走る車と走る少年が茅ヶ崎駅を出発し南下を始めてから数分が経過した。
4人を乗せたタクシーが止まったのは海に程近い住宅街の一角であった。
そして併走していた一之瀬も、当然同時にタクシーの脇に到着していた。
「あれ?なんかー、見た感じふつーに家なんですね、二宮センパイー?」
「そーだな、普通に家だ。木造二階建てで家電製品とかも普通にある。」
「ゲホゲホ……ヒィ……ヒィ……ちょっと……水道借りるぜ、ニノ……」
そんな普通の家の玄関脇にある水道を捻って、唇を蛇口につける一之瀬。
しかし、予想に反して何も出てこない。キュリキュリと音が鳴るのみだ。
最大まで蛇口を廻しきったところで一之瀬が尻餅をついてへたりこんだ。
「ニノー!早く水栓開けてこいよ!それかさー、誰か俺に水くんねー?」
「イチの困る顔が見れて本当によかったぜ。さーてと、中に入るかな。」
「あの、一之瀬センパイー、薄めたポカリだったら残ってますけどー?」
「おほぉぉぉ?!宇佐美ちゃんマジ天子!いるいる!超いりまくるよ!」
ちょこんと正座をし宇佐美のドリンクを両手に掲げて飲んでいく一之瀬。
確かに顔も整っていて肌も綺麗、髪にも艶があり彼の隠れファンは多い。
しかし目の前で見ている宇佐美は疑問に思う。この人本当に高校生かと。
「ポカリうんめえぇぇ!俺が世界の帝王になったらポカリ買い占める!」
「あはは、随分先が長いですねー。じゃあ山田センパイ倒さないとー。」
「いや、べつにセンパイは倒さんよ?センパイ世界の帝王じゃないし。」
「でも映研の部長さんですしー?倒さないと部長になれないんじゃー?」
山田を倒す。それを言われて、きょとんとした顔で宇佐美を見る一之瀬。
見られている宇佐美も、どんな反応をするかと一之瀬の顔を見つめ返す。
見つめあう二人であったが、一之瀬が満面の笑みを浮かべ均衡が崩れた。
「じゃあ部長いらねー。センパイいてくれるんなら別にその方がいい。」
「うわー、意外と一之瀬センパイって欲無いんですねー。びっくりー。」
「そりゃー偉そうにはしたいけどさー、センパイ居た方が楽しいし……」
そこで一之瀬の会話は切れ、その表情が水場の象から肉食獣へと変わる。
すっくと立ち上がり、目を閉じ顎を少し上げて、フンフンと鼻を鳴らす。
そして急に目を輝かせ、その場で足踏みをしながら宇佐美の肩をつかむ。
「エアコン動き出したな!中に行こうぜ宇佐美ちゃん、涼しいからさ!」
「いやー、ふつーエアコンって涼しくなるのに時間がかかりますよー?」
「見た目普通だけどニノんちって全部業務用だぜ?超スグなんだって!」
確かに見た目は二階部分にウッドデッキがあるログハウス風の一軒家だ。
箱根隊の田中別荘に比べると狭いし、庭も普通の屋根付ガレージである。
しかし藤沢の二宮家別邸の装備は強羅別荘にも引けを取っていなかった。
「ほぇー。ホントに涼しいー。どんだけエコ度外視してるんですかー。」
「おっ。エノ、宇佐美姫のご登場だ、部屋までエスコートしてやれー。」
「うぃーッス。宇佐美、おめーの部屋は二階上がって右の奥だかんな。」
「エスコートしろって言ったろ?御手を取って部屋まで案内してこい。」
中はモルタル壁などは一切無い。構造材も壁面も柱も無垢材のみだった。
床も壁面も丁寧に削られた後に自然塗料で薄く加工、まさに木造家屋だ。
外から見ると安い建売だが、中はうって変わって豪華な造りなのである。
そんな中、手をしっかりと握った榎本に案内され宇佐美は二階へ上がる。
扉の音が重く響いて、天蓋付きのダブルベッドとシャンデリアが現れた。
「ほぇーー!」
「すげーだろ?この部屋に案内して落ちなかった女はいねーんだって。」
「なによー榎本くん、まさか私を落とす気につもりになっちゃったー?」
「落とすのは二宮センパイって決まってンだよ。よかったな、宇佐美。」
特に興味もなさそうな表情で部屋を後にする榎本。取り残される宇佐美。
部屋を見渡すと、天蓋ベッドの脇には丸井の袋がきちんと置かれていた。
袋の中身を出して並べると、巨大なベッドもスグに一杯になってしまう。
その中から一之瀬が頭に被っていたブラを見つけて、自分も被ってみる。
ベッド脇の鏡で色々な角度をつけて眺めた後に、顎の下で固定してみる。
そして着ていたジャージとシャツと下着を、次々に床に投げつけていく。
「さすが国産、肌触りが違うぜ!なんちゃってー。でも確かに軽ーい。」
彼女が身に纏っているのは薄いパステルピンクのブラとショーツである。
彼女が自前で持つ下着は全てがスポーツ用、いわゆるスポーツタイプだ。
伸縮、吸汗、フィット等はアスリーテスたる彼女にとっては重要なのだ。
だがそういう多機能型はどうしても重くなる。ユニフォーム感覚である。
だからこそ彼女らは交流試合とかでも平気で体育館内で着替えたりする。
恥を知らぬ訳ではない。その下着は水着以上に色々通さない構造なのだ。
「も少し濃い目の色が好きだけどなー。でもピンクも可愛いかもねー。」
「おーい、食事が出来たぜ宇佐美姫。パンツのままで降りてくんなよ。」
「はーい、ちゃーんと着替えてから降りますよーだ、二宮センパイー。」
