赤い砂漠の上を猛烈な速度で駆け抜けていく鉄の塊があった。甲高い汽笛を鳴らしながら走る"列車らしきそれ"の前方にはどこからともなくレールが敷かれていき、"それ"が通り過ぎた後にはレールはきれいさっぱり撤去されていく。そんな魔訶不思議な光景に口を出す人物はこの空間のどこにもいなかった。
時の列車――デンライナー。荒野を走るそれは、一見八両編成の列車のように見えるが、その実、過去未来あらゆる時間への運行を可能にしたタイムマシンである。その目的は時の運行の守護、時間からはみ出した者の運搬……その他多岐に渡るらしいが、その製造者や運行目的は駅長とオーナー以外は誰も知らない。
荒野を優雅に走るデンライナーの次の駅は、過去か未来か――
車内の自動ドアが開き、良太郎は食堂車両内へと足を踏み入れる。そこは彼にとって見慣れた景色が広がっていた。彼の出てきた扉の脇の席には、揺れる車内の床に杖を立て、ポーカーフェイスを崩すことなく彼を見やるスーツを着込んだ紳士。向かいの扉の脇にはカウンターが設置され、カウンターには髪にピンク色のメッシュを入れ、多くの男性方を魅了するような白を基調とした官能的な衣装に身を包んだ女性が良太郎に笑顔で手を振っている。腕に通されたいくつもの腕時計が特徴的だ。そして男性と女性の中間に位置する客席には、腕を組んだ気の強そうな幼い少女と、そして――
「モモタロス……」
――赤鬼がいた。
人ではない。赤鬼である。全身を赤く染め、身体中に黒い炎のような模様をつけ、頭部には鋭利な角が二本、そして口には鋭い牙が生えそろっている。正しく"赤鬼"以外では説明できない風貌であった。いかにも怪物と言わんばかりの見てくれであるが、それでいて名前は「モモタロス」なのである。鬼であるのにモモタロスなのだ。ネーミングセンス最低ランクの良太郎に名付けられたのが彼の運の尽きであろう。
しかし彼の周りの人は彼を「鬼」とは言わない。彼は鬼ではなく「イマジン」である。未来の人間の精神体が、他者のイメージによって肉体を得た存在――それがイマジンである。モモタロスは、そんなイマジンの中でも良太郎たちと手を結んだ稀有な存在であった。
「よかった。勝手に一人で出ていっちゃうから心配したんだよ」
「ケッ……悪かったよ」
故に本来なら良太郎と共に行動するはずのモモタロスだったが、良太郎や彼の隣にいる少女を置いて一人でデンライナーの外へ出ていってしまったのだ。良太郎がモモタロスを捜索していたのはそのためである。
いつもなら傍らの少女から鉄拳が飛んできてもおかしくないのだが、"状況が状況"だけに、彼女もモモタロスの気持ちを理解できてしまうのだ。
「それで何か分かったの? ハナさん」
少女――ハナへと視線を移し、良太郎はこの煮詰まった状況の新展開を期待した。
「全っ然ダメ。足取り一つ掴めない」
「ちっ……」
しかし彼女たちからは良太郎の期待した情報は得られなかった。そしていつにもまして苛立ちが募っているモモタロスに良太郎が声をかけようとした時、先ほどカウンターに見えた女性がモモタロスに近づき、彼のテーブルの上に一杯のマグカップを置いた。
「はーい、モモタロちゃん。とりあえずコーヒー飲んで落ち着いてくださいっ」
「……悪ぃな、ナオミ」
「モモタロちゃんが静かだとみんなも元気なくなっちゃいますからねっ。早く元気になってください」
「へっ、そうかよ……ググッ……あーうめっ……」
快活で人懐っこい人格のために誰もから好かれるこの女性の名はナオミ。先ほど良太郎に電話をかけてきた当人である。彼女から受け取ったコーヒー(と呼んでいいのか分からない謎の変色物体)をぐびぐびと飲み干したモモタロスは一息つくと、両手で己の顔を叩いた。
「――っ、アアアァッ! っし、頭は冷えたぜ。んじゃ、こっからクライマックスといくか!」
いつもの活発で熱血馬鹿のモモタロスに戻ったことを確認した良太郎はつかの間の安堵を抱き、そして振り返って先ほどから無言を決めていたスーツ姿の紳士に向かって歩みだした。
「オーナー、話というのは?」
