは……」
久しく感じていなかった温かな感情。リニスが消えてから、もう感じることが無いと思ってた気持ち。
――でも、ダメだ。私は……母さんのために……。母さんに笑顔になってもらうために……。
その時、雲一つない空の空間から紫電が溢れ出した。通常ではあまり見られない属性の雷。だけど自分にはとても身に覚えがあるこの雷は……。
「母さん……?」
「え?」
その雷が、容赦なく自分に降り注いできた。
魔力をほとんど消耗している今の体では、防ぐことも避けることも叶わない。もとより母が自分に対して放った攻撃なら、母の意思なら防ぐつもりも無かった。
来るべき衝撃に備えて、目を閉じて身を堅くする。だが、いつまで経っても来ると思われた衝撃はやってこない。
「アイリ君っ!」
なのはの声に目を開くと、アイリが電撃を受けて墜落していた。
自分だけでなく、彼にも雷が降り注いだらしかった。でも確かに自分にも攻撃は来たはずではなかったのか。
不思議に思い上を見上げると、どこかで見たことのある魔法障壁が自分を守っていた。
これは、どこで見たんだったか……確かつい最近……そうだ、この障壁は、アイリがあの執務官からの攻撃から自分を守ってくれた時の……。
そこまで考えて、少しおかしいことに気付く。母の攻撃を防ぎきることのできる障壁を展開できるなら、なぜアイリは今墜落している?
いや、正確には違う。なぜその障壁が――自分の頭上にのみ展開されている?
まさかアイリは、攻撃を受けることを承知で自分を助けたのだろうか。
――どうして。
どうしてこんなにも自分に優しくしてくれるのか。ろくに母の役に立つことすらできない自分を。
「どうして……」
分からない。アルフとリニス以外にこんなに優しくしてもらうのは初めての経験だった。
下ではなのはが、海の中に沈んでいったアイリを救出しに向かっていた。
アルフが、突如現れた執務官とジュエルシードを奪い合っていた。
「フェイト! 何してるんだい、逃げるよ!」
「あ、うん……。そうだね、私は……行かないと。母さんのために……」
アルフは、今までに無い反応を見せるフェイトに嬉しくもあり、悲しくもあった。
(フェイトがあんな顔をするなんて。アイリは……いや、あの子らは。プレシアなんかじゃなくて、あの子らがフェイトの側にいてくれたならどんなにいいか!)
あんな、迷子みたいな顔をするなんて。自分は、フェイトを支えられているのだろうか。フェイトを守ってあげられているのだろうか。
(……やっぱり無理だよ、リニス……。あたしじゃあ……、あたしだけじゃああの子を幸せになんて、できないよ。助けておくれよ……リニス……)
アルフもまた、運命に嘆き悲しむ者の一人だった。
◇
「なのはさん、ユーノ君。なぜ自分が叱られているか、分かりますね」
「うぅ、……はい」
「はい……」
アイリとジュエルシードの半分を回収してアースラに戻ったなのはたちに待っていたのは、リンディの説教だった。
「そうだよ! だいたい泊まり込みで危険物探しを手伝うなんて!」
「貴方もあっち側です!」
「ガーン」
リンディの横でなのはたちを責め立てようとしたアイリだったが、リンディになのはの横に並ばされた。
「指揮や命令を守ることは、集団で行動する時の最低限のルールです。それが破られれは、自分だけでなく周りにも迷惑が行くことになります」
「はい……」
「まぁ、今回は得ることもあったことですし不問としましょう。ですが、次はありませんよ?」
「分かりました……」
「それで次の議題だが……。アイリ、君はあの魔導師を知っていたな? いや、より詳しく言うと……あの魔導師がジュエルシードを集めているのを知っていただろう」
クロノからの追求がアイリに突き刺さる。
「な、なんのこと? 僕は別に彼女のことなんて知らないよ?」
「証拠は幾つかある。君の彼女たちに対する態度。あの使い魔が君の名前を呼んでいたこと。君が以前あの二人の名前を出したこと。そして君が以前手にしていたジュエルシードの行方だ。君が持っていたNo.ⅩⅥのジュエルシードは、一体誰に渡したんだ」