三角巾にエプロン姿の二宮が、シャモジを持って部屋を覗き込んでいる。
独特の半目がちの薄笑いの表情で新しい下着に身を包んだ宇佐美を見る。
彼女もまた特に大袈裟なリアクションをすることも無く、二宮を眺める。
「センパイ、楽しいですかー?何だったらもう一回脱ぎましょーかー?」
「脱いだらつまらんだろ。ふむ、イチも意外と趣味は悪くないんだな。」
「私もそう思ってましたー。ああ見えてけっこうチャラいんですかー?」
「馬鹿言えって。イチは第二次性徴止まってるからな、単にセンスだ。」
そう言い残すとパタパタとスリッパを響かせながら部屋を後にする二宮。
残された宇佐美は少し不思議そうな表情を浮かべながらしゃがみこんだ。
ベッドの横から顔をのぞかせ、次々とプレゼントされた服を捲りあげる。
「ジャージだと怒るだろーしなー、しょうがない、お洒落しますかー。」
ベッドの荷物の中で部屋着を幾つか摘み上げて、いそいそと着込みだす。
部屋着用にと二宮が選んだ中では一番動きやすそうな純白のワンピース。
鏡の前でくるくると回転し、二宮の後を追うように階段を下りていった。
豪華な食事が既に用意されていた。しかしその部屋は普通のダイニング。
4人がけの家庭用のダイニングテーブル、そして折り畳み式の小さな机。
宇佐美は榎本の隣に座らされ向かいには二宮と三狩屋が既に待っていた。
大皿には白身魚のフリッター、パインサラダ、スライストマト等が並ぶ。
そして次期映研部長の一之瀬は、小さな折り畳み机の前で正座していた。
「ちょ、まて、この皿、明らかに犬用だろ!どういうことだってばよ!」
「明日は特別にお前だけ一品増やしてやるつもりだぜ。どうするイチ?」
「我慢したら一品増えるんか!そこまで優遇してくれるのか!さすが!」
二宮の素敵な提案を素直に喜ぶ一之瀬。関係が大変良好になり良い事だ。
意図が判らず不思議そうな顔を浮かべる榎本、ただ微笑んでいる宇佐美。
しかし意図に気がついてしまい額に手を当て渋い顔をしている男がいた。
「イチ、いちおー聞くが、『朝三暮四』ってコトワザって知ってるか?」
「馬鹿にすんなサンタ!あれって超大変なんだぜ!親指が歪むからな!」
犬皿に盛られた肉をニコニコしながら頬張る一之瀬。肉は勿論人間用だ。
三狩屋が何度も身を乗り出す。しかし二宮がその肩を掴んで制している。
三狩屋のツッコミを代弁すると、一之瀬の言ってるのは外反母趾である。
「さて、明日は泳ぐから早く寝ろよ。俺も夜這いは静かにやるからさ。」
「さすが女癖ランキング通販部門世界ナンバーワンのニノ、ヨバイか!」
「なんで女癖で通販しなきゃいけねえんだイチ。意味判ってねえだろ。」
「もう疲れたからイチの相手は任せたぜニノ。俺は先に上がるかんな。」
流し台で洗い物をする二宮、テーブルの前に座りTVを見ている一之瀬。
三狩屋が部屋を出るのを確認した後、自分も席を立って部屋を去る榎本。
しかし榎本が扉を出た先には白いワンピースに身を包んだ宇佐美がいた。
「榎本くん、疲れてるー?ちょーっと付き合って欲しいんだけどなー。」
「別にそーでもねえかな。ちょっとだけなら別にいいぜ。どうしたよ。」
「あのねー、お話ししたいんだー。二人だけって中々無かったしさー。」
そのまま手を引き二階に上がる宇佐美。引かれるがままに付き従う榎本。
2人は宇佐美の部屋に入り、そしてそのまま横断して二階の窓から出た。
宇佐美の部屋は窓の外がそのままウッドデッキへの入り口になっている。
「おっきなベランダだよねー。お洗濯ものもたくさん干せそうだよー。」
「こりゃウッドデッキって奴らしいぜ?確かパーティする用だってよ。」
「だからたくさん椅子あるんだー。ねー榎本くん、一緒にすわろーか。」
「……二宮センパイが買った服だろーがよソレ、汚れたらどうすんだ。」
「だいじょーぶ、拭いといたからねー。それに、多分気にしないよー?」
榎本は目の前の少女の事をあまり知らない。ハンド部一年マネという位。
なぜか映研と兼部、やってきては何が楽しいのか映画の勉強をしている。
ハンド部がどうでもいいのかと言えばそうでもない。真面目にやってる。
今回も『体を休めとけば』という榎本の提案を蹴っての旅行参加である。
いろいろと不思議な少女。そして、なんだかちょっとだけ気になる少女。
「ねー、榎本くんはさー、もし一之瀬先輩たち卒業したらどうするー?」
「なんだ、随分先の話だな。そ-だなー、一応卒業まではやんじゃね?」
「じゃあさー、一之瀬センパイ達がいま辞めたら、やっぱ辞めちゃう?」
「そーだな、もしセンパイ達が映研に見切りつけんなら、辞めッかな。」
「でもそれは困るなー。わたし、榎本くんには残っててほしいかなー。」
低い椅子に深く腰掛けるせいで2人の膝は大きく持ち上がる様な格好だ。
宇佐美はその膝に手を乗せて心なしか自ら少し広げている様にも見える。
長いワンピースなので下着こそ見えないが、太股が榎本の目に飛び込む。
知ってか知らずか赤面する榎本をすこし小首をかしげる様に見る宇佐美。
「だったら俺じゃなく二宮センパイに頼めばいいべ?行かないでって。」
「だめだよー。あの人ら自由すぎるしー、たぶん普通に見捨てるよー。」