良太郎が声をかけた紳士こそ、デンライナーのオーナーその人であり、時の列車、およびそれらが集まるターミナルの真相について知る数少ない存在である。オーナーは両手に握った杖をピクリとも動かすことなく、淡々と、しかしどこか陽気にしゃべりだした。
「モモタロスくんが戻ったというだけで特にはありません……でーすーが」
「?」
「今一度、これまで起こったことを整理してみましょうか……事情を知らない皆さんのためにもねっ」
最後の台詞こそ聞き取れなかったが、この場で状況をまとめることで新たに気づくことがあるかもしれないと踏んだ良太郎は、自分より今の状況に詳しいオーナーたちの言葉に静かに耳を傾けていた。
「ます初めにこの"2013年"で良太郎君たちは復活したネガタロスと対峙しました。何故蘇ったかは分かりません。あの時仕留め損ねたのか、あるいは何者かによって蘇ったか、はたまた自力で蘇ったか……真相は今も闇の中……ではありませんね、彼に聞けば済む話です」
ネガタロス……それはかつて良太郎たちを苦しめた、イマジンたちを束ねるボスである。デンライナーとデンオウベルトなる装置をコピーし、悪逆の限りを尽くしたイマジンであったが、最後は良太郎たちと、そして異形の戦士の手によって爆炎の中へと消えていったはずだった。
「ネガタロスはベルトこそ持ってはいなかったけど、あいつ自身めちゃくちゃ強くなってたし、傍にもとても強いイマジンを控えさせていたわ」
「偽物野郎よりあのパンク野郎だっ。あいつらを吸い込みやがって……クソっ」
「ウラタロス君とキンタロス君、リュウタロス君が敵の術中にはまり消えてしまいました。そして残った良太郎君とモモタロス君はそのまま敗れてしまいます」
イマジンとは本来、現人類にとって敵である。人間の身体を乗っ取る、または誰かの過去の時間を破壊して自分たちの時間にする。それが多くのイマジンたちの在り方であった。モモタロスのような人間に味方するイマジンというのは、本当に稀な存在であるのだ。故に、モモタロスたちは大多数のイマジンから恨まれたり煙たがられたりしている。
「モモは憑依が解けた瞬間にどこかへ飛んでいって気を失って、そのまま見つからなかったからよかったけど、良太郎が……あのまま行方不明で……」
良太郎は彼らの話を既に聞いてはいたが、今一度聞くと到底実感が湧かないものだと思わざるをえなかった。
「それで過去の……"2009年の僕"を呼んできたんだ」
「ピーク、とまではいきませんが、敵と多く戦闘を積んでいた時期の良太郎君なら、と踏んでのことです。今のネガタロスをあのままにしておくのはとても危険ですからねぇ。今回は特別に……ね」
「お願いしますねぇ」とオーナーは相変わらずの楽天的な口調で説明するが、事態は深刻だ。未来の自分が消えるなど、とんでもないことだ。しかも自分だけではない。モモタロスと同じくらい大事な仲間であるウラタロス、キンタロス、リュウタロスまでもが消えてしまったというのだ。
「(ごめん未来の僕。これが終わったらちゃんと身体鍛えるから……)」
今の自分がふがいないばかりに、と今更遅い謝罪を未来の自分へ向けて送る良太郎。そんな奇行を誰も気づかないし、気づいたところで理解できないだろう。しかし彼がそこまで悲観的ではないのは、未来の自分が死んでいないことを確信していたからだ。良太郎はモモタロスらイマジンと"繋がって"いる。もし良太郎の身に異変が起これば、モモタロスたちも道連れという形になるのだ。こうしてモモタロスが消えていないということは、自分もまた消滅したわけではないということの証明になる。だからこそ、良太郎は未来の自分が今もどこかで生きていることを信じていたのである。
「……あん? くんくん……なぁ、良太郎。お前さっき誰かと会ってきたか?」
オーナーたちの整理がひと段落したところで、突然モモタロスが犬のように良太郎の周りの匂いを嗅ぎ始めた。彼の鼻は犬並みによく聞くという(本人は大の犬嫌いだが)。その嗅覚は、周囲に他のイマジンがいるかどうかまで判別できるほどに……。
