続きは無いかも。
冷たく渇いた風が、髪の毛や肌を掠め取りながら再び虚空へと去っていく。歩みゆく人々もまた、襲い掛かる肌寒さから身を守るために多くがコートやらマフラーを身に纏っている。そんな冬の始まりを告げた、ある朝の境内での話である。
コツ、コツ、コツ――と静かに境内を歩き渡る音が、巫女装束を纏った彼女――
「あの、ちょっといい……かな?」
できる限り相手の気に触らないようにする、そんな穏やかな、悪く言えば低姿勢な声が希に届く。彼女はゆっくりとその声の主に振り返る。そこには、道行く人が十中八九振り返るであろう端整な顔立ちの青年が、実に困った顔を浮かべて立っていた。年齢的には希と同じか少し上くらいだろうか……しかし、その大人しそうでどこか頼りなさそうな風貌が、女性としての母性本能がくすぐられるようであった。
「えぇっと、ちょっと変なことを聞きたいんだけど……ここで赤い鬼みたいな人って見なかったかな? ぁ、ええ、いや、みたいなってよりは、むしろ本物の鬼って言うか……」
少し自信なさげに言葉を選びながら説明する青年に、つい友達の一人の内気な少女を連想してしまう。しかし鬼のような人とな? しかも赤い鬼とは、なかなか面白いことをいう人もいるものだ、と希は内心ほくそ笑みながら、この純真そうな青年と向かい合って言葉を交わし出した。
「赤い鬼なんて見てへんよ。そもそもここは神様を祀る場所やからね。鬼さんが簡単に入ってこられる場所やあらへんよ」
「あぁ、ははっ、だよね……」
――関西弁? でもなんか違う。
それが青年がこの巫女姿の少女に対して抱いた最初の感想だった。彼がその話し方に若干の違和感を感じたのは、仲間であり、そして彼女と同じく関西弁を話す“金色の熊”を思い浮かべたからである。流暢な関西弁を話す彼と違い、彼女の関西弁はどこか嘘くさく、俗に言う似非関西弁というものであったからだ。
「あの、ありがとうございました。それじゃあ僕はここで――」
この少女の話し方がどうも気にはなるが、結局目当ての人物は見つからなかったわけだし、ここに長居するわけにもいかない。そう思った青年は、希に一礼して境内から立ち去ろうとした。その時だった――
「危ないっ!」
「え?」
ドゴンッ! と鈍い音と共に青年の頭に何かがぶつかってきた。希がその物体を確認すると、それはどこにでも見かけるような、ごく一般的なサッカーボールであった。その衝撃と、軽い脳震盪を起こした事からゆらりと後ろに倒れてしまう青年。もちろんそんな状況を無視できる程、東條希という人間は白状ではない。手に持っていた箒をその場に置くとすぐに青年の元にかけつけた。
「だ、大丈夫っ? 怪我とか無いっ?」
「あ、あはは……だ、大丈夫……こういうの、慣れてるから」
あまりに突然の事だったのでつい標準語で話し出す希。もちろん状況が状況だけに彼女自身も青年も気付いてはいないが。それにこの青年の“慣れてる”という言葉に、普段どういう人生を送っているのかが気になってしまう希であった。
しかし一体何処から飛んできたのか、とすぐに周囲を見回す希。すると階段を駆け上ってくる数人の運動着を着た小学生が見えた。少年たちはボールの所在とその結果与えた害に気付くと、途端に罰の悪そうな顔を浮かべて、恐る恐る彼らの元へと近づいていった。
「あ、あの……ご、ごめんなさい!」
「いや、いいよ。こっちも大丈夫だから。それよりも、これからは気を付けてね。道路に飛び出したりすると危ないから」
「はいっ」
当然青年に謝る子どもたち。青年も特に怒ったりはせず、注意を呼びかけるだけでそれ以上の事を言及したりはしなかった。こちらにお礼を言いながら境内を去っていく子どもたちに笑顔で手を振り続ける青年。本当に穏やかな人だなぁ、と希が感心していたところだった。
