魔法少女リリカルなのは―畏国の力はその意志に― 作:流川こはく
体が動かない。
右も左も分からない暗闇の中で、高町士郎がまず感じたことはそれだった。
いつもなら自分の思い通りに動く手足が、彼の命令を全く聞かなかった。
なぜ動かないのか、そう考えていたら、そもそも自分は何をしていたのか、という疑問にぶつかる。
自分は――、いつも通り喫茶店で、いや、違う。確か最後の記憶は……。
アルバートの護衛をしていて、エリスがアルバートに花束とクマのぬいぐるみを渡して……。そうだ、クマのぬいぐるみだ。
――クマのぬいぐるみに注意してください。
あれを見たときにとても嫌な感じがして……。二人が拍手とフラッシュを受けている中に突入していき……ぬいぐるみを奪ったんだ。
そのぬいぐるみを人のいないところに投げると、盛大に爆発して……。その爆発を合図に、武器を持った奴らが突入してきて……。
それから、どうなったんだ……?
最後に目に映ったのはフィアッセの泣き顔。
あぁ、無事守れたのか。そんなことを思う。
じゃあ、今はどうして動けないんだ。今の状態は?
――あなたはイギリスで死にます。
俺は死んだのか?
やり残したことは、山ほどある。妻の桃子のこと、長男の恭也のこと、長女の美由希のこと、そしてまだ幼い次女のなのはのこと。
家族を残したまま、まだまだこれからっていうときに!
気持ちとは裏腹に、体は全く動かない。
体の隅々まで冷気が行き渡っているように感じた。
――どうか、死なないで。
そうだ、まだ死ねない。死ぬわけには……!
ふと、自分の手が熱を持っているのに気付く。
愛おしい熱が自分の手を包み込んでいる。
あぁ、温かいな。
この心休まる温かさは…………
◇
士郎が目を覚ました時、目に映ったのは泣き顔の自分の妻の顔だった。
温かいと感じた自分の手を、その両手でしっかりと握っていた。
「おは、よう…………、桃子」
「あなた……っ! あなたっ!!」
泣き顔で自分に縋り付く妻の様子を見て、自分がどれだけ心配をかけていたのかを思い知る。
「ここは、どこだ……? 俺は……、どうなった?」
「ここは海鳴よ。海鳴大学病院。あなたは……、アルバートさんの護衛で重傷にあって、一ヶ月も眠り続けていたのよっ。お医者様も……っ、いつ起きるかどうかはわからないって……」
「一ヶ月、そうか、そんなに経っているのか。それに、どうりで体が動かないわけだ……。迷惑をかけたな、桃子」
そういって頭を撫でようとしたが、体が動かないためできなかった。
「本当よっ! 私たちが……、どれだけ心配したとっ……」
桃子は士郎の手をしっかりと掴んだまま、泣き崩れてしまう。
士郎は、そんな様子を申し訳なく思いながら、只々涙を受け止めた。
暫く経って落ち着いた彼女に、問いかける。
「なぁ、桃子。以前翠屋に、なのはぐらいの子を連れて来た少年のことを覚えているか」
「えぇ……、覚えてます。けど……」
士郎の質問に対する桃子の顔は暗い。
やはり、彼女も覚えていたか。
今となってはあれはやはり予言だったのか。
あまり、話を真剣に取り合っていたわけじゃなく、申し訳なく思うが、それでも最後の決め手となった。
そして何より、今自分は生きている。
「彼に……、お礼を言いたいんだ……。彼のおかげで……、俺は今生きている。彼は、あれから店に来たか……? 彼に、連絡してほしいんだ」
「あれから店には一度も顔を見せていないの。でも、あのとき一緒に来た子には出会えたわ……」
「あぁ、あの幼い子か。彼女でも構わないさ、どこで会えたんだい。どこの子かわかったかい?」
「えぇ、彼女とは……、少し前に、ここで出会ったわ」
「ここ、というと病院か?」
「えぇ。すごく落ち込んでいて……。何があったのか聞いてみたら、お兄ちゃんがずっと眠ったまま目を覚まさないって……」
「……何だって?」
「あの日、私たちの店に来た日の夜に何かあったらしくて……、それからずっと眠り続けているそうよ」
「それで、店に来ていないというわけか。だがどうして。事故か何かに巻き込まれたのか?」