「え? うん、神社で女の子と少しだけ話を……っ、ああっ!!」
「どうしたの!?」
「幸太郎から借りた上着、忘れてきた……」
「はぁ……何よそんなこと。びっくりさせないでよ」
「ごめんハナさん。取りにいかなきゃね」
ようやく上着を希のいる神社に忘れてきたことに気づいた良太郎は、すぐにデンライナーを降りて取りにいこうとするが……。
「良太郎、多分その女――」
「え……」
◇◆◇◆◇◆
冬の空から降りてくる乾いた乱暴な冷風に、町往く人は肌寒さで動きもぎこちなくなる。その町の中を、東條希は大した厚着を纏うこともなく、悠然と心地よさげに歩いていた。冬の始まりを告げる北風も、今の火照った彼女の身体の前では心地いい風にしかならないだろう。
東條希は千代田区にある国立音ノ木坂学院に通う華の女子高生である。三年生であり卒業も近づいてきた彼女であるが、まさに今が人生の頂点と思わずにはいられないほど、青春を謳歌していた。彼女には今、何よりも夢中になれることが存在していたからだ。
――スクールアイドル。
その名の通り、学生が集まり結成されたアイドル。学校ごとに様々なアイドルグループが存在する、いわばローカルアイドルのようなものである。プロではなく学生によるアマチュア集団であり、技術こそ拙い者も多いが、プロのような制約に縛られることなく自由に行動できるのが学生であるスクールアイドルの最大の強みである。また、一つのスクールアイドルグループが人気になれば、そのメンバーが通う学校も有名となり、入学希望者が増えるという現状になりつつある。
スクールアイドルの人気は現在も着実に増加しており、既に一度、日本一のスクールアイドルを決める全国大会も開催されている。大会は大成功を収め、早くも第二回大会の開催が決定している……というより、その地区大会は既に始まっていた。
そしてこの東條希も、無数にいるスクールアイドルのうちの一人である。彼女が夢中になっていること、それがスクールアイドルとしての活動であった。高校生になるまで、自身が幸せだと思うことを経験してこなかった彼女は、音ノ木坂に入学して初めて気の置けない友人ができ、スクールアイドルに出会い、ようやく幸せな時間というものを手にした。
――止まっていた時間が動き出した。
いつか、自身の親友に対して彼女が言った言葉である。無情に、呆気なく、幸せを得る前に手から零れ落ちていく己の過去を思い返した時、希は自分の時間が止まっていたのだと認識した。味気のなく、寂しい思い出の多かった過去を、彼女は好きにはなれなかった。今の生活が幸せであればあるほど、彼女の過去の記憶は、彼女から零れ落ちようとしていた。そして彼女もそれを気には留めなかった。
話を戻すが、青春を謳歌している最中の東條希は、今しがたスクールアイドルとしての練習を終えてきたところであった。神社で良太郎と出会った後、巫女装束から運動しやすい練習着へ着替え、境内へ集まってくるスクールアイドルの仲間たちと共に練習を始めたのだった。地区大会の最終予選まで一ヵ月を切り、彼女たちにとって大切な時期に入っているが、彼女の心の中は穏やかだった。大切な友達ができ、みんなでスクールアイドルに励み、幸せになってしまい、夢が"ほとんど"叶ってしまった彼女にとっては焦ることなど何もなかった。とはいえ大会を諦めている訳ではなく、負ける気もなかった。彼女とて他のメンバーと心は同じで優勝を目指している。ただ他のメンバー以上に今の時間を噛みしめていただけである。
「そういえば野上さん、また会えるんかなぁ?」
小脇に抱えた良太郎の着ていた上着を見やり、彼女はあの後練習中も現れなかった彼のことを思い返す。苦い思い出もすべて自分の大切な記憶だと言っていた、あの青年のことを。練習中は忘れていたが今になって考えてみると、理解できなくもないが、それでも完全に同意することはできなかった。彼女にとっての過去は、友人に飢え、愛に飢え、孤独な記憶が大部分を占めていた。当時の感情ならすぐにでも思い出せる、忘れたくても忘れられない時間。差し支えがないのなら、忘れても構わないという気持ちすらあった。アプリの容量のようにどれかを消さなければいけないとすれば間違いなく選んでいた時間であろう、と電気街に並ぶ端末を見て冗談を考える。
