短編から連載へ変わりました。またよろしくお願いします
それではどうぞ。
東條希は人間である。それも世話好きで包容力もあり、周囲の人間からも頼られる日々を過ごすほどには、滅多に見かけない真人間である。
東條希は人間である。"不幸にはなりたくない"という、誰しもが願うことを人一倍願う、他人よりも幾分臆病な人間である。
東條希は人間である。"幸せになりたい"という、人として当たり前の望みを持つほどには、どこにでもいる普通の人間である。
東條希は人間である。
自分を曝け出せない恥ずかしがり屋な人間。
常に自分を置き去りにし、他人しか思いやらない、自分に厳しい人間。
他人より自分の願いを優先できない優しい人間。
しかし自分の願いも捨てきることができない、どこまでいっても"人間"なのだ。
だから――
――お前の望みを言え。
夢の中ぐらいは自分の望みくらい誰かに話したくなる。
――どんな望みも叶えてやる。
これからもっと、みんなとたくさんの思い出を作れるなら。
――お前の払う代償はたった一つ。
少し怖そうな顔した相手にも、ついうっかり話したくなってしまう。
◇◆◇◆◇◆
慣れたような手つきで上着の汚れをふき取る少女を、良太郎は申し訳なく感じながらも感心して見つめていた。鳥の糞の汚れを落とすような事態はそうそうあるものではないはずだが、洗濯を施さない応急処置としてはとても適切なものであると、同じく鳥の糞の処理をしたことのある良太郎は感じていた。その代償として彼女のハンカチを汚すことになってしまったのだが。
「……ん、よしっ。とりあえずはこれでええかな。あとでしっかり洗濯してな」
「うん、ありがとう。でもごめんね、希ちゃんのハンカチ汚すことになっちゃって」
「ええよ別に」と笑顔で返す少女から汚れの目立たなくなった上着を受け取り、良太郎はそれを自身の座る椅子にかける。
「野上さんって、いつもこんな感じなん?」
ふと思い立った希からの問いかけに、良太郎は苦笑を見せて答えた。
「まあ……今日が僕の平均的な運性、かも」
「さっきのが平均的って逆にすごいんやけど……」
サッカーボールが頭部にジャストヒットし、新品の靴紐が切れ、挙句には何故か朝方に烏から糞を落とされる。そんな極悪コンボを食らっていてなおそれが彼の日常だというのだから、希は感想に困ってしまう。何せ彼女は良太郎とは違い、これでもかというほど幸運の女神に愛された人間だったからだ。おみくじでは生まれてから「大吉」以外を引いたことがなく、チョ〇ボールでは〇ンゼルが出なかったことはないという。もちろんそんな彼女には、サッカーボールが飛んでくることも、靴紐が切れることも、ましてや鳥の糞がかかるなんていう経験はあり得なかった。
――でも、面白そうやんっ。
故に彼女は興味を持ってしまった。このどこまでも不幸の女神に愛された、自分とはまるで正反対な青年の人生に。
「最悪なときは怖そうな人に絡まれる日もあるよ」
「ええ……」
しかしその一言で、希は興味のあった彼の「最悪な一日」とやらを聞くのをやめてしまう。彼の運のことだ。もしかすると「ヤ」のつく怖い人たちと何かあったのかもしれない。もしそうなら、思い出させるのは彼にとって辛い記憶に違いないだろうと思い……。
「でも、まあ……それを全部忘れたいとは思わないかな」
「えっ? どうして? 普通嫌なことって忘れたいもんと違うん?」
「確かにそうだけど……でも、少し苦い思い出も、全部今の僕のものだから」
「……」
「だから、僕は忘れたくないって……」
まるで自分の記憶すべてをを慈しむかのような良太郎の答えに希は閉口してしまう。嬉しいこと楽しいこと、それはずっと記憶に留めておきたい大切な記憶……それは希にもわかっていることだった。しかし、辛いこと悲しいことも彼は全て受け入れている。自分の身に起こった出来事を、まるで宝物のように全て覚えていたいという彼の姿が、希には珍しく映っていた。