クロノからの問いかけに答えることができない。目を背け、下を向く。しかし、答えないということは、認めてしまっていることでもあった。
「答えないなら、それでいい。だがこれだけは聞かせてもらうぞ。君は、プレシア=テスタロッサを知っているか」
思いがけずにその名前を出されたことで、反射的に顔を上げてしまう。そして即座にそれが失敗であったと覚る。
「黒、か……。エイミィ! プレシア=テスタロッサのより詳細な人物データと足取り、その後の家族構成を調査してくれ!」
「了解! 任せといて~、クロノ君」
阿吽の呼吸で執務をこなす二人を横に、なのはが疑問の声をあげる。
「あの、プレシア=テスタロッサって誰ですか? フェイトちゃんと、同じ名字みたいですけど……」
いきなり出てきた重要そうな扱いを受けている名前に、なのはが疑問を覚えるのは当然のことだった。
「プレシア=テスタロッサは僕らと同じ管理世界の住人だ。次元航空エネルギーを研究開発していた大魔導師だ……いや、だった。実験が失敗してからの詳細はよく分かっていない。そして先程アースラとアイリ、そしてフェイト=テスタロッサに対して次元干渉攻撃を仕掛けた人物でもある」
「そんな……あの時フェイトちゃん、母さんって……その、少し怯えてた……」
「母親、ね……。少し、嫌な事件になるかもしれないわね」
会議室の雰囲気は暗い。フェイトに対するプレシアの扱いに不安を覚えたためだ。
「まぁ、フェイトさんもプレシア女史もあれだけの魔力放出を行った後だから暫くは動けないでしょう。アースラのシールド強化もしなくちゃいけないし、こちらも少し休養しましょう。なのはさんには一時帰宅を許可します」
「え、でも……」
「ご家族も学校も心配するわ。帰れる時には帰っておかなくてはダメよ」
「あとアリサとすずかちゃんもね。事情ちゃんと説明してないんでしょ? 毎日のように心配してるから」
「あ、うん。二人にも心配かけちゃってたんだ……」
なのははユーノとリンディと共に、ひとまず海鳴へと帰還した。
最後の戦いを前にした、最後の休息だった。
◇
アイリも続けて海鳴へと転移すると思いきや、その場に残り続けた。クロノはそのことに疑問を覚える。
「ん? どうした。君は戻らないのか?」
「クロノ……。プレシアさんの罪は、重くなるのかな」
「なんだ、いきなり。そうだな……、少なくともロストロギアの強奪に、管理局の船への攻撃で刑事的な罪状が、それとフェイト=テスタロッサへの扱いに対しても民事的な罪状があげられる可能性がある。前者は決して軽いものではない。場合によっては数百年規模の罪になる」
「数百年、か……。プレシアさんにそんな時間はあるのかな」
「少なくとも、死ぬまでは刑務所の中だろう」
「それは多分、違うよ」
アイリの確信めいた言葉に、クロノは疑問を覚える。
「どういうことだ?」
「プレシアさんは、多分もう死ぬ寸前だと思う。死にかけている体を動かしているのは、母親としての最後の意思の力。でも多分、それももう限界……」
聞き捨てならない話だった。
何より、アイリはこちらが思っていたよりも多くのことを知っているのかもしれない。
「なんだって?! それに、母親としての意思だって?! フェイト=テスタロッサが虐待を受けているかもしれないことは、僕たちよりも君の方がよく知っているんじゃないのか!」
「フェイトちゃんへの扱いが酷いのは、多分彼女が自分の娘だって認めたくないから。彼女を認めたら、プレシアさんの中で大切な何かが折れてしまうから。だからその事実を認められない。認めるわけには行かない。自分のためにも、アリシアのためにも」
「アリシアだって?」
「アリシア=テスタロッサ。26年前に亡くなった、プレシアさんの娘。プレシアさんの絶望の始まり」
「それが今回の事件に関係しているのか? フェイト=テスタロッサも一連の事情を知っているのか?」