「(やっぱり、過去よりも今の方が大事だよね)」
良太郎が決して過去のことを引きずっているわけではないことは分かっている。ただ希自身は「今以上に大事な時間なんてない」という考えを変える気にはなれなかった。良太郎の「すべての時間を大切にする」という主張は確かに正しいのだろうが自分にそれはできない。他人より少し臆病な少女の得た結論は、ただそれだけの話である。
「……あれ?」
その時、電気街を歩く希の視界に、店頭に展示されている液晶テレビの映像が入り込んだ。映像ではニュース番組が流れており、その内容はとある町で大規模な建造物の倒壊が起こったという事件である。相当の大事件なのか急遽番組の内容を変更して現場からの生中継が行われている。
「嘘……ここって……」
そして希はその光景に見覚えがあった。何度も見た住宅街に、渡ったことのある線路の踏切、連なった山の形、そして通ったことのある小学校……そこはかつて希が一時的に暮らしていた町であった。そして何より、ニュースの元となっている倒壊した建物こそ、彼女が暮らしていたマンションであった。
「どうして……」
転勤族の父親に引っ張られる形で、毎度の如く違うマンションでの暮らしを求められていた希。今回倒壊したマンションもそのうちの一つだが、一年ほどではあったが今まで暮らしてきた中では比較的新しい造りであることを覚えており、故に崩れることなど到底考えられなかった。
希にはこのマンションでのいい思い出はない。転校して友達が変わることも慣れ、またすぐに転校することも分かっていた少女が、積極的に友達を作るのをやめた時期であった。故に自分の部屋に友達を呼んだ思い出もなければ、友達の家に遊びに行った思い出も、この町にはなかった。
それでも、自分の過ごした住まいが崩れている様を穏やかに見ることはできなかった。引っ越してきてから何かと世話になった隣の住人に、ゴミ捨て場でよくあいさつするどこかの部屋のおばさんなど、自分が関わってきた人たちがどうなってしまったのかと気が気ではなかった。あの倒壊に巻き込まれてしまったのかと思うと息が詰まりそうな思いであった。
「っ……」
思わぬ惨劇の遭遇に耐え切れず、胸を押さえて蹲ってしまう。
その時であった――
「どーだモー」
「きゃぁ!」
希の眼前に、青い魔人が降り立った。何の予兆もなく、ボールが地をバウンドしたかのように「ボフンッ」という軽い音を立てて、空から降ってきて着地したのである。突然の事態に周りの人間たちは、その場を離れていく人がいれば見世物なのかどうか分からず不安そうに見る人もおり、面白がって写真に収めようとする人もいる。そして当の希は、急に視界一面に現れた魔人に心臓が飛び出すかというほどの衝撃を受け、後ろに尻もちをついてしまっていた。しかし、おかげで彼女はその魔人の全貌を知ることができた。
全身を青く染めたそれは人型ではあるが、即座に人間だとは断定できなかった。全身を青色に染め上げ、五体が激しく隆起したそれは恐らく筋肉であろうが、場合によっては雲のようにも見える。身に纏う衣服は下半身を覆う白色の布と、頭を覆う白色のターバン……宛らアラビアの民族衣装を連想させるものを身に着けていた。そして、この場にいる誰よりもこの魔人に近い望みだからこそ気づいた、魔人の顔。ギョロリと希を見つめる目の瞳孔は人間の形ではなく、半開きの口から覗かせる鋭い牙や、そこから漏れる吐息が、この存在が単なる着ぐるみではなく、本物の異形であることを希に知らせていた。
「あ、あなたは……何っ?」
「モー? モーおれたちのことわすれたモー?」
「え?」
