――陽炎が立ち昇るような暑苦しい夏の日に、蝉の声が覆いかぶさっていた。
即興で考えたコピーライトの割には、それなりにアリのような気がした。
尤もコピーライティングは、こんなものじゃ務まらない。
文学的な表現に加えて、それをどうやって色々な人たちに伝わるようにするか。
それが大切なのだ、と口を酸っぱくしてサークルの先輩が言っていたことを思い出す。
とはいえ――
「先輩、就活上手くいったのかなぁ……」
そんなことを呟きながら、机の前の椅子に仰向けになる。
暑苦しい。
その上、目の前にあるメモ帳には、さっきタイプした小っ恥ずかしい文字の羅列が浮かんでいる。
(――結局)
夏の暑さも手伝って、俺は少し投げやりな気持ちになる。
いや実際、形になる「何か」を求めてやってきたわけでもない。
そのことはよくわかっている。けど――
「……あーあ」
何だかひどく、嫌な気持ちになった。
胸の奥がつっかえて、そのくせ答えらしい答えはどこにもなく――
そういう時、この朝から昼の時間帯というのはえらく厄介だ。
気持ちの摺り合わせようがないような気がしてならないから。
「……ん?」
コンコン、と音がする。
遠慮しているようでいて、そのくせ、どこかで厚かましいようなそのテンポ。
……まるで、どこかの誰かのようだ。
そして大抵、どこかの誰かといった曖昧なあれこれは削ぎ落とされどこかに消える。
俺がドアに手を掛ける前に――
「おー!」
ガチャっと俺がドアノブに手を掛けて開けると、すぐそこにはいかにも活発そうな女子がいた。
女子にしては高い身長に、それに見合ったような体型。まあ、その辺はおいといて。
こんな暑苦しい夏にも関わらず、他人の部屋に来るような――ああ、あの頃と変わらない。
「お邪魔していい? 荒川?」
「……いいよ、猪熊」
サンキュー、と言いながら、とっとと俺の部屋のベッドに腰掛ける女子だった。
「うわ、あっちー……」と服をパタパタとさせながら、部屋のエアコンのリモコンをいじくっている。
あいつときたら、また……
「猪熊。エアコンの温度は28℃まで」
「えー……」
「えー、じゃない。お前は一人暮らしの大学生の事情を知らないんだ」
ちえー、と言いながら、少しばかり口を尖らせながら、猪熊はリモコンをいじくる。
ピッピッピッと……ひょっとして、26℃ばかりにまで下げてたんじゃないか、コイツ……。
「別にさ、少しくらい下げてもよくない?」
リモコンから手を離して、彼女はこっちにジト目を向けてくる。
こういう時のコイツの心情が何となく分かる気がしてしまう。
自分がちょっとばかりやり過ぎたのかと思いながらも、それでもどこかでそうでないと思いたい――みたいな感じ。
根っからの図々しい嫌なヤツじゃない、ということはよくわかっているから、俺も強気に出られないのだった。
「1℃下げたら、いくら料金が上がるか知ってるか?」
「ううん、全然」
平然と首を振る猪熊だった。
といっても、それは当然だ。
実家暮らしの学生に、そんなことがわかる由もない。
大学で出来た知り合いでも、一人暮らしのヤツじゃないと、部屋の電気料金の話題なんて盛り上がるはずもなく……。
「――いや。別にいいよ」
下げないでいてくれるなら、と。
そんなことを思いながら、ふと気が付く。部屋の電気が点いてないということに。
「……」
一人の時はともかく、一応来客がいるし……ということで。
無言のまま、俺は間近のスイッチに手を当てる。
パッと、何ともあっという間に部屋の明るさが増す。
「増す」というのは、夏の晴れた日だったから、屋内は明るかったためだ。
でも、どこか仄暗い。いや。一人だけだったら気になりはしないけど――
「えー? どうして電気点けちゃうんだよー?」
それだったらエアコンの温度下げようって、なんて口を尖らせ続ける女子だった。
「……そうだな、わかったよ」
俺は再びスイッチに指を当てて、押した。
電気が消えて、陽の光だけが部屋を照らし出す。
「おお、いいね」と少しばかりおどける彼女を尻目に、エアコンのリモコンをいじる。
27℃に設定し直した。
「おお……一気に冷たくなったよ」
何とも嬉しそうなハスキーボイスを耳にしながら、俺はリモコンを定位置に戻す。と同時に、猪熊がテレビのリモコンの電源ボタンを押していた。
響くマーチングバンドの音、熱い実況の声――