「それが……、原因不明らしいの。外傷は全くなし、医者も何故眠り続けているのかわからないって……」
「それは、随分と奇妙な話だな」
「えぇ、あなたと同じ……、お寝坊さんな子みたいね」
「……耳が痛いな」
「あとで他のみんなにもたっぷり叱られてね」
「あぁ……、それで、体が全く動かないんだが。俺の体はどうなっているんだ?」
「動かなくて当然よ。お医者様は、生きているのが奇跡みたいなものだ、って言っていたわ。退院するまで、あと数年はかかるって」
「くくっ、確かに奇跡だな。うっ、体に響く。動けないくせに痛みだけは伝えてくるとは……。それにしても、忙しい時期に、迷惑をかけてすまないな」
「本当よ。この一ヶ月間どれだけ大変だったと……。あなたがいなくて、本当に……、私たちには、まだあなたが必要よ……。あなたがいないと、うまく笑えてるかどうかわからないの。一人になると、とても悲しいの……」
「すまないな、桃子……」
そして他の家族も士郎のもとへやってきた。
彼女らもまた、桃子と同じように士郎にすがり付き、泣き崩れる。
普段は決して泣き顔を晒さない恭也も、その顔に涙を湛えていた。
その姿を見て、士郎は再び家族に対して申し訳なく思う。そして、これから出来ることを考え出した。幸い、時間だけはたっぷりあるようだった。
◇
汝は何を求める。何を願う。
――唐突になんなのさ。急に願いって言われても……。世界平和とか?
混沌とした世界に終末を与えたいか、それとも秩序ある世界を創生したいか。
――なに恐ろしいその二択。やっぱり今の無しで!
悪しき心には悪しき願いを、正しき心には正しき願いを。願え。
――そもそも、あなたは誰?
我はヴァルゴ。時には聖石、時には魔石と呼ばれる存在。我は只在るのみ。只望まれるままに。
――聖石? あぁ、ひょっとしてあの時の石かぁ。まさかしゃべれるなんて……。っていうか今どういう状況?
適合者よ、何を願う。
――願い……、結局そこに戻るのかぁ。ん~、急にそんなこと言われてもなぁ。今までの人はどんなことを願ったの?
ある者は世界に革命を。あるモノは世界への顕現を。
――うわぁ、全然参考にならない。う~ん……。あ、魔法とか使ってみたいかも! 昔の物語の英雄譚に出てくる魔法とか必殺技とか使ってみたいな! な~んて、ね。
ならば渡そう。知識を、力を。
――な~んて……あ、あれ、頭の中によくわからない知識が入ってくる! いたっ、いたたたたっ! 何故か物理的に痛いっ!?
適合者よ。我は只汝と共にある。光を歩もうとも、闇に堕ちようとも。
――痛いッ! どうにかして~! キャンセル、キャンセルでっ! あれ、宝石が消えちゃった?! 無責任なー!
そうして少年は、意図せず畏国イヴァリースの技と魔法をその身に覚えることとなる。
それは現代では異質な力。少年は突如覚えたこの力のことについて、家族にも話せず頭を抱えることとなる。
◇
「本当に大丈夫なの? まだ体がふらついたりするんじゃない?」
「いや、もう大丈夫だから。このやり取り何回目?」
あれから目を覚ましたアイリに待っていたのは、家族の抱擁と怒涛の身体検査だった。
ただ、いくら調べても体に異常はないとのことなので、不思議に思われながらも退院することとなった。筋肉の不調も特になかった。
アイリにとっては少しの間眠っていただけの感覚だったが、世間では半年も経過していた。
その事実を知ったときは愕然としたが、それよりも身に着けた神秘の力の扱いに困っていたこともあり、それぐらいの事実はうまく呑み込めた。
半年というのは案外大きく、妹のアリサも随分と成長していた。何より悲しかったのは、以前はお兄ちゃんと呼んでくれていたのにアイリと呼ぶようになっていたことだ。これに対してはわりと長い間枕を濡らした。
他にも、久遠が自分のことを忘れていないか心配だったが、半年たった今会いに行ってもちゃんと自分のことを覚えていた。