魔人に問われ、希はその魔人の顔をもう一度見つめ直す。そしてそれに近い顔を既に見ていたことを思い出した。先日、練習で疲れ果ててベッドに入り込む前に寝てしまった夢の中、目の前の魔人に似たような怖い顔と出会ったことを思い出した。何でも願いを叶えてくれるという、まるで魔法のランプの魔人のようなことを言い出すものだから、ついポロリと誰にも明かしていない願いを口にしたのを覚えている。
「あれ、夢じゃなかったんだ……(でも、あの時とどこか違うような……)」
「あれ……ねがいかなえたのに……なんでひらかないんだモー?」
「な、なに……?」
魔人は希の様子を見るなり、首を振ったり頭を両手で抱えたりといかにも悩んでいますという態度を大げさにとりながら、希の目の前で右往左往し始める。しかし突然ピタリと立ち止まると、目の前の電気店を指さして希に問答を始めた。
「おい、このみせ、おまえの"しあわせなおもいで"かモー」
「え? ち、違う、けど……」
質問の意図がまるで分らず、いつも目にするが特に思い入れもない、こんな時でもなければ存在すら気づかなかった電気店に大した執着もないため、希は正直に質問に答えてしまった。
そして――
「じゃこわすモー」
「え――」
瞬間、轟音と旋風と熱波が全身に襲い掛かってきた。あまりに一瞬の出来事で目を塞ぐ暇もなかった希は、その一部始終を両目に焼き付けてしまった。先ほどまで自分と会話をしていた魔人が、店の中へ突っ込んでいっただけ……たったそれだけで、目の前の電気店が地獄と化した。強引に突進していく猛スピードの巨体によってまず壁にひびが入った。魔人の空気を裂くほどの速度で打ち出された拳は大地を裂き、周りを覆うコンクリートの壁を巻き込みながら、建物内のすべてを衝撃波に巻き込んだ。家電を巻き込んで火災が起こり、すぐさま大爆発が起こった。そして電気店どころかその建物ごと倒壊してしまったのだ。まるで、先ほどニュースで見たマンションのように……。
「ぁ……ぁぁ……」
何故この現場の至近距離にいて自分は生きていられるのだろう……などという考えは浮かんでこなかった。目の前で、きっと今、人が死んだ。事の重大さがあまりにも大きすぎて、情報量がこの一瞬では収まりきらず、その場で立ち尽くし茫然自失となっていた。
周囲に人間が散り散りに逃げ去った中、ただ一人希は魔人――イマジンの眼前に取り残されてしまった。
「これで、どうだモー」
「っ……いや……ぁ」
「モー? まだひらかないモー……」
再びイマジンが現れたことで希は意識を取り戻すが、彼女にはイマジンの言葉などもう耳には入っていなかった。今逃げなければ、自分が死んでしまう。先ほどの建物のように、自分が壊されてしまう。イマジンの思慮などを気にする余裕のない希には、逃げる以外の術がなかった。
「くぅっ」
「なんでにげるモー」
冷静に考えればあのような怪物から逃げ切れるはずもないことが解るのだが、彼女の本能が諦めることを許さなかった。今はとにかくあの化け物から距離を取る。希にはそれしかすることがなかった。
そしてイマジンは気だるげに希の後をのそのそと歩いて追いかけた。しかしその歩みは、歩みであるはずなのにまるで飛んでいるかのように軽く、一歩一歩ゆっくり踏み出していても走っている希との距離が開かずにいた。その事実が希の恐怖をさらに駆り立てる。
「きゃっ……っ……(いや……)」
「だいじょうぶかモー」
「(誰か……っ)」
恐怖から後ろを振り向いた直後に希は足を躓かせて転倒してしまう。その間にも無慈悲に近づいてくるイマジンに対して希ができるのは、もはや祈ることだけだった。
祈ったところで意味がないことなど百も承知だった。
こんな出鱈目な化け物から助けてくれる人間なんているはずない。
都合のいいヒーローなんているはずがない。
しかし万が一でも、億が一でも、助けてくれるものがあるなら。
故に彼女は祈らずにはいられなかった。
奇跡を待つしか助かる道はなかった。
『♪~♬~』
東條希は幸運な人間である。
おみくじでは生まれてから「大吉」以外を引いたことがなく、懸賞で外したこともなく、果てには心の親友とも巡り合うことができた、稀有な幸運の持ち主である。