「フェイトちゃんは多分何も知らない。アリシアのことも。プレシアさんの目的も。自身の残酷な真実についても」
「……君はなぜそんなことを知っている」
クロノはS2U――愛用のデバイスをアイリに向けてそう尋ねる。アイリの話を信じるならば、彼はこの事件の全容を知っているということになる。だがそれはおかしい。彼はなのはと同じ、偶々ジュエルシードが降り注いできた街に住んでいた現地住人に過ぎないはずだ。
そんなアイリが、相手方の状況や目的まで精通しているのはおかしい。ましてや、フェイトの知らない事実まで把握していたとなると、プレシア本人と面識がある可能性がある。だがそしたら、プレシアに攻撃を受けた理由も分からないし、墜落して管理局に収艦されることをプレシアが黙って見ていた理由も分からない。
「答えてもらおう。君はなぜそんなことを知っている」
そう問い詰めると、アイリは少し悲しそうな目を向けて答えた。
「託されたから……。プレシアを助けてって。フェイトとアルフを助けてって。困っちゃうよ、ほんと。押しに弱いのって人生損だなぁ」
「何、一体誰から……! 待てッ!!」
言うだけ言って、アイリは消えようとしていた。
逃がすわけにはいかず、杖に魔力を込める。
「あ、僕は無力で無関係な一般人なんで。管理外世界の現地住人に対しての管理局員の感情的で能動的な魔法攻撃はよくないと思います!」
「何をぬけぬけと……。君が無関係なわけが無いだろう!」
「まぁ、何かあったら携帯かなのちゃんに連絡してよ。大体は協力するからさ」
「だったら今すればいいだろ!」
「今はダメ。なんか嫌なことが起きてる気がするから。だからまた今度ね」
「またわけの分からないしことを……あ、コラ待てッ!」
クロノの呼び止めを無視して、アイリは消えてしまった。
連絡先は知ってるし、何だったらなのはに家の場所を聞くことだってできるから追跡は容易い。だが、今聞いてもはぐらかされてしまう可能性が高い。ならば今は情報を整理しよう。
「エイミィ、条件に追加してくれ。アリシア=テスタロッサについて。26年前の事故について。そして……フェイト=テスタロッサの戸籍について」
◇
アルフは我慢の限界だった。先だっての二個と、今回の三個。計五個の追加のジュエルシードを持ってきたフェイトに待っていたのは、またもや失意の言葉と過激な虐待。
プレシアがフェイトの実の母親だとか、フェイトがプレシアのことを悪く言うと悲しむだとか、そんなことは頭から消し飛んでいた。
只々あのどうしょうもない魔導師を殴り付けたかった。プレシアがいる部屋のドアを蹴破って叫ぶ。
「プレシアーッ!! あんたは、なんであんなことが出来るんだッ!!」
力任せに殴り付けた拳は、プレシアの障壁に阻まれる。
この魔導師なら、ただ殴られるようなことは決してないだろう。だが、どうしても一言言ってやりたかった。
魔力を全て障壁の破壊に費やす。こんな壁越しでなく、直接怒鳴り付けてやりたかった。
「バリア……ブレイクッ!!」
パリンッ、とひび割れる音と共に障壁が崩れ落ちる。その勢いのままプレシアに掴みかかり叫ぶ。
「なんであんなに頑張ってる子にあんな酷いことが出来るんだよッ!! あの子はあんたの娘で、あんたはあの子の母親だろッ!!」
しかし、目の前で怒鳴り付けた言葉もプレシアには届かない。
「邪魔よ」
そう言ってアルフの腹部に手をやると、恐ろしく貫通力のある魔力波動を放つ。
「カハッ……」
巨大な魔力を杖に費やして呟く。
「あの子は使い魔の作り方が下手ね。無駄な感情が多すぎるわ」
(ダメだ、やっぱり勝てない……。せめて一発……、思い切りぶん殴ってやりたかったな……)
「消えなさいッ!!」
時の庭園を直線上に全て破壊するエネルギーが、アルフ越しに放たれる。
全ての壁を貫通し、アルフの体はそのまま次元空間へと投げ出される。
体は一瞬にしてボロボロだ。もとより、自分の力ではプレシアに勝てるはずが無かったのだ。
「…………でも、そこだけは……私に似たのかもしれないわね……」