「そ、そんなことネエ!センパイは仲間見捨てた事なんか一度もネエ!」
「そっちの仲間はねー。でもさー、映研だったらセンパイどうかなー?」
「一緒だっての!イノチ賭けたっていい、絶対センパイは裏切らねえ!」
軋む音を上げながら力強く椅子から立ち上がり、デッキを後にする榎本。
宇佐美は手をついて脚を支える姿勢のまま、榎本少年の後姿を見送った。
「ふふ、かーわいー。やっぱり映研なら断然榎本くんだと思うけどなー。」
ゆっくりと立ち上がるとスカートを何度か叩き、踊るように去る宇佐美。
デッキの入り口の扉はパタリと閉まり、室内の照明もやがて落ちていく。
ほの暗い午前4時。普通に寝ている時間。しかし全ての人が、ではない。
農業漁業従事者、お年を召した方などは起きはじめる。そしてもう一人。
藤沢班で一番元気な彼がニワトリよりも早く起き、走りながら叫びだす。
「朝だ!みんな起きろー!すぐ起きろー!いま起きろー!超起きろー!」
「……忘れてた。イチ、去年も言ったけどな、この時間は夜なんだぞ。」
「嘘付け!めざにゅーやってる時間だぞ!めざにゅーは朝の番組だぜ!」
ドンドンと扉を叩く一之瀬。中から不機嫌マックスの三狩屋が顔を出す。
トランクス一丁の三狩屋は目の前の悪友の姿を見て、そして頭を抱える。
学校指定の緑色のジャージの上下を身に纏い、廊下で足踏みをしていた。
「サンタは忘れてるかも知れんが合宿だかんな!朝はランニングだぜ!」
「……わかった、着替えるから先に他のヤツ起こしてこい。ニノとか。」
「おっけー!えっと、ニノの部屋ってどこだっけ?地下倉庫あたりか?」
「思い出せ、宇佐美がいるだろ。ニノが今まで女の部屋以外にいたか?」
「判った!2人いっぺんに起こせるしお得だな!三方一両損って奴だ!」
「そうそう、それそれ、他の奴おこすまで絶対来るんじゃねーぞイチ。」
少しツッコミ魂が疼いた三狩屋だが、眠気には逆らえず布団へと潜った。
そしてダンダンと大きな足音をたてながらまたも廊下を走りだす一之瀬。
やがて二階へ到着すると重い木の扉に手をかけ、気にせず一気に開ける。
「ニノ、宇佐美ちゃん、おっはよーさーん!朝の走り込みすっからな!」
「……………………………」
「おろ?宇佐美ちゃん一人かよ?ニノの奴、もしかして来てねーんか?」
「あー、来てませんねー。」
目の上に手をかざすポーズをとって部屋中をきょろきょろと探す一之瀬。
一方、部屋主の宇佐美はそんな一之瀬を呆然と見守っているだけだった。
全裸で立ったまま。身体を拭いていたタオルを脇の下にあてがったまま。
「そいえば宇佐美ちゃんさ、今って朝なんかな?それとも夜なんかな?」
「あー、わたしは毎日この時間に起きてますねー。てことは朝かなー。」
「だよな!!起きるよな!めざにゅー見るよな!ラジオ体操するよな!」
一之瀬はそのまま部屋に入って、タオルを持つ手ごと両手で握手をする。
一点の曇りの無い晴れやかな一之瀬の笑顔。よっぽど嬉しかったらしい。
上下にブンブンと腕が振られ大振りな宇佐美のバストも釣られて揺れる。
その動きに気がついたのか一之瀬は遠慮も無しに裸体をじろじろと見る。
「そーいや宇佐美ちゃんさ、裸でつったって、いったい何してたんだ?」
「あのー、流石に体が臭かったんでー、タオルで拭いてましたけどー。」
「ここってでっけー風呂があんだぜ?!よっし、場所案内してやんよ!」
「そーっだったんですかー。じゃあ今から着替えとか用意しますねー。」
「俺が用意すっから大丈夫だって!先に風呂いこーぜ!凄いンだって!」
先程のタオルだけを握ったまま、一之瀬に手を引かれ部屋を出る宇佐美。
その時、クマの絵がドットプリント風になったパジャマが物音に気付く。
騒がしさの確認の為にダブついた寝巻きの袖で目を擦ってドアを開ける。
「あー、榎本くん、おはよー。そのクマさんパジャマ、かわいーねー。」
「……………。」
「エノ、宇佐美ちゃんこれから風呂だからな!マジ覗くんじゃねーぞ!」
「……………。」
上下共に何も隠さないまま、全裸の彼女が榎本に手を振り去っていった。
呆然と後姿を凝視する榎本。振られた手に呼応して、自分も振っていた。
榎本は思った。ここまで見終わってあと何を覗けばいいのだろうか、と。
「けっこう広いだろ?頑張ると2人でプロレス出来るって言ってたぜ!」
「そーですねー。でも2人でプロレスだと、けっこーキツキツかもー。」
「俺もそう思うけど、キツいくらいが丁度がイイってニノが言ってた!」
良く判らない風呂場の自慢を先輩に伝えられて宇佐美は風呂に漬かった。
一之瀬の言う通り二人で抱き合う想定で足を伸ばしてみる。確かに広い。
試しに両脚を開いて相手を抱きかかえる仕草をしてみる。丁度よかった。
二宮の意図を掴み、宇佐美は感心するように腕を組み何度も頷いていた。
「ニノ!おめー宇佐美ちゃんに風呂教えなかったろ!俺教えといたぜ!」
「すっかり忘れてたわ。なんだか昨日はずっとバタバタしてたからな。」
「そだ、宇佐美ちゃんの着替えの用意だ!全裸で風呂入ってっからさ!」
「……そりゃあ、日本人てのは大抵、風呂じゃ全裸だと思うけどな……」