「あの、ごめんね。なんか無駄に心配かけちゃって。それじゃあ、今度こそ」
そう告げて再び希に踵を返し、境内を後にしようとする青年。しかし鳥居を抜けて境内の外に足を踏み入れようとした、まさにその時だった。
――ブチッ
「ぇ?」
何かが千切れるような音と共に、間抜けな声を発しながらその場に前のめりに倒れ込む青年。希は一瞬何が起こったのか把握できなかったが、青年の方はというと「またか……」と言いたげな表情を浮かべながら苦笑していた。
だがその後すぐに希も何が起きたのか気付く。一言で言えば、靴紐が切れたのだ。古い靴なのかな、と考えていた希だが、この後の青年の言葉でその予想が間違っていることに気付く。
「買ったばかりなのになぁ」
「(えぇ~……)」
そんな事があるんだ、とこれまた青年の不幸に半ば感心していたところだった。しかし、彼に振りかかる不幸はこんなものでは終わらない。
不幸の女神にとことん愛された彼――
――ポト
「……え?」
「あ……」
うつ伏せになっている状態の背中に、何かが降りかかったことに気付く青年。そして、もはやこれすら慣れているのであろう。傍から見ていた希と共に自身に何が起こったのかすぐに理解する良太郎。
そう、今度は背中に鳥の糞がかかったのだ。良太郎が顔だけ上を向けると、そこには鳥居で我が物顔で止まっている一羽の
「(でも……今日はそこまで酷くないかも……)」
しかし良太郎の日常というのは、幸か不幸かこういう目に遭うのが当たり前になっているため、この程度の事ではもはや気にすらしなくなっているのが現状だ。そもそも本来ならこの後、倒れている状態で自転車に引かれることがザラにあるのだから。一連の不幸の連鎖の中で、自身への傷が殆ど無いことには「幸い」と言わざるを得ないところに、彼の人生の悲惨さの片鱗が見えるというものだ。
「(はぁ……折角上着を借りたのに、これだと
自分にこれ程の不幸が当たり前のように起こっているというのに、彼が抱いているのは自分の不幸への不満ではなく、自分にこの服を貸してくれた家族へ対する一抹の不安だった。その想いの節々に、彼のお人好しな性分が見え隠れするのが分かる。
「あの……本当に大丈夫?」
「うん。いいよ、そんなに気にしなくても。こんなのいつもの事だし」
「い、いつもって……」
希は良太郎に心配をかけるも、彼は依然として自然体で、まるで自身に起きた不幸に対する気兼ねなど一切持ち合わせていなかった。しかし、彼と同様にお人好しとしての性分が強い希のことである。そんな彼をこのまま放っておくことを善しとはしなかった。
「とりあえず来て。ちょっとは汚れ取れるかもしれへんし」
「え? でも――」
「いいからっ。ほら、早く来なぁって」
「ぇ、わぁああぁぁぁあ~!? ち、ちょっと待ってぇぇぇ~!」
そして良太郎を立たせると強引にその手を引っ張っていく希。良太郎にとっては今までの不幸よりもこちらの方が大事件らしいのか、弱弱しい悲鳴と共に年下の女の子に引っ張られていくという、何とも情けない体たらくを晒していた。
これが、幸運の女神に愛され、今を時めくスクールアイドル「μ's」の母とも言えるアイドル――東條希と、
不幸の女神に愛され、誰からも称賛されることなく、人知れず時の運行を守り続ける影の英雄――野上良太郎の、
たった一度きりの、短くて強い、決して消えることのない出会いの“記憶”、その始まりである。
一応続きは考えていますが、今のところ続けるかは未定です。
書くにしても短編ということで後2、3話で完結する話ですし、もう一つの連載小説の合間に、それも私の気分次第で書くのであまり更新は期待しないほうがいいかもしれません(笑)
また、長期連載の予定はありませんが、要望が大きければその可能性も考えておきます。
P.S.続き始めました。当初の予定より少し長くなります。