なんて、賢い狐なんだ! やっぱり自分の家に招待を……。そう考えて勧誘していたら、飼い主の巫女にたしなめられた。
そういえば、既に飼い主がいたのだった。口惜しく思う。
久々の外は気持ちがいい。
そういえば、前回久遠に会った帰りに、翠屋にシュークリームを食べに行くといっていたことを思い出す。
次の日に行くと言ったのに、半年も後に行くことになるとは……。
そんなことを考えながら翠屋のドアをくぐる。
「いらっしゃいませ、何名様……、アイリアス君?!」
客を出迎えた桃子がアイリの姿を見て驚く。
「え、あ、はい。あれ、なんで僕の名前知ってるんです?」
「あなたが寝てる間に、アリサちゃんから聞いたの! それより大丈夫なの?! 目を覚ましたって聞いたけど、体は何ともないの?!」
「えーと、たぶん大丈夫ですけど。アリサと? いつの間にアリサと知り合いに……、僕が寝ている間か」
「病院で知り合ったの。ずっと、あなたにお礼が言いたかったの」
「お礼、ですか? なんの……。ちょっとずっと眠ってたんであんまり、記憶が定かじゃないんです」
「あなたが覚えてなくても、私たちはあなたにお礼を言いたいの。あなたのおかげで、夫の士郎さんが生きて帰ってくることができたのよ」
「士郎さん? 生きて帰って……? そうか、あの夢だ。あの夢で確か……。あれ、士郎さんはそんな仕事をしてないって」
「それは、あの人のついた嘘だったの。子供に変な心配をかけさせたくなかったのよ。それであの後、あの人は仕事でイギリスに行って、テロに巻き込まれちゃったの」
「っ!! そんな!!」
「安心して。無事とはいいがたいけれど、今でもしっかりと生きてるわよー」
「あれは……、そんな。やっぱり……、夢じゃなかったんだ……。士郎さんは、士郎さんは今どこにいるんですか?!」
「あの人は暫く病院ね。家族をこんなに心配させたんだから当分落ち着いてもらわないと困っちゃうわ」
そういって桃子は寂しく笑う。
「病院……。僕がいたとこですか? ……お見舞いに、行きたいです」
「あら、ありがとう。そう、海鳴大学病院よ。病室は、そうね。今日はまだお見舞いに行ってないし、美由希となのはについていってもらえるかしら」
「えと、お子さんですか?」
「えぇ、そうよ。あなたより少し年上の女の子と、アリサちゃんと同い年の子なの。仲良くしてくれると嬉しいわ」
「わかりました。えっと、お見舞いに何か持っていかなくちゃ。何かお勧めありますか?」
「やっぱりシュークリームかしら。ただあの人は寝てることが多いから、行ってもタイミングが合わないかもしれないわね。あ、もちろんお代はいらないわよ。あなたも、待っている間に食べちゃいなさい」
病院へと向かう道中、アイリは美由希となのはから士郎についての話を聞いた。
士郎がボディガードの仕事を請け負っていたこと。
アイリが話した時に、ちょうど同じような案件を請け負っていたこと。
そして重傷を負って帰ってきたこと。
怪我が重く、今までのような仕事を請け負うことができなくなったこと。
退院まで当分時間がかかるであろうこと。
美由希はアイリに感謝の気持ちを伝えていたが、アイリはその気持ちを簡単に受け取ることができなかった。
自分がもっとしっかり伝えていれば……、士郎は重傷を負わなかったのではないか。もっと強く、行くなと主張していれば……。
そんな考えが止まらない。
士郎に会ったら、何を話そうか。何を話せばいいのか、アイリはそんなことを考えていた。
病院に着き、士郎の部屋へと通される。
士郎は寝ていた。その体は多くの包帯で覆われ、ベッドの周りには専門的な機械が並べられている。
「あちゃー、ちょっと寝てる時に来ちゃったみたいだね。といっても寝てるときのほうが多いんだけど」
「おとーさん……」
美由希は残念そうに、お見舞いのシュークリームを机の上に置く。
なのはは寂しさなのか、それとも別の感情か、ひどく切なそうな顔をしてぎゅっと士郎のベッド端を掴んだ。
「そうですか……、残念です……」
アイリは士郎の姿を目に焼き付ける。