二宮が一之瀬と出会ったのは、宇佐美を風呂に入れた後の復路の途中だ。
やはり一之瀬の騒ぎで何度か起こされて、覚悟を決めて起き出したのだ。
せっかくの入浴シーンだと二宮はごく自然にお風呂に向かったのだった。
水を流す様な音が廊下にも響く。そして脱衣所の扉の前にクマパジャマ。
「おっエノ。オメエそこで何してんだー?覗くんなら堂々と覗けよな。」
「ゴザッスセンパイ。一之瀬センパイに覗かせるなって言われまして。」
少し赤面しつつ目線を外す榎本。二宮はそんな後輩の仕草を知っていた。
ちょっと気恥ずかしい事をしているが、反抗的ではない時のパターンだ。
心の中で苦笑しつつ榎本のうつむいた顔にわざと合わせて覗き込む二宮。
「なるほどな。じゃあ俺も邪魔すんのか?イチについて俺は裏切るか?」
「そ、そんなことしねッス!何年付き合ってんスか!ありえねえッス!」
「じゃあな、間を取って俺の分をエノが覗け。それ以外信用できねー。」
「うぇぇぇ?!俺が?!宇佐美を?!覗く?!いや、マズイですって!」
「何度も言わせんなエノ。覗け。全部覗け。ちゃあんと見てるかんな。」
凶悪な顔で強要する二宮。そしてそのまま脱衣所の扉を開けて放り込む。
そしてくすくすと笑いながら、彼はさっさとその場から退散してしまう。
一方そんな事とは露知らず、扉からの有りもしない殺気を感じてる榎本。
擦りガラスの向こう側に肌色が揺らめいているのが榎本にも見て取れる。
先程の廊下での逢瀬を思い出す榎本。男子らしい姿勢になり背を向ける。
「ねー榎本くーん?そこにいるんでしょー?さっきの聞こえてたよー。」
「ち、ちげぇよ!誤解だ!行き違いだ!単なる相互不理解なんだって!」
どっかで聞いた様な受け答えをする榎本。咄嗟に逃げ出そうとしていた。
しかし風呂場の戸が開き、細い右手が榎本の手を掴み力一杯引き込んだ。
その後大きな音を上げて水柱が発生、風呂の外まで水飛沫が飛び出した。
「榎本くんてさー、見た目怖いくせに、ヘタレすぎって感じだよねー。」
「う、うるせ。俺はプラトニックなんだっての。ヘタレって言うなよ。」
「目の前に女の子の裸だよー?ヘタレじゃなきゃ、ガン見するよねー。」
パジャマのままで彼女に背を向けて、真っ赤な顔で膝を抱えている榎本。
横では全く意にも介して無いのか、髪を泡立てながら頭を下げる宇佐美。
榎本も男子、ゆっくりと首を回してシャカシャカ音の方向に視線を流す。
「榎本くーん?わたしねー、左の脇腹にホクロあるんだー。見えるー?」
「うわぁぁ!あ、そ、そうなんだー!そりゃ良かったな!あはははは!」
「どーせ二宮センパイに『ちゃんと見ろ』とか言われてるんでしょー?」
「そうだった!ちゃんと見ねえと!……あいや、そんなツモリじゃ……」
「だからー、ちゃんと見たのかーって言われたらー、ホクロ言いなー。」
泡を流す宇佐美は完全に後姿である。少し頭を下げて彼女の脇腹を見る。
確かに大きめのホクロがあった。そして自分に向いた宇佐美の目尻にも。
にっこりと笑い榎本の手を引き、湯船から追い出して自分が湯船に入る。
「榎本くんも体洗いなよー。チラ見された分、おかえしに見てやるー。」
「……俺の裸とか見てもよ、誰も喜んだりはしねーかなと思うけどな。」
「まーねー。でもまぁ一方的に見られるだけってのも恥ずかしいよー?」
苦笑しながら湯船の縁に顎を乗せて、榎本の脱ぐ様子を凝視する宇佐美。
濡れて張り付いたパジャマから硬い筋肉が蠕動を繰り返しながら現れる。
特に腕から肩そして背中から腰回りまでギッチリ硬い筋肉が付いている。
「けっこう切り傷が多いねー。やっぱ榎本くんはそれ系の青春かなー。」
「まーな。あの3人と違って、無傷でボコれるほど器用じゃーねえし。」
「やっぱあの3人ってそーなんだー。そんな噂はあったんだけどさー。」
その後、身体を洗いながら嬉々としてセンパイの武勇伝を語る榎本くん。
八王子の暴走族との抗争、狭山湖でのレース、敵将ライターパンチ等々。
バイクと喧嘩と女。ただその武勇伝の時代は、高校生時代どころか……
「中学生がやる事じゃないのばっかだー。聞きしに勝るってゆーかー。」
「あの人らは歳とか関係ねーから。ガチのケンカなら無敵だと思うわ。」
「榎本くん好きだねー。『無敵』とか『ぜってー』とか『ガチ』とか。」
「いや、マジだって。3人揃ったら無敵だぜ、ぜってーガチで勝つし。」
榎本は自分がもう体も髪も全て洗い尽くし、座っているだけだと気付く。
宇佐美は相変わらず湯船の縁に頭を乗せ、にこやかにこちらを見ている。
流石に気恥ずかしくなったのか、立ち上がって風呂場の扉に手をかけた。
「……宇佐美よ、嫌なら嫌って言える様にならないと駄目だと思うぜ?」
「へー、そんなふーに見えちゃうんだー。コレでも言う時は言うよー?」
「ハンドで孤立してるんだろ?敵には容赦するな。後始末なら俺が……」
「あー違う違うー。肉離れが治らないって判って辞めただけだってー。」
「なーんだ、そっかー。辞めただけかー。てっきり俺はハンド部を……」
そこまで言いかけて、榎本くんの脳内には疑問符が次々と生じていった。
あれ?あいつ、ハンド部はもう辞めちゃった後とか言ってなかったか?
