猪熊陽子とのちょっとした話   作:ケイトラ

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気の向くままつらつらと。


ラーメン行脚

 ――きっかけなんて些細なものに過ぎない。

 そのことを身をもって知ったのは中一の頃だ。

 忘れもしない始業式の日のこと。

 

 俺は「新生活」に期待感と高揚感を持って颯爽と教室に登場した。

 そこには誰もいない。俺一人だけの空間だ。

 よし! と内心でガッツポーズ。何となくだ。「クラス初!」って気持ちいいだろ?

 新しく始まる学校生活にふとしたことで優越感を覚えるのは思春期男子の特権だなあ……なんてことを今となっては思う。

 

 ――あれ?

 

 だから後ろから声がした時も少しばかりの間を挟まなければいけなかった。

 後ろから聞こえてきたハスキーボイスに俺はゆっくりと振り返る。

 

 そこにいたのは短めの髪をおさげにまとめた女子生徒だった。

 身長は(当時の)俺と変わらないか、ほとんど同じくらい。

 彼女はキョトンとした表情で教室を見渡していた。

 

 ――なんだー、私のが後かぁ……。

 

 なんてことを言いながら「こら、しの! 寝坊しちゃダメだろ?」なんて続けていた。いや、誰だよ「しの」って。

 内心でツッコミを入れながら俺は彼女に呼びかける。

 

 ――残念だったな。この教室は一人用だ。

 

 今思うと、何てガキ臭いことを言っていたのだろうか。

 そんな、どこぞの金持ちで生意気なキャラよりもっと狭量なことを言うと「カチン」とでも来たのか、女子生徒が応戦体勢に入った。

 

 ――だ、男子はともかく! 女子は私が一番先だから!

 

 今思うと、この女子生徒も大概だった。

 その後で「あっ! しのも含めて三人用だぞ!」とか後ろに言っていた。いや、だから誰だよ「しの」って。本日二回目。

 

 何はともかく、こうして俺たちの中学生活は始まった。

 学校生活の始まりはいつか? なんてことを聞かれたら俺はこう答えようと思う。

 

 ヘンな奴とヘンな会話をした時からだ、と――

 

 

「……あのさ。私、思うんだよ」

 

 ズルズルと音を立てながら麺を啜る彼女が言う。いや、噛み終わってから話せ。あと、箸で人を差すな。

 

「何だ?」

 

 ズルズルと音を立てながら俺もそう返す。いや、噛み終わってから話すべきだったな……。

 モグモグと咀嚼し終えた猪熊がコホンと一息ついて、言った。

 

「これからの楽しみ、無くなっちゃったんじゃないか、ってさ」

「……お前にとっての楽しみはそれくらいしかないのか」

 

 レンゲにスープを入れてそれを啜りながら呆れ顔で返す。

 割と本気で目の前の女子の体調を心配したぞ? いや、わりかし冗談だけど。

 

「だ、だって! これで千葉の名店を制覇しちゃったんだぞ!?」

 

 水をゴクゴク飲んでから猪熊は緊急事態であるかのように、俺に言うのだった。

 あー、はいはいとあしらいながら俺はスープを啜り続ける。うん、美味い。

 

「足を伸ばせば、まだあるだろ。千葉は広いんだから」

「で、でも……それじゃ、かなり遠くまで行くことになっちゃうじゃん」

 

 雑誌についていたクーポン券片手に、目の前の女子はどこまでも一途だった。ラーメンに。

 

 猪熊と夕飯をちょくちょく共にするようになってからそれなりの時間が流れた。

 それである日、大学の学食を食べている俺の前に来た猪熊が放った一言が雑誌片手にこう言った。

 

 ――千葉のラーメン屋制覇作戦だぞ!

 

 さながら獲物を見つけた豹のごとく喜色満面の猪熊だった。

 あー、はいはい。あれだろ、その雑誌。お得なクーポン券満載のラーメン店網羅した感じのヤツだろ?