士郎とは話せなかった。
自分が不甲斐無いせいで、助けられるはずだった人をこんな姿にしてしまった。
それでも、幸か不幸か、まだ自分にはできることがある。
アイリの目には強い意志が宿っていた。
「ちょっと看護師さんと話してくるね」
そういって美由希は部屋を出た。
部屋には、意識のない怪我人と、罪の意識に悩む少年と、……何もできない自身に嘆く少女のみが残された。
◇
まだ幼いなのはにとって、父親の入院はあまりにも大きな出来事だった。
それを機に、家族みんなが忙しそうにしている。みんな元気がなくなった。
父はいつもベッドで寝ていて、兄と姉はいつも練習していた剣術をやめて家の手伝いばかりしている。
そして母は、自分たちに心配させまいといつも以上に一生懸命で、無理に明るく振る舞って、でも一人でいるときはひどく悲しそうな顔をしている。
みんな自分の前では笑っているが、自分の見ていないところではとても落ち込んでいる。
一人でいる時間も多くなった。
そんな時間は寂しくて、自分はいらない子なんじゃないか、みんなに迷惑ばかりかけて、みんなのやりたいことを助けてあげられない。寂しくて、切なくて、そんなことばかり思う。
だがそれは違うことも知った。自分の家族は、自分を大切に思ってくれている。その愛おしい優しさに包まれながら、なのはは優しい家族に何も返せないことに悔しさを感じる。自分はただ守られて、心配されているだけ。
父の傷を癒せない。母の涙を止められない。兄や姉の夢の手助けが出来ない。
そんな悔しさが、家族の前では必死に隠していた気持ちが、眠り続ける士郎を目の前にして溢れてくる。
側にいるのは自分と全然関係のない人だから、自分の感情を晒け出しても、何の問題も無いんじゃないか、そう思うと言葉を止められない。
「わたしはっ、お父さんをたすけたいのに、なんにもできないの……」
「お父さんをたすけたいのに、お母さんをかなしませたくないのに、お兄ちゃんとお姉ちゃんにも好きなことをしててほしいのに!」
「みんなに笑っていてほしいのに、みんなに幸せになってほしいのにっ」
「わたしは、心配ばっかりみんなにかけて、なんにもできなくて……みんな大好きなのに……っ」
なのはの慟哭は続く、それを聞くのは眠り続ける彼女の父と、今日初めて出会う年上の少年。
彼女の家族は、少年に感謝をしていたようだが、なのはにはなんのことかよくわかっていない。
父が助けられたといっていたけれど、父は今重傷で起きることもままならない。
そんな様子のどこが助けられたというのか、そう思わずにはいられない。
でも、だからといってその少年のせいで父親が怪我をしたとも思っていない。
それに、とても優しそうな少年だった。女の子扱いして怒られたけど、その雰囲気は終始穏やかなものだった。
そんな少年が、やはり優しげに、いたわるように、なのはの頭を撫でる。
「なのはちゃんは優しいね」
父が頭を撫でてくれたことを思い出して涙が溢れてくる。
父の堅い手とは違い、柔らかな手だけれども温かみが伝わってくる。
そして少年は優しげに、言葉を続ける。
「なのはちゃんがいい子だから、お兄さんが一つだけ願いを叶えてあげる」
そんな、優しい言葉をかけてくれる。
「おねがい……なんでも?」
「なんでもいいよ。お姫様になりたいとか、王子様と結婚したいとか。魔法使いのお兄さんがなんでも叶えてあげる」
「ほんと? ほんとにかなえてくれるの? アイリお姉ちゃん」
「うん、……お兄ちゃんね。もちろん、なんでもいいよ。ただし、一つだけだよ」
「じゃあ、お父さんのけがをなおして! お父さんをげんきにしてほしいの!」
なのはは涙を乱暴に服の裾で拭うと、そう願った。
アイリは片膝を地面につけ、なのはの手を両手で取ると返答した。
「その願い、確かに受け取りました。…………明日またお見舞いに来てごらん。お父さんはきっと元気になっているから」
「今すぐじゃないの? 今すぐよくはなんないの?」