でも、あいつ、確かハンドが大好きなんだーってずっと言ってたよな?
「宇佐美、ごめん、もう一度言ってくれ。ハンド部、辞めてきたんか?」
「うん、もう辞めたよー。やっぱりマネだけじゃつまないもんハンド。」
扉に手をかけて出ようとしていたいた榎本が、再び浴室へと戻ってきた。
宇佐美の入る浴槽に入ってしゃがみこみ、寛いでいる彼女の肩をつかむ。
その目は真剣。まるで本気のケンカの時のように鋭く尖った視線だった。
「いいのかよ?俺はハンドの事は良く知らんが、大好きなんだろがよ?」
「いいのよー。アガっちゃんにもさ、専属になれって言われてたしー。」
「あいつはどうでもいいだろ!宇佐美、お前のハンドは終わるんだぞ?」
「失礼ねー。映研の方が好きだって言うの、信じてくれてないんだー。」
「おーい、エノ。覗けとは言ったがな、強姦しろとか言ってないぞー。」
扉の枠に寄りかかった二宮がニヤニヤしながら真剣な榎本に声をかける。
その時に榎本少年はふと、自分の状況を冷静に把握するチャンスを得た。
完全全裸の自分、そして全裸の宇佐美の肩をつかんで押し倒さんばかり。
もちろん宇佐美も榎本の表情に驚いている。胸元はもう湯から出ている。
「ち、ち、ちがうんスよセンパイ!あの、今ちょっと、凄い問題が……」
「榎本くんが、大好きなんだろとかー、後始末は俺がするからとかー。」
「ち、ちーがーうー!確かに言ったけど、そういう意味じゃねえって!」
「責任取れよなーエノ。しかし後始末とかお前、意外に外道なんだな。」
「大丈夫ですセンパイ。おなかの子は、榎本くんと大事に育てまーす。」
「待てー!いつ俺が仕込んだってんだー!でたらめ言ってんじゃねえ!」
結局榎本くんによる人生相談はウヤムヤのうちに散会となってしまった。
そして榎本と宇佐美は二宮立会いのもとで着替えて脱衣所を出ていった。
榎本の着替えも一之瀬が用意してくれた。彼も決して馬鹿ではないのだ。
「考えてみればー、海行くんだからお風呂入らなくてよかったかもー。」
「いかんぞ宇佐美ちゃん!海は広いが有限だー!赤潮できるし魚死ぬ!」
「イチの言うとおり。江ノ島は大事な自然なんだ。そうだよなサンタ?」
「ある意味宇佐美も自然なんだが、どっちにしろ臭い女の子は駄目だ。」
朝の食事は軽く出来あいを摘むだけにして、宇佐美達は早々に出掛けた。
二宮別邸から最寄の海である鵠沼海水浴場までは、徒歩にして約2分だ。
だから水着に着替えた状態で出発している。頑張れば秒殺で帰れるのだ。
「いやー、なんか私、こうしてると、すっごいモテ女みたいですねー。」
「いや、宇佐美ちゃんはもう少し自分を見たほうがいい。多分モテる。」
「やーだ、もしかして三狩屋センパイ『も』チャラい系なんですかー?」
「ちがうって。チャラいのはニノ、おかしいのがイチ、シブいのが俺。」
「ちょっと待て!俺のどこがおかしいんだ!馬鹿にしてんのかサンタ!」
「馬鹿になんかするか。良く考えろよなイチ、お前はカンペキ馬鹿だ。」
宇佐美の前を歩く一之瀬、左右を囲む二宮と三狩屋、そして後ろを榎本。
二宮のコーディネートによって彼女は周囲の目を充分に惹きつけていた。
時々、日に焼けた水着姿の男達が宇佐美を見つけて近寄ろうとしてくる。
しかし藤沢組男性陣のそれぞれの隙の無さと盛り上がる肩が邪魔をする。
「よっし、準備運動して泳ぐか!俺『ラジオ体操第四』覚えてきたぜ!」
「残念だがな、あれはジョーク体操だ。おとなしく股割りしとけって。」
「そんことねえ!すげえイイって!騙されたと思ってやってみようぜ!」
「だから騙されてんだよイチ。ありゃー準備運動だけで体力使い切る。」
その場で二点倒立しながら脚を綺麗に開いたり閉じたりしている一之瀬。
無論、他のメンバーは思い思いに、膝を伸ばしたり屈伸したりしている。
平和な光景。しかし、そこで意外な人物から悲鳴のような声が上がった。
「榎本くん堅ぁい、すっごいガチガチだー。これじゃあ困るでしょー。」
「いててて!まて!こんなカタチ初めてなんだって!普通にやろうぜ!」
「えー、これくらい皆も普通にやってるよー?がんばって榎本くんー。」
「女子に恥かかせんなエノ。オトコなんだろー?グズグズするなよー?」
「ち、違いますって!俺はただ……いてて!お前ホントに馬鹿力だな!」
地べたに座り足を伸ばす榎本。そして背中を手でグイグイと押す宇佐美。
しかし角度が全く下がらない。指先がつま先に届くのは随分と先である。
苦しそうな榎本に対して背後から攻める宇佐美の表情は楽しげであった。