「――今日は、バッセンには行けないぞ?」
楽しそうな猪熊の様子を横目に、俺は先手を打つことにした。
最近、テレビを点ければいつも見られる光景がそこにある。
この暑苦しい時に、何ともいじましくユニフォームに身を包み、相手と死闘を交える高校球児の姿。
当然、目の前の体力バカも見ている。
高校時代、朝っぱらから10㎞ジョギングする帰宅部女子なんて、俺は他に見たこともないけど……。
「えー、どうして?」
事前に携帯していたらしいアクエリアスをゴクゴクと飲み下しながら、彼女――猪熊陽子は俺を見る。
その顔は不満そうでありながら、どこかで面白がっているようでもあった。
「この前行ってから、金銭的に厳しい」
そんな猪熊に当てられる形で、俺も小さな冷蔵庫から烏龍茶を取り出す。
それをすぐさまコップに注いで、口に当てる。うん、美味しい……。
「……うーん。それなら仕方ないかー」
私も荒川の分は払ってあげられないしなぁ。
そんなことを独りごちながら、猪熊はテレビ中継を見続けるのだった。
猪熊陽子とは、中学時代からの付き合いだった。
同じクラスになる時もあれば、違うクラスになる時もある。
一緒にいる時もあれば、そうでない時もある。
後者は特に、猪熊たちの中にイギリスから来た二人が入ってきた時から多くなった、ような気がする。
といっても結局、俺と猪熊は気が合っていたような気がする。
当時のメンバーを思い返しても、あの中で一番……何というか。
「……なんだよ、荒川?」
俺がちょっとでも見つめていようものなら、今みたいに軽く睨んでくる。
しかし、本人がどう思っているのかは知らないけど、そのジト目らしきものに何の迫力もなかった。
「いや、別に。お前がよく小路と一緒の大学に行けたなぁ、とビックリしちゃって」
「なっ……」と何かを言おうとする猪熊を横目に、俺はテレビを点けてチャンネルボタンに指を当てる。
目的の光景では、相も変わらず白ユニフォームの高校球児たちが熱い攻防を繰り広げていた。
うん、なるほど……。
「やっぱり俺はもう、野球は出来そうにないなぁ……」
「私なら出来る気がするなぁ」
ほら、いつも通り。
俺が少しでも何となく思ったことを呟けば、間髪入れずに返してくるヤツだった。
隣を見遣れば、アクエリアスを飲みながら「うーん……これは厳しいかもなぁ」なんて呟く始末だった。
いや、こんな姿は連日のように見ているんだけど――
高校を卒業して、猪熊と小路、俺も同じ大学に進んだ。
結局、俺は猪熊と一緒にいることが多いままだった。
隣で「わ、打った……打ったよ、今の球……」なんて口を押さえながら、凄く楽しそうに実況する猪熊。
初めて、夏の甲子園の話を猪熊としたのはいつだったっけ。
中学時代の野球部だった頃の話を大学の夏に入ってから、猪熊に教えたことがある。
「へぇぇ……」と何となく嬉しそうにする猪熊の顔を見て、ついつい話しすぎて――
「――ねぇ、荒川?」
肩越しに、猪熊は俺を見つめる。
気づけば、コマーシャルの時間だったらしい。
どっちかのチームのコーチがタイムでも取ったのだろう。
俺は猪熊に、同じようなポーズで何となく見遣ることで返事をする。
次にどう質問されるのか分かって――だから、それに対してどう返すのか面白おかしく考えて。
きっと、同じように面白おかしく思っている猪熊は、口を開ける。
「今日さ、バッセンいかない?」
そんなことを言う猪熊だった。
いたずらっぽく笑い、ベッドの上で胡座を書き続けながら、俺の答えが分かっているだろうにも関わらず聞いてくる始末だった。
「さっきも行ったように今日は無理。もう少し経ったら考えるよ。その時、アクエリ持ってきてくれるなら……」
俺がそう応えると猪熊は、「それじゃいいよーだ」なんて楽しそうに言いながら、視線をついと反対側に持っていくのだった。
そして、チラッと俺を見て、
「――折半なら、考えてあげるけど?」
自分の持ってるアクエリアスを頬に当てて、笑いながら俺に提案する。
折半……バッセンの料金か、それともアクエリアスの料金か。
それとも――その中身か。
俺は、そんな猪熊の頬にちょいとばかり口を寄せてゆっくりと言う。
「……」
どんなことを返したのかは秘密にしたいと思う――
連作ですので、色々と陽子との話も変わると思います。
何かリクエスト等ございましたら、是非ともお願いします。