「……なんか、おじいさんみたいや。野上さん」
「ええっ? そ、そうかなぁ……?」
「うん、そうやって(いくら何でも悟りすぎだって……)」
この大人しく、思わず世話を焼きたくなる愛嬌のある青年だが、どこか悟ったような、妙な落ち着きを持っていることに希は気になり始めていた。年齢的には自分とさほど変わらない青年ではあるが、その体や心から醸し出す雰囲気は、老成した人物の纏うそれに酷似していた。明らかに若者らしからぬものの考え方を持つこの青年が、希にはとかく不思議に思えたのだ。不幸の女神に愛された彼のことだ、その背景にはきっと凄まじいものがあったのかもしれない、と希は想像せずにはいられなかった。
「っ、そういえばさっき、『赤い鬼』って言ってたよね。それって野上さんの友達?」
空気を換えるように希が絞り出したのは、先ほど良太郎が言っていた尋ね人の件だった。恐らく比喩なのだろうが、彼が「鬼」と称する探し人の存在。友人であるならよいのだが、彼のことだから、持ち前の不幸で巡り合ってしまった悪い人の可能性もある。
「(って、もしそうだったらどうしよう。付き合いをやめるように言った方がいいのかな……)」
尋ねておきながら不安になってしまった希だったが、良太郎の顔を見てその懸念は綺麗に消え去ってしまった。
「うん……すっごく、大事な仲間なんだ」
「……」
その時の良太郎の顔を見て、希は閉口してしまった。その人を思い出しているのだろうか、虚空を見つめ、優しさと、そして愛情に溢れたなんとも美しい表情を浮かべて彼はそう答えた。自分の記憶が大事だと言った時よりも輝いた、彼の虚空を見つめる優しい眼差しに目を奪われてしまった。
「っ、そ、そんなに……大切な人なん?」
「うん。僕は運が悪いけど、あの日、出会えたことは僕の人生で一番の幸運だったって思ってる」
「一番の幸運……」
彼にそこまで言わしめる存在とは一体何なのだろうか。「仲間」と言っていたが、友達ではないのか。または恋人でもないのか。
「希ちゃんもあるんじゃないかな?」
「えっ」
「誰かに自慢したくなるくらいの、幸運な出会い」
良太郎に問われ、希は胸の内に潜ませた眩しい限りの思い出の数々を手に取った。今も自分の隣にいる"彼女たち"の笑顔。彼女たちの出会い。その一つ一つを希は幸せそうに見つめていた。そして良太郎も、そんな幸せそうな記憶を辿っている彼女の小さな笑顔を、無言で、温かな目で見守っていた。
「そうやな……うん、ウチにもあるよ。野上さんに目一杯自慢したい出会い。自慢したい仲間たちが」
「うん。希ちゃんにとってのその子たちと同じくらい、僕にとって大事な仲間なんだ。その赤い鬼は」
「そうなんや……見つかるといいね。その赤鬼さん」
「ありがとう」
こんないい人から限りなく信頼されている"赤鬼さん"とは、きっととても素晴らしい人間なのだろう。希は良太郎の人となりを見て感じた彼の人の好さから、その親友である会いもしない"赤鬼"に対して厚い憧憬の念を抱いていた。きっと粗暴な振る舞いもない優しい紳士なのだろうと、今の良太郎を見て期待せずにはいられなかった。
そんな希の期待も露知らず、良太郎はこれからどうしようかと考えていた時だった。
――prrrrrrr
「あれ? 電話? なんやろか……はいもしもし」
室内に置かれていた固定電話に着信が入った。しかしここは神社とはいえ受付でもなんでもない、ただの休憩室だ。ここにかかってくるとすれば内線以外にあり得ないだろう。そう良太郎が思案したところで、着信に出ている希の困惑した声色が聴こえてきた。
「はい? えっ、えっと、はい、いるといえばいますが……」
「?」
良太郎の顔をちらちらと見ながら電話の向こうの相手と話を続ける希。やがて話がついたのか、希は受話器を耳から離すとそれを良太郎へと差し出した。