「エノってさ、確かに動き堅いよな。だからパンチ避けれねえんだよ。」
「いや、一之瀬センパイ、そんなん気合で我慢すれば……あだだだだ!」
口答えした榎本に腹を立てた一之瀬が、宇佐美に助力し手を背に乗せる。
三狩屋もなぜかニコニコとしながら榎本の背中に履物を脱いだ足を置く。
さすがに3人分の加重はきついのか、榎本の顔が段々赤く染まっていく。
「ナイフは我慢じゃすまねえぞ。宇佐美、折れるまで押しちゃってな。」
「わっかりましたー!……と、言いたいですけど、もう限界ですねー。」
「判ってねえなサンタ。宇佐美姫、押し方変えてくれる?もそっと……」
宇佐美の手を取って榎本の背中から離させる二宮。そして耳打ちをする。
少し意地の悪そうな笑顔を二人は交換し、そして宇佐美が立ち上がった。
意地悪な女幹部の顔になった彼女は、着ていたボーダーの上着を脱いだ。
そして……
「え・の・も・と・くん?真面目にストレッチしないとオシオキよー。」
「うわ、ナニやってんだ宇佐美!馬鹿!やめろ!からかわれてんだぞ!」
「早く胴体倒したほうがいいぞエノ。だんだんと目立ってくるかんな。」
彼女は後ろから榎本の硬い肩を掴み上半身をぴったり背中に密着させた。
榎本の背中にはホルタートップの水着越しにやわらかい感触が広がった。
むろんそれが何なのかが判らない榎本ではない。故に興奮をしてしまう。
そして彼も水着である。生地はそれほど固くは無い。伸びる素材である。
「エノ、お前に出来る事は二つ。気合で体を制御するか、体を倒すか。」
「くそっ!見さらせ宇佐美!特攻隊長榎本由紀夫、ど根性でえええい!」
「おおー、ほんとに下がってきましたー。二宮センパイってすごーい。」
「ニノはな、他人をオモチャにする事にかけちゃ宇宙で258番目だ!」
「イチ、その良く判らないランキングやめろよ。どこで覚えたんだよ?」
嬉しそうに微笑む一之瀬。適当ランキングはもちろん山田の真似である。
肝心の榎本はというと、なんと曲げないままで膝を胴体へと付けていた。
ど根性と言うだけのポテンシャルが彼には存在しているという証である。
「さて、準備運動もすんだ事だし飯にしようぜ!ハラ超減ったんだぜ!」
「自由すぎるだろイチ。海に来て準備運動して飯とか、ヒドすぎだぞ。」
『♪♪いかしーたールックスー、ポーズきーめーてー♪♪』
「おっと電話かよ。サンタ、わりーけどさ、段取り決めといてくれや。」
少しその場を離れて、首に掛けているストラップの先の電話を手に持つ。
彼の携帯は防水仕様であり、追加でショックバンパーもつけているのだ。
画面に浮かぶ相手先の名前を確認、声が通らぬように手で隠し操作する。
「おかゆ作るんだろ?リゾットじゃないから、米と湯と調味料だけぜ?」
『―?―-?━━―?━――、―━-―━-―━━-━――――?』
「リゾットは全く違うっつーの!そう!病人にいきなり油やるなって!」
『―━―-―━━。―、━―-―━━―、―━-―━━-━――?』
「俺が山田センパイをハメた?いや、ベストプランを練った筈だけど。」
『―━-―━━-━――。━―-―、―━-―━-―━━-━―。』
「するわけねーだろー。まあ、ヤキモチぐらいあるかも知れねえけど?」
『━-―。―━-―━-―━━-━。……―━-―━━、━―-。』
通話は向こう側から勝手に切れた。そして携帯を嬉しそうに眺める二宮。
この段階ではもう相手との通話状態は途絶えているので言葉は必要無い。
だが二宮は携帯電話に呟いた。無意味とは知りつつ。無意味だからこそ。
「俺も大好きだぜ、姉さん。」
少しニヤケながら携帯を仕舞う二宮。そしてストラップをまた首に戻す。
そして戻ろうと振り返ると、後ろには焼きソバを啜っている3人がいた。
予想していたよりも遥かに近い距離。恐らくは会話も聞いていただろう。
「残念だがニノが抜けたせいでな、多数決によりメシって決まったぜ。」
「やっぱり海で食べる焼きソバってー、なーんかおいしーですよねー。」
「ふぉふぁっふぉおふぃふふぃーへ!ふぉふぁふぇふぉふぁへほふぉ。」
紙皿に乗る料理を頬張る3人。油の光沢まばゆい定番のヤキソバである。
ちなみに夏の海でのヤキソバが異様に美味しく感じるのには理由がある。
塩辛いので、汗をかいて塩分が不足する体には好都合な栄養補給なのだ。
「でさ、俺の分の焼きソバちゃんてばドコにあるんだよ、サンタくん?」
「自分で並んで買ってきたんだぜ?ほれ、あそこに売店があるだろが?」
ヤキソバを含んで俯きながら、三狩屋が箸で自分の背中の方向を示した。