遥か遠くの穴の先から、そんなプレシアの言葉が聞こえた気がした。
(どこでもいい……。転移しなくちゃ……。まだ、死ねない……。あたしが死んだら、フェイトはホントに一人ぼっちだ)
最後の力を振り絞って、がむしゃらに転移する。
次元空間に残っていても、待っているのは死のみだ。ならば、どこだろうとここよりかは生きる可能性がある。
多くの血が流れている。体が酷くだるい。
(でもこれはもう、ダメかもしれないね……)
体中から力が抜けていくのが分かる。魔力も体力も使い果たしてしまった。意識が、急速に消えていく。
残り少ない意識の中で、体が地面に横たわっているのが分かる。少なくとも、地上に転移することには成功したらしい。でもこれが限界だった。もう一歩たりとも動くことも、瞼を開くこともできない。
急速にやって来る死の気配に、なんの抵抗もできなかった。
(あぁ、この感覚は懐かしいね……。あの時も、死病に侵されて群れから追い出された時も、こんな風に何もできなくて……。最後の力を振り絞って必死に助けを呼んだら、一人の女の子が来てくれたんだっけ……)
もう、助けを呼ぶことすらできないよ……。ごめんね、フェイト……。
このままの状態で眠りに着いたらもう二度と目覚めないだろうと分かりつつも、意識は闇へと沈んでいった。
――ちょっとあんた大丈夫?! しっかりしなさい!! 鮫島! 動物病院の手配! 急いでっ!
意識が消える直前に、以前どこかで聞いたことのある声が耳を通り抜けていった。だが、アルフがそれに気付くことはなかった。
◇
「ゴホッ……」
咳付いた手に血が混じる。もう咳をする度に血を吐いていた。
自分に残された時間がもう本当に残り少ないことが分かる。
「やっぱり、あの子では駄目ね」
集まったジュエルシードは11個。残りの10個は恐らくは全て管理局が確保しているとみていいだろう。
これでは足りない。
自分の目的である失われた都、アルハザードに辿り着く扉を開くためには最低でもあと三個。出来ることならそれ以上は欲しい。
そのためには、管理局から奪わなくてはいけない。しかし、あの管理局がそう簡単にジュエルシードを渡すとは思えなかった。
「なら、餌がいるわね」
あの子には最後の仕事をしてもらうとしよう。
次、管理局の前に姿を現したら恐らくもうフェイトは戻ってこれないだろう。
管理局がそう何度も取り逃がすとは思えない。先程の次元干渉攻撃で、自分の素性がばれた可能性も高い。
となれば、次はあちらも万全の体制で当たってくる。
フェイトと一緒にいるのもこれで最後だ。これ以降は賽の目がどう転がろうが、あの子と一緒にいることはない。
あのアリシアの失敗作を娘と呼ぶこともなくなる。
あの紛い物に母さんと呼ばれることもなくなる。
もう二度と…………あの子と顔を合わすことは無くなる。
「フッ、くだらないわ」
些細なことだ。それよりも、舞台はいよいよ大詰めだ。
逃げ切ればいい。何を犠牲にしてでも。
どうせ――片道の予定なのだから。
フェイトに最後の仕事を任せようと、主の間に戻る。
あれだけ痛めつけたのだから、まだ寝ているだろう。叩き起こして、管理局にぶつけなくては。アリシアのために。
そう思い扉を開けた光景は、少し想像していたものとは違った。
床で寝ているフェイト。その身にかけられたアルフのマント。
そこまではいい。だがその横に、この場にいるはずのない少年が立っていた。
「あなたは……確か海のジュエルシードを封印した魔導師ね。痛めつけたと思ってたけど……それに、どうやってここに辿り着いたのかしら?」
「初めまして、プレシア=テスタロッサ。僕はアイリアス=バニングス。いきなりだけど、少しお話をしようよ。あなたとフェイトと、アリシアについて」
少年は魔女と邂逅する。
互いに曲げれぬ意志を胸に秘め、最後の時への最初の一歩を踏み出した。
ジュエルシード回収完了。
アルフ離脱。
アイリ、プレシアと接触。
以上の三本でお送り致します。