「魔法使いは恥ずかしがり屋さんなんだ。だから魔法を使うのは誰も見てないところだけ。みんなが寝静まってからじゃないと魔法が使えないんだ」
「そうなの……。うん、あしたまでまってる!」
「それと、このことは二人だけの秘密だよ。ばれたらなんだってことはないけど、やっぱり恥ずかしいからね」
「うん、わかった! なのはとアイリお姉ちゃんだけのひみつね!」
「お兄ちゃんね。そんな、なんで、って顔しないで」
「うん、なのはよくわかんないけど、お姉ちゃんのことはお兄ちゃんってよべばいいんだね」
「うん、……もうそれでいいや」
そうして、なのはは魔法使いと約束を交わす。
看護師との話し合いから戻ってきた美由希は、部屋の中の二人の様子がおかしいことを不思議がった。
最近いつもどこか寂しそうにして、無理に元気振る舞っていた自分の妹が、心から笑っている。
嬉しそうに、今日初めて会ったアイリに懐いている。
「なにかあったの?」と問いかけても、「ひみつ! ねー、アイリお兄ちゃん!」と言ってとりあってくれなかった。
本当に自分のいない間に何が……。そう思わずにはいられない美由希だった。
◇
時刻は深夜2時。付近は暗闇で覆われ、人の活動してる気配はない。
そんな闇の中、アイリは海鳴大学病院に忍び込んだ。一応顔には布を巻いて、誰だかわからないようにしているが、かえって怪しくなってしまっていた。
目的地は士郎の病室。気配を消して、部屋に潜り込む。
士郎が起きている様子はない。
(士郎さん。ごめんなさい……。僕がもっと、……ごめん、………なさい……)
体中を包帯で巻いて、眠りについている姿を見てると悲しくなり謝リ続ける。
自分がもっと強く言っておけば、自分がもっと詳しく伝えておけば……。
胸にあるのは後悔の気持ちばかり。
でも、その怪我は治してみせるから――。
願うのは一つの奇跡。
『傷を癒す魔法』
その奇跡を願い、思いを乗せて呪文を唱えていく。
足元には幾重にも重ねられた魔法陣が現れる。
自分の体を中心に魔力が迸り、青白い光の本流が上方へ放出される。体の奥の方から、奇跡の力が溢れてくるのがわかる。
意識を集中し、手のひらを士郎に向けて魔法を発動させる。
「空の下なる我が手に――
――祝福の風の恵みあらん!」
『ケアルガ!!』
士郎の体に輝かしい光が降りかかり、同時に地面から立ち登る。
周りの空気が渦を巻き、辺りの魔力が流れ込む。
それはまるで別の世界に迷い込んだかのような、そんな神秘的な時間が続く。
しばらくその状態が続いた後、青白く輝く柱が消えていき、空気が弛緩してもとの光景へと戻る。
アイリは無事魔法が効いたことを確認すると、音を立てずに部屋を出ようとした。
だが、入口付近で背後から呼び止められる。
「……ちょっと待ってくれないか」
士郎が目を覚ましていた。今ので目を覚ましてしまったのだろう。
アイリは今さらながら自分の服装を失敗だと思った。見つかったら不審者にしか見えないと、気がついたためである。
どうせなら医者か看護師の格好をしていればばれても大丈夫だったのに……。
アイリは子供が夜中にいる時点で無理があることには気づかなかった。
「こんな深夜に気配を絶った人間が自分に迫ってきた時はさすがに死を覚悟したが、まさか、こんな、傷が治るとは……」
士郎は状況をうまく呑み込めてないみたいだった。
普通はそうだろう。誰だって混乱するはずだ。
今の隙に逃げよう。そう思ってアイリが一歩を踏み出すと、また声をかけられた。
「待ってくれ、アイリアス君」
心臓が跳ね上がる。
自分だと、ばれている。
なぜ……。士郎との面識は一度だけ。それも半年も前だ。
今ここにいる人間と、自分とを結び付けられるはずがない。
顔だって隠している。
声だろうか。今の話だと、自分がここに来た時には気づいていたということになる。
それで自分の声から判断したのか。
そう思うと、声をあげることもできずにその場に立ち止まる。
「色々と聞きたい気持ちはあるが、まずは御礼をさせてくれ。アイリアス君、ありがとう」
それは、なんに対して?
