『バイク』とは道路上で走る事を目的とした自走式二輪車の総称である。
決して敵を倒す為の武器でなければ建物内を蹂躙する戦闘車でもはない。
しかし『寸鉄人を殺す』の直喩でもある通り、道具は使い様なのである。
「ヒャッハー!食料と水とガソリンと汚物と消毒と火炎放射器だぜー!」
「混ざりすぎだイチ!特に汚物なんか奪ってどーしたいんだお前はよ!」
「サンタはコドモだな!女子の汚物はマニアに売れるって言ってたぜ!」
「マニアにも程があるわ!流通できるほど汚物の需要なんかあるかよ!」
バイクは建物内を自由に走っていた。階段も彼らには障害とはならない。
三の隊のメンバーは丸太の上を走る練習を積んでいるのだと嘯いていた。
しかし一之瀬と三狩屋、そして後発で彼らの下の階にいる二宮は本物だ。
彼らはこのような場数は踏んでいるらしく、楽々とマンション内を走る。
「あーあー、イチのやつドア全部蹴り壊してるじゃねえか、ったく。」
一之瀬の蹂躙した痕を眺めて走る二宮。その顔には苦笑が浮かんでいる。
低層ながらもそのマンションは1階層あたり10部屋が並ぶ造りだった。
廊下にはバイクのタイヤ痕が黒々と刻まれており、その流れはジグザグ。
部屋の前に止める、ドアを壊す、バイクごと中に入る、バイクごと出る。
「こりゃあもうイチの不始末だ。愛しのパパにあとは頼むしかねえ。」
二宮はバイクを止め、革のジャケットから愛用のスマートフォンを出す。
誰かに電話をかけるのかと思えば、そうではない。画面を操作するだけ。
指を滑らせ、画面を軽く叩き、また指を滑らせ、そしてまた画面を叩く。
『イチパパ』と書かれた登録先を最後に選択し彼は最後のタップをした。
「許せよイチ。こういうのは、やっぱオオゴトにするに限るんでな。」
意地の悪い半目の笑顔で微笑む二宮。そして彼は再び仲間の後を追った。
映研新入生4人組の帰宅の途では、ちょっとした口論が巻き起きていた。
山田家から比較的近くに住む石川と阿形に対し、宇佐美と榎本は遠くだ。
そして方向が全く逆。阿形組が駅から離れる方向で、榎本組は駅方向だ。
「るせーよ阿形。山田センパイから送れって言われてるんだよ、俺は。」
「要らないわよ。だいたいさ、前から思ってたんだけど、私のが強い。」
「言うじゃねえかよチビ。柔道だったらともかく、空手に負けるかよ。」
阿形が軸を少し横にずらして、体が斜めに向くようにして半歩足を開く。
一方の榎本は相変わらず正面から腕だけを上げて、一応のガードをする。
つま先を内側に少し折り畳み腰を落とす阿形。小さい背を更に低くする。
「アガっちゃんも榎本くんもやめなー。いつも勝負つかないじゃんー。」
「――私と阿形さん、宇佐美さんと榎本くんで別れて帰ればいいかも。」
「阿形じゃワルに絡まれても石川守れねえだろ。そんくれーは判れよ。」
「へぇー?どっちかっていうと榎本が宇佐美ちゃん守れないんでしょ?」
阿形は藤沢合宿の事件を知らない。単に榎本の挑発に乗っただけである。
しかし榎本の脳裏には巨漢に倒された自分の姿が浮かんだ。そして激昂。
いつものじゃれ合いの手加減を忘れて、膂力の全てで石川の胸元を叩く。
「ったあああああああ!やったわね榎本!手加減なんかしないからね!」
彼女は腕を胸元でクロスさせて、彼のフルパワーのパンチを受けきった。
十字受けと呼ばれる空手独特の防御法である。しかし、彼女は軽かった。
重心を落とし脚力で勢いを殺していながらも、30cm程すべり下がる。
しかしそこで終わらない。榎本は目を血走らせて左右で何度も拳を出す。
反撃に移ろうにも下がる途中で姿勢を変えたなら、構えは瓦解するのだ。
重い一撃が幾度も彼女に襲い掛かる。彼とて、同じ場所に拳は出さない。
「…………………………。」
榎本は無言であった。その両目は血走っており、歯を食いしばっている。
彼の脳裏に浮かぶのは、目の前の小柄な少女ではない。例の巨大な金髪。
手も出せずに沈んでしまった自分。情けない自分を泣きながら眺める女。
「つぇりゃあああ!いい加減にしろ榎本!!」
彼女はここで一か八かの賭けに出た。体をかわして彼の突き手を流した。