「あの、野上さんに電話やって。女の人からなんやけど……」
「女の人? 僕に?」
突然かかってきた電話……だが突拍子もない登場というものを経験したことのある良太郎は、この現象に既視感を覚えていた。そのため、電話の相手もおおよそ見当がついていた。
「もしかして……もしもし――」
「良太郎ちゃーん! 元気してますか-? それと今の女の子誰ですかー?」
「や、やっぱりナオミさん……」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、快活な女性の声であった。声質的には可愛らしい少女の声と言ってもいいのだが、その実は立派なレディなので良太郎はそう表現することを躊躇ってしまう。
そしてどこでも現れる神出鬼没な彼らのことだ。こうして電話で突然かかってくることもありなのだろう、と良太郎はむしろ諦めの域に達していた。その反応に不満なのか、電話の向こうからは少女のような声のまま、ほんの少しだけ怒声が混じるという器用な声が聞こえてきた。
「もうっ、なんですかそのうんざりしたような反応はっ。ナオミおこですよっ」
「お、おこ?」
「良太郎ちゃんの時間より少し未来の言葉なので気にしないでください。じゃなくて、オーナーが呼んでます。すぐにデンライナーに戻ってきてください。あと十秒ほどで八時八分八秒ですから、どこのドアでもいいので飛び込んで乗車してくださいね」
「っ、わかった。すぐに行くよ」
それだけ言葉を残して良太郎は部屋にかけられていた時計を見やる。指定の時間まであと七秒しか残っていなかったため、良太郎は急いで希へと別れの言葉を告げて扉へ向かって駆け出した。
「ごめんっ、僕もう行かなきゃっ」
「ええっ、ちょっと、こんないきなり!?」
「えっと、また来るよ。じゃあっ」
「あっ、野上さんっ、うわ――」
希が最後に何かを言おうとした瞬間、良太郎は外に通じる扉を開いた。机の上に置かれたデジタル時計に「08:08.08」と表示された瞬間のことだった。
世界は動きを止めた。
人はもちろん、空を飛ぶ鳥も、零れ落ちる水も、すべてが止まった世界。
その中でただ一人動いていた人物――それが野上良太郎だった。
そして彼の手にかけた扉の先には境内ではなく、見渡す限りの砂漠が広がっていた。赤みがかった岩山と砂しか存在しない、砂の世界。しかし空を見渡せば、虹色とも銀色とも、無色とも感じ取れる神秘的な空間が広がっていた。
そして――
「――ぎ……って、あれ……?」
良太郎が完全にその空間へと足を踏み入れ、扉が閉まったその時、世界は再び動き始めた。
「今、なんか変な景色が見えたような……っと、そうやっ、野上さんっ!」
再び動き出した希は良太郎が出ていった扉を開け、外へと飛び出した。まだ良太郎を追いかけても間に合うと確信していたからだ。しかし良太郎の姿を探そうと足を踏み出した希はその場で立ち止まり、そして閉口した。扉の向こう側にあるのはいつもの境内の景色であり、その中に良太郎の姿はどこにも見当たらなかった。
「嘘……どこ行ったの……?」
自分は今、良太郎と全く同じ扉を開けたはず。そう信じていた希だが、境内のどこにも良太郎はいない。先ほどまでそこにいた人間が忽然と消えてしまう、そんなありえないことが起こったのだ。希は頭がどうにかなってしまいそうだった。自分と彼は"全く違う扉"を開いたのではないか。そんなおかしい考えが浮かんでしまうほどに。
「なんだったんだろう……」
しかし希は今の出来事を夢だとは思わなかった。その証拠に――
「野上さん、上着忘れていってしまったね」
残されていた彼の上着を、希は苦笑しながら見つめていた。
自身の袴の裾から砂が零れ落ちていることなど全く気付かずに……。
そこまで長い物語になりません。
電王内の1エピソードくらいの気持ちで読んでいただければ幸いです。
では次回もご期待ください。