自分は、お礼をもらえるようなことはしていない。
変な話をしてしまって、迷惑をかけて、でももしかしたらそれは未来の出来事かもしれなくて、そしたらむしろもっときちんと必死に話しをしなくちゃいけなかったはずで。もっとなんとでもできたはずなのに。
士郎を見殺しにしていたかもしれなくて。
あんな幼い子供に、あんなに悲しい顔をさせて。
頭の中がごちゃごちゃになっていく、体が震える。声を上げないようにしようと思っていたはずなのに、自然と声が口から出ていく。
「……ごめんなさい……。…………ごめんなさい、ごめ……ん……な……さぃっ……」
アイリは泣きながら謝っていた。
「ごめんなさい! 知らなくて……こんな……、……僕はっ! 止めれたかもしれないのにっ! 止められたはずなのに!」
「何も知らなくて! 死んでたかもしれないのにっ! なのはちゃんだって、あんなに悲しませてっ!」
後悔が嗚咽ともにあふれ出てくる。
その場で泣き崩れてしまったアイリに士郎が後ろから声をかけた。
「人は万能じゃないよ。なんでもかんでも思い通りに行くわけじゃない。それに俺だって、守るべきものを守るために戦ったんだ。俺が抜けたら、その分その人が危なくなるかもしれなかった。それなら勝手に抜けるわけにはいかないさ。ましてや、君も事態をよくわかっていなかったんだろう?」
「あの時は、夢で……見て……」
「夢か、それじゃあなおさらどうしようもないさ。夢が正夢かどうかなんて、事態が起こってみないとわからないんだからな。それでも、一つだけ確かなことがあるよ」
「確かな、こと……?」
「あぁ、俺が今生きてここにいる、ということだよ。爆破物を事前に対処できたんだ。クマのぬいぐるみが本当にあってね。確かに怪しかったから遠くに投げたんだが、盛大に爆発してなぁ。あの時は敵さんも対処されたことにびっくりしていたが、多分動いた俺が一番びっくりしていた自信があるな」
カラカラと笑いながら士郎は続けた。
「まぁ、他にも爆弾があったりしたんだが、一番厄介なのを対処できたのがでかかったな。無事とはいかなかったが、生還することができた。だから――、ありがとう。君には本当に感謝しているんだ」
「僕は……僕は……っ!」
士郎がアイリの頭を乱暴になでる。暫くそうして、心が落ち着くのを待ってくれた。
アイリはぐちゃぐちゃな感情をかき集めて、ひとつの形にしていく。ひとつの決意に変えていく。
「士郎さん……僕は……強くなりたい。後悔しない生き方がしたい。嫌な夢だって壊せるような、力が欲しい」
「…………意志を固めるには君はまだ若すぎるよ。いや、恭也も君ぐらいの年にはもう自分の意志を固めていたか。俺の周りの子供は早熟な子ばっかりだな……」
そう言って士郎は困った顔をしながら笑った。
「そうだな、うちには道場があるんだが、そこに稽古に来るといい。御神の技を教えるわけにはいかないが、心と体の鍛錬をしてげよう」
「!! ……ありがとうございます! 士郎さん!」
「あぁ、これからよろしくな。それと、そうだな。今回みたいな夢はよくみるのか?」
「いえ、見るといっても時々で……。今回みたいなことはめったにないです。大したことないことばっかだし、ほんとかウソかもわからないし……。そうだと思ったら全然関係ないことだってありましたし」
「まぁ、夢だしなぁ。俺がこんなことをいうのはなんだが、あんまり夢にとらわれてはいけないよ。たとえ夢のような結末を迎えたとしても、それは君のせいじゃなくて周りの人たちみんなが行動した結果のひとつなんだから。君が責任感を負う必要はどこにもない」
「でも……」
「それになぁ、君の後悔の言葉は全部俺にそのまま返ってきてなぁ。君に嘘をついて、イギリスに行って、ボロボロになって帰ってきて、それはもう家族に泣かれたんだ。いや、ホント正直人生で一番レベルで辛かったよ」
「ははっ、そういえば、士郎さんは嘘つきでした……。なら、ちょっと泣かれたり怒られたりしても仕方ないですね」
「全くだよ……、本当に……」
本当に――昼間のなのはの慟哭は胸に響いた。
自分はなんと、駄目な親だったのかと痛感させられた。
士郎は胸の内でそう続けた。
アイリは涙をそっと拭うと、士郎に笑いかける。
士郎もアイリに笑いかける。
それは、この話はこれでおしまいという二人の合図。
そして話題は次へと流れていく。
「そういえば、どうやって俺の体を癒すことができたんだい?」