しかし、それは遅すぎる判断だった。幾度も受けていた手が痺れていた。
かわし切れない拳が、ほんの少しだけ、阿形直美の胴体に接触したのだ。
たったそれだけで、阿形の体は地面に倒れる。榎本は右拳を下に向ける。
「アガっちゃん!……榎本くん!もう!いい加減にしなさいよアンタ!」
榎本の顔に宇佐美のピンタが炸裂する。その威力なぞ彼にとって皆無だ。
しかし彼の動きは完全に止まる。呆然とした顔で上げていた腕を降ろす。
いつもひょうきんに笑っている彼女の顔ではない。般若の面相であった。
完全に戦闘態勢が解かれたことを感じた宇佐美は、阿形直美に走り寄る。
「アガっちゃん大丈夫?!痛くない?病院呼ぶ?救急車に見てもらう?」
「あ、あはは、病院が来たら大変だよ宇佐美ちゃん。……おい、榎本!」
「…………な、なんだよ。…………あの、その、…………す、すま……」
「謝るな!謝ったら本気で怒るからね!……榎本、意外と強いんだね。」
「そ、そりゃあ当たり前だろ。俺は先輩らのガードだったんだからな。」
「だった、ねえ。宇佐美ちゃんは榎本に任せるわ。せいぜい頑張って。」
上半身を起こし、榎本の方向に向かって右手を握り締めて突き出す阿形。
意を解した榎本もまた、右手を握り締めて、彼女の出す拳をそっと叩く。
榎本は思う。こいつなんで女なんだろう。男だったら良かったのに、と。
「ごめんねアガっちゃん!おなか殴られてたよね?一緒に病院呼ぼう?」
「だから病院は来ないって。宇佐美ちゃんて、本当はそんな顔なんだ。」
「――三狩屋先輩達が宇佐美さんのこと『姫』って呼んだ気持ち判る。」
「え、ええー!ちょっと、石川ちゃん何でそんなこと知ってるのよー?」
「――メールで。藤沢班にもぐりこんで、紅一点でお姫様扱いだって。」
三狩屋くんは、口では情報屋じゃない探偵じゃないと常に言ってはいる。
しかし彼は情報を尊ぶ人間であった。そして望遠少女捜索役もしている。
箱根班の動向を知る為、箱根班で一番冷静そうな石川と連絡をしていた。
「――榎本君が不良から宇佐美さん守って、二人は交際中なんだって。」
「ま、マジで?宇佐美ちゃんヤメた方がイイって!榎本に襲われるよ?」
「あ、あのー、その件に関してはー、そのー、なんて言いますかねー。」
「いい加減にしろよ阿形!俺が無理やり襲うかよ!むしろ……むぐぐ。」
急いで榎本の口を塞ぐ宇佐美。しかし遅すぎた。むしろが漏れてしまう。
『むしろ』で阿形と石川は全てを悟った。この2人の恋愛の立ち位置を。
三狩屋もさすがに、宇佐美と榎本の件は後半ぼかして伝えてはいたのだ。
「――行きましょう、阿形さん。これ以上邪魔をすると私達悪人だわ。」
「だね、石川ちゃん。じゃあ今後は榎本の不始末は全部、姫の責任で。」
「ちょ、ちょっとー!姫とか呼ばないー!榎本くんも何とか言ってー!」
「いいじゃねえか姫で。別に誰も悪口で言ってるわけじゃねえんだし。」
「――ごきげんよう宇佐美姫さま。護衛の戦士と仲良くお帰り下さい。」
「あーもうー、榎本くんのせいだよー!姫はやめてー!ふたりともー!」
榎本の背中を力なくポカポカと叩きながら、二人に向かい叫ぶお姫さま。
にこやかに微笑みながらそんな彼らを置いて去っていく二人の女子部員。
真っ赤に照れながらうつむく宇佐美の顔を見て、榎本は首を傾げていた。
一方、山田くんのお部屋。
彼は乱雑に詰め込まれていた女性陣の下着を詰めなおす作業をしていた。
画材用に持っていた除湿シリカゲルを机の上に出して、袋も複数出した。
所有者別と種類別で迷っていた彼に、階下から豪快な男の呼ぶ声がする。
「次郎ー、フィアンセからさっそく電話だぞー!いい加減携帯買えー!」
「ちょ、何をおっしゃるマイファーザー!婚約なぞしてゴザらんよー!」
急いで秘密のトレジャーをベッドに全て投げ入れ、布団で隠す山田くん。
父親の言うフィアンセとは恐らくアレに違いない、そう彼は考えている。
そして電話口に出るやいなや鼻にかかった女の声。予想は正解であった。
『お父様ノリいいわねー。保留もにしないで全部聞かせてくれてたわ。』
「悪ふざけが過ぎるだけだ。マイマザーは常識人ゆえこうはいかんぞ。」