二宮がその方向に視線を向ける。そして3歩ほどよろめいて尻餅をつく。
大行列。売店へと続く長蛇の列が遥か向こうまで延々と続いているのだ。
「さっきまでは空いてたんだがな、イチが旨い旨い叫んでから混んだ。」
「ふぃふぁ、ふぉんふぉふぃうまいっ!ふぇふぃふぇふうまいんふぁ!」
「……確かにナニ言ってるか判らんが、うまいってのだけは判るな……」
「二宮センパイ?少しで良かったらー、あたしのを分けましょーかー?」
「あ、食い切っちゃったッスけど、なんだったらリバースするッスよ!」
後輩の愛情を肌に感じる二宮、だが愛情だけでは決して腹は膨らまない。
並ぶしかないと諦める二宮。炎天下の元で、じりじりと焦がされながら。
行列は確かに長かった。だが売店主の手際の良さから確実に進んでいる。
前に並ぶ家族連れが買い終えて、いよいよ自分の番となった二宮だった。
「えっと、ヤキソバ二つ。あとさ、この『モダン』は作り置きしてる?」
「モダンはこれからッスね。ヤキソバだけならスグで大丈夫ッスけど。」
「じゃあヤキソバだけでいいや。わりー、無理なこと聞いちゃってさ。」
代金とヤキソバを交換し列を離れる二宮。後ろから次の客が進んでいく。
後ろは中学生ほどの髪の長い女の子だった。近くに家族もいるのだろう。
しかし、彼女は何故か会計をすることができなかった。別の人間により。
「え?!あ、あのー、つ、次、その、わたしなんですけど、えーと……」
「あー大丈夫大丈夫、にーちゃんさ、ヤキソバ20個、スグやってな!」
「困るッスよ、皆さん並んでもらってるんスから。後ろお願いします。」
「あー大丈夫大丈夫、ちゃんと金払うからさー、大丈夫!待てるって!」
トランクスタイプの水着にアロハを着た金髪の少年たちが店を占拠した。
涙ぐむ中学生にも動じなければ、列で睨む後ろの人間にも躊躇はしない。
ヤキソバとその光景を交互に見比べる二宮。そして女の子を手招きした。
「泣くなって。いってーいくつ買うつもりだったんだ、おねーちゃん?」
「……二つです。わたしの分と、おとうとの分。おとうとが待ってる。」
「そっか、じゃあこれ売ってやる。二個1000円、冷めてるけどな。」
彼女の手から500円玉二枚が二宮の手に、交換でヤキソバが渡される。
その二枚の硬貨を二宮はぎゅっと右手に握りこんで、少女へと微笑んだ。
「あ、あの、おにいさんは、また並ぶんですか?だったら要りません。」
「いや、もっと別なもん買ってくるから大丈夫。弟は大事にしとけよ。」
ぺこりと頭を下げ走り去る少女。髪の揺れる姿がやがて視界から消えた。
そしてヤキソバ店の前では、後ろ髪だけ伸ばした金髪がゴネ続けていた。
スタスタと歩み寄っていく二宮。はちきれんばかりの笑顔を浮かべつつ。
「どけゴミカス。……おにーちゃん、箸もらいわすれてたわ。くれる?」
「んだよてめぇ!行列の先頭に割り込みとか人間として最低だぞお前!」
肩を掴まれる二宮。次の瞬間、拳で金髪少年の顎を構えもせずに殴った。
金髪少年は回転しながら3mほど吹き飛ぶ。唖然とする周囲。笑う二宮。
仲間の金髪が色めき立つ。だが金髪三人はすぐには向かってこなかった。
ちなみにパンチの威力を上げる簡単な方法に『握り』というものがある。
人間の掌には関節と肉があって、それが衝突の瞬間にクッションになる。
それを防ぐ為にあらかじめ物を握っておき、関節を固定して緩衝を防ぐ。
自分達が追い出した少女が敵を強化した。ある種の皮肉だともいえよう。
「ぁめんゃぇぞぉらぁ!めんじゃぇぞぉら!っごぉぃたんぉおうらぁ!」
「あー、声出しはいいからさ。どうすんだよお前。やるの?やめるの?」
仲間の3人が二宮の腕と首元に手を伸ばす。勿論、コレにも理由がある。
体を掴み2人で固定をすれば1人空く。残った一人が好きに攻撃できる。
だが二宮は足を開き腰を落として、左の腕を使って殺到する手を避ける。
「せいっ。」
余った右手で拳を突き出す。そのまま正面にいた金髪は腹を押さえ沈黙。
残った二人はその隙に腕と襟を掴んのだが肝心の攻撃手が不在となった。
そこで羽交い絞めにして一人で固定し、もう一人で攻撃しようと試みる。
しかし今度は左手のひじを思い切り引き、背中に乗る役が腹を押さえた。
そこで握った左手の裏側を、背中で腹を押さえる金髪の顔面に叩き込む。
残ったのは1人。ぎこちない笑顔を浮かべる金髪。そして、笑顔の二宮。
「ぐぇ。」
二宮は回転した。見せた背中に隙を感じた最後の金髪は向かっていった。