「うっ、それは……」
「正直な話、君が昼間落ち込んでいるなのはを元気づけるためにあんな話をした時は、なんて残酷なことを言う子供だろうと思わずにはいられなかった。あんな一日経てばばれてしまうような嘘で、あの子の心を傷つけるなんて、とな。あの子は明日の俺の姿を見てどんなに傷ついてしまうのか、と、そんなことばかり考えていたよ。まぁ、実際は違ったし、正直俺も人のことはいえないのであれなんだが」
「あの時起きてたんですか?! あ、あれは……、確かになのはちゃんを悲しませないようにした作り話で……。ちょっとなんでも願いを叶えるとかは、そのですね……。お姫様とか王子様とかはいくら頑張っても……、いや、頑張ってはみますけど……」
アイリはあの時聞かれていたのかと困惑し、自分の言ったセリフを思い出して焦りながらも恥ずかしがり、もごもごと口を動かす。
士郎はその慌てふためく様子に苦笑しながらも、言葉を続ける。
「あぁいや、そこは別にどうだっていいさ。君はなのはの願いがわかっていたし、それを叶える手段もあったんだろう、そして叶える意志もあった。大事なのはそこだけだ。だから、今こうしてここにきているんだろう?」
「はい……。本当のことを言うと、なのはちゃんのためというよりも、自分のために。士郎さんの姿を目に焼き付けたときに、なんとかしたいって思ったんです。なのはちゃんは……、なんだか見ていられなくて。なのはちゃんだって何かの力になれるんだよって。なのはちゃんが願ったから、士郎さんがよくなったんだよって、思ってもらえたらいいなって。そんなことを思って、ついあんなことを言っちゃったんです……」
「その気持ちだけで十分だよ。それにきっとなのはは救われるはずだ。なにせ、奇跡がおきたんだからな」
士郎はそういって笑った。
そしてその笑顔のまま追及をやめなかった。
「それで、実際のところどうやって俺を治せたんだい?」
士郎の興味はもはやそこにあるようだった。目が少年のように輝いている。未知に対する好奇心に満ちた瞳だった。
「うっ、実は……その、……魔法使いなんです。ちょっと長い間寝てたんですけど、寝てる間に、こう、ずばばばーんと、魔法が使えるようになっちゃったんです……」
自分でも胡散臭い話を切り出す。話し手も聞き手もどう対応していいのかわからない微妙な顔になった。
アイリとしても、自分が逆の立場だったら、相手の正気を疑うレベルだ。
「信じてないわけではないんだ……、実際に治ってるしな。でもなんというか心の準備がな。てっきり何か怪しい歴史ある霊薬か何かを使ったとか、いや、それでも胡散臭いんだが、そんなところかと思ってたんだが。はぁ……、今までわりと社会の裏側も見てきたつもりだったが、まさか裏側どころか斜め上の方向にも世界が広がっていたとはなぁ。そうかぁ、魔法使いかぁ……。俺ももう年かもなぁ……」
士郎は遠い目をしている。
さっきまで光輝いて見えた眼差しも、微妙にどんよりと曇って見える。
未知を期待していたはずなのに、期待以上の答えが出てきたらこれである。
「えーと、誰にも言わないでほしいんです。親にも隠してて……」
「む、そうなのか……。親の立場からするとさみしいものだが、気軽に言える話でもないか。わかった、俺の口からは何も言わないよ。何より、恩人だしな」
「ありがとうございます。正直、自分でもこの力をどうしたらいいものやら悩んでて、この年にして人生の盛大な迷子になりました……」
「むしろ今はちょうどいい歳だろう。悪の幹部とかと戦わないのか?」
「笑えないですよ。それに、ちょうどよすぎて困ります。もう少し考えが幼かったら、テレビに出よう! とかしてたかもしれません……」
「あぁ、それはちょっと笑えない話だな。本気で」
そうして二人は雑談を続け、最後にまた明日来ると言い残してアイリは家に戻っていった。
◇
そして次の日、アイリは学校帰りに海鳴病院の士郎の病室へと寄る。
既に先客がいるらしく、何やら中で話し声が聞こた。
「…………本当に大丈夫なの?」
「あぁ、明日から無事に店に戻れるよ」
「けど、昨日まで本当に重傷だったのに……やせ我慢とかしなくてもいいのよ。私たちだけでもなんとかやっていけるわ」