『あらそう?じゃあ、お母様が認めてくれたら晴れて婚約者確定ねー。』
「そ、それより用件を言え。特に何もしてないが、時間は有限だしな。」
『特に何もしてない、ねえ。大丈夫よ?シて怒るならあげてないわよ。』
真っ赤になって受話器を落としそうになる山田。見透かされているのだ。
受話器をいったん顔から外して大きく何度も深呼吸してから再び構える。
そして耳元からはクスクスと笑う声。深呼吸まで見透かされている様だ。
『ところでさ、私の家って何処にあるか知ってたっけ山田クンってば。』
「知るわけなかろう。残念だが俺はこれっぽっちも興味は無いんでな。」
『聖蹟桜ヶ丘の山の手なのよ。でね、帰れなくなったってわけなのね。』
「そ、そんな遠くなのか?!それこそ初耳だぞ!それだったら何で……」
山田はそこまで言いかけて口を押さえてその後に続く言葉を飲み込んだ。
送ってくれと言わない。それを言えば彼女はまた自分をからかうだろう。
耳元からはまたクスクスと笑う彼女の声。頭を掻きつつ苦い表情をする。
『大丈夫よ、山田クンに負担をかける女じゃないから安心していいわ。』
「そ、そんな事はどうでもいい。で、どうしたんだ?迎えにいこうか?」
『今日はお姉ちゃんの部屋に来てるのよ。でね、面白い人と会ったの。』
「ああ、どーせ佐藤センパイだろ?俺だって2人の仲くらい知ってる。」
『佐藤クンとは元々何も無いって前に言ったわよね?本命は別なのよ。』
「まだるっこしい、その辺の誰だろうと驚かん。逃亡部員の一人だろ。」
佐藤センパイとは、鈴木元部長に反旗を翻した映像文化研究部の副部長。
鈴木一浪氏いわく、『女の色香に狂って身を崩した馬鹿野郎』だそうだ。
鈴木は当時の美術部部長の田中一葉と佐藤が恋仲であったと言っていた。
『じゃあその逃亡部員さんとご対面ー!――ほら、山田クンですよー?』
『……………………あ、あの、久しぶりだな、山田。元気にしてるか?』
山田はパニックになっていた。無論、全く知らない人間だからではない。
むしろその逆、彼にとって知りすぎている人物。そして尊敬している男。
現映像文化研究部部長の山田次郎が尊敬する男は一人だけ。その名は……
「す、鈴木センパイ?!?!?!はぁ?なんで鈴木センパイがそこに?」
『あ、あのな、話せば長いんだ。だが、決して裏切ったわけじゃない!』
「裏切るとかどうでもいいッスよ!msもls、pmmfしfr、p_」
『お、落ち着け。いいか、俺の事は忘れろ。映研に鈴木は居なかった。』
「言ってる意味が判らないッスよセンパイ!?ナニが起きてるんです?」
『いや、何も起きてない。第三次大戦でもない。とにかく居ないんだ。』
山田次郎は困惑していた。いや、混乱もしていたし、混沌ともしていた。
田中双葉と他愛もないやり取りをしていたら、急に、鈴木一浪が現れた。
山田は山田なりに状況を整理しようとする。しかし、ガッツが足りない。
「何か事件でも?そうか、田中キョウダイなんですね?!くそアマが!」
『お、落ち着け山田。もう、その名は呼ばんでいい。もう、いいんだ。』
「落ち着いてられますか!おかしいと思ったんだ!田中の陰謀ッスね?」
『違う、そうじゃない。そうじゃなかったんだ。山田、お前が実は……』
そこでタイミング良く、いやタイミング悪くか電話が田中双葉に代わる。
双葉嬢が代わるやいなや、山田のあらん限りの怒号が耳元に溢れかえる。
さすがの彼女も携帯から耳を離し、電話の先の興奮が収まるのを待った。
『――落ち着いた?ちょーっと面白がったのは謝るけどさ、別に私……』
「見損なったぞ田中双葉!き、君だけは立場の差は有れ理解できると!」
『だから落ち着きなさいよ山田クン。私の話も聞いて。鈴木クンは……』
「クン、だと?!ふざけるな貴様!下級生の分際で先輩にクン付けだ?」
『……そうよ。悪い?いっとくけど私は映研じゃないわ。判るわよね?』
「そうだ、君は美術部、いや憎むべきマン研の部長だ!よーく判った!」
『寸鉄人を殺すわよ。いくら山田クンだって、怒るときは怒るからね。』
『寸鉄人を殺す』その直喩は前段の通り。その暗喩は言葉の暴力を指す。