だから――
『♪~♬~』
「モ?」
「え……?」
――再び、彼女に幸運が訪れた。
「モーッ!?」
「きゃっ!?」
希とイマジンを隔てる形で、両者の間を赤と白の"何か"が猛スピードで駆け抜けていく。
「(で、電車……っ?)」
直前に聞こえた汽笛と走る音、そして目の前を走るフォルムから、希はそれが電車であることを看破した。
やがて電車――デンライナーが過ぎ去った跡に、希とイマジンの間に新たな影が立っていた。
「……」
「モー! なんで!? なんでだモー!?」
「野上、さん……?」
新たに表れた人物――野上良太郎は、その登場に慄くイマジンを尻目に、背後の希へと優しい声で語りかけた。
「希ちゃん、ちょっとどこかに隠れててくれるかな?」
「え? う、うん……」
突如現れた良太郎に困惑しながらも、とりあえずは彼の言葉通りその場を離れ、近くの建物の影に隠れて彼らの様子を見守り始める。しかし、何故逃げずに律儀に良太郎の言葉通りに隠れたのか、希は一瞬考えてしまう。先ほどからありえない体験に襲われすぎて感覚が麻痺しているのもあるのかもしれない。だが今一度、希は目の前で自分を背にして立つ良太郎の背中を見た。世にも恐ろしい怪物が相手だというのにも関わらず、まるで腰が引ける様子もなく、堂々と、凛とした出で立ちを維持するその姿に安堵を抱いてしまう。悪運に見舞われていた先ほどの彼の姿からは想像もできないほど、希には今の良太郎の背中がとかく大きく見えた。
だからきっと信じてしまったのだろう。絶望の中颯爽と現れた、正義のヒーローを……。
「モモタロス。あれがそうなの? 強いイマジンって」
『あ? そういやなんかどっか違うなぁ。前はよぉ、もっとキラキラで金ピカのモンしょってたぜ確か」
この場にいるのは良太郎とその背後に隠れている希、そして彼らと対峙する青いイマジンのみだ。しかし良太郎の脳内にはデンライナーで待機するモモタロスの声が聞こえている。彼の荒くれた声は希や対峙するイマジンには届いていない。あらゆる時間の彼と繋がっている良太郎のみがその声を聞くことができるのだ。
『ま、今はそんなことどうでもいっか。気ぃ入れてくぜ良太郎!』
「うん」
「以前とは様子が違う」と言うモモタロスの発言に少し思うところがあるが、良太郎は迷わない。目の前にイマジンが、時の運行を乱すものがあるならば、それを叩くのが彼の使命。良太郎は今、その使命に集中することにした。
「いくよ、モモタロス」
どこからともなく現れたベルトを手にし、良太郎はそれを腰に巻き付けた。慣れた動作でバックルを丹田に当て、反動で腰回りに巻き付いていくベルトが一周し、バックルに設置される。そのバックルに備えられた四色のボタンのうちの赤いボタンを良太郎が押した途端、デンライナーの汽笛と同じ音色が辺り一面を包み込んだ。
『♪~♬~』
そして――
「変身」
静かに、しかし確かな熱い情熱を秘めた言霊を唱えた。
手にしたパスケース――ライダーパスをバックルへと翳した途端、彼の身体に変化が訪れる。
『SWORD FORM』
突然虚空から現れたエネルギー体が良太郎を包み込み、彼は黒色のアーマーを纏った戦士に生まれ変わる。続けて空中に召喚された強固な鎧がその身体を更に包み、最後に兜が頭部を覆う。そして桃を模った兜が割れ、彼の新たな仮面を生み出した。
その戦士の色は赤。何物にも揺らぐことのない激情の色。
腕は巨人の剣に、足は逞しい大樹に変化した、正しく人間を凌駕する存在。
彼もまたイマジンと同様に時を越える超人。しかしその力が振るわれるのは、守る時。
即ち、時間の守護者。
誰に感謝されることもなく、人知れず人類の時間を守り続けてきた存在。
知る人は彼のことをこう呼ぶ。
――『電王』と。
「俺、参上!」
良太郎のものではないチンピラめいた荒々しい言動と共に、時の運行を守護する戦士がここに顕現した。
実験的な意味で文字に色を付けてみました。
小説らしからぬ表現ですがこれもネットならでは、と。
不評なら止めておきますね。
次回もお楽しみに。