「そんな寂しいことを言うなよ。ほら、もう完全に動けるんだ。それに、色々と考えたんだ。こうして偶々命を拾うことができたが、そのせいで随分と家族に迷惑をかけてしまったとな。まだ店が軌道に乗ってないから俺も自分でできる仕事を頑張ろうと思っていたんだが、今回のことで、俺が抜けると家族にこんなにも傷を残すとしってしまったから。俺には守るべき家族がいるから――、あっち関連の仕事はこれっきりにして翠屋のマスター一筋で行こうと思う」
「あなた……ありがとう……」
すごく入りにくかった。場違い感が凄い。
また今度出直そうかな……。そう思いドアにかけていた手を引き戻す。
すると中から声をかけられる。
「入っておいで。入りにくい空気を出してすまないな」
士郎の前では気配を隠すのは無理なのかもしれない。アイリは今までのことを鑑みてそう思った。
思えば、寝てると思って寝てたことはないし、隠れようと思って隠れられたためしがない。
「失礼します。えーと、お邪魔します」
「アイリアス君には世話になったな。あぁ、道場の件だが昼は仕事があるから、早朝か夕方にでもうちにおいで。うちの場所はあとで教えるよ」
「アイリアス君いらっしゃい。あなたのおかげでうちの大黒柱が自分を省みることを覚えたみたいなの、ありがとね」
「はははっ、耳が痛いなぁ」
「それにしても……いつの間に二人は仲良くなったの? 昨日は一日中寝てたから話せなかったのよね?」
「それは、えーと……あはははは……、いつの間にかですかね……」
笑ってごまかす。ごまかせるかはともかくとして。
桃子は訝しがったが、問い詰めるようなことはなかった。
ふと、士郎のベッドをよく見てみると布団の中でなのはが寝ていた。
「あ、なのはちゃん。って寝てますね」
「あぁ、今は落ち着いてるが、しがみついて離れなかったんだ。朝一番で突入してきてから泣いたり喜んだり凄くてな。俺としても、申し訳ない気持ちで抵抗できなくてなぁ」
「あんなにボロボロの姿を見せてたんだから当然よ……。でも、なんで今日に限って朝早くから病院に行こうなんて言い出したのかしら……。普段はあまりわがままも言わなくなっちゃったのに、なんでこんなタイミングで……」
なのはの顔には涙の跡があった。
でもそれは悲しみの涙だけじゃない。きっと、喜びの涙のほうが多かったはずだ。
アイリはなのはの頭を優しくなでる。
光の輪に包まれた綺麗な栗色の髪を、丁寧に丁寧になでる。
「なのはちゃんがいい子だから……。優しい子だから、報われたんです。こんないい子なんだもの、守ってあげなきゃ……。僕だって、この子の力になりたい。なのはちゃんには……笑っていてほしい」
なのはには泣き顔よりも笑顔がよく似合う。あの部屋で見せたような、天真爛漫な笑顔が。
アイリは普段アリサにするように、大切なものを扱うように丁寧になで続ける。
なのはの髪はやらかいな。そんなことを思う。
だが、その場には他にも人がいることを忘れていた。
「あらあら、……あらあら!」
「はっはっは、なのははもう自分の騎士を見つけたみたいだなぁ」
「え?! いや、その! ちっ、違うんです! なのはちゃんは……えーと、妹みたいで! 同い年くらいの妹がいるんですけど、アリサっていって……、って知ってますよね! とっ、とにかく同じ感じがしたんです!!」
「そんなに否定されると、なのはも傷つくわよー?」
「あ、いや、守りたい気持ちは違わないんですけど! 騎士とかじゃなくてですね!」
「そうだな、騎士というよりも俺の弟子となるんだから剣士といったところか」
「あら! 本格的に教える気なのね。ほんとうにいつの間にそんな仲良くなったのかしら……」
「むしろ剣士というよりも魔法剣士か……。むう、俺も魔法が使えれば……」
ちょっと士郎さん何言ってくれちゃってるの?!
アイリは心の中で絶叫した。
「あなた…………、それはどういう意味かしら」
「ん、どういう意味って…………、あ」
昨日黙っててって頼んだよね。了承したよね?!
視線で強く訴える。
士郎は目を反らした。
「あなた……、詳しく教えてもらいましょうかー」
「いや、あの……あはははははっ」
「笑ってごまかさないの。あとで詳しく聞かせてもらいますからね」
「あ、僕はそろそろ帰りますね。さようなら!」
自分に飛び火しないようにアイリは素早く撤退した。
最後に士郎に視線で、「信じてますからね!」と送ったところ、「すまん、どうしようもない」と返ってくる。
昨日上昇した士郎の評価が暴落した瞬間だった。
主人公、特訓の日々へ。
クロノ君もこの頃は双子の姉妹にしごかれてます。
なのはさんトラウマちょっと解消へ。