通常ならディベートでの一撃を指す。が、言葉を選べという訓戒もある。
「俺は浅はかで馬鹿だった!君なら、君となら、判り合えると信じた!」
『だったら何?もう今じゃ判り合えない?未来永劫で何とかって言う?』
「そうだ!映研とマン研は袂を分かった!未来永劫で混じりあわない!」
『まさかと思うけどさ、山田クンってホモ?鈴木クンの恋人ってわけ?』
「センパイを愚弄するな!美人だから何しても許されるとか思うなよ!」
『いや、その、まぁー、美人とか言われちゃうと、否定しないけどさ。』
「俺は目がパッチリ開いた女が好きなんだよ!美人じゃなくてもなぁ!」
受話器を叩きつける山田次郎。その目に涙すらうっすらと浮かんでいる。
肩をリズミカルに震わせ、息を荒げながら立ち尽くす彼に影がかかった。
山田くんが振り返ると、そこには大きな男の影。もちろんホモではない。
彼はその影から不意打ちの一撃を受ける。大きな手によるビンタだった。
「次郎!おまえ女の子になんて口きくんだ!それでもお前オトコかっ!」
「うるせえよジジイ!立ち聞きしてんじゃねえよボケ!すっこんでろ!」
「誰に向かって口きいてるんだお前!立て!その性根が直るまで叩く!」
「立ってやる!いくらでも立ってやる!だが、俺は何も間違ってない!」
山田次郎が立つ。山田大二郎が殴る。そして山田次郎は立ち、殴られる。
彼の父は高校サッカー部に所属し主将であった。全国大会にも出た猛者。
いまだ鍛錬は続けている。しかし彼の実父であり、齢は重ねてきている。
父が手を腫らして息を切ってもなお山田次郎は目も逸らさず立っている。
「勝手にしろ次郎。だがな、一言だけ言っておく。お前は馬鹿野郎だ。」
「馬鹿でいいさ。俺は何も間違ってない。間違ってない事は謝らない。」
「次郎、母さんが悲しむからその口調はやめろ。それだけは約束しろ。」
「……判ったでゴザルよマイファーザー。拙者、山田次郎でゴザルよ。」
手を開き前に差し出す父。これは握手を求めるサイン。しかし彼は去る。
苦笑しながら父はやり場の無い手を頭に持っていき、髪を掻いて去った。
そしてそのやり取りを、台所からそっと隠れ見ていた人物が姿を現した。
「どうする気かな妹さん。ま、あの子の覚悟もその程度って事かしら。」
その頃、郷田と土屋は何も言わず予備校の一室で肩を並べて座っていた。
もちろん二人だけではない。同じ様な男女が必死な表情を浮かべていた。
夏期講習。本来の受験生であればここで追い込みをするのが定石である。
部活にふらふらと顔を出したり懇意の女子とイチャつける場合じゃない。
「郷田君、問10の小論文だけど厭戦と肉親の情で正解だったのかな。」
「問題を良く見てないんだな。あれはフェイク、正解は恋人への愛だ。」
郷田は有名予備校でもトップクラスに入っている。しかし彼女は違った。
希望する国立大学の予想合格率は50%、かなり厳しい数字が出ている。
もっとも郷田であっても80%だというのだから戦争は過酷なのである。
「ありがとう。……郷田君なら内申書が揃えば国立も怖く無さそうね。」
「当たり前だ。……と言いたいがそうでもない。受験はそう甘くない。」
「模試でも緊張してなさそうだし体調管理も万全みたいに見えるけど。」
「そうでもない。当日に何が起こるかで結果は変わる。油断は禁物だ。」
郷田と土屋は、当初同じ予備校にいたことにすら気付かぬ間柄であった。
だが土屋は教室で郷田に声をかけられる。それは面接についての相談だ。
面接の模擬テストで郷田は行き詰っており、土屋を紹介されたのだった。
郷田は将来の夢を『無い』と答える。受験に合格してから考えると言う。
適当な正解を講師が教えても本人にその気が無いのでスグにボロを出す。
だが土屋には確固たる意思があった。衛生管理に関わる官僚になりたい。
祖父を不衛生なレストランによる大腸菌感染で失ったからなのだという。
「二次の対策は大丈夫なの郷田君。面接だって重要な試験なんだから。」
「しかしセンターで失敗すれば意味が無い。センターこそ全てなんだ。」
土屋は郷田を尊敬し、利用し、そして滑稽な男なのだなと認識していた。