 とりあえず俺は頼んだ唐揚げ定食を片付けると水を一口飲んで喉を潤した。

 それから、言う。

 

 ――お前、千葉にラーメン屋いくつあると思ってんだ?

 

 至極当然の返しだったと今でも思う。

 

 何はともあれ、こうして俺たちの夕飯ラーメン一色ライフが始まった。

 過程を端折り過ぎ? ……言わないでくれ。猪熊に付き合わされるのは今に始まったことじゃないんだ。

 でもって、その後は俺の家で宅飲み。こんな不摂生な生活だと体重が心配されるところなのに猪熊は全く体型が変わらないから余計に厄介だ。

 元々鍛えまくってて基礎代謝が高いからな、コイツ……。

 

「……ふぅ。満腹満腹」

 

 大盛りを片付けた俺たちはラーメンを食べた後特有の謎の達成感と高揚感に包まれながら、水を飲んでいた。

 こうしていると、何もかもを忘れそうになる。そんな時間だ。

 

「荒川的には、どうだった? 私、前の店より美味かった気がするんだけど……」

 

 猪熊の問いかけに俺は何と答えたものか。というか、近くに店員さんがいるのにそういう質問はやめろっての。

 

「いや……美味かったよ。うん」

「味気ない答えだなー……」

 

 俺の返しにご不満なのか、猪熊はジト目を向けてきた。

 いや。これくらいしか返せないんだっての。小路とかと違うんだ。俺の語彙力舐めんな。

 ……まあ、目の前の女子も大してレベル変わらないんだけどな。

 

「もっと無いのか? 麺のコシがいいとかスープが美味いとか」

「そういうのは質問する側が先に言えよ……もしかして思いつかないから俺に聞きたいんじゃないだろうな?」

「うっ……」

 

 おっ、どうやら図星だったらしい。

 こういうヤツなのだ。自分が何かを表現しようとする時、何も思いつかないと助けを求める。

 その相手は大抵、小路なんだけどな。小路、こういうラーメンツアーとか絶対に参加しないだろうし。

 いや、理由はそれだけじゃないんだろうけど……今は置いておこう。

 

「……まあ、いいや」

 

 ちなみに妥協するタイミングはなかなかいいと思う。いちいちラーメン品評できるほど俺たちは名人じゃないしな。

 美味いものは美味い。楽しいものは楽しい。

 ……一緒にいて落ち着くヤツとなら尚更そうだ。

 

 

「――それじゃ、ビール買いに行くかっ!」

 

 ラーメン屋を出た俺たちの内の一方が明朗快活な声で提案してきた。

 ラーメンの後でビール。

 およそ、この世で最も禁断の組み合わせである。間違いなく小路とか参加しない。賭けてもいい。

 まあ、目の前の女子がどこ吹く風なのはそりゃそうだ。コイツ、ホントにいくら食おうが飲もうが太らない。

 俺? ……まあ、程々に影響受けてるな。うん。

 

「……もうすぐ、かあ」

 

 夕闇の中、夜風に吹かれながら俺がしみじみと呟いた。

「何が?」というツッコミを受けながら、「ああ、コイツはホント変わらないな……」と呆れたりもした。

 

「忘れたのか? ……試験だよ」

「……!」

 

 どうやら本当に忘れていたらしい。隣を見なくても分かる。大方、口をパクパクとでもさせているのだろう。

 まあ、それは置いといて。目下、俺の懸念事項はコイツが試験の存在自体を忘れていたことではなかった。

 

 暗記力、理解力、それに何より……板書が足りない!

 というのが、今の俺たちが共通して持っている危険信号だろう。ヘタをすると単位をポロポロ落としかねない。

 

 だから俺は猪熊を通して提案するのだ。

 猪熊もそれを分かっているのか、ポケットからスマホを取り出して操作し始めた。

 

 俺たちを導き、救ってくれる救世主――

 小路綾を置いて他なるまい。




最初の話で甲子園が始まってるのに時系列がメチャクチャですが……。
何はともあれ次回は誰かさんの登場という運びになるかと。
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