だが回転した背から少し遅れた右足が、笑顔の金髪少年の脇腹に当たる。
そして前述のような奇妙な声を出し、その場で内股になって膝をついた。
一分弱の攻防。気がつけば二宮だけが残って、金髪少年達は倒れていた。
「チャパツのおにーさん、そろそろセイバーか警察来ちゃうッスよー?」
「あ、そうだった。わりーけど、俺のことはショナイの方向で頼むわ。」
売店の青年と列に並ぶ大多数に向かって一礼をして、小走りで去る二宮。
後ろからどよめきと拍手が沸き起こる中、彼は自分の場所に急いで戻る。
そこには相変わらず呑気にくつろいでいる宇佐美たち4人の姿があった。
「なんだニノ、手ぶらかよ!列に並ぶくらいの心のユトリが必要だぞ!」
「うるせーよイチ。ちょっと中坊の女に声かけて振られてたところだ。」
「なんだよ、フライングでもうナンパしたのか。相変わらずだなニノ。」
平和な笑いと共にその場を去った4人。もちろん皆で海に入る為である。
二宮を待たなければ海に入れない訳ではない。だが皆は彼を持ったのだ。
それを知って笑顔で後を追う二宮。気持ちを切り替えて今は楽しもうと。
確かに二宮は、思う存分楽しんだ。そのせいで視界外の金色を見落とす。
そして太陽は傾き始め、遊泳時間の終了を告げる放送が砂浜に響きだす。
砂浜で座り込む4人。一之瀬ですらまったりと佇んで海面を眺めている。
無論ずっと砂浜にいたい訳ではない。やはり若いので海で遊んでいたい。
しかし条例がそれを許さない。そして、ルール違反は一之瀬が最も嫌う。
「どーする?ここまま花火か、ファミレス行くか、帰って寝るかだが。」
「馬鹿かニノ!俺もう花火一式持って来ちゃったよ!どうしてくれる!」
「いや、さっきまで手ぶらだったろ。いつの間に持ってきたんだイチ。」
「馬鹿にするなサンタ!片道30秒でダッシュすりゃ2分かかんねえ!」
「おまえ忘れ物して一回戻ってるだろ!少しは落ち着いて行動しろよ!」
良い子の花火セットと書かれた花火の袋が、一之瀬の足元に並んでいる。
そしてその脇には良い子の花火にお約束であるゴミ袋とバケツのセット。
「まだ人多いから花火はも少し後にすっか。どうする、先にメシるか?」
「いや、いい加減に集団行動も辛くなってきたしな、自由行動しねえ?」
「なんだと?!合宿は集団行動を鍛える場だぞ!団結した力をだな……」
「あー、そうだな。イチの怒鳴り声も飽きてきたし。7時に集合だな。」
ペタペタと立ち去っていく二宮と三狩屋。一之瀬と榎本宇佐美が残った。
一之瀬は少し寂しそうに肩を落としたが、思い出したように顔を上げた。
そしてその場で足踏みをして榎本たちに向かって満面の笑みを浮かべた。
「すまん!俺おじゃる丸見てこないと!すぐ戻んから、花火見といて!」
そう告げると物凄い勢いで走りだして砂煙と共に砂浜を後にする一之瀬。
呆気にとられながらそんな一之瀬の姿を眺める、宇佐美さんと榎本くん。
二人はしばらく互いに顔を見合わせて、どちらからともなく笑い出した。
「言ったでしょー?センパイたちは自由だってー。どう思いますかー?」
「見捨てたんじゃねえっての。センパイらにはキット考えがあんだよ。」
「どんなー?もしかしてー、私達を二人きりにさせたかったのかなー?」
はっと気付いて、顔を伏せる榎本。夕日に染まった彼女の顔が見れない。
彼女の眼差しがすごく純粋で、妖艶で、そして可愛らしく見えたからだ。
しかし彼女は今一気がつかないようだ。自分の胸元を眺めたりしている。
「……いいかげんにしろよ宇佐美。俺だってな、その、勘違い位する。」
「そうなんだー。でもさー、正解だったら勘違いって言わないよねー?」
膝を抱えてそっぽを向く榎本氏。同じポーズで少年を見据える宇佐美嬢。
だんだんと下がる照度と特別な橙色光線が、二人の少年少女を包み込む。
そして夕焼けが反射する黄金の水面が徐々に光輝の度を下げ始めていく。
センチとは程遠い元気印の少年少女も、その自然の藝術に目を奪われた。
しかし、夕焼けとは何もロマンスだけの意味合いで存在するわけはない。
『逢魔が時』とも呼ばれる、不吉な時間帯であるとも言われているのだ。
そして背を向ける陸に金色の魔物どもが増えているのを二人は知らない。
つづく。
長い!長いよ!やっぱり主役は山田くんの方が短くて良い!
藤沢編は榎本くん、宇佐美さん、一之瀬くんの紹介も含みます。
ただメインはもちろん二宮くん。三狩屋くんも外せないのです。
人数増えて描写間引けるキャラが居ないんじゃ長くなって当然。
で、できるだけ短くするように頑張ります……
ではではw