受験はあくまで道程。為すべき目的に立ち塞がる障害の一つでしかない。
だが彼は純粋にハードルを見続ける走者。ゴールは飽く迄オマケなのだ。
奇妙な共生関係で土屋の成績も上がり、教頭の目に留まって入部をする。
「郷田君は官僚に向いているのかもね。きっと真面目に仕事をしそう。」
「真面目に仕事をした先に何があるんだ?次に何を目指せばいいんだ?」
「それは自分で決めないと駄目だわ。例えば、幸せな家庭を築くとか。」
「漠然とした概念だけ語られても判らんな。具体的な数値があるのか?」
「それは無いわ。ある時、急に『私はこうしたい』って気付くものよ。」
「ならその時になるまで考えても無意味だな。今はセンターが全てだ。」
この男に面接は無理だ、そう土屋は結論付けて今日の会話を打ち切った。
彼女も自分の学力が向上した恩を感じている。だからこそ根気良く話す。
だが彼女とて受験戦争の戦士でもある。そこまで無駄な時間は避けない。
しかし明日にはまた彼女は根気良く話しかける。彼女は律儀なのである。
盗んだバイクは走り出して校舎の窓ガラスを壊して回ったりするものだ。
しかし盗まれていないバイクとはもっと始末に終えない。無差別に壊す。
立川飛行場そばの無人の筈の古マンションは、バイク三台に蹂躙された。
「はるばるキタぜ最上階!さすがの俺様もちょっとお疲れチャンだぜ!」
「……ちょっとお疲れチャン、じゃねえよ!お前建物全部壊す気かよ!」
「ドア壊しただけじゃんサンタ。あんまり小言が多いとシワ増えるぜ?」
「増えねえよ!まだピチピチだよサンタくんはよ!ニノも何か言えよ!」
「最上階って事は一部屋だけって事か。こりゃあ案外ラッキーかもな。」
そこで二宮がバイクから降りる。エンジンを落としてヘルメットも取る。
一之瀬と三狩屋もまた同様に彼に倣った。どうやらバイクは不要らしい。
彼らはヤクザの集団だった場合を考えバイクを乗り回していたのだった。
「チョイ思ったんだが気がつかないっておかしくねえ?ニノ、サンタ。」
「呆れたな、そこ考えないで走ったのかよ。気づいても逃げれんだろ。」
「おおー、さすがはニノだ!サンタ、そういうわけだと。良かったな。」
「ちょ、おい!俺だって判ってたわ!ンナもん誰だって気がつくって!」
彼らは階段そばにバイクを置き、一番逆側の位置にある部屋に向かった。
そこにはエレベーターがあり、オリローと呼ばれる非常シュートがある。
二宮と三狩屋はそんな現場の観察から、一之瀬は一種の勘から判断した。
各部屋にはそれぞれ鉄製の扉が付けられていた。その部屋もそれは同じ。
しかし、その部屋だけは鍵の形状がおかしかった。開錠回しが外にある。
外からの錠。中の人間に向かって施錠しているのだ。確実に特別な部屋。
「キマリだな。さて、どうやって中に入るかだが。警報とかあるかな?」
「有りうるなニノ。最悪、中のカワイコチャンが危ないかも知れんな。」
「大丈夫だ!俺の勘がそう告げてる!火盗盗賊改め長谷川平蔵である!」
外回しの鍵だから普通に開けて入れば良いだけである。しかし彼は蹴る。
なぜなら一之瀬の野生の勘がそう告げているからだ。論理的理由は無い。
しかし彼の勘は正しかった。そこに最悪直前の光景が広がっていたから。
ぐったりと放心した女が腕にゴムチューブを巻かれて、ただ座っていた。
そして腹の出た中年が注射器を手に持って、今まさに腕に刺さんとする。
物音に気がついた中年が玄関に視線を移した。そこに現れるのは丸い影。
「あー!先鋒は俺って決めてただろニノ!割り込みとかズルすぎんぞ!」
「馬鹿言え、間一髪だっての!いいからあのヤクザ壊してこいよイチ!」
丸い影はヘルメットであった。二宮の投げたヘルメットが中年を襲った。
注射器を手放しとっさにヘルメットを叩き落す中年。そして即座に立つ。
次に見た光景は笑いながら跳び蹴りをしてくる少年。一瞬で脇に避ける。
体勢を立て直した中年。だがその少年は野猿の様に素早く凶暴であった。
笑顔のまま素早い突きを幾重にも繰り出す。中年にもこれは空手と判る。
彼は暴力団の構成員だった。そして彼らもまた例外なく格闘経験を持つ。
「うははははははは!デブの割に早いなオッサン!やっぱヤクザなん?」
「ザケんじゃねえぞクソガキ!こう見えてもな、段持ちだぞクラァー!」
「ひゃっほーう!そいつはすげえ!ニノ、サンタ、手出しすんなよな!」
「誰もお前の物とりゃしねーよ。いいからトットとやっちゃえよイチ。」
プロレスラーは何故腹が出ているか、それを皆さんはご存知であろうか。
別に不摂生でもなければ偏食でもない。彼らは意図して体型を作るのだ。
それは緩衝、そしてスタミナ。数分でインターバルなぞ来ない実戦志向。
そして中年もまた実戦派であった。彼は長時間の組み手に耐えうる体だ。
体を重くする。だが威力を落とさない、スタミナが続く、打撃も受ける。
それ以外にも武器の使用にも習熟している。だからこそ彼は一人で居た。
「ぶっ殺すぞオゥラッ!ガキンチョが大人に勝てるわけねえだろガァ!」
「うはははははははははは!つえー!超たのしー!ヤクザ君さいこー!」
しかし中年には焦りの色が出る。目の前の少年は確かに空手使いである。
そして中年は戸惑い始めていた。自分の知る空手より数段に回転が速い。
阿形が見せた十字受けもした。体裁きもした。突き手を肘で避けもした。
だが目の前の少年は笑顔のままで突き、そして蹴る。何しろ手数が多い。
有段者であり場数も踏んでいるはずの自分が気圧されている現実がある。
「あー!ああー!」
「え?なになに?」
中年は大声で叫び足元を指差した、もちろん何かあるわけではなかった。
駄目でモトモト、注意を逸らそうとしただけだ。しかし一之瀬は乗った。
中年はそこで背中に手を回した。そこには木の鞘に納められた短い刃物。
「とったあああああああ!」
「とられたああああああ!」
一之瀬はその短刀を持つ手を蹴り上げる。彼の野生の勘が発動したのだ。
そして少年は笑顔を崩し怒りの形相になる。楽しい遊びに水を差された。
その純粋な怒りが彼のスピードを上げる。隙の出来た中年には回避不能。
「ハモノとか超ツマンネー!なんだよソレ!お前、もう壊れちゃえよ!」
もはや中年に挽回のチャンスは無かった。見えぬ程の突きと蹴りが襲う。
数秒で彼は腕を下げてしまう。そして更に数秒で頭をダラリと垂らした。
しかし彼は何故か倒れない。そう、一之瀬が倒れない様に叩き、蹴った。
「ほいほいイチ、お疲れチャン。もう壊れちゃったからソコマデなー。」
「またこんなだよ!何かもっとスゲエのって居ねえ?モヤモヤだぜー!」
「そう言うなってイチ。ほれ、カワイコチャンが待ってるから笑顔な。」
「俺べつにそーいうの興味ねーし!ニノ、オンナの世話はまかせた……」
中年は音を立てて崩れ落ちた。もはや意識は完全に飛んでいるのが判る。
興味の対象は壊れた。あとは自分にとって関係ない。だから背を向ける。
そこで一之瀬に後ろ脇腹に飛び込む影。彼自身驚く程、不意を突かれた。
そして衝撃を受けた自分の腹をそっと見る。血は出ていない。しかし……
「ありがとう!なんでもします!なんでもします!なんでもしますっ!」
「ちょ、おま、何だよ!ニノ、これ取ってくれよ!何か変だぞコイツ!」
「ちーとも変じゃないだろ。助けてもらえば感謝するもんだぞフツー。」
一之瀬の野生の勘とはかなり高性能である。危険の有無を察知して働く。
だから尾崎嬢の感謝のタックルには働かなかった。危険性が無いからだ。
もちろん女性のタックルに負ける鍛え方はしていない。だが困惑はする。
「いや、そのー、お前さ、家帰れば?また一緒にゲームしようぜ?な?」
「もうゲームとか絶対イヤ!でも貴方が言うんならゲームしてもいい!」
「どっちなんだよ!……ほれ、あそこに女の子担当が居るからさ、な?」
困惑する一之瀬が指した先には誰も居ない。二宮達は部屋の外であった。
彼も出て行こうとするが、涙目の彼女が腰にしがみついていて離さない。
もちろん彼は女性を殴れないフェミニストではない。だが弱者には弱い。
「サンタ、確かこういうのストックホルム症候群って言うんだっけか。」
「ちげーよ、ソレは犯人と被害者。それを言うなら釣り橋効果じゃね?」
「突き抜け馬鹿のイチにゃオンナは無理と思ってたけど、アレなら……」
「だな。まさかイチニノサンで最初にマジタレ作るのがイチとはなー。」
マジタレとは彼らだけの造語である。真剣に交際する女性のことを指す。
二宮も三狩屋も女性経験自体は少なくはない。特に二宮は非常にモテる。
だが2人にとって女性は交際相手ではなく、一種の愛玩動物扱いである。
特に二宮は実の姉に強すぎる好意を持っており、他の女性に興味が無い。
ちなみに女性に『タレ』を使うのは非常に失礼な物言いなのでご注意を。
「じゃ、じゃあ、また明日な!明日また遊ぼうぜ!それならいいだろ!」
「名前!名前教えてください!私の王子様のお名前は何て言いますか!」
「えー!俺って王子様じゃねえって!名前は権兵衛!名無しの権兵衛!」
「嘘はいかん。コイツの名は一之瀬雄大だ。……約束、破ったな雄大。」
「げ、げえええええええ!オヤジ!なんでオヤジがココにいるんだよ!」
長いコートを羽織って腕を組んでいる壮年の男。立川警察署署長だった。
そしてその脇からワラワラと制服警官が部屋に流れ込んで部屋が埋まる。
そんな入り口の脇では二宮と三狩屋が警察官達に敬礼して茶化していた。
「お、おじさん?この方のお父さん?ですか?おまわりさん?ですか?」
「そうだ。地域の治安と安寧を日夜守る立川警察の一員だ、お嬢さん。」
「ステキ!カッコイイ王子様で正義の味方?!こんな事ってあるの?!」
「雄大がカッコイイ王子様で正義の味方、か。……君の名前は何かね?」
「尾崎、尾崎紀世子です!雄大さんの為なら何でもします!ナンデモ!」
「ではまず署まで来てもらおう。君に聞きたいことが山ほどあるから。」
一之瀬署長は女性制服警官の一人を呼んで、尾崎を託して連れ出させた。
警官による混雑を避け署長は部屋の外へ出て、彼は二宮少年を見つける。
咳払いをして手招きする一之瀬父。苦笑しながら彼は招くままに物陰へ。
『雄大きゅんに危ない事させちゃ駄目だって言ったっしょ!にのみー!』
『だって、おじさんが悪いんですよ?ちゃーんと調べてくれないから。』
『う、それはそうだけどね……ところで、あの女の子が例のガイシャ?』
『そうですよ。美人って程じゃないけど、なんかイチに惚れてるかも。』
『彼女、いいねー!カッコイイ王子様で正義の味方とか、見る目ある!』
『そういえば確かにお似合いかも。でもいいんですか?イチ取られて。』
『雄大きゅんには幸せになる義務がある!あの子は逃げないかもだし!』
『やっぱそう思います?僕らもイチには逃げない子が合うって思うし。』
『だよね!でさ、今後2人の動向をメールしてくれる?にのみー頼む!』
『お安い御用ですおじさん。あっと、このままだとおじいさん、かな?』
『いいねいいねー!雄大きゅんの子供とか、超可愛いに決まりだよね!』
この会話の最中も一之瀬署長は鬼瓦のような表情を崩さず口も開かない。
対する二宮少年は、上品に微笑みながら受け答えをしているだけである。
離れた所から視界に入れても会話は想像できない。彼ら2人だけの秘密。
やがて話す事も無くなったのだろうか、二宮は三狩屋の元に帰ってきた。
「相変わらず怖ぇ顔してんなイチの親父。よく普通に話せるよなニノ。」
「まぁな。俺と親父さんとは付き合い超長いからな。それよりイチは?」
「すっかりショゲてるぜ。あんだけ無茶な奴なのに親父には弱いのな。」
「だからイチなんだよ。普通の馬鹿だったら可愛げあるんだろうがな。」
「ちげーねー。で、俺らってもう帰っていいのかな?まさか署に連行?」
「だいじょーぶだ。あとはイチの親父さんがいいようにしてくれるさ。」
すたすたと歩き去る2人。そこにおっとり刀で、一之瀬が合流してきた。
不完全燃焼の時に見せる表情とは別に、少しだけ戸惑いの表情が浮かぶ。
一之瀬くんは二人の前に立ちはだかり、そしてモジモジして話し出した。
「な、なあニノ。あの女、変だよ。何かスゲエ変だよ。そう思うだろ?」
「そうか?女に詳しい俺から言わしてもらうとな、アレはイチ向きだ。」
「お、俺向きってなんだよ!?サンタ、サンタなら判るだろ?変だぜ?」
「変じゃねえよ。カワイコチャンじゃねえか。目が三つとかあったか?」
「いや、目は二つだった。うん、鼻の穴も二つだった。変じゃねえな。」
「そうそう。どっから見ても普通の女だ。イチは何が変だと思うんだ?」
「あのな、えっと、その、チ●コがな、その、ムズムズした。変だろ?」
「変なのはお前だなイチ。もしかして彼女はそれを治しに来たのかも。」
「ま、マジか……てことは、あの女がいないと俺ってもっと変になる?」
「なるな。この女性学者二宮純が予言しよう、彼女はお前の救世主だ。」
真っ青になって震えだす一之瀬雄大。喧嘩無敗の無敵少年が泣く寸前だ。
クスクスと笑い出す三狩屋を二宮が肘で突いて制止する。二宮は真顔だ。
もちろん本気で女性学者を名乗った訳ではない。彼も単にふざけただけ。
それにそもそも学者が予言をしている時点で、突っ込み所が満載なのだ。
だが一之瀬少年にはまったく判っていない。彼は生粋のボケ役だからだ。
「尾崎紀世子、ねえ。よっし、ひさびさに親父と話でもしてみるかな。」
二宮はそう呟き、事件の現場であった古いマンションから去っていった。
三狩屋も一之瀬も、その呟きには気がつかない。気にもしていなかった。
警官たちは普通にバイクを押す少年を見送る。署長からの指示であった。
ちなみに中年男は監禁容疑で逮捕、その後覚せい剤取締法違反も付いた。
被害者であった尾崎紀世子だが、各種の検査を実施し陰性が確認された。
覚せい剤の陽性反応が出ていない、即ち、『間に合った』ということだ。
ヒーローの出番は間に合った。一之瀬の勘が間に合わせたと言っていい。
「あー!なんかスゲー、チ●コがムズムズすっぞ!大丈夫なんかよ俺!」
「大声でそーいう事さけぶなよイチ!大丈夫だから黙って運転してろ!」
だが当のヒーロー氏はこんな按配だ。ちなみにご心配の諸兄に一言をば。
一之瀬雄大くんはまだ未経験なので、性病の類ではないので悪しからず。
そして、唯一の未解決事件となってしまった山田くんのお部屋では……
「し、下着に罪はない、しかし、田中双葉、いや、だがな、ぬぬぬ……」
目の前のベッドに横たわる下着の数々。石川嬢の物は既に仕舞われた後。
ダーク系統のショーツ二着とブラジャーが一着、視界に入っているのだ。
彼の手にはカッターが握られている。ほんの数分前までは決意していた。
そこで彼は机の上に目を移す。そこにはやはり受験用の諸々が横たわる。
汗をかきながら向かい合った彼女。目線を合わせて微笑んでいる田中嬢。
介抱した自分に、素直に礼を言った憎むべき仇敵たる、美術部の現部長。
「お、俺は間違っていない!害悪は益善を装うと相場は決まっている!」
そして山田はカッターを仕舞い、机上にある自分の勉強用具も仕舞った。
そして山田はベッドに乗っかり、シーツにある仇敵の下着類も仕舞った。
そして山田はスペースの開いたベッドに横たわり、呆然と天井を眺める。
「俺、なんで『パッチリ目の女が好き』とか言ったんだ?変、だよな。」
そのまま山田クンはまどろんで、気がつく間もなく眠りに落ちていった。
こうして事件の日は終わる。そして彼は夏休みの間、家から出なかった。
次回より二学期開始。どのように話が展開するかは乞うご期待、である。
つづく。
もう9月も終わろうかという所で、やっとこさ夏休みが終了をしました。
24万字かけてなおココですが、まったりタグ入れてますし、ご容赦を。
愛すべき馬鹿一之瀬くんに春の到来間近となりそうなのに山田くんは秋。
だがしかしご安心ください。私のSSはハッピーエンドと決まってます。
ちなみに今日は何故二本掲載できたかというと、実は家族に内緒で有給。
ネットカフェに篭って、12時間ずっとタイピングしておりましたです。
いいですねネカフェ。時間配分とか好きに出来るのが、たまらなくイイ。
惜しむらくはもう有給が無いんですよね。という訳でペースは落ちます。
それでも週一くらいではアップしていく予定。たぶん大丈夫、の筈です。
私は連載SSは必ず完結させます。インターバル4年の前科持ちですが。
皆さん気長に待ってやってください。レスが(以下レス強要につき削除
では、次のお話でまたお会いいたしましょう。
ではではw